French Wolf の日記
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2004年11月30日(火) 入院生活 - 5 日目


火曜日。

朝食のもよう。


ランチのもよう。






2004年11月29日(月) 入院生活 - 4 日目


月曜日。

昨日医師に言われたことだが、今朝の血液検査で結果がよければ食事が出るとのことだった。朝 5 時半に採血され、(実際のところ結果を待つまでもなく、今日から食事を用意していたと思うのだが) 朝食から徐々に慣らしていこうということになった。

記念すべき第一食目のもよう。

簡単に内容を紹介しておこう。

順序は俺的に許容できるものが上位にランクされている。(病人が勝手にランク付けする立場でないことは百も承知の上だ。)


  • すりおろしリンゴ
  • 牛乳
  • 味噌汁(当然、具は全部すり潰されてる)
  • デンブ(ピンクの甘い粉)
  • 梅干しペースト
  • お粥 (三部がゆ)


一食目なのだから文句はいうまい。

ランチは、






2004年11月28日(日) 入院生活 - 3 日目


日曜日。

病院生活も徐々に慣れてきた。いくら慣れてきたといってもやはり長期間滞在するような場所でないことは間違いない。空腹感はないし、食欲もない。ただ時間をもてあましている。

点滴は 24 時間フル稼働。ときどきたばこを吸いに屋上や 1 階のロビー脇にある喫煙所に出かけるが、ガラガラと音を立てる点滴用の台車を転がしてしかもナースステーションの前を通らないと出かけられない。

今日は夕方、比較的長い間休憩所に出かけていたのだが、看護婦がわざわざ迎えに来た。「でかけるときは一声かけてくださいね」と厳しいお言葉をちょうだいしてしまった・・・。

ひとつ報告。医師の回診の際に便通があった (出るものがないのに出てくるとは人間の体は驚きだ) ことを報告したら、水分の摂取、もちろん経口摂取が許可された。これは大きなステップである。記念の一枚は下のとおり。






2004年11月27日(土) 入院生活 - 2 日目


土曜日。

午後 9 時消灯の病院での一夜が明けた。木曜の夜からの元凶、盲腸は今のところ抗生物質でおとなしくしているようだ。体調もだいぶ回復している。ただし絶食・飲はしばらく続くという。それほど空腹感もないし、何より痛みがなくて、内臓にも問題がなければ早く退院したいと思う余裕すら出てきたのだ。

昼間も夜もすることがない。文庫本を片手に読んでみるが、手には点滴がつながれており 100% リラックスして読書を堪能するほどの余裕はない。





2004年11月26日(金) 入院 - 初日


金曜日。


昨日の部から。
なんと木曜の夜、入院したのだ。

昼間からなんとなく腹部に違和感があり、それでも元気にプールではしゃいできた。

夕方、腹痛がいよいよ耐え難くなり地元の開業医で診察してもらったところ「腸にガスがたまっている」とのこと。レントゲン写真は撮らず、中身 (?) だけ確認することもできるご時世のようだ。しかも普通の人の 2 倍はあろうかという量だったらしい。そこでガスを出すための薬をもらって家に帰った。頓服の腹痛止めをもらい帰宅後すぐに服用したものの痛みがおさまる気配はいっこうになし。

夜、渡鬼をみているとどうも尋常ではない痛さで顔面蒼白、吐き気、悪寒、痛み、挙動不審など様々な症状が深刻化してくるではないか。以前入院したときには胃炎だったのだが、その痛みはるかに超えるものであり、今回は原因がわからなかったため親戚の車で近くの救急病院に出かける。診断は「虫垂炎」とのことだ。とりあえず点滴 2 本打って、明日の朝また来てもらいたいといわれたのだが、2 本の点滴を打っている間にも症状はますますひどくなる一方で、見かねた医師が家からもうちょっと距離のある大手病院に転院するとのこと。救急車で他の病院まで移動した。

