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ニュージーランド旅行記、合計180KB。
それを全部PCに打ちこんだおばかさんの戯れ言。
その一覧はトップページにあり。

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2000年08月28日(月) 旅行記・5日目&まとめ

五日目 8月28日(月) 宇多津→岡山→姫路→福知山→奈良→大阪

     宇多津07:40−−−−07:44坂 出08:00−−−−08:44岡 山09:21−−
−−10:42姫 路11:17−−−−11:57寺 前12:02−−−−12:40和田山12:49−−
−−13:29福知山14:02−−−−16:23京 都16:41−−−−17:04宇 治17:08−−
−−17:39奈 良17:41−−−−18:19新今宮18:26−−−−18:30JR難波18:54−−
−−19:00天王寺19:07−−−−19:37京 橋19:50−−(あとはプライバシーの問題)

 5時45分に起きて朝風呂。身だしなみを整えて牛乳を飲んで、出発準備。うぅーもうちょっとだけ寝ていたい…でも時間は待ってくれない。温泉村を7時過ぎに出る。腹が減った。ああいう場所の飯って結構高いからなぁ。駅前のコンビニで弁当と野菜ジュースを買って、即プラットホームで食う。うん、食べるっていうより、食う。

 電車待ちをしてると、電車が来る時「瀬戸の花嫁」の曲がかかる。おいおいすごいセンスだな。今日の瀬戸内海からの景色は朝ということで昨日とはまた違う雰囲気だった。けれど朝から風呂に入って結構エネルギーを使ったのか、さっき飯を食ったばかりかわからないが突如眠気が襲ってきて眠ってしまう。気付いた時にはもう岡山駅に到着していた。景色は昨日見ておいたし、まあいいか。

 このあとは山陽本線最大のポイント岡山−姫路間である。ここは常に1時間に1本しかなく、本線にも関わらず列車の数が少ない。しかも18きっぷ期間ともなれば混雑は必至。ということで9時21分発にも関わらず出発のホームで待ち8時57分に列車到着。座席をすぐに確保する。やはり予想通り席がすぐに全て埋まる、立っている人もかなりいる。1時間半もお疲れさま。

 途中、車掌のアナウンスで笑い出しそうになった。「次は〜有年〜有年です」なんと読むか。「うね」である。すなわち「うね〜うね〜です」と聞こえたのだ。高知の「後免」然り、おもしろ駅名はチェックの価値ありかな。うねうね〜。

 姫路着。ほとんどの人は真向かいの大阪行き新快速へ乗ってゆくが、私はその流れに反して播但線へと乗り込む。私と同じ動きをするひとはどうやらいないようだ…。列車到着して乗り込むが、う、これって俺が通学のときいつも利用する車両とほとんど一緒だ。違いといえば整理券発行機がひっついてきてるくらい。ロングシート車はもういいよ…。2両編成でシートがびっしり埋まる。結構姫路から寺前までは人が多かった。しかし寺前で1両ワンマンカーに乗り換えると乗客がグンと減った。ディーゼルエンジンをぶいぶい言わせながら山道を進んでゆく。登山道を進んでゆくというイメージも言い過ぎではないかもしれない。それにしても駅間が長い!対向車両の待ち時間も大してなかったのに、6駅で約45分。のんびりしておるのお。

 乗り換えを挟み福知山着。もうここは列車の旅では常連の地。でも相変わらず駅前すぐにコンビニはない様子。そのかわりといってはなんだが、マクドナルドがあるのでそこで昼食。高校生ばっかりだ、しかも女の子ばっかり。今年もまた高校生と年が離れたことを感じてしまった。ったく私は何をやってんだか。

 福知山発の列車は実にのんびりと進み、園部までゆったりと進む。横では地元の高校生がトランプでゲームをしている。園部で増結作業を行い、そちらの車両へ移動する。うん、車両が空いている。亀岡を過ぎいよいよ複線に、そして都心部突入。こうやっていろんな路線を通ってみると全国のほとんどは単線であると改めて感じる。複線のところに人が集中しているから、そう感じさせないんだろうな。

 保津峡駅。ここはすでに京都市になるが、その名の通り峡谷に建てられた橋の上が駅である。しかし平日の昼間ということもあり、乗客・降客ともにゼロ。渓谷というのはどうしてこう人を安らげさせるんだろう…そんなことを考える力すらなくしてくれる。嵯峨嵐山から再び単線へ。・・・??やっぱり複線にするのって相当金がかかるんだろうな。結局京都駅まで単線だった。見間違いだったかな…。

