東京の片隅から
目次|きのう|あした
まだパーマネント液の匂いが自分に残っている気がして、気になる。
自宅の近くの中古戸建てがしばらく売りに出ていて、そのうち取り壊され、あぁ新築を建てるんだなぁと思っていた。 作っているうちに外壁が見えて、何だか妙に安い材料。 しかも気がついたら郵便受けが10個近く取り付けられていた。 シェアハウスでも作ったんだろう。 ただ、この建物、10戸くらい一斉分譲したところの一角。近所に説明したのかなぁ。シェアハウスがダメだというのではなく、ハウス内で人間関係が完結してしまってご近所まで気が回らなそうなイメージ。きちんと挨拶できる人が入居するかどうかは、ずっと住むご近所にとっては結構バクチだ。
同じことが昨今話題の民泊でも言えると思う。 本来のB&Bは私はしたことはないが、小説やエッセイからすると「自宅の空いている一室を貸す」パターンがほとんどだった。身内に外国でひと夏留守宅を借りた人がいたけど、それは貸主とは研究者仲間で面識があったから信頼関係があったケース。 最近問題になっている空き家に旅行客を泊める行為は、やはり周囲の住人に対しデリカシーがない行為だと思う。
と、ここまで書いてきて思った。民泊とふるさと納税は似ている。 会社でふるさと納税に熱心な人がいるのだが、彼の観点は「いくらリターンがあるか」で、その地域がどうなって欲しいとかそういうビジョンはない。下手するとどこにある市町村なのかわかっていないかもしれない。 本来B&Bもふるさと納税も、対象(宿泊者や地域)に思いがあっての行為のはずなのだが、いつの間にか金銭的な問題にすり替わっている。
数日前にこんな夢を見た。
私は死んでいる。 死ぬことに恐怖は感じない。 集中治療室にいたときに感じた、マットレスに全身が沈み、埋まっていく感覚。あの感覚がより深くなり、あぁ自分はほんとうに死ぬのか、そう思っている。 ふと気がつくと私は自分の体の側に立っている。 自分の体は既に棺に入っている。それを横から眺める私。 そうか自分は死んでしまったのか。では今それを見ている私は何なのか。 部屋の中を歩き回るうちに、自分の姿を鏡で見る。確かに私だが、ところどころジグゾーパズルのように欠落がある。これではいかんと意識すると、欠落部はまた埋まる。意識が薄れるとまた欠けたり薄くなったりしてしまうようで、全部消えると意識体としての自分も消滅するのではないか、と考える。 意識があるうちに身辺整理のあれこれを頼まねば、と、私は行動している。本は処分して構わないこと、欲しい人がいたらあげて欲しいこと、パソコンのホームページやこの日記は削除して欲しいこと、SNSの退会手続きもせねば、IDやパスワードを書いてある手帳はここ、そんなこんなについて、妙に冷静に作業している自分がいる。 家族には私の姿は見えたり見えなかったりするらしい。私が死んでいるにもかかわらず、普段と変わらない日常生活を送っているように見える。 人間には3回の死があるという話を思い出す。1度目は本人の(肉体的な)死、2度目は当人を知るものが全て死んだとき、3度目は何だったか。(あとで調べたら「(生きていたという)記録の消滅」らしい) いつも通りに見える家族を見ていて、自分の存在が忘れられているように思え、あぁ私は本当にこれで「死んで」しまうのだなぁと、そこで初めて、自分の足元が崩れ真っ暗な穴に吸い込まれていくような感覚を感じる。
髪を切りに行った。 自分にとって髪型は限りなく優先度が低い。もともとウェーブの入った癖毛なので(しかもコイル状のアホ毛まである)伸ばしてまとめるのが高校時代からの基本スタイルだから、多少傷んでいようと長さが変わっていようと結んじゃえば関係ない。最近はカラーリングもしていない。しかも出産してからは土日は子どものこと優先、美容院に予約の電話を掛けるのも面倒くさい、となったら、いつの間にか1年以上経っていた。 ここに来て髪型をナントカせねばと思ったのは、運転免許証の更新通知が来たからである。そういう外部要因がなければ、たぶんあと半年くらい行かなかったのではないかと思う。
