思考過多の記録
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2003年04月26日(土) 「衝撃と恐怖」の「豊かさ」

 「ボウリングフォーコロンバイン」という映画を見た。アカデミー賞のドキュメンタリー部門の賞を取った割には、巷の(評論家の?)評判は散々だそうである。確かに、映画として見た時には特別出来がいいとも、芸術的な価値が高いとも、エンターテインメント性に優れているとも思えない。
 けれど、僕自身は結構楽しめた。そして、おそらくこの映画は、このタイミング、すなわち世界がイラクを巡る混迷のただ中にあるこの時期に製作されたのでなければ、あの受賞はなかったかも知れないと思った。メインに扱っている事件は過去のものだが、それほどこの映画はタイムリーだった。



 1999年4月20日、アメリカがボスニアで最大級の空爆を行ったと発表したまさにその日、コロンバイン高校で2人の学生が校内で銃を乱射し、教師と生徒にかなりの死傷者が出るという事件が発生した。映画はこの事件を追いながら、背後にあるアメリカの銃社会の実態を映し出す。その合間に、アメリカが建国以来世界のあちこちで犯してきた「大罪」を、記録映像と写真で映し出す。バックでジャズシンガーが「What a wonderful world」と歌う。
 そして映画は、世界のいくつかの国と比較しながら、同じように銃が国民に行き渡り、同じようにいくつかの人種が混ざり合って暮らしている国々に比べて、何故アメリカだけがこれほど銃による凶悪犯罪が多いのか、と問いかける。



 映画では、銃社会の問題から炙り出されるように、アメリカ社会の歪みが描かれる。主に人種差別が原因の貧困が、凶悪犯罪の温床となる。そして、それを執拗に、そしてことさらセンセーショナルに報道するメディア。それがさらに人々の疑心暗鬼と恐怖心、そして相互不信を増幅させる。さらに、毎日世界の何処かしらにアメリカ軍が落とす爆弾のニュース…
 こうしたことがアメリカ人のメンタリティに影響を与えないわけはないだろう。彼等が不安と恐怖の中で自己防衛のために銃を持ち、それがさらに犯罪を引き起こすという矛盾に満ちた構図がスクリーンを通して浮かび上がる。



 思い起こせばイラク戦争の最初の段階で、米英軍が行った空爆には「衝撃と恐怖」という作戦名がついていた。大規模な爆撃を敢えて敵に見せることで、自分達の力を誇示し、相手の戦意を喪失させるというのが狙いだった。このネーミングは、まさにあの9.11の際にアメリカ社会が経験したことをそのまま表している。そして、それはアメリカ社会のある本質を物語っているようにも思われる。
 アメリカは確かに世界最強の軍事力と経済力を持ち、繁栄を謳歌している。しかし、国が繁栄を極めれば極めるほど、彼等は不安になっていくのだ。国内的には、かつて黒人奴隷達の反乱を白人達が恐れていたように、自分達の生活がいつ自分達が抑圧している人々(貧困者層ム多くは有色人種)によって危険に晒されるか分からない。対外的にも、いつどこの国が自分達の国にミサイルを発射するかもしれないし、テロリストがどこかを爆破するかもしれない。事実、そうされても不思議ではないことを彼等は対外的にも国内でもやっているのだ。



 彼等は恐怖におののく。だから誰もが銃を持つし、外国に軍隊を派遣する。今度のように、難癖をつけて自分達を攻撃しそうな国を攻め、その芽を摘もうとする。けれどそのことが逆に新たな危険と不安を生む。だから彼等は余計に用心深くなる。いつ誰が自分に銃口を向けているか分からないからだ。彼等は銃を手放せないし、軍隊を引き上げることはできない。それがなおさら社会を、そして世界を不安定化させる。



 不安と恐怖に苛まれながら、お互いに銃を向けあい、軍隊で他国を蹂躙する。その上に築かれた「自由」と「豊かさ」満ちた社会。そんな国に暮らしていて、彼等は本当に幸福なのだろうか。
 彼等が不安を抱きながら生きなければならないのはよく分かるし、それを少しでも和らげようとするのは当然だ。しかし、そのやり方が決定的に間違っているように僕には思えてならない。どこか(誰か)にしわ寄せを与え、歪みを押し付けることで成立する「幸福」は本当の幸福ではない。
 彼等が本当に銃による凶悪犯罪をなくしたいのなら、銃をいつでも使える「自由」を振りかざして銃の性能を上げることではなく、豊かさの矛盾を引き受けなければならない人達を救済するように、社会のシステムを変えていくことだ。
当然、国際社会においても同じことがいえる。