まずは検査してみないとわからないことだらけということで、採血から始まって X 線、CT などいくつかの検査を受けた。中でも屈辱的だったのは直腸触診だ。噂には聞いていたものの、医師の指がケツの穴に入ってくるのだ! まさぐるように動かしながら「ここは痛いですか?」「こっちはどうですか?」「じゃ、こっちは?」などと聞いてくる。今考えると、周りに看護婦さんや他の医師、他の患者もいる中、下半身むきだしでケツに指をつっこまれている自分など筆舌に尽くしがたいほどの陵辱である。が、そのときは痛みの原因を早く払拭してもらいたい一心で検査にも協力的だった。(むろん、No といえるような立場・状況ではないが。) 血液検査の結果が出たのが転院してから 40 分後。それまではもだえ苦しみ、他の検査を受けたり、しゃべるのもままならない痛みにこらえている俺に問診であれやこれやと聞いてくる医師に対応したのだ。今振り返ると自分にご褒美をあげたいくらいよく頑張ったものだ。

出てきた所見から「急性虫垂炎」とのこと。手術するか、抗生物質で治療するかの選択を迫られた。俺は手術してしまえば今後一切同じ病気に罹る心配はないため、これを強く主張した。ここで厄介なのが、今はやりのインフォームド コンセント。これを徹底しているこの病院では、一応患者に選択肢を与えてから方針を固めるらしい。しかし俺がいくら手術を希望したところで、担当医 (後にこの人が主治医になるわけだが) が乗り気ではない。俺の体格からして、手術となると大がかりなものになり、完治まで時間がかかる。傷口の化膿やその他の合併症のリスクを考えると、「散らす」作戦の方がはるかによい、と言ってくるのだ。こんなとき本来ならばセカンド オピニオンを求めるのだが、そんな悠長なことはいっていられない。医師が手術したくないのであれば、俺がいくら頑なに「盲腸、とってくれ〜」とわめいたところで、執刀してくれないのだから、もう諦めざるを得ない。中途半端なインフォームド コンセントだ。要するに、「A と B がありますが、A はできません。どうしますか?」と聞いているようなもので、残された選択肢は自動的に B となってしまう。日本語ではよく「説明と同意」などと訳されるが、確かにこの意味ではきちんとインフォームされているし、コンセントもした。が、のっぴきならない状況下において、しかも事実上選択肢がないとなれば、インフォームもコンセントも関係ないのではないか? こんなことを痛みに耐えながら考えていたのだ。

さてようやく痛み止めが奏効してきたのか完全に体が解放されたわけではないが、なんとか小康状態に達すると、もう朝が開けていた。搬送されていたのは ICU。まぁ虫垂炎ごときで ICU は大げさだが、よく考えてみれば真夜中に病室に入れたりしたら、他の患者さんの迷惑でもあるし、とりあえず一晩は ICU で面倒をみた方が医師も看護婦も安心なのだろう。

朝方から数時間ウトウトすることができた。痛みが和らいだのか、鎮静剤のようなものも一緒に点滴を伝わって体内を循環していたのかは定かではないが、いずれにしても眠ったか記憶を失っていたのだ。

目覚めるとまた採血。正確には、採血しますという医師の声で起きたような気もする。しばらくたってから医師が戻ってくると、「手術します」とのこと。ん? 昨日とはだいぶ違うことを言っているのではないか、キミ、と思わず反駁しそうになったが、手術してくれるなら本望だと思い直して、「ハイ」と慎ましやかに返事しておく。

午前中には病室へ移動。普通ならベッドごと移動するか、車椅子で移動するのに、俺の場合歩いて移動させられた。まぁ、確かに苦痛ではあったが歩けないことはなかったのだ。そしてようやく入院生活が始まったことを認識する。4 人部屋。みなさん俺よりも年上だ。そのうち一人は日曜日には退院するという。

昼間の回診の際、主治医とともにヴェテランの先生がみてくれた。そのときには痛みもだいぶ治まっていた。朝方手術するといった主治医が顔を曇らせ、ヴェテランの先生と目配せをした後に発した言葉はなんと、「あれ、だいぶよくなっていますね。これなら手術はなしで問題ありません」。二転三転し、いろいろと気苦労が絶えない。俺のせりふではないな。結局手術は不要ということだ。ただし入院は一週間程度は覚悟しなければならないという。


