東京の片隅から
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職場の自己評価の季節がやってきた。意味がないとは思わないが、事務方にとっては非常にやりにくい。営業や製造のように数値化できるものがあるわけではない。いいよ勝手に評価してよ、と思うのだが、そうもいかないのである。これを書くことに頭を悩ませる時間があったら、他の仕事をしたい。
冬のオリンピックの選手選考の話題が出てくるようになってきた。 早すぎないかと思いつつも、でももうそんな時期か、とも思う。 一年延期されたせいで夏から冬への期間が短い。でもそういえば昔は夏と冬同じ年に開催していたんだよな。まさに「オリンピックイヤー」だったわけだ。 それを考えると、話題が途切れないように夏と冬を違う年でやるこのは、商売として上手いやり方なんだろう。
今の家に引っ越したときに買い換えたテレビが壊れたので買い直した。 今度のテレビのリモコンにはアナログ/デジタルの切り替えボタンがない。新しいなぁ(笑) しかし去年から冷蔵庫やら洗濯機やら、買った時期はまちまちだけどなぜか立て続けに寿命が来てる。 エアコンあたりもそろそろ覚悟しないといけないかもしれない。
最近、季節変わり時期の歌番組も、どの局も大体同じメンバーだなと思う。 今売れている人を呼ぶ+事務所やレーベルが売り出したい新人を押し込む、という構図なんだろうけど、どれを見ても同じとなると、最初の1つだけ見てあとはスルーするかたち。最近はそれも通り越して最初の1つも見なくなった。 自分が好きな人はもうベテランに入ったので呼ばれないし、最近はミュージックステーションも企画コーナーが長くて生歌が減った。一番バラエティに富んでいるのがNHKの「うたコン」というのがなんとも。 もっと局毎に違っていてもいいと思うんだけどね。大人の事情とやらがあるんだろうな、と思う。
3歳くらいの子どもを連れたお母さんとエレベーターで一緒になる。 子どもが私が同乗するのに気づき、母親に「まっくちょうだい」と言う。 まだマスクしなくてもいい年頃だけど、大人用のマスク(当然ぶかぶか)を耳にかけてご機嫌だった。 マスクをするのはちょっとお兄さん的なイメージがあるのかな。 それにしても人混みでマスクをするというのが小さい子にとっても常識になった、ということにこの数年の長さを感じる。物心ついたときにはもうみんなマスクをしていたもんなぁ。
令和というのは良くも悪くも昭和の残滓を一掃する時代になるんじゃないか、と考えている。でもそれでいのだ。あの理不尽な空気は、私たちが墓場へ持って行く。そうしなければならないと思う。
今年はあまりいい生栗を見かけず、今年の秋は栗ご飯は見送りかと思っていたら、実家近くのスーパーマーケットで発見。いろいろ下準備が面倒くさくて売れないから、仕入れないか、仕入れてもちょっとだけなんだろうなぁ。父の実家のほうはそういうマメな人がまだいるのあろう。栗ご飯にして、少し実家へも持って行く。父は餅米は胸焼けするらしいので、ちょっとだけではある。
いつも猫がいる場所で、今日もいつもどおり猫が溶けている
中島みゆきの「悪女」がふとしたときに頭の中を流れるときがある。 今とずいぶん違うな、というのは「土曜でなけりゃ映画も早い ホテルのロビーもいつまでもいられるわけじゃない」というところか。 そう、平日は映画はだいたい19時が最終だった。いまはレイトショーもあるし、漫画喫茶もあるし、夜を明かす手段には困らない。 コロナで飲食店こそ早じまいするようになったが、チェーンのカフェなら夜も開いている。女性一人で入っていてもどうこう言われる時代じゃない。 普遍的な歌だけど、そういうところでふっと時代を感じることがある。
職場の近所に保育園があるので、通勤中に登園・降園中の親子連れに良く出会う。そのせいか、子どもの「落とし物」がときどき落ちている。靴下、靴、ジャンパー、ハンドタオル等々。この前は自転車用ヘルメットだった。現場が工事現場の前だったらしく、作業員の人がカラーコーンにかぶせてよく見えるようにしてくれ、工事終了後は植え込みの上に置いてある。目立つ色だ。ヘルメットなんて安くないものだし、それを全然探しに来ないってどういうことだろう、金持ちだな(笑)と思っている。
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