Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
DiaryINDEXpastwill


2009年04月30日(木) ガスタフ・スペッツが初ソロ・アルバムを完成



グスタフ・スペッツ

2枚の傑作アルバムを残しながら、惜しくも解散してしまった北欧の至宝、エスキュウ・ディヴァイン。バンドのフロントマンにして、メロディーメーカー、ガスタフ・スペッツが初ソロ・アルバムを完成

5月4日に来日公演あるし。


2009年04月29日(水) デビシルの新作‘Manafon’にはEvan Parker, John Tilbury, Keith Rowe, Christian Fennesz, Otomo Yoshihide

えー!この夏こいちゃんがー?このところ老いた父親が政治活動の拠点にひんぱんに使ってるんですけど。おれもこまるんですけど。

つらつらと備忘。



デビシルの新作‘Manafon’にはEvan Parker, John Tilbury, Keith Rowe, Christian Fennesz, Otomo Yoshihide, and many moreが参加。

デビシルの弟スティーブ・ジャンセンの作品‘Slope’にガルバレクの娘Anja Garbarekが声で参加しているが、その来日公演
〈スティーブ・ジャンセン ソロ・コンサート Slope〉 2008年2月29日(金) めぐろパーシモンホール 大ホール
が、小山田圭吾、高木正勝、徳澤青弦カルテット(藤堂昌彦、楢村海香、菊地幹代、徳澤青弦)をゲストに行われていた。
それが『オカーレンス・オブ・スロープ』というDVDになっている。

小山田圭吾がいまどんな表現をしているのか知らないけど、小沢健二は『毎日の環境学』(2006)以降反グローバリゼーション的な活動と童話「うさぎ」の執筆しかしていないので、気になる。

小沢健二は一時モータウンと契約してて、『Marvin Is 60』マーヴィン・ゲイ・トリビュートで歌っていた。
ビル・フリーゼルが未発表音源1テイク提供した『gascd』、は、フリーゼルによるマーヴィン・ゲイWhat’s Goin’ Onのカバー。
共通するのは反グローバリゼーションという態度だけど、反グローバリゼーションという曖昧な定義もやはり風化してゆくのであり、
やはり借り物のコトバに拠って、いつまでもロゴスの牢獄に漂っているのではなしに、
「多様で多彩な音楽という空気の振動を共有しあうサークル」といった生き方でしか、わたしたちはうまくつながってゆかない。

「家族の外側には山河しかない」


2009年04月28日(火) シルヴィー・コルバジェ 来る6月20日、トリオ「アグラダルマ」公演@ホールエッグファーム



10年ぐらい前には何度か通って美味しいゆでたまごを食べた記憶のあるコンサート会場ですが、
ホール・エッグファームのスペース・フー

「AGRA DHARMA」とは
アグラダルマの意味は、「最高の教え」という意味で、ご存知のような法華経に使われているものです。これは私たちが仏教を信じその教えを説くというのではなく音楽が神秘や癒しをも問う、知的な営みと気品のある挑戦であることをアグラダルマというグループ名に託しています。スイス出身のシルヴィー・コルバジェの薫たつピアノとニューヨークを本拠地にするイクエモリの繊細なエレクトロニクス。そこに巻上公一の自由奔放なテルミンと声が加わり、白い蓮の花のような音楽を咲かせます。アグラダルマの音楽の時空間は、悦びに満ちたリアルワールドです。(巻上公一)

巻上公一(ヴォーカル) イクエモリ(エレクトロニクス) シルヴィ・コルバジェ(作曲・ピアノ)

おいら、アウトゼアの記事で彼女を取り上げたとき、「シルヴィー・クールヴォアジェ」と表記していた。
ECMカタログで「シルヴィー・クルヴォアジェ」と短くなるのか、と、思っていたら
「シルヴィ・コルバジェ」まで、最短になってしまいました。表記はどうしましょう。


2009年04月27日(月) 高橋アキ、シューベルト三大遺作ソナタを弾く!



東京文化会館で高橋アキのシューベルトを聴いてきた。

『高橋アキ、シューベルト三大遺作ソナタを弾く!』
アファナシエフも91年に同じプログラムでサントリーホールを響かせたことがあった。

わずか、に、ためらうような、右手のラインが彼女の武器、驚くことなかれ。譜面と指に、演算する知性、の、檻(おり)が左手。

D960の特別な演奏。
このコンポジションに対する演奏史的な革命はアファナシエフのECM盤よってなされた。
それを参照点にしないわけにはゆかない道程にあって、彼女のドラマは透明である。
言うなれば、アファナシエフにあった西洋の廃頽、身から滲む腐敗臭、を、放たないという特質、と、いったんは書き留める。


2009年04月26日(日) 『マイルス・デイヴィス・リーダー ダウンビート誌に残された全記録』



プラグドニッケルとセラードアーとコンプリートジャックジョンソンだな、ここ10年くらいで聴いてぞぞけが走ったのは。
最近の愛聴曲は「死刑台のエレベーター」。

シンコーミュージックから最近出た
『マイルス・デイヴィス・リーダー ダウンビート誌に残された全記録』を読む。

おれはもう電化製品の取説も読めないレベルの、CDを1枚通してなんかほとんどできない(通して聴けるような作品自体がほとんど存在しないだろ?みんなホントのことを言えよ)レベルのせっかちジジイなもんだから、1ページ数秒くらいで速読してしまう。