 京都駅に到着して奈良線に乗り換え。明るいうちに奈良線を通るのは初めてだったのでマンション類の意外な多さにちょっと驚く。単線の理由はやはり近鉄及び京阪電車の存在だろう。そうでなきゃ京都発の列車が単線のはずがない。この推察は地元民だからこそ出来ることなんだけどね。しかしよく見てみると宇治−城陽間は複線化の工事が着々と進んでいるようだ。

 奈良着。ここからは接続がいいから、時刻表を見ても意味がない。とりあえず先へ先へと進んでゆく。大和路線を経由し、JR難波駅へちょっくら寄り道。でもJR難波ってやっぱりナンバっていうイメージじゃないよなぁ…まだJR難波駅は元・湊町駅なんだよな。

 さあ後は帰るのみ。っっと。関空快速でちょっと遠回り。京橋まで直通なのでそれに乗り、そこでうどんを食って(これは2年前と行動が一緒)、帰路についた。うん、今年はホントに中身が濃かった。


   五日目の総停車駅数 105駅

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ということで、今年は3回目でかなり前から計画していたせいもあり、満足のいく旅行をすることが出来ました。今回通った都道府県は、大阪府・兵庫県・岡山県・広島県・山口県・福岡県・佐賀県・大分県・愛媛県・高知県・徳島県・香川県・京都府・奈良県と全14府県でした。遠くへ移動しようという試みはなかったので、訪れた場所は少なくなりました。

今年わかった反省点をいくつか。

「忘れ物をするな!」
忘れ物というのは出掛けるものというのと旅先で置き忘れるものと両方です。今回やってしまった忘れ物は「下着」です。大体は日記に書いていますが、書いていない中で、実は宇和島で役立つ情報をまとめたクリアファイルを置いてきてしまったのです。おかげで5日目の昼間に愛媛県警から電話がかかってきて、郵便代金を支払う羽目になってしまいました。

「食糧確保は万全に。」
田舎の路線を渡ったせいもありますが、その場ですぐに食べ物を手に入れることは意外と難しいものでした。予め手に入れられるものなら早いうちのほうがいいです。

「青春18きっぷは全国で使える!」
先日本屋で青春18きっぷを使いこなす、という本が出ていたのですが「安上がりで夜行列車を使う」という内容がほとんどでした。確かに私も夜行列車を利用しましたが、青春18きっぷは全国どこでも使えます。普段であれば特急で通過するような駅でも普通電車なら止まって地元の人と触れ合うことができます。今回はその普通電車の良さを実感出来たと思います。

今までの旅日記で一番文章量が多くなってしまい、何のインパクトもありませんでしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。今後ともよろしくおねがいします!


2000年08月27日(日) 旅行記・4日目

四日目 8月27日(日) 高知→徳島→瀬戸大橋→宇多津

     高知06:54−−−−09:24阿波池田09:30−−−−09:48三加茂10:36−−
−−11:05穴吹12:11−−−−13:10徳 島 13:45−−−−16:08高 松16:27−−
−−16:59児島17:47−−−−18:01宇多津

 朝は5時40分に起床。6時からドラえもんのアニメを見て満足してホテルを出る。近くのコンビニで朝飯を買って車内で食べることにする。う…ワンマンカー初のオールロングシート車だ。私はロングシート車両が嫌いである。毎日の通学で乗っているせいもあるけれど横向きは慣性の法則についていきにくいからだろう。まあいい。「こうち」の駅名を見て、この表示がはがれたら「こっち」になるな…などと考えつつ列車は動きはじめる。途中の駅で不思議な名前をみる、「ごめん」。「後免」だったが縦書きでいきなりごめんって言われても、ねえ。その後には「大歩危」もあるし。逆方向から行けば「この大歩危!」「…後免」みたいな会話が(なんじゃそりゃ)。

 山道をうねうね進み出す。すると突然頭にガツンとものすごい衝撃が走る。一瞬何のことかわからなかったが、1秒後自分の大カバンが網棚から落ちてきたのだとわかる。しかもちょうど中にあったドライヤーが直撃してしばらく痛みがひかなかった。その後網棚に置く時はしっかり落ちないようにしたのは言うまでもない。

 吉野川が見えてきて、渓流を横目に列車はどんどん進んでゆく。徳島県に入ると同時に大歩危駅に到着。ここでも25分待ちなので駅を出てすぐの大歩危橋へ。この橋の位置はずいぶん高く川がかなり下に見える。橋から身を乗り出してみると足がすくむ。そのあとおばちゃんに声をかけられ、「兄ちゃん今からどっか行くの?バス席空いてるから乗せてあげようか」みたいなことを言われた。どうやらツアーで観光に来ている中で一人が欠席したらしくバスの席が一つ余ったようだ。かずら橋に行く予定だったらしいが今ある列車を逃すとあまりよくないのでここは丁重にお断りしておくことにした。駅前のロータリーは
めちゃめちゃ小さいぞ。

