東京の片隅から
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日付が変わった頃から子どもがいきなり嘔吐。 朝になってから医者に連れて行くと、やはり胃腸炎であった。 先週からときどき腹痛を訴えていて寒さのせいだろうと考えていたのだが、実際は、おそらく先週から軽く感染していて、さらに先週末出かけたときにどこかで拾ってダメ押ししたのだろうと思う。 今日明日は学校を休んで休養させる。
しかし医者はインフル真っ最中の人、登校用の治癒証明をもらいに来た人、そのほかの患者で大混雑。大変だ・・・。
関節が硬いので、もともと長時間の横座りはできないのだが、このところ横座りをすることが多く、膝を痛めた。 正座なり体育座りなり、何か他の座り方にしなければと思うのだが、気がつくとつい横座りしてしまう。 座っているときに無意識に足の先を組んでしまうのも良くない感じ。 痛みが出ると足を引きずって歩くような形になってしまう。 みっともないなぁ、修正しなくては。
毎年この時期、雛人形に関するネットコラムを目にする。 由来とか、何歳まで飾るかとか、いつしまうかとか、そういう類のもの。 記事の中には「にんぎょう」と「ひとがた」を混同しているものもあって、というかほとんどの記事が混同している気がする。流し雛とかあるからだろう。 だったら美術館などにある享保雛とか呪いの人形とかしてるよね。そこらへんどう説明するんだろうか。
こういう記事の場合、たいてい専門家として登場するのは人形を作ったり販売したりしている側で、そちらは生産者団体だから当然「一人一セット、買い換え推奨」。 有職故実や民俗学の専門家の側に意見を聞いたら逆の答えが出てくるんだろうなぁと思う。
まぁともかく、昔ながらの緋毛氈七段飾りは今なかなかハードルが高いわけです。私のは一体一体が小さくてまとめてケースに入れられるからまだ埃は避けられるけど、今の時代と住宅事情にはここらへんがギリギリだろうなぁと思う。
フィジカル面でもメンタル面でも疲れが出てきている。人と一緒にいるのがかなり苦痛。一人になりたい。
ミュージックステーションにフランツ・フェルディナンドが出演するというので見る。 初期の頃のアルバムは洋楽を聴かない私が珍しく購入して、何枚か持っている。 当時とは音が変わっているが、それでもやはりかっこよかった。
しかしあのテロテロの謎センスなシャツはどこで買ったんですかねぇ・・・Tシャツでなくてシャツなのが「らしい」といえばそうなんだけど。
| 2018年01月25日(木) |
西の善き魔女、空飛び猫と旅立つ |
昨日外出先でル=グウィンの訃報を聞く。
小学生の時「ゲド戦記」で彼女の作品に初めて触れた。 影は己のうちにありそれもまた自分であることを示され、その後も折に触れ、他の作品とともに読み返してきた。世界の合言葉は森、風の十二方位、闇の左手。詩的なタイトルも好きだった。
ネットニュースのコメント欄で原作を読んでいないという人が多くて驚く。ちょうど「ゲド戦記」のアニメ映画をテレビで放送した直後だったからかもしれないが。 「ゲド」と「ナルニア」は小学校高学年から中学生くらいで読む本の基本のキじゃないのかと思うので、独立した文学作品として10代前半の人たちに読んで欲しいと思う。 あそこらへんちゃんと読むと、適当な異世界ものライトノベルなんて設定が甘くて読めなくなる(苦笑)
こどもがいつか読むように、セットで買おうかな。
| 2018年01月24日(水) |
「熊谷守一 生きるよろこび」展 |
会社を午後休んで、竹橋東京国立近代美術館の熊谷守一展へ。 熊谷との出会いは、ずいぶん昔にテレビで紹介されていたのを見て、要町に見に行ったのが最初だ。あのときはまだ私設美術館だった。今は豊島区立になっている。
