日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2011年01月31日(月)

笑ったり怒ったり忙しいっす。

久しぶりにむかーっとしました。
で、よっしゃー!ネタきたー!とムカムカを感じる。

なににムカついてるのかなーと見ると、不備は○○さんでしょう!と怒っている。

まあ確かにそうかなと。
こちらで気をまわして連絡する必要はないし(あるとしてもわたしの仕事ではないと思うし)、おかしいと思えば聞くだろうけど、そういうケースもあるから何もおもわなかったわけで。

冷静になるとそう説明ができるわけだけど、その時は怒り一色。

「わたしはわるくない!」
と怒っている。

おーそうだった、これ解決してないや。

Q、わるいとどうなるの?

A、どうにもならない。

しゅーりょー。

…。

「どうにかなってしまう」という恐れがあったらしいのだけど、別にどうにもならないと気づいたようだ。

そして気付いたのは、がんばるとか、がまんするとか、〜しなければいけないとか、そういうのを当たり前と思っている人の中にいた、ということ。

別に自分が影響されなければいい、と思っていたけど、あーそっか、思考の仕方が違うんだった、と気づいた。
それが「当たり前」「常識」と考えるから説明がないということが起きうるのだなあと。

なるほどねー
(まだ怒ってるようだ。感じとけー)


感じていたら、まだ怒っていた理由がわかった。
「いそがしいのに!」っていう怒りと同時に来たからって感じみたい。
ええと、忙しいのにはなんで怒ってるんだっけ。。。


...

ゴスロリ体験会にてタロット参加してきました〜 - 2011年01月30日(日)

今日はイベントに参加〜。

今日は会社の催しもの(合同新年会)もあったけど、「その日に仕事がない人は出るべき」って意見も聞きつつ、その意見はわたしの持ってるものとは違う意見だわーと趣味の方へ。
去年の秋から参加しようとしてたんだー。

イベントの主軸は、ゴスロリ体験撮影会。
衣装を着て、メイクして、撮影〜。
ゴスロリ、わたしは童顔・ちびっこなので似合うと思うのだけど、撮影がたぶんニヤける(ポーズ取ったり目線をこっちにとか、かわいいね〜とか言われたりとかに)ので、今回は見てるだけー。

そちらでタロットやってきました。
だからお客さんの半数、フリフリ着てた。かわいい〜。

感想。
ちかりたー。
そしてやっぱり楽しかったですなー。

なにが楽しかったか。

その1、イベントに参加されている他の方を見ているだけで幸せ

なぜかと言えば、自分の好きなことをやっている方たちだから!
なんか、見ているだけで栄養をいただくわあ。
自分の好きなことをしているって方とこの場にいる、ってだけでうれしい。


その2、いろんな方にタロットが引けること

やっぱりおもしろいねー。勉強にもなる。実際に引くって大事!
今回はお名前もヒントにしながらリーディング。うーん、興味深いわあ。
これももうちょっと理解したいです。

整理ができたとか、元気になったとか言っていただけた。ありがとお〜。

やーなんだろう、もっとできるようになりたい!読みとれるように、伝え方だったりとか対処法とかもっと引き出しから出せるようになりたい!、って新たな自分を求める感じがやっぱし出てきた。

ご自身がカラーでリーディングをされている方も受けに来てくださった。こころや自分とかを見つめることが興味がある方だから、相手によって変わるのもなんだけど、正直気合いが入った。
初めの頃に受けてくれたから、なおありがたいー。

いつも思うけれど、ちゃんとカードが出るものだなあと思う。
(これだけ使っておいて、まだ言ってるか)

そして、ミニセッションってのも関係してるかもしれないけれど、後押しするだけでなんも問題ないみたいな方が多かったかなあ。

この子と同じくらいの年にわたしはこんなにビジョン持ってなかったなあとか、この方は迷いないなーとか、引いたお客さんから栄養いただいたりも。
かっこいいよ!


実は、相手のカードを引きながら、その時に出てくるものを通じて自分を見つめよう、みたいなことも思っていたけれど、そんなゆとり(?)はなかった。
11人?12人?の方に引いたのかな。もう全力投球ー。余計なこと考えなくて済んだとも言える。

で、ちかりたー。

今日は、「正直」スピーカーになってたな。
それもわるくはないけど、もっと自分の言葉で伝えられるように、もっと自分を体験しようと思った。
じゃないと、やっぱりなんか違うなあって思う。わたしが好きなものと違う、まだ借り物の言葉って感じ。

やるでー。


...

つらつら - 2011年01月29日(土)

朝起きて、あれ?と思った。
自分が好きだと思っていた方、本当は嫌いなんじゃ…?とふと思った。

ということで、そのひとの嫌いなとこってなに?と自分に聞いてみた。


1、人を見下したり、もしくは人を崇めたりするように感じるところ
2、根拠なく自分を信じられるところ


そのひとはトータルすると好きな人だし、人は人、とわたしは思っているしでちゃんと「嫌いなとこ」を見ていなかったなあ、ということで見てみることに。


Q、それが、どうして嫌い?


A、1は、自分がそれをしたくないから嫌い。そして自分がそう扱われるのは嫌い。
2は、うらやましいと思う反面、わたしはそれをしたいと思わないから嫌い。


Q、ふむふむ。
1と2の共通点としてあるのは、「自分はそれをしたくないから」。

(しなければいいじゃん、と終わらせることもできるが、これまでがそうしてきたので今回はちょっと変えてみる)

ということは、「自分もするかもしれない」という恐れがあるんかな。
なんで恐れているの?


A、自分もしたら、わたしは「嫌いなもの」になってしまう。


Q、ふむふむ。

でもさ、「ならない」よ。
そういう状態があるだけだよ。
それは個性ではないよ。

逆にさ、自分の「したいこと」を見てみ?
その「したくない」が教えてくれる「したいこと」はなに?


A、相手がどんな人でも、わたしはわたしとしてわたしらしく、大きくなったり小さくなったりせずに対応すること。

他人に対して証明することはない。
他人に対しての「根拠」はいらない。
自分を信じられる、というのは、自分の中の根拠と繋がっているということ。
自分の根拠も証明することはない。ただわかっていること。気づいていること。自分の根拠と繋がっているか確認すること。



整理できた。



自分の感覚を信頼してはだめ、と感じたこと。
間違ってたと感じたけど、それはわたしの根拠には繋がっていた。
思い出すのは小学生の頃の先生とのやりとりなんだけど、そこでわたしは「証明しなければいけない」と思ったのだなあ、と。。。

わたしはその時、先生に信じてもらえなかった。
なにも間違ったことはしていないのに。話を聞いてほしいのに先生の怒る声に驚いて何も言えなくなった。

大人になったので、小3のわたしの代わりに言ってあげる。これは前にもやったことがある。
でも、残っていた。

だから今日は、小3のわたしの代わりに感じてあげることにした。
怖かったなあ。
言いたかったけど、怒っている人にどう言ったらいいか、伝わるのかどうか、なにを言えばいいか、わからなかったなあ。
真実を知っているひとに助けてほしかったなあ。
助けてくれなくて、悲しかったなあ。

ここで涙が出た。

わたしは怒ってた先生に対して何かあるのかと思ってたけど、そうじゃなかったのだなあ。
その様子が聞こえているのに、どういうことなのかわかっているのに助けてくれなかった先生に対して、ずうっと持っていたのだなあと気づいた。

助けてほしかったね。

そうか。
「助けてもらえないから、自分で周りにわかるように証明しなければいけない」と思ったのか。。。

そしてずっと気づかなかった、そこまで行かなかったのは、その先生のことを好きだったからだ、と気づいた。

好きだと気づきにくいな。先生を守りたかったんだな。認めたくなかったんだな。


好きなところに嫌いがあっても大丈夫、ということがわかった。
状態だというだけで、それ自身ではない。



わたしはスケールの大きい話とか、視野の広い話が好きだ。
そして、とっちらかるところもある。
とっちらかるのは、そのスケールの大きさにわあーっと楽しくなって、自分も大きくなっているから。
そっちも興味あるー、なんて今をどこかにやってしまうから。

「今」の自分がそのスケールの大きいものにどう繋がるか、なんだよなあ。
ちゃんと身体の中におさまって、原寸大でどう繋がるか。

実際の行動として直に関わりはしなくても、そのスケールの大きいものに感じたワクワクとの共通点を、今の自分で体現していこうと思う。


内田樹さんと大阪市長との教育対談がおもしろかったー。



追記。
突然思い出したこと。
欲しがっていたのは、ゆったりと食事のできる場所(環境)ではなくて、わたしがいくらひねくれたとしても「さあ食べなさい」と目の前に差し出されること、与えられること、構われることだった。

そうでないなら、お腹をすかせていても全然耐えるような子ども。
環境が整っていても、飛びつかない子ども。
欲しいものを自分に与えられる環境があっても、誰かに与えてもらうことが目的になっている子ども。

そういう時代をはっきりと思い出した。
与えてもらえるってことが愛情表現だと思っている。

うお。
感じとこう。


...

つらつら - 2011年01月28日(金)

評価されるということ。
わたしにとって、これ、いらないものだ、と本日感じた。

周囲の評価が◎でも×でも、反応があるということに対して「うれしい」に似ているのだけど、そういう感情があって。
でもそれは全力でうれしい感じではないものだったから、これはなんなのかなあと数日前からそれを見ていた。

なんかヒステリックな緊張してる感じが含まれた「うれしい」って感じで、これって本当にはうれしくないよなあ、って見ていた。

これ、本当は嫌だけど、「やらないといけない」と自分を鼓舞するために無理やり笑っている、だからヒステリックに緊張している感じに似ているなあと思った。
似ているというか、そのものなのかもしれない。本当は、やりたくないのかもなあ、と思った。

逆に、周囲から反応がない場合、がっかりはしているのだけど、多分これ期待。反応があることへの期待。だから、これまた本当の「かなしい」という感じのものではない。

わざわざさー、本気でうれしくも、本気で悲しくもなく、ただ期待にまみれるようなこと、することないよなあ。

このこと自体からただ単に離れてOKだな、と思った。

それなので、「ところで、それなのにも関わらず、なんで反応を見ているの?」と自分に聞いてみた。

A、自分の感覚を信頼してはだめと感じたから。あと、確かめられる。

ふうむ。それを感じたの、学校でとかかな。評価だし。

ヒステリックになるということは、評価されたいわけではなくて、自分自身の表現を自分で認めたい、信頼したい気持ちの現れなのかもなあと思う。
わたしはそれを使って行きたいんだなあって、思う。
かといって、自分の感覚だけ使って行くのもなんか違うなと感じている。確かめたい。

ふうむ。
それならば、自分の感覚も使って、なおかつ周りの事実も見る、というのはどうだい?と聞いてみたら、自分からOKをいただいた。

OK〜

確かめたい、って気持ち、もうちょっと見てようかな。。。
確かめるとどうなるの?