2004年11月25日(木) だるい


木曜日。

ついにやってきた。大金が自分の懐から飛んで行く日だ。

まぁ、一時預かっていたお金を外注さんに支払うのだから当然なのだが・・・。それにしても腹痛がひどい。耐えられないほどではないものの違和感を通り越してもっとつらくなってきている。全身だるい気もする。



2004年11月24日(水) 金が飛んでいく日、カウントダウン


水曜日。

今日から残り少ないが再び一週間の残りが幕開け。早朝から (実は昨日海外のクライアントから入ってきていたのだが日本は休日という理由で先送りした) 案件があり、これに没頭していた。なんとまぁ大げさなことだろう。500 ワードもないもので「没頭」! 物事を大げさに書く才能には恵まれているらしい。

明日は 25 日。みなさんが嬉しい日は俺は泣く日である。お金が飛んでいく日だからだ。



2004年11月23日(火) 感謝の日


火曜日。

平日同様に入ってくる仕事をこなす。勤労感謝の日だが、誰が誰に対して感謝するのだろうか。農作物の豊作を祝う Thanksgiving とはまた意味合いが異なるが、自分で自分を、自分から周囲の人々全般を敬うという意味でよいのだろうか?


2004年11月22日(月) いらっしゃいませ


月曜日。

やっぱり月曜日の朝というのは何かとあわただしいものだ。プールが休みであることに加えて、一週間の始まりで気分が高揚しているのかもしれない。

午後から仕事打診のラッシュが続き、今週が始まったことを否応なく知らしめられたが、明日は祝日。これでまたペースが狂いそうだ。

夜は宝島。



2004年11月21日(日) 3 時間の男になったのか>俺


日曜日。

適当に用意した朝ご飯を食い、ノルマ化している昼寝を消化してもまだまだ時間に余裕のあった今日、買い出しに出かけた。主婦じみているが買ったものは愛犬のエサと白米 10kg。まぁどちらも今の俺にとって生活必需品には違いない。

午後の部は SHIDAX フリータイムで本格的な幕開け。本来ならば 8 時間ほど歌えるコースではあったものの、体力的、精神的なプレッシャーに打ち勝つことができず 3 時間程度でギヴアップ。採点機能に大打撃を食らったというのが敗因の主因ではあるものの、それだけではない。日頃発声練習を怠っているのがバレバレになってしまったという顛末だ。

しかし夜は宝島にて反省会。



2004年11月20日(土) スカパー無料デーなのに


土曜日。

おはよう。さぁいよいよ週末の幕開けです。今日は昨日仕込んでおいたインチキ ドリアでリッチなブレックファストをエンジョイ。いうまでもなく、やはり朝食を食べ過ぎた日には昼寝が欠かせない要素になり、その例にもれずきちんとノルマ分の昼寝を消化。そして、向かった先は SHIDAX。1 時間半でも楽しめるものだ。

夜は宝島。



2004年11月19日(金) 腰痛でも泳げるさ


金曜日。

朝起きたら、足の付け根が痛かった。いや実は昨日から股関節がなんだか固まっているような気がして違和感はあったのだが、今日は足の付け根から腰にかけて痛みが広がっている気配。

でも今日納品しなければならないプロジェクトはあるし、どうにもこうにもやらなければならないことはやらなくちゃならない。

ひーひーいいながら、文字通りはい出すようにベッドから起きあがり、なんとか仕事に取りかかる。徐々に体が温まってきたのか、痛みが緩和されてきた。

俺が毎度罹る痛みは「押すと痛みが増幅される」タイプではない。押すと痛気持ちいいタイプのものだ。ということは、素人判断が禁物ではあるにしても、まさしく筋肉痛に属するものである。というわけで、筋肉痛の特効薬は運動することという定石を思い出しプールに出かけることにした。

