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ニュージーランド旅行記、合計180KB。
それを全部PCに打ちこんだおばかさんの戯れ言。
その一覧はトップページにあり。

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2002年06月30日(日) 見どころたくさんで困る

 朝、8:40に起きて窓の外を眺めると雲が少ない。これは延泊手続きした価値がありそうだ。

 朝食をとる。
 最近は三食のうち朝食が一番量が多い。パンを数枚食べるのだが、もう完全にパン食が定着してしまった。こっちで買う食パンはとにかく量が多くて、食べまくらないと当たり前のように賞味期限が切れてしまう。というより実際おいしくなくなってしまう。1回分のパンは、トーストスライスで大体15〜20枚。トーストスライスとはいえ、日本で言うところの8枚切りくらいの厚さ。5日ほどで賞味期限が切れてしまうので1日あたり4〜5枚は食べないといけない。最初のうちはつらかったけど、今は全く気にならなくなってしまった。今までの最高記録は朝食だけでトースト8枚。

 そんなパンの朝食を終えて、今日の目的地Mt.Victoriaマウントビクトリアへ向かう。しかし、マウントとはいっても標高200m以下の小さな丘だ。少し裏手の住宅地から道路の端へ行くと舗装されていない小道を見つける。犬の散歩をしているおばあさんに挨拶を交わしてから小道を30分近く歩くと、突然景色が広がってついでに小道もなくなってアスファルト道になってしまった。そう、ここは車でも来ることが可能な場所。ちなみにNapierのBluff Hillでもそうだった。

 どこぞの観光バスが、俺が着いたと当時に頂上付近の駐車場に止まり、大勢の客が降りてきて頂上の展望地(lookout)が人だかりになってしまったので5分とたたずに踵を返してしまった。来た道とは違う道で市街地へ戻る。

 歩いている途中でジュースの自動販売機を見つけて、なんとなく買いたくなってしまったのだが、1.20$。小銭をきっちり持っていないので1$と50¢(セント)コインを入れてボタンを押す。───ジュースが出てこない。バン!と叩いても出てくる様子はなく、仕方がないのでコイン返却をすると、なぜか50¢コインが2枚戻ってきた。

 「??」混乱した。なんで50¢減ったんだ?ワケがわからなくなって、返ってきた50¢を1枚入れてボタンを押す。出てこない。さらにもう1枚コインを入れる・・・やっぱり出てこない。もういいや、差額の50¢は諦めようと返却レバーを引く。

───反応なし。

 おい…。うわぁ自動販売機に1.50$パクられたー!!カフェの店先に置かれてあった自販機だったのでその店員に事情を伝えると、その店員は両ひじを上げ手の平を上にかざし「俺は知らないよ、そこに書いてある番号に電話して聞きなよ」と言われてしまった。よりによって電話しろってか!ただでさえ電話嫌いなのに、電話代払ってまで聞くのもな…。結局1.50$を自販機に寄付してその場を去る。あー情けない。

 次の目的地はWellington Station(ウェリントン駅)。ここら周辺はそれなりに電車が発達していてここWellingtonを基点に北へ3方向にそれぞれ30〜40kmほど伸びている。かなり規模の小さい梅田発の阪急電車みたいなもんやね(わかりにくい…)。日曜日ということもあって、オフピークの値段で電車に乗れるけど結局乗らずじまいで済ませ、ホームと電車内の様子を写真におさめて満足してしまったようだ。その後1時間ほどはネットして遊んでYHAに戻る。

 晩飯も終えてソファでのんびりしていたら、額に"GERMANY"とペンで書いた顔の赤い男が「Ronaldo(ロナウド)〜!!Hoo!!」などとわけのわからん状態で部屋にやってきた。今日はサッカーWorld CupのFINAL(決勝戦)。ドイツ対ブラジルで、その彼はどうやらブラジルを応援しているようだ。じゃあその額の文字は何だ?と聞いてみると「これは俺の彼女が書いたモノだから消せないよ、ウヘヘ」という感じだった。どうぞ勝手にしておくれ。

 夜も更けてくるといよいよ決勝戦も近いという雰囲気で、ラウンジに人は全然いなくてみんなテレビルームに集まっていた。多少の程度はあるにせよ、どこの国の人も反応は同じやね。2−0でブラジルの勝ち、ドイツ無念。番組の最後で簡単な総集編をやっていたけど、日本の映像はほとんどといっていいくらい無かった。実際に見に行く人でなければ、どこで開催されているかなんて大した問題じゃないのかも。閉会式は全く放送されなかったけど、本当にそんな式あったの?

 あ、先週から見ようと思ってた『M:I2』見逃してしまった。まあいいや。



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NZの豆知識を気分的に綴った当時の日記。↓


==(06/30)Jamie Oliver と Pam's のおいしい関係==


ニュージーランドでスーパーマーケットに行くと、
必ずといっていいほど目に付くのが

「Pam's」

という、飲食品関係はほぼ全てに手を付けている企業である。
調味料をはじめ、パン、卵、炭酸飲料、ベーコン、牛乳、お菓子、など、
果ては医薬品まで作ってしまっているコンセプトなしの企業だ。

で、そのPam'sのテレビCMに出演しているのが、

Jamie Oliver(ジェイミー・オリバー)

という、英国出身の若手料理人なのだ。確か20代後半だったと思う。
存在意義としては、日本でいう「ケンタロウ」あたりだろうか。
個人で本を出したり、ビデオを出したりしている。

ニュージーランドでは結構有名らしい。

で、そのPam'sのCMがすごい。
Jamie Oliverが勝手に人の家の台所に上がりこんで、
そこの家主にまずはあいさつをして、
そして勝手に料理を作り始め
(もちろん使うのは自分で持ってきたPam'sの食材)、
出来上がった料理を外に持ち出して食って帰ってしまう、
その姿を見た家主がボーゼンと立ち尽くす、
というムチャクチャなCM。

日本なら「不法侵入を促すのではないか」とか
ワケのわからんクレームをつけてきそうなバカクレーマーがいそうだけど、
ニュージーランドはそんなコトはなく、無事に続編のCMを放送してきました。

次のパターンは、Jamieの両親と思われる家に自分の子供を連れてきて、
そこのキッチンで、もうそれはハチャメチャに子供と一緒に
暴れまわり、料理はおろか、食材(ケチャップやクリームなど)で遊びまくって
キッチンをとんでもない状態にしてしまって両親に見つかってしまう、
というシナリオ。
ちなみに、両親に見つかったときに、Jamieはパンをくわえていたと思う。

まあそんなことはどうでもいいが、日本ではまず見られないようなCMだ。


イマイチ調べてないんだけど、この「Pam's」というのは
ニュージーランドだけのブランドなのだろうか?
スーパーで買い物する時には、たいてい「Pam's」の商品が
同じ系統の中で一番安くて、よく購入してしまうんだけど。
だからといって、優良ブランドだと思っているワケでもない。

ポテトチップスはBluebird、
パンはTIP TOP、
マーガリンはMEADOW LEA、
米はSUN RICE、
オレンジジュースはKERI、
チョコレートはCADBURY、と
相場が決まってるんでい!