自分が占いとか好きなのに、占いで楽しんでいる人を見るのが嫌いだった。
自分に対してもこの感情が出ることがあって、なんで?楽しいのに?と思っていた。

どうやら、楽しんで娯楽として終えることが嫌だということみたい。
楽しんだら終了〜みたいのが、嫌いらしい。
っていうかわたし、後に続かない・自分に残らない娯楽ってあまり興味ないよねえ。。。

まあとにかく。
あーわたしそういうとこあるー、あたってるー、あたってないー、と終わるのが嫌。
当たってると感じても、当たってないと感じても、そこで感じたものから今自分がどんな状態で、どこに向かおうとしているんだったかを思い出して、みたいな感じで、自分を見つめる方向へ行かず外側だけで終わるのが嫌、らしい。

ということで、わたしの求めているのは内側を向くこと。

他者に対しては、内側を見るのを求める人とコラボしよう。いまのところ。
そのひとが求めてもいないのにそのひとに対してもやろうとするなら、わたしはそのやろうとしてしまう自分自身を見るのがいいってわけだ。
まあどちらにせよOK。

ふむふむ。



わたしにとって、すんごい楽しい夢を見た。

初めはタロットをお願いされて、そのイベントに参加。
でもすでに20種くらいイベント参加される方が揃っていて、なんかわたしはやらなくても済むらしい。

そんなわけで、そのイベントの軸となっているもの、舞台を楽しむことにした。
わたしが夢で舞台を見る時ってどうもいつもそうなのだけど、体育館みたいなところでやっている。体育館の2階席(?)へ行って、テラスにもたれながら見る。

舞台は照明の色の感じとか、おもっきし好み。わたしの夢だから当然かもしれないんだけど、思い出したのはシルク・ドゥ・ソレイユの舞台みたいな感じ。
(クーザ見に行きたくなってしまった…夢でCM?)

舞台はたくさんの人が演じている。
演じているというか、やっぱりシルクの舞台みたいな感じ。あっちを見ててもこっちを見てても、それぞれ世界があって、どこを見てもおもしろいみたいな感じ。体育館の1F全体で演じているからすごく人がたくさんいて、誰かだけにスポットが当たるという感じではない。
その中に芸能人、顔を知っている方がところどころ混じっている。

わたしの好きな松田くんもいてワーイと思っていたのだけど、いつのまにか2階席のわたしの隣に来て観客になっている。そしてなぜか頼んでくる人にだけタロットもしているw (なにものだ…)

わたしはテンション上がっているのだけど、楽しくて上がっている感じでふわふわはしていない。

で、そのまま松田くんと意気投合して(!)別の祭りへはしご。

パン祭り、というか。
音楽に合わせて、大きなたらいみたいなものに敷き詰めてある布地を踏む祭り。布地の下にはパン生地が埋まっていて、それでこねこねしたパンを食べる、みたいな祭り。

わたしの前に松田くんがいて、ふたりで踏む。その踏む動きに合わせてたらいが動くので、息を合わせ、リズムに乗る。楽しい!

バックに流れるのは、あったかい国の曲。レゲエみたいな? ちかくに演奏者や歌い手がいて、みんなでコラボ。

途中で疲れてきてリズムが合わなくなってきたら、違うリズムに変えてくれた。リズムは簡単になったけど、リズムに合わせて楽しむのはとてもすてきだった。

楽しませる天才だなあと思った。
すごく歌が上手とか、曲が素敵とかそういうことよりも、楽しませられることが際立った方だなあ、って演奏者の方たちを思った。

踏み踏みしながら、焼きたてのパンを食べさせてもらった。あーん、って。
メープルがすこし塗ってあって、すんごくおいしかった!
つーか、夢って味もわかるのか、と思った。

サイコーの夢。サイコーに楽しい夢だった。

そして、そのおかげか背中の痛みもとれたw
すげい!(^o^)



追記。
確かめることについて。

確かめるとどうなる?
確かめないとどうなる?

と自分に聞いてみたけれど、確かめること自体はとてもフラット。
どうやら確かめる方法が問題なのかもしれない。

体験して確かめよう。
他者の意見で確かめるのではなく、他者の意見から自分が何を感じるか体験して確かめるとかね。


...

つらつら - 2011年01月27日(木)

背中がカチカチ山です!
にゃー、寝ても取れない! 風呂でゆったりしても取れない!

と、様子を見ていて1週間カチカチ山です。
取っるぞー 取っるぞー

で、最近あったことというと、母関連かなと。
対母ではなくて、対兄。
わたしは兄が2人いるのだけど、その2ばんめの兄ですねー。

兄その2との接しかたを意識して気づいたのは、わたし、兄その2が決めることまで決めてる、ってこと。
これまではこれでいいかよくないかと聞いていた。求めていたのはYESかNOのみ。
そして兄その2が「こういう状態だ」、ということを伝えてきた時に、わたしはじゃあそれなら…と「協力」してしまってた。

協力? これ協力なの?
と思った。

いやいやちょっと待てと。
兄その2は状態を伝えてきただけ。わたしはそこで「動く必要はない」ということ。
動いてしまう自分を見よう。
そして、兄その2が「〜したい」と交渉してきた時に、初めて考慮する、でいいからわたしはちょっと自動的にすぐ動くな、と自分に意識してみた。

でも、せっかちなわたしからすると、兄その2、動かないんだよねー。

って、これ操作だな。
と、また自分を見つめるw
うまくいかなくてもいいんだよー。その方がうまくいくんだよー。もっと信頼しよう。

兄その1に相談してみた。
「12月末にはやるっていってたね」 そうだった。やるって言ってた。もっと事実だけ見よう。
「やらないことを前提にではなくて、やることを前提にしてみな」 は!そうか。なるほど…。
「それで断られたら言って」 ありがとー。

すげー。兄その1。

そして、でもーというフィーリング。
兄その2…断らないんだけど、やらないんだよなー。うーん。

あ。

交渉する前にさっさとやってしまう。これ、他のことでも言えるな。。。やめよう。本人それを希望してない場合もあるし、希望してても表現する前にやっては、わざわざ「期待」にさせてしまう。
わたしも、表現しよう。

と気づいた。

それから。

「兄その2は断らないんだけど、やらないんだよなー」は過去の経験であって今ではないこと。
それをわざわざわたしは「今」に持ってきているんだ。

と気づいた。

行動する兄その2を信頼しよう。

ちなみにタロットもそれについて引いてみた。

主題。今にいること(そのままー)。受け取って流す、受容性のちからを充分つかうこと。

意識の部分で、今のままの自分では受け入れてもらえないんじゃないかみたいな思い込みがある。

妥協したくなるかもしれないけど、しないこと。異なる意見や価値を組み合わせ歩み寄ることで、新たな道ができる。

たとえカチカチエネルギーが周りにあろうが、わたしはわたしのハートに意識を向けてそれに素直に行動すること。自由だよ。どう選ぶのも。

チャレンジできるのは、罪悪感とか自分が十分ではないと感じる気持ちを見ること。もっと見れるよ。

ラストに待ってるのは、自分から与えられる喜び。見返りを求めたりせず、けちけちにもならず、ただ与えることに喜びを感じるようなこと。そこに向かうと決めること。

イエース。わかったぜい。


そうしてから、ひと眠り。
夢で、頭のてっぺんからすうーっと何かが抜けて、「あ!背中にあったの取れた!」「こうすればよかったのか!」と喜んだ。

で、起きたのだけど、背中にはまだあったw

ざんねーん、と思いつつ、予告編予告編、とも思う。

そしてシャワーを浴びてるとふと思った。

「疲れてる」ってことは「わかっている」。
「背中の痛み」もいらないものというのは「わかっている」。
そうじゃなくて。
「疲れてる」ってことを「味わってる」か?というと、味わおうとしてないなと。

あー疲れたなー。もうこの背中のものはいらないなー。
と味わってみることにした。

そうか。
受け取って流す、ってのは、身体の中をスルーさせることじゃないや。
「受け取って」から「さようなら」するんだ。
受け取ると、さようならがしにくくなったり。
受け取らないまま、さようならしてみたり。

おもろいものだ。


...

つらつら - 2011年01月25日(火)

必要である、必要でない。役に立つ、役に立たない。
この魔法をとくぞと思った。



わたしが怒っている時、それは不安だということ。
ということで、いらっと来たり、お腹が緊張したりした時。

ふっあーん! ふっあーん!

と、不安コールをしてみた。自分の不安を認める不安コール。
あほらしいけど、なぜかちょっとやさしい気持ちになる。

わたしが怒っている時は、大抵タロットの火の7&9が多い。あちこちやることが見えて、わーっとなっている。
そして、あっちゃもこっちゃも手を出したくなっている。実際、手を出したり。
そして、それは「今」に集中してないとも言えて、今日しっかりと気づいたのだけど、わたしは逃げようとしていた、そこから。そういうフィーリングだと気づいた。
実際、逃げるようなことなど何もないのだが。

そして、それを味わっていて気づいたのは、まだ仕事に新人で入ってきた頃に怒られたことが残ってた、ということ。
その時わたしは、自分のしていたこと、判断を否定されたと感じた。
その時わたしは、もっと周りを見ていちばん必要なことを見つけて、それをやらないといけない、と感じた。そして、それが「正しいかどうか」常にその怒った人を意識していた。

客観的に今それを見ると、相手の人はただそうして感情的に伝えるような状態だったというだけということ。
そしてわたしは、それを理解してなかったので、はりねずみのようにアンテナを全身に出していないといけない、と自分の方法を変えたということ。

人に対しての意識が変わっても、変わらずに残しているものってあるんだなあ、とも思った。無意識部分だからかな。人に対してのものは意識しやすいものだったってことかも。

わたしはそのほうが全体の効率がよいかもと思ったり、ひとりでもくもくとする作業が好きだったりすることが多いので、他の人がやっていないことをやろうとするところがある。
それが相手の人は使っていない方法だから理解してもらえなかったのと、当のわたしも自分のことがよくわかってないので、そのまま相手の感情をうのみにしてた。

ということに気づいた。

気づいたので、火の7&8のフィーリングが来た時に、そこで動きたくなる自分を感じてみた。
がまんでなく、ただ感じてみた。
あっちも気になるし、こっちも気になってるな。やりたくなってるな。誰かやらないかとか思ってるな。
周りがやってもやらなくても関係ない。
ただわたしは、気になってるなーと感じながら、今自分がやっていることに集中していよう、と決めて過ごした。

とてもいい感じ!
情熱が内にある。

知っていて、かつそれを認めている。
自覚している。
それってすごいんだなあって思う、今日この頃。
自己覚知へ向かって、ゴーゴー。



行動としては簡単なことだけど、簡単にできない、ということは人によって違うなあと感じる。
わたしからすると、「お願いしちゃえばいい。やってもらえばいい。」と思うことが、ある人にすれば、「あの人には言いにくい。他の人だったら、やろうか?って言ってやってくれる」ということだったりして。

ああ興味深い、と思う。
わたしは自分を知れば知るほど、他の人が興味深くなってるような気がする。



自分が嫌う感情や思考が咄嗟に出る時。
それを嫌う部分も自分だし、咄嗟に出た部分も自分だなあと感じた。

咄嗟に出た部分、望んでいることなんだよね。
でもそれを嫌う部分もわかる。自分のことばっかり考えてる!って否定している。

ということで、もはや得意技。
それぞれの感情を左手と右手に感じて、真ん中で矛盾をまぜまぜしてみる。
そして、まざったものを感じてみる。。。

すると、咄嗟に出た望みを否定することはないと気づいた。
その望みを、それを嫌うものがサポートできる、ってことに気づいた。

すごいねえ。。。


...

