Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2008年11月30日(日)

6人のピアニストがショパン全曲プログラムで競演する『ル・ジュルナル・ド・ショパン(ショパンの音楽日記)』を東京オペラシティで聴く。徹夜明けで聴くことができたのは朝からの3公演でしたが。

新宿駅地下で古本市があって、そこで入手した
『アフター・アート』勅使河原純著(スカイドア社)1998が良かった。
ボルタンスキーについての章から始まる全7章。

おれの嫌いなショパンを、6人のピアニストで聴き比べるなんて、そう何度もチャレンジできることではないし、ショパン・イヤーとなる2010年にはいやがおうにもショパンについての強靭な耳を確立しておく必要性もある。

固定した高い世界レベルの実力が認められる2人、
ものすごくこれからの可能性に惹かれる2人、
情熱一本の人気があればいいのかと疑問を持つ2人、が、確定した。





 ラ・フォル・ジュルネ音楽祭で、日本の聴衆に新しいかたちのクラシック・コンサートを提供し、注目を集めるカリスマ・プロデューサー、ルネ・マルタンが、今秋、日本で新たなプロジェクトを立ち上げることが決定した。そのプロジェクトのタイトルは『ル・ジュルナル・ド・ショパン(ショパンの音楽日記)』。その内容とは、出身も世代も異なる6人の名ピアニストたちが、ショパンのピアノ独奏作品を作曲された年代順に全曲を演奏。それぞれのコンサートは約60分のショート・プログラムで構成され、数人のピアニストが登場し、ショパンの名曲が、それぞれ違う個性によって表現されという、これまでなかったコンサートの切り口で実現する。4日間全14公演で行われる。
 プロデューサーのルネ・マルタンは、「『ル・ジュルナル・ド・ショパン(ショパンの音楽日記)』は、まさにショパンの人生を、作品とともに追うピアノ・リサイタル・シリーズです。6人のピアニストは、その実力と音楽性を互いに認め合い、ルネ・マルタンのコンセプトに賛同して集まったメンバーで、ショパンの人生を紹介する"チーム"です」と、この全曲演奏会を通じて、ショパンの人生を浮き彫りにしたいと考えている。
 そして、注目の6人のピアニストだが、ジャン=フレデリック・ヌーブルジェ、イド・バル=シャイ、フィリップ・ジュジアーノ、児玉桃、アンヌ・ケフェレック、アブデル・ラーマン・エル=バシャと、マルタン自身のセレクトによる「ショパンに対して同じような感性を持った演奏家」がずらりと揃った。また、今回の企画では1回の公演に6人全員が登場する場合もあり、一つのコンサートで数人のアーティストのショパンを聴き比べることも出来る。まさにピアノに生涯を辿り、ショパンのピアノにかけた人生が追体験できるのだ。
 ラ・フォル・ジュルネ音楽祭に次ぐ、ルネ・マルタン・プロデュース第2弾『ル・ジュルナル・ド・ショパン(ショパンの音楽日記)』。2010年のショパン生誕200年の"ショパン・イヤー"へのカウントダウンは、このプロジェクトからはじまる!


2008年11月28日(金)

紀尾井ホールへ皇太子さまであらせおられるひろちゃんと竹澤恭子ヴァイオリン・リサイタルを聴きに行っていた。こっそり言っておくがおいらとひろちゃんは、いわゆる王子と乞食の間柄であり、ただ今回はおいらが「日本にはしょーじさやか以外にいいヴァイオリンはいないよ」とこぼしたら、「そんなことないよ、じゃあ28日にある・・・」というので、「かみさんとこどもをほっといてコンサート聴いてていいの?」ときくと、「まーくんに言われたくはないよ(笑)」と。そんなで、聴いてきたのだけど、おれとひろちゃんの感想は一致していた。


2008年11月18日(火) 潮田益子、チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲



『チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲、バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番 潮田益子、森正&日本フィル』
コロムビアミュージックエンタテインメント
COCQ-84494
発売日: 2008/07/23
価格: 1575円(税込)