 自分達に刃向かう人間に銃を向けても問題は解決しない。何故なら、相手も銃を持っているからだ。アメリカ社会が抱く「恐怖」の正体はおそらくそれだ。繰り返しになるが、「恐怖」をともなって必死に守らなければならない「豊かさ」は、人間を幸福にはしない。


2003年04月14日(月) 春に生まれて

 そういえば、今年も誕生日が巡ってきた。とはいえ、年々新鮮味というか、自分にとって特別な日だという意識は薄れつつあることは否めない。
 誕生日がめでたい時期も過ぎつつあり、あとは墓場へ向かってのカウントダウンと、自分の衰えを自覚させられる日、そのために、素知らぬ振りをしてやり過ごす日になってきている。



 けれど、海の向こうのあの国をはじめ、戦いが大地を焦がす国々では、誕生日を迎えることは「生き残っている」ことの証である。その重みは、平和なこの国に暮らす僕などとは比べものになるまい。そして、命自体の重みはちょうどそれに反比例する。
 そう考えると、誕生日に何の感慨も湧かないというのは、如何に贅沢なことなのか分かるというものだ。おそらくこの地球上で、この贅沢を享受できる人間の数の方が少ないに違いない。



 何気なく誕生日が訪れ、当たり前のように歳をとっていくことの有り難さ。空気のように存在しているものの重み。そのことに気付かないまま一生を終える人間もいれば、次の誕生日を迎える前に冷たい骸と化す人間もいる。
 僕は相変わらず自分の人生を全面的に肯定できず、大きな価値を見出していないけれど、それは命の軽い国に生まれ、今日1日を必死に生き延びている人間から見れば、奢り以外の何者でもないのだろう。そうした国々では、おそらく自殺する自由すら与えられていない。



 さりげない誕生日に、グリーティングカードが届く。あの、彼女からだ。
「春に生まれたなんて、いいですね」
 年の瀬に生まれた彼女は、そう書いてきた。
 そんなことを言ってくれた人はこれまで一人もいなかった。僕自身、そんな風に考えたことは、今の今まで一度もなかったのだ。物事を肯定的に捉えることが何てうまいんだろうと、僕は素直に感動した。
 さり気なく僕の誕生を肯定してくれる彼女の言葉に、僕は今、新緑が芽吹き花々が咲き競うこの季節の中で、自分が生きていることを実感する。


2003年04月11日(金) 海の向こうの戦争2003〜その4

 開戦から3週間あまりが経過し、イラクの首都・バクダット陥落のニュースが世界を駆けめぐった。やや少なめの群衆の前の前で、独裁者フセインの銅像が引き倒され、群衆が歓声を上げるという、どうしようもなく「ベタ」な映像とともに。
 現時点では、散発的な戦闘は続いているものの、フセイン大統領をはじめ政府の高官達は消息不明、政府も警察も一切機能していない。ブッシュの望んだ通り、フセイン政権は事実上崩壊し、この戦争の大勢は決したと言っていいだろう。
 けれど、バクダットをはじめ各地の治安は悪化している。今も続くアメリカ軍による民兵の掃討作戦に巻き込まれて、少なくない民間人が傷付き、命を落とした。アメリカのメディアが伝えるほどには、イラクの人々は米英軍を心から歓迎しているわけではない。



 確かにフセイン政権の統治は酷いものだったらしい。反対派として粛清された人間は数知れないし、社会に張り巡らされた密告と相互監視のシステムは息苦しいものだっただろう。あの国に暮らす人々にとって、決して望ましい体制だったとは言えない。いずれは打倒され、より民主的な政権に取って代わられて然るべきものだった。
 けれど、そのことをもってして今回の米英による戦争が正当化されるわけではないこともまた強調されねばならないだろう。たとえイラクの人々がフセイン政権からの解放を望んでいて、結果として米英軍の攻撃によってそれが成し遂げられたのだとしてもなお、この戦争に対しては国際社会の多くが疑問を呈していたこと、そして何よりもこの戦争を当事者であるイラク国民が望んでいたわけではない(平たくいえば、イラクの人々が米英軍を呼んだわけではない)ことに変わりはない。
 つまり、米英の軍事的な「勝利」およびイラク国民の「解放」は、この戦争の「正しさ」とは何の関係もないということである。