つらつら - 2011年01月24日(月)

片づけが止まってしまった。
途中で止まったため、部屋は最初よりもえらいことになっている。
日々、物は確実に減っているのだけど。

で、今日は健診だったので、待ち時間の間、自分の気持ちを見つめてみたw

どうして片づけ止まっちゃったの?と自分に聞いたら、自分のことよりも他のことを優先しないと、って答えが来た。

それなので、なして自分のことを優先しないの?と質問。

好かれるようにとか嫌われたくないとかそういう答えが返ってくるのかなと思っていたのだけど、予想してなかったものが来た。

A、自分のことをやっていても広がりがない、と思っている。

Q、なるほろ。広がり、あると楽しいよね。
じゃあさ、なんのために広がりが欲しいの?

A、自分らしくいるため。自由だ。

Q、にゃるほど。自分。でも、周り優先ってそれ、自分少なくなってるかもね。
自分がそこにちゃんとなくて、ただ周り優先でやっても、ただ広がるだけになっちゃうね。
広がっただけで、自分は…、そのなかのどこかにいるの?

(なんか反応がある)

両立するにはどうしたらいいと思う?


A、常に自分を意識して、広がりの中にいる。広がりを味わう。

Q、ふむふむ。じゃあ、これを「片づけ」のことに変換してみるとどんなですかね。

A、「どうやったら片づけを再開するか」など考える必要はない。
ただ単に、おさまるところにおさまるもの。
片づけができないという時は、自分への意識や、もしくは広がりに対しての意識がどうなっているか確認してみるといい。
片方の意識が大きくなっているから、もう片方へも意識を向けるなど、確認してわかることがある。

ただ、自分自身が今どんな状態か、その指標にすればいい。片づけをしているか、散らかしているかは、ただそれがわかるというだけのもの。
片づけ自体にこだわらない。


…。

初め、質問している「わたし」の方が、答えている「わたし」をよしよしと頭なでながらお話聞いていたみたいな感覚だったのだけど、いつのまにか教えられてる感じに…。あれ?

おもろいなー。



忘れたくない、と思うことがよくある。
まあ普段もメモ魔ですし。

で、この忘れる感覚、見た夢を忘れてしまう感覚に似ている。
覚えてる時も、なんだかふわっとしているのだ。

この感覚を使っているということ、わたしにとって使いやすい道具であるということ、そういうことなのかもなと思った。

ということは、「忘れにくい」道具もあるということかもなあ。
だけどそちらを使おうとはあまり感じない。得意じゃないのかも。

じゃあどうするか。

「覚えておく」ということに関しては、別のツールを併用する。
今もそうだけど、メモを書くとか。




自分の嫌いな感情や思考が自分から出る時がある。
ずっと前は、それで自分を嫌っていた。
最近になって、今度は「どうしてそういう感情が出るんだろう?」と疑問を持つようになった。

そして今日。
「どうしてその自分を嫌うの?」と聞いてみた。
はじめての質問。

答えまち。どきどき。



...

つらつら - 2011年01月23日(日)

今日はアタマがカチカチ山〜(*゚ェ゚*)

なんでカチカチ山!と思って、頭の中のものを書き出してみた。

不満と、そしてそれに対して「こうだから仕方ない」「そういうこともあるようだ」「いつもそうだ」という、ひゅ〜とうすら寒い感じの諦め&説得とによる矛盾コラボがいくつも起きていた。

なので、今回もそれぞれの矛盾のエネルギーをまぜまぜして、まぜまぜしたエネルギーから導かれるこたえを受け取った。

電話もメールもつながらないので、伝えるためにお手紙を書こうw

と、ひと段落したのにまだカチカチ。

だから、そもそも「どうして」怒っているのか?と見つめた。

また出たよ。

火の7でーす。
(わたしがやらないとうまくいかない、もしくはわたしがいくらやってもうまくいかない、と必死になってる状態)
火の9でーす。
(自分のことを放っておいて、周りがうまく回ることばかり気にしている)
2人あわせてカチカチ山でーす。

なるほろね。

うまくいかなくてもいいやー。
うまくいかないことが、本当に望まれることなのかもしれない。望むものに続くことなのかもしれない。
きっと、今のわたしがあえてやらないくらいの方が、うまくいく。
うまくいってないように見えていると思い込んでいる自分を見つめよう。

もう、うまくいかせようとしなくていいや!
これもだ。わたし、役割以上のことをしようとしてる。

ここまでやるけどそれ以上やらない、ってことを伝えよう。

いらないもの、ぽいーだ。


...

つらつら - 2011年01月22日(土)

リサイクルショップで売れないもの、そしてそれをゴミとした時に処分に困るものは持たないぞ、と思った本日です。


最近、息苦しかった。

なんでかなーと思ったら、自分の役割以上のことをやってたみたい。
役割としてやることと、個人としてやりたいなら行うこととがごっちゃになってたようだ。

どうしてそこを勘違いしてたかなーと思ったら、「それを求めることが仕事」という方が相手だったのに、それに感情的に答えようとしていた自分の部分があったからだった。
明け渡さないようにしよう、と思った。
相手はちゃんと理性的に伝えてきていた。わたしも理性的に対応すればいい。

人格数11というのが、多分こういうことなんだろうなと思った。
方法として使うことが得意というだけ、ということを自覚しておこう。

相手は自分にとって、どんなことの対象なのか。
どんな方であっても、わたしの問題を解決するためにいるのではないということ。
手伝ってはくれるかもしれないけど、やるのはわたしだということ。

そこから派生したのだけど、違う事柄のことで「このひとがいたら全部OKになる」と思い込んでいたことも気づいて、そんな自分に、ぎゃあ!と思った。
否定せずに、そう思い込んでいたなあと感じよう。。。
これは。。。

自分で行う。
わたし、だいぶさぼってたわ。



「みかこさん」1巻と2巻を買ってきたので読んだ。
ねこっぽい。
繊細な感覚。
好き。


...

タロット一気に引いてみた。 - 2011年01月21日(金)

その1、母との関係性について引く。
なにをシェアするか、したいか、できるかを理解する。

なるほど。


その2、兄たちとの関係性について引く。
「今」「これから」のわたしにいらないものは全部崩し切って、断ち切る。

なるほど。


その3、その2を引いてて思ったけど、電話が通じないとかメールの返事が来ないとかが相談したりできなくて嫌。
わたしは人のことを決めることがあまりやりたいことではない。
それについて引く。
わたしが何かを守ってる。何か執着してる。もうそれを打ち崩してしまえ。わたしが思いつく最良のこと、それをベストを尽くせばいいのよ。

「思いつく最良のことにベストを尽くす」
わたしが、もういらないのに守っているものにこれが関わっているような気がとてもした。まだ正体わからず。でも感覚的にわかってる。


その4、ある人との関係性を引く。
それぞれ1本の違う木。いらないものはバッサリ落とす。可能性を感じている。くつろぐ。祝。

違うのを認めた状態で交流ね。OK。


その5、恋愛はどんなっすか?と引く。
準備期間を楽しめ。リラックスして、自分でいられるレッスン、自分のベストをただ行うレッスン中。

未来に可能性が見えるが、現時点ではまったく恋愛っぽくないw
ただ、全部今が未来につながっているなと、ここまで引いて思った。今やることが似ている。
今やることをやるだけだ。


その6、自分以外の人にタロットを引くことに対して、引く。
自分自身でいると決めていること。流れに乗ってリラックスしていること。周りからの評価がわたし自身ではない。それを自分自身と受け取ってしまう部分を手放すこと。自分自身にフォーカスし続ける。

なるほど。他者を引いて自分を見る。


その7、全体的に今、を引く。
もうまっぴらだー!エネルギー。もういいかげんにしろー!というエネルギーが高まっているから、うちやぶるリスクをおかしていこう。ゴーゴー。
やることは、いろんな意見やなんやかやの中で、自分の感情を見つめる。ゆらゆらするならそれを見つめ、まっすぐなままでいる。

そうだねー。


いやあ、タロット、やっぱ、いい。



追記。

なんか時々、あれ?と感じる時がある。
今日もあった。

どういうものかというと、例えば今日の場合、ネガティブな妄想で盛り上がっている人を見て、「どうしてこのひとはこういうことをわざわざしているんだろう?」と不思議に思う。

そして、あれ?と。

この間までわたしは、嫌だなあという感情とともに「どうしてこのひとは(以下同文)」と思っていなかったっけ?と。

普通に、不思議に思っていた自分に、あれ?と思うようなことが時々ある。

それは「おもしろい」からだよ!と今なら答えることができるけど。
なんというか。
忘れそうだw

忘れると楽ちんのような気がするけど、今の状態の方がどちらも理解できていいような気もする。

どうなるんだろう。


...

つらつら - 2011年01月20日(木)

最近眠くて仕方がない。。。

やりたいことはたくさんあるのになー
今日もこれ書いたら寝よう。



ツイッター、読むの専用っぽく始めてみた。いまのところ、自分はあまりつぶやくつもりなし。
読みたいツイートをたたたーっといくつか登録してみた。

なんて幸せなんだ!

