東京の片隅から
目次|きのう|あした
ミュージックステーションにフランツ・フェルディナンドが出演するというので見る。 初期の頃のアルバムは洋楽を聴かない私が珍しく購入して、何枚か持っている。 当時とは音が変わっているが、それでもやはりかっこよかった。
しかしあのテロテロの謎センスなシャツはどこで買ったんですかねぇ・・・Tシャツでなくてシャツなのが「らしい」といえばそうなんだけど。
| 2018年01月25日(木) |
西の善き魔女、空飛び猫と旅立つ |
昨日外出先でル=グウィンの訃報を聞く。
小学生の時「ゲド戦記」で彼女の作品に初めて触れた。 影は己のうちにありそれもまた自分であることを示され、その後も折に触れ、他の作品とともに読み返してきた。世界の合言葉は森、風の十二方位、闇の左手。詩的なタイトルも好きだった。
ネットニュースのコメント欄で原作を読んでいないという人が多くて驚く。ちょうど「ゲド戦記」のアニメ映画をテレビで放送した直後だったからかもしれないが。 「ゲド」と「ナルニア」は小学校高学年から中学生くらいで読む本の基本のキじゃないのかと思うので、独立した文学作品として10代前半の人たちに読んで欲しいと思う。 あそこらへんちゃんと読むと、適当な異世界ものライトノベルなんて設定が甘くて読めなくなる(苦笑)
こどもがいつか読むように、セットで買おうかな。
| 2018年01月24日(水) |
「熊谷守一 生きるよろこび」展 |
会社を午後休んで、竹橋東京国立近代美術館の熊谷守一展へ。 熊谷との出会いは、ずいぶん昔にテレビで紹介されていたのを見て、要町に見に行ったのが最初だ。あのときはまだ私設美術館だった。今は豊島区立になっている。
長命だったので、展示点数が多い。初期の暗く写実的な絵から晩年の抽象画一歩手前までずらりと並び、画風の変遷は近代美術史を見るよう。ただ、光と影の表現、特に逆光で輪郭が浮かび上がるような表現は初期の裸婦像でも見られていて、最初から最後まで一貫しているのだなぁと思う。 ところで、彼の著書のタイトルが「へたも絵のうち」というのだが、見ると全然下手じゃないのであった。プロだから当たり前なのだけど、最初から、配色もモチーフのかたちも配置も、とにかくすごいな、上手いな、としか言いようがない。やはり基本のデッサン力・表現力あってこその「崩し」なのだなぁというのを実感する。 晩年の熊谷は同じデッサンをもとに何枚も描いていて、展覧会でも同じデッサンをもとに描かれた複数枚を並べて展示してあって、これが面白い。見ていてニヤニヤしてしまう。 塗り方を変えてみたり、重視するモチーフを変えてみたり、時系列で色彩が違ったり。モネの睡蓮やルーアン大聖堂を思わせる。芸術家であるとともに職人気質でもあったのかな、と思う。
すっかりパワーを吸い取られ、睡魔に襲われ(緊張したり集中しすぎると眠くなるのはなぜだろう)、途中ソファで休憩しながら見る。
時間が少し余ったので、要町の熊谷守一美術館にも足を伸ばした。 油彩主体の竹橋と異なり、こちらは墨彩やデッサンもある。デッサンを見ると、さらさらと落書きのように描いたようで、それでいてやはり対象の捉え方がすごいとしか言いようがないのであった。
また油彩書きたいなぁ。
朝起きたらいい天気である。交通情報を確かめると、電車は普段通り始発から運行している。残念至極。 しょうがないのでいつも通り出勤。ただ、時差出勤を取ったところが多いのか、電車は空いていた。 日中暖かかったので歩道の雪も日中あらかた溶けていたが、今日溶けていないところは明日以降凍るだろうなぁ・・・
今回の交通の混乱についていろいろ考察されていたが、そりゃあ登校出勤の人が一斉に帰宅を始めるのに電車が間引き運転されていたら駅に人が溢れるよね。 一日休むという選択肢もあるにはあるけど、月曜日だとなかなか難しい。せめて午前中は出勤してメールチェックや事務処理だけでも終わらせたい。午前中で一斉退社するにしても、今回、昼休みの時点では23区内は振っていてもまだ積もるほどではなかったし、大学生はテスト期間で入試日程を考えると振り替えがきかない場合もあるし、混雑は不可抗力かな、と思う。
ただし、ノーマルタイヤの車、お前はダメだ。
