思考過多の記録
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2002年11月29日(金) この国の罪〜拉致被害家族にもの申す2〜

 ここ最近は日朝交渉が停滞していることもあって、さすがにネタがなくなってきたせいか、拉致被害家族達のメディアへの露出も一時期に比べれば減ってきている。ただ、北朝鮮および金正日の「悪行」を暴き立てる報道は今でも間断なく続いている。
 それに加えて、国内での「裏切り」行為を糾弾するような報道も跡を絶たない。最近では「週刊金曜日」が曽我ひとみさんの北朝鮮の家族を取材したといって槍玉に挙がったのが記憶に新しい。また今日は、外務省の外郭団体が日朝交渉中の期間に北朝鮮に対して食料援助を行ったということで、少し前に「あの国とは戦争をしてもいい」と暴言を吐いた石原都知事が「何を考えているのか。小泉首相に糺す」と記者会見で息巻いていた。



 前回にも書いたかも知れないが、僕は決してあの国のやったことを容認するものではない。真相究明は必要だと考えているし、きちんとした謝罪や関係者へのケアも必要になってくるだろう。けれど、そのことがすぐに「北朝鮮は酷い国」「金正日はとんでもない奴」ということにストレートに結びつくとは思えない。
 また、たとえそうだとしても、そのことをもって、日本はあの国と国交を結ぶべきではないということにはならないし、交渉を打ち切る理由になるとも思えない。
 あの家族達とその支援者達にかけているのはその視点である。



 彼等は北朝鮮の罪状を言い立てる。どんなに酷い国であるかを何度も強調する。まるで自分等の国・日本が無謬であるかのように。けれど、彼等の頭から全くと言っていい程抜け落ちてしまっていることがある。意識的にか無意識的にかは知らぬが、彼等はそろいもそろって「歴史的健忘症」に罹ってしまっているようなのである。
 家族達が信奉する祖国・日本は、半世紀前に朝鮮半島で一体何をしたのか。多くを語る必要はないだろう。「拉致」に対応することで言えば、あの戦争の時代に朝鮮から日本に「強制連行」され、企業や鉱山、軍隊で働かされた朝鮮人は23万人だという。それを裏付けるものとして、連行者のかなりの程度確かな名簿が残されているという。今回の「拉致」事件の被害者は80人から90人に上るという見方が盛んに喧伝されているけれど、それとは規模がまるっきり違うのだ。勿論、多くの強制連行の被害者達は命を落として、二度と祖国の土を踏むことはなかった。



 もし彼等が自分達の痛みを訴え、あの国の罪を糾弾し、償いを求めるのであれば、当然自分達の国が犯した「罪」と、それがかの国の人々にもたらした「痛み」、そこからくる「国民感情」といったものにも思いを致すべきであろう。そして、この国が彼等に対してこれまでまともな「謝罪」を口にしたこともないということを重く受け止めるべきだ。そのことを抜きにして、ただ自分達の被害だけを強調しても、特に国際社会に対しては説得力は薄い。
 彼等は自分達の受けた被害や「屈辱」から、自分達の国の過去を忘れ去ってしまったか、不当に矮小化してとらえようとしている。それは前にも指摘したのだが、おそらく彼等に染みついている朝鮮人蔑視の思想からきているのだろう。現に、増元照明氏はこの前にも紹介した新聞に掲載した文章の中で、「ようやく日本も朝鮮に対する贖罪という呪縛から解き放たれる」というようなことを平気で書いていた。「これまで一方的に謝罪と補償を求められ、『罪』を責められてきたけれど、おまえ達の国もこんなに悪いことをしていたのだから、もう責められる立場ではなくなったのだ」言いたいのだろう。
 彼等はどうやら今回の拉致事件で、日本の植民地支配当時の「罪」を帳消しにできると本気で考えているらしいのだ。そうとられても仕方のない言動を、彼等はメディアで繰り返している。あまりにも傲慢な態度であると言わざるを得ない。
 そして、言うまでもないことだが、拉致事件と、強制連行をはじめとする植民地支配当時の様々な出来事は、国家的犯罪であることにかわりがないだけでなく、その規模、期間の長さ、内容等を比較すれば、どちらの犯罪がより相対的に重いものであるかは自ずと明らかである。