しかも今日は事前に、スウィミング クラブ専用のプールではなく隣接されたスポーツ ジムにあるプールの体験利用を同志と約束していたのだった。今日は無理そうだと思い朝のうちにメイル連絡をしておいたのだが、約束の時間には姿を現した俺。向こうはビックリしていたようだが、ひとりぼっちで後から体験というのも後れをとったようで気になる。負け犬に成り下がったような気分になってしまうだろうという懸念もあり、今日参加できてよかったと思う。

さてジムのプール。25m というのはいつものプールと変わらない。が、泳ぎにくい。レーン数が少ないのと各レーンが狭いのだ。隣で背泳ぎしているおばちゃんに背中を触られることしばしば。その後、「はじめてクロール」「なが〜くクロール」に参加するためスウィミング クラブのプールに移動。都合 1 時間のクラス終了後はまたジムに戻り、お風呂に浸かって帰ってきた。ジムのプールの利点は、この風呂とジャグジーだけだ。(少なくとも俺にとって。)



2004年11月18日(木) 幸せだなぁ、俺


木曜日。

木曜といえば、渡鬼の日。仕事がだいぶ立て込んできたためヴィデオ録画しておいた。

今進めているプロジェクトの中に、英訳のものがあるのだが、参考資料と今回の原稿を見比べ、翻訳者のファイルをチェックする。これが結構しんどいのだ。参考資料と微妙に異なる表現が原稿に見つかったとき。ラッキーだと思えないこともないのだが、実際には「翻訳」の範疇を超えた「編集やリライト」的な表現になってしまう。クライアント自身が英文の編集者であるため、こっちが勝手に手を加えてしまうと、彼の仕事がなくなる。というか、彼が求めているのは「正確で読みやすい翻訳」、あくまで「翻訳」なのだ。

となると、しかたなくコメントをいろいろつけて、資料にはこのように書いてあるけど、今回はこういう理由でこのようにしました、など実際の英訳よりも自分の書いた英語のメッセージの方がワード数は多いのではないかという次第。

まぁ、楽しくやっていられるのだから幸せなのだろう。



2004年11月17日(水) ラスカル氏登場


水曜日。

夜、懐かしい友人ラスカル氏から電話があった。久しぶりに話したのだが、それでもいつも変わらない同氏。頭の中身を一度拝見させてもらいたいものだ。ちなみに、高校の同級生で 2〜3 年は同じクラス。部活などの接点はゼロだが、授業中も休み時間、放課後も結構つるんで遊んでいたことを思い出した。

いやいや、楽しかった。



2004年11月16日(火) どんどんどんどんどんどんどおんどおん


火曜日。

プールも始まりいよいよ本格的に一週間がスタートしたという気分。

納品すると次のバッチという具合に話はどんどん展開していく。仕事があるのはよいことだと信じるしかない。

プールも順調。泳ぎすぎの傾向もあるが、楽しく泳げればそれでよいという気もする。



2004年11月15日(月) 暖房


月曜日。

またやってきました。月曜日。ブルーになってはいられない。今週は納品が重なり、いろいろな意味で忙しくなりそうだ。しかも寒い。暖房をつけてしまった。部屋がぽかぽかといいあんばいになって、どうしても眠気が襲ってくる。それ自体は悪くはないのだが、集中できないと困るんだなぁ、これが。

コーヒーを飲むわけでもなく、お茶をガブガブ飲むためには自分で入れなければならない (当然だ)。どうしても水なんかでごまかしたり、たばこでリフレッシュすることになってしまう。

プールが休みの今日、できるうちに仕事をどんどん進めておいた方がよさそうだ。



2004年11月14日(日) ゆったりと大寝坊


日曜日。

ちょっと寝坊してしまった。起きたら 7 時。俺としては大寝坊だ。

朝ご飯も杜撰。まぁ、たまにはよしとしよう。仕事も順調。新たな案件も動き始め、これまた海外の外注さんにお願いした。昼間は比較的ゆったりと過ごし、宝島にて週末は幕を閉じる。



