思考過多の記録
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2004年11月27日(土) 「田舎者」達の選択

 既に少し前の話になってしまったが、アメリカのブッシュ大統領の再選についての世界の多くの人々の反応は、「まさか」と「やっぱり」がない交ぜになったものだったと推測される。僕もその一人だった。
 もしこの状況でブッシュが再選されるようなら、アメリカというのはどうしようもない国だということになるが、そんな選択をよもやアメリカ国民はするまいという考えと、今の状況をもたらしている政権をいただくあの国の国民であってみれば、その「よもや」も十分あり得るという相反する考えが、選挙の前から僕の中にはあった。アメリカ国民の「民度」を測るには格好のケーススタディだったわけだが、9.11以降のあの国の雰囲気や、今度の戦争のことを考えると、結果は自ずと見えていたといってもいい。
 しかし、結果が実際に現れてみると、それは非常にグロテスクなものに僕には思える。



 メディア等で分析されているが、今回のブッシュの勝利を支えたのは、所謂「保守層」と呼ばれる人達である。彼等はキリスト教的なものに裏打ちされた「伝統的価値観」「倫理」とやらに基づいて、まさに「神の思し召しに従って」迷うことなくブッシュに投票したのであった。従来は民主党支持と思われていた少数派の有色人種達も、今回はその一点でブッシュ支持に流れたのである。
 イラク戦争は、あの国では主な争点にはならなかった。信じられないことだが、多くの人が「同性愛や妊娠中絶に明確に反対した」という理由でブッシュに投票しているのである。
 アメリカの有権者達のこうした投票行動を知って、僕は愕然とした。そして、改めて「アメリカは、巨大な‘島国’である」という言葉が思い出されたのである。



 多くのアメリカ国民は、世界の「空気」が読めないらしい。アメリカ以外の国の人々にとって、アメリカの内政問題も勿論だが、アメリカがブッシュ政権の4年間に世界でやってきたことの是非を問うこと、就中、イラク戦争の経過と現状についての評価があの選挙の最大の争点になるというのが常識的な考え方だった。そして、その観点で見た時、いかにケリーに魅力がなかったとしても、今回のような結果は出る筈もない。
 にもかかわらず、アメリカ国民は「ありえない」選択をした。「妊娠中絶」という、生まれ出る前のたった一つの命を殺すことに反対する人々が、イラクで米軍の犠牲者が1000人を超え、民間人に至ってはそれより一桁多い10000人以上が殺されているという事実を意に介していないように見えるのは奇妙なことである。



 僕が思うに、今回ブッシュに投票した人々の大部分は「田舎者」であった。「田舎者」とは、「田舎」=「ムラ」(ゲマインシャフト)にどっぷりと漬かり、その外側の世界との物理的もしくは精神的な交流を断っている人間、世界が自分達の社会の外側にも広がっていることに思いを致さず、外側に生きている人達がどんな価値観を持ち、どんな思いで生きているのかを想像できない人間である(これは僕の定義だ)。自分の「ムラ」が世界の全てであり、その価値観こそが正しく、それ以外のものは受け入れられない。
 だから、「自由」「民主主義」が唯一絶対の正しい価値観であり、それを受け入れない人々がいることが理解できない。自分達のやり方に賛同を得られなかったり、実際にそれが通らなかったりする場合があっても、彼等にはその理由は分からないのだ。何故なら、「田舎」では皆がその価値観、やり方を共有しており、だれも異を唱えるものはいないからだ。正しい価値観に基づいた戦争で「田舎」の外で何人死のうと、それは「田舎」の正しさを否定することにはならないのである。
 そして、その「田舎」を「神」が護り、導いているとなれば、この傾向はいっそう顕著になる。
 現実に、ブッシュに投票したのは主に農村部や「準郊外」と言われる地域のきわめて保守的な人々であり、その殆どはクリスチャンである。逆にケリーに投票したのはニューヨークやワシントンD.C.といった都市部の人々であった。
 また、アメリカ人でパスポートを所持しているのは、全人口の20%にも満たない(人口比で言えば、日本のそれよりも低い)という調査結果もある。



 「田舎者」といっても、その人が実際に住んでいる場所と直接は関係ない。農村・漁村・山村に住んでいても広い見識を持っている人はいるし、都市部に住んでいても保守的で視野の狭い人もいる。要は、その人自身がその人にとっての精神的な「田舎」=外部なき世界に安住しているかどうかなのである。
 外の世界のことを考えず、それにもかかわらず「世界の警察」を気取り、自分達の国が攻撃されて突然「テロとの戦い」に目覚め、そこに世界を巻き込んで平気な顔をしているアメリカのブッシュ政権は、その意味で「田舎者」達の集まりであり、それを支えているのがアメリカの広大な「田舎」である。