あくまでオレ基準。



ちなみに、昨日のワールドカップ3位決定戦は見ませんでした。眠かったし。
それにしても韓国の思い通りの展開で終わりましたな。
某サイトで韓国びいきのワールドカップに関して

お金で買える“勝ち”がある』(by Mast●r Card)

と書いていたのには「素晴らしい!」と感動した。


2002年06月29日(土) 雨のWellingtonで考えた

 Wellingtonに来た目的は、NZ最大の博物館&美術館である“Te Papaテパパ”を訪れるためである。旅の途中「WellingtonはTe Papa目的だけで行ってもイイかもよ」という情報をもらっていたし、もっとも、ワーキングホリデー始まってすぐのホームステイ先でも「Wellingtonに行くならTe Papaには行っておきなさいよ」と言われていたので、結構楽しみにしていた。

 そのTe Papaなんて所詮、国が管轄していて入場無料、一部の施設で別料金を取るって程度のものだから、大したことはないだろうとタカをくくる。

 しかしその発想は、税金の使い方が思いっきり変な日本の政府を見てきているからであることが思い知らされた。もう、ハンパでないくらいデカイ。

 今まででもあまり博物館なんて行くことなかったけど、日本で見るそれよりも2〜3倍はありそうだ。何たって5(6?)階建てで、しかもそれぞれの階層の面積が広い。あまりに展示されている数が多すぎてほとんど覚えてないけど、一番印象に残ったのは“コンビーフの缶”を何個も使って作った牛の像。なんというジョークだ。全部くまなく歩き廻ったら平気で2時間経ってしまっていた。英語で説明書きされているから深く読んでいないし、現地の人がじっくり廻ったら3日くらいかける必要があるかもしれない。でも、これほどのでかい施設が原則無料で、寄付のみで成り立つのだろうか、といささか気になってしまった。俺ってばおもいっきり日本人気質。

 出ようとして階段を降りると、何やらマオリの歌が聞こえてくる。ハモリつきだ(当然だ)。かなり練習を積んでるんだろうなと思って歌っている場所まで足を運ぶと、これがみんな若い子(高校生くらい)ばっかりなのだ。これがもし日本なら、「やってらんねーよそんなモン!」と大半の人は投げ出すかもしれない。これは…親の代・それ以上の先祖に対して誇りを持っているからこそなのかな、とも思える。

 今日の天気は一日中雨らしい。そうなると本当に何事もやる気が失せる。大きな図書館に移動して(それにしてもドコに行っても図書館には行ってるナ)、『フットロットフラッツ(Foot Rot Flats)』というNew Zealand独自の4コマ漫画の日本語訳された本を読む。ちなみにここにはなぜか『じゃじゃ馬グルーミンUP!』の漫画が置かれていた(全巻ではなかったが)。

 この街は風が強いと言われているのだが、今日に限っては風よりも雨のほうがよっぽど強い。ほとんど歩きまわれていないので、ここでの滞在を延期することにした。次の行程はどうしようか。Wanganuiワンガヌイ?Taupoタウポ?New Plymouthニュープリマス?何しろ北島は、道路は多いくせにバスがかなり少ないため、車を持っていないと選択肢が格段に減る。行きたい場所が多いと、引き返しをしないといけないから交通費も余分にかかる。何とかならんか。



 話は変わるが俺は以前、彼女が全然いないということを話してた時に、とある同年代の女性に「モテそうなのにねー」と言われたことがある。まれなことだが、似たような状況が3度はある。そして今日も言われたのだ。こういうことを言われる俺って一体何や?と非常に疑問に思う。

 そんなことを言ってしまえる女性は、「モテるんだから私は釣り合わないな」なのか「モテるかもしれないけど私はお断り」なのか、はたまたそれ以外か。いずれにしても、俺がアプローチをかけようとする以前に誘いを断られた形になる。

 そして、その言葉の使い方も気になってしまう。なんで「モテそう」なんだ。仮に「モテるでしょ?」と問われるなら「いやーそんなコトないっすよ」と返されるのがオチだと思っているからか?言われてその時は悪い気分はしないけど、後々考えると“訴えたいこと”がわからなくなる。モテそうとか言うなら俺の彼女にでもなりなさい。座席は空いてるよ!


2002年06月28日(金) 融通利かないわねェ

 大移動。HastingsからWellingtonウェリントンまでおよそ300km。バスでおよそ5時間の距離。なぜだろう、金曜日ということもあってか、随分バスが混んでいる。この時期はいつも2人分のバス座席を1人で占領できるのに、今日は運悪くおばあさんが俺の隣に座ってしまった。足を大きく広げてくつろぐことが出来ないではないか。途中、Palmarston Nth.でバスを乗り換えるからあとの2時間半は1人で座って楽に過ごせたけどね。

 Wellingtonに近づくにつれて雲行きがあやしくなり、残り30kmくらいの所でいよいよ雨が降り出してきてしまった。

 15時にBus Depotバス停に到着したら、乗客がすべて降りている。今日の宿であるYHAはここから2kmほど離れている。

「YHAまで送っていただけませんか?」と運転手に聞くと
「あー、そこに巡回バスがあるからそれ利用するといいよ、1$だし」などと言われてしまった。
「テメエ、そのバス使って俺を送れ!」と言っていたのは心の中だけだった。

 しゃーないな。言われたバス停に行くと、2階建てのバスが止まっていた。そこで「YHAに行きますか?」「はい」と言うから値段を聞くと、2$と申すその運転手。「1$って聞きましたよ?」「値段変わりましてん」と、そのマオリ運転手は少しふてくされ顔で言ってきた。ったく…2$かよ。雨も降ってるから歩くのもイヤなので仕方なく乗ることにする。数分後に到着。Wellington YHAは、02年6月時点でNew Zealand最大の収容人数を誇るユースホステルだ。最高230人が宿泊可能。でも今は冬なので60〜70人程度と思われる。 

 部屋に荷物を置いて外に出ると、雨はあがっていた。そして、再び発見してしまうアジア人の嵐。何だってんだホントにもう。見ない時は全然現れないクセに、見るとなったら大集合か。ガキは祖国に帰りな!(ガキ…俺か) 第一、小学生くらいの中国の子供が流暢に英語喋っとったら何かムカツクねん。お前中国人の誇りはどうした、と問い質したい。ま、日本人でも同じやけどね。おもいっきり日本人顔の子供が英語喋っとったらね…。

 買い物を済ませて宿に戻り、キッチンを見ると中華鍋にガスコンロが用意されている。最近はNew Zealandもガスが普及してるな、と思いつつ今日の飯はキャベツ中心のチャーハンに決定。こっちに来て、もう何回ほどチャーハン作ってるんやろか。10回程度では足らないはず。でも調味料が限られている(持ち運んでない)のでいつもカレー味かしょう油味になってしまう。たまには違う味も作りたいけど、面倒だ。


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Wellingtonについてから綴った日記がこれ。↓



==(06/28)大打撃==


いつのまにやら、時は6月末。

2002年ってもう半分過ぎましたか。時間感覚がヘンです。
そしてこの日記の意味もヘンです。
先月に比べてマイエンピツ登録が5件減りました。

確かにダメージでかいけど、くじけません。
今でこそ、更新ができないだけであって、帰国したら、
貯めこんである日記を一気に更新してやるんだからっ!

デザインもいい加減変えようと思ってますが、
多分どこぞから勝手に背景借りてきて(マナー違反)
レイアウトを軽く変える程度でしょうけど。


え。


仕事はですね、ダメダメちゃんでした。ということで
Wellington(ウェリントン)に移動です。ガウ。諦めの早い男。


2002年06月27日(木) 映画代は500円弱

 今朝同じ部屋に泊まっていたみんなは、仕事の為に7時に起きて速攻出ていってしまった。かなりバタバタとしていたので俺も半分起きていた。8:30に改めて起きてキッチンに移動すると誰もいない。そこへオーナーのJohnがやってきた。

 昨日の電話(雇用の件)はどうだったか?と聞くと、やはりというか期待外れというか、ダメとの返事。詳しく聞くと…「まず車が必要で、6人以上は欲しい」とのこと。おーい、仕事ないからって昨日出てった人たち戻ってこーいって思ったね。今は、大抵の人が最初から仕事が無いと思っているらしく、新たに来る人が少ないようだ。本当にタイミング最悪だ。その後よその宿にもダメだろうと思いつつも仕事探ししに行くと、やはりダメだった。

 以前話したことがあるだろうか、こういう移動が必要な仕事は個人の車所有が大前提になる。そしてグループ行動が基本なので、ピーク時は何の問題もなく他人の車に同乗できるけど、時期によって職を求める人のバラつきがあるので上手くいかないこともあるとか。冬にみつけるのは至難の業か。


 もうあーきらーめたーーーー。──あきらめ早いかな?