【曲目】
1. チャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35
2. バルトーク: ヴァイオリン協奏曲 第2番 Sz.117
【演奏】
潮田益子(ヴァイオリン)、
森正(指揮)、日本フィルハーモニー交響楽団
【録音】
1968年3月26-28日 杉並公会堂

おれはジャズ・即興の聴き手だ。おれがチャイコフスキーとバルトークのヴァイオリンコンチェルト、1968年録音、潮田益子の録音を聴いたのは1週間前。文京区の図書館に行ったときに、ジャケ借りしたのだ。チャイコフスキーはつまらないと思っている。コンサートで3・4回、LPとCDで10枚くらい耳を通してみたが、チャイコフスキーに感動したことはない。10さいのときに「白鳥の湖」を暗誦しながら心底つまらないと思っていたせいもあるか。なにが悲愴だ。時間の無駄したこっちが悲愴だ。なのにどうして、おれはこの復刻CDに一発でノックアウトされた。森正という指揮者も知らない。これがあの分裂症がかった日フィルの音か?この生気、格調、統率。ネットで紹介文を検索してみると「テクはともかく表現欲の強さには目を見張らせるものがある」(楽天市場)などと書かれている、テクはともかく?だと?楽天そんなだからリーグ優勝できねんだ。この演奏のエッジの立ち方。スクリューガン・レーベルのテイム・バーンとか、藤井郷子のカルテットとか、そんな力強さが持続する驚異だ。同じヴァイオリンのマット・マネリさえある意味負けてるぞ。・・・本稿、構成も考えずに書いているが、今ネットで潮田益子の経歴を調べてみて背中に電気が走った。潮田益子は現在ボストンに在住、ニューイングランド音楽院教授をなさっているという!マット・マネリもジョー・マネリもポール・ブレイも藤井郷子も同学院ではないか!斎藤秀雄に師事、桐朋学園高校卒、となれば三善晃も小沢征爾ともダイレクトにつながるし。・・・そういう経歴で仲間だと囲うことは意味がないか。さあ、何を書こう。まずはこの40年ぶりの録音復刻(コロムビア・ヴィンテージ・コレクション)を讃えたい。おれは潮田益子のほかの録音も聴かなければならないし、潮田益子は今度はいつ来日するのだ?それってにわかジャズファンがセシル・テイラーはすごいブラクストンがすごいジミー・ライオンズがすごいと騒いでいるような事態なのだろうか。すいません、梶本音楽事務所さま、マネジメントされている潮田益子さんのコンサートをぜひ聴かせていただきたく。


2008年11月17日(月) 'Cause I couldn't stand the pain and I

おいこい。みかんの作品画像まだとどいてないぞ。

スマーク伊勢崎というショッピングセンターのプレイベントへ行く。笑顔の写真展への応募者対象。
東京建物が制作した4分の1を地元企業出店という内容で、イオンと同じ規模でイオンの巨大な棺おけ臭さより死臭がすくない。
近隣の道路整備が不充分なせいもあって、見えるけど行きづらい、という・・・。
このサブプライム地震による急激な不景気波動のなか、大手ショッピングセンターの喰い合いがはじまる。
おれは足利のアピタのほうが好きさなー。
家族でミスターマックスんとこのCoco’sで食べる。ずわいがにのパスタセット。Coco’sはドリンクバーにお茶の数々もよろしいでおます。

スクラヴィス/ピファレリのアコースティック・カルテットと格闘する。やはりこの盤は良い。
ECM盤でいまのおれの耳で聴いても良いというのはすごい。

ジャレットのアメリカンカルテット2作は、あれは勘違いした儀式の演奏に近く抑圧的で息が詰まる、やめざるを得なかったことを痛感。
レッドマンの愚痴もまったくそのとおりだったであろうぞ。

図書館でついでに借りてきたCDたちがすこぶる面白いものばかりで、さりとて一枚一枚レビューする手間もかけられずの日々。

IF I FELL
'Cause I couldn't stand the pain
And I would be sad if our new love was in vain
ビートルズ人気絶頂期の『ア・ハード・デイズ・ナイト』A面3曲目、邦題「恋に落ちたら」。レノンが書いたバラード。