確認するとマイルスは84年にはウイントンのやり方じゃだめだと発言していたのね。かわいがっているウイントンに対して。

おれなんか88年になってウイントンの『ライブ・アット・ブルース・アレイ』で「おお、元気があってサイコーじゃないですか!さすが騒がれているだけはあるなー」と初めてウイントンに興奮し、同じ年にリリースされてたジャレットの『スティル・ライブ』と、ジャズ界の両巨頭の揃い踏み、と、視ていたことを思い出す。

当時のおれって、27さいか。今んなると、そうかー、とも感じるけど、当時のトキメキは失わないでおくのがおいらの誠実。

あら!ライブ・アット・ブルース・アレイ、廃盤・・・なのね。
SACD音質で聴いてみたいわ。


2009年04月25日(土) いーぐる連続講演 「エリントンを聴け! その3 〜早解りサウンドの変遷〜」 講師:林建紀



いーぐる連続講演 デューク・エリントン特集
「エリントンを聴け! その3 〜早解りサウンドの変遷〜」 講師:林建紀 
に出かける。

10曲目にかかった「CARAVAN」2:45にのけぞる。
つうか、エリントン的なるもの、の把握とは別にしても、特別な集団即興演奏となっている別格なもの。The Complete RCA-Victor Mid-Forties Recordings (1944-1946)はこの1曲のために購入してよい、という林さんの言葉のとおり。もー、フリージャズだといったってこの演奏には負けてんじゃん、と、思いながら聴く。こういう録音に出会えるのもいーぐる連続講演の醍醐味だ。

おれにとってエリントン、て、ウエザーリポートのロッキンインリズム、坂田明のわははオーケストラとかワールドサキソフォンカルテットのエリントン集とか、で、曲としてしか把握していなかったな。菊地雅章のピアノに気づいた95年ごろだったけど、CDで『マネー・ジャングル』を聴いてピアニストとしてのエリントンに目覚めたかな。ビックバンドの響きの発明という偉大性は、言われればそうかと考えるけれども、ホイーラーのラージアンサンブルのブレンドされた響きを堪能したあとでは、衝撃は薄まる。ビックバンドは演奏するほうが楽しそうだし。

武満徹が心酔していたエリントンというのも、この響きを、個々のミュージシャンを想定しながら作曲できたという、コンポーザーとして夢のような事態を視ていたものなのだ。エリントンは自分の楽団という楽器を持っていたという事態だ。

そして、最も重要なことは、エリントンなくしてエリントンサウンドはない、エリントンが亡くなってあのサウンドは生成できなくなった、という。
ジャズだぜー。


2009年04月24日(金) ブルース・コバーンを聴きながら、小沢健二を思い出す。



2009年04月23日(木) ECM新譜ニュース:ミシェル・ポルタルを擁したミロスラフ・ヴィトウス・グループ




ミロスラフ・ヴィトウス・グループ、が、それもミシェル・ポルタルを擁したミロスラフ・ヴィトウス・グループ、が、
ECMの新作としてリリースするのは「Remembering Weather Report」というタイトルである。


いやはや。
おれが勝手に2年も経って日野=菊地を語ると、そのメンツのモチアン新作がリリースされてるし、
ヴィトウスを後出しじゃんけんWRヴィジョンで仇討ちを果たしたと語ると、ヴィトウスがWRをリリースするのか!

スクラヴィス、クルヴァジエ、を、ECMリリース前に騒いでいた
ジム・ブラック、を、アラスノーアクシス以前に騒いでいた
おれも鋭かったと回顧していたが、
ターナーをOut There誌やJazz Tokyoで騒いでっとECMで出るし、
デビシルだってそうだが、
お、おれはECMなんかだいっきらいなんだ。・・・だのに。・・・ECMが追いかけてくる。

言っとくがヤラセではない。こんなわざとらしいヤラセなぞするものか。

ノルウェーのトーマス・ストローネンがNYに移住してモチアンのような存在になったりしてみろ。(それはないか)

98年のいわゆる音響派的なサウンドが出てきた時点で、おれはそれらは従来のジャンルに回収されて消えると断じたが、はたしてそうであった。ヘッズあたりで出てくる連続振込詐欺めいたCDたちで明白だろ。というわけで、耳新しいだけのサウンドには懐疑的である。


2009年04月22日(水) アブデル・ラーマン・エル=バシャ@東京文化会館



上野へエル=バシャのピアノを聴きに。

アブデル・ラーマン・エル=バシャ(Abdel Rahman El Bacha, 1958年10月23日 - )、アラブ系レバノン人のピアニスト・作曲家。

昨年11月の『ル・ジュルナル・ド・ショパン(ショパンの音楽日記)』で6人のピアニスト、エルバシャ、ケフェレック、児玉、ジュジュアーノ、バル=シャイ、ヌーブルジェ、を、聴き、見事なまでにこの年令順にピアノの実力が並んでいることが明白であり、上昇する未知数を保持する2名(児玉・ジジュアーノ)にこそおれはピーピコ賞を捧げることにした。うしろの2名はまだまだだまずむりだ。あたまの2名(エルバシャ、ケフェレック)はもう充分に世界的な評価を得ているだろう高みは認めるが、揺らめく炎のような児玉・ジジュアーノの誘惑を上位にとった結果だった。

