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2005年03月29日(火) 化石になりたい

 昔から人に言うたびに馬鹿にされるので最近はあまり口に出すこともなくなったけれど、私には壮大な夢がある。

 死んだあと何億年もかけて美しい化石になりたい。そして誰かに発掘されたい。

 現在の私たちが、博物館や東急ハンズや三越の壁で目にする化石。やつらはとてつもない強運の持ち主だ。死骸が粉々に砕けることもなく、形を留めたままゆっくりゆっくりと石になったのだ。その上、地層の変化にもびくともせずに地表にまで持ち上げられて、たまたまそこを誰かが掘り、化石として保存される。いったい何をどうすれば、そのような巡り合わせに恵まれるのだろうか。どこでどういう風に死ねば化石になれるんだ?形を残すんだったら火葬は避けた方がいいのだろうか。樹海あたりで変死した方がいいのかな。深い穴を掘って即身仏になればどうだろう。

 などと色々考えてはみるけれど、やっぱりそれはもう運としか言いようがないね。何億年か後だともう人間は居ないだろうから、その時に繁栄している生物が居るのか、居たとしてそれが考古学的な興味を持って化石を発掘したりする者かどうかってのも問題だし。

 こうやって日記やくだらない文章を書いてはネット上に晒しているのも、実は化石になりたい気持ちと無関係ではない。書くこと、その行為自体で満足しているようなところもあるから、書いたものは自分のパソコンに保存するなり、極端に言えば書くだけ書いて保存しなくたっていいようなものかもしれないと思う。でも、こうやってワールドワイドウェブの片隅にひっかけておけば、何かの拍子に「情報の化石」になれるかもしれないと、少しだけそう思っている。既にarchive.orgは稼働しているし、国会図書館もWARPプロジェクトを始めた。積み重ねられてゆくネット資源のアーカイブに紛れ込めば、情報の化石になれるかもしれない。それはたぶん何億年もかからない。100年も経てば立派な化石だろう。

 追記:ここまで書いてから、ふとarchive.orgにアクセスして「まさかね」と思いながら試してみたことがある。そうしたらなんと、情報の化石への道が開けていた。2004年1月と3月に保存されていた。すごくびっくりした。やってみるもんだなあ。


2005年03月26日(土) 少しずつ飲み続ける週末

 金曜日は珍しく職場の飲み会があった。年度末だからね。カジュアルフレンチというかビストロというか、そんな感じのレストランでヴァイキングスタイル。久しぶりに白ワインを飲み続けてみたら、帰宅してまもなく気絶するように眠ってしまった。まだ10時くらいだったのに。今朝は平日と同じ時間に携帯の目覚ましが鳴って起床。いやあよく寝た。

 今日は吉祥寺で久しぶりの友達に会う。お昼に待ち合わせて、いつもの沖縄料理屋へGO。海ぶどう、フーチャンプルー、オリオンビール2杯。いい具合に酔っぱらう。友達が「マックシェイクが100円だから買う!」と言い張るので私もブルーベリー味を飲んでみる。ラムネ(飲み物じゃなくて白い固形の方)の味がする。その凶暴な甘さに3分の1ほどでギブアップしてあとは友達に飲んでもらう。まだちっとも桜が咲いていない井の頭公園を散歩する。池にはスワンボートが危険といってもいいほどの密度でみっちりと浮かんでいる。ほんとにもう、あちこちでぶつかってたよ。なぜそこまでして乗るか。

 そのあと花仙堂でコーヒー飲んだり激安洋服屋を見てまわったりして、ふとあのおしゃれな100円ショップに行こうと思い立つ。この友達もきっと好きだろうと思って。しかし、今まで人に連れて行ってもらっていたので場所がよくわからない。このへんかなというあたりをぐるぐる歩く。見つからない。本屋に入って吉祥寺マップを見ても載っていない。いつも連れて行ってくれる人に電話しようかと思って携帯を取り出し、いや念のためにとiタウンページで検索してみたら、あっさり地図まで出てきた。最初からそうすればよかったのね。そうやって店にたどり着いて、1分後くらいには友達が商品を3つばかり抱えているのを発見して笑う。私もいくつか購入。この店は危険だ。買わずにはいられない。