と感じた。

幸せで、これからお金をどう使おうかな、とか思ったりした。
これまでわたしはお金を「楽しみ」のために使ってきた。
それがこれからは「楽しみ」のためにはあまりお金がいらないような気がしたのでした。
時代ってすごいと思った。
あまりちゃんとした理由なく、そう思った。

ちょっと気になるものもこれまでは手を出してきたけれど、もう、すごく好きなものだけでいいかも。
そうじゃないと好きなものにちゃんと対応できないかもなあ、と思った。



話題が尽きないひと、話題が尽きてもOKなひと、そういうひとはわたしにとってリラックスできるひとだということ。
じゃあ、話題が尽きたらリラックスできないひとって、わたしにとってどんなひと?と思った。

高校の時のある友人とのことが、ずっと引っかかっていた。なんか知らないけど、引っかかっていた。
話しているとおもしろいんだけど、その人と2人でいる時、話題が尽きるのは嫌なことだった。

その友人をたどって、わたしにとってどんなひとだろ?と思っていた。

そうしたらわかったのは、わたしはそのひとを「話題がないとおもしろくないひと」と感じていたということ。

そしてそれと同時に、「わたしも話題がなくてつまらないと思われたくない」と思うから(同じ意味だもんね)、緊張して居心地がよくないらしかった。

どっちもわかるとスッキリするなあ。
高校の時、わたしはそのひとに対して「何か話題を探さなきゃ」と感じていた時、相手のことを「話題がなくて一緒にいてもおもしろくない」と自分が思っていることに気づいていなかったから、しんどかったんだなーとやっとわかった。

よかった。



もういっこ、今日あったこと。

おお、女の人の怒るルートだなと我ながら思ったのだけど。

「それはわかりません」と言われて、「あなたがわかることなんて期待してないわ!」というような怒りが出た。

期待してないのに、なんで怒ってんの?と自分に聞いた。
っていうか、まずはしっかり怒りを眺めてみた。

そうしたら、わたしは答えを求めていたのではなく、そのひとに寄り添ってもらいたかったんだということがわかった。

そして、「そのひとに」寄り添ってほしいわけではないな、と感じたw
これからは、自分が寄り添ってくれたらうれしい♪ってひとにオファーしよう(^o^)

そして、自分で自分に寄り添う。


...

つらつら - 2011年01月19日(水)

PCは、メーカーさんに聞いて対処法を試しているところ。
どうかなー。



今日、久々に自分のことで真剣にタロットを引いた。わたしは真剣に自分に引きたい時は、1枚引き。
そしたら大アルカナの7のカードが出た。

事実だけを見る。
自分のマインドが作っているベールは蒼い炎で焼き尽くして、事実だけをただ見る。
そんな感じ。

事実。

と意識しながら、母の入院中の病院へ。

母と会話をし、以前とは感覚が違うことを確認。

母をやっと「母」としてではなくて、ひとりの人間って見れてきた感じがする。他の知り合いの人を見る感覚に似てる感じ。
長かった。

で、事実を見る、と意識をしてた。

そうしたら、わたしはとても思い違いをしていたかもな、と感じた。
こういう人と思っていた母と、今目の前にいる母とは違うかもしれない、と感じた。
年を取ったから変わったのかなあ。それとも昔からそうだったのだろうか。
どっちでもいいけども。今がどうか、だから。
これも焼き尽くすベールだったかな。

もうそろそろ、自分見るために〜と、ねちねちとした日記を書かずに済むことになるっぽい!
よかったー。



友人と遊んでいたら、心理テストを出された。
好きな動物を3つ順番にあげてね。

わたしの場合は、くま、うさぎ、ねこ、だった。
くまスキー。

キャラクターものってあまり買うわけじゃないのだけど、ちょっとした巾着とかキーホルダー、アイピロー。
今は気づいちゃったからそうでもないけど。
気づいた時びっくりしました。
持ってた動物ものの9割、くまキャラ。
くまを愛しているのだなあと。

まあそれはそれとして。

心理テストの答えは、
1番目の動物が「なりたい自分」、
2番目が「周りから見られる自分」、
3番目が「本当の自分」
だそうだ。

オーラソーマのボトルの選ぶ順番の意味とも似てるなあとしばらくしてから思って、そういうものなのかなあと思ったけど、よく考えたら数字の意味がそうだから共通しているのだな、とわかった。

で、2番目のうさぎの結果に拒否感が出た。
うさぎ、わたしじゃない、って。
わたし、うさぎじゃないよ、って。

その拒否感を見つめた。

そうしたら本にこんなことが書いてあった。

自分が持っている自己イメージは、他者からの評価でなりたっていることがほとんどらしい。
自分の経験から作られたものではない、ということ。

周りからこういうひとと見られている自分。それが自分から見ると「それはわたしじゃない」と感じるものだとしても、それは本当にわたし自身ではないとは言えないし、そして同様にそれがわたしであるとも言えない。

わたしの一面である。だから、わたしであって、わたしでない。
一部ということ。
人差し指がわたしじゃないみたいなもんか。わたしだけどわたしじゃない。

これまで捉えていた大きさよりも、わたしは大きいもののようだ。
ちょっと意識を変えよう。
ということを、心理テストで気づくことになったw


...

つらつら - 2011年01月17日(月)

夢を見た。
だじゃれだけ覚えている夢。高木卯ー。

あとはこんな夢。
母の怖いもの(恐れ)から、わたしに注意するものだったりルールだったリを伝えていたんだなあと感じる夢。

誘拐犯(?)が出てくる夢なのだけど、わたしにとっては全然怖くない人。
でも母にとっては怖い。
で、あの人についていっちゃだめだよ、と母が言っている。
なぜか母は頭部だけで、わたしがその頭部がついた木の棒を持ちながら母と話している。(こちらのが怖いと思う…)

わたしは背後に人の気配を感じたため、母の顔がその後ろの人が見えるように向けて話す。誘拐犯の人だったら、母の会話の仕方が変わるだろうと。

全く変わらないため、後ろの人はその人じゃなかったのだな、と安心したら、母の言っている誘拐犯(?)だった。
母は周りを見ていない。わたしのサインにも気づかない。

わたしたちの前に出てきて、怖くないよ〜とおどけて見せる。実際、優しい目と優しい表情の人で、全く怖い要素がないのだけど、わたしの感覚では「この人は大丈夫」と言っているのだけど、母の恐怖とシンクロし、感情はぎゃあー!と恐れでいっぱいに。

そこで目が覚めた。
すごい怖い夢だった。冷静になると怖いところないのに。誘拐自体も夢の中ですら事実がないのに。

でも感情は恐れでいっぱいになったので、起きたら身体はかちっとしてて、胃も痛かった。

夢で出てきた感情を感じていたら、いろいろ出てきた。

わたしが興味持っていることも母はあまり興味がないことみたいで、反応は薄かったなあとか。
その代わり、怖い話とか暗い話とかばかりをしていたこととか。嫌がっているのに、脅かされるの嫌いなのに。母は嫌いじゃないんだろうなあとか。

あとは、母の言う「わたしに似ている人」がわたしからすると微妙だったり。母はほめているらしい。

母が寂しいと感じる気持ちについても思った。
寂しいからどうしてほしいというわけではない。
でも、寂しいからこうなんだろうなと感じる。
寂しさをわかりたいと思う気持ちと、それをしてると自分のことができないという気持ち。

寂しいは理解したいけど、物理的に一緒にいることはわたしにはできない。
わたしが寄り添ったとしても、他にある不足を見ては寂しがったり不満を言ったりすることがわかる。きりがないと感じる。
「今」ではなく過去の経験から見てるけど、でも感情的にはそう。

「わたしでは足りないんだ」と感じることがわたしは嫌なんだと思う。
(感じておこう…)

わたしは自分を見ることを始めているけど、今さら自分を見つめてということもできないかなあと思う。年齢というより、認知症があるから。

でも、できる状態としたら、わたしの中に「してほしい」と求めそうなところがある…。これ、ちょっとねえ。

どうして求めるかと言えば、一緒にやったら楽しいし、根本的に解決するじゃんと。わたしの価値だ。
そして、根本的に解決するのはわたしが母に対して出てくる感情のことで、母自身が自身のパターンの根本的解決を求めているかというと…うーん。

気づいたこと。
わたしは母と価値観や好みが違うということを認めたくなかった、ということ。

価値観や好みが違うことは、知ってた。
でも、ずっと認めてこなかったんだなあ。認めたくなかったんだなあ、ということがわかった。

「違いを理解し認めることからスタート」
よく聞くような。。。
ちゃんと聞こえてなかったけど。

ということで、認めたらどんな?と自分に聞いてみた。

胸が痛い。

胸が痛いなあと、それを感じていることにした。

価値観も好みも、求めているものも、何もかも違うんだ…。

違うからこういうことができる、とかポジティブ変換することはわたしには簡単だ。
だから、これまでちゃんと感じて来れなかったのかもしれない。
だから、じっくり感じておこうと思う。



追記。

上のを書いてから母の見舞いへ行ってきた。

お母さんはそう受け取るのだね。
お母さんの見方はそうかもしれないけど本人は良かれと思ってやっているのかもしれないよ。

そういう会話をしてきた。
母は他の親戚の心配をしたり、それと比較してうちはとても幸せだと言ったりする。
それに対してわたしはこれまで怒りみたいな感情が出てきていたのだけど、今日はそういうものは出ず、その代わり「つまらない」という感覚が出てきた。

だから、つまらないなあ、と感じてみた。
なにがつまらないんだろうと。

母と一緒に楽しむことができないのはつまらない。
のびのびと自分らしく、自分の好きな話を交わせられないのはつまらない。
感覚を使って母と交流したいと感じないのはつまらない。

それは、つまらないなあ。

おもしろくするには?と、ただ今質問中。

PC、やっぱりダメかもしれない。近日電気屋さんへ行こう。保証書〜。


...