そのとき鉄人エルバシャと形容した、そのエル=バシャを聴いた。(彼は、6日間で16回の連続リサイタルを行いすべて暗譜でショパンの独奏曲すべて演奏する、そういうこと何度もやっているんだそうだから、おいらの鉄人という形容はぴったりだ・・・)

まさに。鉄人であって。で、11月に披露した規範演技的な涼し気に鉄人したショパン、とは、一味違った、不敵なものを漂わしたコンサートであった。「正確で強めの演奏ならいつでもできるさ、でもさ、それでいいのか?とおれはおまえらに問いたいのだが・・・」と言っているのであった。やさぐれた鉄人、というイメージだ。どんなんだ。

前半のプログラム、ベートーベン。・・・おれは最近になってファジル・サイのベートーベンをCDで聴いていて。それは、本サイト丘山さんのカデンツァVol.18を読んで、サイを聴きたくなったのだ。丘山さんがカデンツァVol.17でショパンの音楽日記に言及し、日本のピアニストを想定してみせたが、そこで「野島稔、岡田博美、中嶋香、児玉桃、他」と書かれており、「なんと、岡田・中嶋・児玉は揃っておいらがピーピコ賞としたピアニストじゃないか!で、トップバッターに挙がった野島稔とは何者だっ?」と思うのと同時に、おれはこの感性の一致にガッツポーズをしたくなった。・・・脱線しまくり気味・・・。サイのベートーベンで、サイのサイたるゆえんを感じていたばかりであった。・・・で、エル=バシャのベートーベン、なるほど

ラフマニノフの「ショパンの主題による変奏曲」

ケフェレックの公演も最近あって行く予定だったのが体調を崩しパスしてた。

23日(木)市川市文化会館、24日府中の森芸術劇場

こういうピアニストが玄人受けするピアニストだろう。

それにしても来日して公演するのは80年の初来日以来、ずいぶんありそうだ。鹿児島から北海道まで日本全国で演奏している。

「コンサートホールを楽器にしてしまう」チカラは確実にある、が、この日の東京文化会館はそこまで鳴ってはない。

エルバシャの2001年ナンシーでのストラヴィンスキー>

(編集中)


2009年04月21日(火) デニーズのポイント特典「裏デザート」



デニーズのポイント特典「裏デザート」がこれ。う、うまそうじゃねえか。
誰と食べに行ったのだ、いとしのマイドーター。
カレシがおれによろしくだと!ためグチか?ざけんじゃねー。

昨日の続きだけど。
「涅槃」のジャケはやはりこれでしょう>
ユチュブで涅槃をPCのBGMにしとく? 
これ、ライブで聴いたら・・・そりゃぶったまげるだろ!1958年。ビートルズが出てない。オーネットのフリージャズ1961年出てない。

三善のレクイエム初演1972年はその対抗だったとも思える
1972年はアグネスチャンが「ひなげしの花」でデビューした年だ。チック・コリアのカモメが1971年だ。

ジャズとロックと現代音楽と歌謡曲の歴史をヨコに見なければ東京大学の歴史対策には通用しまい。


いや、こないだおれがカートグラフィーECMを傑作だと書いて、ジャズとして傑作なんですかーと問われれば、
いやそうじゃなくて、
もちろんジャズという部分もあるけど、奏者の個性そのものとか、音色アレンジの妙とか、構成とか、いろいろ複合している、ので、
総体的な作品としてよくできているなー、という意味で傑作だと、そう言ったら、
そうは書いてないじゃいか、と、いや、そう書いてるよ、と。
ECM友人とやりとりして、ほんとにめんどくさいなー、と、思う。音楽のこと書くの。

ジャズトーキョーにモチアンの新譜レビューが特等席に載ったぞい。>
決まってんな、おれ。ECMニューヨークデイズの原稿も投稿してからずいぶん経つが、早く掲載してほしい。
おれは「ニセコロッシCD10」裏タイトル「図書館歩き」という連載ものを書きたくてうずうずしている。ジャズはもういい。いや、よくない。


2009年04月20日(月) 4月7日にサントリーで演奏された黛敏郎の「涅槃交響曲」

15日は新国立劇場中劇場でのバロック・オペラ「ポッペアの戴冠」だぞ、おい、おれ、忘れるな。
はじめての生モンテヴェルディ。たのしみ。

朝日新聞20日朝刊 「“誕生50年「涅槃」新生” 下野竜也と読響 難曲を上演」
として、
4月7日にサントリーで演奏された黛敏郎の「涅槃交響曲」(は、ニルヴァーナ・シンフォニーというんだ)の記事。

“「涅槃」は、西洋へのコンプレックスと自国文化への自負が拮抗する、戦後のダイナミズムが生み出した作品と言っていい。芥川也寸志、武満徹、山本直純、外山雄三といった当時の音楽家たちの実験精神を凝縮したこの曲に、2千もの曲を初演した岩城宏之は、晩年までこだわり続けた。03年の再演直前に肺炎に倒れたが、「『涅槃』を振って死ぬなら本望」と周囲を振り切り舞台に立った。”(吉田純子)

