Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
DiaryINDEXpastwill


2008年07月26日(土) マット・マネリをさがしてみると、こんなプログレ演奏も。




この画像はシフのヤナーチェク作品ECM盤のインナーから。

マット・マネリをさがしてみると、こんなプログレ演奏も。


2008年07月25日(金) paintings by Sonja Maneri Music by Joe Maneri, Mat Maneri, Barre Philips

ソニア・マネリってマネリ父子とはどういう間柄なのだ?ジョーのかみさん、マットの母か。そんな絵だな。
paintings by Sonja Maneri Music by Joe Maneri, Mat Maneri, Barre Philips


ジョー・マネリ、マット・マネリ、バール・フィリップス。

彼らの演奏を何度聴かせてもピンとこない音楽評論家をぼくはたくさん知っているが、それってこっちの耳が誤っている、
ということだという。あちゃー。かなし。


2008年07月24日(木)



3月23日夕刻の東京国立博物館(上野)。これから巨大な葬儀会場になるような灯りではないのか。

光景は置いてけぼりをくらう。平和台の田柄のあたりにも多くが埋葬されたままである。

労働契約の時間やら学校教育の時刻とかに、育ってゆく子どもは指図を受けている。

若い男女がわたしたちの時間と愛をはぐくんでみても明日の納期や交通誘導バイトの休憩時間に阻まれて、出来上がったもの、は、情けないものだった。

夜中の轟音をたてる風が25年前の青函連絡船を連れてきている。


2008年07月23日(水) 3月に来日する予定だったネグリが法務省により入国が阻止されたこと




息子がUFOをみたという。緑色の巨大な火の玉的な何か、か。

おれは99年秋の夕刻に所沢から狭山に抜ける道を時速60キロで走りながら中空を同じ速さで黒い土星型が併走しているのを見た。
あわてもドキドキもせず、なんか夢ん中みたいに見るときは見るものなんだなと考えただけだった。その日の勤務でも同僚の誰にも話したりしなかった、あえて話さなかったわけでもなかったし、UFOという話題がいままでなかったせいもあって、そういえば、と、いま思い出した。

ネグり=ハートの『ディオニュソスの労働 国家形態批判』(人文書院)は4月30日に刊行されており、
訳者の酒井隆史がそのあとがきで、3月に来日する予定だったネグリが法務省により入国が阻止されたことと、ネグリからのメッセージを記している。こういう事態自体は、やはり知られなければならないことなので、ここで書けば10人は読む。

7月のG8洞爺湖サミット対策であろうことは容易に想像できる。その程度の過敏反応をするあたりに我が国の小ささをおいらはみる。
そういえば北海道自衛隊は旅客機を撃ち落す訓練までしていた。とうぜんするわな。
札幌市内を反グローバリズムでデモ行進していた騒がしい人たちがいた。とうきびを食べる夏の大通り公園にくんなよなー。

おれはぜんぜんそのデモに説得力を感じない。硬直した、ものしか感じない。
「反戦・反差別・反農薬・反核 自給・自立・共生・共働」というお題目にも、おれには「労働は自由への道」と同じものしか感じない。
組織化されたものは色のわるい暴行しか行なわないようにできている。

みんな旗を降ろせよ。だいたいコトバでできたもの、は、だめだろ。5歳児以降はだめだろ。

まず演説するやつ、だめだろ。話すやつ、だめだろ。書くやつ、だめだろ。

おっぱいがふくらんでてほほえむひとしかせかいにはいらないだろ。

音の原初的なイメージはたとえばアイラーのスピリチュアルユニティの、
凶暴と聖、生命と亡霊、祝祭と退屈、屠殺と慈しみ、ダンスと地蔵、ピータンとえんがわ、フリテンと全勝優勝。
・・・それがネグリが書いた「労働は、生きている造形的な焔」「本書の狙いは悦びの実践(プラクシス)の提起にある。」
と、親和性が高いものであることだ。

「焔」というのはいい。


2008年07月22日(火) 日本の能と、韓国の能に相当するもの、を、並列



この写真は4月の日経か読売の全面広告で、韓国のサムスンが日韓のイベントを応援する主旨だった記憶があって、
日本の能と、韓国の能に相当するもの、を、並列している。これがすごいインパクトだった。
雅楽も能も、韓国由来だというか、天皇家は韓国の豪族だったというし、このヴィジュアルからいろいろ思う。
文化の伝播と変容、とか、洗練とか。

北海道農民管弦楽団というのがあるのかー。
いい名前だ。次回の公演は来年の2月、岩見沢だという。「おやじカンタービレ」のターゲットにするか?

