思考過多の記録
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2016年10月10日(月) 多元連立方程式

親は高齢である。
お陰様でまだ他人様に世話になるような状態ではないが、年相応に衰えてきた。父親は心臓に病があり、年齢のことも考えると、いつどうなってもおかしくない。自分でもそう言っている。母親は大きな疾患はないが、やはり心臓に不安を抱えている。弟は心の病を抱え、まともに仕事ができる状況ではない。
そして、僕も弟も、独身のまま年齢を重ねた。



親の介護や死が目前に迫っている。いつかは分からないが、不可避のことだ。
僕にできることは限られているが、何もかもを介護保険で賄うことはできないだろうし、施設に入れようにも経済的に厳しい。
老いた親は確実に僕にのしかかってくる。正直、弟はまったく頼りにならない。
そして僕は、今大きな目標に向かってアクセルを踏み込んでいる。今ここでスピードを緩めるわけにはいかない。
事業も事業として成立させるまでには時間も労力もかかる。
しかし、親の老いは待ってはくれない。
なおかつ、僕には大切に思う女性がいる。彼女を幸せにしたい。ともに幸せを築いていきたい。だが、それには経済的に回っていく目処が立っていなければならない。だが、それを待っていると、彼女は何処かに行ってしまうかも知れない。



難しい多元連立方程式が僕に突きつけられている。
解を探さねば。
みんながいい方向に行くための最適解を。
もし見つからなければ、全員共倒れとなる。
解はあるのだろうか…?


2016年10月03日(月) 人と比べないで生きることについて

よく「人と比べないで、自分らしく」といわれる。他人と比べて自分を評価するのではなく、自分は自分と思っていれば、気持ちが楽になって生きられる、という趣旨である。
でも、そんなことが本当にできるだろうか。少なくとも、僕にはできない。



一歩外に出れば、いや、出なくても、他人と比較されることばかりである。今彼と元彼をまったく比較しない女性はいるのだろうか。会社の同期の人間(または部署が同じ人間)と自分を比較したことがない人間はいるのだろうか。
誰とも関わらず、たった一人で生きているのでない限り、比較される/比較する局面は必ずある。「自分らしく」と思っていても、それは必ず誰かによって誰か(何か)と比較されているのだ。それを意識するかしないか、知っているか知らないかの違いだけである。
確かに、何と比較するか、どんな物差しで測るかによって、その人の評価や価値は変わってくる。それにしても、比べられていることに変わりはない。何かと比較しなければ、その人自体を掴むことはなかなか難しいものである。人によって価値観が違い、持っている物差しも違えば評価基準も違う。それがなおさらやっかいである。
「人と比べてしまうのは自分に自信がないからだ」ともいわれるが、自信を持っている人だって、何かと自分を比較して優位性を確認しているだけではないのだろうか。



結局のところ、「人と比べないで生きる」というのは、凡人には難しいうように思う。余程修行を積んで、出家して浮き世を捨てるのでもない限りは、人は必ず何かと何かを比べてしまうものだ。
人と自分を比べないでいられるほどには、僕はまだ人間ができていないし、枯れてもいないのである。


hajime |MAILHomePage

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