 そんなこんなで12時から17時頃まで、ほとんどの時間を歩き回っていたら友達が疲れ切っていた。しまった。私は散歩が好きで、半日くらいは歩いていても平気なのだ。ここのところ遊んでいるお茶会の人たちもそうみたいで、この歩きペースがスタンダードになってしまっていた。普段あまり歩かない人は、たぶんへとへとになると思われる。それを忘れて付き合わせてしまった。すまん。ていうか、もしかしてお茶会の人たちも疲れてる?あんなに歩くのイヤ?だったら言ってね遠慮しないで。と、少し不安になったりして。

 帰り道、唐突にケンタッキーフライドチキンが食べたくなって買って帰る。1年以上食べていないかもしれない。食べてみると、ビールは進むけれど油っこいし味は濃いしでもういらねえと思う。でもたぶんまた1年後くらいに食べたくなるのかな。おそるべしカーネルサンダース。


2005年03月22日(火) 茶鍋

DATA DIVISION.
鶏ひき肉、椎茸、葱、ほうれん草、白菜、煎茶.

PROCEDURE DIVISION.
INITIALIZE 土鍋.
PERFORM サブルーチン"つみれっ茶鍋".
MOVE 鶏つくね TO つみれ.
ADD 白菜.
EXIT.

 意味も無くプログラム言語風に書いてみる。記憶がおぼろげなのですっかり間違っていると思うけど。で、昨日は茶鍋会を開催したと。「つみれっ茶鍋」のレシピで、鰯つみれを鶏つくねにアレンジしたと。そういうことなのだが。

 煎茶と日本酒の混合物の煮立った香りは、初めて嗅ぐ香りだった。しかしできあがった料理は限りなく「普通の水炊き」。日本茶を使う茶葉料理で、お茶の味や香りをさせようと思うとものすごい量のお茶を使わねばならんと認識した三連休最後の一日。

 あとは、衝動買いした「豆腐の燻製」が、はんぺんの舌触りだったり、宇都宮餃子がニンニクがっつりだったり、大根葉の浅漬けはやっぱり旨かったり、そんな三連休最後の一日。


2005年03月20日(日) はじめての行進

 3月18日はパリ・コンミューン記念日なのだそうだ。知らなかった。この日にちなんで、毎年「解放運動無名戦士合葬追悼会」なるものが開催されているのだそうだ。知らなかった。青山霊園に「無名戦士の墓」があって、労働運動や平和活動なんかに貢献した人が亡くなると、そこに合葬されるんだそうだ。知らなかった。

 ほんとうに世の中には知らないことがたくさんあるものだ。まあ、この件については世のほとんどの人が知らないと思うのではあるが。知っているのは関係者くらいのものだ。私も関係者になったから知ったわけで。最初、父からの電話で「3月18日に東京に行く、無名戦士の墓にママが合葬されるから」と連絡を受けた時には「な、なんだって???」としかリアクションのしようがなかった。話を聞いてもよくわからないので、父から書類をファックスしてもらって熟読してみた。それでもよくはわかっていないのだが、一応あやしげな話ではなさそうだと確認できたので安心した。

 無名戦士の墓というのは、プロレタリア文学「女工哀史」を書いた作家の遺族が昭和の初期に建立したのだそうだ。戦中は有刺鉄線はりめぐらされて特高が監視していたという。戦後になって今のような盛大な合葬追悼運動になってきているらしい。ちなみに今年の新規合葬者は1144名だそうだ。

 父も母も某革新政党の党員だったし、地域ではそれなりにリーダー的な活動をしていた。今回、最初私が戸惑ったのは「無名戦士の墓」という名称と、この追悼運動を仕切っている団体の名称が、父母の属している某革新政党のイメージとそぐわないように感じたからだ。墓の名称については、もともと「解放運動無名戦士の墓」なのだが、戦前の治安維持法で「解放運動」の文字は刻めなかったということらしい。

 とにかくそんなわけで、偶然有休消化のために休みを取っていた私は、父とともに日本青年館での式典に出席し、そこから青山霊園までの約40分間の道のりを行進するはめになったのだった。一応先頭に横断幕を掲げた行進ではあるが、参加者はほとんどが高齢者だし、みな献花のための菊の花を一輪ずつ持っているし、都道府県ごとに幟を立てているし、警官の誘導でだらだら歩いているし、端からみたらどういう団体に見えたのだろう。普段遊びに行っている外苑前や青山一丁目や、そんなところをまさか行進するとは思わなかったよほんとに。