 問題なのは、彼等の歪んだ歴史観や対朝鮮感情が、彼等が被害者の家族であるというだけで大きく取り上げられ、それでなくても「歴史的健忘症」に罹っている日本の草の根感情に浸透しつつあるということだ。以前から韓国・朝鮮に対する「土下座外交」への不満が、特に保守層を中心にかなり根強くあった(「いつまで謝ればいいのか」「もう解決済みだ」「自虐的である」といった主張)。それは非常に理不尽な考え方であり、当然それに対する批判も国内にはあった。
 ところが、拉致被害家族達の主張や、それを援護射撃するかのようなメディアの北朝鮮攻撃によって、従来からの対韓国・朝鮮強行派達の前述の主張に新たな論拠が与えられることになった。甚だインチキな論拠なのだが、それを拉致被害家族達が声高に主張することにより、それに対する反論がしにくい雰囲気が醸成されつつある。まるでそれに疑問を呈するのは「非国民」、「北の手先」だと言わんばかりである。家族達はそれを「拉致問題に対する国民の理解と認識が深まった」と捉えているようだ。あまりの自己中心的なものの見方に、怒りを通り越して呆れてしまう。



 彼等、特に蓮池徹氏や増元氏が頻繁に使う言葉に、「北に利用されている」というのがある。しかし、自分達こそ国内の保守派、対韓国・朝鮮強行派、自虐史観批判派に利用されていることを知るべきだ。それに乗ることで自分達の溜飲を下げることはできるかも知れない。しかし、頼むからそれに他の多くの人々を巻き込まないでほしい。
 そしてまた、歴史に対する認識の甘さや感覚の鈍さを自らさらけ出していることに、一日も早く気付いてほしいものである。
 あの国は罪を犯した。けれど、かつて僕達の国も罪を犯した。何度も言うが、拉致の被害を受けたことによって、その事実を消し、この国が犯した罪をなかったことにすることはできないのである。


2002年11月20日(水) 強烈な違和感〜拉致被害家族にもの申す〜

 北朝鮮に拉致された人々が日本に戻ってきてから1ヶ月あまりが経った。当初は期限付きの帰国であった筈が、日本政府の「毅然とした」「断固たる」意思により、それは事実上の永住帰国となった。ただし、彼等の現在の家族は今も北朝鮮に残っていて、その帰国(というのだろうか?)問題が焦点のひとつになっている。
 僕はこの1ヶ月間、この関連の報道に接し、拉致被害者の家族達の発言を聞く度にイライラさせられ通しだった。それは北朝鮮という国家に対する苛立ちや怒りではない。当初からのこの問の取り上げられ方や、あの家族達の言動や態度に対する違和感や苛立ち、怒りであった。
 断っておくが、僕は北朝鮮のシンパでもなければ、工作員でもない。れっきとした一日本人としてそういう感覚を持っているのである。