 そして、アメリカの多くの楽観主義者、独善主義者達の頭を冷やし、彼等こそが世界の常識から外れた行動を取ってしまっていたということを認識してもらうためには、米英軍の圧倒的勝利による戦争の終結という形は、本来望ましいものではなかったのだ。
 ベトナム戦争の初期、アメリカは奢っていた。自分たちの正しさと勝利を確信していたのだ。けれど、戦争が泥沼化していく過程で、アメリカ国民の多くがあの戦争と自分達のしていることに対して次第に懐疑的になり、そして国と我が身を振り返り、間違いを悟っていったのである。
 これと同じことが、今回のイラクでの戦争においても必要だったのだ。「力」を誇示することが何の役にも立たないこと、星条旗の元での「自由」がアメリカ大陸の外では如何に不人気であるかということ、それをこの戦争から彼等は学ぶべきだった。人命が無駄に失われなかったことは喜ぶべきことだろうが、なまじ軍事的にうまくいってしまったことで、彼等は自分達の「強さ」と「正しさ」が証明されたと勘違いしてしまったのだ。



 暫定政権や戦後復興を巡るアメリカの強気な発言に、こうしたかれらの驕り高ぶりが透けて見える。彼等は自分達の言うことを聞いてくれるというだけで、イラク国民の人望のない人物を暫定政権の長に据えようとしたり、占領機構のトップに対アラブ・パレスチナ強硬派の退役将校を招こうとしたりしている。
 しかも、実はイラクはいくつかの民族や宗派の異なる人々によって構成される「モザイク国家」だ。北部のクルド人の動向によっては、自国内にクルド人を抱える隣国トルコを刺激したり、アメリカの強引な手法に反発するパレスチナ過激派の活動が活発になったりと、中東地域全体が不安定化する要因ともなりかねない。おそらくアメリカは、そんな周囲への影響など考えもせずに戦争を始めてしったのだろう。そして、「戦後」に残るこうした様々に絡み合う複雑な問題も、自分達が睨みをきかせさえすれば片が付くと思っているようだ。
 そこには、イラク国民の将来を、彼等の立場になって真剣に考える姿勢は見られない。ただただ、あの国と地域における自らの覇権の確保だけを念頭に置きながら、きわめて乱暴に事を進めようとしている。



 バクダットでフセインの銅像が倒される直前、実はあの像の顔は星条旗で覆われていた。しかし、群衆の一人がやおら像によじ登ってそれを引き剥がしてしまった。このシーンを放映したメディアは少ないが、これこそがあの国でアメリカが置かれている微妙な立場を象徴的に表す出来事だった。



 繰り返すが、この戦争は、終わったからいいというものではない。また、独裁者を排除したからいうことで賞賛されるものでもない。ましてや、彼等が「ご褒美」としてイラクの石油や復興事業の利権を優先的に確保していいことにもならない。
 米英のしたことは明らかに国際法に違反する侵略行為である。米英のメディアや、その映像を借りて放映する日本のメディアは、基本的に「勝者」の見たい映像しか見せてはくれない。けれど、僕達はその映像に映らなかった光景、すなわち、すくなくともイラクの人々が誰も望まなかったであろう戦いで、多くの血が流された事実を記憶しておくべきである。
 そして、「あの大国が、本当は何をしてきたのか、そして何をしつつあるのかをしっかりと見ておこう。
 今僕達が、そして全世界が目にしているのは、「自由の解放者」アメリカ・僕達の国の「同盟国」の本当の姿なのである。


2003年04月04日(金) 人脈の「広がり」と「深まり」

 彼女は人と仲良くなるのがうまかった。元々の性格なのか、それとも外国留学や引っ越しの経験で培われたのか、その両方なのか分からないが、ともかく初対面の人に対しても臆することなく声をかけ、すぐにその懐に入っていけるエネルギーを持つ彼女を、僕は羨ましく思っていた。