つらつら - 2011年01月16日(日)

寒いですねー。
職場に行く前に車の雪を下ろし、凍った窓ガラスを溶かして出発。
途中で職場で食べる食物を仕入れるためにコンビニによる。その隙に窓ガラス再び凍る。
ええー。



片付けの意欲はまだ落ちず、かといって徹底的にやるぜ!という日はまだ来ない。でも、やれることを日々やっている感じ。

毎日何かしら、今までずっと置いておいたものをどさっと捨ててはいる。
おもしろかったゲームは手放すかどうかでまだ止まっている。新し物好きだからもうやらないとは思うけど、自分の好みにばっちりあってるってわかってるものだからまたやりたい気もするし、でも新しいゲームもやりたくなるのがどんどん出てくるだろうなとか。ああ。
思い出に取っておくということはしないんだけど、まだ楽しめる!というもったいないおばけ的なものがあるなあ。
まあ、わくわくするから置いておこう。

まだ整理はしていない感じ。部屋はえらいことになっている。
服、この間トップスとボトムスだけやったけど、洗濯をしてまたたんすに入れるという段階で、もっとスッキリ納得した感じになる余地があると感じるので、またやりたい。
物にも決まった自分の場所があるっていいねー♪



最近PCの調子が良くない。キーボードやマウスが全く効かなくなっちゃったり、立ち上がる途中で止まっちゃったりする。
まだ全然保証期間中だから、続くようなら聞いてみようと症状をメモっているところ。
今日、ウインドウズから新しくファイルをDLしたから、それが効果的か様子見。



今日、本を読んでいたら「想うだけでなく話しかける」って文があった。
スピ的にも天使に自分から話しかけるとかそうだし、現実的にも当たり前でそうだね。

それを思ってたらまた「じゃましちゃいけない」が出てきたので、じゃましていこうぜーと答えた。

そうしたら、でもさーと返事が返ってきた。

でも、何を話せばいいんだろう。
そんなに時間取れないのに。
あえてその時間を作る、というのは、なんか変なフィーリングが来るから違うと思うの。無理してると思うの。自分らしくないと思うの。

なるほど、と思ってそれをただ感じていたら、気づいた。

「時間を取らないと、時間や回数を積み重ねないと仲良くなれない」という思い込みに気付いた。

結果としてそうなったりはあるけど、これ必須条件じゃないね!
積み重ねるものだ、時間をかけるものだ、って信じてたよ…。
1回の出来事で信頼できる人だってわかったりっていうことも経験しているじゃないか…。

思い込みってー。


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つらつら - 2011年01月15日(土)

昨日、タロットの火の9と思ったけれど、今日は火の7を自分の中に見ました。
焦る理由は火の7みたい。

今日仕事で機械がトラブって、起動しなおしたりしてた。大丈夫かな、動くようになるかな、とドキドキしながら。
そして、立ち上がるまでの待ち時間の時に、違う用件について質問されたのだけど、「忙しいのに!」といらいら。

でたでたー。いらいら出たなー、と感じていたら自分ツッコミ。

んーと、「今」は忙しくないよ。待ってるだけじゃん。

火の7を思って、不安だなあ、って味わってみた。
不安をちゃんと自分で感じて認めることなく、状況や周りとかでどうにかしようとするから、火の7になるんじゃないかなあと思った。

不安だなあ、と味わっていたら、明らかにわたしが知らないこと、できないことに関してはこの不安な感覚は出てこない、ということに気づいた。

わたしができるかもしれないことについて不安になるようだ、と気づいた。

ということは…。
わたしの奥底に、わたしの可能性を信じている部分がある、ということ。
可能性、信じてるんだねえ…。
そう思ったら、あたたかくうれしくなって、それまで味わっていた不安がそれに包まれてしまった。
不安も一緒にあたたかくなってしまった。

可能性を信じているから、期待に応えたくなったりするみたいなとこもあるのかもなあ。
(そして火の9…)

相手の期待をそのまま応えなくてもいいんだよーん。
「バクマン。」でも書いてあったじゃん。読者アンケートそのまま作品に反映させてもダメだって。確かにそんなマンガは予想どおり、驚きがないしでつまらんよね。

相手の期待そのままやることはない、でもおもしろさは期待に応えるマンガみたいなそういう感じをめざそう!と思った。


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つらつら - 2011年01月14日(金)

朝起きて、身体がかちかちだった。ほぐすためにシャワーを浴びた。


昨日今日で思ったこと。

わたしは、やってほしいと言われたりとか、必要性ってことだとかが、いらないものに関わるキーワードっぽい。いらないもの、その辺りになんかありそうな感じ。
冷静に考えればなにも問題がないのに焦ってみたりしている。だから、いらないっぽいなーと感じる。

今日もそれがあった。
今日の場合は他に焦っていることがあって、それの影響をそのまま関係ないものに対しても使った模様。
ちょっとしたらわかったので、関わったかたにあとから説明〜。
説明できるのはいいなあ。

もったいないおばけを意識しようと思う。
何かを後のお楽しみにしようとか、後にとっておこうとしたりするフィーリングが出た時に気づくようにしよう、と思う。

わたしがよく使うのが、「必要がなさそうだから、いらないんじゃない?」という思考。

今日の焦ったときも、「わたしがいなくても大丈夫そうだ」とそこから去った。
優先順位は「必要かどうか」。
楽しいんだろうか。。。

後から説明したら、相手の方からわたしと話したかったと言われた。
そっちのが楽しいと思うんだけど。。。

そして相手の方のような感情を、わたしはストップさせていたことに気づいた。
まねをして、「話したかったなあ」って気持ちを味わう。

「ひとりで大丈夫だよね」
不安だった時に母に言われた言葉、そしてそれに対して大丈夫としか答えることができなかった言葉を、自分も使っていたことに気づいた。
そうかー。そうだったねえ。
ありがたいなあ。。。気づけた。


わたしにとっては「使える」ってものはイコール、「使う」ことでも「使いたい」ことでもない。
使えるアイディアが出るとうれしいものではある。
そして、物を大切にしているような気になるものでもある。

本当に、人や物を大切にしようと思った。自分含めてね。


あら、いらないものに対しての思考も、わたしのよく使う「必要がなさそうだから、いらないんじゃない?」だなあ、と気づいた。

必要、ねえ。

と眺めてたら、また気付いた。
この「必要」、タロットでいえば火の9だわー。

しばし頭の片隅にカードを置いて、自覚してよう!



久々に他者ヒーリングをした。
ヒーリングの音とか香りとか感覚を使うこととか、それを一緒に楽しむこと、やっぱり好き。


...

つらつら - 2011年01月12日(水)

今日は久々に自分だけに使える休み!

というか、気分がそんな感じ。
これまでも行動としては自分のことだけやってる日は作れていた。
「決める」ってことを思い出してきたんだろうなあ。ああすてき。

午後から、家にある服全員とお話ししあう予定。お別れか、情熱を確認か。楽しみー。


しかし母とのことばかり書いているけど、父とのこと、なにも出てこないなあ。
ずっといつでも大好きだったし、尊敬してたし、ほめられたいとか好かれたいとか思わなくても、わかりやすく好かれていた&大切にされていたってわかる感じだったけど。(うう、感謝)

ほんとに、なにも葛藤がないのかなあ。一緒に生きてきて、なにもないってあるの?
今のところ、母に対しての感情を見つめる時の比較対象。

ほめられたい、でもなんでも「〜したい」「〜がほしい」って時は、自分に対して否定があるんだなあと改めて思った。

お父さんには、改めてほめられたいと感じる必要がなかった。もう満たされていたから。
お母さんには、ほめられたかった。なにかまだはっきりはわかってないけど、自分で「〜ができない」「〜は手に入らない」と否定してるものがあるからだろうなあ。

なんだろなー。



あと、きづいたこと。
仮に買ったもの。
これに、もったいないおばけがとりつきやすかったなあと。

あと、買った時は大好きだったけど、惰性で使っている感じになりやすいものの場合。
わたしの場合はそれは服。

わたしの大好きな読書(本)の場合。
いくら過去に楽しんだ思い出があったとしても、今おもしろいか?と見つめることがしやすい。
だから、1回しか読んでなくても即いらない、って手放し本コーナーに置いちゃうし、全く読んでなくてもやっぱり読まなくていいやと捨てたりするし、もっかい読みたいと思う本は新たな楽しみになり、本当に読む。(読みたいとまた感じるならば、何度でも)

本の場合、なんで「今」を見つめるのかしらと思ってみたら、「多い」からだと思う。
どんどん読みたいと感じる本を楽しみたいから。手放していかないと、どんどんたまるのが自覚しやすい。

服の場合、このテイストが好きって時にどかんと買うので、いつも買うって感じではなくて、だから見つめようとしないと見つめない。
なんかなじみやすい感覚もある。本にそれはないのだけど。

なんだろな、これ。
父との関係、母との関係にもどこか似てるかも。
本が父、服が母。



さて。
自分で書いたのを読み返してみたら、気づいたw (早いなー)

お母さんには、ほめられたかった。なにかまだはっきりはわかってないけど、自分で「〜ができない」「〜は手に入らない」と否定してるものがあるからだろうなあ。

なんだろなー。

ってとこ。

服と母とのわたしにとっての共通の思い込み。
「欲しいときに欲しいものがなかなか手に入らない」

これだ。。。
ちびっこだからサイズとかね、色とかね、デザインとかね。。。
必要な時にいつでも手に入るということを信頼してない感じ、これだ。。。

感じておこう。

そっか。
「欲しい時」が「必要な時」ってわけじゃないんだよ。
これまでも、必要な時には手に入っていたとしたら…。
ふふふ。


...

つらつら - 2011年01月11日(火)

毎日、なにかしら捨てている。
あーこれ、いらんわー。
あーこんなんも、あったねー。
捨てるって決めたまま、ずっと置いといたねー。

今日は座いす(先日売ったのよりも前からあるもの)、壊れたキーボード、壊れたマウス、もらったマウスパッド、服いくつかを捨てた。

これまでわたしにとりつかせていた、もったいないおばけは成仏です。ちーん。

というか、これだけぽんぽん捨てているとですね、買う時に真剣みが増すなあと感じます。
すぐ捨てるようになってはかなわんわー。
仮に買ったものは、「仮です」と意識して使ってみています。

で、捨てるのがマイブームになる前に、ノートに欲しいもの・買いたいものを書いていました。
読みたいとか使いたいとかを覚えておくために買うようなところもあるので、いやあ覚えておくためならノートに書いておくだけでいいっしょ、と書き始めたのですが。

今年になって始めて13こ書いて、本日11日現在、そのうち6つは買う前から「いらないもの」になっています。
はあーん。(^_^;)

今日も住み心地のいい部屋・生活にするべく欲しいものが出てきて、9こ書こうとしたのだけど、ノートに書く時点で3こ「いらない」と消されたw
なにげに片づけノートの役割になっている。。。



母に会ってきた。そして兄にも電話。

なんか感情とかいろいろブログに書いてるわけですけど、現実に起きていることと比べると別世界のようだ。
現実は、かるーい。
助けてもらえているし、不満をぶつけるでなく、でもこうして欲しいと思っていると伝えられるから、すごくあっさりさっぱりしている。

だいじょうぶだなー。おもろいなー。と感じる。
自分のことがわかって、伝えられるようになってきてる。楽だー。

わたしの内部、出てくるから本気でとりくむけど、それがイコール状況ではないということがわかる。
内部のどろどろを通して現実を見るか、それとも、どろどろがあるのだなということと状況とを遠くから見る感じでそれを現実としてみるのとでは、それは全然違うなあと思う。



もったいないおばけが成仏に向かっているため、母が使わないものを欲しがっても、まーいっかーみたいな気にはなってきている。

欲しいの手に入るの楽しいもんねー。
わたしもなんだかいっぱいあったしー。

でも、なにかが引っかかっている。
これは意識しておいた方がいいかも、あとは今の感じでいいんじゃない?みたいな。ただ買い与えるではない、みたいな感じ。
うーん、なんですかね。
もうちょっと見ておこう。

この間、母が欲しがるものを子供たち全員、「使わないじゃん!」と反対することも気づいたw みんなでパターン化。
使わないから、という理由でなくなったとすると、このもやもや、なにがでてきているんだろうなあ。


あーわかった。(早)

感謝できるかどうかだ。
買ってくれた人にとかではなくて、物そのものに対して。来てくれてありがとう。役立とうとしてくれてありがとう。

えーと。
いろいろ考えず、まず自分がやろう。



ちなみに。

最近のお風呂アロマは、ラベンダー+カモミール+プチグレン。
リラックスと自分らしくってことを意識したブレンド。
アロマに感覚のサポートをもらって、「あ、なんかわかったぞ」とひらめいたり、「あれ?何の気なしにできちゃった!」と行動して、それを見本に自分で意識してやってみる、みたいな感じ。

わたしのお風呂アロマは、ラベ+カモのペアはゴールデンコンビ。


...