 今日は木曜日。New Zealandでは木曜日に映画が新しく入れ替わる。日本の場合は土曜日やね。新聞でチェックすると、今日から公開された映画は『Minority Report』『Spirit-stallion of the Cimmarron-』『Snow Dogs』『Scooby Doo』など。あくまでここHastingsの映画館に限る。でも全国的に同じだと思う。町に出て『Snow Dogs』を見ることにする。ディズニーの実写ドラマだ。これの題材はズバリ“犬ゾリ”。けっこうわかりやすかった。ストーリーはありがちでイマイチだったかも。

 その後図書館に行って、日本の国のことが書かれた本を読む。前にRotoruaの温泉で会ったマオリの子たちに、自国愛というか、知る心は何たるかを教えられてからは、我が国を少しでも知らなければ、という気持ちが強くなった。それで、その本には「日本は決して安全ではない。数はまれだが凶悪犯罪も存在する」というようなことが書かれていた。安全とは…、わからん!考えんのヤメー。

 もうここHastingsに未練はないので(少しはあるけど)、次の目的地のバス予約を済ませる。48$、Intercity高いな…。夕方宿に戻ると韓国人のカイが話しかけてきた。「俺明日でここ離れるよ」「今日で仕事終わっちゃったから」とぬかしやがる!テメーそんなこと俺がバス予約する前に言えー(泣)。せっかく車に乗せてもらえるチャンスやったのにー。まあ彼は途中のPalmarston Northパーマストンノースまでしか行かないんだけど。

 体がだるい、晩飯は抜きにしよう…。


2002年06月26日(水) お仕事はありますか

 今日からHastingsヘイスティングスの町に移動。とはいっても、今まで居たNapierからの距離はわずか25km。City Busというそれぞれの町を接続するバスで40分ほど走れば到着してしまう。じゃあNapierとHastingsを同じ町にしてしまえばイイじゃないかと思ったけれど、実際その間をバスで走ってみたら、町と町の間はかなりあった。たぶん10km弱。この間は牧場か何もないところか。つーわけでやっぱりこの2つは別の町なのだ。某黄色の海外ガイドブックにはNapierのことは書かれていてもHastingsのことは全くといっていいほど書かれていない。この差は一体…?

 仕事探しのことで以前、Rotoruaの宿で一緒だった日本男性(名前失念)に、6月上旬まで「Traveller's Lodge」という場所でフルーツピッキングをしていたという話を聞いた。その彼は「pickingをしたかったけど、途中でpacking(パッキング=袋詰め)にまわされた。俺に合わないからやめてきた」と言っていたので、それから2週間経ってしまったとはいえその宿に向かった。

 オーナーのJohnは少々体が弱っている様子だった。鼻毛が伸び放題。で、そのオーナーに今現在の仕事の状態を聞くと、やはり非常に難しいという。事実、俺が来た前日にも仕事が見つからずにここを離れた人が二人ほどいるそうだ。ともあれ、今夜改めて雇用を聞いてくれるらしいので明日また情報を聞くことにしよう。

 共同部屋に移動すると、カイという名の韓国人が居た。彼はここに2週間ほど居るらしい。3月ごろにも4週間滞在して仕事をしていたとか。今はあえてSoccer World Cupの話題を出すのはやめておいた。第一こっちにいる人は、さほど興味の無い人が多いし。

 World CupはBrazilブラジルが強い!1-0でTurkeyトルコを下したぞ。


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この日更新した日記はこちら↓


==(06/26)すみません。一週間もほったらかしで==


なんだかお久しぶりの感が否めないエイジです。こんにちは。
やっぱり毎度毎度移動してると、なかなかPCも使えないんですよ。
近くにあったPCで日記を更新しようと思ったら何故かエラーが出たりして

って、言い訳ナンボ言ってもムダですね。来てくれた方々、
大変申し訳ありません。何も更新されてなくて・・・。

はい、それでは軽く現状報告。
現在俺はHastings(ヘイスティングス)という場所にいます。
ここは晴れの日が多く、初秋の時期には
リンゴの収穫でたいへん活気付く所。

ほんならワシも仕事探し!!

でも今は冬。

見つかるかどうかは非常に微妙。
自分自身で移動手段を持っていればまだ楽だけど、
誰かの車に乗合いしないとダメなので大変でおじゃる。

うーむ。

季節柄のお仕事っていうのはタイミング命やねー。
ていうか何事もタイミング命かも(・・・遠い目)

このままでは来月帰国もありえます。
真夏の時期に日本になんか帰りたくないよーーママーン(泣)

そういえば、ニュージーランドに来てから
ぼたぼた汗をかく、なんてことがまったくない。
イイ所だ。最近少し寒いけど。

今日もfish'n'chipsで夕食終わりかな。料理作るの少しずつイヤになってきた。


2002年06月25日(火) Visitor's Book見まくり

 Napierに着いて4日目。昨日言っていた荷物は夜に届いていたので本当なら今日ここを出てしまっても問題はないけれど、昨日既に2日分宿をとってしまったので今日もここにいる、ということである。車の旅を一緒にしたマヨさんとは今日ここでお別れ。

 このYHAには1982年から現在までのVisitor's Bookが置いてあり、俺も最新のノートに少し(本当に少しか?)書きこんだ。俺のも含め、相変わらず日本人のそれが多い。中には半年も滞在しているような人が「このバカ、よくこんな態度でNZに半年もいられたな」と思えるような文章も多々見受けられる。しかし、そんなことよりももっと気になるのが“無意味に英単語を入れること”だ。地名や人の名前といった固有名詞ならそれでも構わないと思うけれど、「ずいぶん難しかった」と言えばいいだけなのにわざわざ「very very hardでした」などと綴るのはどうもタダの“英語かぶれ”という雰囲気で嫌いだ。他にもいろいろで、

「Napierはgood plaseでイイですね。Beach lifeはやっぱり心身にいいんですよ。
でも、Mt.Maunganuiが私のBest plase。
You must be go〜!!日本に帰る前にBALI island行ってきまーす、Yeah!!」


 ───馬鹿だ。(ちなみに上の文は原文引用だけど若干修正あり)「plaseって何だ、placeだろ!」とか「Beach lifeってどんな生活だよ」とか「must be go?意味がわからん」など、これだけの文でツッコミどころ満載。俺も語彙を多く持ち合わせているとは言えないけれど、意味をちゃんとわかっていない言葉は書く気になれない(話すのは別)。こういう人は中途半端に英語を勉強するくらいなら日本語を先に勉強したほうがええよ、という気分になる。こういう文章は形に残るのでみなさん気をつけよう。
(web上の日記も形に残る?やかましぃわ)


2002年06月24日(月) 少しグチをたれてみる

 Napier YHAでの宿泊を2日延期する。先週日本から送ってもらった荷物をここに届くように指定したのだけれど、まだ届かない。一週間かかるとは思っていたけど、まあ仕方ない。

 なんかボケーッとしているうちに労働意欲が削がれているように思う。それほど本気で“働かなくちゃ”と思わなくなっている自分が怖い。とりあえずNapierでは仕事探しをやめて、まだどちらかといえば希望が持てるHastingsへ移動しよう。もしそこでもアウトなら、北島旅行を終えたのち、帰国するしかないかもしれないな。最後の最後にNorthland(NZの一番北側)での仕事に期待するかもしれないけれど。

 やっぱり自分の移動手段を持っていないのは痛い。一つの果樹園でずっと仕事をするわけではないから、毎日生き物の相手をする農場・牧場のようにはいかない。そこらへんが見つけにくい理由の一つではあるけれど、やっぱり俺のやる気不足だな。真夏に日本に帰るのも悪くないかなーと思ってるし、大体の目的は果たしたし…。あとは“店”でのバイトだけど、これはかなり妥協しないと無理っぽいしなー。


2002年06月23日(日) どうにか仕事を求めるのじゃ

 睡眠も充分、今日も天気は良好!Napierは全国的にも晴れの日が多いそうだ。近くの高台Bluff Hillへ。歩いて30〜40分くらいかな。しかし俺はどこでも高い場所へ行こうとする傾向があるらしい。何故だろう。このHillは登っても120mほどらしく、それほど眺望は期待出来なかったが、まあいい。すぐに下って、また休憩。

 栄養バランスがやっぱり偏っているのだろうか、最近食生活が変かもしれない。200gのポテトチップス(日本でいうところのBig Bag)を簡単に平らげることが可能になっている。その割には体重に変動なし。どうなってるんだ?