主宰の牧野時夫さんは農民芸術学校というのをやっている。
これはまるで宮澤賢治だ。
「反戦・反差別・反農薬・反核 自給・自立・共生・共働」というテーゼが表示されている。

無農薬のトマトジュースとかすごくおいしいんだよね。

連載「おやじカンタービレ」第5回を出稿したのでまもなくJazz Tokyoに掲載されます。
思ったことをそのまま書くというスタイルでまとめてみていますが、100公演くらいを体験すると何か耳の展望があるのではないか。

紀尾井ホールの邦楽公演「近代長唄の響き(その1)」に行こうと思っていたのだけど、発売日即日完売だった。
キャンセル待ちとか当日券とかなんとかならんもんでしょうか。


2008年07月21日(月) 山手線外回りに外装広告「ガリガリ君(赤城製菓)」仕様が登場した

し、師匠、定期健診の結果はだいじょうぶだったと確信しておりますっ。
ガールフレンドがおざけんにめざめて「天使たちのシーン」「天気読み」「それはちょっと」をお気に入りとのこと、慶賀なりです。

わたしはこのところ悲しき夏バテ布谷文夫なのです。駅から歩いてくるだけでぐったりです。
クーラーのついていないくるまには乗れません。夏にはバケーションをとって汗かいて働かない生活を。人生にかき氷を。

今年、山手線外回りに外装広告「ガリガリ君(赤城製菓)」仕様が登場した。なんと。いよいよ。
アカギのシャーベット系氷菓は40年まえからわたしは食べ続けている。40年の苦節の夏を思えば、感慨深いものがある。

ぽーにょぽにょぽにょさかなのこ 

エグベルト・ジスモンチ 



2008年07月20日(日) 『ディオニュソスの労働』(人文書院)の序文に、




「ハケンという蟻地獄」という記事を読んで、鵜飼いの喩えになるほどと思った。おれはよく仕事のぐちを言うときに「鵜飼いの鵜みてーなもんだ」と考えていたけど、鵜どころか、鮎じゃね?

小谷野事務局長は派遣のしくみを鵜飼いに喩えた。「鵜匠が企業で、鵜が派遣会社、鮎が派遣労働者です」。
現在のマスコミ報道は「鵜(派遣会社)」への批判に集中しがちだ。だが小谷野事務局長は「本当に儲けて鮎(派遣労働者)を苦しめているのは鵜匠(企業)だ」と力を込めた。

鮎という文字を見ると、つい高橋鮎生の音楽を思ってしまうが。

ネグり=ハートの新作『ディオニュソスの労働』(人文書院)の序文に、
「労働は、生きている造形的な焔」というフレーズがあった。
このふたりが書く「労働」という概念は使い古された語意によるものではない。炊事せんたくと仕事とCD屋めぐりとおねえちゃんとのいちゃいちゃと子どもとの語らいとハズレ馬券とオザケンの「天気読み」と編集CDR作りと水上勉とうなぎと花火大会と友人との会話をまぜたようなところに向かっているところの概念だろうと思う。
まだ読みはじめたばかりなのだけど。アタリだろ?ジャック・アタリだろ?


2008年07月19日(土) 恵隆寺の8.5メートルの立ち木観音




まずはこれをみてくれ。実物は、人間が足元の石造くらいの大きさに相当する、くらいである(!)。

これは機縁がなければたどりつけない観音像だろう。
し、しかし、空海が1200年前に夢のお告げに従って制作した「そのもの」の現存というのはほんとか。
福島と新潟のあいだにある恵隆寺、東京からだと高速道路で片道4時間くらいかな。
会津といえば白虎隊、美青年好きにはたまらないのらしいが、ジャニーズみたいに思っておるなよ、白虎隊の思想の背景には空海がいたというのはどこから?