 現在日朝国交正常化交渉は暗礁に乗り上げている。その原因は日本国内の強い世論、すなわち拉致を犯した北朝鮮に対する批判と、事件の真相究明を最優先とすべしという世論が背景にあるためだという。しかし、その「世論」とは、あの家族達が誘導する形で形成されている。というよりも、あの家族達の主張を大きくクローズアップすることによって、恰もそれが日本全体の「世論」であるかのように見なされ、やがて反論すら許さないたった一つの「正しい意見」となって外交方針すら左右するようになっているというのが実態なのではないだろうか。
 僕は拉致被害家族の心情を理解しないわけではない。彼等が現状に苛立ち、北朝鮮に対して敵意すら抱いてしまうのもやむを得ないところもあろう。けれど、そのことと主張している内容の妥当性は別問題だ。前にも書いたかも知れないが、彼等の主張の根底には北朝鮮=悪い国という単純化された図式があり、それに対して自分達の属する国=日本の存在をクローズアップし、国と一体化して北朝鮮と対峙するという構図が作られている。その根拠は、あの国は自分達の身内を拉致するという国家的犯罪を犯しており、その元凶は金正日独裁体制にある。それに対して我が日本は自分達が生まれ育った「国」であり、自由で豊かな体制なので圧倒的に正しい、という信念にあるように思われる。そんな正しく、しかも犯罪被害者たる立場の日本が、加害者である北朝鮮に対して強い態度で臨むのは当然なのだ、ということなのだろう。



 マスメディアに連日露出する彼等の思想は徐々に浸透しており、世論調査では多くの国民があの国との国交正常化に慎重な姿勢を見せ始めている。また、例の嫌朝国会議員の集団「拉致議連」の平沢勝栄自民党代議士はある雑誌で「ガタガタいうなら叩き潰せ」「びた一文やるな」と品位の感じられない北朝鮮批判をしていた。また先日は石原東京都知事が「あんな国とは戦争をしたっていい」とまで発言している。
 こうした「反北朝鮮」の風潮を煽り、あまつさえこれを利用してナショナリズムを喚起しようとさえしているのは勿論各メディアだが、その大元にはあの拉致被害家族達がいることは否定できない。事実、「家族の会」の増元氏は拉致問題で北朝鮮を厳しく批判し、日本に強い態度をとるように求めた新聞の投書記事を「日本よ、真の国家たれ」という言葉で結んでいる。また、地村氏はインタビューで「北朝鮮に負けるな。日本はびくともしないぞ!」と叫んでいた。
 家族達はまた、「この事件を風化させないように」という理由から、講演会や署名活動などを行っている。最近では何も知らない学生を相手に「対話集会」を開いて自分達の主張を若者に直接訴えるという行動に出た。この作戦は今のところ功を奏しているようで、この対話集会に参加した大学生が目を潤ませながらインタビューに答えている映像が流された。
 「悲劇に耐える家族」というイメージが彼等への同情を誘い、それが彼等の主張への賛同を広げることにつながっている。多くの人間は印象論で物事を理解したがり、分かりやすいストーリーを好む。



 しかし、僕は彼等の意見や行動に対して全面的には賛成しない。彼等があの国に対して敵対心や嫌悪感あるいは憎悪を抱くのはいいとしても、それを他の人達に押し付ける権利は彼等にはない筈である。また、当然彼等の意向を100パーセント日本政府の外交政策に生かさなければならないということはない。何故なら、「世論」も政府もメディアも彼等のためにだけ存在しているのではないからである。「悲劇の主人公」に祭り上げられているうちに彼等はそのことを忘れてしまったようだ。
 彼等は大変な思い違いをしている。確かに彼等は国家的犯罪の犠牲者だが、そのことで全ての「正しさ」と「国」と「世論」が全て自分達の味方をするのが当然だと思い込んでいるのである。けれど、彼等の「正しさ」は、実は様々なことを置き去りにした、または忘却した上での「正しさ」なのだ。たとえ金正日体制がどんなに酷い体制だとしても、また彼等が四半世紀にわたって苦しんできたという事実があったとしても、また彼等がどんなに強い使命感を抱いていたとしても、それは彼等の立場の絶対的な正しさを担保するわけではない。
 この問題は紛れもなく国際問題なのであり、彼等の都合だけで解決できる問題ではないし、そうすべきでもない。彼等はそのことを自覚すべきなのである。