 ラウンジでボケーッと過ごしたあと、その後近くのStables Lodgeに行く。以前この宿でフルーツピッキングの仕事をあっせんしてもらった、という人の話を聞いたので、俺もそこへ仕事があるか聞きに行ったのだが「もう既に3人もいるから無理」と言われた。ん?前のキウイフルーツの時の仕事は15人で作業したけどな?改めて質問すると、それはExchangeの話だった。Exchangeとは宿代を免除するかわりに部屋の掃除をさせられるという家事手伝い、悪い言葉で言えば居候だ。俺はそんな話をしに来たんじゃない、果樹園の仕事はどうだ、と聞いてみると案の定「No(なし)」。まあ、係員の人に勘違いされる時点で無理だとは思ったけど。

 日曜日の映画タイム、今日は『MISSION IMPOSSIBLE』。ちなみに来週は『M:I2』。トムさんは髪が短いほうがいいのかもな。もうすぐ(6月末)公開される『Minority Report(マイノリティ・レポート)』も楽しみだな。しかし、CG(Computer Graphics)というのは映画館で見るとすごいけど、小さめのテレビで見るとどうしてもチャチに見えてしまうのでイカン。こないだ見た『TITANIC』も然りだ。


2002年06月22日(土) また体調崩した

 今日はNapierまで移動予定。今回もマヨさんの車に乗せてもらう。そういえば、車に乗る時以外は彼女とはほとんど別行動だな…当然か。本当はNapierにも2日遅れくらいで着く予定だったけど、あくまで予定は予定なのである。

 途中、Mahia Peninsula(マヒア半島)に寄ってみるが、なーんも無し。本当に何も無い。羊や牛の牧場のみ。汚い牛の糞を見て。いや、汚いと思っているのは農業をやらない人間だけか?牛自体は糞を汚いとは絶対に思っていないはず。糞の横にある草食ってるくらいだからな。ま、それはいいとして、道を走っているとやたら三色で1セットという感じの羊の組み合わせ(黒・白・まだら)を何組か見て、いくつかの山を越えて、Napierへ到着。

 ここNapierはおよそ人口60,000人の町。しかし、すぐ近くの隣町であるHastingsヘイスティングスとHavelock Northヘイブロック・ノースを含めると12万人は超えていると思う、そんな町。たぶん今月頭に長い間いたTaurangaよりも大きいだろう。天気も良い。

 が、どうも体調がよろしくない。夕方から寝込んでしまって、22:30に目覚めてしまった。軽く飯を食らい、ワールドカップを見る。韓国−スペイン戦のダイジェストだ。これは…明らかに審判間違ってんで!韓国が買い取ったと思われても仕方がないよこりゃ。セネガル−トルコ戦はフランスを負かせた台風の目ということでセネガルを応援してたけど0−1で負けた、残念。この試合は皆で生中継を見てたんだけど、延長4分くらいで決勝ゴールが決まったんだけど、延長開始直前にトイレに行った人がいて、帰ってきたら試合終了。「Oh NO〜〜!」って叫んでた、ひゃひゃひゃ面白いリアクション。

 さて、夕方から寝てたから今日はちゃんと寝られるかな?


2002年06月21日(金) 国に来るなら国を知れ

 Gisborneには2泊予定。天気も回復して外はかなり晴れている。ここらへんの見どころを歩いてまわる。ここは250年ほど前に、James Cook(キャプテンクックで有名)が初めてこの島を見つけた時に上陸した土地だったそうで、Cook像がある高台に行ったり、海沿いを歩いたり、無料の博物館に寄ったりした。やっぱりマオリ語は日本語の発音に似ている。音数は日本のそれよりかなり少ないけど、似ているからこそ、日本人はもっとマオリ語を学ぶべきなのだろうか、と思える。いつの間に日本は英語“だけ”重視になってしまったんだろう?本来New Zealandは英語の国ではなかったけど、英国人たちの侵略によって英語の国に仕立て上げられたわけだし(英国人って括りはどうかと思うが)。

 そんなワケで短いNZの歴史の一かけらを見てきた。だから何だという事はないけれど、以前から俺の中にあった“歴史嫌い”が少しずつ抜けていっているような気がする。過去を知ることは大事だな、と。

 久々にTakeaway(持ち帰り)の食事で済ませる。YHAの近くにある中華の店があったけど、結局はfish&half chips&spring rollのいつも通りの3点セットで終了。他人が作るチャーハンも最近食ってねえなあ。


2002年06月20日(木) 買い物ミス

 ここ(偶然見つけたBackpackers)は妙に印象に残る宿だ。Visitor's Bookには以前泊まったというU.K.の人が

「ここはまるで宿泊施設砂漠のオアシスだ。もしここの看板を見つけていなかったら俺達はどうなっていたか…」

というようなことを書いていた。なるほど、良い例えだ。しかしながら、俺らは1日で発つことにした。別に急いでいるわけじゃないけど、マヨさんが早くEast Capeを見たいということなので。

 ちなみに、East Capeというのは今日の目的地の一つで、New Zealand本土で一番東の端にある場所。けれど、俺はこういう“果て”という場所は大学生の時に行った北海道の宗谷岬でもう充分だ。そもそも端っこというのは、えてして何もないのが相場だから。実際、このEast Capeも驚くくらい何もなかった。あるのは羊のフンと牛の死骸くらいだった。牛の死骸は道路沿いのガケから落ちたであろうもので、ヘンテコリンな体勢で死んでいた。岬には灯台があるのだが、そこまでは歩いて15分ほど。雨も降っていたので、俺は──やめさせてもらった。マヨさんは行った、ということである。

 その後はTolaga Bayトラガ・ベイの南にある660mもある桟橋へ。現在はその橋は使われていないけれど、660mというのはかなり凄かった。この時には雨もあがっていたので橋の先端まで歩き、少々はしゃぎ気味になってしまった。

 そのまま車をガンガン飛ばし、15時にはこのあたりの最大の町Gisborneギズボーンに到着。最大とはいえそれでも35,000人程度らしいが。今までの何のない集落から考えればなんて便利な町なんだ、と思える。本来ここに到着するのは22日の予定だったけど、あまりにも雨が降っていたのでなりふり構わず先へ先へと進んでしまった。Gisborne YHAに泊まることにしたのだが、ここは驚くほど日本語の本(ほとんど漫画)が置いてあって、ヒマつぶしには最適だ。

 近くのスーパーマーケットで久しぶりに買い物をして、買ってきたチョコレートを食べようとしたらそれが袋に入ってない。ん?なんでだ?思い返してみると、どうやらレジを済ませてから袋に入れようとした時にチョコレートだけ入れ忘れたみたいだ。うわーバカ!清算したあと持ち忘れてどうすんだ!1.99$がムダになったし、チョコレートも食えず。はーーー。


2002年06月19日(水) 野宿覚悟の日

 今日からしばらくは車でひたすら移動することになりそうだ。Rotoruaを10:30に出発。天気はあまりよくないなあ…ひとまずの目的地はOpotikiオポティキ。東へ進み、そこから、ただでさえ田舎のNZでさらに「ド」が付く田舎のEast Coastに行くという魂胆。バスでも行けないことはないのだが、高いし、申し込みがかなり面倒らしいので車に乗せてもらう、ということだ。

 Opotikiには12:30ごろに到着。Visitor Informationで一通りのパンフレットを見せてもらい、宿のそれも見せてもらったのだけど、宿の情報を集めたパンフレットはもらわなかった。──これが不幸の始まりだった。

 一応Opotikiで決めている宿があったけれど、まだ13時にもなっていないからということで次の目的地にしているHicks Bayヒックス・ベイまで向かうことにした。雨がやむ様子はない。そのHicks BayはOpotikiからおよそ150km離れている。車をぶっ飛ばして15:30に集落へ到着する。

 持ってきていたガイドブックには"Hicks Bay Backpackers Lodge"という宿があるのでそこへ向かう。しかしその宿の様子が変だ。窓にカーテンがかかっている。窓をノックするが返事がない。寒い南島でよくある「冬季は閉鎖」という状況をこんなところで遭遇してしまうのか!?参った。この宿は集落から12km離れていて、公衆電話を見つけるためにもう一度中心部まで戻って、その扉の閉まった宿に改めて電話をかけるが応答なし。どうも「回線は現在使われておりません」の雰囲気だ。これはまずいな・・・。もう一つのガイドブックに載っていた別の宿"Sunrise Lodge"に電話すると、これまた「使われておりません」というふうの音「プププップププッ──」が聞こえてきた…絶体絶命。