 勿論、「田舎」は世界中至る所に存在する。「田舎者」もまた然り。
 そのいい例が、アメリカ以外の「世界」を見ようとせず、靖国参拝への中国からの抗議に対して持論を繰り返すこの国の首相であり、自分の選挙区(=「ムラ」)にできるだけ多くの税金を投入することや、偏狭なナショナリズムを振り回すことが仕事だといまだに思っているこの国の政治家達であり、イラク問題で首相がどんなにいい加減な答弁を繰り返しても表立って声を上げず、政治の「田舎者」達を支持し続けるこの国の国民であることは、言うまでもないだろう。


2004年11月12日(金) 臆病者でも、卑怯者でもなく

 今年の春から、うちの職場に一人の女性が応援で来ている。もうベテランになるその女性は、組合などでも活躍する元気のいい人だ。言いたいことははっきりと口にして、腹に一物というタイプではない。組合活動をするだけあって、人が困っているのを見過ごせない部分など、正義感が強く、その点では「いい人」である。



 だが、何事も裏と表の側面がある。真っ直ぐな物言いは時に人を傷つける。また相手との間に軋轢も生む。別に間違ったことを言っているわけではないのだが、時に言葉遣いが感情的になってくると、周囲の反発を招いたりもする。本人に悪気がないのが余計にことを難しくしている。



 昨日も、職場でこの人をめぐるちょっとした衝突があった。
 なぜかこの人は、そういうことがあると仕事中でも僕を捕まえて、思いのたけをぶつけてきたりする。僕はただ曖昧な返事をするしかない。この人の怒りや思いはよくわかるし、自分に関することだけではなく、第3者に対してのある種の思いやりから出た怒りだということもわかる。しかし、怒りの矛先を向けられた、その人よりもぼくよりも年下の女性には、彼女固有の立場があるし、彼女がそうせざるを得なかった背景=職場の置かれているどうしようもない状況があったのだ。



 自分の思いを抑えたり、我慢したりする。そのために言いたいことも言えない。それはいいことではないとずっと思ってきた。しかし、そうとばかりも言い切れないと、その人を見ていると思う。
 言いたいことをいうことが周囲との軋轢を生むことを恐れて口をつぐむのは臆病者か卑怯者だと、格好よく言えば言えるのだけれど、ことはそう単純ではない。
 では、どうすることがよりベターなのか。僕はまだその答えを持っていない。


2004年11月01日(月) 冬の足音

 ずっと同居していた父方の祖母が、先週あたりからめっきりものを食べなくなった。それまでは、90を超える高齢にしては食欲があり、顔の色艶もよく、やけにふくよかなな感じだった。しかし、その少し前から徐々に痩せはじめ、口数もめっきり少なくなった。 耳が遠いために大音量にしていたテレビも、いつしか寝床で見ることが多くなり、そのうちに一日の殆どの時間を眠って過ごすようになっていた。夜中には殆ど15〜30分おきに通っていた便所へも行かなくなって、食事の量はますます減っていった。



 そして先週末、叔母が祖母を救急車で病院に担ぎ込んだ。脱水症状が進んでいるのではないかと疑ったのである。家からかなり離れた大きな病院は、祖母がこれまでいくつかの病気の時に通った所であり、祖父が心臓を患って入院し、息を引き取った病院でもあった。
 見舞いに行くと、ベッドに横たわった祖母は、鼻からチューブを入れられ、おそらく心臓の鼓動をモニターして警告音を発するためと思われる装置を身につけて眠っていた。呼吸はいくらか荒かったが、点滴のおかげか顔色はよくなっていた。
 しかし、病院のベッドの大きさのためか、酷く小さくなってしまったように見えたのだった。父親は、
「年内持つかどうか分からないな」
と言った。



 その日だか前日だかに撮影された祖母の肺には影があると言われていた。実際にレントゲン写真を見た叔母によれば、肺にたくさんの斑点のようなものが写っていたとのことだった。その時点では、肺炎であり、もしかすると体の別の部位に癌ができている疑いもあるという診断であった。
 ただし、高齢のために、詳しい検査をすることはできないとのことだった。
 入院した翌朝目覚めた祖母は、
「何でこんな所にいるのか」
と訝り、早く帰りたいと訴えたそうである。
 また、訪れた僕の従姉妹に対して、「抱いてほしい」と言ったという。



 そして今日。父親を含めた祖母の子供全員に、病院の医師の所見が告げられた。
 祖母は、末期の肺癌だった。おそらく、あと数週間であろうとのことだった。医療が祖母のためにできることは、もはや殆ど残っていないようだった。
 見舞いに行った叔父によれば、本人は調子が戻ってきたらしく、病院の食事を結構食べたという。



 この10数年、僕は祖母との同居生活を続けていた。祖母が衰えていき、人生の終着点に向かって着実に近付いていることは、近くから見ていれば手に取るように分かっていた。だからといって僕に何ができたわけではない。
 そして今、いよいよ「命の終わり」が見え始めた。僕は言葉を失って立ちつくす。
 2004年11月。
 間もなく、冬が訪れようとしている。


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