長命だったので、展示点数が多い。初期の暗く写実的な絵から晩年の抽象画一歩手前までずらりと並び、画風の変遷は近代美術史を見るよう。ただ、光と影の表現、特に逆光で輪郭が浮かび上がるような表現は初期の裸婦像でも見られていて、最初から最後まで一貫しているのだなぁと思う。 ところで、彼の著書のタイトルが「へたも絵のうち」というのだが、見ると全然下手じゃないのであった。プロだから当たり前なのだけど、最初から、配色もモチーフのかたちも配置も、とにかくすごいな、上手いな、としか言いようがない。やはり基本のデッサン力・表現力あってこその「崩し」なのだなぁというのを実感する。 晩年の熊谷は同じデッサンをもとに何枚も描いていて、展覧会でも同じデッサンをもとに描かれた複数枚を並べて展示してあって、これが面白い。見ていてニヤニヤしてしまう。 塗り方を変えてみたり、重視するモチーフを変えてみたり、時系列で色彩が違ったり。モネの睡蓮やルーアン大聖堂を思わせる。芸術家であるとともに職人気質でもあったのかな、と思う。
すっかりパワーを吸い取られ、睡魔に襲われ(緊張したり集中しすぎると眠くなるのはなぜだろう)、途中ソファで休憩しながら見る。
時間が少し余ったので、要町の熊谷守一美術館にも足を伸ばした。 油彩主体の竹橋と異なり、こちらは墨彩やデッサンもある。デッサンを見ると、さらさらと落書きのように描いたようで、それでいてやはり対象の捉え方がすごいとしか言いようがないのであった。
また油彩書きたいなぁ。
朝起きたらいい天気である。交通情報を確かめると、電車は普段通り始発から運行している。残念至極。 しょうがないのでいつも通り出勤。ただ、時差出勤を取ったところが多いのか、電車は空いていた。 日中暖かかったので歩道の雪も日中あらかた溶けていたが、今日溶けていないところは明日以降凍るだろうなぁ・・・
今回の交通の混乱についていろいろ考察されていたが、そりゃあ登校出勤の人が一斉に帰宅を始めるのに電車が間引き運転されていたら駅に人が溢れるよね。 一日休むという選択肢もあるにはあるけど、月曜日だとなかなか難しい。せめて午前中は出勤してメールチェックや事務処理だけでも終わらせたい。午前中で一斉退社するにしても、今回、昼休みの時点では23区内は振っていてもまだ積もるほどではなかったし、大学生はテスト期間で入試日程を考えると振り替えがきかない場合もあるし、混雑は不可抗力かな、と思う。
ただし、ノーマルタイヤの車、お前はダメだ。
予報では午後から降ることになっていたが、既に朝から雪がちらついている。 ダウンコートとスノーブーツ、長い傘に斜めがけの鞄という雪支度で出勤。 会社では午前中に各自判断で退社可というメールが届く。各自判断と書かれると非常に帰りにくいのが会社員の悲しい性、外の天気を眺めながら仕事。 昼前から本格的に雪が降り出す。 様子を見ていたのだが道路に雪が積もりだし、いよいよ危なくなったと感じた15時過ぎに離脱。 しかし判断が遅かったらしい。 乗り換え駅に着いたとき、次に乗る路線は運休になっていた。 新交通システムで雪に弱いのは知っていたが、会社を出るときにはまだ動いていたので油断していた。 それでも乗ってしまってから車両内に閉じ込められるよりはマシだろう、と思い、バスをしばし待つも、今いる停留所が始発でないこと、今目の前の道路混雑状況を鑑みるとこれも望み薄。電車で別の路線に大回りして帰宅することにする。 途中普段使わない乗換駅で迷ったりしながらも、なんとかいつもの倍の時間をかけて帰宅。 駅から家までの道も真っ白。スノーブーツで良かった。 明日はどうなるか。
前々から気になっていた「TSUNAGO」という鉛筆削りを入手。 ただの鉛筆削りではなく、凹型と凸型に削ることができ、嵌め込んで木工ボンドで固定することで短くなった鉛筆を長くできるという代物。 発売は数年前だが、当時は気になっていたものの補助軸で事足りていたので必要なかったのだが、こどもが小学校に入学して大量の使いかけ鉛筆が発生したため、購入した次第。
使ってみると、なかなか難しい。子ども用の鉛筆は尻の部分が丸く塗装してあったり(これはカッターで剥がした)、塗装してなくても角を取って微妙に丸くしたりしてあるので、次の鉛筆とぴったり隙間なくというわけにはいかない。多少の隙間は木工用ボンドで埋まるとしても、垂直に穴を開けるのが案外難しく、微妙に曲がっているものができあがったりする。 その不揃いさ、出来の悪さもまぁ味なのだろう。 何本か作ってみたので、家で使ってみて様子を見る予定。
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