東京の片隅から
目次|きのう|あした
夜中に飛び込んできたSMAP解散のニュース。 今年初めの騒動のとき元の鞘に収まったようにはどうやっても見えなかったから、当然の帰結なのだろうと思う。 でもなぜこのタイミングなんだろうな。いろいろなところに不義理をするのはわかりきってるだろうに。 今回、事務所の判断のタイミング・方法がプロフェッショナルではない、そういう印象。
公園でひたすらセミ捕り。2時間ほどで虫かごの中がセミでいっぱいになる。街にも公園にも人が少ない。皆どこかに遠出しているのか、ショッピングモールにでも出かけているのか。
私と子どもがセミを追いかけている間、まーさんはジムニーの修理。カーナビ兼カーステレオとETCがなぜか稼働しなくなった。カーナビ兼カーステレオは寿命のようで、新しいものを買って入れ替えることにし、ETCはどこかの配線がイカれているから半田付けし直せばイケるんじゃね?みたいな様子。よくわからないので丸投げする。 ミニバンもこの前の千葉旅行でタイヤから空気が抜ける事態があり、空気を充填してもまた抜ける。仕方ないのでタイヤ交換してきた。 他にはジムニーも天井の内張が落ちてきそうなので直すべきか、こっちのタイヤもそろそろ寿命だからこちらも交換が必要だし、ミニバンのボンネットに鉄粉がついているからクリーニングすべきか、いろいろと懸案事項は山積み。車って金食い虫だなぁ。しみじみ。
8月前半に一度暑い日を体験してしまったので、このところの30℃代前半の気温は快適に感じる。夜は窓を開けて寝ているのだが(網戸は閉めている)、明け方など寒くて目覚めるくらいだ。 西日本は猛暑らしいが、関東地方に関していえば、例年どおりというかむしろ涼しいという感覚。自分が子どもの頃は毎日30℃超えたら「猛暑」だったような気もするので、慣れというのは恐ろしいと思う。
世間はお盆休みに入ったらしく、電車はガラガラ。帰省する予定もない私は通常通り出勤。 電話もメールもほとんど無く、のんびりと仕事する。
なんだかすごくジャンクなものが食べたかったけど家の中になかったので、ポテトチップスを自作した。スライサーで切って揚げるだけなのだが、子どもには好評であった。
今回のオリンピックで何が一番いいかというと「競技大会」であるとともに「祝祭感」があることだと思う。 開会式の絶妙な明るさ・緩さ(まさか自転車&サイクリングウェアで参加国を先導するとは思わなかった・笑)、表彰式でのスタッフの衣装が柄物・カジュアルであること、今までほとんど美女しかいなかったアシスタントに男性(但しイケメン)もいること、BGMがサンバやボサノバのような軽やかな音楽であるところ、そういうところを好ましく感じる。 日本にはこの緩さは絶対出せないだろうなぁ。アシスタントも振袖の美女なんだろうなぁ、スタッフも全員ジャケット着用の堅苦しさなんだろうなぁ、と思うのである。
猛暑。蝉の声も今がピークか。今年の東京は梅雨明けが遅かったので、蝉の羽化も遅かった気がする。7月中は「今年は蝉が少ないなぁ」と思っていたのに、いまはどうだ。公園を通ると蝉の声で世界が覆われてしまったかのよう。これはもう蝉時雨ではなくゲリラ豪雨だ。帰宅しても耳の奥に蝉の声が残っている。 このあたりに生息するのはミンミンゼミ、アブラゼミ、ニイニイゼミ、ツクツクホウシ、ヒグラシ。公園で会った人によるとまれにだがクマゼミの声が聞こえるときがあるとのこと。 この大合唱も後1週間ほどなのだろう。日々地面に落ちている蝉が増え、樹に止まっているものもその位置を低くしてきている。
天皇陛下のビデオメッセージ。 内容と感想については百家争鳴であろうから、ここでは割愛。 しかし、声高ではなく、しかし力のある言葉で、普段自分がコトバをいかに軽んじているかを再認識させられるものであった。