目黒区八雲中央図書館で廃盤になっていたミスター・ビック『フォトグラフィック・スマイル』を見つける。
「恋するロメオ」を30ねんぶりに聴く。
アイ・アム・グリーングラス


2008年11月08日(土) 7月19日(土)、作曲家・三善晃の合唱作品が響いた「杏林大学病院内コンサート〜合唱の午后」

特別編として書き留めておきたいコンサートがあるので、ここに記します。

それは7月19日(土)、作曲家・三善晃の合唱作品が響いた「杏林大学病院内コンサート〜合唱の午后」です。
三鷹にある杏林大学病院では、これまでも桐朋学園による院内コンサートが37回開催されています。
今回は指揮者の栗山文昭さんが主催する合唱団の栗友会(りつゆうかい)によるものでした。

曲目は次のとおり。すべて三善晃の作・編曲です。
・山田耕作による五つの歌(この道、赤とんぼ、待ちぼうけ、からたちの花、ペチカ)
・麦藁帽子(女声)
・雪の窓辺で(女声)
・カチューシャの唄
・Over the Rainbow
・浅井道子さんのピアノソロ演奏 3曲
・唱歌の四季(朧月夜、茶摘、紅葉、雪、夕焼小焼)

コンサートホールではなくガラス張りの広い病院のロビーに、40名ほどの合唱団とピアノが一台。合唱団は2段になっていましたが、指揮台を置かずにじゅうたんのフロアで栗山さんは指揮をされました。ほぼ3メートルの至近距離で聴く合唱です。

合唱こそ、ナマだなー。こんなにきめ細かく左右の男女の高低の声の波が混ざったり拡がったりしているものか。三善晃の作・編曲のワザもあるんだろうけど、指揮者の丹精もあるんだろうけど、合唱団の今日は普段着に近い格好の皆さんのチームワークも、いやはや、職人たちの総合芸術だべさ、思わず北海道弁になっちまうよ。カーステでスピッツや小谷美紗子や友川かずきをかけながら大学生のむすめと品川から駆け付けたわけだけど、アニメおたくのむすめも「はじめて合唱をこんなふうに聴いたけど、これが音楽だっていうかんじだよね!」と喜んでいた。うーん、さすがおれのむすめだ、三芳インターで「いも恋」くわせたる。いつかギタリストの大友良英がジャズ喫茶いーぐるの講演で、耳のフォーカス能力のすごさのことを話していた記憶があるけど、おれなんかつい前日に日本伝統文化振興財団から出ている合唱の入門的名盤CD『日本の合唱まるかじり』2枚組を聴いてて、それなりにCDジャンキーとして感動していたんだが、やはりこの日の合唱のようにリアルタイムで耳の焦点をヴィヴィッドに合わせながら聴く体験には、正直、写真と現物、標本と野生、月とスッポン、吉野家と叙々苑、そのへんのもんじゃ屋と亀戸の山本ぐらいの差がある。合唱専門の録音技師の皆さんには申し訳ないのですが。

録音で聴いた合唱で感動したのは、芸能山城組、と、映画『コードネームはファルコン』のパット・メセニー・グループの曲のイントロの賛美歌、と、クイーンの「愛こそはすべて」、と、ビザンチン教会の合唱、くらいしか思い浮かばん。あとCD『三善晃:レクイエム』、と。あ、ECMの『ヒリアード・ソングブック』と『オフィチウム』、も。・・・と、帰り道で興奮気味にわけわからん話をするわたしにうなずいてくれるむすめに感謝している。

それはさておいて、この日、心臓がわし掴みにされたのは、この合唱の伴奏をつとめた浅井道子さんのピアノだった。この日初めて聴いた。この美しさ、清らかさ、端正なタッチ。ピリスでも舘野泉でも渋谷毅でも、なく。どんな形容がふさわしいんだろう。オネスト。正直な。ふとついて出たが。まだ彼女の録音を聴いたことはなく、この日のコンサートで3曲独奏されたのだけど、おれがプロデューサーだったら真っ先に彼女のピアノ・ソロを録る!オフノート・レーベルの音で録る。

