French Wolf の日記
DiaryINDEXpastwill


2001年01月31日(水) ぶるぶる〜

今日はなんだか天気も怪しいし、気分もそんなにすぐれていなかった。

昨日の夜会社に出かけた疲れが出ているものと思われる。

仕事を家でこなしたのはよかったが、今日はいつもより早めに仕事を切り上げた。

体調が悪かったため、オケの練習も休んでしまった。早くこの鬱状態から復活しなければと思うのだが、自分ひとりで頑張るのもなかなか簡単なことではないなぁ。


2001年01月30日(火) インターネットで儲けることの落とし穴

今日はショックなことがあった。去年の 7 月に申し込みして、以来 7 ヶ月も頑張った苦労が…。何の話かというと、インターネットでサーフする際、指定されたソフトをダウンロードして表示させておくと、サーフした時間に比例した報奨金が支払われるというプログラム。毎月微々たるものだけど、ちょっとずつ小遣いを稼いで、あとちょっとで小切手を送ってもらえるという段階になって、「日本でのサービスが中止になりました」というメイルが届いたのである。あれだけ、こまめにネットサーフをしていたのに、ショックこの上ない。



今日は会社に行った。人事と新しく自分が配属される部署のマネージャとのミーティング。久しぶりにみんなの顔を見ることができた。元気そうでなにより。それに、2 週間ぶりに出社した自分に、疑問の眼差しが向けられることはなく、みんな心配してくれた。本当に嬉しかった。

ただ、しばらく遠縁になっていた通勤などというものをしてしまったせいで、ちょっと疲れ気味である。

家に帰って、ビールを飲んだのだが、また吐いてしまった。もぉ、吐くな。って感じなのだが、仕方ない。

あ、そういえば、会社の人に「太った?」と言われてしまった。やっぱり太っているのだろうか? あれだけ食べ物に注意しているのに…。それとも髪の毛を切ったことや、コンタクトに変えたことが関係しているのだろうか?

明日はオケの練習である。ヤバイ。ホルン アンサンブルもそうだが、練習する時間がないのである。そろそろ真剣にやらないと殺されてしまう!



2001年01月29日(月) 吐き吐き大魔王再来!

意外な人が日記を読んでいてくれて、しかも心配してくれてメイルをくれた。とても嬉しかった。まだ、自分は世界とつながっているんだなぁ、なんて至極当然なことを痛感してしまった。

今神経が昂ぶっている気がする。何事にも過敏になっている。特に食べ物にはからっきし打つ手がない。今日もまた吐いた。

食べると罪悪感がある。太るというのもイヤだ。だったら運動すればよい。そんなことはいわれなくてもわかっていることだ。ただ一日中家の中で仕事をしている最近、消費カロリー以上にお腹が空く。食べたらいかん、と思って食べてしまう。毛局吐く。

吐くなら食うな。食うなら吐くな。

我ながら名言だと思うが、これを実践するのは一筋縄ではいかないものだ。


2001年01月28日(日) 摂食障害

今日は日曜日。

家でゆっくり過ごした。ただ、プライベートの仕事で比較的大きなものが舞い込んできたため、100% のんびりとはいかなかったが。

最近吐き癖がついている。これは好ましくないことなのだろうか…。ご飯を買いに出かけると、つい欲張りな正確が頭角をあらわし (またもや語法に誤りが…) いろんなものを買い込んでしまう。そこで、全部一度に食べないで、次の食事のためにとっておけばよいものを、やはり欲張りなため、全部食べてしまう。

それではマズいと思い、吐くのである。摂食障害というのは、たぶん痩せこけた人には似合う言葉かもしれないが、自分の場合もひょっとしたらそうなのだろうか? どうせ摂食障害というなら、あと 20 キロ痩せてから公表したいものである。


2001年01月27日(土) ホルンの練習とチゲ鍋

今日は午前中がホルンの練習だった。

それにしても大雪にはびっくりした。自分の住んでいる大都会ではそれほどひどり降り方ではなかったが、練習会場のある三鷹近辺ではおぞましいほどの大雪、豪雪だった。

ホルンの練習はぬくぬくしたコミュニティ センターで行われたため、それほど寒さは感じなかったものの、やっぱり寒かった。



夜は友人宅でチゲ鍋パーティをやるということで、練習が終わった 1 時過ぎから 3 〜 4 時間ほど時間が余った。ホルンの女性陣 3 人を引き連れて (拉致されてて、という方が正確か?)、パスタ屋で昼ご飯がてら時間をつぶした。

めずらしく中央線は動いていた。友人宅まで雪の中 (といっても電車の中に乗っていたのだが)、東京の端から端まで移動した。車中、三鷹で購入した馳星周の「虚の王」を熟読。


本来、友人宅の最寄駅に午後 5 時集合ということになっていたのだが、実際時刻を守ったのは俺とホストの友人だけだった。二人で 5 人分の鍋の材料 (プラス自分は練習帰りだったため、ホルンも持っていた!) をえっちらおっちら運んだ。雪は一向にやむ気配を見せず、風邪は強くなるばかり。普段だったら駅から徒歩 5 分程度の友人宅まで、30 分くらい歩いた気がする。

全員が集合したのは、もう時計が 7 時を回ろうとしていたころ。鍋は非常に美味しかった。久しぶり…といっても昨日会ったばかりの人もいれば、忘年会であった人もいるから、結局そんなに久しぶりというわけでもないか…の宴会で楽しませてもらった。


2001年01月26日(金) 暖冬なのに…

散髪に出かけた。

それにしても最近寒い。当初、「暖冬」だったはずのものが、今ごろになって寒さが本格的になっている。

う〜、寒い。


2001年01月25日(木) 友だち…

友達はあたたかいものだ。

自分がこういう状況で家で仕事をしているのを心配してくれている友人たちがいた。嬉しかった。

言葉で表現しようとすると、どうしてもレヴェルが下がってしまうのでこれだけにしたい。ありがとう。

会社から電話があった。新しく部署が発足し、そのマネージャが関係者を集めてミーティングをしたいということで、来週の火曜日夕方からだが出社することになった。


2001年01月24日(水) ついに来た…


といっても、赤紙ではない。確定申告の季節である。

サラリーマンとして会社人を勤める一方、フリーランスの翻訳もしている俺にとっては、毎年恒例の行事である。

これがまた面倒くさい。一度作業を始めてしまえば 3 時間程度で終わるのだが、電卓で何回も検算し、丁寧に記入していく作業は、言ってみれば、大学のマークシートの試験にあい通じるものがある。

これで、5 月くらいにはいくらかの還付金が戻ってくるはずである。ちょっとしたお小遣い程度だが、ないよりもあるにこしたことはない。



2001年01月23日(火) 「…のフリ」がムカつくんだよ。哀しいんだよ。


なによりもムカつくこと。それは、自分にそこそこの知識があるからといって、自分を医師の診断なしで勝手に鬱病患者に仕立て上げること。

「私はあなたの気持ち、すごくよくわかります」みたいなことを言われると、オマエは本当に medically certified 鬱病患者なのか? みたいに言い返したくなる。そういうやつに限って、医学・心理の知識があったりして、こっちの怒りをきちんと増幅してくれる。

ふざけるな。つらいなら病院に行って薬をもらえ。我慢できる程度、医者に行きたくないなら、鬱病患者のフリをするな。

以上。今日は怒りである。



これだけで終わりにしようと思ったが、まだ腑に落ちないものがある。自分は他の人をゴミ箱扱いしているのだろうか? 本人がそれと意識しないうちに、そんなひどい仕打ちをしているのだろうか?