 ちなみにこの追悼会、遺族の慰労も兼ねているようで、遺族一人分の東京までの交通費は出してくれるし、宿の世話やら翌日の都内見物やらも手配してくれるそうだ。労組も市民団体も某革新政党も貧乏だろうに大変だなと思っていたら、やっぱり全部寄付でまかなっているとのこと。スタッフも全部ボランティアっぽかった。組織ってすげぇって思っちゃった。
 
 私自身は政治的には左寄りではあるが、団体活動が苦手という性格のためか未だかつてどこの政党や政治団体にも属したことはないし、今後もそうすることはないだろうなと思う。それはもう、今回1000人くらいで行進してみて「やっぱりわしには向かん」と再確認してしまったのだった。


2005年03月17日(木) えげれす料理

 


 吉祥寺でイギリス料理を食す。あの、不味いと評判のイギリス料理だ。イギリスでマシな料理を食べたければインド料理屋に行けと言われる、あの国の料理だ。なんでもパイで包んで焼いてしまう、イギリス料理だ。わくわくするなあ。

 考えてみるとちゃんとしたイギリス料理を食べるのは初めてで、料理の名前を見てもさっぱりわからないのだった。ハギス?ブロス?キドニーパイ?うーん。とりあえずフィッシュ&チップスは食べよう。あとは、スコッチ・ハギス。

 ハギスはマッシュポテトとグリンピースがたっぷり添えられてる。何の肉かは謎だが、スパイスが効いていてやっぱりちょっとインドの香りがする。さすがは香辛料を略奪して栄えてきただけのことはある。ウイスキーをかけて食べるらしいので試してみたら、一気になんかものすごいソウルフードな感じに変化してのけぞる。私はそのまま食べる方が好きだ。ヘタレと言われようとも。さて、ポテトの横にでーんと鎮座している焼き芋のようなものがフィッシュフライである。このような形のフィッシュフライを見たのは初めてだ。衣がパイみたいでカリッとしてて、味もしっかりついていてすごく美味しい。スタウトやエールをちびちび飲みながらあっという間に平らげる。豆があったのでけっこうお腹がいっぱいになる。どこの国でも豆と芋って労働者の食べ物だねえなどという話をする。同行の人はキドニーパイが食べられなくて残念がっていた。今度はフィッシュ&チップスとキドニーパイでいってみよう。

 イギリス料理なのに、こんなに美味しいなんて。どうも釈然としないのではあるが、これはきっとこのお店の人がかなりのアレンジを加えて美味しくしてしまったのじゃないかと思う。ここで「イギリス料理って美味しい!」って認識を持つと後々ひどい裏切りに合いそうなので、用心深く「この店の料理が美味しい!」と思っておくことにしよう。


2005年03月15日(火) 消えるCD

 某所某人の書き込みにCHUMBAWANBAのTUBTHUMPINGの歌詞を見かけて、無性に聴きたくなってCDの棚を漁ってみたが見つからない。うがー。また消えた。あの気持ちの悪いジャケット、確かに買ったのだが。Portisheadの10年くらい前の輸入版も聴こうと思ったら無かった。なんだかとってもブギーな気分だぜと思ってSTATUS QUOを探してみても見つからない。もう忘れたけどレコードもよく消えた。誰かに貸したんだと思うんだけどさっぱり思い出せない。たぶん昔の彼氏とかなんだろうけど今さらどうすることも。しかも最近はオンラインショッピングなもんだからついうっかりCHUMBAWANBA注文しちゃったし。これから色々思い出して見つからない度に買いそうで危険。


2005年03月14日(月) 最近のワカラナイ

●最近、職場のトイレのウォシュレットが「水温最高・水勢最強」に設定してあることがままあるのですが、あれは無差別テロなのでしょうか。

●最近、女性の装いで「上はダウンジャケット、下はツイードのパンツかスカート、でも素足でサンダル」というのを見かけますが、あの人達は暑いのでしょうか寒いのでしょうか。

●最近、本やレストランやその他の商品についてレビューを投稿するシステムが増えましたが、必ず星の数で評価させるのは何故なのでしょうか。例えば面白くはないけどいい本だと思う時はどうやって星の数を決めるのでしょうか。みなさんそんなにランキングが好きなのでしょうか。本買う時にランキング気にしますか?