 阿波池田着。ここから徳島線に乗り換え。愛称は、よしの川ブルーラインという。そういえば予土線もしまんとグリーンラインっていう愛称があったっけ。時刻表を見て徳島以降を計画していくと、このままでは徳島駅or高松駅でムダな時間ができそうなのでこの線で途中下車を2回行う。1つは阿波池田−穴吹間のどこか。無作為で選んだのは三加茂駅、ここで下車する。別段何があるというわけでもないがここから吉野川が近いのでちょっと歩く。川で釣りをしてる人がいたので聞いてみると、鯉釣りだとか。でもあまり釣れてない様子で、今も糸が切れたーと嘆いていた。たかだか待ち時間は50分弱なのでもどり、駅のすぐ前にある神社にお邪魔する。顔を洗い隣に公園もあったので何年かぶりにブランコに乗る。周りの目は知らない人ばかりなので人目も気にせずこぎまくる、ていうよりも、誰もいなかったんだけど。

 そして2つめの途中下車は穴吹−徳島間のどこか。これは穴吹に即決。吉野川に隣接しているし、なんとなく三加茂に比べて拓けているような気がしたから。吉野川の川幅も広くなりそこをまたいだ先に大きなスーパーマーケットが見えるので寄ってみる。徒歩にして10分ほど。「マルナカ」という名前で、徳島・香川を中心に店舗展開しているようだ。今日は日曜日ということもありイベントが催されているが、なんだかさびしい。子供が少ないのだ。縁日(金魚すくいetc.)をやっているのだがやはり子供が少ない。開催している大人の方が多いくらいだった。ここでの収穫は特になし。それにしても、吉野川はやはりきれいだ。河原で泳いでいる家族連れがとてもうらやましかった。高架橋からその家族を眺めて穴吹駅に戻る。

 穴吹駅からはワンマンカー1両。ここで私のいたボックス席に乗り込んできたのはおばあちゃん2人組。これがうるさいのなんの、50分くらいずっと話してる。私はつらかったのでヘッドホンを当て眠りについた。徳島の2つ前で目が覚めると立っている客がたくさん。1両ではかなりキツイくらい人が乗っている。始発駅で乗っておいてよかった。

 徳島駅着。ここは幾度か訪れているので店の場所も把握。それにしてもここは消費者金融の看板多すぎるぞ。そんなにここは借金してる人が多いのか…?まあそんなことはどうでもいいので、前の混雑を見ていたから早いうちに駅に戻って食べ物を買って座席を確保する。ところで、全体的に四国の駅周辺にはコンビニよりも「ウィリーウィンキー」という焼き立てパン屋のチェーン店のほうが多い。私もここで80円カレーパンとハムエッグパンを買った。徳島を発ち、佐古−吉成間の川幅がとても広くなった吉野川に別れを告げて讃岐の国をめざす。そして特筆するようなこともなく高松に到着。

 そしてここから瀬戸大橋を今日のうちに渡ってやろうという案が浮かんできた。急遽岡山行きのマリンライナーに乗る、6両。これはかなりの混雑具合だ。でもこれは18きっぷの影響だけではないだろうが。前に座ったおばちゃん達が大阪に帰る計画を立てている。そうか、もうここから帰れる距離まで戻ってきたのか。でも私は児島(四国から本州に入るときの最初の駅)で降りてそこからまた四国に引き返すぞ。・・・高松からは複線になる。線路を2つ見るのってすごく久しぶりのような気がするな、たかだか3日なのに。移動中外を眺めてみるが本当にうどん屋さんが多い。そう思ってると「やそば」という駅を
通過する。そば??とはいっても「八十場」なんだけど。

 瀬戸大橋を渡る、そして児島着。とりあえず駅の外に出ると真正面に大きな動くオブジェが見える。噴水&オブジェという感じで、水の勢いでゆったり動いてて、その名も「めぐる時間」。それを見てるだけでゆうに20分は経っていた。大きく駅周辺を見て歩くが、なんか瀬戸大橋におんぶにだっこって感じの店が多く、また駐車場のスペースが広い。まあ感じたことといえば「児島へは車で来い、歩いてくるな」だろう。