これは、哀しみである。


怒りにしても哀しみにしても、本人が意図していないものが相手に伝わってしまったり、その逆だったりで人間関係を築く上で避けては通れない道筋のような気もする。


これから、国が自分をどこまで生き延びさせてくれるか、ネットで調べてみるつもりである。この際、社会的な体裁や面子などは関係ない。自分が「生きていく」と決心しているだけでも、ご褒美ものである。人に頼ることができるうちは頼った方がいいに決まっている。ダメもとで調べてみよう。上の怒りも哀しみも、ひょっとしたら、自分の病状と関係あるかもしれないし。


2001年01月22日(月) 焦燥感はないが倦怠感がある

会社には当然行っていない。

行かなくても月曜日は今ひとつ体調がすぐれない。鬱の症状にやる気がでない、という項目があるのかどうか分からないが、とにかく何をやるのも億劫。かつてひどかった焦燥感はない。倦怠感とでもいうのだろうか。それが、徐々に体を蝕んでいる。

本当に珍しいことだが、仕事を辞めたいという気持ちが高まった。夜には先日郵便でかつお節や叉焼などを送ってくれた母 (家庭の事情で実家に戻っている) に電話をかけてしまったほどである。いざ仕事を辞めて定期的な収入がなくなったら、面倒を見てもらえるか打診したのである。母の実家は茨城の田舎にある。都会っ子の自分に田舎の生活が耐えられるか、未知数である。が、本当に手に職がなくなったら仕方ない。生活保護を受けて一人暮らしを続ける、という手も考えられるが、今はそれだけの気力がない。

家で翻訳の仕事をやっていればよいのだろうか? それで本当に鬱病は治るのだろうか? 日本には精神分析医はいない、とかかりつけの先生には言われている。要するに、自分が鬱になった原因を根源から解明するに足るだけの能力をもった医師はいない、という意味だろう。じゃ、アメリカにでも診察を受けに行くか? カウンセリングだけで鬱が治るとは思えないが、少なくとも日本よりは研究が進んでいるような気がする。

難しいところである。

ところで、仕事だが、一応与えられた分は几帳面にこなしている。この辺がそもそも問題なのかもしれない。もう少し在宅のメリットを生かして、自分のペースでラクをしてもよいのかもしれない。罪悪感が伴うのはイヤだが仕方ない。難しい性格だと、自分でも思う。


2001年01月21日(日) 麻婆の豆腐と茄子 + コンサートのお知らせ


こなさん、みんばんは。(おおぉ、一部の人には非常に懐かしい Spoonerism でっせ。)

今日は日曜日。朝から天気もよくて気分爽快。しかも、友人の K がなんとまぁ、わざわざうちに昼ご飯を作りに来てくれたのである。そのメニューとは、麻婆豆腐
with ナスである。俺は、麻婆豆腐と麻婆茄子をいっしょに作ったら美味しいだろうなぁ、と思ってリクエストしたのだが、K はどうやらそれに納得してくれず、「それじゃ、麻婆豆腐 with 茄子でいいんだね?」と念を押す。しかし、俺が食べたかったのは、豆腐と茄子が平等に扱われている麻婆豆腐・茄子である。決して、麻婆豆腐 a la mode de 茄子 ではない。

まぁ、そんなことはどうでもいい。いずれにしても、意気消沈気味の俺をなんとなく元気付けてくれたのはこの♂のおかげである。♀でないのが残念だが…。

まぁ、それで昼ご飯は美味しかったので文句はまったくない。ありがとうな、K。



さて、ホームページを若干だが刷新した。特にみなさんに、もし興味があればの話だが、ご覧いただきたいのは来る 2 月 10 日 French Wolf が出演するホルン アンサンブル のコンサートである。詳しくはhttp://www2.csc.ne.jp/~frenchwolf/horn_no_hibiki/flier.pptでご確認いただきたい。もし、PowerPoint をお持ちでなければ、ここから、ホルン アンサンブル コンサートのリンクをたどって、当日会場にいらっしゃることを心よりお待ち申し上げている。


2001年01月20日(土) 雪が降る - タクシー三昧とホルンと飲み会


今日は朝から雲行きが怪しかった。昨日の金曜はおとなしく家で夜を迎えたため、朝は極めて爽快に 8 時ごろ目覚めた。溜まっていたプライベートの仕事を少々こなし、昼寝をし、もちろんご飯を食べ、また眠りの世界へ…。

目が覚めたら外は見渡すかぎりの銀世界。雪である。どうりで寒いはずだ。暖房を入れ、風呂に入り、また眠くなった。冬眠の季節なのだろうか。

友人からの電話で目が覚めたときには、夕方 6 時をすでに回っていた。今日はホルン アンサンブルの練習があったため、本当ならば 4 時半には家を出て練習会場に向かっていなければならなかったのに…。大遅刻である。

しかも、友人からの電話があった後、また寝てしまった…。布団から抜け出したのは 7 時過ぎ。今から出発したところで、練習の最後の 1 時間にぎりぎり間に合うかどうかの瀬戸際だった。本来ならここでサボってしまうはずの俺だが、雪の魔術にとりつかれたせいか、いや、偉い先生が来るということが無意識下で自分にはたらきかけていたせいか、遅刻しても練習に参加することにした。

外に出たら、雪は一層ひどくなっており、ひょっとしたら電車も止まっているかもしれないなぁ、とは思ったが、着々と歩みを進めた。



練習会場は、吉祥寺から武蔵野市のバス「ムーバス」(ちなみにこれは、ミニバスで、運賃は 100 円。こんなところをバスが通ってもよいものだろうか、という細い住宅街の路地を右左に折れ曲がる妙ちくりんなバスである) で、15 分程度行ったところにあるコミュニティー センターである。参考までに、武蔵野市では、コミュニティ センターのことを「コミセン」と省略するのが慣わしになっている。なかなかモダンなことをしてくれるじゃないか!>武蔵野市

