Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2007年10月30日(火) 『新ヴィーン学派の弦楽四重奏曲集』





『新ヴィーン学派の弦楽四重奏曲集』 ラ・サール・カルテット 演奏されたのは68・70年 

以前聴いたときは、なんでこんな作品がいいのかさっぱりわからなかった。
今もどんだけわかっているのかわかったもんじゃないおれだけど。

この演奏はすごい、というのが、他の弦楽四重奏団を聴いた経験からビタッと耳の焦点が合うようになった。
これは古典であり、新しい様式のスタンダード、語法の規範、となった演奏なのだ。
そうゆうのがわかるようになって、とりあえずよかった。

結構何度も聴いたんだよね。
なんでこれがいいんだろー、かんどーできるんだろー、なんでこんな作品が書かれる必要があるんだろー、とか、思いながら。
夏の暑い日、冬の寒い夜。

結論としては、月が照る寒い夜に、午後9時すぎのライフの50円引きの10品目サラダを買って帰ってきて、タバコを吸わないで、くつしたをはかないで聴くのがいいんだ。
そんな結論でいいのか。
シェーンベルクに怒られたりしないか。


2007年10月29日(月) 四方田犬彦著 『月島物語 ふたたび』 (訂正)




たぶん事実誤認。
ECMヘルダーリンが脚注にあったのは、浅田彰が映画『ベルリン・天使の詩』について書いたテキストだったと思います・・・。
『月島物語』に脚注はないもん。

日記、書き換え、再構成、しませんです、すいません。

四方田犬彦さんが現在連載している「音楽のアマチュア」を読むために朝日新聞社の月刊ブックレット「一冊の本」を定期購読にしていますが、まとまるといい本になると思います。言及された作品のCD情報とジャケ写真も加えられると音楽ファンには重宝するのではないかと思います。


2007年10月28日(日) 四方田犬彦著 『月島物語 ふたたび』




『もうひとりの天使―ノスタルジアと蒐集をめぐる48の省察』河出書房新社(1988年)

四方田犬彦との出会いだった。タイトルだけでごはん3杯おかわりできるです。



ECM好きなれば、ブルーノ・ガンツがヘルダーリンの詩を朗読した『Hölderlin - Gedichte gelesen von Bruno Ganz』(ECM1285)、が、脚注にあるだけで、もう、ありがとうございます、という気持ち。
もちろんブルーノ・ガンツは、ブームになった映画『ベルリン・天使の詩』(1987)で天使をしていたおっさんであり、また、映画『ヒトラー 〜最期の12日間〜』(2004)でヒトラーをしていたやつ、でもあり。おれなんか、ECMの精神性を、「アウシュビッツの行為者としてのドイツ人の戦後」だと捉えていたわけだから、そんな露骨に符合するなよ、という気持ち。(ちなみにウインダムヒルを端に発するヒーリング/ニューエイジなる音楽の精神性は、「米国のサイケデリック/ヒッピーのなれのはて」と捉えていた。)
この作品が発足したてのECMニューシリーズの数枚目で登場したとき(1985年)は、これはすごいことになると手にあせ。どきどき。

また、楳図かずおのマンガ『わたしは真悟』、に、対する四方田さんの論考も、ぼくの子どもに対する意識を決定付けた重要なもの。

オーソン・ウェルズの映画の・・・何だったけ。たしか「バラのつぼみ」と発音して亡くなったシーンの意味についての考察も、心に残る。

・・・そんなことを書いていたら、読みたくなった。このジャングルのような部屋のどこのダンボールに隠れているのだろう。・・・

四方田さんの『月島物語』。滞在記というのか、紀行文というのか、月島に住んでいる気持ちを追体験する名作。20年ちかくたって、増補版となって工作社から出ていた。

ぼくたちのまわりの町並みや暮らしの風景は消えてゆく。
残酷なくらいに消えてゆく。
そしてぼくたちの記憶も残らない。ぼくも、誰からも、子どもたちからも、忘れ去られてゆく。
だけど、芸術は残る可能性がある。芸術について、書きたくなるのは、そういうことだと思う。


2007年10月27日(土) 『ジャーニー・オブ・ホープ』という希望を失う映画




『ジャーニー・オブ・ホープ』という希望を失う映画を、ヤン・ガルバレクが吹いていて、ECMがサントラに協力したとかいうふれこみで観に行った記憶があるのですが・・・。

母親が動かなくなった子供を抱きしめるシーンの音を消す演出に、ECMらしいなーと思った記憶が・・・。



2007年10月26日(金) 寺嶋陸也というものすごいピアニストを発見



11月11日の三善晃『変化嘆詠』を聴きにでかけた。

三善晃『変化嘆詠』は合唱団と4つの楽器(琴、尺八、鼓、打楽器)という編成の曲。
ぼくが三善晃作品に奇跡的な音楽の生命体(といったもの)を聴いたのはこれまで合唱の響きとオーケストラの響きのふたつにあったもので、今年の3月に名古屋まで徹夜明けで高速をとばして出かけた『詩篇頌詠(しへんしょうえい) 女声合唱とオーケストラのための』(1980)、「この響きが、世界から途切れることがありませんように。」その想いばかり。
・・・で。残念ながら今回は、音楽のひかり、ゆらめく生命体のような響き、は、現出しなかった。合唱団はとてもよく、デテイルまではっきりと聴こえたし、どのようにこの音楽に合唱団が舞っているのか、楽しんでいるのか、伝わってきたとても気持ちいいもの。それでも、現出しなかった、というのは、この作品(スコア)の問題なのか。4つの楽器については足し算されていた程度にしか感じられず。
出だしの合唱のすすみかたは、コトバから旋律に場をふわっと変貌させてしまうありようで、吉増剛造のライブで聴衆への語りかけが詩の時空に変貌させてすすませるところを連想させた。作品全体の中では小さなポイントだけど、ぼくには大きく感じられた。