 時間になり児島を離れ宇多津へ向かう。にしても、児島−宇多津って1駅間だけど410円もする。まあ、島も変わるし豪快な区間だわな。本州と北海道を結ぶ青函トンネルは地下を通るから見ごたえの良さは恐らく全国一だろうな。時間的に夕日も差し込んでうっすら雲もかかり、景色はかなり良かった。1駅間14分・・・長い。宇多津は市でなく町なので少々田舎だろうと乗りこんだが複合デパートがあったり国道もすごく広くその沿線も色々店があってかなり便利だ。瀬戸大橋の存在意義はダテじゃないようだ。

 今日の宿はいわゆる健康ランド。今年は名前を言おう「瀬戸大橋四国健康村」。駅から徒歩10分ほどの場所にあり、非常に助かる。昨年もこういう場所を使ったので大体は慣れた。しかし昨年と比べて映画室のそれは大したものがない。料金は1800円+深夜料金500円+税。風呂と思えば高いが、宿と思えばこれはかなり安い。昨日のビジネスホテル、ここより倍以上も金とって、風呂はといえばユニットバスだよ?やってられるかー。確かにホテルにベッドはあるけど、フェリーでザコ寝は慣れてるし。

 久しく他の人と心置きなく話をしていなかったので、ネット友達からケイタイにかかってきた電話はとても嬉しかった。別に何を話したというわけでもないが、やっぱり私は話好きなんだなと実感した。電話を終えて2回目の風呂に入って、温まったところで寝に入ることにする。このとき23時。

   四日目の総停車駅数 74駅


2000年08月26日(土) 旅行記・3日目

参日目 8月26日(土) 松山→宇和島→四万十川→高知

 (05:00)松山港05:10−(バス)−05:31松山駅05:53−−−−08:00八幡浜08:42−−
−−09:49宇和島11:27−−−−−14:09窪 川14:52−−−−17:20高知

 緊急事態発生!メモ帳がない!!まぁ、これを書いている時点で見つかったんだなという予想は誰でもつくであろうが。・・・私は昨日寝る前、敷き布団のシーツの下にメモ帳を挟んだ。そして朝少々寝過ごす。松山駅行きのバスがフェリー到着5分後に出ると知り焦る。とりあえず5時の5分前には身支度も整い、バスに乗り込むことは出来た。さーて日記の続きを書くか、あれ、あれれ?という有り様。慌てて走って取りに戻る。このバスを逃すと今後の予定がやばくなる。必死。しかしバス停に戻るとすでにバスは出ていた…。幸い、手前の信号で止まり間一髪セーフ。危ないところだった。無事に松山駅着、コンビニで食糧調達ってあれ?ない。駅前にコンビニが。あるにはあるけど、OPEN7:00っておいおい。早朝からここを訪れる人いるんだから、考えてよねー早朝営業。小倉で予め朝食を買っておいてよかった。何も買わずに八幡浜行きに乗る、始発。しかし…見た感じ乗客は10人にも満たない。フェリーでは満席だったにも関わらず、私と同じ事を考えている人は思いの外少ない。大半は車で来てたんだろうな、きっと。内子線を経由していく。学生もおらず、車内は本当に閑散としている。

 八幡浜着。外へ出るが、またしても店がない。少し歩き回ってモスバーガーとマクドナルドを見つけるが、どちらもOPEN10:00。おいおい…四国着いてから駅前コンビニ見てないぞ。中途半端な田舎だな…。それにしても、今日は寝不足だが気分がすっきりする。やっぱり時間にせかされずにゆっくり進んでいるせいかな。単線だから待ち時間があって外に出られる時間も増えるし。

 八幡浜から出る列車は一気に上り坂を進む。もんのすごぉいゆったり。横に国道が並行しているが、軽トラに抜かれる列車って…。外の空気も味わいつつ宇和島に到着。次の列車を待つが、次が来るまで約1時間半。そんな待ち時間ってアリなんだろうか。大丈夫か、JR四国!宇和島まで乗ってた列車も乗客数えるほどしかいなかったし。

 待ち時間を埋めるためかばんを預け、歩くと商店街を発見する。これが小倉までのどこかにあれば下着安くで買えたのに、ちっくしょう。ここでまずはゲーセン寄って、そのあとケータイショップで地域の違うパンフレットもらって、大衆食堂で冷麺食べて。…なんかこの旅麺類食べてばっかりだな。

 そして時間をつぶして11時27分発に乗る準備。ん、トロッコ列車?聞いてないぞそんなの!通常運行の列車にトロッコ車(窓ナシ、木のイスで出来ていて見晴らしはすばらしい)を増結して、予約をした人は一部区間でそのトロッコに移動して四万十川を楽しむという。し、知らなかった…。そのせいかどうかはわからないが、恐らく往復するであろうカメラマンや観光の人がちょくちょくいて、混雑するほどではないが、4人席には必ず1人は埋まるくらいの状態だった。でもそれで多いっていうのは価値観の違いだろうか。