さて、そのムーバス。残念なことに吉祥寺に到着した 8 時にはすでに終バスが終わっていたのである。雪はどんどん降り積もるし、踏んだり蹴ったりである。躊躇している暇はない。積もった雪と解け始めている雪で、ともすれば滑って転んでしまいかねない足元の悪い中、すぐにタクシー乗り場を探した。学生時代から慣れ親しんでいた吉祥寺だったはずだったのだが、いざタクシー乗り場はどこだったかを考えてみると、その手の記憶は宇宙人に抜き取られてしまっている。フラフラして、交番の前に来たとき、ようやく昔の勘が戻り、無事にタクシー乗り場を見つけることができたのである。ただし、そこにはすでに 100 人くらいの行列ができており、ああ、このままじゃ練習に遅刻するどころか、着いた頃には練習が終わっているかもしれない、と危機感を抱いた。

なんとか、30 分弱待っただけでタクシーに乗ることには成功したものの、運転手の方がなんと、行き先を告げても「知らない」「赴任してきたばかり」「お客さん、場所ご存知ならナヴィゲイトしてください」の連発。そんなぁ…。こっちだって普段はムーバスのお世話になっているのだから、道なんか分かるはずがない。適当に、あっちの方だったと思います、と返して、そこがまた自分でもほれ込んでしまうところだが、地理感覚に優れている俺様。ちゃんと目的地に到着したのである。

ちょうど自分の乗っている曲の練習が始まろうとしているところに駆けつけたかっこうになり、音出しもしないまま練習に突入。たいていいつもろくすっぽ音出しなんぞしたことないのだから、そんなことしなくても平気だろうと思ったのだが、やはり外は寒かったせいか、唇の筋肉が強張っていた。

練習はまずまず。本番まであと 3 回しかないというのが、気になるのだが、なんとかなるだろう。


そして、練習後はもちろん、宴である。T くんは中華料理屋に行きたがっていたが、飲兵衛でまた宴会部長の A ちゃんと俺の結託によって、居酒屋で飲み会と相成った。本当は飲み足りなかったのだが、雪のせいで電車が不通になっていたりしたら困る、という人がたくさんいたので (もちろん自分もそのうちの一人だが) おとなしく家路に就いた。

帰り道、本来ならば中野で乗り換えなければならなかったのだが、一緒に帰った K さん、T くん、I くんとの話に夢中になり、降り損ねてしまった。仕方なかったので、大久保で降りて、タクシーで帰ってきた。一日に 2 回もタクシーに乗るとは、なんと豪勢なことだろうか。あ、それに今日は演奏会の諸費用ということで 1 万円を支払ったのである。給料日前なのに、そんな大盤振る舞いをしてもよいのだろうか? (はて、この「舞い」とはどんな踊りなのだろうか?)




2001年01月19日(金) もし犯罪を犯したら、この日記も公表されるのか?


意外にも多くの人からメイルが寄せられた。これから一つ一つに対して返事を書いていくつもりだが、いつの話になるかわからないので、まずはこの場を借りてお礼を言わせてもらいたい。ありがとう。H ちゃん、それから A、さらに M、K。

昨日は前々から、実に 2 年越しの計画になったのだが、高校時代の友人たちと新世紀会を繰り広げた。懐かしい人もいれば、そうでない人 (ごめんね R くん) もいたが、非常に楽しい宴になった。

今日は病院に行った。会社で在宅が認められたこと、新しく処方された薬が奏効していることなどを話した。

仕事? そこそこにこなしているつもり。

でもそろそろ身のフリ方を真剣に考えなければならない。在宅が認められているのは 2 月の中旬まで。その後は体調を見て、職場復帰するか、契約社員になるか、会社を辞めて病気療養のためにどこかで隠遁生活を送るか、そんなところである。

ここで、俺の日記を読んでくれている人には、ひとつ新しい情報を提供しよう。きっとうちの両親が離婚調停の真っ只中にいることは周知の事実だと思うが、父親が調停にまともに顔を出さないなど、さまざまな理由があって (その理由というのは、どう公平に見ても母が可哀相でならないものなのだが…マザコンなのか、俺は? ひょっとしたらそうかもしれない。でも、父親や殺してやりたいくらい憎んでいる。彼から求めるものがあるとすれば金だけである)、家庭裁判所経由のそういった面倒なことは、母親が諦めるといったのである。調停ではなく、もう、母親の心の中では離婚が決まっており、そのための財源も確保し、法律的手続きもとっているとのことである。

そこで、何をいいたいのかというと、自分の名字が変わるということである。父親は、S 家の長男。そして、俺はその父親の S 家の長男。つまり、俺が家を、というか、名字を継がなければ、S 家は破綻を来たす。もともとそれほど愛着を感じていなかった名字ではあるが、両親の離婚が正式に決まったら、自分は母親の旧姓を名乗るつもりでいる。今度は、N になる。まぁ、会社など仕事上でのリング ネームは現状維持で S でやっていこうと思うが、戸籍上は母親の籍に入れてもらうことになる。これで、長男だから嫁をもらわなくては、という呪縛からも解放されることになる。

明日はホルンの練習だ。なんだか偉い先生が来るらしい。しかも自分は練習なんてしていない。ヤバい。が、仕方ない。無事に何事も起こらずに時が過ぎ去るのを祈るのみである。


2001年01月18日(木) 離別 -- 本当に寒い季節はこれからかも知れない

やはり通じていなかった。お別れだ。

よい思い出として心にそっとしまっておこう。学んだことも多かった。途中のブランクもあったが、1 年弱。自分の場合、1 年というのが限界なのかもしれない。なぜか? とにかく、ダメなのだ。

自分は弱い。わがままだし、甘えん坊だし、融通が利かない。そんなことは百も承知である。

最後まで自分は愛情を伝えてきたつもりだった。だが、よく考えてみると、相手のため、と思ってしているはずのことが、実は自分の自己満足だったりしていたのかもしれない。そう、「こんなにキミを大切にしているんだよ」って思っている自分に惚れているのである。そんなはずはない、と一人の自分が主張する。瞬く間に別の自分が、所詮オマエはすべて自己完結してしまうタイプの人間なんだよ、とクールに言い返してくる。そうなんだ。開き直りではない。自分は自己完結してしまうのだ。

じゃ、愛情を本当にきちんと相手に伝えるにはどうしたらよいのだろうか。誰か答えを知っているのか? 結婚して幸せに暮らしている夫婦、いや結婚しているかどうかは別にこの際関係ない。恋人でも話はまったく同じだからだ。とにかく、愛し合っている二人がお互いの愛をきちんとお互いに伝え、自分の愛が相手に伝わっていることを自分が確認するには、どうしたらよいのか。

みんなはどこでどうやって学習してくるのか。体験だけか? 勘で? 性善説?