オバマ大統領ではないが、わたしたち音楽愛好家はできる。イエス、ウィー、キャン、である。・・・いったいおれは何をするというのか。


2008年11月03日(月) クレーメルと連れの美人女性が会場から逃げ去るように道路を横断してきたのだった

2008年9月15日金沢のコンサート評



「ほれ、もっとアップで撮ったるから近づいてねー!」、午前5時に練馬を出発して、午後1時43分に着いたばかりの兼六園(金沢)の池そばでカップルに写真撮影を頼まれてデジカメを構えているおれ・・・。まるでこのカップルのために8時間43分走り続けたような奇妙な感慨。往復1013.8キロの日帰りコンサート鑑賞。思ったより早く金沢に着いたので、まず兼六園で休憩でも、という。


はじまりは今年3月25日のサントリーホールだった。長女のはたちの誕生日を祝おうとデートの約束をしていたのにドタキャンされ!カレシに負けたか・・・思いっきりブルーな気分で「そんなら地方のアンサンブルでも聴いて過ごそ・・・」などと、手ぶらで出かけたところで、オーケストラアンサンブル金沢の世界レベルの響きに度肝を抜かれ(2階ナナメのC席とかでだよ)、スキンヘッドの長身指揮者井上道義のイタリアの空のような天才に出会ったのだった。天野誠さんが制作した輪島うるし塗りのお箸もおみやげにいただいたのであった。いつか金沢の地へこのアンサンブルを聴きに出かける予感はしてた。そしていただいたお箸を長女への誕生日プレゼントへと転用したおいらだった(はたちの誕生日にそれだけでいいのか!音楽ジャンキーのおやじだからそれでいいのだ)。

クレーメルと井上道義とクレメラータ・バルティカとオーケストラアンサンブル金沢が全国ツアーしているらしい。そして、9月15日のアンサンブル金沢『設立20周年 県内縦断ありがとうコンサート 金沢公演』に、クレーメルが急遽参加するという情報をウェブで見つけたのがつい2週間前だった。ニュースではグルジア情勢ロシアの軍事介入が報じられていた矢先で、クレーメルがカンチェリの「V&V」を演るというのである。アンサンブル金沢は、岩城宏之の「みんな第九を年末にやるのはおかしい、ほんとにおめでたい時だけ演るべきではないのか」というポリシーに則り、今回は第九を演るのである。9月の第九、と、カンチェリ。すごい取り合わせだ。数日後、さらにカンチェリの演目が「Lonesome 孤軍」に変更になったという告知。これはもうECM者としては行かなければならない。


カンチェリはグルジアの、ヤンスク・カヒーゼと同郷で首都トビリシ出身。え!カヒーゼじいさんは2002年3月8日に亡くなっていたのか・・・。合掌(拙稿「ヨーロッパの精霊四人組としてのヤン・ガルバレク・グループ」参照)。カンチェリはECMで多くの作品を出している現代音楽作曲家である。トビリシは山に囲まれたひとつの風景であり、そこで、人々は故郷をひとつにし、連帯し、生き、歴史に翻弄されてきた。

さて、コンサートの感想。

カンチェリの「Lonesome 孤軍」。クレーメルが執拗にヴァイオリンの弱音をぎこちなく持続させる。バックでオケが不協和音全開で鳴らしたり、静かに揺らめいたり。このカンチェリをどう聴くか。オケのパッシブな鳴らしは紛争とか悲劇のたとえに聴いて、クレメルの持続した営みを困難な奏法をひたむきにぎこちなくとも不遇をありのまま生きる旋律として聴いて、その対比の祈りのようなオーラを聴く。しかし。そんな物語り的な記述に収束させていいのか、とも、ちと言葉に置けないところ、では、あった。いわゆる体裁が整った作品ではなかったところに感ずるものも発生したというか。何か音楽に痛みを感じるところがあった。


そんで。今回はアンサンブル金沢とクレメルバルティカが一緒にステージに上がったのだけど、総量として音量が上がっても、それぞれの響きの軽やかさ優雅さは失われてしまっていた。この夢のような取り合わせなのに、足せばいいのではないという厳しい現実、裏がえせば、それだけアンサンブル金沢は一日にして成らないことの証明であったか。