 僕の悩みは、この場所でも書いたが、人脈を作ることができないということだ。仕事の方は半ばどうでもいいのだが、自分のやりたいことを実現するための人脈を周囲に作ることができなかった。それはおそらく、僕自身に問題があるのだと思っていた。
 一つには、僕に人を惹きつける魅力がなかったこと。そしてもう一つは、知らず知らずのうちに自分の周りに垣根を作ってしまっていたことなのだと思う。



 僕も彼女程ではないが、引っ越し(と転校)を経験した。しかし、そこで僕が培ったのは新しい対人関係の結び方ではなく、主に「人見知り」の方だったといえるかも知れない。知らない人達が既に作っているコミュニティの中に入っていかなければならないのは苦痛であった。僕の知らない様々なルールが存在していたし、既にできあがっている様々な関係性の中に、自分の位置を見付けていかなければならなかったからである。その時に、無防備に自分を見せることなど僕には思いもつかなかった。そのことによって自分が周囲から拒絶されるのが怖かったし、傷付けられるのも嫌だった。
 真似事にしても演劇をやっていた人間が言うことではないだろうが、僕は基本的に人間関係に怯えていたのだろう。



 あれはまだ僕が小学校の低学年だった頃、入学当初から仲良くしていた筈の友達と1年ぶりくらいで同じ学年になり、そいつから苛めを受けたことがある。
 思えばそのあたりから、僕は人と仲良くなるということに対して懐疑的になっていた。自分を晒せば、いつ何時誰から攻撃を受け、傷付けられるか分からないと無意識のうちに知っていた。
 そんなわけで、僕は相手が自分に対して好意的であるということがはっきりしてから、相手と関係を持つようになったのである。
 そして、その癖は今でも抜けない。殆ど無意識のうちに、僕は相手との間に距離を置く。



 そんな僕には、相手との距離を難なく飛び越していく彼女は、本当に尊敬すべき存在だった。そうやって、彼女はあっちこっちに(僕から見れば)華やかな人脈を形成していた。自分が傷付くかも知れないことを彼女は怖れていないようだった。それは、他人からの攻撃をものともしないある種の「強さ」と自信からきているのではないかと思われる。
 外に向かって自分を開くことで、関係を広げていく。広く人を受容し、そのことで自分が広く受容される。その世界へのとけこみ方は決して僕にはできないものであった。



 そんな彼女が、メールに次のようなことを書いてきてくれた。
「私は人脈を増やすのは得意だけれど。保っていくのはhajimeさんの方が得意だと思う」
 彼女がそう思った理由は、面識が殆どないにもかかわらず、ずっと僕の演劇活動のサイトの掲示板に書き込みをしてくれているある劇団の人達との関係が、ずっと続いていることなどだそうである。僕にしてみれば、これは自分に対して好意的な人間との関係性を少しでも長く保っておきたいと考えてのことだ。そして、なかなか人と仲良くなれない僕は、だからこそ仲良くなれた人間との関係性を深め、強固なものにしたいとの思いが無意識のうちにも強くなる傾向があるのだと思う。
 そのことが、結果的に「広く浅い」人間関係よりも「狭く深い」人間関係が構築されていくことにつながっているのかも知れない。勿論、それぞれ長所・短所があるのでどちらがいいとは一概に言えないが、彼女がそんな僕の特性に気付かせてくれたこと、そしてそれを評価してくれたことに関しては、素直に嬉しかったし、本当に感謝している。



 人見知りの傾向のある僕が彼女と関係性を結べたのは、おそらく正反対の性質を持っている様に見える彼女と自分とが、実はどこか深いところで共鳴しているということに、お互いが本能的に気付いたからなのだと思う。そして、そうであるならば、人脈を広げることが得意な彼女と、それを保っていくことが得意な僕とは、補い合いながら外に向かって関係を広げ、さらそれを深めていくことができるかも知れない。
 それがあまりに楽観的な考え方だとしても、そう思わせてくれるだけで、彼女というひとつの「人脈」は、僕にとっては何ものにも代え難いものなのだ。
 願わくは、彼女にとっても、この関係性が何らかの意味、または価値のあるものであってほしいと思うのである。


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