東京の片隅から
目次|きのう|あした
| 2016年12月26日(月) |
私にとってSMAPとは |
私にとってSMAPとは、山崎まさよしとスガシカオを世間に出してくれた人たち、である。 いや、世に出てても出てなくても好きなのだけど、世間に説明しやすい(笑)「セロリ」を作った人、「夜空ノムコウ」の歌詞を書いた人、で何となく話がまとまる。 逆に言うと、一般的には無名であっても「SMAPに曲提供した人」というカテゴリーに入ることで、世間的に力を認められたと言うことになるのだろう。 そういうところは紅白歌合戦と似ている。田舎の親戚にはミリオンセールスよりも「紅白に出た」ということのほうが重要、そういうところだ。 そういう巨大な存在は、来年からもういないんだな。
卒対アルバム係打ち合わせ。突発的な集まりだったので私ともう一人のサブさん(今回の主催者)とフットワーク軽く来てくれた一人の3人でページの編集。 一人で作業していると考えすぎて行き詰まったりするので、他の人に茶々を入れてもらいながら作業する方が実は効率が良いのであった。 私が出られなかった回もあったのだが、今日の打ち合わせで上半期の写真選定はほぼ終了。ただ、ラスボス「運動会」が残っているのであった。これは来年、もっと人数がいるときにわいわいやろうということになった。 今後の作業としては、編集案の回覧・意見募集→細かいレイアウトを担当者にお願い→写真が確定したら印刷業者に確認、か。こつこつやるしかない。私は年明けには個人ページの編集作業が始まるし、年末年始比較的暇だし、残りの月の叩き台を作ってみるかなぁ・・・。
子どもの前歯が生え替わりでグラグラしていて、でもなかなか抜けないまま数ヶ月。どうしてこれで抜けないのだろうという「落ちそうで落ちない岩」状態で、本人も気にしていたので、年内になんとかしようと歯医者に行く。 先生が触るとぽろりと取れた。もう時間の問題だったらしい。 隣の歯もだいぶグラグラしているので、年明けに予約を入れる。もし自然に取れたらキャンセルの電話を下さい、とのこと。 あとは虫歯になりやすい箇所の指導と、全体的な歯のチェック。虫歯はなし。癒合歯についても確認はしていたが特に注意はされなかったので、今のところ様子見らしい。 本人は心配事がなくなってすっきりしたうえ、面白消しゴムをもらって上機嫌であった。医者への拒否反応がなければそれでOKとする。
実は歯医者は正確には二度目なのである。 保育園で歯科検診を受け損ね、歯医者で見てもらうように指導された。 日記を読み返したら2011年秋のことであった。そりゃ本人の記憶にないわ。
夕方、イルミネーションを見に行く。点灯時間まで会場で少し遊び、点灯後しばらく眺めて帰る。ローカルイベントなので、出店もほとんどなく、親子連れがメイン。 夕飯の買い物をして帰宅。
昨日の昼過ぎに入ってきた糸魚川火事のニュース。 続報が入るたびに被害面積が広がり、今朝になってみるとかなり広がっていた。死者が出なかったのが不幸中の幸いなのか。
昔よく見に行っていたサンプリングサンというバンドの中に、糸魚川出身の人がいた。そんなことをニュースを見て思い出す。 実家(ご商売をされていた、現在は閉業したらしい)を調べると住所が出てきて、それを見る限り、今回の被害地域からは外れている模様。 ついでに、解散していたサンプリングサンが復活していることも知る。 見ていていろいろ歯がゆい気持ちになったりもしたバンドだったけれど、そうか元気なのか、なにより。ドラムさんとベース君もお元気だろうか。
会社の忘年会。蕎麦屋で鴨鍋。出汁も肉も美味い。二次会へ行く面々と別れて、一次会で帰宅。楽しいのだが、疲れた。
用事があって、タワーレコードに寄った。
店内ではSMAPのベスト盤発売に合わせて特設コーナーが出来ており、過去のコンサートの映像も流れている。その前で足を止める人々。年代も性別もさまざまな人が、モニターを眺め、特集のpopを写真に撮り、ただ立ち尽くす。寂寥や愛惜がそこにあった。「国民的」とはまさにこのことだろうと思う。 彼ら、そして周囲の人は、そのことに気づかなかったのだろうか。春が永すぎて麻痺したのか。知っていて敢えて目をつぶったのか。
他のどのグループにも埋められない巨大な穴が空いてしまったのだ、とつくづく思う。
| 2016年12月20日(火) |
吉野朔実「いつか緑の花束に」 |
吉野朔実最終作「いつか緑の花束に」読了。 急逝したので正しくは遺作集なのだろうけど、そう言いたくない自分がどこかにいる。 しかし最終作の題名に入る「花束」。彼女のデビューが「ぶ〜け」であったことを考えると、妙な符合。