 この近辺には宿が先の2つしかないようなので、ここからそれほど離れていない集落であるTe Araroaテ・アラロアの情報を見ると、いわゆるBackpackersはなく、次に高い値段設定のMotel(モーテル)しかない。次に近いところであるWaihau Bayワイハウ・ベイには20$前後の宿はあるようなのだが、約50km引き返さなければいけない。二人で話し合ったが、ガソリン100km分を考えれば安いものだということで、50km戻らざるをえない状況に。雨は少し小降りになってきたが、車に乗っている以上はそれほど関係ないかもしれない。

 同じ道を引き返すなんてバカげた話だと思いながら5kmほど車を走らせていると、路上のある看板が目についた。

「<<
と書かれてある。全く予想しなかった展開で新しい宿を発見することになった。その看板の出ている家に立ち寄り、話を聞くと1人18$とのこと。よし、問題なし!ここの宿の正式な名前は"Backpackers Homestay Hicks Bay"だそうだ。バックパッカーズとしての宿としては営業を始めてまだ2ヶ月も経っていないそうだ。道理でいくらガイドブックを見てもここの名前がなかったはずだ。2ヶ月程度なら、俺たちより前には日本人はいないだろう…と思ってVisitor's Bookを見ていたら、しっかりTadashiという名前の書き込みがあった。その人はヒッチハイクでここに辿り着いたようなのだが、ヒッチハイクのことを"Hich-Hick"などと書いていたが、よくここまで無事にヒッチで来られたもんだ。(ちなみに正しくはHitch-Hike)

 しかし、冷蔵庫は一つしかなくて、オーナーの食料が一緒に入っているのには驚いた。さすが"Homestay"を謳っているだけのことはある。オーナーが少し多めに作ってしまったというスープをもらうことが出来た。部屋にはなぜかゲームボーイが置いてたし…。この宿の定員はなんと5人。以後大きくするらしいけど、どうやって?キャンパーバンの走らない部分だけを頂戴する、みたいな事を言ってたな。

 なんか今日は妙に疲れてしまったので21:30就寝。なんだ文句あるか。


2002年06月18日(火) どうしても観光地はお金命


 実は今日特に書くことないんだよなあ…。


2002年06月17日(月) Rotoruaは何日目なんだ?

 昨日の約束通りマヨさんの車に同乗させてもらう。途中、Te Pukeテプーケにあるでかいキウイフルーツのオブジェで車を停めて写真を撮る。こういうことはバスでは出来ないから非常に嬉しい。

 乗っている車は350$(日本円でなんと2万円強)で買ったもので1983年製、修理代に300$払っているそうな。そのため、ミラーが両側違う形だったりボンネットがすぐ熱くなったり、カーステレオから変な音が出たりと、まともでない。途中で故障したらどうしようかと何度も思った。もう少し新しい車を持ってる人のほうがよかったな、なーんてな。

 12時過ぎにRotoruaに着いたけど、マヨさんは別に用があるらしいので再び一人に。徒歩で行けるようなところは大体行ったしなあ。ネットカフェで時間つぶし(WEB日記は更新していない)。Taurangaに比べれば値段はだいぶマシだ。3時間で10$。特に今日行ったところはなかなか良い環境で、30〜40kBを1秒でダウンロードできる。いいじゃないか。


2002年06月16日(日) おいしい料理はいかがすか

 やっぱり寝過ごしたーーー!

 朝起きたら9:30。昨日のメンバーのうちミユキさんは今日の昼のバスで移動してしまうので、朝飯も食わず大急ぎで顔をあらい身支度を整える。朝飯を食わないなんていつ以来だろう?そんなワケで8km離れた隣町の山、町名と同じMt.Maunganuiに行き、往復で2時間ほど歩く。天気もまずまずで、少し暑いくらいだった。山そのものは海岸沿いにいきなりそびえ立つ不思議なもので、すごく小くて散歩がてら行く感じで登れた。

 ミユキさんを見送ったあと、またYHAで話しこんでいると、マヨさんがRotorua経由でEast Cape(東海岸)へ行くというのだ。それならば俺も行きたいということで彼女の車に同乗することになった。もちろんガソリン代シェアでね。このEast Capeに俺一人で行くとなると、交通費がけっこうバカにならないことが判明したので…。ぶっちゃけ、移動だけ利用させてもらうっていうちょっとイヤラシイ話なんだけど。俺も運転手伝えばいいんだろうけど、南島のサポートセンターに国際免許証を置いてきてしまった。失敗したな。

 今日の夜は、食事を分けあおうという話になった。俺はfish'n'chipsで済まそうと思ってたけど、それにまざることにした。とはいっても、自分で作ったものを他人に食べさせるなんて初めてだから、変に「まずいモン作っちゃダメだ」と思いこんでしまう。作ったものは、シルバービート(silverbeet・ホウレンソウみたいな葉っぱもの)とベーコンのしょう油炒め。当初はホウレンソウとベーコンのバター炒めになるはずだったけど、食料を安くあげたのと調理ミスでけっこうエライことになってしまった。まあ食えないってほどではなかったから良かった。

 明日からは車で再びRotoruaへ。また違う宿に泊まることになりそうだ。



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似たような内容を綴ったWEB日記は以下。


==(06/16)初めて他人に料理を作った==


今日でニュージーランド脱出から丸7ヶ月を迎えました。
で、その今日は生まれて初めて、同じ宿に泊まっていた人と
料理をシェアしあいました。(とはいっても日本人同士だが)

ほかの人たちは丼だとか、ポテトサラダだとか言い出すのに、俺は

野菜炒め

の一点張り。
ほうれん草とベーコンのバター炒めだ、コンチクショウ!とか
思ってスーパー行ったら、ほうれん草がバカ高いのです。
ちなみに、一束3.99ドル。これは野菜にしては高すぎ。
ジャガイモが1kg0.99ドルで買えますからね。
だから、こっちでは有名な
silverbeet(シルバービート)という
セロリとチンゲンサイを足して2で割ったような雰囲気の野菜と
ベーコンを買って、夕食の準備。

あ、バターねえや。なくなっちゃったんだ。まあいいや、マーガリンで代用。
マーガリン、マーガリンっと♪

おっ!

食べかけのチョコレートを袋の中から1週間ぶりに見つけて、少しだけ食べて料理再開。

シルバービートを茹でて、
一口サイズに切って、
同じようにベーコンも小さく切って、
中華鍋に油注いで、
ベーコンをこんがり炒めて、


あ。


マーガリン入れるの忘れた。ま、いっか。しょう油味でいいや。
ひたすら炒めて、しょう油で味付けして。


しおっ辛


大失敗です。4人がかりでいろんなメニューを作りましたが
俺のが一番ヤバかった。

ま、結局皆さん残さずに食べてくれましたが・・・。
うおー、料理ってのは自己満足で十分だ。トホホ。


2002年06月15日(土) バスの運転手は親切

 Taurangaへ戻る。はっきりいって、戻る目的はYHAに預けた長靴を取りに行くくらいのもん。バス代(21$)がムダなように思える。でも、この先の予定が全く立たないから考える時間を得るという意味ではいいのかもしれない。

 RotoruaからのバスがTaurangaに到着してから俺はYHAに向かうつもりだったけど、そのバスの運転手が今日の宿泊先を聞いてきて、残っていたもう一人の女性もYHAに泊まるということでそのバスの足でYHAまで送ってくれた。まったく、気の利く運転手さんだぜ!ありがとう。

 Tauranga YHAは俺が去ってから5日たっていてメンバーが全て入れ替わっていた、って当然だが…。やはり当たり前のように日本人が多い。嫌だというわけじゃないけどね。今日は半分くらいが日本人だったように思う。

 ユウイチ・シホ・ミユキ・マヨと俺の5人で夕食時から喋りはじめて、結構遅くまで話し込んでいた。明日はすぐ隣町のMt.Maunganuiマウント・マウンガヌイに遊びに行こうということになった。早起きせねば。しかし今日のDenmark対Englandも見逃せないし、困った。

 ちなみに日本で20:30スタートの試合がこちらでは23:30開始になり、延長してしまうと深夜2時になってしまうのだ。早起き本当に出来るのやら?