井上道義のベートーベン第九はどこか弾んでしまう明るさで。これは井上さんの天性だから納得してオッケーでいいや、日本海側なのにイタリアのように明るいのね。それよりもなんか明らかに空気の読めない石川県知事(ここでマエストロに上から目線で話すか、フツー?)の祝辞とか、それがなかったらいいのに。普段クラシックのコンサートに縁のないおっさんおばはんが大挙して参じていたのであろう、アナウンスも不充分だったせいもあって、演奏中ケータイの着信音、時報アラーム、「You Gatta Mail!」が鳴りまくっている。石川県きっての文化都市金沢でこれかよ!さすがに、第4楽章のクライマックス、第9の843小節が始まった直後で、携帯着信音が鳴ったときには、井上さん、腰に左手を当て、半身で客席を振り向き、「ちくしょう」という口の動きを見せていた。録画も入っていたコンサートなのに、とんだ第九となったものだ。でも、その井上さん61さいの男気がカッコイイと思ったのはぼくだけでしょうか。


やんややんやの終演さわぎを一足先に出たぼくたちでしたが。駐車場に向かうときにクレーメルと連れの美人女性が会場から逃げ去るように道路を横断してきたのだった。クレーメル61さい。カッコイイ。ぼくたちとすれ違った(ほんの1メートル!)一瞬、静寂と追憶シーンが交差する。


あれは85年だったか。ECMファンクラブのシアクくんがアイヒャーに会って出来立ての『アルヴォ・ペルト:タブラ・ラサ』をもらって帰国、西荻窪の彼のアパートで「ニューシリーズだって?どんな音楽なの?」と4〜5にんで正座聴きしたあの衝撃。間違いなく日本に入国した最初の『タブラ・ラサ』ECMドイツ原盤だった。誰が最初にこの音楽を歴史的に素晴らしいとメディアに投ずるか、さすが吉田秀和だった。おれが音楽評論家だったらおれだった。


あのヴァイオリンのクレーメルと交差した。人生なぞ一瞬である。










2008年11月02日(日) ECMからデヴィッド・シルヴィアン参加作がリリースされるとは!



おととい気付いていたけど、書くのは今夜だ。

な、なんと、ECMからデヴィッド・シルヴィアン参加作がリリースされるとは!
ECMから本格的なアンビエント作品が登場するようだ。まだ聴いてないが。

『CARTOGRAPHY / Arve Henriksen』 ECM2086

だいたいおれがかつてECM会報にデヴィッド・シルヴィアンを書いたり、
CDジャーナル誌のECMレーベル紹介記事の記述>でシルヴィアン〜ティベッツへの言及を冒頭に置いたり、
みんなおれを変人扱いしただろ!ああ、おれの耳は高校生ん時からばっちりだったんではないか。

マンフレート、ようやった。

ガルバレク〜武満徹〜シルヴィアン、という耳の共役からすると、ECMでタケミツも近いかな。
ECMで三善晃の合唱+オーケストラの、いわゆる「詩篇頌詠形式」、おれだけが言っている「詩篇頌詠形式」、も、あながち・・・。


2008年11月01日(土)

ECM 1276
キース・ジャレット/ゲイリー・ピーコック/ジャック・ディジョネット
チェンジズ

スタンダーズ・セッションにおいて、それじゃと自由に演奏された「Flying」、こういう機会にケルンECM1064のトーンを置くジャレットの心境を読め、少なくともデジョネットはECM1060を聴いたか、思い詰めた沈むトーン+速度、を、3者は持続し続ける。そして、何も起こらない。起こらず果てるしかないのだが、彼らは失敗する。スタンダードを演奏するときに到来するスイッチを、自分らで作ることは困難なのだと彼らは悟りもし、新車の試運転をするように互いを確かめながら決め技を突き付けあっている。共犯できる目くばせ。13分35秒にジャレットは負ける。この13分の陶酔と速度が死ぬほどいい。(多田)

死ぬほどいい、って、どうなのよ。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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