東京の片隅から
目次|きのう|あした
コンディショナーのボトルの中身を使い切ろうとして、ポンプを取り外してひっくり返したら、思ったよりも残量があった。普段つける量の倍くらい。 もう面倒くさいのでそのまま全部頭につけたのだが、なんだか髪の調子がいい。そうか普段の量が少なすぎたのか。
そう言えば、チラシの間取りを見るのも好きなのであった。 実家が増築改築でニコイチどころかサンコイチのような謎の間取りで、2階に上がる階段も屋上に上がる階段も二つずつ、しかも階段をつぶして作った床下収納とか、ふすまを開けたら壁とか、玄関真下の地下室とか(笑)もうギミックだらけだったので、忍者屋敷というあだ名がついたこともあった。 そういう環境も影響していると思う。
バブルの頃、家から少し離れたところの物件が出ていた。億越えだったので年単位でチラシに載っていたのだが、やたら広い敷地(いま思うと斜面だったのかも)、くの字に曲がった平屋、ただしとても広い。表玄関と裏玄関があって、女中部屋らしき部屋もある。別宅か料亭か、そんな感じだったんだろうなと思う。叔母含め家の大人全員でフルローン組めば買えるんじゃね?と笑いあっていたけど、現地くらい見に行けばおもしろかったかな。
高速道路や高架の電車から見える、雑居ビルの屋上に建った「普通の家」を見るのが、大好きである。違法建築かもしれないが、なんかわくわくする。
Eテレ「0655」に「きょうの選択」という曲がある。 どういう服にするか、どの本を持っていくか、右の道を行くか左の道を行くかで分岐が出て、もし別の選択をしていたらどんな日になったかな、という曲だ。
私自身でも、自分の分岐ルートはどこにあったのか、よく考える。みんなそういうものだと思っていたのだが、家族に聞くと案外そうでもないらしい。そういうものなのか。心が健康だなぁ。
この季節、椿の藪の中にメジロをよく見かける。藪から藪へ、弾丸のように飛び込む。藪の中に猫とかそういう敵がいることを彼らは考えないのだろうか。なにか確信があるのか。
パラリンピックを見ている。アルペンスキーのカービングがすごい。あのカリカリのバーンであそこまでエッジを立てるのは、私にはできない。それをハンディキャップのある人たちがやる。普段のスキー場でもチェアスキーの人を見かけることがあるが、ものすごい勇気である。
ひな人形をしまう。
オンラインで保護者会。次年度にクラス替えがなく、PTAの役員決めも終わっているので、15分くらいであっさり終了。 こんなに短時間だと、このために半休をとるのはいささか効率が悪い。
ウクライナ紛争で山岸凉子の「アラベスク」を思い出す。 ソ連時代のマンガだけどバレエマンガだけど、東西冷戦とか亡命とか政治がらみのエピソードもあったし、キエフ−レニングラード(サンクトペテルブルク)vsモスクワの対立構図があったりしたなぁと。「瀕死の白鳥」でレニングラード側が「ボリショイ(モスクワ)の『瀕死』は腕の動きが派手で下品」みたいなことも言っていたっけ。京都かよ。
まーさんはいまいちピンときていないようだったので、キエフ公国からのスラヴ史を簡単にレクチャーした。 説明しているうちに、ロシア側の言い分が盧溝橋事件時の日本と似ていることに気がついたようで、そうなると話が早いのであった。
会社にキエフ(キーウ)に仕事で行ったことのある人がいて、その人曰く「ロシアの中でも京都的な立ち位置かなぁ」と。都市としての歴史も古いし「重み」があるのだそうだ。
シューベルトの肖像画を見るとKING GNUの人を思い出すので、疲れているのかもしれない。
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