山本直純、の、実験精神、に、えっ?と不勉強にあわてる。

なんだ朝日の記事は、結局、上演した、というだけの記事じゃねか。

しかしこの公演、すっごい良かったそうだぞ。

100にんのオケ、男声合唱80にんの「涅槃交響曲」。
男声合唱を倍ぐらいにしてまた演ってほしいぞ。これをウラ国歌にするくらいの熱いものがほしいぞ。

おれの持ってる涅槃交響曲のCD。ジャケがいまいち。



2009年04月19日(日) 同じ1984年生まれのエスペランサとスカーレット・ヨハンソンのCD対決

「パンプス」てのがオンナのくつだと知ったのは先週だぜ。

同じ1984年生まれのエスペランサとスカーレット・ヨハンソンのCD対決。



ジャズ・シーンに新たな旋風を巻き起こす1984年生まれのベーシスト/ボーカリスト=エスペランサ。
バークリーに16歳で入学。成績優秀だけでなくその後バークリー史上最も若い教授になった、と。
ま、そんな音だ。リズミックなテンションの高さのベース。ベース弾きながら歌っているんだぜ、このおねえちゃん・・・?
ヴォーカルとベースは別録りだろな。おれ、こういうカチッとした演奏も好きだし、やはり上手い。ポピュラー・ミュージックみたい。

だけどこういう音楽を作るベース奏者に教わるジャズ演奏って、うまく想像できない。

お!彼女のインディー・デビュー盤『Junjo』では、ジスモンチの名曲「Loro」を演っている。これは聴きたい。
純情というタイトルか?南沙織か?篠山紀信か。
「メジャーで出すとジャズミュージシャンはだめになるフュージョンは別定理」だな!



映画『ロスト・イン・トランスレーション』で有名な女優らしい1984年生まれのスカーレット・ヨハンソン。
の、トム・ウェイツのカヴァー楽曲集!(1曲は彼女のオリジナル)。
プロデューサーにTV ON THE RADIOのデヴィッド・シーテック、デヴィッド・ボウイが2曲参加、YEAH YEAH YEAHSからニック・ジナー(ギター)、CELEBRATIONからショーン・アンタナイティス(マルチ・プレイヤー)が参加している。

この作品、キャッチコピーが“ディープ”そして“アート”。アマゾンとか、なかなかに悪評が高い。

アレンジはチープを装った不協和音や、ちょっと不思議なアレンジに、そこはかとなく、これがたまらなくいい。

100%すごいことを狙っているわけではないし、歌手はそのへんのねーちゃんレベルなのに潜んだ狂気を窺わせるような気にもなる。
だけどやっぱりすごくはない。
だけどやっぱり何度も聴いてしまう。


2009年04月18日(土) すばらしいコンポストの企画 FAMOUS JAZZ CD 21 PROJECT



草津温泉の湯ばたけ。岡本太郎デザイン。

すばらしいコンポストの企画 FAMOUS JAZZ CD 21 PROJECT に瞠目する。

1961年生まれのおいらがジャズの年代順のジャズ名盤を勉強したのは
杉田誠一が編んだ『ジャズ&ジャズ』講談社(たぶん絶版)。
油井正一の『ジャズの歴史物語』とFM番組、後藤雅洋の『ジャズ・オブ・パラダイス』と四谷いーぐる、
スイング・ジャーナル誌とジャズ・ライフ誌の読み比べ、清水俊彦への傾倒、で、80年代。
マーク・ラパポートの連載「じゃずじゃ」、岡島豊樹編集長ジャズ批評誌、福島恵一への傾倒、ディスクユニオン輸入盤コーナーの陶酔と憂鬱、
いーぐる講演村井康司・嶋田丈裕に感動、で、90年代。
アウトゼア誌杉田誠一・稲岡邦弥・末次安里との出遭い、中山康樹にストライク、で、00年代。

おいらのジャズについての感覚的な影響はここに挙げた皆さまからのものによるものが大きい。
CDだらけの部屋で友人と話していて「おれたちラパポート・チルドレンなんだな、結局」とうなずきあったわけでもあり。

杉田誠一『ジャズ&ジャズ』の80年代以降をつなぐ仕事がここでなされているわけではないが、
この困難な作業はコンポストの6にん?によってなされているのだ。4にんか?
メンバーによってこういったセレクトは多少変わるかもしれない。編集長の益子博之に注目。いちばん共感度高し。

現在の耳で聴いてどうなのか、という基準がいい。

おれも好きなもんしか聴いておらずに、このプロジェクトで挙げられた未聴盤をチェックしようかなー、と、一瞬思ってみたけど、
ただでさえ聴きたいもんを聴ききれておらず、悩ましいかぎり。
おれも80年代ジャズを思い出してみようかな。

ノルウェー大使館きも入りのヴァイオリニスト、トルルス・モルク、本日の公演が中止になったとの連絡を受ける。ちと残念。
5月1日のマリア・ジョアン・ピリス公演のレビューが打診される。ありがたし。一度はピリスを聴いておかねばピアノは語れまい。
ECMカタログの原稿をせっつかれているけども、三善晃『交響四部作』CDのレビューはいつ書けるのか。


2009年04月14日(火) 益田正洋 ギター 東京オペラシティ リサイタル シリーズ B→C

(備忘メモ)

東京オペラシティ リサイタル シリーズ B→C
益田正洋 ギター
2009年4月14日(火) 東京オペラシティ リサイタルホール 

息を呑んだ・・・のは冒頭の3分だった。こ、これは福田進一を上回るタッチだ・・・!