 今日もメディアは彼等の主張、そして北朝鮮の罪業を暴く記事や報道であふれている。この国の住人は、みなあの国に対する嫌悪と憎悪を募らせるように導かれている。それはあの家族達の鬱憤晴らしにはなるだろう。しかし、それは本当に望ましいことなのだろうか。
 けれど、僕はこのうねりに対して強烈な違和感を持っている。明らかに彼等は間違った方向にこの国と僕達を誘導しようとしているのだ。そしてそれは、日本を含む国際関係にも決していい影響を与えないだろう。そのことに早く彼等は気付いてほしい。
 この話はまだ続く。


2002年11月11日(月) 今はもう動かない、その時計

 平井堅が歌う「大きな古時計」という歌が今年大ヒットした。ずいぶんと懐かしい歌である。初めてきいたのは、おそらく僕がまだ小学生の頃だっただろうか。それからも学校の歌集に入っていたりして歌ったり聞いたりする機会が何度かあった。そんなこともあって結構多くの人にはもうお馴染みの曲だと思い込んでいたのだ。それが何故今、いきなりブレイクしたのだろう。
 これについては親しみやすいメロディや歌詞の世界、また平井堅の柔らかいヴォーカルの力等々、様々なことが語られているようだ。そのどれもがその通りだと思われるが、しかし何故それが所謂「癒し」や「安らぎ」を多くの人に与えることになっているのかは今ひとつ分からない。歌手の力量はともかく、これまでもずっと歌い継がれてきている曲である。今脚光を浴びるというのは、それなりに何か理由があるのではないだろうか。



 僕の勝手な推論だが、その答えの鍵は、まさにこの歌の主人公・大きな古時計の存在なのではないか。この古時計はおじいさんの生まれた朝に家に来て、それ以来百年(元の詞では90年)にわたっておじいさんの人生を刻むかのように動き続けた。おじいさんの嬉しいことも悲しいことも全て見届けてきたという。そして、おじいさんの人生が終わると同時に、時計も動きを止める。
 一人の男の人生をその傍らでずっと見守り続けてきたこの時計は、まさにこのおじいさんにとっては親友、というよりも殆ど分身に近い存在だったのだろう。



 考えてみると、こういうものは今の僕達の側にはなかなか存在していない。移り変わりの激しい時代、テクノロジーの進歩が急ピッチで行われた時代、僕達の時計は振り子式の柱時計から電池で動く時計、デジタル時計…と様々に変化してきた。何よりも僕達の生活様式自体が変化し、そのスピードはいつしか時計が時を刻むリズムをはるかに超えるようにさえなっている。
 僕達はこれまで、このスピードに乗り遅れまいとしながら、先へ先へと進むことだけを考えてきた。けれど今、僕達はそれに疲れ始めている。懸命に走っても走っても、薔薇色の世界に辿り着けるどころか、始めに目指していたものから遠ざかっているのではないか。そんな不安感と疲労感、倦怠感の中、あのメロディが聞こえてきたというわけだ。



 おそらく人々は、自分自身の「大きな古時計」を求めているのだ。生まれてから死ぬまで、傍らでいつも変わらず自分を見つめ続けてくれるもの。同じリズムを刻みながら自分と同じ時代(とき)を歩み続けてくれるもの。そういうものがあるというだけで、人は安らぎを覚えるのだろう。
 それはある意味でかけがえのない「友」であり、同時に「神」にも等しい存在なのである。
 勿論、移り変わりの激しい現代を生きる僕達に、「大きな古時計」はない。「家族」も「ふるさと」も「祖国」も、勿論「規範」さえも僕達を見守り、気が付けば変わらずに存在し続けることはない。だからこそ、人はこの歌に「古き良き時代」への郷愁と憧れを覚えるのである。