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Taurangaの高いインターネットで更新した日記。


==(06/15)自然を相手にするっていうのは大変だ==


えー、来週からキウィフルーツの枝切りのお仕事をすることに
なっていたんですが、そこ(Tauranga)の滞在先に昨日電話をしてみたところ、

「2週間は仕事ないよ」

と言われてしまいました。
どうやら、人数は居るらしいけれど移動手段が足りないとか。
車さえ持っていれば問題無いと言うんだけど。

う・・・これからどうしよう。
またTaurangaに戻って仕事しようと思ってたのに!!

残り少ないお金を駆使してなんとか旅を続けなければ。
フルーツピッキングをするために買った長靴(gumboots)が
1週間しか活躍してません。うお。

ということで、北島のもう一つのフルーツ農場密集地、
Napier(ネイピア)かHastings(ヘイスティングス)に向かいます。
それにしても、なんか悔しい。

来週の今ごろは、北島の南部に居るのかな。わかんないけど。
ま、Napierでも仕事が見付からなければ、帰国は早まるでしょう。
予定ってうまくいかないもんだな。


あ、ちなみに。
俺もサッカー見てますよ。ダイジェストですが。
実況が聞き取れない(あらら。)ので、フェアに試合を見ることが出来ます。
ただ、時々スタジアムでカメラに写る日本人がいるんですけど、ああいうのに
写ってしまう人たちってみんな

マヌケ面

してますね。オーロラビジョンに手を振ってきゃーきゃー言ってるような
感じの人だったり、ワケもなく絶叫してるような人だったり。


全世界に見られてますよ。


やっぱり稲本は見た目で売るだけでは足りなかったらしい。
(2001年5月末の日記参照)
つーか、ゴール決めるまで稲本って名前を知らなかった
「にわかサッカーファン」は数え切れないくらい存在しそうだな。


2002年06月14日(金) あくまでも中立の立場なの

 今日はCrash Palaceに移動、前の宿同様、Rotorua市街にあるBackpackersだ。こっちにはテレビがあるので今日の日本−チュニジア戦が見られる。日本にいたら、チュニジアがどこにある国かなんて調べもしなかったかもな。

 それにしても天気の悪さは相変わらずだ。晴れらしい晴れを見ていない。もしかしたら今ニュージーランドは雨季に入っているのかもしれない。今日もこもりっきりで変化のない生活を繰り返してるな。サッカーは日本も勝ったしヨシとしますかな。


2002年06月13日(木) パン食文化なのにチャーハン

 Funky Green Voyagerには今日で4泊目になる。ここにはテレビが置いてないから、明日行われるワールドカップサッカーの日本戦が見られない。なので明日の昼には別の宿に移動することにしよう。

 今日は、特に予定なし。以前からやりたいと思っていた"ZORB"は、スカイダイビングのほうが面白そうだと思ったので意気込み半減。雨も降ってるし近くの図書館で時間つぶしして、その後また宿に戻って昼寝。まあなんともいえんグータラ生活しとるな。

 果樹園の仕事の状況を聞くために再びBell Lodgeに電話すると、以前「1週間待ち」と言われたにも関わらず、「この先2週間はない」などと言われてしまった。こりゃアカンわ。TaurangaのYHAにいくつか荷物を置いてきたために必ずTaurangaに戻らないといけないんだけど、意味ないかもしれないな。 

 チャーハン作りに再挑戦。鍋をさらに熱くして、味付けもしっかりして。ある程度はマシになったけど、まだまだ満足いく出来にはなってない。料理にこだわるとかいう意味じゃなくて、とりあえず食えるなという程度のお話。人にモノを食わせるというのは大変なんだなと改めてわかる。

 昨日のイタリア人がまたUNOをやろうと持ちかけてきた。しかし、数字ですら各国で呼び方が違うっていうのは不思議な感じがする。日本語だけでも複数の数えかたがあるし(いちにさん・ひいふうみ、など)、言葉って研究していったらキリがないんだろうな。


2002年06月12日(水) いい湯だなアハハン(古)

 今日は晴れではないにしても雨は降らなさそうなのでまたRotorua周辺を歩きまわる。

 小高い丘にでも登ってLake Rotoruaでも眺めるとするかな?で、途中Whakarewarewaファカレワレワの温泉地帯に行って中を見て周ろうと思ったら、そこの入り口に受付が設けられてある。通りぬけようと思ったら案の定受付の人に止められ、入場料を払えと迫られた。なんと18$、俺にとっては高い。払うつもりは毛頭なかったので引き返しをする。

 その次はさらに南下して1時間半ほど歩く。けれどその目的地の丘が見つけられない。しばらく歩きまわったのだがそれでも見つからないまま、雨が降り出してしまったので、仕方なく引き返す。この往復だけで3時間は歩いたのか…。その後少しだけEメールをチェックして宿に帰る。

 そして夕方。この宿には中華鍋が置いてあったのでチャーハンを作ろうと思い、具材を買いそろえる。チャーハンなんてどれくらいぶりだろう、南島を旅する前だからかれこれ3ヶ月はチャーハン作ってないことになるんだな。相変わらずカレー粉が残っているのでカレー味。だけど、大失敗だ。電気コンロだったせいもあるけど、米はうまく炊けずにベタベタだし、鍋は焦がす、味加減もひどいもんで。これは残りの材料で明日作り直しだな。

 その後、一緒の宿に泊まっている日本人(名は伏せておく)と近くのPolynesian Spaという温泉に行く。たっぷりのお湯の中に体を任せるのは、1月初旬にホームステイで家に備え付けてあったプールに入って以来。5ヶ月以上経っている。なんかものすごく気持ちいい。

 しばらく浸かっていると、マオリの末裔の女の人たちが同じ場所に入ってきた。彼女らとしばらく「どこから?」「学生?」とかそんな話をしていたら、いつの間にか歌の話になって「日本の歌を教えて」と言われてしまった。


 日本の・・・歌!?


 いきなりそんな事言われても、困ってしまった。俺は『SAY YES』とか、ろくなもんが出てこなかったんだけど他の友達が『スキヤキ(上を向いて歩こう)』を提案した。しかし、それは彼女らも既に知っている曲で困ってしまった。流行の歌なんて半年もしたら消えてしまっているので「国を代表する」なんてとてもじゃないけど言えない。

 結局それを伝えられず、彼女らにマオリ代々伝わるという歌を歌ってもらった。3人いたんだけど、ハーモニーもついてしかも声もすごくキレイでびっくりした。大半の日本人はよくあるショーでマオリの歌を聞いたり踊りを見ることがあるのだけど、俺はそれらを見たことがなかったんだけど、とにかく「すごい」の一言に尽きた。とてもよい経験だった。

 風呂の後、すきっ腹に缶ビール3本(およそ1リットル)が一気に入った。さて、寝るかと思ったらイタリア人のひょうきんな奴が『UNO』をやろうと言い出してきた。そこに居合わせた6人で0時から2時間ほど遊びまくっていた。UNOが「1」の意味を指すのは知っていたけど、それがイタリア語というのは知らなかった。


2002年06月11日(火) 日本人の行列を見た

 今日は、昨日歩いたところの更に外側を見てまわる。けれどここは観光地だけあって何かと金がかかるところだ。美術館とか博物館とか見たいけどなーーーーー。

 以前から気になっている"Polynesian SPA"は、すっ裸で入れるお風呂らしいけど、たった30分で10$?30分なんて時間足りねーよオイ。いや、普通に風呂に入って体洗うだけなら15分もあれば充分だけど、ボケーっとしてられんよ30分じゃ。水着つけてPublic(プールのような温泉)に行くのも気が進まんし。何はともあれ余分なお金をひたすら払わないように心がけて。ここの映画館は7$だけど、見たいのがないな。久々にネット接続して、そこは環境がかなり良いからムネオハウス聞いて(いいかげん飽きないねえ)。

 町の中心部から南東に2〜3km離れたところにWhakarewarewaファカレワレワという温泉地帯があるらしいけど、今日は天気がよろしくないので明日にでも行くことにしよう。