おれは97年頃に要町にある現代ギター社のホールに何度か通っていた。ニフティのECM会議室で、福田進一がラルフ・タウナーの「アクアレル」という曲を取り上げているというのでECMオタクのおいらは色めいたのだった。生ギターのことを、「アコギ」と言うのをそこで知った。その昔、武満徹がギターの曲を作曲したのを、ギター界の大御所が「こんなムズカシイのは弾けない」とし、現代音楽とギター界の冷戦状態があったのを、福田進一はその卓抜した技能で武満の曲を弾ききって登場し、スターになったのだ、と、きいた。福田進一の演奏に魅了された。生ギターのライブに魅了された。ハンサムな福田はMCで「なんでもナマはいいですよね?」と若い女性の観客にニヤリとしてカンペキにスベっていたのを見逃さなかった。いくつか現代ギターのコンサートに続けざまに通った。ドイツ人の現代音楽ばかり弾くおっさんにおののいた。村治佳織ちゃんという可愛らしい女の子もデビューするようで、会場で弾いたのを聴いた。CDではアサド兄弟もあった、タウナーの『ANA』もあった。そのひとシーズンで、おれのアコギの熱中は何かの理由で中断した。

益田は暴投しまくるダルビッシュかもしれない。

バッハのパルティーター、冒頭3分を過ぎてから、

ブローウェルは聴かせた。

ヘヴィなプログラムだったので・・・、なんて言わないでほしい。バタバタだったじゃないか。スッと、音の響きで瞬殺してほしい。あの冒頭の3分で感じさせた、軽いフットワークで柔らかく羽根が音符を並べるような、これまで聴いたことのない感じ、を、1曲完結させてくれればいいのだ。短い30分くらいのコンサートでもいいじゃないか。


2009年04月10日(金) Your Song



なんで「大谷能生 perfume」とぐぐる項目が立ち上がるのかわからないけれども
Perfume×DCPRG×John Coltrane Quartet 
なんていう魅惑的なタイトルのブログが示されててうっとり。
同時に再生ボタン押しとくと、うるさくて気持ちいいぞ。

いまどきの若い批評家はすごいわ。←北海道のイントネーションで。


おれ、このトシで五十肩になってる。て、2つしか違わないか。
やっかいだ!五十肩。
30ねんぶりにきいたユアソングの秀逸かつ高水準なアレンジ演奏に感嘆となみだなみだ。

THE GREATEST POPS Volume 03
01 Your Song / Elton John 4:01
02 I’ve Never Been To Me / Charlene 3:49
03 I’m Not In Love / 10 cc 6:01
04 Show Me The Way / Peter Frampton 3:54
05 Reach Out, I’ll Be There / Four Tops 3:00
06 Got To Be There / Michael Jackson 3:19
07 Close To You / Dusty Springfield 2:26
08 Calling You / Jevetta Steel 5:22
09 Celebration / Kool & The Gang 4:57
10 Sunny / Bobby Hebb 2:46
11 Baby Come Back / Player 4:15
12 I Love Your Smile / Shanice 4:17
13 Hot Stuff / Donna Summer 6:42
14 Goodbye Yellow Brick Road / Elton John 3:14
15 Reunited / Peaches & Herb 5:42
16 You Make Me Feel Brand New / The Stylistics 5:26
17 Song From A Secret Garden / Secret Garden 3:32
18 Love Is Blue / Paul Mauriat and His Orchestra 2:37


2009年04月09日(木) 『母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか』



図書館にあったイエスの『トーマト』を聴いたが。音がよくねー!つか、作品もよくねー。
ああ、高校2年生んときの秋は『トーマト』ばかり聴いてなんて恥ずかしくて言えねえー。

斎藤環さんが書いた
『母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか』(NHKブックス1111)。

身体でつながる母と娘、が、起因となる精神的な諸現象。

娘は母の人生を生きていたり、母は娘の人生をわがものに見なしていたり、
は、息子と母、にも、あてはまるものであるけれども、やはりちと異なるらしい。

ユリイカ2008年12月号がこれにあわせて「特集:母と娘の物語−母/娘という呪い」を組んでいる。
やあね。母と娘。

おや。
佐々木敦が「健忘症者のインプロヴィゼーション」という連載を書いている。
「デレク(たち)」は健忘症でなければならなかったのか・・・。そんでゾーンのまたまた登場。
こういう思考っていまだ需要があるのだろう。
現代音楽ラインの切り口でいくら即興シーンを斬ってみても、その歓びには触れてないと思う。
福島恵一のジャズ批評の文体、のほうが、即興を語るひとつのありようとして、示唆に満ちていたと思う。

