東京の片隅から
目次|きのう|あした
最近テレビCMにアニメーションが増えたのかもしれない。 実際はどうだか知らないけど、これまではタレントを使っていた会社があれ、実写じゃなくてアニメになったんだ、と思うことが何回かあった。 広告宣伝費を削っているのかもしれないし、撮影現場の密を避けたせいかもしれないし、2次元のキャラクターならスキャンダルで炎上しないしという判断かもしれない。 これが流行として一過性のものなのか、それともこのままそういう流れになるのか、それはまだわからない。
那須雪絵の読み切りマンガに、顔のいいアンドロイドをモデルとして売り込もうとするけど今どきは全部CGだったかアニメだったかになっているので需要がない、という話があったな。
帰宅時の電車の車内、酔っ払いがとても少ないというかほとんどいないのが、例年と違うところ。電車の中が酒臭くない。忘年会をやらないところも多いんだろうなぁ、と思う。うちの会社もやらない。
このところの社会の空気に既視感があってそれは何なのか考えていたんだけど、あれだ、昭和末期の「自粛ブーム」。 天皇陛下がご病気だから歌舞音曲は控えるべしみたいな空気が蔓延していて、お祭りも延期されたり縮小されたり、テレビもバラエティ番組を控えたり、CMの台詞が不謹慎だとして台詞がなくなったり(あれはあれでさらに不謹慎感を増した気がする、だってにやけてる井上陽水だよ?)、なんというか窮屈な感じだった。 病気だからいつまでという期限がない。いつまでこれが続くんだろうと子どもながらに思った。
今もあのときに似ている。
あくまでシングルカットされてテレビで流れたりする曲での印象だが、ハロープロジェクトの一人称は歌っている当人たち=若い女性という印象を受けるが、AKBや○○坂の方は曲の作り手や聴き手=男性という印象を受ける。 一人称が「僕」だからだろうかとも思ったが、女性が「僕」と歌うのは別に今に始まったことではない。浜崎あゆみだって「僕」だった。今年流れまくっている「紅蓮華」も「僕」だが、あれはアニメのオープニングで主人公の立場から歌っているから「僕」である必然性がある。 秋元康だからかとも思ったのだが、彼が昔手がけた「おニャン子クラブ」は一人称が「私」だったような記憶があるし(小学生くらいなのでうろ覚えだが)歌い手のアイドルの一人称感が出ていたので、あくまで「今」の秋元康及びその周辺のおじさんたちが自分の気持ちを10〜20代の女の子に語らせてるんだろう。 って書くとなんだか歪んでいて気持ち悪いな・・・。 でも最近までそれが受け入れられていたわけだ。
おなかがへるとかなしくなるんだな
袖に刺繍が入っているブラウス、かわいいと思って買ったんだけど、着てみたら刺繍が肌に痛痒くて着続けられない。 今年に入ってから乾燥肌が進行していたけど、ここまでとは。 どうしようかなぁ・・・子どもが着られそうなら着られるまで待つ(来年か再来年くらいには着られるだろう)か、ダメなら解体して何かにリメイクか。
年末気分が薄いのはまだ平蜘蛛が爆発していないからだきっと。
| 2020年12月05日(土) |
サンタクロースっているんですか |
子どもはいつまでサンタクロースを信じるのか。 今年はちょっと疑っている。これだけ子どもがいたら一人じゃ間に合わないんじゃないか、トナカイも足りないんじゃないか、家の中に置くのは不法侵入なんじゃないか。 サンタは世界各地に支社がありそれぞれ分担していること、配達はクロネコヤマトみたいに一斉に配ってるんじゃないかな、荷物はベランダや玄関に置き配するからおばあちゃんかおじいちゃん(朝早い)が家の中に入れておいてくれたのかも。 まぁプレゼントはせいぜい小学生までかなぁ。
今週の通院で、母の胃に入れていた経管栄養チューブが抜けた、と連絡があった。 寒くなってきたので、湯船に入りやすくなるのはいいことだ。 本人はまだ調子が戻らないのに不安があるようだが、こういうのは時間がかかるよ、と伝える。 心細いのだろう、愚痴っぽくなっている。 まだ本調子ではないので、例年のお正月の集まりも中止する方向。 一斉に集まるのはナシにするが、年明けに顔を出そうと思う。
そういえば、この前展覧会を見たときに図工の先生を話をする機会があった。6年生は将来の夢を絡めて自画像を描いたのだが、最近はなかなか漫画チックになってしまって指導が難しいとのこと。まぁ私が子どもの頃もそうでしたからねぇ、ずいぶん先生に直されましたねぇというような会話をした。 水彩だから漫画チックな表現を脱却するのが余計に難しいのもあると思う。まず鉛筆で下書きをする。そのあとよほど濃く塗らないと下書きの線は消えない。人中や法令線があるのは理解しても、それを実際に線で描いてしまうと言うのは抵抗がある子も多いだろう。特に女子は。 これが油彩やアクリルガッシュのような塗りつぶせる画材なら、面で表現できるようになる。そうなるとまた表現が変わるのではないか、と思う。
もうひとつ先生の心配事は、夢を何も描けない子がいることのようだった。ありすぎて描けないならわかる。漠然とし過ぎていて具体的な職業を絞れないのもわかる。でも本当に何もない子がいるのだと。私はなりたいものがあったのだが、でもそれは少数派で、そういえば自分の時でも何もない子は大人に受けの良さそうなものを適当に書いていたなぁ、と思う。特に男子はの場合、思いつかないときは「プロ野球の選手」が鉄板だった。女子の場合「お母さん」はいても「お嫁さん」はいなかった。
|