 トロッコを利用する江川崎に到着。おいおい、ご年配の方々ばかりがトロッコに集中してるじゃないの。ちょっとこの雰囲気にはついていけないな。ということで通常の車両の中で四万十川を見物。徐々に上流へ進みごつごつとした岩が見えてくる。ゆったりと飛ぶトンビがいたりして、確かに外の空気を浴びたい!とすごく感じた。

 それにしてもこの路線、すごいところを進んでいくぞ。山沿いをすいすい、川縁をすいすい。私が普段利用しているJR西日本のURBAN NETWORKぐらいしか利用したことのない人はここに来れば素晴らしさがイヤというほどわかるだろう。やはり四万十川は雄大だ。通勤列車を走らせてる同じJRとは思えない。

 しかし、土佐大正駅で妙な看板を見る。「大事な予土線を皆で守りましょう」と。後にも「乗ろう残そう予土線を」というのもあった。今日乗っていた列車も然り、利用者が非常に少ない。列車で愛媛を高知(すなわち伊予・土佐)を進むのはここしかないわけだから、ここが廃線になると四国一周が不可能になってしまう。だから絶対守って。私は予土線すごく気に入ったから!

 窪川へ着いて一段落。あ、200円払うの忘れてた。この200円とは途中に通った窪川−若井間で並行している土佐くろしお鉄道に対しての料金である。列車の中で眠りこけていたので、窓口で係の人に払う。しかし…証明も何もない。もしかして払い損?いやいや、ローカル線を守るためにも支払わなきゃ。ここを通ったら皆さんも支払いを怠らないようにしようではないか。

 窪川を出て30分ほど、須崎に到着。列車増結と特急待ち合わせのため35分待ち。…おいおい35分って。近畿圏だったらその間に大阪から京都に行けるぞ。すごいなーやっぱりここ。3年間やってきて今年は驚きの連続だ。その後、相も変わらず四国南部の路線はのどかぁ〜な道をひた走る。伊野あたりから乗客が増え始める。やはり1両では足りないのだとここでわかる。

 そして高知着。ここの素泊まりの宿で安いところは特にない。悔しいが5500円もするビジネスホテルで一泊する。部屋に行き一通り身だしなみも整理。洗濯を済ませ近くのスーパーマーケットで2リットル148円のウーロン茶を買う。ここでも大衆食堂で定食を頼み、その後コンビニで買ったビールを飲み、明日の朝も早いということで23時には就寝。地元のテレビ番組はあまり見られてないな。

   三日目の総停車駅数 75駅


2000年08月25日(金) 旅行記・2日目

弐日目 8月25日(金) 博多→久留米→大分→小倉→松山

 (07:27)博多08:02−−−−08:40原田09:09−−−−09:28久留米10:30−−
−−10:40鳥栖10:58−−−−12:16日田12:38−−−−13:55由布院16:15−−
−−17:17大分17:39−−−−18:42宇佐19:20−−−−20:49小倉−−−(徒歩)
−−−新門司港21:55−−−−−(フェリー)−−−−翌05:00松山港

 今日の予定は、時間的にかなりキツイが…やるしかない。

 まずは久留米に向かう。久留米へ向かう鹿児島本線は4駅だけ佐賀県を通る。鳥栖って佐賀県だったんだ。再び福岡県になり、久留米着。ここでかなり時間を持て余すので、地元が久留米だというネット友達にどこかいい場所がないか、と携帯電話で聞き「梅林寺(ばいりんじ)」に行くことにする、徒歩5分。しかし私は今まで寺巡りというものをしたことがないため、ただ歩き回るのみ。蝉の声とうっそうと茂った木から差し込む光が「あぁ、夏だな」と感じさせてくれる。そのあと筑後川べりで軽く寝転がる。車中泊の疲れがどっときて、危うく熟睡しそうだった。やばいやばい。・・・ちょっと時間が余った。鳥栖へ戻る。「時間があれば動け」私のこの旅の信念なので、同じ場所で40分もボーっとしてるくらいなら動く。鳥栖駅周辺は久留米ほどの華やかさはなかった。

