東京の片隅から
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財務省のセクハラ事案、働いていれば多かれ少なかれそういう経験はあると思う。女性に限った話ではなく、男性だって被害者になり得る。異性同士とも限らない。角川や円谷で同性セクハラ事件があったのは記憶に残っている。 ただ、そこで声を上げる人は少ない。もっと若い子が入ってきてターゲットから外れたり異動でその場から離れたりするといつの間にか忘れてしまう。そういうところは保育園問題に似ている。
しかし、そもそも、例え玄人相手でもあの発言はアウトだ。「そういうお店で言葉遊びを楽しんだことがある」とのたまっていたが、楽しんでいたのはご本人だけで、接客した女性にとっては言葉遊びでも何でもなくただのセクハラで、相手の顔をお金に変換して愛想笑いしていたに過ぎない。本当にそういう発言を繰り返していたとしたら、店側のブラックリストに載っているんじゃないかなぁ。
季節の変わり目はだいたいそうなのだが、4月に入ってから体調不良が続いていた。 今年は暖かかったせいか、あせもからのとびひ、しかも両手の甲という見える場所。しばらくはかなりひどい見た目であった。 前後して眼の不調が発生。おそらくものもらい。コンタクトから眼鏡に換えて約1週間、これは自然治癒したが、再発時のため専用の使い切り目薬を買った。 そして胃痛と貧血。久しぶりに胃薬を連続服用。 強烈な眠れないほどの肩凝りと腰痛。マッサージしても効かない。 その他にもちょこちょこと不調が湧いては消える、消えても次の不調が出るという状態で、やっと落ち着きかけてきたところ。 一度歯車がずれると連鎖であちこち軋む。もう年なんだなぁ(苦笑)
北村薫「太宰治の辞書」読了。 円紫さんシリーズが再び読めるとは思ってもいなかった。表紙の絵も引き続き高野文子氏で嬉しい。 久しぶりに会った「私」は結婚し40代半ばになり中学生の息子もいる。仕事は続けている。息をするように仕事を続けているのが大人しく流されるようでそうでもない「私」らしいと思う。大学時代の友達との関係もゆるやかに続いている。円紫さんともつながっているが、関係はかつての先生と生徒ではなく、少し変化している。一人前かどうかはともかく「大人」と見なされたようだ。
「生れてすみません」は太宰の創作ではなく他者の文章であった。芥川にせよ太宰にせよ元のネタがあるのは珍しいものではないが、引用した側が残り死後名声を博し、作り出した側は忘れられる。それが引用時点でもう死んだ人なら諦めもつくのだろうが、生きているうちに盗まれてさぞ自分の創作物であるように発表されてはたまらない。盗られた側は苦しい残り人生だったであろうと思う。心を食い殺されたようなものだ。
太宰は詩や日記を飲み込んで小説にし、円紫さんは師匠の噺を高座にかける。さまざまな形はあるが、誰もが他者の生産物をそうやって自分のものにして引き継いでいくのだろう。
昨日の保護者会の前に上野の国立博物館で「アラビアへの道」を見てきた。当初3月までの開催であきらめていたのだがなぜか知らないが会期が延長されていたので行かれた次第。しかも特別展ではなく通常展の一環なのであった。時間的にここと法隆寺館しか見られなかったのが悔やまれる。常設展行きたかった・・・。
サウジアラビア王家の所蔵品が多いというかほとんど。 アラビア半島の遺物、それもイスラム以前のものが多数出品されるというのは珍しい。 アラビア半島というかサウジアラビアというのはイスラムのイメージが強いが、メソポタミアとエジプトの隣だし人類発祥のエチオピアから紅海を隔ててすぐだから当然それ以前にも文化があったわけだ。むしろない方がおかしい。だけどつい失念しがち。 ちょうど9万年前の人類の化石が出土したというニュースもタイムリー。ゾウの化石から土偶ならぬ石偶や石像から始まり、石器や土器なども展示される。全体的に「石の文明」という印象。石やガラスの加工品が多く、土器はわりと拙い。 イスラム以前は当然ながら具象の彫刻も多い。頭部が欠けているものが多いのはイスラム化によって破壊されたのかそれともそれ以前に支配者交代の際に破壊されたのか。いろいろ考える。ただこういうものをコレクションとして収蔵しているあたり、わりとトップの方は宗教と学問を切り離して柔軟に捉えているのかな、と思う。 ドアばかり集めたコーナーがあって、木材が貴重で装飾彫刻を重視するからこその収集なのだろうけど、「キシュ島の物語」という映画を思い出した。 イスラム化後は文化としての幅は狭まる。表現も植物文様のみになる。そのかわり目立つのが文字表現の多様化。アラビア文字にはいろいろな書体があっていわゆる書道的なものがあるのは知っていたが、かなりのバリエーションがある。墓碑をずらりと並べていたのだが、時代や地域の流行や好みもあるのだろうけど、さまざまなものがあって興味深かった。 もっとも、イスラム化以前の文字も同様な傾向はある。アラビア文字普及前にはさまざまな文字が各地にあり、それもあわせて展示されていたのだが、その時点でも同じ文字でも字体のバリエーションがある。文字の表記に関する興味はもともと強いのだろう。