つらつら - 2011年01月10日(月)

母に会いたいという積極さが少ないのはなんでかなーと見つめた。
出てきたのは、これを言われたくないから。

1、「これをやらないで行っちゃったでしょう?」
母が感じるわたしの不足を指摘すること。

2、「ごあいさつの品を買って、ああしなさいこうしなさい」
「○○ちゃんにお祝いをしないといけないから、ああしなさいこうしなさい」

なにがいやなのかなーと見つめたら、2の場合は「やらせられる」感があるなとわかった。

そしてこれまでしてきた方法は、
A、本気で聞かない。スルー。耳日曜。
B、自分のいやだなという気持ちを無視してやる。ごあいさつとかお祝いとか正しいし、とやる。

でも、もうこの方法はやめたい。

とすると、やることは。

1の方では、
「これやらないで行ったでしょう?」の時の感覚を思い出して、そう言われるのいやだなあ〜、と感情を感じる。
そして、なんでそれがいやなのか問う。

2の方では、
「ごあいさつの品を買って…」「○○ちゃんに…」の時の感覚を思い出して、やらせられるという感情、やってもやっても次から次へと終わりがない感じを、いやだなあ〜、と味わう。
そして、なんでそれがいやなのか問う。

2の方を感じていたら、気づいてきた。どうしていやなのか。
「わたしは自分では決められない」と感じる模様。
「自分では決められない自分にされる」と感じる模様。
だから、いやだ。

そうなのか、と味わったら、どうやら1の方も同様だということに気づいた。
「今のまま、ありのままで充分ではない自分にされる」と感じるらしい。

なんで充分じゃないと感じることになるの?
お母さんの言葉で。

わたしが充分だとわかっていれば充分だよね。

ということで、やることは。
感情を感じること。そう言われるのはいやだなあ、って感じること。
そして同時に、「わたしは自立を望んでいる」と自覚していること。

以上〜。
ほんと、答えが早くて助かる。(胃腸が)

ちなみに、「わすれたくない」って感覚がよくあったのだけど。
今回も潜んでた。
2の方で、次から次へと言われる時に、「覚えられない!」とぷんすかモードが来てた。
ぷんすかするのは、わすれなかったらほめられる、があるなあ、って。

でもそれ、ほんと?
これまでを思い返すと、わすれなくても次を言われてるだけだよね。
いつほめられるの?
ほめられるまでわすれないようにがんばりつづけるの?
うわー。やだね。

自分で自分をほめよう。


...

- 2011年01月09日(日)

久々に寝汗をかいて起きた。
わたしはストレスがたまったり疲れていたりすると、どうやら寝汗をかくらしい。これまでを踏まえると。
掛け布団、夏の肌がけ+タオルケットなのだけど、汗。

昨日出てきた、ほめられたかった、という気持ち。
そして、怒っている気持ち。

それ以上つっこんでなかったのだけど、奥にあるものが出てきた。

伯母との関係性も関係している模様。

わたしは伯母にすごくかわいがられた。
伯母の家で幼い頃はずっと住んでいたし、小中学生の時までは夏休みなどは泊りに行っていた。

でも伯母と母はあまりいい感じに見えなくて。
直接対決はないのだけど(穏やかに笑顔で話す。わかりやすいのが好きなわたしはちょっとこれも嫌だった)、互いに対してあまりいい感情がないのだなということはわかる感じだった。
どちらのぐちもわたしは聞いてたし。

で。
わたしは伯母も母も好きで。

わたしが「ほめられる子」だったら、母が伯母にわるくいわれない、という取引のようなものが見えた。伯母へのアピール。

そして、わたしは伯母のもとでは好きなことができた(やりたいということをやらせてくれた。習い事も。)から、自分らしくいられた。それを母に知ってほしい気持ちも、「ほめられたい」に繫がってたと思う。
のびのびやらせてもらって、「ほめられた」よ。おばさん、感謝するようなひとだよ!って母にアピール。

母のところでは自分のやりたいことをのびのびとできない、反対される、という思い込みも見つけた。

それでがんばってたり、怒ってたりしたのだなあ。

伯母も母も好きだけど、現在どちらにも会いたい気持ちが少ない。
がんばるの疲れるって奥の方では嫌がってるんだなあ。
怒るのも疲れるもんねえ。

ということで、好きだけど最小限で会う、ということを自分に許可することにした。
これまでと見た目的にはあまり変わらないかもと思うけど、これまでは逃げてたから「行かざるを得なくなって」みたいな感じがあるし、必要以上に行っている。行ったら喜ぶよねとか、文句言われないよねとかおかしなものもあった。

ということで、喜ぶとか文句言うとか、まあそれはわたしではなくて相手の問題だった、とやっとこ気づいた。
気づいたー。

自分のハートの望みを叶えてくれる人が好き、叶えてくれない人は嫌い、って風ではないってことだね。

自分で叶えるトレーニングができるようにしてくれてるトレーナーが母。
だから好きなのかな。
もう疲れる必要ない。あと少し。


追記。
まず上記のこと。
「必要最小限以外、行かなくてOK」と自分に許可したら、どうでもよくなったw


それからまた気づいたので記載。

わたし、がんばってきたもん。
やれることやってるもん。
おもいつくことやってるもん。
わたしのせいじゃない。
わたしはわるくない。
あとはしらない!

こういう怒ってるフィーリングが時々あった。例えば兄が金銭的にも行動でも2年間何もしないということに対して。
実際はそんなに行動としてはがんばっていないのだけど、気持ちががんばってるフィーリング。

で、これはなんだろうなーと見ていた。

そしたらわかった。
「自信がない」んだ。ということで自分と対話。

Q、じゃあさ、手伝ってもらえば?言えない感じ?

A、ううん。言うことに対しては「いいにくい」とかそういうのはなにもない。
でも、頭で整理するとそれは「わたしができなくもないこと」だったり、相手の人にお願いするのはその人がわたしよりも負担が大きいように見えるなと思ったりすることだから…。

Q、だから「言わない」んだね。でも、もやもやもある感じね。
…あれ?できるのに自信がないの?

A、一緒にやってほしい。
できるできないじゃなくて、わたしは一緒に協力してやってもらいたかった。
ひとりでやるのが不安だった。一緒にやってもらえば不安じゃなかった。

Q、なるほど。
これって、一緒にやってもらった時にまるなげ感もあるね。この間もきづいたし、今日も「あとはしらない」って、これ大本は同じやつだね。

ひとりでやっても一緒にやってもらっているような安心感があればよさそう。
たとえひとりでやっても、一緒に手伝ってもらうとしても、その安心感とともにあるといいよね。安心だからひとりでやる、安心感がないから手伝ってほしい、じゃなくて。

ハートの望みが自立だったりするから、ひとりでやりたいとかがんばっちゃうとかあるのかもだけど。

まあ、不安だったなあ、不安なんだな、不安ですよ、と認めれば…あとはOKっぽいね。

自立が望みだから、「不安だから一緒にいてって言うのも違うだろ!自分で解決することだろ!」って思うからがんばっちゃうんだなー。
自立が望みでもなかったら、その辺ゆるーく行けるんかもなあ。もしくは「不安だから一緒にいる」ってことを問題視しないんかなー。

と、スッキリしたので記載。
がんばってたけど、やれること、やってないことあったね。気持ちの面で、ふたつ。
リラックスと、それから不安だなあって自分の気持ちを認めること。
これをすればもうそれでこの課題攻略っぽいし、がんばることもなくなる。


...

つらつら - 2011年01月08日(土)

今日は休みだったので午前中から活動。

まずはデパートで買い物。
お目当ての本を買いに本屋さんフロアへ。
本の種類からしてこの辺だろうと見極め、でも書棚はかなり大きいので、よっしゃー探すぞ!と顔をあげたら、そこにあった。早いなー。
今日は本にはそれほど用はない(家に読みたい本はたくさんある)ので、さあ帰ろうと思ったら、「あたらしいみかんのむきかた」というすてきな本が目にとまったので立ち読み。
すてきだった…。

今度はふらりと下着屋さんへ。
ときめかないものは捨てる、ということで、パンツもこの間からぽいぽい捨てているので、すてきなパンツあるかなー、と軽い気持ちで行ったのだけど。

あああ。

トレフルっていう、ワコールの高級ブランドのぶらじゃーみたら、あああ。
なに!すんごいかわいいの。
すんごい好みなの。
刺繍の色がたくさん種類使っててすてきだし、ベースの生地の色もとても微妙な、パッとわかりやすい色ではない色合い。

ほげー。目が離せなくなる。
サイズもあるっていう(わたしはアンダーが細い)。これから発売だから予約だけど。

値段。
ほげー。
矯正下着でもないのに、ぶらじゃーだけで15000円とか25000円とか、するよ…。
3種類も欲しいのあるよ…。
買う予定特になしで行ったのに、1時間半くらい下着屋さんにいたよ…。

わたしは値段にどびっくりして引いたのだけど、それでも目が離せない。
楽しくて仕方ない。

この楽しくてぷかぷか浮いたまま決めてしまうことは「NO」、という答えが自分から来たので(ちゃんと自分に聞けた…)、一度持ち帰って考えることにしました。

で。
買うと思いますー(^_^;)

なぜなら、自分のときめくものだけ欲しくなっちゃってるからです。
ときめかないものは捨てる、ということを始めてるからかなあ。

というか。
この後、スーパーにも行って下着売り場見たのだけど…、まったくときめかない。下着はこれまでも全くときめかない時はときめかないって部分はあったのだけど…。
触り心地、デザインや色づかい、機能性、…。

しまったー、いいもんみちゃったなー、と思ってる自分に気付いた。
そうそう、「知らなかったら幸せだった」みたいな。

でも、そのときめく下着を試着してみたら、「わたし、これじゃ、今のままじゃいかん!」って思ったとこがある。
下着すっごくかわいくて、いやそれならわたし、もちょっとやる気出してこうよ!もっとこの下着が似合う女子になろうよ!みたいな気になった。

だから買いますー。

今後は全部そのブランドでーとかはないけれど、わたしにとって、やる気が出るカンフル剤になるみたいですなー。

そういえばこの間、下着屋さんの夢を見てたね…。
いやあ、その時にわたしが求めてた下着、そのまま来たw


あとは、いらないものも少し売った。

ああ、このままだとごはん食べずに夜になってしまうということで、15時くらいに一度帰宅してご飯を食べ、今度は入院中の母の顔を見に行ったり、新しい座いすを買ってきたり。

そしてとっぷり日が暮れてから帰ってきた。
つかれたー。

今日は微妙に引っかかることがあったなあ。
正直を意識してないと、確実にスルーしてるくらいのもの。
なんだろう。わかんないけど。


さて、やっとおやつを作って本が読める時間だ…。
いつ本格的に片づけは始まるのだろうか。
やる気だけ高まっている。
なるほど、じらしですね。



追記。

今日はなんか引っかかりが出たけど、もう落ち着いてきたのかな。どーんってわかりやすくでないくらいになったのかな?