行ってみてー。

大同三年(八〇八年)、弘法大師が夢のお告げを受け、
桂の大樹に一刀三礼の精魂こめて彫りあげた十一面 千手観音をご本尊にいただき、
本尊は像高二丈八尺(八.五メートル)の千手観音で「立木観音」と呼ばれていて、国の重要文化財。
わが国最大の高さを誇る一木彫の木像です。
立木観音は名前の通り立木に像を彫ったもので、現在もしっかりと大地に根を張り立つ雄大なお姿、慈悲あふれるお顔は、参拝に訪れる人を魅了してやみません。
千手観音像を中心に祀られている二十八部衆・雷神・風神三十体の脇侍がかもし出す宗教美の世界は私達の心を魅了して離しません。
誠の心で参拝する人には「貪り(むさぼり)・妬み(ねたみ)・怒り(いかり)」の三毒を三得に、七難は七福に変え、老若、男女、貧富を問わず、いずれも等しく「ころり」とご利益を授けられるといわれるところから、厚い信仰を集め、県内外からの参拝者が絶えません。


2008年07月16日(水) 『射干玉(ぬばたま) 小山薫の世界』が今日(7月18日)の朝日新聞夕刊で




地下鉄の通路のポスター。すてき。
彼がどんな音楽を聴いているのか気になります。



おやじカンタービレ vol.5

この連載を読んだ井上道義さんから伝言が届く。
<011>での記述を訂正する。
「そのピアニストからコンサートマスターに向かって」と。
アンサンブル金沢が三善作品や黛作品をやるときにはブルーノートのオリジナルLPを売ってでも行くぞ。
ふと思うに、日本海をテーマにした邦人のオーケストラ作品というものはないのだろうか。
黒海をまなざしたブルガリアのジャズとか北海に面したポーランドのジャズは味わい深かった記憶がある。
「北越雪譜」を読むような弦楽の響きというのはないのだろうか。
金沢がウィーンになるのは西洋音楽によってではない。
ディズニーと宮崎アニメの違いが西洋クラシックと日本の現代音楽に対応している。
おれはそういう日本のオーケストラ作品、それは現代音楽という枠からもはみでているような、いやオーケストラ作品と名指せないほどの壮大な表現形態かもしれない、そんな音楽が現れる予感がしている。

・・・そんなことを書きながら気付いていた今、友だちからメールが届いた。
4月に発売された小山薫の作品集『射干玉(ぬばたま) 小山薫の世界』が今日(7月18日)の朝日新聞夕刊で、
音楽評論家の岡田暁生、片山杜秀、金澤正剛、喜多尾道冬、の四氏が合議で選ぶ「推薦盤」として紹介されていたというのだ。
このCDに収録されている小山薫のヴァイオリン協奏曲を聴いたのは深夜の青梅街道を奥多摩に向かうドライブの中だった。
晴れた夜だったが、わたしの意識は頭上の彼方にかみなり雲がうごめいており、そこに薄暗いぼやけた光が浮かび上がり、
まさに第2楽章のそのときに観音様がそこに降り立ったのだった。
ヴァイオリンとオーケストラの響きになにをばかなことをと言うなかれ。
小山のヴィジョンは時空を越えて聴くものに伝わったのだ。
小山薫は生きている。
そしてまた音楽とはそういうところとつながっているものだ。
4月の時点でJazz TokyoにCDレビューを投稿しておくのだったと思ってもみるけど、こうして何かの機縁によってここで紹介されるのも必然であったか。
ぼくは1行目からいつも即興的に書いている。

☆Niseko-Rossy Pi-Pikoe Music Prize No.010 受賞☆
菅野潤 ピアニスト 1956〜 おやじカンタービレ<024>


2008年07月15日(火) 友川カズキとバスケットとのつながりがスポーツ誌「Number」の記事に




「苦しめないで ああ責めないで  別れのつらさ 知りながら
 遠い日は 二度と帰らない  夕やみの桂川」
渚ゆう子の「京都慕情」 
せなかがじんましんでカチカチ山のたぬきになりながら仕事中に50回はくちずさんでいる心のヒットチャート1位がこれだ。
何度も言うが、藤圭子と渚ゆう子、という構図は、宇多田ヒカルと中島美嘉、に、転移しているとおいらの耳はみている。

お元気でしょうか。うまく編集CDRを作れないままに無為をかこう。
「天使たちのシーン」につづく「想い出のフォトグラフ」がいい、とか、
「ラブリー」につづく「しるし」がいい、とか、ぜんぜんふつーにはずかしいつながりをすなおにたのしんでいるだけなの。