人を愛することは難しい。よく考えてみると、今までの 27 年間本気で人を愛したことはないのかもしれない。逆に、自分は本当に愛されたことがあるのだろうか? 家族? どうなのだろうか?

傷ついている。相当深い傷を負っている。なんでそんな基本的なことさえ、キミには伝わらないのか。お互いにやはり自分のことしか見ていなかったのではないのか。

ここに明言しておくが、彼女とのことでウダウダと愚痴を書き連ねるのは今日だけにする。金輪際忘れる。というか、忘れるように努力する。自分ではない別人が体験したことにする。

新しい出発をするまでには、また時間がかかるのだろう。


2001年01月17日(水) 不倫の予感

会社には行っていない。

そう、在宅勤務だからである。そろそろペースも掴めてきた。もともと会社で働くよりも、家で働いた方が効率がよいのが俺。体の調子もまずまずといったところだろうか。

そういえば、意外に思ったことなのだが、世の中の人に自分は「パニック障害 (症候群)」です、って告白しても、それほどビックリしないんだよね。意外とこの病気というか症状は巷に知られているのかもしれない。ただし、本当に患者さんにならないかぎりパニックの恐怖心は体験できないものだろうなぁ。本当に自分が死ぬのではないか、っという恐ろしい思いにとりつかれるのである。憑かれる、という気分。しかも予期不安というのがあって、パニックの前兆に「あ、ヤベ、そろそろパニックが来る〜〜」… It's coming to me!!! みたいなものがあるんだ。これがまた恐い。

いずれにしても、電車で通勤する必要のない今のうちに、体調を整えて、この際鬱もパニックも全快といきたいものだ。

夜中には久しぶりに M から電話があった。驚くことなかれ、実際に長時間お話したのは、 M の妹の A。まぁ、姉妹揃って面白いご家庭だこと。お母さんもなかなか素敵だった。あまりにも素敵だったので、「結婚しよう」と切り出したほどである。こっちは本気なんだけど、向こうは人妻 (当たり前!) だからなぁ。不倫になっちゃうのかな?


2001年01月16日(火) 予告どおり…

まずは、昨日予告しておいたとおり、昨日の日記から書き始めよう。

昨日は会社に行った。

朝きちんと 4 時半に起きたのだが、どうしても出社できないような気がしてならなかった。何度布団と玄関の間を往復したことか。(もちろん着替えを済ませてからである。そうでなければ、パジャマ--といっても、ジャージとトレーナーだが--で出社するつもりだった、なんてことになってしまう!) 結局意を決して会社に向かった。

会社では、朝一番に人事の M さんと話をさせてもらった。神妙な顔つきで「ちょっとお時間いただけないでしょうか?」と話し掛けたので、おそらく彼も当惑したのだろう。ちょっと怪訝な表情を浮かべ、「ちょっと待ってね」と返事したのである。

何を話したかというと、自分の病状についてである。理解のある上司でよかった。結論を先に言うと、今抱えている翻訳・編集プロジェクトが終わる 2 月中旬まで、在宅勤務が認められたのである。

これが昨日のメイン イベント。昼食を久しぶりに再会した同僚の F さんとともに楽しみ、自宅に戻って作業を続行した。

自宅では集中できるのだが、問題は床にペタンと座り込んでいるため、またキーボードの場所が若干よろしくないため、姿勢が悪くなり、腰に負担がかかることである。これは順次解決していかなければならない課題であろう。



今日は大手を振って朝寝坊。ただし 8 時過ぎには起きて、朝ご飯を食べた。そういえば、会社で朝食を食べるようになってから太ったような気がする。自分が気づかないうちに周りの人に太ったと言われたのだから、まず太ったのだろう。本当は認めたくない事実だが…。

さて、その原因で心当たりがあるものといえば、第一に朝食のスタイルの変容 (!!) だと思われる。以前は、自宅で納豆ライスと味噌汁を食べていた。が、朝 7 時から出勤するようになって、KIOSK のおにぎりを 3 個食べたり、ときには、おにぎり 2 個と惣菜パン (甘いものは嫌いなので、ソーセージパンやサンドイッチなど)を食べたりしていた。そのうち、中華おにぎりという代物が大のお気に入りになったのだ。というのも、もち米 100% で、腹持ちがいい、というのと意外にもおこわが美味しかったからである。おにぎりはご飯が詰めてある分、1 個でも十分ご飯一膳分はある、と聞く。それを朝から 3 膳も食っていたら当然太るだろう、ということである。

それからもうひとつ、これまた食生活の変移なのだが、昼ご飯である。前の会社に勤めていたときには、中華料理がかなりのブームだった。というか、なかば強引に同僚の Y さんに拉致軟禁されていたようなものである。後で知ることになった情報によると、麻婆豆腐にはダイエット効果があるようで。その麻婆豆腐は大のお気に入りだった。さらに他のおかずを大量に食べても、ご飯さえお代わりしなければ、少なくとも太ることはなかった。

閑話休題。午前中は仕事にいそしんだ。お昼になって近くのコンビニに出かけ、カップ麺を数個、特にカロリー・塩分の低いものを厳選して購入、さらにちょっとした小腹満たしとして牛肉コロッケバーガーなるものに挑戦した。これがなかなか美味しかった。ただ、バンズが揚げパンになっていたのが、自分としては難点。これを普通のマフィン系バンズにしておけば、もっとカロリーを低く抑えられるのに…。

午後ももちろん仕事。今日でひとつのプロジェクトの区切りをつけるのが目標だったため、気合を入れて頑張った。

彼女の様子が心配である。大丈夫か? SOS は早めに出すんだぞ。


2001年01月15日(月) まずは宣伝。続きは明日。






それからこの日記読者のみなさんにひとつ宣伝を。
これをクリックして、会員になってください。登録は一切無料。年会費などの費用は一切かかりません。自分の気になるジャンルを指定すると、ダイレクト メイルが送られてきます。メイルにある URL をクリックすると、あなたのポイントが貯まる、という仕組みです。ポイントがいっぱいになると、いろいろな商品と交換できます。登録しておくだけなら、誰も損しないでしょ? どう?なかなか美味しい話だと思うんだけど…。


2001年01月14日(日) 覚悟を決めた

日曜日がやってきた。

もうすでに決意は固まった。明日会社に行ったら、朝一番で人事の人に自分の置かれた状況を素直に告白しよう。

第一希望は、在宅での勤務を認めてもらうこと。これに伴って、正社員から契約社員のような形になるのであれば、それはそれとして受け入れる。

第二希望は、健康上の理由による休職。何ヶ月これが認められるのか、給料はもらえるのか、などさまざまな要因が考えられるが、自分の体が何よりも資本である。

第三希望は、毎月一定額の給料をもらって (もちろん今より減額されるのは覚悟の上)、ある程度のノルマ (これは低めに設定してもらう) を消化する。もちろん、こうなると契約社員よりも束縛がない分、自分で引き受けてきた仕事をこなす、半フリーランス状態になることができる。