と思ってみたけど、そんなことなかった。

引っかかった場面をもう一度思い返してみた。

わかったことその1。
わたしはそれをしたいと思っていないからしたくないのに、したいと思ったらやるのに、したいと思っていないことがダメなことってされていたことに気づいた。幼い頃からそれがずっと繰り返されていたことに気づいた。
わたしがどうして怒っていたのかがわかった。
したいと思わないといけない。ぜんぜん自発的でない。

ちょっとしばし怒っておこう。
(他の方法が思い浮かばず、まだそこで止まってる感じだから)

わかったことその2。
「懐中時計が欲しい」という母に対して。
本当に使うのだろうか?といらいら。
実際、買ってあげてうれしいことがあまりない。自分が希望したものであっても、使わないから。

それと繋がる記憶は、わたしが小さい頃、変な色のジーンズを母が買って、一度も履かずに押し入れにしまおうとしている。そして「大きくなったら履いていいよ」という。
そのズボン、履きたくないです。
それを何度言っても聞いてもらえず、「大きくなったら…」の繰り返し。
わたしは母に聞いてもらいたかった。わたしの言っていることを。伝えているはずなのに伝わらなかった。伝わってほしかった。嫌だということを。

どう母と接すれば楽なのか、そのうちわかるだろうから、今はじっくりこれらの感情を味わうことにする。

ちなみに、父に対しては「ほめられたい」って感情は特にないなあ、母にはあるみたいなのに、と気づいたので見つめてたら、今日のことにつながった。

伝わらないと感じていたんだなあ。だからほめられたかったんだなあ。
ってわかった。


...

つらつら - 2011年01月07日(金)

寒いよー。
ぴゅーぴゅーだよー。

逆転検事2が2月に出るのね!
きゃー。それまでに読みたい本を読み終えたいし片づけたいし!

まあそのうち、また一気にゲームマイブームになるであろう。
モンハン3も気になるし、買ったままの零の軌跡も当たり前にやりたいし、ケータイゲームもやりたいのDLしてあるし。ゲームだけでもやりたいことがたくさん!ああ、フリゲもある! 楽しみ!


これまで疑問に思わなかったことに疑問を持つようになっている。

なんで人はこう行動するのかとか興味があるのに、個人のプライベートにあまり興味を示さないところがわたしにはある。

以前は、自分があまり踏み込んでほしくなかったって気持ちがあったからなんだけど、最近そうでもなくて、だから今はなんでかな?と思った。

そうしたら、信用していない自分が見えた。
不正直なものを見て、その情報は信用できないから興味が惹かれない、という部分があることに気づいた。

でーもー。

同時に、それが真実であることにも気づいた。
不正直だったとしても、真実。
それを含めて「今」の情報。
信用できない、と思いこんでいたわたしの一部が、真実だったんだ、って聞いて喜びでいっぱいになった。
よかったねー。



ちょっと方法を変えてみたことがある。
とてもらくちん。
努力する必要ないじゃんと思った。自分の欲しいものが何もしなくても手に入っている感じ。
そのまま進もうと思う。どうなるんだろうなあと観察しながら。



片づけ、なぜかする気になっている。
片づけ本も、なぜか読む気になっている。
気持ちが片付いてきたのかなあ。
毎日少しずつ、これはいらないもの!ってゴミ箱に入れたり決めたりしているからかなあ。

まあいい感じということで。

でもなんだか胃腸に来ているw
体内も掃除中ー。


...

つらつら - 2011年01月06日(木)

母が昨日入院した。
父が亡くなってから、それまで病院とは無縁に近かった母が何度も入院している。
で、入院するたびにこれまでの入院した経歴みたいなものを書くことになるので、そういえばよく覚えてないなとカンペ作っておくことにした。

そうしたら気づいたのは、2006年から1年〜1年半おきに入院していること。
そして、そのたびに出てくる自分の気持ち。繰り返しているものと、もう繰り返してないことに気付くもの。

何かあると思えてしまう。

だって、大抵こういう時って状況は整っているのよね。休みだったり時間があいてたり、それだけにちゃんと取り組めるように整ってたり、それに使うによいような物も前もって買ってあったりする。。。
(違う意図で買ったけど持っていくのを忘れたりして手元にあるとかのパターン)

いい機会なので、ちょっと(とことん?)見てみようと思った。
とりあえず全部出してみよう。

少し出してみたら、胃がぐるぐる。右半身は緊張。やあ、なかなかの反応。
それなので久々に自己ヒーリングしたら、胃と両腕がカイロくらいの熱さになった。やあ、なかなかの反応。

見て見ぬふりして無理やりOKを自分に出すことがあるなーと思ったりとか。

自分がどうしたいかがはっきりしてないから、頼りたい気持ちがあるのになにをお願いしていいかわからなかったり、これをしてほしいっていうのはどうなんだろうとか迷いが出たりするようだなあとか。

母の世界にわたしは自分のルールで体験しようとしてたから、混乱していたような気もするなあとか。

情報がたくさんあるほどに、自分の決定を周りの価値にしておくと混乱するということも気づいたりも。自分の好き嫌いがあって、それで情報が役立つということ。

あとは前もって気持ちを準備するところがある。
自分に困った状況を前もって想定し、いろいろ用意しようという感じ。それで身体、特に右半身を緊張させる。

これはどうやら準備しておかないと対応できないと思ってるみたいだったから、その時その時に対応じゃダメなの?と自分に聞いてみた。

そうしたら、今のところはダメだそうだ。ダメというか、うまくはいかないよと。
なにが好きでやりたいことなのか、そしてなにができてなにができないのか、好きなものの中でどれが優先か、そういうのを見つめる時間が今のところ必要。
その理解のための時間。

好き嫌いがわかっていれば、その時その時で対応ができる。
それがどんな状況であっても、自分を緊張させることはなくなりリラックスして対応できるので、問題は何もない。
できなくてもうまくいかなくても、緊張せずリラックスしているのだったらどこが問題だろう。

そしてその時の状況、その時のわたしの状況に最も適した行動ができる。過去に使った行動を思い出したり使いまわしたりする必要もなく。

相談というのをわたしは、「自分がこうしてほしいと決めること」とは思っていなかったようなところがあるなあ、とも思った。
気持ちを落ち着かせて、困っていることをそれで証明できたからあとはよろしくね、みたいな。
わっおー。

あとは、他者がある言動をしたらなんか気になるし、他者からそう言われたら失礼な人だと感じることを、わたしは母に思っていたことにも気づいた。
これはちょっと気づいてよかった、と実感。
そう感じていること、全然自覚してなかった。
そして、その言葉の裏の感情に気づいたら、もうそれで満たされてしまった。。。

自分の好きとかそうしたいとかよりも、今どういう状況かというのが最も優先されてたことも気づいた。

その状況によって好きとかそうしたいの気持ちは変化するのに。

状況を把握することも大切だ。でも、自分のやりたいことや好きなことを明確にすることに使わんでは意味ない。

昔よりも、自分の嫌なところがたくさん見ることができる。
ちゃんと、見ることもできる。
意識の自分が嫌うことをする自分を見ると、昔は「こんなわたしは嫌いだ」と全否定だったけど、今はそんなことよりも「嫌いなのにどうしてそれをするのか」が気になる。

あと、基本的に「自分らしくいられない」とか「自分の方法でできない」という場合にぷんすかするということに気づいた。ハートの望みができないと感ずる時。
というか、そういう時しかぷんすかしない模様。

例えば、「眠らない」という時の眠たさにはいらいらしない。
でも「眠る時間をじゃまされた、減らされる、なくされる」という時の眠たさには、いらいら。

いろいろわかる。
そして多すぎて整理する気がしないので、メモとか残しておきたい気がしない。少し前までは、それを覚えて身につけるためにとか、覚えておきたいからとかで取っておいたのだけど、もう多いとめんどうが勝つw

今度、そういう方向で来た?(^_^;)


...

つらつら - 2011年01月04日(火)

パニック!という時によく出ていた、ぷんすか感情。↓

「わたしだってわからないのに、一生懸命やってるんだい!」

「どうしよう!わかんないよう!」

「正しくなければいけない!そうでないと悲しいことになってしまう!」

「わたしばかりに責任負わせてるからこういうことになるんだ!思い知ればいい!」

理解したのはこれ、「うまくいってる」ということー。

わたしの人生の課題、OSHOタロットでの意味とあわせてみると「わからない!という場所でリラックスすること、リラックスしていること」が課題なのよねえ。

どうするかとか、それが成功するかとか、そこじゃあなかった。
やることは、ただリラックスだった。
リラックス。

なるほど。。。



片づけない理由。もう何個目か忘れたけど。
段々と核心にきてるなと感じる。

わたしは、やることがある(目の前にそれが見えている)と安心するところがある。
それはなぜかというと、暇だとうつっぽくなるから。
寝てしまう。やる気がしない。なにもしない。

そうなるのを防止していることに気づいた。

なしてうつっぽくなるの?と聞くと、どうやらそこに自分の価値とか、存在理由を置いていて、それがないと感じると…らしい。

うーん。
自己価値、存在理由か。
片づけないんではない、違う方法ー。ぎぶみー。



追記。

いろんな思いや考え、こうしなければならないとか、こうしたほうがいいとか、それに絡む感情や、物理的に可能なことかどうかとか。

そういうのがごちゃー。

前までは、そうなるとどうしていいかわからなくなってたし、結局がんばってみたりとか、すべて見なかったことにしてなにもしない(←居心地よくない)とかだったのだけど、この前やってみたら、紙に書き出すということはわたしにとって使えること、ということがわかったので今回またやってみた。

そうそう、またごちゃーっと出たわけで。
今回の場合は人に伝えるためにそれをし始めたのだけど、まあ自分の整理になることは同じ。

で。
書き出していたら気づいたのだけど。
いいわけ、いっぱい書いてるなと。
どんどん出てくるだけ書こう、出し切ろう、と思った。
いいよー。自分のことだけを考えたことを書いても。どんどん書いちゃおう。

書きだせることがとてもうれしい。
いいわけするなとか、そういうことはよくないとか、こうした方がいいよとか、そういうのなしに、あーそうなのね、とただ受けとめられているように書ききる!
それがスッキリする。

そして全て出てきたら、客観的に見る。前もやったのと同じように。
そして、文字として出てこなかった自分の気持ちやなんやかやを理解したりできる、という第二部の楽しみに移る。

これをしていたら、あれー。片づけない理由もこれと一緒だ?と思った。
片づけない、感情的・感覚的に出てくる言い訳をどんどん出す。書ききる!w

わたしの場合は特に、前に言ったことのある言い訳を何度も使いまわすことは、自覚がある場合、すんごく違和感が出る。
なんというか…同じ話を耳にたこができても何度もされる感じというか…つまらん!と思うところがある。

だから、出てくる理由はいつも違うものなのかもしれないけど。
今後、この調子で行くと言い訳をすることも飽きるというか、存分に言いきったぞ!と満足する時が来る。
それを想像すると、今も片づけ中だなーと思ったりする。

…と書いてみたら、なんかそうして引きのばそうとするような、おかしなフィーリングが来たw

ちがうー。そういうんじゃないー。
言葉にしてるとちがうものに変わるから、この辺で。
まだふわっとしてる。


...