| 2016年08月07日(日) |
がんばれ!どんちゃん |
まーさんと一緒に水槽のフィルターを買いに行った子どもがカブトムシの雄を買ってきた。どんちゃんにまさかのライバル出現である。型は小さいが活発。どうするどんちゃん。
| 2016年08月06日(土) |
やったね!どんちゃん |
どんちゃんとは、カブトムシの雄に私がつけた名前である。命名理由は「どんくさいから」。 我ながらひどいネーミングだが、彼は本当に鈍くさい。自然界では絶対生きていかれないようなユルさである。餌の取り合いでも負ける。マットにも上手く潜れない。メスたちの方がよほど活発だ。 春先に幼虫4匹を購入し、育てていた。1匹は蛹化の途中で死んでしまったが、残り3匹は蛹化と羽化を乗り越え、無事成虫になっている。オス1匹、メス2匹。 今朝見たら、なぜかメスが3匹いる。誰かがゴムのおもちゃでもいたずらで入れたか、それとも死んでしまって羽と本体が分離したか。確認し、全員生体であることを確認。 あとで訊いたら、義父が知り合いにもらったから入れておいた、らしい。そういうことは早く言ってください。 何はともあれ、どんちゃんのお嫁さんが2匹から3匹になったわけで、まぁいろいろ頑張れ、と思うのであった。
東京五輪サーフィン会場と言われている千葉県一宮町の釣ヶ崎海岸(志田下)が、子供のころ行っていた海だと判明。
あの近くに、といっても山沿いなので海まで30分以上歩くのだが、母方の親戚一同が「いなか」と呼ぶ家が有り、幼稚園〜小学校中学年くらいまで母方の親戚で夏はそこに行っていた。「いなか」と言っても誰かが常住したこともなく、山の斜面を切り開いた広い段に空き家が2軒。夏しか行かないから家以外の空間はすべて草ぼうぼうで、到着すると総出で草刈りするのがいつものスケジュールだった。 どういう経緯であそこが「いなか」と呼ばれるようになったのかは不明である。母方の祖母のルーツが千葉にあるらしいので、相続か身内間での売買で入手したのか、今となっては謎。前の戦争の後、次にまた戦争があったときの疎開用にと入手したのかもしれない。 トイレは母屋と別棟で汲み取り式だし中には大きなジョロウグモが巣を作ってるし庭は誰も手入れしないから虫と雑草だらけだし、東京の街中で育った割りにはいとこ一同免疫が出来ている。あんな大きなショウリョウバッタ、もうなかなか見ない。
志田下は、当時は崖上に一軒だけ海の家があり、そこから崖を下って砂浜に降りていた。あの海の家は志田さんと言ったのか。海の家では一度だけ?かき氷を食べた記憶がある。 インターネット地図で見ると当時滞在した家(いなか)から一番近い商店が志田商店。というか歩いて行かれる範囲にはその1軒しかない。家では絶対買わない(大家族だから袋ラーメンを大鍋で作るので)カップラーメンを買ってもらえる、素敵なお店であった。ほとんど海の家を利用しなかった割りに母は海の家のおばさんと親しく挨拶をしていたから、そこがやっていたのかもしれない。 今はもう浸食で崖も砂浜も海の家もないらしい。私が子どもの頃でも5〜6年の間でどんどん砂浜が狭くなっていたのは覚えている。
波がすごいのは昔からで、当時でもサーフィンの人はいた。 浜からすぐドン深で、そのちょっと先がちょっと浅くなっていて足が届く。男のいとこたちはそこまで泳いで行っていたが、泳ぎが苦手な私は浮き輪があってもそこまでは行かれなかった。 離岸流に流されたこともある。浮き輪を持っていたので、沖に流されるのではなく浜と平行に流されることを確認し、バタ足でゆっくり離岸流を横切って500m以上先で上陸した。親はふざけて遊んでいると思っていたらしい。だから海は苦手。
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