ということである。ただ気になるのは、やはり体調である。第二希望と書いたが、自分の体のことを本当に心配しているのであれば、多少独身貴族を犠牲にしても、酒・タバコの量を減らしても (もっともこいつらが、自分の健康を害している元凶とも言えなくもないが…)、3 ヶ月なり 6 ヶ月の静養期間が必要かもしれない。



今日は昨日の彼女のお手製ご飯のおかげで、体調もだいぶよくなった。吐き気は無事収まった。感謝である。

ゆっくりしようと思っていた午後、仕事が舞い込んできた。珍しく半導体関係の会社の英訳である。内容はセキュリティに関するものだったが、途中で昼寝をはさんでも正味 1 時間強で納品完了。一箇所日本語の解釈で問題があった点が指摘され、修正したのだが、それを入れても 2 時間はかからなかった。自給で計算するとおよそ 1 万 5 千円。毎日この程度の仕事が入ってくれば、かなりの高給取りになれるのだが、もし仮に本物のフリーランスになると、身分の保証がまったくなくなってしまう。それはそれで『ものぐるおしけれ』である。


2001年01月13日(土) 吐き気との闘い

風邪が悪化した。吐き気がひどく、血を吐いた。

自分でも驚いた。いつもなら、数回吐けば落ち着いて眠りに就くことができるのだが、今回は甘かった。

結局彼女に助けを求めた。辺鄙な場所に住んでいる彼女を自分の家に呼び出すのはちょっと申し訳ない気もしたが、病人特権で甘えた声を出し、来てもらうことにした。

買い物に出かけてくれたり、おかゆを作ってくれたり、明日の分のご飯を作ってくれたり、大奮闘してくれた。大感謝である。

病気で苦しんでいるときだから余計に幸せを感じることができたのかもしれない。


2001年01月12日(金) 会社が恐い

また会社を休んでしまった。

もうだめかもしれない。思い切って自分の考えを、次に会社に行ったときに上司に話そう。そう。正社員から願わくば、契約社員にしてもらい、勤務体制を在宅にしてもらうようにだ。ちょうど 1 月で Performance Review というのがある。それが来週に予定されている。配属が変わる可能性もあるのだが、先方から話をもちかけられる前に、自分の現況を素直に話そう。

最悪の場合会社を辞めることになるかもしれない。が、いずれは独立するつもりだったのだから、ちょっと時期が早まっただけに過ぎないだろう。

明日・明後日でよく考えて、何を話すべきか検討することにしたい。


2001年01月11日(木) 自主休講

今日は会社を休んだ。

疲れと風邪が塊になって襲いかかってきたからである。
疲れた。だるい。

午後になって少し調子はよくなった気がしたが、やはりそれでも動く余裕はなかった。

一日中布団の中で、今流行りの『バトル・ロワイヤル』を読んでいた。殺伐とした気分になった。内容が内容だけに仕方がないのかもしれない。


2001年01月10日(水) 会社生活を切り抜くコツ + マウスピース + うなぎ + オケ

今日も会社に行った。

仕事のペースというのが社会人 6 年目にして、ようやく掴めてきたのかもしれない。正しいかどうか、多くの人が実践しているのかどうか、そういうことは分からない。しかし、直感で気づいてことがある。

みんな 8 時間の拘束時間中、100% 集中力を持続しているわけではないのだ。もちろん人にもよるだろうが、タバコやコーヒーで一服するのはもちろん、ときには気分転換にネットサーフをしたり、ちょっとしたことで近隣の人々との会話を楽しんだり、何らかの気晴らしをしているわけである。

今まで、こんな当たり前のことに気づかずにいたのは、俺としたことが…という気分である。俺の場合、集中できなくなると、まずイライラする、俗に言う焦燥感に駆られ、きちんと 100% フル活動していない自分に怒りの矛先が向けられる。どうしてみんなができることなのに、俺はできないんだ。悩む。仕事がますます手につかなくなる。会社に行くのが辛くなる。そんなパターンだった。

が、考えてみれば本当に当然なのである。人間なのだから 8 時間もの長い間同じテンションを維持しつづけることなどできるはずが毛頭ないのである。これに気づいて、だいぶ気が楽になった。もちろん仕事の最中に何も考えずにタラタラと遊びつづけてよいはずがない。そんなことは百も承知である。が、息抜きも必要だ、と改めて認識することで、これだけ気分が晴れ晴れとしたのは、意外だったのである。



場面は変わって、会社終了後。彼女との約束があったので、有楽町・銀座方面に出かけた。山○楽器で彼女は弦を買うという。そのすきを狙って、自分はマウスピースの選定でもしようか、と思った次第である。ところが、実際店に行ってみると、彼女の買い物はものの 5 分で終わってしまい、一方自分のマウスピース選定作業は、あとで考えると 40 分くらい費やしてしまった。その後、オーケストラの練習があったため、またその日は練習の前にうなぎを食べようということになっていたため、急いで店をでて、うなぎを食べた。

うなぎは本当に久しぶりだった。数年ぶりだろう。梅だったが旨かった。本当は昼ご飯に刺身・エビフライ・メンチカツ定食を食べてしまって、あんまりお腹がすいていなかったのだが、いざうなぎを目の前にしてみると、あっという間に平らげてしまったのである。まぁ、彼女もご満悦だったし、自分も満足だったので申し分ないだろう。


そして、オーケストラの練習。モーツアルトの劇場支配人という曲。聴いたことも実際に演奏したこともなかったが、なかなか軽快な曲である。その後は、ブラームスの 4 番。3 楽章と 4 楽章の練習だった。おいしいソロがたくさんあるのはよいが、ピアノのソロはやはり緊張する。音がかすれてしまう。練習でなんとかカバーできるものなのだろうか。ホルン アンサンブルの本番も近づいていることだし、そろそろ楽器も真面目に練習しなければならないだろう。

それにしても、体調がすぐれない。会社の隣の席に座っている S お姉さんの仕業か? 今日もそういえば、M が会社を休んでいたな。自分の番が周ってこなければよいのだが…。






2001年01月09日(火) 会社に行くのが辛い

今日も会社に行けた。

このネタだけで日記になるひともそう多くはないと思うが自分にとっては生死をかけた大問題である。昨日の夜はひどくブルーになっていたため、今朝会社に行けたとき、いや行くのをやめようと思わなかったときは、ホッとした。

