知らんけど

2006年05月27日(土)

仕事後、映画を観に梅田へ。間宮兄弟が観たかったが、全部の回が満席。そこで、ブロークンフラワーズを観る。もらった商品券を使い、単行本と新書を購入。ベンチでひとしきり読書。その後、友人と飲みに行く。ジャズライブしていた。



2006年05月25日(木)

健康診断の結果が出た。中性脂肪は順調に減っているが、血糖値や尿酸値が高い。まあ。全体的には健康の範囲に入ったが。気にしすぎるってそれまた病的だし、まあ、普通にしてますわ。



2006年05月24日(水)

食べて飲んで読んで更新して。そんな感じ。



2006年05月23日(火)

どうも何するにも気が乗らないなあ。まあ、いいか。そういうときもあるある。



2006年05月21日(日)

午前中は放送大学。午後は仕事関係の集まり。と今日は天気が良かったのに室内で過ごす日曜日。本当はポタリング(pottering)でもしたかったな。まあ、充実した週末はいいんですけどね。



2006年05月17日(水)

んー、良くない感じです。そのうち風向きがまた変わるとは思いますが、今は耐えます。イチローの盗塁技術の高さを城島がこう形容していたことがあります。イチローの盗塁における一流たるゆえんは、「行かない勇気」を持っていること。

やっぱりすごいね。一流は。



2006年05月15日(月)

ヤンキースの松井が骨折。痛い痛い。僕は松井はナイスガイだと思うし、すごい野球選手だとは思うけれど、MLBでの成績を見るとそんな大選手なのかな?と素直に疑問に思う。これくらいの成績の選手はMLBにはごまんといるように思う。ところがニューヨークのメディアを伝える日本のメディアは松井を大選手のように扱っている。僕はそこまですごいと思わないよ。



2006年05月14日(日)

昨日、ビールばかり飲んだせいか、朝方少しお酒が残る。目覚めは朝の5時半ぐらいだったが、ラジオをつけっぱなしで10時くらいまでうつらうつら。12時に同僚と待ち合わせし昼食後、仕事がらみの講演会へ。その後、三宮で母妹甥っ子と会い、本屋をウロウロし帰宅。洗濯。

なんだかんだと時間が流れていく。



2006年05月13日(土)

午前中は仕事。午後は放送大学。夕方から新人歓迎会。ビール飲んでカラオケを歌うと声がかれる。



2006年05月11日(木)

Yahooニュースを読んでいたら、こんなニュースが。

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<荒川選手>「イナバウアー」を商標登録出願 アサヒビール

 トリノ五輪フィギュアスケートの金メダリスト、荒川静香選手の得意技として知られる「イナバウアー」を、アサヒビールが特許庁に商標登録出願していたことが10日、分かった。特許庁の審査で認められれば商品名として使用する可能性があり、話題を呼びそうだ。商標の指定商品は日本酒、洋酒、果実酒、薬味酒などとした。

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まったく品のない話です。
当分の間、アサヒビールは飲みません。



2006年05月10日(水)

日焼けした跡が赤から黒へと変化。痛みからかゆみへ変化。そのうち皮がむけてくるはず。昨日に続き今日も徒歩出勤。のんびり歩くのもいい感じ。帰宅後、PCの調子が悪いので修正。ジムで汗を流し帰宅。



2006年05月09日(火)

与論島から帰ってきてからというもの、ずっと平凡であることのすごさを感じている。平凡であることとは、ありのままであることなのではないか?そう思いながら世界を見てみると、これがとても面白い。

極端な言い方になるが、現代社会では無意識のうちに全ての物事に理由付けをしているのではないかと思う。例えば、街を歩いていても「あの人が道路に唾を吐いた。なんでだ!?」「どうしてここで信号が赤になるの!?」「この店員なんでこんな態度悪いの!?」悪いことだけではない。「ここの店員さん感じがいいからまた来てもいいかも。」「今日は天気がいいから気持ちがいいなあ。」いいことも理由付けをベースにしている。

あるがままというのは、理由が要らない。

それがそこにある。それだけの事実を事実としてそのままにしておく。そうしたあるがままこそが、平凡であることの究極である。座禅を組む。そこに理由付けなどないし、瞑想することで何かが生まれるわけではない。ただ、そこに在るという感覚を体感するだけである。

平凡を平凡に維持することが出来ることは、すなわち悟りであり、ある意味究極なのだ。



2006年05月08日(月)