ラトルズの「Cheese And Onions」、原田真二の「キャンディ」は、今回のポイント選曲にすることにずいぶん前に決めてる。


友川カズキとバスケットとのつながりがスポーツ誌「Number」の記事になっていた。
格闘技特集で買っておどろいていた。5月9日発売の雑誌で、ここで話題にするのすっかり忘れていましたが。
ブログではここで取り上げられています>  

友川カズキ、聴きたいー!、でも図書館に置いてないしー。


2008年07月14日(月) 「3億円かけて開発した新型ピアノ」菅野邦彦(72)トリオ、銀座の懐石ラウンジ「せきてい」ライブだ



冷房じんましん。ふとももから背中全体に。
あかすりでごしごしあらって水かけたら、さらに激化、せ、せなかがあー!いてー!かいー!あっちー!あちちちー!
って、
おいらはカチカチ山のたぬきなのかよ!と、突っ込むほど事態はほんとは楽しくはない。

渚ゆう子の「京都慕情」をはなうたにしてあるいている。
午前9時なのに炎天下みたいな平和台駅前をスーツ上下で帰ってくる。

ミスチルの新曲だ。おいら「おやじカンタービレ」連載開始してからずっとミスチルなんて聴く気にならんでおったが。
「Gift」
「HANABI」
「少年」

世界のはての水平線を見に行きたい!なんてイメージを、
どこか知らない住宅地にあるコンビニに飛び込んでガリガリ君を手にして右手にはサッカーボール、ぼくにはもうミスチルいらないよ、ほんとうに?
ひとりで生きてゆくんだ


「3億円かけて開発した新型ピアノを披露するから参集せよ」と天才ピアニスト菅野邦彦(72)からの指令。
銀座の懐石ラウンジ「せきてい(石亭)」にてピアノトリオでの登場だ。
んがー!行きたいぞー!チャージ6000えんー!
「19:30〜22:30のあいだに何回か演奏します」というルーズさも放浪児スガチンの老境、生きた伝説を聴くに最適だ。

7/18(金)6:00〜懐石コース(8000円)の場合
     7:30〜ア・ラ・カルト(6000円+一品)の場合
銀座・せきてい内ラウンジ 銀座7−13−8 第2丸高ビルB1

ほんとさ、ジャズピアノをうんぬんクラシックのピアノうんぬんジスモンチのピアノの美しさうんぬん言うやつは聴いとかないとだめです。
20代30代のこれから音楽をどんどん聴きたい青年は、おいらの助言をきいといてそんはないですよー。
やばいやばいスガチンのLP>


2008年07月13日(日) 宮下誠の『迷走する音楽』を図書館から借りて、いる。




ま。
美術史をやっている友人から、美学の先行にくらべて音楽の進化・思考のパラダイムシフトはすごく遅れているんだ、と、
きいたのは90年代の前半だったよ。

宮下誠の『迷走する音楽』を図書館から借りて、いる。・・・とても読んでいるとは言えない。

宮下のブログを見つける。>

こないだ『ダライラマ自伝』を駅でひろって読んで、ダライラマと認定される経緯について、その摩訶不思議さに驚いていたけど。

この『チベット問題』を読んでみようかな。

今朝は小石川図書館に行く途中、NHK−FMの黒田恭一の案内でダヴィッド・オイストラフのヴァイオリンに聴きほれて過ごす。ロカテルリ作曲のヴァイオリンソナタが良かった。CD買えなくてもNHK−FMがあるではないか、黒田恭一がいるではないか。


2008年07月11日(金) 「痛みが美に変わる時〜画家・松井冬子の世界〜」が再放送



おいこい。

日本画家の松井冬子を知っておるか?