仕事に入ってしまえば何のことはない。いつもどおりのペースで着々と仕事をこなした。むしろいつもよりハイ ペースだったかもしれない。

ただ、やはり最近の会社恐怖症候群はただものではないと思ったため、病院に行くことにした。

先生は予想以上に淡白で、「嫌ならやめちゃえばいいじゃん」的なノリだった。呆気にとられたというか、不意打ちだったというか・・・。でもこのおかげで、若干気が晴れた。「本当に会社に行くのがつらくなったら、いつでもやめられる」と思うことができるようになったからである。

ところで、昨日で家にあったビール、焼酎の在庫が切れた。これを機会に禁欲的生活を送ろうと思ったのだが、今日思いがけず病院に行ってしまい、また帰り道で酒屋が偶然にも視界に飛び込んできたため、買ってしまった・・・。徐々に節酒すればいいか、ということにした。(こと自分のことにかけては、ずさんになりがちである。トホホ。)


2001年01月08日(月) 初雪ブルー

今日は成人の日。そういえば、自分にもそういうときがあったなぁと思い出す。とはいうものの、それほど昔のことではない。たった、7 年前である。ただ自分の場合、公の儀式というのを毛嫌いしており、区役所からの成人式のお誘いは辞退させていただいたが・・・。

そういえば、雪が降っていたな。今シーズン初雪だ。どうりで寒いはずである。

雪と関係があるのかどうかわからないが、今日はやたらとブルーだった。朝から胃の調子が悪く、何をしてもブルー。食べても、昼寝しても、読書しても、メイルを書いても、とにかく何してもブルーだった。

自分がなんで会社に勤めているのか・・・。また堂堂巡りだが、食うためだけならば、何も会社という組織に属していなくてもよいのではないか。自分で一人が生活していけるだけの資を稼げば問題ないのではないだろうか。長い時間かけて (もちろん自分よりも遠距離通勤している人は山ほどいるが) 会社に通い、その往復時間だけでも馬鹿にならないのに、なぜ自宅で作業してはならないのか・・・ (そもそも認められてはいなかったのだが、自分の場合人事担当に指摘されるまでは暗黙の了解として認められていたのである)、効率を考えるなら自宅で参考資料が山のようにたくさんあるところで作業した方がずっと生産性が高まるはずではないのか・・・。不満が山積である。

明日の気分次第では、人事に話をつけてみようかと思う。正直言って、この生活には疲れた。以下のいずれかで解決策が得られればそれに越したことはない。

(1)自宅で作業を認めてもらう。
(2)会社の専任翻訳者として、正規社員ではなく、外注社員として認めてもらう。

もしも、これが無理なようであれば、

(3)自分の持病を理由に医師の診断書を添えて、自宅作業でなければ不都合が生じる旨、会社に理解してもらう。

ということになるだろう。いずれにしても、明日は病院に行って、先生と話をしてこよう。それで落ち着けばそれでいいことだし、先生が協力してくれるというのであれば、(3)の選択肢で進めることも不可能ではないだろう。


2001年01月07日(日) コンタクトレンズ

なんといっても、今日の目玉はコンタクトレンズを入手したことである。

不思議な仕組みになっていて驚いたものだが、自分の買ったコンタクトは乱視対応のもので、若干高めの価格設定になっている。2 週間使い捨てタイプで、6 ヶ月分購入して 2 万円弱。1 日使い捨てタイプのものを使っている友人に聞いたところ、一日あたり片目で 50 円、と言っていたから、それに比べたら、まだ安い方かもしれない。

なんと、レンズに錘がついているというのである。というのも、乱視には角度が重要なポイントになるからである。つまり、最初装着したときには、錘が必ずしも下になっているとはかぎらないため、きれいに見えるかどうかはわからない。が、何回かまばたきをしているうちに、錘のついた方が下にくるカラクリになっており、そうするとピントが合ってくるらしいのだ。

初めてハードコンタクトを付けたのは今から 6 年以上前のことになるが、そのときは視力も今ほど悪くはなく、コンタクトを付けて「あ〜〜、裸眼で (つまりメガネをかけずに) こんなに世の中がくっきり見えるとは!」という感慨を味わうことはなかった。が、しかし今回は違った。びっくりした。世の中テクノロジーは日進月歩であることを痛感させられたのである。

まず世の中が明るくなった。これは、メガネを新調したときもそうだった。また、同時にいろんなものが一度に視界に飛び込んできて、若干「やかましい!」と思ったのも事実である。だって、当然ではないか。今まで見えなくて当然 (メガネをかけていないときの話ね) と思っていたものが、突如として自己顕示欲の塊となって、俺の視神経を刺激するんだから。見えなくてよいものまで見えてしまうのかもしれない。

さらに驚いたのは、ソフトの場合装着しているという実感がほとんどないのである。ハードのあの違和感・ごろごろ感には閉口したが、それがまったくない。だから危ないんですよ、とお店の人は忠告していたが、その気持ちはよぉく分かった。これだったら、コンタクトをつけていることを忘れて寝てしまうことも十分考えられる。気をつけなければいけない。

メガネは今後その活躍する場を多少失うことになるだろう。でも、家では基本的にメガネだろうし、休日は目を休めるためにもメガネを愛用することになるだろう。新生 French Wolf の降誕に乾杯!


2001年01月06日(土) ドライカレーとホルン アンサンブル

優雅な週末である。

今日は彼女が来る日。まずはモーニング コールを受けて、玄関の鍵を開けて、再び眠りの世界へ誘われた。

何をしたというほどのことはない・・・少なくとも自分が関するかぎり・・・ただし、彼女はうんと働き者だった。100 円ショップでいろいろと品物をゲットしてくれて、うちの流しの下にある棚をうまくまとめあげてくれたのである。

そんなこんなしているうちに、午後。冷凍で買っておいたドライカレーが2 種類もあったことに気づき、しかも元来カレーキチガイである自分。リクエストして、彼女にドライカレーと卵焼きを作ってもらった。しかも、卵焼きは自分たってのご所望とあり、豆板醤風味。なかなか旨かったぞ。

そして、夕方。今日はホルン アンサンブルの練習があった。彼女と一緒に家を出て、自分は吉祥寺の練習会場へ。彼女は自宅へ戻った。

ホルンの練習は久しぶりだったが、面白かった。大人数が一同に会し、はじめて全員 - 一人という面子が揃ったのである。うおぉという感じのアンサンブルだった。

もちろんホルンの練習も大切ではあるが、その後の飲み会も大切なイベントである。宴会部長の A さんの指示に従って、新年会に参加した。楽しい宴だった。

帰りはホルン アンサンブルのボスの K さんの車で送り届けてもらった。最初に、A の家。何で自分が国分寺までいかなきゃならないんだぁ、なんて生意気なことを思いつつ、でも楽しいドライブを満喫させてもらった次第である。