 それにしてもテレビのない宿というのは少々つまらん。特に今はワールドカップが開催されてるからねえ。南島にいた頃は特に見たいモノもなかったから、無いほうがありがたいときもあったけど、今に限ってはそうでもないかな。複数の日本人たちと話をしてから、午前0時に寝る。


2002年06月10日(月) 数倍過ごしやすい場所へ

 突如決定したRotorua移動。バス代は19$。距離にすると60km程度しかないから、少し高め。帰りはヒッチハイクでも挑戦してみるかな。2時間ほどバスが走って、13時前にRotoruaのバスターミナルに到着すると何やら匂う。最初は「こりゃ何の匂いだ?」と思ったけど、ここRotoruaはNZ屈指の観光地、温泉があることを思い出して、これは硫黄だということがわかった。あまりにあからさますぎてわざとらしいぞオイ。

 まずRotoruaに着いてからはFunky Green VoyagerというBackpackersに荷物を置き、辺りを散策。うぉー至近距離にスーパーマーケットが3つもあるぞ!COUNTDOWN に PAK'N SAVE に Big fresh!うおー(興奮ぎみ)。インターネットが出来るところはどこでも大抵1時間5$。2時間以降は安くなるところがある程度か。宿にはテレビがないので電気屋さんのテレビで昨日の日本戦のハイライトを見て、1−0で勝ったのを知る。今頃稲本クンは日本で大フィーバーなんだろうな。

 宿に戻ってもテレビがないのでヒマヒマ。持ってきた本が進む進む。1ヶ月以上前に買った"Lord of the RINGS"の本は全然進んでへんけどな…。今日は22:30に就寝、はえーよ。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
観光地ゆえの安いインターネットで日記更新。↓


==(06/10)いつのまにか移動移動。==


こんにちは。エイジです。
このPCはXPだーーーーサクサク進むぜー!!

ということで、環境が久々に最高の中で
文字のみの日記を更新するという、無駄なことをやってます。

さて、現在私はRotorua(ロトルア)という北島屈指の観光地に来ていまーす。
ここはやっぱり観光地ということもあって、日本人への対応が優れてまーす。

人口多いけど日本人少ないTauranga(タウランガ)とはえらい違いだ。
ま、Taurangaもそれはそれでイイ所も多いんだけどね。

でも、なかなか日記更新出来ないという意味では
Taurangaは俺にとっては少しだけ住みにくい町であることは否めない…かな。

現状報告。
仕事見つかってません。
でも、来週月曜から開始という話を聞いたのでこうやって町を離れた、
とこういうワケです。

ところで、俺の情報って誰かの役に立ってるんかな・・・?
どこかニュージーランド情報サイトとかあって、そういうところに
リンク張ってもらったり出来ないかなー?

誰かやってよ。
(なんて無責任)


それにしても、Rotoruaという町は、町全体が硫黄臭い。


2002年06月09日(日) 10万人の不便な町

 今日もやっぱりヒマなので昼からWorld Cupのダイジェスト、“Brazil vs China”を見る。うわー中国ボロ負け!うっしゃっしゃ(←相当中国人が嫌いになってしまったらしい)。

 それにしてもTaurangaは人口が多いわりに、町の機能としてはそれほど便利ではない。中心部にスーパーマーケットはなく(Vegetable Shopはあるが無い商品のほうが多い)、インターネットはChristchurchやAucklandの約3倍の値段だし…車がなければかなり不便だ。ここを選んだのは俺だし、なるようにしかならんけど、まあやるっきゃないわな。仕事もまだ見つかるかわかったもんじゃなし。

 そんな感じで夜。日曜夜の映画タイム、今週は『End of Days』か『The Sixth Sence』で意見が割れたが俺の見たい後者が通った。これは映画館でも見たけど途中寝てたしな…。ストーリーを半分くらいしか思い出せずに終了。その後また23時からWorld Cupのダイジェストを見てから眠ることにする。

 内容がわからなくても、映画を見る=言葉に慣れるっていうのは大事なんだということを改めて実感。


2002年06月08日(土) 予定は未定

 さあ、そろそろ仕事再開するぞ!と前に仕事をしていた宿"Bell Lodge"に電話をかける。

 しかしオーナーは「ここ1週間は仕事がない」と言われてしまった。なので、それならばここTaurangaから60〜70kmほど離れたRotoruaロトルアへいざ行かん。明日までYHAに滞在することにしてるけど、もう一日延長して10日から行くことにしよう。

 なんか、だるーい一日だなあ。


2002年06月07日(金) 一時停止

 絶対俺は今停滞期に突入してる。なーにもしてない。だから日記に書くようなこともろくすっぽ思い浮かばない。今日も映画『Out Cold』というスノーボードを題材にした作品を見た。けどさーっぱりわからん。表向きは『STAR WARS episode II』を二回目見たことにしておこう。



 追記(02年12月3日)

この『Out Cold』は日本では未だに公開されていない模様。
公開されたら速攻見にいってやる!絶対話題にものぼらないだろうけどな。


2002年06月06日(木) アクション映画は言葉が少ない

 朝、目覚めると真っ暗。しかし時計を見ると朝の9時。やはり窓無しの部屋なんて俺には絶対無理だ。これでは朝早く目覚める生活が出来なさそうだ。予定通り(?)一日だけでここを脱出。

 今日からいくつか映画が公開されて、以前から良い意味でも悪い意味でも話題になっていた『SPIDER-MAN(スパイダーマン)』が始まったので、時間的にも丁度都合がいいのでそれを見に行く。134分。CG使うのはもういいよ、飽きたよって感じかな。画面ごとに手の配置が違うとか、そういう画面上の矛盾がやけに気になったけどな。

 映画のあと、YHAに電話して予約を入れようと思ったのだが繋がらない。とりあえずYHAに直接向かったら、受付が閉まっていた。17時まで開かないらしい。とりあえず荷物だけラウンジに置いて再び町に出てWEB日記更新。食料の買い出しなどをして、以前ここに泊まった人が置いていった『天才柳沢教授の生活』のマンガを読み、そんなふうにしているといつの間にか17時。

 受付をすませて、夕食作って、同居人たちと話して、ワールドカップのダイジェスト見て…今日も意味のない一日が終わってしまう感じだ。



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無理して日本語環境で綴った日記。↓


==(06/06)日本にいらっしゃる皆様へ、海外暮らしの私から一言==


えっと、日本語環境がない、という状態で
いろんな人に迷惑をかけているかとおもいますが、
簡単に海外で日本語を入力するのはどういうことか、ということを
説明しておきますね。

海外のパソコンでありえる状態は、大きくわけて4つ。


1-日本語対応のパソコンで何の問題もなく使える
2-英語対応のパソコンで、日本語表示&入力がインストールされている
3-英語対応のパソコンで、日本語表示のみがインストールされている(入力不可)
4-英語対応のパソコンで、日本語が一切見ることが出来ない状態


都心部では、2が大半で、ごくたまに1も見られます。
でも、基本的に1は存在しないものだと思ったほうがいいですね。
少し田舎に行くと、2の割合が減り、3が増えます。
で、日本人観光客が来ないようなところは、大半が4になります。

俺が思うには、最低限表示さえ出来ていれば相手に迷惑をかけずに
済むので、3以上であればOKなんですけどねえ。

今いる状況は、2のPCが町の中心部にあって一時間9$。
3のPCが少し不便なところにあって一時間6$。
4のPCが滞在してる宿に置いてあって、一時間5$。

うーむ・・・。ま、仕事に集中するという意味ではイイのかもしれませんな。
とか言いながら3日連続更新してる俺はヤバイような。


2002年06月05日(水) こ、こんなのダメ…

 昨日出した4つの提案、俺が下した結論は2番−Tauranga Central B.P.に移動してpruningをする、となった。ちなみにpruningとは伸びてきた枝やいらない葉っぱを切り取る剪定作業のこと。

 ──が、俺が今の宿であるBell Lodgeを出ようとした直前、オーナーが「pruningの仕事が来週くらいから出来るかもしれないよ、確実に3週間は働いてもらうけど」と言い出した。まあ、もう俺の中では宿変更を決めちゃったしその言葉は断った。そして次の宿へと足を運ぶ。