話題となったNHK制作の特集番組が今度、再放送される。> 

[NHK 総合テレビ]
再放送日:7月20日(日)午前2:30〜  感覚的には7月19日(土)の深夜だ!
「痛みが美に変わる時〜画家・松井冬子の世界〜」 (2008年4月20日放送)

彼女の絵を雑誌かなにかで見たとき、瞬間的におれは山岸涼子の津波シーンを思った(「鬼来迎」というタイトルの作品らしいが)。
おとこにはつくれないヴィジョンというか、
どのおんなにもこれを視てしまうからおとこは喰われるようにおんなに魅かれるというか。
オトコが惚れるのは彼女個人の背後に潜む歴史と世界をつらぬく女性性といったものであり、
玩具的であろうと知性があろうと。
・・・と、そういうときもあるわな。と、おれは思う。

松井と山岸をつなげる感覚的ロジックはあるかないか未検証だが、
松井にはるか先行して山岸が歴史的にあったと、おれは言ってみたい誘惑にかられる。
さらに言えば、マンガは前衛して日本画を復興した、とか。

この番組に上野千鶴子が登場している。
ロッキングオン社「SIGHT」誌2008年夏号のコラム「東浩紀ジャーナル」で、
上野のベストセラー『おひとりさまの老後』が俎上に。
ほんと肝心なところでぼかしたり逃げたりけむにまいたりするのが団塊の世代だ。

秋葉原の犯人はそういえば切れる17さいと騒がれた世代で、
就職氷河期に漬けられハケンという名の蟹工船にうごめく団塊ジュニアだろ。
団塊世代は派遣労働者法案という労働の自由化に対して
おのれの十分な退職金を背景に抵抗はほおっかむりして不十分だっただろ。

洞爺湖サミットで自衛隊は航空機を撃ち落す訓練もしてただろ。


2008年07月10日(木) このありえない豪華な演目と人間国宝総出演



家族のケータイ代金をやっと支払う。
誕生日にケータイを職員室に保管されるという次男に生誕16年記念こずかいを支給せねば。おいらのたたかいはつづく。売れるCDが底をつきつつある。

あ、そうだ、3日のジスモンチ+沼尻竜典指揮+東京フィル、で、おいらはECMファンに帰還したかも。

「ふくらはぎのこむらがえり」を「ふくらはぎのこもりがえる」と言いちがう。
子守りガエルがふくらはぎにいる妙な像がうかぶ。

このありえない豪華な演目と人間国宝総出演は見逃せないものです。

源氏物語千年紀記念 2008年8月16日(土)
古典芸能鑑賞会〜物語文学と古典芸能〜 
国立能楽堂(千駄ヶ谷) 13時開演 正面席10,000円。 (終了予定時刻 17時)
・講演 源氏物語と花 馬場あき子(歌人)
・山田流箏曲  石山源氏 上、下
  箏:山勢松韻、岸邊美千賀、三弦:山登松和
・地歌箏曲 新青柳
  箏:米川文子、三弦:富田清邦
・喜多流 能 半蔀
  シテ:塩津哲生、ワキ:宝生 閑、アイ:山本東次郎

12月13日のビーバーの秘曲「ロザリオ・ソナタ」全曲演奏会はチケット発売開始15分で完売。それはそれはかなしい。

(下記CDレビューはJazz Tokyoで読んでね)
 ジャズファンもクラシックファンも素通りしてほしい。おれはECMファンとだけ話したい。標題音楽はある。音楽史において標題音楽は当然低位の範疇であることはわかっているし、それは保育園児が楽しむようなものだ。それでも、90年代ECMの代表格として提示したい作品 『海 The Sea』 (ECM 1545) は、一音の足し引きもできない、鳴り出したとたんに北欧の海が眼下に映り始めるという、書いていて恥ずかしいのはわかっているけれどもやはりそう書くしかない、表題音楽であり、ときに人生をつらぬくヴィジョンを与えるようなレコーディングの謎だ。70年代の最高の編集者である故小野好恵氏の散骨の際に、この音楽が流されたことを氏の評論集のあとがきで読んだ時の、感性の連なりといった確固たる信仰や祈りのような受け止め。
 そんなことを言われても読んだひとはどんな音楽かわからんくて困るわな。編成は。ヤマハピアノ教室の主任レベルのすっくと一音一音置き切る非ジャズのピアニスト、アメリカのヒッピーなれの果てを隠匿するヒーリング・チェリスト、ストラトキャスターをギンギン鳴らすだけで北欧の空を描く永遠のギター小僧、痙攣するシンバルワークと地鳴りのようなバスドラの非リズム不確定ドラマー、というのが 『海 The Sea』 を奏でていた。この4人、録音後 The Sea Quartet としていくつかの公演をこなしている。ブライトンにいた友だちに頼んでMDを聴かせてもらったが、ライブ盤を出すに相応しい出来である。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

My追加