予報では午後から降ることになっていたが、既に朝から雪がちらついている。 ダウンコートとスノーブーツ、長い傘に斜めがけの鞄という雪支度で出勤。 会社では午前中に各自判断で退社可というメールが届く。各自判断と書かれると非常に帰りにくいのが会社員の悲しい性、外の天気を眺めながら仕事。 昼前から本格的に雪が降り出す。 様子を見ていたのだが道路に雪が積もりだし、いよいよ危なくなったと感じた15時過ぎに離脱。 しかし判断が遅かったらしい。 乗り換え駅に着いたとき、次に乗る路線は運休になっていた。 新交通システムで雪に弱いのは知っていたが、会社を出るときにはまだ動いていたので油断していた。 それでも乗ってしまってから車両内に閉じ込められるよりはマシだろう、と思い、バスをしばし待つも、今いる停留所が始発でないこと、今目の前の道路混雑状況を鑑みるとこれも望み薄。電車で別の路線に大回りして帰宅することにする。 途中普段使わない乗換駅で迷ったりしながらも、なんとかいつもの倍の時間をかけて帰宅。 駅から家までの道も真っ白。スノーブーツで良かった。 明日はどうなるか。
前々から気になっていた「TSUNAGO」という鉛筆削りを入手。 ただの鉛筆削りではなく、凹型と凸型に削ることができ、嵌め込んで木工ボンドで固定することで短くなった鉛筆を長くできるという代物。 発売は数年前だが、当時は気になっていたものの補助軸で事足りていたので必要なかったのだが、こどもが小学校に入学して大量の使いかけ鉛筆が発生したため、購入した次第。
使ってみると、なかなか難しい。子ども用の鉛筆は尻の部分が丸く塗装してあったり(これはカッターで剥がした)、塗装してなくても角を取って微妙に丸くしたりしてあるので、次の鉛筆とぴったり隙間なくというわけにはいかない。多少の隙間は木工用ボンドで埋まるとしても、垂直に穴を開けるのが案外難しく、微妙に曲がっているものができあがったりする。 その不揃いさ、出来の悪さもまぁ味なのだろう。 何本か作ってみたので、家で使ってみて様子を見る予定。
子どもがお菓子を作りたがるようになって、実家においていったお菓子作りの本を思い出した。 電話帳くらいの厚さの本が私のと叔母たちのと取り混ぜて3冊くらいあり、私のはnon-no編集だったと思う。今見るとラインナップに古さはあるものの基本的なお菓子を作るにはそれで十分だ。 あればめっけものくらいの感じでどうなったか母に訊いたら、引っ越した後家で見ていないから、どこかのタイミングで処分したのではないか、とのこと。 ひょっとしたら姉が持っていったかもしれない。 今度時間のあるときに大きな本屋で1冊買おうと思う。 いちいちインターネットで検索するのが面倒くさいんだよね。
もうおばちゃん世代になる人間としては、小室哲哉という人はコロコロ彼女が変わる人という認識なので(ただ報道された相手がすべて歌手なのである意味ピグマリオン的な人でクリエイターとしての観点からは誠実なのかもしれない)今回の騒動もああそうまた?という感じなのだが、事の是非は置いておいて、このところの不倫叩きブームで騒動が必要以上に大きくなってしまったように思う。
ただ、思うのは、お相手の看護師も、プロの職業人としては失格なんじゃないですかねぇ。看護師やるより夜のお店の方が適職なんじゃないだろうか。
思春期に初期TMネットワークが隣にあった世代としては、淋しい。シティーハンターや吸血鬼ハンターDや(これが出てくるあたりヲタク)キャロルや、音に関してもコンセプトに関しても「新しい」衝撃を与えてくれた人ではあるので。TMネットワークのアルバムタイトルをきっかけにSFに入ったのも懐かしい。
| 2018年01月18日(木) |
すべて世はこともなし |
会社の評価制度が変更されるとのことで説明会があったけど、事務職なんて目標とか成果とかないのでよくわからん、というのが正直な感想であった。 事務職に何を期待しているのかというと、専門職の人がスムーズに仕事を進めやすくするための下準備というか気働きというか、具体的に言えば電話番と外国語メールの和訳(それもグーグル先生だよりだ)とかそんなところだろう。 うちの会社は専門的すぎて、総務などはともかく、現場だと事務職で入った人間が代替できる仕事はほとんどない。 評価されてもされなくても自分の仕事は粛々と進めるだけだ。
うちの会社、平成が終わって新元号になったら、原則西暦にするらしい。(今は混在している。) 昭和から平成になったばかりの頃は国内相手の仕事がほとんどだったから元号で事足りたし、最悪昭和や平成の表記が抜けていても間違える可能性は低かったけど、今は海外とのやりとりもそれなりにある。日本には特殊な年号があることは理解されているけど、でも相手にあわせろとは言えないし、西暦そのものも21世紀になってしまったので下二桁が紛らわしい。現状でも西暦と昭和と平成の3パターン想定しなければならないのにさらに新元号ってどんな無理ゲーだよ。 というわけで、西暦になるわけです。まぁそうなるよね。
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