初めて?SF的な世界観が見られる「MOTHER」寓話的な「JOKER」を初めとした短編、どれもこれまでの吉野さんとはズレがあり、だからこそ10年以上前の作品も今回初収録なのだろうけど、書きかけのMOTHERネームにしても、本当にどうして急にいなくなってしまったのかという喪失感が募るばかり。続きが読みたい。
庭の木についていた蝶の蛹が羽化するのを楽しみにしていたら、ある朝突然なくなってしまっていたような、そんな喪失感。
「真田丸」が完結した。あまり熱心な視聴者じゃない私の感想。ちなみに伏線を読むのは苦手です。 ・全体のテーマとしては「父を超えられなかった息子たちの物語」なのかなと。最初の武田勝頼から始まって、最終的には信繁(幸村)も秀頼もそう。加勢しに来た秀忠の小物感もそう。 ・脚本の拙さを役者で補った印象も強い。堺雅人は達者ですが、それ以外も脇に良い役者を揃えてその存在感で乗り切ったなぁと。 ・ただ、最終回のように見せ所が畳みかける回は問題ないのだけど、そうでない回だと散漫というかバラバラな感じがある。これは舞台出身者の限界かなぁ。映画でも感じたけど、三谷氏はモブを動かせないのと、喋らず語らせることが苦手。場に確実に絡む(台詞がある)人間しか出てこないから、場の密度というか重力が軽い気がする。モブ、大事なんですけどねぇ。 ・その場に関係する人間しか出てこないので、視聴者にとってはわかりやすいんだけど、画面の向こうの人間関係はかえってわかりにくいかもしれない。それが「信繁の視点」としてわざと視野を狭く描いた、ならすごいんだけど、おそらくそうじゃないんだろうなぁと。 ・ただ、これは視聴者側の問題でもある。テレビドラマで時代劇が流れなくなった現在、時代劇の基本様式が通用しなくなっているのではないか。良くも悪くも現代劇と一緒にフラットに見られるようになっているため、時代劇にありがちな「実際にはあり得ないけどこうやったらカッコイイよね」的な虚構性が許容されなくなっているのではないか。それに伴い時代考証などに必要以上の作り込みを余儀なくされつつ、かつ、共通認識を持たない視聴者向けに話の内容は希釈される、そういう傾向があるのではないかなと思う。 ・ツイッターなどでの呟きを見る限り、日本史に詳しい人と、そうでない人の差が極端。詳しい人は重箱の隅を突き、全く知識のない人は義務教育段階でも日本史の授業全部寝ていたのではないかという浅学ぶり(だからこそ恥を恐れずつぶやけるのだろうが) ・あと女性を書くのが下手(苦笑)サンシャインボーイズも男性ばかりだったっけ。 ・信繁、アジテーターとしては一級なのかもしれないけど投げっぱなしだなぁと。大阪城の最後のシーンとか、すごく残酷。良いフォロー役がいなかったことが彼の敗因か。伊達政宗にせよ上杉景勝にせよ、生き残る側には必ず名参謀がいるわけです。 ・巷で話題になった「ナレ死」、情報に即時性がない時代の表現方法としては見ていないことは書かないという割り切りはある意味ありだなぁと。 ・なによりも遅筆で有名な三谷氏がよく1年間脚本を落とさなかったなぁといろいろ感慨深いです。(そこ?)
所用があってデパートへ。 ショッピングモールのクリスマスは賑やかだが、デパートのクリスマスは華やか。このあと動物園に行くから、とカジュアルというかラフな格好をしている自分がひどく場違い。
用事を済ませたあと、上野動物園に行く。 上野動物園は、正門横の児童遊園地がなくなり、工事中だった。何かになるのか。 寒いのでホッキョクグマやアシカの機嫌が良い。ちょうどマングースのお食事タイムで、卵をラグビーのように股下から背後の岩やガラスに叩きつけて割る、という面白い行動が見られた。
保育園最後の発表会。音楽会はまた別にある。 0歳の頃から見ていて、集大成だなぁ、成長したなぁと思う。 昔は幕が開いた途端皆(゜Д゜)顔で棒立ちになっていたのだが、さすがにそれはない(笑)。みんな台詞も忘れず、声もホールの後ろまで通り、熱演だった。帰宅してから子どもに「はやくちになってなかった?」「ちゃんときこえてた?」としきりに訊かれたので、「だいじょうぶだったよ、みんなきこえてたよ」と言うとほっとした様子だった。6歳なりに緊張していた模様。
発表会のあと、インフルエンザの予防接種(2回目)を打つ。地域ではまだ流行しておらず、それより感染性胃腸炎が猛威をふるっている。だが罹患した子どもは出始めているので時間の問題だろう。
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