日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2010年02月28日(日)

自分の物事に対する対応の仕方(レスポンスの仕方)を、細かい部分ですが少しずつ変えようと調整していて、最近はそのデトックス効果もあってかいろんな感情が出てきていました。

わたしは精神的に強いという感じではないので、結構へろへろになってしまうのですが、まあ案の定よく眠る日々が続きました。
(葛藤がなくなったら睡眠時間が変わりそうだなあw)

呼吸法は毎日2種類やっていたのですが、しんどくて両方はできない、もしくは効果が乗ってくるのがわたしの場合は15分過ぎたくらいからなんですが、これからというような程度でやめてしまう感じでした。

呼吸法を続けて1ヶ月の状況がこんな感じです。

始めた当初は、呼吸法をしたら全てがスッキリして、0から始まり0で終える、という感じというか、自分が決めたらいつでもここに戻ってこれる、という確信を持てる感じだったのですが。
最近は、呼吸法をしてもどこかがスッキリしきれないで「あるな…」と観察できる部分があって、そもそも呼吸法すること自体がなんかしんどくて、って感じでいて。

そうこうしているうちに、女子フィギュアフリーが始まって。
これまた、いろんな感情が出ることになりました。
楽しい、うれしい、くやしい、美しい、かっこいい、…。

スッキリしていない状態でたくさんの感情が出たためか、特にその中で「くやしい」フィーリングに助けてもらったような気がします。
わたしのスッキリしていない部分と、それと同調しやすかった「くやしい」のフィーリングが混じりあい、そして「くやしい」と同時にあふれてくる「うれしい」や「たのしい」「すばらしい」というようなフィーリングが、それらをスポン!と引き抜いて(っていうのか?)くれました。

ということで、現在とてもスッキリしてます。

わたしの細胞の外に出てくれた「くやしい」のフィーリングは、冷静に観察するごとに、歓びのフィーリングに変化していきました。
全くもって、試合後の浅田選手の状態の移り変わりに、思いきり乗っからせていただいた感じですw

くやしい、ってのはサバイバルっぽいから身体意識からなのかな。
歓びは、大きな視点でみることから出てくるから魂からなのかな。

身体意識だから試合直後に出てきやすいかもなー、なんても思ったり。

話が変わりますが、浅田選手はタロットイヤーが8なんですよね。
天才少女〜って出てきたけど、意志の強い大器晩成型。
8の人は、コツコツゆっくり、自分で確認調整をしながら安定感を持ってやっていく感じ。インタビューとか聞いてても、「あー、8っぽい」と思いながらいました。
だから今後が楽しみでなりません。いろいろな面、可能性を見せてくれそう。

ちなみにキム選手のタロットイヤーは6。人間関係が自分の喜びともなる調和の人なので、側にいたら居心地良さそうですね〜。女性的なやわらかな表現力が得意なのも納得します。もてそう〜。


浅田選手のコメントで、周りの空気を自分の身体に入れないようにした(キム選手の演技の後の空気)、というのがありました。
センタリングして、自分の演技をするということから。
でも、さらに高みに行くのであれば、
「これを相手が決めると自分は負けるとわかっていても、相手の成功を喜べる」
「相手の成功すら自分のパワーとする」
ようになったら、周りの人はいい演技をしてもプレッシャーをかけられないとw

いろいろ技術が上がって、えらい得点が出たりして。
「レベルがどんどん高くなっちゃって大変だなー」と評する方もいますが。
わたしは素晴らしいことだと思います。
それが選手が枷にするのであれば別ですが、そうではないのなら明らかに意識の面でも技術でも、人間として充実したところに行けるような気がするのでした。


今回のフィギュアを見てて思ったのは、国籍があってないようなもんというか、国とか関係なしにみんなで応援できるな、というか。
「この人はロシア国籍の日本人なんですってー」
「この子はアメリカ人の日本人」
なに人だよwみたいな会話をしてました。
ぼーくたちー地球人〜♪ 地球に生まれてよかったー!