 ここから久大線に突入。一両編成。しかし思ったほど「田舎だぁー!!」っていう印象は受けない。結んでいる場所(久留米&大分)がそれなりに栄えてるからかもしれないけど。久留米−日田の間、夜行でとった仮眠の不足分をここで補う。そして日田に着き、駅前のスーパー「サンリブ」で飲み物を買う。今回は2リットル198円のウーロン茶を買うことにする。水を汲めばタダなんだけど、いかんせんそういう場所がないため、やはり買う。列車を乗り換え日田−由布院、ここからは川沿いを走りトンネルを通るという繰り返し。途中、私の横のボックス席4つに座った女子高生…スカートの丈が短い!てめぇわざとやってるだろ、っていうくらいパンツが見えてしまう。目のやり場にホント困ったので、寝たふりをする。ああいうのは対処に困るよネェーほんと。でも、ええもん見させて頂きました。んで、そのうちの一人が友達がいるにも関わらずずっとケータイで話をしている。しかも平日の昼間、電話代が一番高い時間帯(まぁこれは余計だが)。目の前に話す相手がいるのに、あのような感覚が私には理解できないが…。

 由布院着。どうやら「ゆふいん」は「由布院」と「湯布院」と区別しているようだ。前者は地名として、後者は観光地として利用している。ここに来たからには湯に浸からねば。観光案内所に聞くと、駅から5分の銭湯があるらしく行く。乙丸(おつまる)温泉といい、なんと百円で入れる。しかし風呂場には扇風機がないのでちょっと暑い。そして入る準備。あれ・・・ない。ない!ない!!下着がない!!出発前にどれだけ忘れ物チェックをしただろうか、にも関わらず下着を忘れた。はあ…ちくしょう、先のスーパーで買うしかないな。とりあえず風呂には入って汚れを洗い流し、ロビーのようなところで一休み。そこに一緒に居合わせた3人の女性に話し掛けてみる。たぶん年の頃は私より2〜3くらい上の人。半分寝てるような様子だったけど、いろいろ話をしてくれた。で、私の話もすると「よくやるね〜、すごい」と微妙〜なほめ方。ははは、がんばりますよと返しておいた。そのあと汗も引いて軽く駅前を見てまわる。おみやげいっぱい。でも何も買わず。

 由布院から大分は特に何もなし、1時間のんびりと。そして大分駅で下車。ここで駅を出て下着購入を試みる。…店がわからん!ちょっとはずれたところにパルコ発見。この時点で次の発車10分前、間に合うかっ!?焦りながらもとりあえず売り場到着、8分前。う…高い。トランクス1枚に1500円も出せるか!こちとら1日2300円で旅しとるんやから。高いものしか売ってなくってここでは収穫なしに次の列車へ。今までで最大の混雑具合だ。3駅あとの別府で結構降りる人が多くて座ることはできた。はー、ムダ足(&汗)だった。

 大分からの電車は柳ヶ浦止まり、そして次に乗る電車は宇佐始発。宇佐のほうが手前で柳ヶ浦のほうが後にくる。ここで次の電車に乗るため宇佐or柳ヶ浦で降りるか迷う。〜〜〜〜なんとなく宇佐!ってことで宇佐下車。なんか語呂いいな“うさげしゃ”。そんな期待を持ちながら降りるが、ここ宇佐には何もなし。本当に何もなし。少し歩いたところにジャスコの看板が見えて、行ってみると“この先22km”…絶句、もういい。どうせ何もないので歩く途中で見つけた「ぶんご(豊後)ジュース」という100円自動販売機でみかんジュースゲット。他のものだとなんかハズシそうな気がしたから。宇佐発の列車から柳ヶ浦の駅を眺めると、どうやら同じ様子。ムダ足その2であった。

 途中の駅(忘れたけど)で地元の高校生がわんさか乗りこんできて急に騒がしくなる。でも構わない、地元の子達がどんな話をしてるのかを聞いてみたいから。どうやら彼ら(男女含)は後日行われる文化祭での踊りの練習をさっきまでしていたようで、しばらくしてから復習なのかそのうちの一人が電車の中で踊り始めたのだ。まあ乗客が少なかったからいいようなものの(座席が2割ほど埋まる程度)、見ていてなんかとても楽しかった。ずいぶん退屈しのぎになった。ありがと。

 うだうだしながらなんとか20時49分小倉着。さすがに百貨店はもう閉まっているようなので、コンビニで下着を買う。ホント不本意。マヌケである。下着と一緒に明日の朝飯&牛乳も買う。そして徒歩5分、新門司港へ到着し手続きも完了。小倉−松山間で2等・学割も使って2850円。宿代も含んでると思えば安いもん。さて、風呂ふろフロ。ニュートランクス(う…)も用意して準備完了。さすがに景色を見ながら入れるシロモノではなかったが、いい湯だった。湯上りにビールでも…高いのでヤメ。今年はムダな出費があるんだから。ふう、もう23時。明日の朝は早いから日記も切り上げ終了終了っと。