 けれど・・・。


 その宿、部屋がヤバイ、これはイカーン!けしからん!!窓の無い寝室なんて「ろうや」よりひどいぞ。空気も簡単には入れ替えられないし、こんな部屋で1ヶ月以上も暮らしてられるか。受付で1泊だけすることにしておいてよかった。

 ということで早速プラン変更。前の宿に戻ることにして仕事を待つことにしようかな。でも、すぐさま同じ所に戻るのも何か恥ずかしいので、先日会った友達が泊まっていたTauranga YHAにも寄ってから戻ることにしよう。しかし何だよこの宿…せっかくのロケーション(central)が台無しだよ。俺の行った部屋だけってことはなかったし、今のところ最悪の宿として記録しておこう。

 図書館で本を読み、またマクド寄って…。それにしても「することがない」というのは何とも困るもんだ。何かしていないと落ちつかない。稼ぎが無いという時点で確実に手持ちが減っていくワケだから、ただボーッと過ごすのももったいない。とにかく何でもいいからする事くださいって感じだ。


2002年06月04日(火) こっちで初めてワールドカップしっかり見た

 どうやら、キウイフルーツのピッキング作業が全て終了してしまったようだ。ゆえにこれからの行動を選ばなくてはいけなくなる。

1つ、ここに引き続き残り、別のピッキングなり仕事が来るのを待つ。
2つ、昨日聞きに行った別の宿に移動して、そこでpruningの仕事をする。
3つ、働くことをあきらめてギリギリの資金で北島旅行に出る。
4つ、北島のさらに北、Northlandに移動して比較的温かいところで仕事探し。

今日の段階ではまだ決めかねる。

 今日は宿のみんなでビデオ映画鑑賞会。"LION KING"に"SHREK"。"SHREK"は比較的わかりやすかったけどやっぱりストーリーはそれでもよくわからん。昼寝して、起きたら18時…。晩飯作ってテレビ見て…って何やってんのやろ俺。ワールドカップで日本戦が今日らしいので見てたら2−2の引き分け。結構ドキドキして見てたなあ。あ、ちなみに予選ゆえ録画のハイライトだった。


−−−−−−−−−−−−−−−
ヒマゆえに更新したweb日記。↓


==(06/04)Has picking season finished!?==
ピッキングのシーズンは終わってしまったのか?

Today,no working.
今日は、お仕事ナシ。

from today.
というか、今日から。

Kiwifruit picking season has finished.
キウイフルーツ狩りのシーズンが終わってしまいました。
I have to look for another job.
また別の仕事を探さなくては…
After picking,we can work about "pruning".
ピッキングの次は、プルーニングという仕事が出来るんですよ。
It is cutting branches but cannot earn as fruitpicking.
枝をひたすら切っていくんだけど、フルーツピッキングのようには稼げないとか。
Now I don't have enough money.
今は俺も充分なお金を持ってないし
If no work,I have to go back to Japan.
もし仕事がないとなれば、俺は日本に戻らなければ…。

I want to stay all a year(Till November)!!
丸一年(11月まで)NZにいたいよー!!
Maybe,I'll be back in August or September.
でも、8月か9月に戻ることになるんだろうな…。


Japanese...(日本語にて)

Ee-,hayakumo FRUITPICKING no oshigoto ga owatte shimaimashita.
(えぇー、早くもフルーツピッキングのお仕事が終わってしまいました。)
doumo,SEASON ga osokatta youdesu.mou sukoshi hayaku koko ni
(どうも、シーズンが遅かったようです。もう少し早くここに)
kite ireba,nagaku shigoto ga dekita noni!!
(来ていれば、もっと長く仕事が出来たのに!!)

To iu wakede,tsugi no oshigoto "PRUNING" ga matte imasu.
(というわけで、次のお仕事「プルーニング」が待っています。)
kore ha,kantan ni ieba "edakiri" desune.
(コレは簡単にいえば「枝切り(剪定)」ですね。)
dakedo, PICKING ni kurabete kasegi ga warui tono uwasa...
(だけど、ピッキングに比べて稼ぎが悪いとの噂…)
2 nichi hataraitemo, yatto yadodai ga sashihikareru dake de,
(二日働いても、やっと一週間分の宿代が差し引かれるだけで)
1 WEEK marumaru hisshi de hataraitemo, 300$ kurai.
(1週間丸々必死で働いても300$くらい。)
soko kara yadodai wo hiku to,200$ ika ni nattesimau.
(そこから宿代を引くと、200$以下になってしまう…)
u-n...zenzen kasegemasen.
(うーん、全然稼げません。)
a--- dareka okane kure!!(warai)
(あーーーー誰かお金くれ!(笑))


2002年06月03日(月) 次を手を打つべきか否か

 次の日になってもピッキングの仕事が追加される様子はない。ということで一日ヒマになってしまう。ギターを持ってきている人がいてそれを貸してもらい、作曲してみようかな、などと弾いてみてもどこかで聞いたことがあるようなメロディばかりが浮かんでくる。これではダメだ。ギター…なんでもっと本格的に取り組まなかったんだろう。

 歩いて外をぷらぷら。どうやらこの町Taurangaはもうすぐ10万人を突破するであろうと言われている。それほど大きな町だとは思ってなかったけど、それでもNZではかなり上位に入る“市”だと思う。Auckland(オークランド)、Wellington(ウェリントン)、Christchurch(クライストチャーチ)、Hamilton(ハミルトン)、Dunedin(ダニーデン)に次ぐ6番目に大きな都市になるそうだ。てことは、日本で言うところの千葉県とか静岡県みたいな感じか?ずいぶんイメージ違うな(笑)。規模がやっぱり違いすぎるんだな…。

 町の中心部に別のBackpackers(Tauranga Central B.P.)があり、そこで話を聞くと"pruningプルーニング"という同じく農場関係の仕事があるという。最大12週間(約3ヶ月)働けるというらしいが…。とりあえず今のところは水曜の朝まで予約してるから、水曜からここに泊まって働くっていう手もあるな。とりあえず保留しておこう。

 軽く食料の買い物をして、今日は祝日なもんでくつろぐ場所も無くそのまま宿に戻る。一緒の宿の人たちと今日は無料だということでビリヤードなどをする(普段は15個ボールを出すために1$かかる)。

 ビリヤードは至る所で台を見ることが出来るので、こちらの人はやたらとビリヤードが上手だ。俺も少し教えてもらったけどカーブかけたりなんてテクニックは全くだ。とりあえずまっすぐ進ませて目的の玉を当てる、それしか出来ない。毎日でもやってたらイヤでもテクニックつきそうだ。

 そんなかんじで一日終了。


2002年06月02日(日) 本日付けで秋本番ですか

 今日は10時から仕事開始。天気は悪くないのになんで開始が遅いんだ?と思いつつもいつもの場所へ向かう。Taurangaから車で30分ほどKatikati方面へ。後に理由がわかたのだが、今日の場所の残ったキウイフルーツが3〜4時間程度で終われるくらいしか残っていなかったから遅かったようだ。それゆえ今日は13時で終了。

 昼間に終わってしまうと、時間をつぶす方法がない…。

 うーむヒマだ。宿に戻ってもまだ14時で、他の人はみんなゆっくりくつろぐらしく、俺は町に出たいとオーナーに話すものの車は出せないとの少々つれない返事、例外は許されないんだとか。ボーッとしたまま夕方になってしまった。

 この同じ宿"Bell Lodge"にはまた別のピッキングするグループがあって、そっちに所属していた人達は今日で仕事が全て終了したとか。ということは、俺らのグループも近々、いや、下手したら今日で終わり?

 俺はまだ4日しか働いてないよ?

 たぶん200$(20,000円)も稼いでないと思う。それなのにもう終了!?えー、やばいよ、全然稼ぎが足りないよ。

 日曜日の映画タイム、今日は『TITANIC』。日本を出る前にも字幕ナシで何度か見たので内容は覚えている、けれど聞き取りが進歩しているようには思えない。うーむ、成長はまだまだだな。やっぱり英語を使う仕事をしないとダメなのかもしれない。


2002年06月01日(土) (無題)


 (あまりにも疲れていたので日記なし)


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