ユニティですなー。


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つらつら - 2010年02月24日(水)

今日の女子フィギュアも素敵でしたねー。あさって(フリー)がまた楽しみ〜。


自分が何に対して反応してオートモードになるか、に注意して過ごしていますが、結構見過ごします。
後から、「なんかあの時は嫌だったなあ」と思い出して、その時にさらに「わたしになにが起こっていたっけ?」と突っ込んでいく気力があると気づけます。
じゃないとスルー。さすがオートモード。

今日気づいたのは、
「ネガティブなアイディアを聞いたら、それに対して冷静に見えるもの、かつ明るいアイディアを返したい」
そんなオートモード。
ネガティブアイディアを聞くと、自動的に「言わなきゃいけない!」みたいな気持ちになるんですな。

別に明るいアイディアを返す必要はないわけで。
でも、返せないとなんか気分が落ちる自分がいたりして。
なんでかなーと思ったのでした。

今日そういうことがあったある時は、明るいアイディアは頭に浮かんだのだけど、「別にあえて言わなくてもいいか」とスルー。
でも、なんか気分が落ちました。まだまだよのう、なんて自分を見ながら。

後になって、なんであの時に気分が落ちたかなー、と追っていったら、なるほどわかった。(多分)

ネガティブアイディアを聞いた時に、それに対する明るいアイディアを返したいとオートモードになるのは、わたしがそのネガティブアイディアに「取り込まれてしまうから」言っている模様。
もしくは「そうしないといけない」という使命感。
まあ、なんとなくそのオートモードのできたいきさつもわかる。

ははーん。

わかってしまえば、なんてことはない。
わたしはただ、わたしの好きなアイディアを持っていればいいだけだなーと思いました。
それを表現してもしなくても。

そして、リハビリの日々です。


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つらつら - 2010年02月23日(火)

練習と、自分の持ってた葛藤さようならのために、タロットをひたすら引いてます。

つ、疲れる。
どのくらい疲れるかと言うと、7時半に起きてエネルギーを高める呼吸法をしても、眠くて眠くて再度寝たら14時に起きた、ってくらいヘロヘロです。
(休みをひたすら休んだ感じ)

なかなかどーんと来ることを何度も何度も(練習のために)するから、しばらくタロットで自分の質問をしているうちに、呼吸法でクリアになった感覚はどっかに行ってしまいますw
自分の思い込みをこれでもかと見せられているです。そんで現実面でその思い込みを使わないで行うということを、よたよたとリハビリしているところ。

まあ、呼吸法すればクリアな感覚はまた手に入るんで、思う存分葛藤手放しですけども。
他者リーディングのが楽だわー (^^;)

こういうのを「おもしろく」感じているのかーと、客観的に思考を使って見るとわたしは自分が不思議で仕方がないです。
このズレが「自分が謎」って感じていることになっているんだろうなあ。

練習していて気づいたのは、質問に関する感覚や感情(不安だったり、とっちらかって混乱していたり、そしてそれらの質)に比例したスートがきちんと現れているなと。

例えば、母とのことで質問することがあったのでタロットしてみたら、いやー、これは母親との関係性全般に言えることだな、って感じました。
感情を表すスートの「ウォーター」と、思考を表すスートの「エアー」と、大アルカナ(変容系)が並びました。
確かにわたしと母との関係性を振り返ると、感情と思考って感じだけのようだと気づきました。現実的にどうこう(マター)ということや、熱意(ファイアー)がどっか行ってることが多いなあと。
だから、マターとファイアーが助けになるだろうなーとも思いました。
マターとファイアーがここにないからこのエネルギーか、と気づいただけで、その質問の答えとしてすごく楽に感じたりしました。

ある質問では大アルカナが一枚もなかったり。
えーと、「これ重要じゃね?」と思って聞いてみたものだったのですが。
「?そうしたければそうすればいーじゃん?」
「要はこれこれこういうことになってるだけだからねー」
みたいに言われているような並びでした。

うーん。やればやるほどおもしろい。
しんどいところを抜けたら、さらにおもしろいでしょうw


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つらつら - 2010年02月21日(日)

意外なことに気がつきました。
わたしはずっと、もっと自分の自由な時間が欲しいと、実際に得ているかどうかはさておき、ずっとそれを求めるような癖・満たされていないという思い癖があるのだと思っていたのだけど、・・・それは「思い込んでいた」だけようだ、というアイディアが出てきました。
そのアイディアはわたしにとってとても意外なもので、でもそれが真実に近いもののような気もするのです。

