山崎ナオコーラのツイッター
『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

(仕事のご依頼をくださる場合、あるいは作品や仕事についてご質問をいただく際は、書籍を出版している出版社さん宛てにお願い致します。
私に転送してもらえますので……)。

読書メモ
2004年04月30日(金)

私は4月から20冊本を読むことにしたのですが、簡単に言うと、11冊しか読みませんでした。
携帯料金のように、次月に繰越が出来るようにして、5月に29冊読むことが出来ます。

4月1日から30日の内訳はこれです。
『欲望という名の電車』 テネシー・ウィリアムズ
『やけたトタン屋根の上の猫』 テネシー・ウィリアムズ
『ハムレット』 ウィリアム・シェイクスピア
『ガラスの動物園』 テネシー・ウィリアムズ
『かもめ』 アントン・チェーホフ
『二人がここにいる不思議』 レイ・ブラッドベリ
『ソーネチカ』 リュドミラ・ウリツカヤ
『寺内貫太郎一家』 向田邦子
『バルザックと小さな中国のお針子』 ダイ・シージエ
『失恋』 鷺沢萠
『オセロー』 ウィリアム・シェイクスピア

本を読むのは楽しいので、5月はもっと読むでしょう。

大塚愛の「さくらんぼ」がしょっちゅう頭の中に流れるので、なんなの!って感じです。他の曲で消そうと思いますが、たいていさくらんぼの方が勝ちます。



岸恵子
2004年04月29日(木)

岸恵子が叙勲を受けたそうで、いいなあ、と思う。
私は岸恵子のような女の人になりたいなあ、と思います。



欲望
2004年04月27日(火)

飛行機に乗ろうと思えば今からだって乗れる。乗らないのは明日も日本で生きてゆこうと思ってるからだ。

ごはんを食べるとき、私はいつまでもお腹がすいたままでごはんを味わっていたいのに、欲望はお腹がいっぱいになる方向へと向かう。不思議だ。

やっぱり一人暮らしをしばらくしたらできるように考えよう。危ない。自分が強いってこと、忘れるとこだった。

寂しい、と思うなら、それを解消する方法を考えないと。何かに参加したり、友達作ったり、した方がいいみたいな気がする。

人に対してあったかくなりたい。私は冷たいと思う。

あーあ、まだまだやることあるなあ。
あと50年、飽きなさそうだ。



風邪
2004年04月26日(月)

花粉症かとも思ったが、風邪をひいたみたい。
耳が遠くなるようなときが、現実から離れるようで気持ちいい。
こんな日は夢を見れるだろうか。
風邪のときは夢を見ることが多いもの。
普段はあまり見られないから、楽しみだ。



映画
2004年04月25日(日)

髪を切った。
そしてBunkamuraで映画を見た。



モデル
2004年04月24日(土)

映画「真珠の首飾りの少女」を、テアトル銀座で見る。
昨日美術館でも見た画家、フェルメールと、そのモデルになった少女の話だ。

もう少しヒロインのキャラに魅力をつけて、音楽も素敵にして、構成練ったらもっとよかったんじゃないかな。

あと思ったのが、画家とモデルってなんかあるって思い勝ちだけど(実際なんかあることも多いみたいだけど)、でも、絵によるんじゃないかな、ということ。
「女」ってものを描きたいとき、その女の人自身のことよりは、抽象化したものを描くから。

あー、上手くいえないけど、例えば、小説の場合だと、キャラクターにモデルってほとんどいないと思う。
私もちょこちょこ自分の小説書くとき、誰かが喋ったことや、自分と誰かの関係で起こったことなどを参考にして書こうとしたりはするけれど、「このキャラクターのモデルは誰々」ってことはまずない。強いて言えば、モデルは自分、この男の子も女の子も自分に似てる、ということが多い。

たぶん、自分が考えてること、が一番になるんじゃないか、と思う。
小説書かない人でも、キャラクターって考えないですか?
「こういう人って複雑」「こんな人って魅力的だろう」とか。
そういうの。

まあ、絵と小説は違うかもしれないけど。



優しさ
2004年04月22日(木)

もっと優しい人間になりたい。
人の気持ちがわかるような。

大丈夫。



上野
2004年04月21日(水)

上野でこぶうどんを、その後生ビールを飲みながら稚アユと新ごぼうの唐揚げと鰹節の乗った冷奴を食べる。

深呼吸をしなくちゃ。




2004年04月20日(火)

朝、駅から会社に向かう途中で常務と会う。
緊張した。
目の話をした。
「目薬持ってろ」
と言われた。

私は疲れてきたりなんかするとき、右目だけ真っ赤になるみたいだ。
痛くも痒くもないんだけど、非常に恥ずかしい。

それにしても、世の中ごはんというものがあって良かった。
一日に三回も楽しいことがある。
お昼に三色弁当を食べれば気分も良くなる単純さだ。
ごはんがなかったら―  がもっとたまってたかもしれない。