2004年11月13日(土) 大熱唱 3 時間


土曜日。

土曜日だというのに結構早起き。それでも最近は 5 時頃までは寝ていられるようになった。以前は放っておくと 2 時半に目が覚めてしまい、どうにもこうにも二度寝すらままならないことがあったから、マシになった、というか標準に近づいたのだろう。

仕事は週末も関係なく継続している。質問に回答したり、進捗を確認したり、やるべきことはある。ただ、これも朝の時間帯に集中してしまえばそれほど大きな問題にはならない。

午後はカラオケ。3 時間で大熱唱。いやいや、のどが弱くなっている気がする。そして、言うまでもなく晩ご飯は宝島だ。



2004年11月12日(金) どんどん追加


金曜日。

さらに追加で大きなプロジェクトが巨大なものになった。ただしチームを増強することなく対応できることは、非常に助かった。

プールもがんばっていますよ。

夜は宝島。


2004年11月11日(木) 巨大案件 WMS


木曜日。

大きな案件が飛び込んできた。昨日ちょっとした失敗をおかしたクライアントからのものだったことからすると、信用失墜までいかずに済んだようだ。もっとも今後同じことを繰り返さないように慎重にしなければならないことは言うまでもないが。

海外 2 名、国内 2 名でプロジェクト チームを結成。時差の関係でなかなかリアルタイムのコミュニケーションは難しいが、メイルのおかげでかなりスムーズになった。便利な世の中だと思う。



2004年11月10日(水) プチトラブル


水曜日。

ちょっと仕事でしくじった。いろいろと考えなければならない課題が山積状態。ただこれもチャンス。ポジティヴに生きたい。



2004年11月09日(火) 偉い、俺


火曜日。

仕事もプールもがんばった。


2004年11月08日(月) ライノウィルスか?


月曜日。

なんだか体がだるい。風邪だろうか。『ウィルスの追跡者たち』を読んでいるからよけい過敏になっているのかもしれない。

ゆっくりと休むことにしよう。



2004年11月07日(日) 遊び


日曜日。

朝食を楽しみ、昼寝。

そして SHIDAX 1.5 時間コースを経て宝島へ。



遊びの紹介。

俺の一日はたいていネットでいくつかの懸賞サイトを巡回することから始まる。ほとんどは年中無休か、週休 2 日でほぼ毎日更新されており、ポイントがどんどんたまったりする。

それとは別に、特定の期間だけ (年に数回とか) 開催されるイヴェントもあり、参加することがある。ビンゴ大会もその一つで、興味のある方は下のリンクをクリックして遊んでもらいたい。まあ、無料だし。ただし、「個人情報漏洩」など気にする方は控えた方が無難だ。また、無料メルマガ購読などの条件がついていることもあるので、そのあたりは自己責任で…。

http://bingo.spacetown.ne.jp/?i=4144845049




2004年11月06日(土) 大熱唱、遠征、肉、業務用、新札


土曜日。

早朝に起き出し、例の二硫化モリブデンについての翻訳に取りかかった。最初はとりあえず原文を読みながらどんどん進めていくしかない。手探りの状態ではあったが、徐々に論文の内容が見えてきた。要するにコーティングとして使用する際、どのような準備、プロセスが必要か、最適かをテーマに取り上げたものだった。ストーリーがわかれば、細かい試験方法などの専門用語を確認し、念のためその技法も簡単に調べておけばよい。単調ではあったが、新たな業界の言葉を勉強するよいチャンスだった。

そして朝食。昨日のうちに (しかもこれまた早朝に!) 仕込んでおいたカレーを温め直し、さらに一品追加ということでカップ麺。ふだん自己流のカレーではふんだんによけいなものを入れるのだが、今回は市販のルーのみ。普通にうまかった。

しばしの休息。目が覚めてもまだまだ今日は残っている。久しぶりにカラオケ耐久レースに出かけることにした。12 時半に入店し、3 時間の大熱唱。以前の 5 時間の記録には及ばなかったものの、このところ 1 時間半が一般化 (少なくとも俺の中では・・・俺化と言った方が適切だろうか) していたのでかなり疲労困憊。3 時半過ぎに終了となったわけだ。このまま宝島に出かけてももちろん問題はなかった。