ムカッと来た時にどうして怒っているのか感情を追っていったら、「じゃましないで!」という感情だということが多かったり、ぐちや母自身の不安から来る話題でわたしが話したい話題ではないものに長い時間を取られるということにうんざりした思い出が色濃いので、自由な時間が欲しいと思っているのだと思っていました。

どうやら、違う。

母が先日転倒して強く身体を打って、現在は身体の痛みが続いていたり熱を出したりしてまして。
そういうわけで母が、
「自分の自由に過ごせる時間を取っちゃって申し訳ない」
と言ったのですが。

言われたわたしは、「?」という感じで。
わたしはそれでは自分の時間を取られたと感じていなかったので、「?」ってなって。

あれ?わたしは何に対して「時間を取られた」とか感じるんだ?と思ったのでした。

そうして追っていったら、わたしが被害者意識になったり緊張したりするのはなぜか、の新たなアイディアが出てきて。
すごくよくわかるのだけど、言葉では表現できるほどわかっていません。
ちなみにタロットのカードで言えば、ゼロのカードにぽんと放りこまれて「思い通りにならない!」「こうするって決めてたのに!」「準備できてない!」となると、緊張するって感じ。

「今ここ」にいなくなっていると、被害者意識になるようです。
味わってくれー。

全て、想定内だということを思い出そう。
思考の思い通りにならないことも。
一時決めてた通りにならないことも。
準備万端でないことも。
思考=わたし、なのではないということ。



ちなみに。
スタッフさんに、「心配ですよねー」と言われ。
母にも、「心配かけてごめんね」と言われたけど…。

心配してない自分にも気づきました。 (^^;)

そうそう、わたしは昔からそういうところがあり、学生時代にはよく「冷たい」と言われたものでした。
20代はそれに対して罪悪感というか、「わたしって…」と自分を責める感じがあったり「他人と違う」なんて分離感があったりしたのですが、最近はどうやら「心配を選択する/しないは自分が決めること」ということがわかってきたので、また昔に戻りました。

わざわざ「心配してないよ」っていうのは、「心配して欲しい」=心配することは愛、と思うドラマを選択している場合、冷たい言葉になるというのが大人になってわかったので言いません。
でも、心配してない。信頼してる。どんな状況になろうとも。

子供の頃のわたしってすごいなーと思い出すたびに思いますが、今は子供の頃にはわからなかった方法を取れるようになってきたし、自然に行動するだけでなくて頭でもわかってきました。
だから今の自分も好きですし、そしてしんどかった時期のわたしも今では大好きです。

だいすきだー。


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つらつら - 2010年02月19日(金)

バンクーバー男子フィギュア!
高橋大輔くん素敵でしたね〜。

日本代表の方々みなさん素敵でした。
数年前までは、「やっぱり外国の手足の長い方々の中でだからかなー、頼りなく?幼く?見えるなあ…」って感じだったのですが、なんでしょ!すごいですね。
変わりますね。変われるんですね。

これまでは、オリンピックフィギュアといえば、金メダルになる方の演技がいちばんうっとりと、楽しんで見ていました。これまでは。
4年前の王子しかり。

でも、今年は高橋くんをいちばん楽しく見ました。

4回転を飛ぶことにしたその態度もとても好ましい。

かっこよかった〜。おめでとう!
メダルもおめでとうですが、あれだけ本人がキラキラと演技できたことに、おめでとうです!


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つらつら - 2010年02月16日(火)

呼吸法を継続して3週間経過〜。
観察日記として、変化は何かあるかなと思い返す。

とりあえず、体感は頭がすうすうします。
精神面としては、余計な思考がグルグルすることもなく、ムカついたり悲しくなるようなことがあっても引きずらないで、そう感じたのは何でかな〜と振り返ることができてる感じ。

タロットの結果への信頼性が増しました。

こんなもんか?



自分から出した言葉と、自分の感情が比例しない時に注意しよー、と本日思いました。
「あの人は困る」と言いながらも陰口を言うことを楽しんでいると、自分の中に葛藤ができるんではないかなあとぼんやり思ったのでした。
困るといいながら、うれしいフィーリング。

「どうも陰口を言っちゃうんだよね…」というのも罪悪感で、葛藤の副産物だから採用しない方がいいでしょ〜?
ということは、陰口を言うのがうれしいのであれば、「陰口をいう機会を与えてくれてうれしいぞー!」という表現が葛藤がなくていいのかもなあと思いましたw
まあ、他にも葛藤しないルートはあるだろうけども。
葛藤しない行動は清清しいなと思いました。


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つらつら - 2010年02月14日(日)

バレンタインデーですねー。チョコ食べました?