この前、「女の子はストレスって言葉をよく言うよね」ということを聞いて、本当だー、と思った。
これは一時的なもの、外的なもの、という甘えのある考えが言わせる言葉なのかもしれない。世の中で起きることは全て自分の責任で、自分のせいで起こっていることなのに、自分の埒外で起こっていることとして受け止めているような。
そういえば、「ストレス」って言葉を使っても、気分が良くなるわけでもなし。
これからはストレスだのということは言わないようにしよう、と思った。
よいことを聞いた。

と言いつつ、今日の日記、なんだか疲れているみたいになってる。
そんなことはなく、元気だ。



時間割
2004年04月19日(月)

「時間割」ってすごい言葉ですね。




何でも
2004年04月18日(日)

おしょうゆをかけると何でもおいしいことを発見。

耳の中にはいつも嵐の砂。



赤羽
2004年04月17日(土)

赤羽に行った。生春巻きなどを食べました。



イラク
2004年04月16日(金)

イラクの事件がどうも腑に落ちない。

でも眠いのでもう寝ます。



莫大小
2004年04月15日(木)

近頃好きな漢字がある。それは莫大小(メリヤス)。

最近落ち込むのは運動不足のせいかも知れないと思い、走ってきた。
ジョギングをして汗をかくと少しすっきりした。
スポーツをする人は、自分の心の健康のことをよく考えるのではないか、と思う。

みんな、年金のことを忘れることができて良かった、と思う。



イメージ
2004年04月12日(月)

イメージというのは不思議なもので、言葉でもなく、音でもなく、画像でもなく、ストーリーでもない。もやもや。

時代を流れてゆくもやもやもある。

昨日、美術館に行って絵を見て思ったのだけれども、例えば『ハムレット』のオフィーリアが川に流されて死ぬシーンを描いた絵というのがあるのだが、このモチーフを描いた画家というのは他にもたくさんいたはず。つまり皆が共通のイメージを持っている。でもこのシーンは劇の中ではそれほど重要な感じはしないし、オフィーリアというヒロインも、それほど魅力的なものではない。
ただ「水に沈む女」というイメージが圧倒的に魅力的だ。

上手く言えないけれど、この「もやもや」というものは、時代や国を覆うよなあ、と思った。

ギリシャ神話の女神のイメージ、キリスト教の天使のイメージ、はたまた妖精、サンタクロース、一角獣、麒麟、などなど。
みんながもやもやを持っている。

絵にしたり、小説にしたりもできるけれど、その前に「もやもや」がある。



ホタル
2004年04月11日(日)

マレーシア旅行に行ったとき、ホタルを見たい、と考えた。
ある地方でホタルを見られるのである。
ただ、これは「歩き方」にもちょっとしか載っていないし、他の情報ツールでは皆無で、地図もわからない。
女一人でさびれた地方に行くことや、夜中になること、ホテルがないっぽいこと、などいろいろ考えると難しいように思った。
「ホタルを見に行こう」と思い始めた日から何日間か、夜中に不安で上手く眠れなくなったくらいだ。

行こうと考えていた日に、その地方に行くバスが出るバス停に向かった。
タイムテーブルはないのでいつ来るかはわからない。
座って待っているうちに何だか気持ちが変になって来た。
バスが来なければいい、と思い始めたのだ。

どうやら私は、もうホタルなんて見たいとは思っていないような気がする。

でも出きるだけ待ちたい、とも思っているようだ。

大げさに言うと「自分は行けるところまでは行って、やるだけのことはやったのだと思いたかった」という感じだ。

ホタルを見に行きたいと思っているかどうかはどうでもよく、止めたのは向こうだと思いたい、ということだろうか。

自分は頑張ったが状況で駄目になった、と考えると楽だ。
自分はこう思うが、相手はこう思わないのだ、と人はシンプルに受け止めたがる。
自分の中だって複雑なのに。止めるというのは勇気のいる面倒なことだから、自分では決めないものだ。今までのさまざまなことを考えてみても、止めるときは「自分が思うから」ではなく「状況が……」「誰々が……」という理由にしてしまっている。

何事も人は事が自然におさまってゆくのを見守るだけで過ごそうとする。

小心者は言い訳を探し、自分を積極性のない人間や、悪者にはしない。
自分が決めたことを「相手が決めたのだ」と考えるのは簡単なことである。

迷っているときも、既に決めているのに、自然の成り行きに任せて、他の力を利用しようとする。

人は、自分の心と向き合うのに疲れてきたとき、「あんたはどう思うの?」と言い勝ちだ。

「私はやるだけのことはやったわ。あなたが終わらせたのよ」と考えたいのだろう。


結局ホタルは見に行かなかった。



学歴だとか経歴だとか
2004年04月10日(土)

今時は、学歴なんてものを聞いて気にする人も少ない。
何々大卒って聞いてもふうんってぐらいだ。

私が出た大学は所謂有名大学というのではないかも知れないけれど、私はあの大学を良い大学だと思っている。頭の良い人だって結構いたと思うけどな。
昔、同じ大学の友達で「こんな大学出ても…」と私たちの大学のことを言う人がいたけれど、
私は色々な人と出会えて、マンドリンにも触れることができたあの大学を大好きだった。
大学なんてそんなもんだ。