友人と相談した結果、今まで最寄りの宝島の店長だった S 氏が県庁近辺の店舗に異動になったこともあり挨拶がてら、話題作りのためにも一度訪れてみようということになったのだ。焼き肉を食べにいくのにはるばる 40km も…という気もしなくはないが、ご当地では珍しいことでは…やはり、希有かもしれない。

店舗を見つけるのに一苦労。見つからなければいつもの店に戻って食べればいい、くらいのつもりで住所と地図を頼りに探してみると意外にもすんなり見つかった。店に入って早速店員さんに「店長いらっしゃいますか?」と声をかける。ほどなくして懐かしい笑顔が目の前に現れた。先方は感動してくれたらしい。元同僚や元お得意さんが新しい店にまで来てくれるというのは嬉しいものなのだろう。こちらも久しぶりに S 氏の B 型炸裂トークにタジタジになりながらも、十分楽しませてもらった。他にも、ここの宝島は土足厳禁。全席お座敷だ。しかもロースターに備長炭を使っており、いつものガス ロースターとは雰囲気が異なる。取り皿、たれの器も違うのだ。お店のスタッフの衣装もどちらかというと「でん」「牛角」に近い。興味のある方は、河和田近辺の宝島に出かけてもらいたい。百聞は一見にしかず。

帰り道「業務用商品取り扱い」のお店を見つけた。都民時代には近くのハナマサに出かけ、ひとり暮らしのくせにいろいろと大きな調味料をそろえたり缶詰を買ってみたり楽しんだものだ。

眺めてみるだけでも面白そうということで立ち寄った。店の外に並んでいるのは、ジャガイモ中サイズのものが 7 個入って 100 円の袋の山。隣には、段ボール 1 箱で 1000 円というのも。タマネギは 1980 円だった。間違いなく一般的なスーパーよりは安い。が、残念なことに今家に在庫が十分あったため、これら野菜類は買わなくてすんでしまった。

店内にもところ狭しといろいろ並べられている。ケチャップ、ソース、醤油、油などは以前の記憶から「懐かしい!」とは思ったものの特に買う必要はないと判断。カレーやシチューのルーの巨大ヴァージョンもある。結局買ったのは、鶏ガラスープ業務用 1kg、あとは近所のスーパーであまり見かけない棒ラーメン 2 種類、スパゲッティ 1kg×2 袋。そんなものだ。

いざ会計。なんと、お釣りで新紙幣に巡り会うことができた。感動だ。今日一番の感動といっても過言ではないかもしれない。




恒例の面白い日本語コーナー。


繁華街
これ、クルマで宝島への道を探しているときの友人の発言。俺が「どんどん繁華街から遠ざかっている気がするね」というと、友人「繁華してないしね」との答え。おいおい、「繁華って動詞だったっけ?」
歓楽街
これは、上の繁華街について話し合っているとき、「繁華してない」って使わないのは、「歓楽街って言葉はあるけど、歓楽する、歓楽していない、って言わないのと同じ」と力説。まるで城が陥落するようなイメージじゃん、と伝えてみたが、まぁ言葉は面白いものだ。





2004年11月05日(金) 大騒動 - IP 電話、仕事、プール


金曜日。

朝一番で毎日恒例の仕事に着手する。途中で NTT の人がやってきた。さすがに放ったらかしにしておいて「終わったら呼んでください」というのも失礼だし、なにしろ俺が修理現場をみてみたいという好奇心を抑えきれず、中途半端なまま仕事はいちど保留にして、担当者の仕事ぶりを拝見した。

最初は、「おいおい、それは俺が昨日もうすでにチェックしたことだよ」とツッコミを入れたくなるようなことを点検。まぁ念のためということもあるだろうし、自分の確認項目が間違っていなかったと知ることができたのでよしとしよう。