呼吸法マイブームなのはいいのですが、ある呼吸法をすると眠くなって眠くなって…。
今日は時間があるから、呼吸法をしてからお風呂入ったり本を読んだりゆったりしよう、なんて予定は却下され続けて、21時就寝という日々が続いた先週でした。

…先週はこれといってなんもしてないような。

呼吸法の効果は出ていて、夢で自分の葛藤となるものとか観察できていて(ワークショップ後、毎日夢を見続けています)、あーそういうのあるんだよなー、と思った後に呼吸法をしてると、なんかこれまでその葛藤に注いでいたエネルギーがなくなっていくのがわかったりして。
頭で考えて理屈でどうこう、という方法ではなかなかどうにもできないようなものが、あっさりなくなっていくのがおもしろいなあと思います。

先日のワークショップ中に、「現在に影響を与えている過去世」を見る誘導瞑想をしました。
わたし自身はビジョンではよくわからなくて、なんか両腕が重くなって…なんか悲しいフィーリングがやってきました。
よくわからない時は「もっと詳しく!わたしにわかりやすく!」とリクエストしていくのですが、リクエストしたら今度は怖くなって、がたがたと身体が震えだしました。
ええ〜?なんなの?とそれを冷静に見ている自分。
そうしているうちに次の誘導へ移って時間切れだったのですが。

それについて質問をしたのですが、ゲリーさんのお話によると、それはわたしがアカシックリーダーだった過去世で将軍のお気に召す結果を伝えられなくて腕を切られた、って話でした。

なんかわかる気がしました。正直に言いそう。

で、それを踏まえてもう1度体感したフィーリングを思い返すと。
「わたしはわたしのなすべき仕事をきちんとしたのに、それによって理不尽な結果を与えられた」
「そんな責任をとりたくない」
という思考が出てきました。

この思考パターンは思い当たるものがあります。
そして客観的にその思考を見れば、この思考が出るってことは、本当に「なすべき仕事をした」といえるのかとも思ったり。将軍が理解するためのサポートなどができず、その「できない」ということから目を逸らして、将軍にその重い結果をまるなげしてる可能性が。

将軍のキャパ越えてわたしの両腕が切断になったとしても、それに対してわたしが本当に「なすべき仕事」をしていたとしたら、将軍をサポートする能力を持っていなくてもそれをわたし自身が認められていたなら。
その時点で怖いとか悲しいとかはあったとしても、それがずっと残ることはなくて、自分自身に対して誇りを持ったままでいられるよなあ、と思いました。
おもっきし結果に投資してる思考だったなあと気づいたのでした。

同じことが起きても体験は変えられる、ということで、イメージしなおしてみました。
落ち着く。

落ち着いたら気づきました。
自分のできない部分にまで責任を感じがちだったり、逆に他人の責任まで引き受けようとしていたり。逆に、そんな大変なのやりたくない!とかね。
もっと、自分の力も他者の力も信頼できるなーと。

タロットで例えれば。
結果が出て、それを受け入れるか入れないかの選択はクライアントさん自身。
クライアントさんにとって、楽しいな、しっくりするな、と感じた結果をクライアントさんは受け入れる。
受け入れたくないものであったら、そうでないものを選ぶという決断をクライアントさんは行う。
わたしは、結果を鵜呑みにさせず、どんな経験をするか決める力がクライアントさんにあるということを信頼し、伝える。

うーん。
将軍様ありがとう。


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つらつら - 2010年02月06日(土)

どっかり雪が降りまして、寒いのなんのですね。
そして、数年(十数年?)雨や雪の日に履き続けたブーツの底が抜けました。両足の底がボロボロと本日取れまして、履きやすいからと捨てずにいましたが、さようならすることにしました。ありがとでした。

趣味・呼吸法、になりつつある今日この頃。
呼吸法をするとすぐにフラットな状態になれるし、エネルギーを高めたりリラックスしたり、目的によっていろいろできるので、ちょっと素敵です。
効果が体感できるから、おもしろくて呼吸法ラブなわけです。