明日はコンタクトができあがる日。連休の中日。充実させねば。


2001年01月05日(金) お薦めのおにぎり屋

待ちに待った金曜日である。とはいうものの、今週は実質的に 2 日間しか働いていない。今まで、大きな休みボケというものは経験したことがなかったのだが、今回はどうしてもウダウダが尾を引きそうである。

会社に行ったものの、調子が出ず、風邪気味だった。昨日の酒が効いているのかもしれないし、本当に風邪を引いてしまったのかもしれない。

朝 7 時に出社したのはいつものとおりだが、昨日から、日常生活のパターンが若干変わった。まず昨日の事情から説明しなくてはならない。去年の 12 月 31 日で電車の定期が切れてしまったため、1 月 4 日の初出勤の際は、切符を購入しなければならなかった。都電の定期はまだ期限まで余裕があったため (都電や都バスには面白い仕組みがたくさんある。都電の場合、1 万円で都電全線 1 ヵ月半乗り放題になる。また、持参人方式といって、定期を持っている人ならば誰でも利用することができる -- つまり無記名なので、貸したり借りたりができる寸法である)、朝 6 時1分の電車に乗ることは問題なかった。だが、いつもなら地下鉄への乗換駅で多少小走りしないとうまく6時9分発の地下鉄に乗り継ぐことができないのである。当然昨日は、切符を買わなければならなかったため、いつもの電車には乗り損ね、5 分後の 14 分発の電車に乗ることになった。

さすがに昨日はまだ正月休みを満喫している輩が多いと見受けられ、14 分の電車も難なく座ることができた。ちなみに、今読んでいる本は、「Thomas Harris」の『Hannibal』という本である。麻薬捜査官の話だが、洋書屋で「映画化決定」という帯を見て、じゃぁ久しぶりに原書で本を読んでみようか、という気分になったのである。

閑話休題。さて、地下鉄が新○場駅に到着した。いつもなら、ここでも小走りにならなければ、6 時 41 分発の京葉●に乗ることはできない。が、そもそも昨日は出発から5分遅れていたのだから、41 分の電車に乗ることなど、笑止千万であり、おとなしく優雅に乗り換えの道のりを大手を振って闊歩した。新木場●でも切符をかったのだが、次の電車は 6 時 48 分ということで、多少ゆとりがあった。駅のホームでゆらりとタバコの煙を燻らし、「さて朝ご飯はどうしようかな」などと暢気なことを考えていたのである。

無事電車がプラットフォームに滑り込み、定時で出発。目的地の新浦○駅に到着したのは 7 時ちょうどくらい。そこで、思い立ったのである、「そういえば、7 時から Atre (駅ビル) のおにぎり屋さんが開店するはずだぁ。KISOSK のおにぎりやパンよりも旨いのではないか!」

ということで、駅ビル内のおにぎり屋に立ち寄ってみた。なんと、手で握ったものと思しきおにぎりが、多種多様に鎮座ましましているではないか! そこで、おかか、ねぎみそ、葉唐辛子のおにぎり (それぞれ 110円) を購入し、会社に向かった。

会社に入った時間はほぼ 7 時であり、これはいつもと大差ない。が、おにぎりの味といえば、これはもう筆舌に尽くしがたいものだったのである。

これに味をしめて、今日も同じパターンで出社したのである。昨日の帰りに定期を買ってしまったため、都電と地下鉄の連絡はうまく乗り継ぎできてしまったのだが、あえて、○木場駅で一本電車を見送り、次の電車に乗り込んだのである。

かかる奮闘の結果、今日もおにぎり屋さんのおにぎりにありつくことができた。今日のメニューは、おかか、たらマヨ、ねぎみその 3 個である。

さてさて、仕事の方はというと、本当は朝ご飯を食べてから調子が悪化していたのである。いつも会社に一番乗りする FW だが、2 人目が来たら、早退しようと考えていた。ところが、タイミングを逃し、結局夕方 4 時まできちんと、8 時間労働してしまった・・・。偉いというか、、、。

夕方、今日は真面目に家に直行する予定だったが、ついつい地下鉄を寝過ごしてしまい、池袋で降りてしまった。本屋でもブラリとして帰るつもりだったのだが、コンビニを見つけてしまい、今物議をかもしている「バトル ロワイヤル」の原作本を見つけてしまったのである。もちろん、買った。人があれだけ騒ぐのだから、それなりの理由があるのだろう、とふんで、自分の目でその価値を確かめてみたかったのである。

家について、おとなしく家で夜を過ごした。


2001年01月04日(木) 福袋第 2 号 + 新年会第 2 号

会社に出かけた。来ている人はいつもの 300 分の 60 くらい。みんな、今日と明日を休みにして、9日出社という目論見らしい。

くそ〜。俺はもともと病弱だから会社には来れるときに来ておかないと、後で倒れたときに有休がなくなってしまう。仕方ないから会社に出てきたんだぞ。ま、やらなくてはならない仕事があったというのも事実だが。

昼ご飯は狙っていた居酒屋のランチが食べられなかった。年始のせいか、まだランチの時間帯はやっていなかったのである。そこで、別の居酒屋へ。ここでは大盛のやきとり弁当を食べた。びっくりしたことに、弁当箱のご飯だけじゃ少ないでしょうから、というお店の人の粋な心遣いのおかげで、別のお茶碗にたんまりご飯を盛り付けてくれたのである。

昼ご飯が終われば、あとは 3 時間働くだけである。

今日は仕事の後、珍しく、S さんと M と俺の 3 人で飲みに出かけることになった。M が若干遅れるかもしれないとのことで、会社近くのカメラ屋に入って S さんと暇つぶしをしていたら、目にとまったのが、またしても福袋。5,000 円のものと、15,000 円の 2 種類があった。5,000 円の方には、10 倍の双眼鏡と電池、ビデオテープ、APS のフィルムが入っており、15,000 円の方には、APS のカメラなどもろもろの商品がワンサカ入っていた。福袋にはめっぽう弱いので、また衝動買いで 5,000 円の福袋を買ってしまった。コンサート行くときとかに、双眼鏡があると便利かもな、なんて思ったからである。いやらしい目論見があったわけではない、念のため。

さて、4 時からの飲み会である。さすがに、普通の居酒屋さんはやっておらず、仕方がないので普段昼ご飯でお世話になっている焼肉屋に入り、ビールなどを注文したのである。30 分少々遅れて登場したのが、M。ついには、日本酒モードに入り、しまいには、K も登場して、プチ新年会の出来上がりである。