   二日目の総停車駅数 94駅 &フェリー(7時間)


2000年08月24日(木) 旅行記・1日目

壱日目 8月24日(木) 新大阪→博多

     新大阪13:40−−−−14:42姫路15:02−−−−15:12加古川15:23−−
−−15:42大久保18:26−−−−18:49兵庫18:52−−−−18:57和田岬19:09−−
−−19:14兵 庫19:20−−−−19:26三宮21:25−−−−21:44大 阪22:08−−
−翌07:27博多

 今年の出発地は新大阪。駅をちょっとばかり歩いてみると、やけに若い女性が集まっている。どうやら新幹線で到着したミュージシャンか誰かを待っているようだ。「キャーかっこいい!」「私のこと見てくれてたやんね、なっな!」とか言ってて、なんかすごい世界だなーとか思いつつ出発。ここから新幹線に乗れば博多なんて3時間やそこらで…いやいや考えるのはよそう。今日の予定は「ムーンライト九州」という京都−博多を深夜に走る快速列車に乗り、夜・大阪発、朝・博多着という構成なのだが、1日乗り放題なので昼間に18きっぷを使わないのは勿体無いってことでいろいろ動くことにする。

 姫路に着いたが、何をすればいいか分からない。なので、この近くの大久保駅にある映画館、ワーナーマイカル明石に寄って時間をつぶす。時間的にタイミングがよかったのは『パーフェクトストーム』。私としては織田裕二主演の『ホワイトアウト』が見たかったが、待ち時間が長かったので却下。

 映画を見終えると空も徐々に暗くなっていて、改めて行動開始。近場で一度寄ってみたい場所があった。和田岬線である。わずか1駅5分の短い路線なのだが、せっかくってことで行ってみる。時刻表を見ると、昼間の運行が全然なく、しかも土休日は16〜18時台の運転もないということで、どうやら通勤客のみをターゲットにした路線だと予測がつく。その通り、このへんは会社や工場が集まっているところのようだ。和田岬駅には駅員は一人もいなかった。たぶん長居する必要もないであろうから、折り返しの電車で兵庫へ戻る。

 三宮で時間をつぶそうと考える。…とあるネット友達に聞いたのだが、マンガ喫茶は時間つぶしに最高だというので探してみるが、みつからない。ないはずはないが、それよりも私はゲーセンが好きなので、そこへ寄り1コインでも長持ちするゲームをする。それでも時間がつぶせないので、大阪に戻る。そして「ムーンライト九州」乗車。九州へ向けて出発だ。仮眠状態を続け、気分が悪くなりながらも9時間半かけて博多到着。ここから各駅停車の旅が本格化されるであろう。

   一日目の総停車駅数 41駅


2000年08月23日(水) 2000年夏18切符旅行記ことはじめ

ここから5日間は、西暦2000年、夏の18きっぷ旅行記です。
今年は大まかな予定として、九州・四国を時間の許す限り巡る、という目標を立てました。
実は、この夏はこの旅を行う前に既に18きっぷを1セット使い果たしてはいるのですが、
まだ満足がいかずにこの計画をするに至ったのです。それではご覧あれ。
P.S. 18きっぷの説明は私からは省かせていただきます。


2000年08月19日(土) 大阪路上の話しその2

 今日は土曜日。何もただでママの家に泊まりにきたんじゃない。今日は町内会のフリーマーケットがあって、それのお手伝いをする。売るものは、手作りのガラス細工やパソコンで描いた似顔絵、いらない本や服など。すごくお互いに親近感があって、面白かった。そういえば私が中学生・高校生のころ町内会イベントだとかに参加するのってめちゃめちゃ嫌がってたな・・・。事実ここでも中高生はほとんどいなかったけど。ママには小学6年生の子供がいて、その子も古いゲームソフトを安値で出品、それを私が購入、400円也。その後ビンゴ大会に参加する。景品はなんと、この商店街の商品券1000円分!使えねえ。ママにあげればいいやと思ったが、当たらず無念。

 フリマも終了し一段落して「残りのモノも昨日のところで売ろう!」という案が浮上。俺も相方も「しんどい・・・」連呼。でも他のみんなはやめる気配なしで結局昨日に引き続き戎橋に見参。まあでも今日は物売りがメインってことで歌のほうはゆったりペース。フリマで売っていた物を置いたその横で私達がギターじゃかすか。ガラス細工は私もお気に入り。ストラップなんかもあってそれはケイタイにぶら下げることにした。