●最近、六本木で通りすがりの女性の乳を揉んだ一日一善のエロオヤジが、私より2つも年下ってどういうことでしょうか。ニュース映像や写真を見ても納得できません。


2005年03月11日(金) 李白の会 第三回定例会@人形町快生軒

 


 今月の李白の会は、人形町の快生軒

 今まで縁がなくて行った事がなかった街だけれど、向田邦子や常磐新平の愛したマーマレードトーストを食べねばと、人形町へ。しかしこの店は18:30に閉まってしまうのだ。定時の17:30にそそくさと会社を飛び出し、快生軒へと直行して到着したのが18時過ぎだった。とにかくブレンドコーヒーとマーマレードトーストを注文。トーストのパンは浅草の有名な「ペリカン」というパン屋さんのものを使っているとのことで、私は初めて食べたのだけれどふかふかもっちりの不思議な食感で癖になる味だ。

 18:30の閉店とともに店を出て、さてご飯を食べようと。順番が逆だがしょうがない。気になっていた洋食屋「キラク」でビフカツとポークソテーをシェアして食す。この店も凄かった。全メニュー制覇したい。

 久しぶりにがっつり肉を食べ、おなかいっぱい大満足。そんな時はやっぱり喫茶店に入りたいよね。てなわけで本日二軒目の喫茶店。通りの角にあった「ロン」に、私の喫茶店魂を揺さぶる何かを強く感じたので突入してみる。ここはなんていうか、大阪みたいだった。凄い種類のフードメニュー、焼きそばや焼きうどんまである。ミックスジュースがあったので迷わず飲む。すごく落ち着く。焼きそばを頼んでいる人がいて、なかなか美味しそうだった。

 人形町で過ごした2時間ほどの間に、喫茶店二軒と洋食屋一軒。他にも気になる店がざくざくあった。ああこんなに魅力的な街だったなんて、知らなかった。また機会をつくって訪れたい。実はもう一軒行きたい喫茶店があるのだが、18時までで土日休みなので難しいのだ。朝は7時からやってるから「李白の会モーニングバージョン」にしようかとも思ったが、どうせなら平日に休みを取って色々とハシゴしようかと思う。いやあ、人形町はいい街だーー!!


2005年03月09日(水) 東京では滅多に売っていないと思って

 東京では滅多に売っていないと思ってあきらめていたら、うちのすぐ近所の100円ショップで売っていた。うーれーしーーー! 明日はフライにしようかな。さつまいもの天ぷらも捨てがたい。あとピーマンのソース炒めとか。禁断のソースかけご飯(我が家のローカル名称:ソーご飯)とか。わーい。



2005年03月07日(月) ガム風呂

 入浴剤の「バブ さくらの香り」がひとつだけ棚の奥に忘れられていて、季節もちょうどいいからと入れてみたところが、まずチェリーピンクになるはずの湯の色がなんだか雅びな薄紫。そして香りはチューインガム。あまいんだよ風呂なのに。ガムの香りの充満した浴室で、やっぱり一年以上忘れていたのがいけなかったのかしらと思いを巡らせながら甘い香りにくらくらした。今も体がガムくさい。


2005年03月06日(日) 現代美術と蕎麦の日

 東京都現代美術館へ「愛と孤独、そして笑い」展を見に行く。都心横断路線バスの旅。うちから東京駅南口までバスで行き、東京駅北口から現代美術館行きのバスに乗る。合計約一時間で到着。このルート、初めて試したけど小旅行みたいでいいなあ。
 
 展覧会は、10人の女性作家。サイトの文章を読んで、あまりにもフェミニズムな感じだったらどうしようとちょっとびびりながら行ってみた。けれど、そういう気張り方をしているのは美術館側なのであって、作品自体は楽しく見られるものが多かったと思う。

 今回のお目当ては澤田知子さん。以前、オペラシティのアートギャラリーで「ガール!ガール!ガール!」という展覧会を見た時に、この人の作品(?)がすごく面白かった。コギャルやお見合い写真やいろんな人になりきってセルフポートレイトを撮る人。今回、集合写真の展示があるらしいのでそれを楽しみに行った。女子校の集合写真、クラス全員、先生まで澤田知子。でもみんな違う人としか思えない。しかも全員「こういう人クラスにいたよなあ」っていう。さすが変装家。やっぱりすごいなこの人。ID400も一部展示されてた。4枚一組の証明写真100組で一枚。壮観だ。
 
 その他の作家では、イチハラヒロコさんはコトバ関係の作品は相変わらずだったけれど、「愛」「笑」の二種類の金属活字を山積みにした作品がちょっと意外で面白かった。嶋田美子さんの「箪笥の中の骨」は、実際に箪笥の引き出しを開けながら見る。中には「家族の秘密」が収められている。ヘヴィーな内容のものが多いのだが、引き出しを開けるという行為はなんだか中毒性があるみたいで、全ての引き出しを開けてしまうまでやめられない。イケムラレイコさんの絵は、見ていると吸い込まれそうで怖いんだけどなぜか釘付けになる。