つらつら - 2011年01月03日(月)

「初夢はドラマ仕立てかー」と思ったことは覚えているのだけど、起きたら忘れた。

今日は、女の子に振り回される夢を見たw
夢の中のわたしは男の子だったのかな、よく覚えてないけど、女子のわたしでもこの感覚すっごいわかるー(T_T)

高級列車に乗っている。
わたしの望んでいない愛情、重い愛情、たっぷりの愛情、返さないことに怒っている愛情を察して、わたしは彼女から逃げていく。なるべく離れていようと逃げている。

ドアはたくさんあるのだけど、他の客室だったり浅めのクロークだったりして隠れられるところがない。

で、追いつかれる。

わたしは逃げていたことをとぼけて、にこやかに穏やかに彼女に接する。高級列車の中がどうなっているのか見るのが楽しくて、こちらの方まで来てしまったよ、なんて言ってる。

逃げていたことを察しているが彼女はそれを認めたくなくて、どうにかわたしと一緒にいなければならない「理由」を作りだす。

この時は靴だった。
ブーツの方がいいよと勧められたらしい。
自分でブーツがいいと彼女自身が思ってるわけでなく、ただわたしを店まで共に連れ出すための理由。まさか1人で行かせないわよねと。

彼女はもともと華奢な靴を履いていたのだけど、こんなのダメだわ、と裸足で歩きだした。
車内は絨毯敷きなのでともかくとして、そのまま街を歩いたら彼女の足が、と心配して今ある靴をとりあえず履こう、と勧めても、それがわたしの「ブーツを買いに行く必要はない」という意思表示に聞こえるらしく(わたしはそのつもりはない)、がんとして聞かず怒ったまま行ってしまう。

わたしは追いかける。彼女の姿は見えなくなってしまった。
追いかけながら、彼女の愛情の受け取り方を変えないとこれから先もずっとこうだな、自分の気持ちを確認して彼女と話し合おう、と思った。

お店は昔のデパートみたいな雰囲気で、建物の1Fは女性の下着(かなりかなり大きいサイズ)ばかりを売っている。
下着が下着の役目を主張するでなく、かわいらしく感じるものが好き。だけどそれを彼女に言っても伝わらないんだよな、みんながそういうものだと思い込んでるのはなんなのだろうな、と思う。

1周回ったところで女性店員さんに彼女を追いかけていることを気づいてもらえて、靴売り場を教えてもらう。4Fだそうだ。エレベーターがなくて階段があるのでのぼる。

階段の途中で友人(女子)に会う。
彼女と自分の意思の疎通がうまくいっていないことは気付かれていないようで、そこにほっとした。

という内容。

あー。すごいわかる。
いらないもの盛りだくさんな内容だなあ。ちょっと味わってみよう。

ということで、夢辞典を見てみた。
調べたキーワードはこれ。↓

旅客列車・・・不要な負荷を運んでいる

逃げる・・・自分から逃げること

ドア・・・自分を見つけるためのチャンス。みんな開くし、たくさんドアはあったのだけど、「逃げる」ためのドアではなかった

隠れる・・・与えられた状況に取り組むことを恐れている。不正直。

靴・・・基礎知識。自分を守るもの。他人の言葉をうのみにして履きかえる態度を見てどう感じるか、自分の感情を見つめた。

1・・・新たな始まり

4・・・パートナーとのエネルギーのバランス。完全にバランスを取ること。

下着・・・本当の自分を包み隠している、自分のある側面。隠すとか保護するとかの役割を強化ではなくて、包装紙みたいに内容を引きたてるものが好き、みたいな感じかな。

店員・・・変化。新しいアイデア。他人の請求書を支払わないように。

階段・・・人生が正しい方向へしっかりと進んでいる。自分の歩みで。

友達・・・あなたが身につけようとしている、自分で気付きにくい気質。あ、なんかすごいわかる。


自分が何を避けたり嫌がっていたりしているのかがなんとなくわかったー。
そして、うまくいってるよ!自力で進んでるよ!と励まされているようにも感じた。

で。
ひさびさに、「まぜまぜ」してみた。イメージワークで、女の子の「こんなに愛しているのに!」というエネルギーと、男の子の逃げたいけどへなちょこで受け入れちゃうようなエネルギーとをイメージして、まぜまぜ〜。

まぜてまぜてできたエネルギーは、ただ真摯に「愛しているわ」という与えるエネルギー&ありのままをどーんと受け止める包容のエネルギーになった。
軽いししっかりしてる!

やっぱりこれ、使えるなー(^-^)

と書いてみて思ったけど、女性が与えるエネルギーで、男性が受け入れるエネルギーになってるね。
あれ?あれ?一般的に言われてるのと逆じゃない?わたしの内部の話とはいえ。

ふーん?


...

つらつら - 2011年01月02日(日)

時々ちらちら出てきてた気持ちを理解した。

その1。
「周りから認められたい」

自分で自分を認めていないからこの気持ちが出てくるわけだ。
んじゃ何を認めていないのかと、自分に聞いた。

このままの自分では充分ではない、と思い込んでいる。

ここで最近のお気に入りツール、数を使用すると。
わたしは「変化」を人生のテーマでやってるので、「このままでいるのは充分ではない」と感じるのはそれでいいというか、むしろうまくいってんじゃん!間違ってねーぜ!という証明じゃないかとわかる。

「今の自分は充分」
変化の先の明日に目線があるから、今の自分を不十分に感じてる。
それなら、今日も明日もどちらもいっぺんにみるといいのだー。

と、理解。

数によって全然違うんだろうなー。
例えば安心をテーマにするひとだと、自分の内側に安定を、みたいな展開になるかもだし。

その2。
「放っておいてもらいたい」

自分で自分にスペースを与えていないからこの気持ちが出てくるわけで。

おもしろいなあと思ったのは、放っておいてほしいから単独行動を取った(状況を希望通りにした)としても、放っておいてほしいからもういろいろ言われないようにええいと引きうけてしまったとしても、外側ではなくて「自分の内側で」与えていないと、また「放っておいて…」と思う状況になったように感じることになる、って気づいたこと。

ふ。
鼻で笑った。ちょっとだけトリックがわかった…。



周りの人とかタレントさんとかの数を計算して、ピンと来るようになってきた。この人、あの数持ってるっぽいなーとか。
ちょっと苦手と感じる人や興味が惹かれない人は、ここにこの数字がある人が多いかも、とか。
興味を惹かれる人の数字のバランスはこんなだなとか。(この数字が好き、という感じではない)

苦手意識は、自分の数と関係しているんだろうなあと思う。
自分自身を充分に出せないように感じるのかも。苦手意識は。
でも、それも自分が許可してれば相手が禁止しようが関係ないんだよなあ。
自分が許可していれば、苦手意識のこの感覚も変わるのかなあ。


去年と全然違うなと感じるのは、自分がわからん!と感じた後で、理解するのに行動できるようになったこと。謎ときができるようになってきたこと。
わたしにとって、とても大きい。



自分が好きなものに関しては、自分で選べる。
でも、自分のよく知らないものをそれを好きな人(詳しい人)へ贈る場合、自分の感覚でいいのかな?と思うことがある。相手に喜んで欲しいから、逆に贈れなかったり、お店の人の意見を聞いて購入したり。
本人に聞けばいいとも思いつつ、突然品物をあげてサプライズで喜んで欲しい自分の気持ちが優先されるなあ。

あとは自分の感覚を使いたい気持ちもあるなあ。
お店の人の意見を聞いての購入が、いいようなそうでもないようなという気持ちはそこかなあ。

おもしろいのが好きなのか、それとも相手の好みを最も優先させるのか、と思った。
後者は追っかけると難しくなるぞうー。ほどほどに手放そうw



わたしは、こういう可能性もあるなあ、と思うことが多い。
それはあってることもあるしあってないこともあるけれど、初めから「これはAだ」って決めてる人を見ると、なんで?と感じることがあった。

なんで?じゃなくて、他の可能性を見られる自分を活かしたいものだー


...

つらつら - 2011年01月01日(土)

あけましておめでとうございます。

新年ということで、今年の抱負。

・自分らしさに磨きをかける
・意識的に時間にゆとりを作る
・自分の「良心」を見つめる(かちかちの原因になるから)
・少しの愚かさと少しの知恵、を意識する


まじめと言われて、ん?と思った。
まじめなつもりが自分でないことにそう言われると、自分のフィーリングはこうなるわけね、と確認した。

わたしはただ、まっしぐらに、自分の行きたいとこに行きたいだけ。
うーむ。それが他人の目には「まじめ」って見えたりするのだねえ。その人が楽しいと思うことではないことなのだろう。うん、そうだろうなw
そのつもりはないパターン、無視することもないけど気にすることもないなあと、これまた確認した。多いし!



ドリームマッチを見た。

やー、涙出るほど笑ったのが、設楽(バナナマン)&高橋(キングオブコメディ)組と、富澤(サンドウィッチマン)&後藤(フットボールアワー)組。
おもしろかったなー。

目的がさっさと決まる組や、普段ネタを作る側の人が入ってる組は見てて安心。2人に温度差があるかないかも結構ちがうかもなあ。温度差があると片方が(両方?)妥協するもんねえ。

そして、また気になった方の数字を見てみることにしたw
ひとのやりとりとかが見えると、ちょっと興味が出るようになっちゃった。


...




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