肩胛骨の下まであった髪を鎖骨くらいまで切り、癖を取るためにストレートパーマを掛けてもらう。ボブにすることも考えていたのだが、この前伯父の葬儀で会ったきょうだいは二人ともボブになっており、これで私までボブにしたらおそ松くん状態。それだけは絶対に避けたい。 久しぶりに見る「髪の毛がまっすぐな状態」にものすごい違和感を感じる。次回(いつだよ)はウェーブに戻そう。
午後、長患いをしていたもう母方の叔父の訃報が入る。思っていたよりも早い。
マイナス金利やら重力波発見やら育休申請しているのになぜか不倫とか、このところのあれこれは凡人には理解できないですなぁ。
雛人形を出す。 ケースが経年劣化していて、段ボール箱から出してみたら分解寸前。とりあえず木工ボンドで接着。でも木が反っているので根本的な解決にはならないだろうな。家の近所に人形ケースを作っている作業所を見つけたので、今後壊れたら、そこに訊いてみようと思う。
ひなあられがなかったので、買いに行く。近所の公園はモクレンだかコブシだか(樹形からするとコブシか)の蕾も膨らみ、いつ咲いても可笑しくないほど。オオイヌノフグリなどはもう咲いている。今年はやはり暖冬なのだな。
駅から会社に向かう途中、アンパンマンの子ども用歯ブラシのパッケージ(未開封中身入り)がフェンスに引っかけてあった。 会社の近所には保育園や幼稚園があり、ママチャリに子どもを乗せて送迎する親御さんの姿を毎日見ているから、その中の誰かだろうと思う。 自分の経験から、子どもに持たせて後部座席に乗せて送迎中に落としたと思われる(笑) 子どもあるあるだよなぁ。持ち主に戻るといいな。
子どもがディズニーランドに行きたいとときどき言うようになり、保育園のうちに一度連れて行ってもいいかなぁと思うのだが、一番のハードルは親がふたりともテーマパークが好きじゃないこと。 ディズニーシーに行ったのはオープンしてすぐだからもう15年くらい前。会社の労働組合のレクリエーションがシーになり、その年偶々役員当番だったまーさん(と私)も参加せざるを得なかったのであった。ちなみに行き先の発案者であった某嬢はチケットを事前にもらって転売する気だったらしく、当然それを読んでいた組合役員によりチケットは当日ゲート前での手渡しとなったため、ドタキャンしやがったのであった。彼女の評判が地に落ちたのは言うまでもない。 ランドに至っては最後に行ったのは中学生の時だから、30年近く前だ。
そんなこんなで先送りしていたら、入園料が値上げになるらしい。昔から比べるとずいぶん高くなったなぁ。飲食物は持ち込めないから飲食代と絶対欲しがるお土産代もそれにプラスする。うちは夫婦と子ども一人だけど、子どもが複数いる家とか遠距離だったりするともっとお金がかかる。完全に贅沢品だ。 それでも我が家は電車で行かれるからいいのかな。
最近ツイッターのアカウントを作った。 情報を取るためだけに登録したものなので、両手で足りる数のフォロー先があるだけだ。検索はするが、自分からはツイートもリツイートもしていない。アイコンも設定していない。 しかし先日気づいた。自分をフォローする人がいる。 知り合いではなさそう。ただのbotなのか。謎である。 今のところ放置しているが、ブロック?した方が良いのか。
作家アリスシリーズのドラマ化で一部界隈(笑)が盛り上がっているようだが、自分が最初に「この二人組が(同人誌的な意味で)やばい」と聞いたのが大学生の頃だったので、もうあれから20年かと思うと隔世の感がある。ちなみに薦めてくれたおねえさんは、刑事物とSF、特にバディ(当時はコンビという言葉しかなかったような)がお好きであった上下ではない関係性と対立軸がポイントと思われる。 っていうか今更盛り上がるってあの二人そんなにマイナーだったのかと思って調べたら、映像化はこれが初めてなのね。 あの空気感と会話(笑)を放送しても大丈夫なくらい、あの世界が市民権を得て世間が寛容になったと言うことだろうなぁ。
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