家に帰ったのはそれでも、9 時前。健康的な飲み方で好ましい。昨日作った辛ラーメンのスープがまだ残っていたので、ラーメンを作って、しかももちを今日は 1 個だけにして、ちからーめんを食べた。その後は、バタンキュ〜〜〜である。

明日頑張れば、また 3 連休。ホルンの練習もあるし、デートもあるし、コンタクトもとりに行かなくちゃいけないので、結構自分としてはハードスケジュールだが、何とか明日を乗り越えてがむばらなくては。


2001年01月03日(水) カレーの王者 + 福袋第 1 号

朝起きたらなんと、11 時ごろだった。不覚。

仕方がないので、気晴らしに近くのカレー屋さん「ココ壱番◎」にでかけて、腹いせにロースかつカレーの 500g を食べた。しかも、とび辛スパイスをふんだんに欠けて・・・。さすがに、500g は多かったなぁ。ちなみに、ココいちのデフォルトは 300g で、普通の大盛が 400g と定義してある。そうすると、500g はほぼ 2 人前という勘定になる。まぁ、プライドもあったので、頑張って食べたよ。

そして帰り道、紳士服のアオ◎で福袋をやっていたので、豪華にも 1 万円の大枚をはたいて、ゲットしました。だってさ、お店の兄ちゃんいわく、ジャケットとか入っているから総額 4 万くらいにはなるんじゃないか、って。そしたら、買わないわけには行かないでしょう。

家に帰って、楽しみにしていた福袋を開封。なかなか優れものが入っていた。今回はきちんと L サイズの袋にしたので、ジャケットもランドリー バッグ (実はこれが欲しかった!)、上着も、シャツ、ポロ、セーター、フリース素材のトレーナー、すべてサイズ的には問題なさそう。一安心である。すぐ着ることのなさそうなものはとりあえず袋に入れたままにしておいて、早速明日着ていくものだけ値札を取っておいた。

昼間ちょっと昼寝して、会社の仕事とプライベートの仕事に精を出した。久しぶりに頭を使ったので知恵熱が・・・。

夜はまた激辛ラーメンが食べたくなったので、豆板醤と赤唐辛子をふんだんに使ったラーメンを食べ、しかもそのスープにおもちを 2 個も入れてちからーめんを食べてしまったのだ。ぎゃははは。この年末・年始休みには太らない、って目標を立てたのだが、果たして守られただろうか・・・。

それにしても明日から会社でブルー。サザエさんが放送されていないだけまだブル〜熱 (?) は高まらないが、それでも気が重い。


2001年01月02日(火) 新年会第 1 号

今日は友人からパーティのお誘いがあった。夜池袋で焼肉の宴を繰り広げるということだった。その趣旨は、誘いのあった K の会社の同期の誕生日。俺は直接その人を知らないが、まぁ新年会として焼肉は悪くないだろう、ということで二つ返事で快諾したのである。

午後、その K が自宅に訪れ、パーティの下準備をした。といっても、ただうちでおしゃべり、お茶をしていただけだが・・・。

そして、ちょっと早めに自宅を出発し池袋のビック○メラに立ち寄った。コンタクトが欲しかったのである。つい最近めがねを購入したばかり・・・とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれないが、最近めがねなしではほとんど何も見えず、かといって、めがねは曇るし、汚れるし、フレームにガタがきているし、とにかく煩わしくなってきたのである。視力検査や、フィッティングのテスト (とたしかお店の人は言っていた気がする)などをクリアし、2 週間で交換する使い捨てタイプ、しかも俺の場合は乱視がひどいとのことで、乱視矯正のソフトを選択した。このタイプは、全部取り寄せになるとのことで、結局その日はコンタクトをゲットすることはできず、また週末 (明後日から会社だよ〜!) コンタクトの装着、取り外しの練習の 1 時間のレッスンを予約し、その際引取りにくることになった。

焼肉・・・。今回のメイン ゲストである、E ちゃん。まぁちょっととぼけたところがあって、6 時集合にしたのはよいのだが、焼肉屋の開店時刻がなんと 7 時。小一時間をマクド◎ルドで過ごした。なんだか、この休みに 2 回も来てしまった・・・。学生みたいでちょっと若返った気分。

そして、焼肉屋。ん〜〜。焼肉ってこんなに煙たいものだったんだっけ? というくらい煙がすごい。まぁ、それも風情なのかな。七輪でちゃんと炭火を使っていたしね。なかなか美味しかったし、値段もまずまずだったので、今度は彼女と来よう、なんて思った。

さらに 2 次会。当然最近歌っていなかったので、カラオケを選択。2 時間ほどの短いセッションだったがそれなりに楽しめたのでよかった。

さんざん食べて、飲んで、歌ったのでダイエットのため、帰りは池袋から我が家まで歩いた。徒歩で 20 分弱。脂肪を燃焼させるのには、もうちょっと有酸素運動を続ける必要があるのだが、家にたどり着いてしまったので、あえなく寝ることにした。

言ってみれば、今日の宴が新年会第 1 号なのかな?



2001年01月01日(月) 恭賀新年

あけまして
おめでとう
ございます。

昨年は大変お世話になりました。
今年もよろしくお願いいたします。




いよいよ 21 世紀突入。何か大きなことが変わるかと期待していたが、いつものお正月と同じ。ちょっと違うことといえば、彼女と 2 人で向かえた新年・新世紀、というところだろうか。

昨日の夜は鍋を食べ過ぎ、しかも調子に乗ってビールを飲みすぎ、歯を磨いた直後、たぶん 11 時過ぎだと思われる、には床に入ってしまった。おかげで今日はきちんと早起きができた。9 時半である。上出来、上出来。

朝は念願のお雑煮。100 万年ぶりくらいのお雑煮である。実家を離れてはや 6 年。お正月におもちを食べるなんて、本当に久しぶりである。

蛇足ながら昨日の夜は、年越しそばならぬ年越しうどんで年を越した。鍋の残骸が残っていたため、まぁこれはいたしかたありますまい。

それで今朝は鍋の残骸、うどんを追加、さらにオーヴンで焼いたもちを鍋へ投入し、ちからうどん風の雑煮を食べたのである。美味、美味。もちってそういえば、こんな味だったんだよなぁ、と感慨もひとしお。

昼寝し、そしてまだ鍋に残っている具、冷蔵庫に眠っていたネギ、うどんをなんとか処理すべく、赤唐辛子をたんまり、豆板醤を少々、即席チゲ鍋を作った。これも、かなり辛かったものの大好評。年明け早々縁起がよいことこの上ない。

彼女は実家に帰る、ということでマンションの下までお見送り。その後洗濯物を乾燥機に入れたり、夜ご飯の買出しにでかけたり、、、。慌ただしい元日だった。



French Wolf |MAIL

My追加