 僕自身はこの歌を聴くと、昔僕の家にあったゼンマイ仕掛けの振り子式の柱時計を必ず思い出す。カッチンカッチンと時を刻む振り子の音が、いつも甲高く狭い部屋に響き渡っていたものだ。ゼンマイ仕掛けなので、徐々に遅れ、時を告げる鐘の音までがスローテンポになってくるのがご愛敬だった。高度成長の始まりの頃とはいえ、今よりも時間はゆったりと流れていたからそんなことが許容されていたのだろうと思う。その家が人手に渡り、やがて取り壊された。そしてその時計も何度かの引っ越しの間にいつしか僕の家から姿を消した。
 僕が死ぬよりずっと前に、その時計は役目を終えたと自覚して、自分から姿を消したのかも知れない。



 繰り返すが、「大きな古時計」はもうない。歌の中ではおじいさんとのお別れの時を告げた古時計だが、古時計自体が僕達の前から消えたことは、ある幸福な時代が永遠に終わりを告げたことを僕達に教えてくれている。
 そう、時計の針は決して逆戻りしない。


2002年11月07日(木) 彼女の言葉は、いつでも僕を苦しめる

 彼女の言葉は、何故かいつも僕の心に突き刺さる。たとえ彼女が僕のことを元気づけたり、励ましたりしようと思ってかけてくれる言葉でも。いや、そうであればある程なおさら、彼女の言葉は僕の心を抉る。



 別に彼女に悪気があるわけではないのだ。それなのに、彼女の言葉を聞くと、僕は無性に腹が立ってくる。彼女の言葉の一つ一つが、見事に僕の神経を逆撫でするのだ。だから僕は、彼女に攻撃的な言葉を投げつける。彼女もそれに応じる。
 こうして、僕と彼女は喧嘩別れする。



 この状態を、これまで何度も繰り返してきた。彼女はそのたびに、自分の言葉の選び方を反省する。そして、随分経った頃に僕に謝る。その頃には、彼女の顔も見たくないという僕の気持ちも少しは和らいでいる。
 こうして、僕と彼女の関係は、断続的に続いている。



 今回はどうなるのだろう。僕はかなり感情的な言葉を綴ったメールを、彼女に送りつけた。その前の前に彼女から来たメールには、やはり僕を励まそうとした筈の彼女の言葉が並んでいた。けれど、それはやはり僕の神経を逆撫でした。そこで僕は少し感情的な言葉を投げつけた。すると彼女は、突き放したような極めて短い言葉を送ってきた。そして、僕はさらに傷付けられた。



 彼女が僕を鼓舞しようと思って書いてくれた力強い言葉は、そのまま僕を攻撃する刃となる。そして僕は血を流す。殆どの場合にそうだ。一体何故なのか。考えても僕にはよく分からない。多分、彼女にもよく分かっていないだろう。
 彼女と僕の関係を保たせる最前の方法は、もしかするとお互いが口を噤むことなのかもしれない。



 そう思いながら、僕と彼女の関係は断続的に続いてきた。何故傷付け合うことしかできないのか。一体彼女にとって僕は何なのか。
 そして、今度こそ彼女にとって僕は弱くて無意味な存在になるのか。
 「もうそっとしておいてくれ」
 彼女への最後のメールに、そう僕は書いた。


2002年11月02日(土) 勧善懲悪の世界

 まるで映画や芝居の物語のような事件が世界では次々に起こっている。ロシアのモスクワにある劇場にチェチェン過激派の武装勢力が観客を人質に立てこもり、軍の特殊部隊が突入して人質が解放されるという、その劇場でそのまま上演してもいいのではないかとすら思われるような事件が発生したのは記憶に新しい。犠牲者は日を追うごとに数を増やし、ついに100人を超えてしまった。その多くは、突入に先立って軍が劇場内に散布した特殊な催眠ガスによるものとみられている。