いい展示だった。1年くらい借りられないかなぁ・・・もっと沢山の人に見て欲しいなぁと思う。
小学校の保護者会。 校長先生が異動したので、自分の実感としては去年4月の保護者会よりも出席者が多い。 新しい校長先生は、やっぱり「中間管理職」感が強い。自分のこどもの頃で言えば教頭先生タイプ。校長先生ってもっとどっしり構えている印象だったのだが、今は上からの締め付けも強いから教頭先生タイプの人が多いんだろうなぁと思う。 今年はクラス替えもないので、学年会もクラス会もさっくり終了。子供のクラスも担任が替わったのだが、今度の先生は私よりも年上、おそらく50代半ば。一見物腰が柔らかそうだが物言いははっきりしている。2年生を何年もやっているということで叱るところは叱る褒めるところは褒めるというメリハリをつけるタイプのように見受けられる。相性はわからないが学級運営に関しては心配はなさそう。
去年度末の保護者会でPTA役員が決まらず持ち越しになっていたので散会後立候補者で集まって決めることになった。私も一応立候補していたため残ったのだが、現状定員を1名超過していて、話し合いをするも皆でもでもだっての腹の探り合いでぐずぐずだらだら。面倒くさくなったので私が立候補を降りて後はよろしくと投げてきた。来年度はクラス替えがあるから3月時点の立候補者が4月になると偏る可能性はあるけど、それは正直現状でも同じだし、気が合う合わないは「仕事」なんだから割り切るべきだし、どっちみち泥を被る覚悟で立候補してるんだからいつやっても同じことだ。ただ、6年の時は周年行事があるのでできれば避けたい(苦笑)。
| 2018年04月11日(水) |
めぞん一刻もしくはハチクロ的幻想 |
シェアハウスビジネスで破綻した会社があるようだけど、みんな本当にビジネスになると思っていたのだろうか。 マスコミがたまたま絵面として面白いからシェアハウスを取り上げたのでさも需要があるように思わせられたのだろうけど、実際にはそんなうまい話はなかったわけだ。
自分が住んでいる場所は東京の端っこで、40年近く前に最初の開発がなされ、ここ10年くらいで第二次開発が進んだ地域だ。だから古い家は古く、新しい家は新しい。住民の年代も分かれている。 古いアパートや貸家はあちこちで借り手を募集していて、都営住宅も満室というわけではなさそうな気配。(建て替えのために敢えて新規入居者を入れていない可能性もあるが)それな築浅なら満室かというとそうでもない。通勤電車の高架から見えるマンションも、自宅の近所ではなくもっと街場になってもカーテンがなくがらんどうの部屋が散見される。借り手と貸し手の希望額の乖離があっての空き部屋もあろうけど、もうずいぶん前から住まいは過剰だという実感がある。 近所のアパートですら空いているここらへんでも、ここ数年シェアハウスが増えた。空き地にアパートの代わりに建つ例もあるけど、築浅で売りに出た建売(これも10年固定で金利が上がって払えなくなったのだろうかとゲスの勘ぐりをしたくなるような築年数である)に買い手がなく、取り壊して安い建材で建ててるなぁと思うとシェアハウスというパターンが多い。サイディングも最低グレード、雨戸もなく、庇もほとんどない、でも窓だけは沢山あり、エアコンの室外機とポストが壁にぎっしり。建った後も半分埋まっていれば御の字という具合である。まーさんが面白がって家賃を調べたのだが、敷金礼金が最初不要なだけでトータルではむしろ割高感のある家賃設定だったとのこと。結局初期費用が分割されているだけなんだろうなぁ。スマートフォンの料金と同じ。 猫付きとか家庭菜園付きとかシングルマザー限定とか何か強いかつニッチな売りがあれば別だけど、そうでなければ成立し得ないのだろう。 そりゃそうで、めぞん一刻だって管理人さんがいて住人がみんなコミュ力が高いからあれだけ楽しい(?)わけだ。ハチクロはみんな美術系の学生という共通点があるからライバルであっても尊重し合えるわけだ。 そうでなければ蒲田や寿町や山谷のドヤと変わりがない。