荒川静香の記者会見をラジオで聴いた。初めてこれだけしゃべっているのを聴いたが、話す端々から非常に高いレベルで物事を考えていることが分かる。年齢を聞いて驚いた。まだ24歳とのこと。NHKの解説者は「自分らしさをしっかり持っている。」「自分が納得できることをする。」というようなコメントをしていたが、他者から見た時のその人の自分らしさや納得と、自分自身が感じる自分らしさや納得とは全く異なることを分かっていない。

「腑に落ちる。」という言葉があるが、まさにそういう境地なのだろう。自分がどうだとか、納得かとか、そういった理屈のレベルではなく、本人しか分かりえない感覚の世界の中で、まさに「腑に落ちる。」という感覚を、研ぎ澄ませた感受性で常に捉えていたのではないか?そう感じるのだ。

荒川静香、イチローにも匹敵するほど何かひきつけられるものを感じた。是非、その演技を一度観てみたい。



2006年05月07日(日)

朝から雨。起きる時間はいつもと変わらず7時半だが、布団から出ずに妄想にふける。春ならではの妄想。(笑)どこかに出かけようかなとも考えたが、雨だしなんとなくまだ気分が悪いしということで、一日中家で過ごすことに。ラジオつけたり、ネットしたり、洗濯したりとダラダラ過ごす。

普段、こうしたダラダラな一日を過ごすと自己嫌悪になるのだが、今日は遊びつかれたこともあるのか、別にそんなネガティブな気持ちにはならなかった。たぶん、心が完全に緩んでいるのだろう。明日から2〜3日は仕事にならないだろうな。

本当なら放送大学で勉強するはずの日曜日だが、今日は行くのをやめた。そんな気分じゃない。無理やり気合を入れてモードをチェンジするやり方もあるのだろうが、そんな急ぐ必要もないことを与論島で改めて学んできたわけだし、その気になるまで待ちましょうや。って感じです。

自然体で。



2006年05月06日(土)

与論島へのダイビングツアーから帰ってきた。やっぱり自然から得るエネルギーは大きい。自分はこの自然法則の一部なのだということを改めて実感するとともに、自然体で居ることの意味をなんとなく体感できたように感じる。しかし、同時に大勢の人と一緒にツアーに参加することへの多少の違和感を素直に感じた。自分には大勢で行動することは疲労にしかならないようだ。

ダイビング自体がどうこうではないが、ツアーでの妙な周りのテンションの高さが逆に自分自身の個人的ではあるが、内的に盛り上がるテンションを下げる。どうしても他の人たちを見ていると、外向きだけの楽しさしか感じていないように思える。それは人それぞれだから別にかまわないが、自分がその中に居ることがどうも慣れない。もう少し違う形のダイビングへのかかわりが出来ればもっと楽しめるような気がする。

最終日に聴くことができた桑名正博のライブは、これまでに見てきたライブの中でもトップクラスの珠玉のライブだった。別に音楽性がどうとかこうとか語るつもりはないが、心に響いた。音というのも自然が織り成す芸術であり、その音色にのせた桑名正博の歌は理屈を超えた何かを与えてくれたと思う。



2006年05月01日(月)

意味を求めることは無意味だ。この逆説的な言い方が言いたいがためにこの日記を書いているが、まんざらウソでもないと思う。動物の中で物事に意味を求めるのは人間だけだ。犬が物事の意味を考えているだろうか?サルは物事の意味を考えているだろうか?

生きる意味を求めたいのは分かるが、求めても得られるものではない。「その意味は?」ってすぐに聞くインテリが居るが、逆に「その意味は?と尋ねるその意味は?」と聞き返してやりたい。物事の存在や出来事に意味などない。存在する目的はあるかもしれないが、意味はない。質問するなら「その目的は?」が一番正しい質問の仕方だろう。それでさえ答えのないことはたくさんある。俺がこの世に存在するその目的は?そんなもん知るか。

俺はここに生きている。ただそれしか事実はないんだ。生きているということさえ人間が考え出した概念であって、ただうごめいているとも言えるし、ただ存在しているとも言えるし、生えていると言っても間違いではない。国語的には間違いだろうが。

人間も動物として生きるのだと考えてみると、とても生きやすくなる。自然体とはまさに自然の一部としての体の存在だ。俺はあくまでも自然体でただここに居てうごめいているだけなのだ。それ以外に何も分からないし、どうでもいいのだ。人間以外の動物だってそうやって生きているじゃないか。


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