「周りに認められなくてはならない」
5歳児のわたしのこの必死な感じの感情を意識していたら、いろいろわかりました。

頭ごなしに言われることや誤解されることを嫌ったりする部分がわたしはありましたが、「周りに認められなくては!」というのを手放したら、頭ごなしに言われても誤解されても、別に嫌じゃないなあということに気づきました。
頭ごなしでも誤解でも、相手の方の理解や感覚であって、話し合うということはできても、受け手ができない部分もあるもんねえ。
それはその人自身の課題であるんだろうし、代わりに他人の宿題することはできない。つーか、自分の宿題をしろという話で。

自信に関しても「周りに認められなくては!」は関係していて。
わたしは今まで、自信というものは経験して努力して「身につける」というものだと思い込んでいて、自信がない時はひたすら努力だ!練習だ!って感じで。

もちろんそれも自信になることではあるんだけど。

「周りに認められなくては!」を手放したら、この努力、必要ないんじゃないか?って思うことに。

自信は「つける」ものじゃなくて、自分と他人を比べない時にただ「ある」ものなんじゃないか?って思うことに。
自信があるから練習しない、ってわけじゃないしねえ。不足感や恐れを使って練習することに追い詰める、ってパターンでなくていいと。
それに、切りないわな。こうして作った不足感て。

逆に、自信がないと感じている時は、今誰かと自分を比べていると気づけるチャンスだなあと。

ちょっとそんなことを思う今日この頃。



それから、子供の頃のことを思ったんですが。
わたしはとてもくじ運が良くて、わたしの名前ではがきを出せば当たるって時代がありました。中学生くらいまでは間違いなく。名前貸してたくらい当たりました。
最近は懸賞とか応募していないからどうかわかりませんが、今はそれほどでもないかもなと思います。

何でそう思うかというと、以前は「当たる」感覚がわかっていたから。あーこれ当たるな、ってはがきを出す前から思ってた。思おうとしてではなくて「わかってた」って感じ。

信念が現実を作るのではなくて、葛藤が現実を作るのだそうです。
だからその当時は葛藤がなかったか、もしくは普通にアカシックからの情報を得ていたかしてたんかなーと、アカシックの練習をし始めて思うことになりました。



最近、ホ・オポノポノのブルーの波動のお水を作っています。
きっかけは、自然派の美容室に行ったら、青いボトルが窓際においてあって、そして店内の本棚に何気にポノポノの本が。
あ、この人ちゃんと実践してる!素敵だわ!

知識だけ入れてやってなかったので、わたしもマネっこして作るようになりました。
これまた体感がおもしろいです。
飲み水はまろやかになってるし、お風呂に入れたら入浴剤を入れる前にもうすでに柔らかい水に変身。
なんでかねー。ふしぎだねー。


...

つらつら - 2010年02月04日(木)

今年は今日が立春らしく、新たな年の始まりということですね。

なんか突然、「いらない本を売ってきたい」と思い立ちました。
わたしは思い立たない日常はぐうたらで別に気にもしないのに、思い立つと必ずその日に行います。

で、いらない本〜もう読まなくてもいい本〜と選別して古書店へ。
しめて、157冊が巣立っていきました。
古書を売るのにアマゾンとか利用すればいいかもなーと思う今日この頃。
(めんどうに思わなくなったらやりたいものです)
古書店に売るよりも割がいいし、それにわたしは本をきれいに読むのでなんかもったいないというか、自分が興味を惹かれて読んだその本を、「欲しい」というご本人に買ってもらえるのはうれしいよなあと思うのでありました。
同じものに興味あるんだ〜ってうれしい。

でも今のところ、めんどうが勝ってるw


で。
古書店へ向かう際に、気づいたことが。

あれ?
この方向、某神社がある…。

年明けから、地元の神さまへごあいさつに行こう行こうと思いながらもずっと忘れ続け。
いい加減にもう立春だよと、どうやら連れてきていただけた模様 (^^;)

(便利だなー) ←心の声

ということで、お参りにも行ってきました。
去年も健やかに過ごせてお世話になりました。どうぞ今年もよろしくお願いします。


...




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