さぁお次はモデム。NTT から持ってきた代替マシンで実験。すると同じ症状が再現したのだ。ということは、モデムのせいではない。頭を悩ませ始める俺たち。(俺は悩む必要などなかったのだが、筋道立てて考えるのは面白い。) そもそもこの時点で問題が解決していれば、モデムのせいだ、と結論づけることができたわけだ。

すると突然「他に電話使っていますか?」との問いが発せられた。「2 階にもありますよ」と階上へ案内した。とっちらかっていた仕事場を第三者にさらけ出してしまったが、そんな悠長なことは言ってられない。参考になるかどうかわからないが、とりあえずタブレットを使用してがんばって描いた概念図 (大げさ! しかも意味が違う!) を下に紹介しておこう。



配線図


なんと、電源の入っていなかった PC には FAX モデムが搭載されており、これで FAX の送受信を行うことがあった。PC 本体に電源が入っていなくても、電話の着信がこのモデムを通っており、かってにモデム内で着信されてしまっていたというのだ。驚くばかりで開いた口がふさがらない。

さらに、1 階にも 2 階にもあるホームホン (ドアホン、外線、インターホン共用タイプ) を通して家の津々浦々に用意されている電話ジャックに分配されており、そもそもこのホームホンが悪さを働いていた可能性も浮上した。

先日来、台風による暴風雨、雷雨で停電が頻発したが、停電そのものよりも、その後に復旧した際ゼロから通常の電圧が供給されたことによっておそらく一番デリケートなデヴァイスに異常を来したらしい。ここまで話がハードウェアになってくるともう俺の範疇を超えている。いろいろと勉強にさせてもらったが、次に同じ場面に遭遇しても、ここまでの判断ができるかどうかは微妙だ。無事、IP 電話の着発信も復旧した。

そして、ふと時計を見上げてみるともう 11 時。急いで、かつ慎重に残りの仕事を進め、プールに出かけるために急いでランチ。ただ、あまりに午前中に根を詰めすぎたせいか、一気に体中の力が抜け、睡魔に襲われる。目が覚めると予定していたプールのクラスはとうの昔に始まっている。仕方ないと諦めかけているところに仕事の打診。もちろん仕事は大切だ。いろいろと手配をしているうちに、昼の部のプールが終わり間近。10 分でもいいから泳ぎたいとの思いから、クルマを吹っ飛ばして出かける。受付のおねえちゃんもあまりに閉店間際に登場した俺に驚いたのだろう。「あれ? 今からですか?」と怪訝な表情で歓迎してくれた。「ええ。サクッと泳いでサクッと帰ります〜♪」など適当に返事をして更衣室へ。正味 15 分くらいでまぁ 1000m 弱は泳げただろう。

家に戻ると新たな案件が続々と。すったもんだしているうちに日は暮れ、なんとか手配がついた頃には外はもう暗闇だ。引き受けた案件の中には二硫化モリブデンに関するものもあり、担当者が見つからず自分で引き受けることになった。分量はそれほどではないのだが、リサーチでかなり時間のかかることを今から覚悟しておかなければならない。


2004年11月04日(木) IP 電話の故障?


木曜日。

さぁ、今週も残すところわずか。今日は比較的スムーズだった。仕事も快調。プールもまぁまぁである。

ひとつ問題といえば、IP 電話が不通になってしまったことだ。基本的な設定を確認し、配線を調べ、プロバイダーの障害情報を確認。それでも、インターネットに接続できる (ウェブもメイルも問題なく利用できる) のに IP 電話だけ使えない。プロバイダーに問い合わせてみると、voip サーバーも稼働しているし、問題ないはずだという。NTT に問い合わせると、やはりモデムのハードウェア障害が考えられるとのことで、見に来てもらうことにした。予約は明日の午前 10 時。




2004年11月03日(水) 文化の日にちなんで、なんちゃってバイオロジー入門。


水曜日。文化の日。

今、『ウィルスの追跡者たち』(青土社) を読んでいる。これは大昔とあるツテからいただいた一冊なのだが、はまりこむと面白い。


回想シーン

大学 1 年生の春学期 (日本の大学では珍しく、母校では 3 学期制だった)。理系の必須科目で生物の授業を履修し始めた頃だ。「生物とは何か。定義せよ」という出題があり、これだけでレポート提出をいきなり求められた。レポートとは高校時代から耳にしていた言葉だが、大学レヴェルとなるとやはりそれなりのリサーチが要求されていることはフレッシュマンでも容易に想到しうる。何も深く考えることなく課題にあった文献をあさり、参考資料のページが複数枚に及ぶほど、調べてみたものだ。