「有名大学を出ました」ああ、受験勉強頑張ったんだね、というだけの話だ。
「受験勉強頑張ったんだから、その後の人生にも影響があって然るべきだ」という話も聞くが、頑張っても人生に影響がないことなんていくらでもある。

私が今まで出会った人の中では、大学出の人より、高校出の人の方が頭が良い確立が高い。
頭の良さと学歴は何の関係もない。
私は一応大学を出ているが、英語は話せない、漢字は書けない、簡単な足し算でも間違える、人間関係を築くのが下手、と散々である。

経歴、というものでも「なにをやったか…」なら聞く気がするけれども、「こういうところに所属して…」なんていう話は、聞いてもその人が何なのかちっともわからない。

「あんたの所属している団体だとか組織だとかは、あんたの評価と何の関係もないよ」と思う。
そして「昔取った杵柄は捨てた方がいいよ」と思う。

人生というのは、「自分が望むライフスタイルで生きられるかどうか」というだけの話で、勝ち負けなどあるわけがない。

有名な大学を出れば多少は有利になることは、まああるかも知れないが、まったくうらやましいとは思わない。

私は今死んで、もう一回生き直すとしても同じことをする。
第一志望の大学なんてどうだっていい。行ったところが良い大学だった。
前の会社だって、人と出会えたから行って良かったと思ってるし、今の会社は自分の時間が取れるから良いと思う。

ただ、それだけのことでしょ、と思う。

私は言いたい、「安心するな」と。
そして「プライドは捨てろ」と。

人に見せるために人生作ってる訳じゃないんだから。
やりたいことやれればいいのよ。

学歴や経歴で評価されるなんてただの神話だ。
だって、自分は人のことを学歴で評価なんてしていないでしょう?
でも人は自分を学歴や経歴で評価すると自分のことは思い勝ちだ。



虫眼鏡
2004年04月08日(木)

人間がもっと進化したら、指サックをしたまま生まれてくるだろう。

最近、こどもの頃に虫眼鏡で黒い折り紙を焼いていたときのイメージがふと蘇る。
チリチリと焦げて行くあの感じをよく思い出す。

それから初恋を思い出す。
思えば小4のときが私の人生の山場だったのでは?
でももちろん、今もすっごく楽しい。
いや、小4のときより今の方が楽しい。
大人なので何でもできるからね。自分次第で。



葉桜
2004年04月07日(水)

会社帰りに上野の桜を見た。もう葉桜だったが、葉っぱもかわいそうなので、よく見た。それから浅草に行った。大変楽しい。桜橋。


テニス
2004年04月06日(火)

妹はテニスサークルに入りたいらしい。
しかしマンドリンにも誘われたと言っていた。



会津若松
2004年04月05日(月)

本を一ヶ月に二十冊読まなくてはならないとすると、二日で一冊では間に合わない。
一日一冊読んで、十日休まねばならないだろう。
今現在、四月に入ってから二冊しか読んでない。テネシー・ウイリアムズの『欲望という名の電車』と『やけたトタン屋根の上の猫』だ。面白かった。
しかしこの調子では月末には絵本で数を調整しなくてはならないだろう。
そしてそれなのに図書館で菜根譚を借りてきてしまった。こんなの一日じゃ無理だ。
漫画やバナナを数に入れていいのかもわからない。
聖書なんかに手を出してしまった場合はどうしたらいいのだろう。

それから、ひとりぐらしをしたいと思っていたが、お金が貯まらないだろう。
お弁当を作ろうかと思ったが、、私に早起きができるわけがない。
大きなコロッケパンでしのぐしかないだろう。

しかも旅行に行きたくなって来た。

駿馬を見分ける方法を教えて欲しいものだ。


ところで私は梅干は固いのより、ジューシーな方が好きだ。


それから、しらす干しごはんって、混ぜすぎないのがおいしいと思う。

そういうことを考えると、おいしさというのは混ぜすぎないことであると思う。




トラや
2004年04月04日(日)

以前にも書いたかと思うが、南Q太という漫画家が大好きで、今一番すごいと思っているのが「エロティクス」で連載されてる『トラや』という漫画だ。

何がすごいと思うのかというと、エロティクスという雑誌は、まあエロい漫画雑誌みたいなんだけど、この『トラや』だけほのぼのした話だっていうこと。
南Q太は、他ではかなりエロい話や、きつい話を描いているのに、『トラや』はふんわりした話ってことだ。

つまり、この漫画を好きって言うと、「ああ、こういう可愛いやつが好きなんだね」というような捉えられ方をされてしまうのだが、私がいいと思うのは、こう、「みんな本当はドロドロだってわかってるけど、敢えてこんなほのぼのした話を描いているのだ」「リアリティと気持ち良さが絶妙なのだ」「わかっててこう描いてるんだ」ということが言いたいのだ。





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