かといって、おいらが何かを書けるのかというのとはまた別のモンダイ。


2009年04月08日(水) オン・ブロードウェイ vol.5 / ポール・モチアン Trio2000+Two

『オン・ブロードウェイ vol.5 / ポール・モチアン Trio2000+Two』

Paul Motian [drums]
Thomas Morgan [bass]
Loren Stillman [saxophone]
+
Michaël Attias [saxophone]
Masabumi Kikuchi [piano]

1. Morrock [Paul Motian]
2. Something I Dreamed Last Night [Sammy Fain]
3. Just A Gigolo [Leonello Casucci]
4. I See Your Face Before Me [Howard Dietz, Arthur Schwartz]
5. A Lovely Way To Spend An Evening [Harold Adamson, Jimmy McHugh]
6. Midnight Sun [Sonny Burke, Lionel Hampton]
7. Sue Me [Frank Loesser]
total time: 56:42


いちかけ、にかけ、さんかけて、仕掛けて、殺して、日が暮れて、橋のらんかん腰下ろし、はるかむこうをながむれば、この世は辛いことばかり、かたてに線香、花を持ち、おっさん、おっさん、どこ行くの、あたしは必殺仕事人。それで今日はどこのどいつをやってくれとおっしゃるんで。モチアンのウインター&ウインターの新譜ですか。

モチアンの新譜について書く。1931年3月25日生まれの生きたジャズ史であるドラマー、モチアン。ビル・エバンス、ポール・ブレイ、ジャレット、プーさん、というジャズの現代史を開拓したピアニストを支えてきたマエストロ。さらに現在も、まったくジャズの最前線を響かせている、そのミュージシャンの起用の見事さ、サウンドの瑞々しい化学反応を引き起こすテクネー、は、もはやドラマーとしての批評は不能であり、音楽にとっての生命線、である、謎、と、投機、踏み越えにサウンドは満ちているばかり。

なんでも好き嫌いなくまんべんなくジャズを聴きましょう、的な?保育園じゃねーんだから。三善晃、オットー・クレンペラー、ラドウィンプス、ルーファス・ワインライト、シガー・ロス、ウイリアム・パーカー・・・どのジャンルでも、ソレ、に、ピンときてなければだめなもんってある。ジャズではパーカー、当然だわな。マイルス、そう、電化マイルスを21世紀に凡庸なものに変容させた菊地成孔と坪口昌恭・・・なんてフレーズをつい口から出てしまうが、なんでも網羅すればいいというんではないんだ、たとえば今の若者がミスチルをコンプリートしてればビートルズの果実の大方がインストールされているといった具合に、・・・中略・・・現代ジャズでは現在のモチアンを聴け、ということだ。ところで、お兄さん、テザートムーンの『ファースト・ミーティング』はお持ちで?

なんか最近のECMアイヒャーも続けざまにモチアンがらみの音盤をリリースしてますぜ。

この『オン・ブロードウェイ Vol.5』は・・・、おいおいおい、いいベースじゃねーか、トーマス・モーガン!サックスが2本。アティアスとスティルマン。スティルマンは知らねえな。おお!おれがこないだ「これは聴かれなければならない」とリリースされて2年も経っているのにレビューをねじ込んだソニーの『カウンターカレント/日野=菊地クインテット』(本サイトDiscReview No.558参照)で瞠目したモーガンとアティアスじゃねえか。

前作『オン・ブロードウェイ Vol.4』はベースがラリー・グレナディア、サックスがクリス・ポッターというトリオで、菊地雅章とレベッカ・マーティンが客演扱いという布陣のトリオ+2だった。これが2006年のベストに挙げられる出来。ハッキリ言って、ここでのポッターを聴かなければおれはポッターの才能に気づかんかった(何度も書くが故ブレッカーがまるで遺言のように注目しているサックス奏者に挙げたのがターナーとポッターだった)。で、ここでのプーさんがかなりやばい。凄まじいピアノを聴かせている。トリオに、ヴォーカルのマーティンが加わるトラックと菊地雅章が加わるトラックに二分される編成なので、ここでの彼らはカルテットである。すごいレベルの花形だらけのカルテットである。

今回はベースがトーマス・モーガン、サックスがローレン・スティルマンというトリオで、菊地雅章とマイケル・アティアスが客演扱いという布陣のトリオ+2である。なんでトリオ+2などと名乗るのか。すべてクインテットでの演奏ではないか!野暮を言うのはやめよう、これはオトナの立ち位置についてのちょっとした知恵だ。凶暴な野獣のようなプーをトリオ本体に据えてみろ、このトリオ+2という形式だから力学は調和する。それでなくても、現在のプーの表現圧力は生涯最高潮にある。菊池雅章名義のCDは全部持っているが、本人には悪いが昔の代表作より今の演奏のほうがいい。

今回は2サックスということだ。サックスを複数立たせるというと、モチアンにとってのエレクトリック・ビバップ・バンドもあるが、あちらはブレンドされる音の生命体のようなゆらぎがキモである。こちらは対位法的な相互関係を含めてのクインテットではあるが、なかなかどうしてブレンド感もなかなかのものだ。モチアンとプーさん以外の3にんは知名度的にはまだまだだけども、いやー、3にんともいい。新しい才能を選ぶモチアンの慧眼もそうだけど、ニューヨークのミュージシャンの層の厚さを思わされる。