が、今考えてみると、当時自分ではあまり考えていなかった。授業で教授が「時計は生物でしょうか?」と訪ねる。教室 (と呼ぶには広すぎる大講堂。理系の建物の中で一番大きな教室だった。記憶が正しければ N-203 と呼ばれていた気がする) 中に否定するざわめきが走る。「バッタは?」- 当然生物だという雰囲気。「フラワーは?」- これもまたしかり。「じゃぁ、ウィルスは?」- 正直、当時の自分は「ウィルスの正体」を知らなかった。生物だろう・・・と思っていたのだが、教授の話し方、話の流れからすると「ウィルスは (少なくとも担当教授の考え方では) 生物ではない」ということを言いたかったらしい。

結局、レポート提出後、この春学期の生物のクラスは、「生物の定義」で終わった気がする。いくつか項目が挙げられて、これらすべてを満たすもの。これが生物です。というあんばいだ。途中で、DNA の話、細胞の話、消化の話・・・いろいろとうまく織り交ぜてあったが、非常にすぐれた出発点で、必要に応じて、しかも話の展開にうまく合致する形で生物の特性の基本を伝えてくれるものだった。


さて、ウィルスの話。詳しくは専門書に任せるが、要するに「生きてもいなければ、死んでもいない」ものらしいのだ。生物に寄宿して、細胞を乗っ取り、ウィルスがもっている DNA または RNA を細胞にコピーして増殖する。細胞に潜り込むまでは、ひとりでは何もできないのだ。分裂・増殖すらできない。ただし、細胞に入ると勝手に人様の増殖メカニズムを利用して、自分の複製を作らせる。細菌とも異なる。細菌は生物だ。自分で増える努力をする。ウィルスは他力本願。これが大きな相違点。

こんなことは当たり前だという読者賢者。そうだ、おっしゃるとおり。これは高校生でも知っていることかもしれない。でも、『ウィルスの追跡者たち』を読んで、細菌でもない金属鉱物でもない中間的な存在が科学者によって明らかにされる経緯を知るにつれて、深遠なトピックにはまりこんでしまったものだと思う。

よく風邪の万能薬ができたらそれこそノーベル賞ものだというが、風邪もウィルスによって引き起こされるごくありふれた疾病のひとつ。原因が細菌であれば抗生物質で問題ない。が、ウィルスは抗生物質 (読んで字のごとく、生に対抗するわけだから) では対処できない。ウィルスをやっつけるには、抗ウィルス剤が必要なわけで、夥しい数のウィルスが風邪の原因となることが知られている。一つひとつに抗ウィルス剤を開発できたとしても、変種が頻繁に現れる。いたちごっこだ。

知っている人には面白くない独り言になってしまった。そろそろキーボードから手を離そう。




2004年11月02日(火) 前夜祭


火曜日。

休みの前日にしては穏やかな一日だった。ただし、プールでは「中上級」に参加せずにそそくさと早退。

夜は祝日前夜祭パーティ@宝島にて。



2004年11月01日(月) November


月曜日。

ついに始まってしまった。11 月だ。タモリがよくテレビで「年をとると、時間の経過がどんどん速くなる」といっているが、手に取るようにわかりやすい表現で「言い得て妙」がうってつけの名ぜりふだ。自分の心は少年のままなのだが、年齢は増える。老化も始まる。経験は増える。責任は増える。自由は増える。若さは失われる。

年賀状もそろそろ考えなければならない。とはいうものの日頃の仕事に追われており、まだそんな余裕はないのが正直なところだ。

プールもお休みで、今日は仕事漬け。週半ばに祝日があるのが唯一の楽しみである。



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