地下鉄の駅でジャパンレールパスを拾ったので窓口に届けた。まだ数日有効期限がある。持ち主に戻るといいなぁ・・・
以前この日記でブツブツと呟いた会社の電話番号簿の表記問題があっけなく解決した。
別件で担当者の人に連絡を取る機会があって、そのときにちらりと聴いてみたら、特に表記に決まりはなく、自分が名乗りたい方(旧姓or新姓)でいいとのこと。 異動した同僚が異動の機会に表記を旧姓に直したことも私に指摘されて初めて気がついたと言う。(彼女自身は比較的新しく入社した人なので、同僚の旧姓は知らなかった可能性もある) その上の人にも確認したのだが、結局私が旧姓表記を求め続けてスルーされ続けていたのは当時の担当者の私見または独断もしくは職務怠慢に因るものであったらしい。当時の総務は「総無」と揶揄されるくらい仕事をしない集団だったので個人の怠慢によるものである可能性が大きいが、当時の部長は保守的なお花畑脳の人だったので「夫婦同姓であるべし」のような思い込みも部内にあったものと思われる。
この件に関しては、何かの機会にこっそり修正してもらうことになった。
結婚してもうじき20年になる(マジか!)。結婚当時は新姓にすると同じ部署に同じ名字が3人というギャグのような事態で、当時こそ旧姓表記が必要で、実際のところ今現在はさほど旧姓表記の必要性はない。社員もだいぶ入れ替わって、最初から新姓での私しか知らない人も多い。専門職でもないただの事務のおばちゃんである私は、特に何かに名前が残ることもない。もう新姓のほうに統一した方がいいのかもしれない、とは思う。 でも、この20年近くずっと旧姓を否定されているのは、苦しかった。いっそペーパー離婚するかとまで心理的に追い詰められた時期もある。こういう気持ちはたぶん同性でもわからないひとにはわからない。だから言えなかった。むしろ男性の方が言いやすかったかも(苦笑) 心はまだ軽くならないが、一つ荷が下りたように思う。
川上弘美「水声」読了。 このところよくある現在と過去を行ったりきたりするパターンと思いきや、ときどき異物が投げ込まれる。それは日航機墜落事故だったり地下鉄サリン事件だったり東日本大震災だったり、直接体験したものとメディア越しに見たものといろいろあるけれど、静かな水面に石が投げ込まれたようで、ざわざわと波紋は広がっていく。やがて水面は静かになるのだが、投げ込まれた石は底に沈んでいき段々とその量を増していくので、一見静かに見えるその裏でじわじわと何かに浸食されているのである。
登場人物のシチュエーションは吉野朔実「ジュリエットの卵」を思わせる。あれは双子で「水声」はきょうだいだが、親子2代にわたる血縁との関係、秘密に気づいているものと気づいていないものとのずれ等、近い設定もあるので、合わせ鏡のようだ。
オフィス北野の騒動でどうなるかと思っているフィルメックスだが、今年の開催が告知された。今年は開催されるらしい。今年は。 来年以降はどうなるかわからない。場所を変えるのか、規模を縮小するのか、ひょっとしたらなくなる可能性だってある。 個性の強い映画祭ではあるので、いたしかたないのかもしれない。
今回の騒動、どっちもどっちだと思うのだが、微妙だなぁと思うのが、ビートたけしと北野武の切り分け。勿論両者あわせて一つの人間なのだけど、たけし軍団側はお笑い芸人「ビートたけし」のみを是としてて映画の「北野武」は排除したい、事務所側は映画監督「北野武」に軸足を置きたい、そんな齟齬があるように思う。 だったらいっそ映画製作会社とタレント事務所を分ければいいと思うのだが、実際映画製作会社はもはや単独では成立しないし、ビートたけし/北野武も、今回設立した新事務所に軍団を連れて行かないということは、あくまで個人事務所であってタレント事務所にはしないということなのかな。だとしたら軍団に情はあっても金銭的な面倒は見ないということなんだろう。 で、肝心の本人が一抜けしてしまって、元稼ぎ頭と師匠を悪し様に言えないから残った2者でもめているという状態なのだろうか。どう転ぶにせよ、誰も得しない。 正直、私は寺やん(寺島進さん)がちゃんと役者に専念できればいいわけだが。
追記。「ビートたけし」がテレビでコメントしたらしい。軍団とはいずれ合流するとのこと。だとしたら真意は社長とフィルメックスを切りたいのかな、と思う。もう世界での知名度も上がった、国際的にも評価された、人脈も作った、社長はお役ご免、というところか。
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