4曲目の「I See Your Face Before Me」なんかのウタゴコロ、スタンダード・ナンバーの料理仕方もたまんないなー。ひりひりするくらい瑞々しいくせして、深くて。音楽って、どこまでも行けて、深くて、すごいよ。こう、聴いてて、さ、笑みがこぼれてきてしまって、涙がでてきてしまって、どうしてこういうジャズの謎?切ないねえ。5曲目も・・・。


(蛇足)

こんなんこと書いてもしょーがないんだけど、おれさ、今朝、ジャレットのスタンダーズ『マイ・フーリッシュ・ハート』なんか聴いてしまって、まじ、吐き気がしてたんですよ。スタンダーズはいちおうリアルタイムで聴いてきていて、『スティル・ライブ』と『ウィスパー・ノット』があればいいと思っている。おれ、ジャレットのファンだと自負してる。『スティル・ライブ』で演っていた「ソング・イズ・ユー」のイントロなんて夢にみるくらいに好きだ。その「ソング・イズ・ユー」が『マイ・フーリッシュ・ハート』にも入っていたのだけど、そこでも耐えられない・・・。げろげろげろ。耳の、過剰摂取によるアレルギーという現象を想定してもいいのかもしれない。が。当のジャレットはこの『マイ・フーリッシュ・ハート』という作品について、特別な2001年のライブを発表の機会をうかがっていたと書いている。なに言ってんだこのおやじ。

でまー、ピアノトリオというフォーマット自体に、ジャズは飽いておると思われる昨今なのか。

だいたいテザート・ムーンという表現の地平をみせつけられていて、ジャレットやメルドーのピアノトリオとその亜流というマーケットを温存して甘やかしているだけのおれたちリスナーが悪いと思わないか?菊地雅章のピアノはワンオブゼムではない。老い先みじかいモチアンが彼を手放さない理由だってそこにあるだろ。

同じピアノトリオでアントニオ・ファラオのパゾリーニに捧ぐ。ファラオのピアノ自体はどうでもよくって、ヴィトウスの暴力団の用心棒めいた、ザヴィヌル死して後出しじゃんけんウエザーリポートヴィジョン(ユニバーサルシンコペーション2のこと)で仇討ちを果たしたベースの存在感と、それにじつにいい距離感を保てるユメール御大のタイコ、が、なかなかいい。パゾリーニに捧げられるような演奏だとは思えないけど。

たとえばさ、ジャレットがこういうヴィトウスとユメールと演るという賭博に身を晒すならば、それはそれなりにジャズを体現していると思える。『ウィスパー・ノット』作ったんだから、あとはすっぱりやめていいじゃないか。ジャズが到達するのは一瞬なの。ハッキリ言っていい?じじいのせんずり見せつけあいショウにおれたちはついてゆけない。なんなんだこの不健康な強迫観念は。ジャレットとウイントンは、その態度においておれには大差ないと思うんだな。

ポール・ブレイがJazzTokyo稲岡さんに取材を受けて「最近の若手ピアニストでは誰に関心がありますか」ときかれて「ダニロ・ロペスとブラッド・メルドウだ」と、真顔で応える批評性の笑いを、おれは今のジャレットに送りたい気持ちでいる。


2009年04月07日(火) アントニオファラオのパゾリーニに捧ぐ



でまー、ピアノトリオというフォーマット自体に、ジャズは飽いておると思われる昨今。

だいたいテザート・ムーンという表現の地平をみせつけられていて、
ジャレットやメルドーのピアノトリオとその亜流というマーケットを温存して甘やかしているだけのおれたちリスナーが悪いと思わないか?
菊地雅章のピアノはワンオブゼムではない。老い先みじかいモチアンが彼を手放さない理由だってそこにあるだろ。お、このテキストつかえるな・・・。

同じピアノトリオでアントニオファラオのパゾリーニに捧ぐ。
ファラオのピアノ自体はどうでもよくって、ヴィトウスの暴力団の用心棒めいた、ザヴィヌル死して後出しウエザーリポートヴィジョン(ユニバーサルシンコペーション2のこと)で仇討ちを果たしたベースの存在感と、それにじつにいい距離感を保てるユメール御大のタイコ、が、なかなかいい。

パゾリーニに捧げられるような演奏だとは思えないけど。

たとえばさ、
ジャレットがヴィトウスとユメールと演るという賭博に身を晒すならば、それはそれなりにジャズを体現していると思える。
ジャレットとウイントンは、その態度においておれには大差ないと思うんだな。


2009年04月06日(月) ジャレットの死亡説

夜勤の仕事を終え、平和台図書館に寄ってジャレットのスタンダーズ『マイ・フーリッシュ・ハート』を借りてみた。
リリースされた2007年に耳にした記憶はあるものの聴く気にならずにスルーしていたものだ。
聴きはじめて、たとえようのない吐き気がしてきたのである。聴きとおすことなど不可能じゃけに。

スタンダーズはいちおうリアルタイムで聴いてきていて、『スティル・ライブ』と『ウィスパー・ノット』があればいいと思っている。
『スティル・ライブ』で演っていた「ソング・イズ・ユー」のイントロなんて夢にみるくらいに好きだ。
その「ソング・イズ・ユー」が『マイ・フーリッシュ・ハート』にも入っていたのだけど、そこでも耐えられない・・・。

