思考過多の記録
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2003年10月09日(木) 流離い人

 約3年9ヶ月ぶりとなる僕の芝居の稽古が進んでいる。進んでいると書いたが、諸般の事情により、上演1ヶ月前だというのに、一部を除いてまだまだ準備は緒に就いたばかりという感じだ。あと1ヶ月、いや、正味3週間ばかりの間に様々なことをこなしていかなければならない。
 実は結構綱渡りだったりする。一応この集団の代表であり、仕切役であるぼくとしては、結構焦りを抱えてはいるのだが、それでも気分的には重くはない。それどころか、何だかとても懐かしい場所と時間に戻ってきたような気がして、快適ですらある。



 3年9ヶ月の間には、いろいろなことがあった。仕事でもプライベートでも、小さな、あるいは重大な出来事がいくつかおこったし、出会いや別れもあった。しかし、おしなべて僕は「普通」の社会人としての生活を送っていた。いわば、「娑婆」の空気を吸い続けて、「娑婆」の擅テに則って日々を過ごしていた。そして、精神的・肉体的な疲労と衰えが、僕をなおいっそう「普通」の生活に沈殿させていった。
 いつしか僕は、自分がものを作っていた頃の感覚を忘れていった。まるで麻酔が覚めていくように、僕の体から芝居をやっていた自分の存在が抜けていった。そして、まるで昔から「普通」の存在だったかのような感覚に僕は囚われていった。芝居をやっていた時代は、まるで夢の中の出来事のように感じられていた。



 3年9ヶ月ぶりにこの状況に身を置いて、芝居を作っている人達の中にいながら、僕は今ここ数年感じたことのない開放感のようなものを感じている。それはまるで、異国の地で同胞にあったときのような懐かしさとでも言ったらいいのだろうか。
 今回もまたプロデュース形式であるため、僕以外のメンバーの殆どは、全く別の場所で、あるいは全く別の集団に所属して芝居をやっている人達である。それが一つの芝居を作るという目的のために結集している。彼等と接していると、普段は違った場所にいても、「演劇」という共通言語で結びついている同じ人種だということがよく分かる。そして、その人達の中にいる自分もまた、同じ人種なのだと言うことを強く感じる。そのことだけで、僕は本当に清々しい気持ちになるのだ。



 約3年9ヶ月ぶりの公演まで1ヶ月である。これからが時間との勝負となり、僕達は精神的・肉体的に追い詰められる修羅場をくぐっていくことになるだろう。それでも僕は、今彼等と共に時間を過ごせることが嬉しくて仕方がない。
 同時に、1ヶ月後に確実に訪れるこの時間の終わりを恐れている。
 そんな自分を見るにつけ、僕は自分がこれまでこういう場所を探して「娑婆」を彷徨していたのだと強く感じる。
 そして、この芝居が終わったとき、すぐに次の場所を探して「娑婆」を流離い始める自分の姿が、今の僕には見える。


hajime |MAILHomePage

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