 相方をしてもらっている末永君は(私が相方をさせてもらっているといったほうが正しいと思うが)自作曲がけっこうあるので大阪にわざわざやってきたということで私はお休みして一人で演奏してもらうことにする。私はその横で初めて聞く彼の曲にハモリをつけられるか模索。でもメインメロディがわからないくせにハモリが出来るわけないわな。素直に聞くのに徹する。

 今回一緒に来てくれた友達がテープレコーダーを持ってきてくれて、私達の演奏・歌をテープに収めてくれることに。全て終わってから私も視聴。やはり自分の声を聞くのは恥ずかしい。これをダビングしてもらうのを約束して、今回のオフ会は終わりを告げた。他の皆は引き続きママのところに泊めてもらったようだが。

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 すごく楽しかったですね。その後末永くんは地道に音楽道を進んでいるようです。
2001年5月現在、彼は個人サイトを作ったようで、もしよければ見に行ってやってください。
表に立たない音楽業界が垣間見られるかもしれませんよ。

http://www.omn.ne.jp/~makomi/kaoru/001.htm←すえながかおるのページ

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2000年08月18日(金) 大阪での路上話しその1

 金曜日、彼が大阪にやってくる日。改めて電話で打ち合わせをすると、泊まり先もネットの友達のところだという。その人は通称「ママ」、1児の母である。私も以前お話をしたことはあるが、実際に会うのは今回が初めてだ。結局その他の友達を含め計7人が集まり、オフ会という名をとることにした。大阪駅で末永君と1年ぶりの対面、お久しぶり。

 その後、ママの家にお邪魔することに。私も行くということは予め伝えておいてくれてたが、やはり初対面は緊張した。そして皆が各地からの土産を差し出す。「あっ・・・。」忘れていた。お世話になることをわかっていながら手土産の一つも用意していない。かなりの不覚、ママごめんな。でもそんな私にも夕食をごちそうしてくれた。「食べ盛りやろ?まあどんどん食べ!」という言葉に感謝感謝。皆で食事を囲んでおいしくいただく。

 遅れたメンバーも揃い、全員集まったところで行動開始。どこでやるか?という話になり、キタの中心である梅田か、大阪といえばミナミの戎橋(ひっかけ橋)かという案が出たが、結局戎橋に決定。いざ場所に行ってみるとスペースがない。金曜日ということもあり、同様のことをしている人が多い。たまたま今終えようとしている人がいたのでその場所と入れ替わりの形で位置を確保。とりあえず最初のうちは末永君の自分の曲を歌ってもらう。私もいいかげん自作曲の1つや2つ持てるようになっておきたいな、と改めて感じた。

 そして発声の準備も終え、コピー曲を歌い始める。別に金稼ぎをしているわけではないから、もちろんお金はもらわない。コピーやってるだけで金もらおうなんざ、あつかましい。でもそのような中、私達を聞いてくれていたオバチャン(酔い気味)が演奏最中に1000円を差し出し「あげる」と。演奏を止めるわけにもいかず、一緒にいた友達に受け取ってもらい、そのまま頂戴する。

 既存の曲は、本当にやりやすい。二人が曲をしっかり覚えていればそれほど打ち合わせせずとも演奏出来るし歌うことも出来る。そこでスピッツの「青い車」をすることに。私もこの曲は大好きなので、相方にはメインメロディを、私はハモリを即興でつけてみた。意外とイケる。ついつい調子に乗って2回やってしまった。

 そんなこんなで2時間半ずっと立ちっぱなし、間を挟んでいるとはいえ歌いっぱなし、ギター弾きっぱなしであったがそれほど疲れは感じなかった。23時には戎橋を離れ再びママの家に戻って、すぐに寝てしまった。


2000年08月17日(木) 2000年夏路上日記ことはじめ

 平成12(2000)年8月上旬、一人の男の人からメールが入った。「路上やらないか?」と。

 突然だった。その男の人の名は末永君、地元山口では少し名を馳せた男である。今から1年前にあるホームページ上で知り合ったが、そのきっかけとなったHPがなくなってしまい、それ以後連絡がおろそかになっていた。昨年99年の夏にも広島で会い、そこでも路上に出て歌をやろうという話になっていた。しかし、彼が前日から高熱の風邪をひいてしまい声が出ないという理由から実現させることができなかった。それで1年ぶりにやろうじゃないかということに。私は快くOKした。でも・・・私自身がギターを3ヶ月握っていないのである。これではイカンということで久々に練習を行うことにする。


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