耳の、過剰摂取によるアレルギーという現象を想定してもいいのかもしれない。

当のジャレットはこの『マイ・フーリッシュ・ハート』という作品について、特別な2001年のライブを発表の機会をうかがっていたと書いている。
なに言ってんだこのおやじ。



フランチェスコ・ヴァンニ『三美神』、ボッチチェリにも三美神の描かれた絵がある、その構図、
が、ジャレット『Tokyo 96』の構図、です。そう、ジャレットだけがこちらを向いた、三美神の構図が反転しているものです。
このCDには悪魔の数字666が与えられた。1300とか1313を禁忌して欠番にするECMにより。



そんで闘病中のプライベートなバラッド集『メロディ・アット・ナイト・・・』は供花のようなジャケだったあたり、
ジャレットの死亡説まで考えてみてはいたけれども。

その後のジャレット、『レイディアンス』という彼のピアノの完成型を奇跡的に残した以外は、
やはり死んでいるとおれは思う。


2009年04月05日(日) 姜尚中と西村朗が新登板



NHKの日曜美術館、司会が姜尚中(かんさんじゅん)、に代わっての第1回。
特集が曾我蕭白(そがしょうはく)で、ゲストが村上隆。

曾我蕭白は、こないだ出版されていたとんぼの本での横尾忠則が書いていたもの>
が良かったとです。

姜尚中が曾我蕭白について村上隆と語りあう。

さすがNHK。まっとうな前衛。お互い畑ちがいのことを語りあうのをみる。
イチローと前田日明と菊地雅章とマークターナーが麻雀を打っているのをみるような、空振り感が愉しい。


N響アワーの司会は13年続いた池辺晋一郎から西村朗に代わってのにもびっくり。
シャルル・デュトワ指揮でチャイコフスキーの5番。
西村さんの語り口はおちゃめですねえ。現代音楽の面白さをこれから伝えてください!応援してます。


2009年04月04日(土) アルトサックスを手に入れたか

WBC決勝でイチローがファールを3つ続けた3つめのファールにはシビれた。あの打席を通してプレビューしなければ、あの打席の価値も、イチローのその後の饒舌も伝わらないと思う。

小沢一郎のほうは。麻生内閣の沈下で上がっていたという民主党の支持率の上昇じたいがおれには実感がわかないでいて、小沢の献金問題で民主党の支持率が下がって、ああ、そうなんですか。そこで、小沢が「すべての企業献金を禁止すべきだ!」といきなり発言するすて鉢な不自然さに、おれは妙にリアルなもんを感じる。副島隆彦が、小沢はつぶれない、ロックフェラー(ジェイのほう)が彼を選んでいるからだ、と、語っていた。

白根山の頂上を目指す雪の山道をチェーンを巻いて走ったそうな。おれのグランディスはそろそろタイヤを新調せねばならんだろな。

4月1・2・3日と東京群馬往復運転手580キロであった。あちらこちらの桜、駒場東大前のコンビニ前、きよちゃんとふたりではいった喫茶店コロラド、三鷹新川の国際学生宿舎。桜の花びらなのか、トイレの消臭剤なのか、疲労なのか、鼻炎悪化で鼻の粘膜からの出血が続く。アレロックを服用しなんとか仕事をやりすごす。

そうかセルマーのアルトサックスを手に入れたか。
ジャズでは、パーカーの速度とデズモンドの音色というふたつの機軸が歴史を綾なしている。
有名曲のデズモンド動画>
コニッツ〜マーシュも聴いとけ>


2009年04月01日(水) 『現代音楽と現代美術にいたる歴史―動物学と脳科学から見た芸術論』



北原惇(きたはらじゅん)という72さいになるおじさんが書いた
『現代音楽と現代美術にいたる歴史―動物学と脳科学から見た芸術論』という本を新宿区中央図書館で手にする。

三層の脳によってそんなに人間は操作されているのかいな・・・。たぶん、そだろな。
大脳の新皮質と、ほかの二層との力学、進歩と退行の理論は、たぶん、そのとおりなのだろう。北原さんの専門だし。

音楽や絵画に対する理論のあてはめは、どうということのない稚拙なものだ、が、
結構共感するところが多い。現代美術、現代音楽、で、おいらにとって「だからどうした?」というものは多いのだ。

爬虫類の脳・大脳辺縁系の脳というふたつの古い皮質に、音楽のプリミティブな刺激が到達したときに、
「ぐっときた」り、「思わず腰をふって」いたり、するのか。

愛だの恋だのプラトニックだの言ってみたところで、
本能に基づいた経験的な動機付けが根底にあって、そこに文字や文化がかぶさっておるわけで。

新皮質が歓ぶ現代美術・現代音楽、というのがある一方で、
爬虫類の脳・大脳辺縁系の脳にも到達する現代美術・現代音楽、がある。

このおいらだって、稚拙な三層の脳の反応にしたがって、この作品はすばらしいだのだめだの言い募っているだけなのか。
たぶん、そだろな。

それで。だから何だって言うんですか。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

My追加