 プーチン大統領はいち早くこの事件を「テロ」と断定し、内外の世論を味方に付けた。今回の突入作戦についても概ね支持や同情を集めている。ロシア国内の世論調査では、実に85パーセントもの人が今回の作戦を支持したという。成る程、武装グループのやり方はあまりにも強引、かつ非道なものである。突入のタイミングや手法も、戦術的にはやむを得なかったことは理解できる。けれど、僕が気になるのは、この事件が起きた根本の原因が忘れ去られているか、不当に軽視されているように見えることだ。
 メディアでも取り上げていたように、あの事件の背景にはロシアのチェチェン政策がある。ロシアからの分離独立の動きを見せたチェチェン共和国に対して、ロシアの前政権は武力で制圧する道を選んだ。一度は失敗したものの、その後チェチェン国内での治安が悪化したことを口実に、現プーチン政権は再びチェチェンに軍事侵攻。多くの人々の命を奪ったのだった。この軍事作戦は、今も進行中だという。



 チェチェンとロシアのこうした確執の中から、過激派や国際的な組織につながると見られるテロリストが登場してきたのだ。これは、アメリカの場合もそうだが、「テロとの戦い」を宣言しているまさにその国が、テロの原因を作り出しているということを意味する。そして、ここでは昨年の9.11以降繰り返されてきた「テロ=悪」「それと戦う政府=善」という、失笑を禁じ得ない程の単純な図式が唯一の真実であるかのように語られるのだ。このことによってロシア政府は、自らの突入作戦はおろかチェチェン政策の全てまでも正当化しようと目論む。事実それは功を奏していて、上記世論調査の他にも、例えば9.11以降、それまでどちらかというとチェチェンに対して同情的・ロシアに批判的だった欧米諸国が、一転して「テロとの戦い」という文脈においてロシア支持に回るという事態も起こっている。このことがチェチェン側の焦りを呼び、今回の事件の引き金になったという見方もあるのだ。
 すなわち、「テロとの戦い」というあまりにも単純な図式が、今回の悲劇を誘発したという見方もできるのである。



 テロリスト達は暴力に訴える。そのやり方があまりに極端なので目につきやすく、人々は彼等を非難する。だが、ロシアがチェチェンで軍を使ってやっていることもまた、紛れもなく暴力を使った虐殺以外の何ものでもない。イスラエルがパレスチナ自治区で「テロへの報復」としてやっていることも然りだ。過激派や国際テロ組織などの非合法的な組織が行えば「テロ」で、政府の正規軍が行えばそうではない、などという詭弁に騙されるのはいい加減にやめた方がいいだろう。繰り返すが、どちらも暴力であることには代わりがない。そしてどちらも、「力」こそが問題を解決する手段であると頑なに信じている。
 そうさせている背景には、アメリカ・ロシアなどの「大国のエゴ」が軍事力・経済力を背景にまかり通るという国際社会の現状があることは否定できないと思う。



 しかし、「力」では根本的な解決を図ることができないのは明らかだ。それは、「テロとの戦い」で圧倒的な軍事力を用い、アフガンからテロ組織を駆逐したかに見えたアメリカと国際社会が、バリ島での爆弾テロを初めとしたテロ事件の勃発から未だに逃れられないことからもよく分かる。「力」で封じ込めることは、一時的には効果があるように見えるのだが、根本的には何も解決できないどころか、それは怒りと憎悪をかき立て、新たなテロの温床さえ作り出してしまう。こうして世界は、暴力と殺戮が繰り返される果てしない「テロとの戦い」の無限ループにはまり込んでいく。そして、そのループの中で「テロ=悪」「それと戦う政府=善」という図式は再生を繰り返しながら生き延びていく。



 もしも国際社会が事態の根本的な解決を望むなら、それはあらゆるチャンネルを駆使しての徹底した交渉(話し合い)以外にはあり得ない。そして、もう一つ重要なことは、僕達の思考が先の単純な図式から自由になることだ。言うまでもないことだが、絶対的に正しい立場も絶対的に悪い立場も存在しない。
 勧善懲悪は物語の古典的な形式である。あの9.11以降顕著な傾向なのだが、物語のような事件の多発の中で、僕達は恰も物語を生きているような錯覚にしばしば陥る。けれど、現実が物語ではないことは言うまでもない。


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