 思ったよりもじっくり楽しんだので、常設展はパス。この間の近代美術館「痕跡」展でおなかいっぱいでもあるし。ミュージアムショップをひやかした後、散歩がてら森下の京金まで。歩きながら記憶を手繰り寄せてみると、現代美術館が出来たばかりの頃は最寄り駅は木場くらいしかなくて、公園も整備されていなくて荒涼たる空き地だった。その脇をさびしーい気持ちでとぼとぼと歩いて行った記憶がある。今は駅も増えたし、公園も樹が育っていい感じだ。森下に向かう途中は、実用洋食やらジャンーボ餃子やら中華洋食やらでなかなか楽しい道中だった。




 京金は、ずっと気になってたお店。今日は一人だったので昼酒は我慢して、我慢したご褒美に少し贅沢して鴨汁せいろを頂く。う、旨い。旨いぞ。蕎麦も汁も上品だ。汁には鴨肉と葱のほかに、鴨つくねも入っている。そして蕎麦湯が激しく旨い。こんなに美味しい蕎麦湯は久しぶりだ。ああつまみも食べてみたい。隣のテーブルのだし巻きが気になる。必死で誘惑と戦い、今度昼蕎麦会をここで催そうと決心する。ああ満足。


2005年03月05日(土) 晴れた日はうちにいて

 みなさまご存知のとおり、私はおうち大好きっ子である。ああごめんなさい四十路で「子」って。どう言えばいいのだ、ひきこもりおばさん?家好きばばあ?ええい自分で書いてて腹が立ってきた。

 まあ呼び名はともかく、放っておくと閉じこもって幸せに暮らすタイプで、でもせっかく東京という便利なところにいるのだから外に出て面白いものを見たり美味しいものを食べたり気持ちのいい人たちに会ったりしたいなあとは思っていて、週休2日のうち1日は出かけるように心がけていたりするのだ。

 最近気づいたのだが、出かけるのは天気の悪い日がいい。別に花粉症でもないのだけど、在宅欲とお出かけ欲をバランス良く満たそうとするとそうなるのだ。天気の悪い日にうちにいても、つまらない。窓も開けられないし、昼間家にいるありがたみを満喫できない。一方お出かけは、天気が悪いと人が少なくて快適。雨の日の散歩も好き。街をうろうろするのは楽しいけれど、極端な喧噪は苦手。雨の日は音が雨に吸収されるような感じがして、少し静かで過ごしやすい。

 そんなわけで、今日のように天気のいい休日は午前中に洗濯をして布団を干して、窓を開け放して空気を入れ換えて、少し手のかかった昼食を作ってそれがまた美味しくできたもんだからついビールも飲んで、ソファでごろごろしながら本を読んでうとうとして、目が覚めたらすっかり乾いた洗濯物を取り込んで、夕食は簡単なものにしてゆっくりお風呂に入って、日なたのいいにおいのする布団で眠る。明日は天気が悪いみたいだから出かけよう。


2005年03月02日(水) ナツメロ…なのか

 今まで全く見ていなかったのだが、ふとアマゾンの購入履歴を見てみた。いやあ面白い。5年分くらいの本やCDの履歴がざくざく出てきて、既に忘れ去っているものもあったりして。そうやって面白がって見ているうちに、私は恐ろしい傾向に気がついたのだった。ここ2、3年に購入したCDの、オリジナル音源の録音年を調べてみると…

 1977
 1977以降
 1978
 1978
 1978以降
 1980
 1982
 1984
 1986
 1990

 もちろん他にも新譜や二胡関係も買っているのだが、1970〜80年代のものが妙に増えてきているのだ。これはもしかして、いわゆるところの「ナツメロのCDを買い集めるおばさん」ではないのか。音楽の傾向がマイナーなのでそんな気はしていなかったのだが、よくよく考えてみたらすっかり年寄り臭いことをしているような気が。うーん。まあ、ひとつ言い訳をするならば、音楽の好みが1970年代からあんまり変わってないからなんだけど。懐かしくてというよりは、レコードで聴くのが面倒になってきてCDを買い直しているのではあるが。客観的に見たらナツメロおばさんなのかなあ。


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