ハイライトの三善晃作品の前には、ブラームス、バッハ、グリーグを聴いたわけだけど、どれもこれまで聴いてこなかったので、新鮮。
グリーグの「ソルヴェイグの歌」は覚和歌子(かく・わかこ)さんの詩で合唱されたもので、ミスチル桜井の声に変換させて聴いててなかなかにハマる。
ほんで。
今日は、グリーグで弾いたものすごいピアニストを発見してしまった!
寺嶋陸也(てらしまりくや)という作曲家でもあるひとだという。このピアニストのタッチの的確さと制御するちから、音楽を定位させるといったものに文字どおり戦慄をおぼえた。このピアニストをみんなに教えなきゃ!とドキドキして一音一音に耳をそばだてたです。このピアニストのコンサートは要チェック。

それから、この日の指揮者である栗山文昭さんのもつすばらしいオーラ。まわりの光景をゆらすようなものは細川護煕にみたいらいです。


なんか自分は現代音楽で和楽器をくわえたものに対する感受性が欠けているというか、そういえばノヴェンバー・ステップスもオケのトーンばかりに耳がいっていたし、だったら和楽器単独での現代作品のほうがよくわかる経験ばかりで、楽器の宿命というかパラダイムはなかなか越えて聴くことのできない耳なのだな、ようは足し算に弱い・・・。小室哲哉「ボーイ・ミーツ・ガール」のトライバル・ミックスで登用された和太鼓サウンドはゆいいつ感動したかな。この文削除?


2007年10月25日(木) 「AAOBB」(「ALL NIGHT ALL RIGHT OFF WHITE BOOGIE BAND」)



菊地成孔のDCPRG、デートコースペンタゴンロイヤルガーデンとすらすら発音する快感。
菊地雅章の「ススト」をカバーした演奏もあったそうだけど、菊地雅章が80年代末に結成した「AAOBB」(「ALL NIGHT ALL RIGHT OFF WHITE BOOGIE BAND」)のグルーブ感にそのルーツを指摘することもできる。

このAAOBBの、伝説とされる1989年8月7日水戸茨城教育会館大ホールでの2枚組ライブ盤、が、復刻している。

もっと彼らのライブの記録はあるはずだし、さらなる復刻を。


2007年10月24日(水) フジ子ヘミング



フジ子ヘミングのCDをはじめて聴いた。歴史あるクラシックの評価基準をはなから無視して、もしくはケンカして、わたしはわたしよ。
彼女のこころのなかではこのように鳴っている。シューマンの「予言の鳥」「謝肉祭」がいい。
CDに描かれているイラストは本人の手によるもの。


2007年10月23日(火) 11月11日は三善晃が聴ける日です!




三善晃の作曲は、合唱といい、オーケストラといい、その響きのかたまりが、まるで生きもののようです。

混声六部合唱、尺八、打楽器、十七絃のための 「変化嘆詠」 〈一休諸国物語図絵より〉 (1975)
という曲が聴けます。

写真は三善晃著『遠方より無へ』白水社刊2002年新装復刊。
これは音楽家が書いたものという水準をこえていて。


2007年10月22日(月) で、イエスの『究極 Going For The One』。



で、イエスの『究極 Going For The One』。
30ねんぶりくらいに聴くぞ。
もっとスペイシーに鳴っていたはずだぞ!あの頃は。
でもいい、しかしジョン・アンダーソンが作曲する盛り上がりパターンのいやおうなしのちからわざ、これはもうゴスペル手法なのだし、歌っている内容はニューサイエンス系の「あんただいじょうぶ?」的な世界なのだけど、いやーたまらん。耳がキーンとするまでイヤホンの音量あげる。

1曲目「究極」、イエス流ロックンロールと渋谷陽一は紹介していたが、イントロもサビも高音部から入ってくるアンダーソン特有の歌いまわし、そんで、後半の短いフレーズを連打して盛り上げる、『危機』のエンディングを飾った手法、盛り上がってはじけるこの境地!Going For The OneのOneがはなくそが詰まったように半音下がるまぬけな旋律なのだが、それがこの楽曲の成功の鍵だったとは誰も知るまい。

2曲目「世紀の曲がり角」、へんなタイトル。しかし名曲。ハウのアコギのつまびきとアンダーソンの静かな歌い出し。これが変奏と拡大をくりかえすに従って、これでもか的な盛り上がりに向かう。5分14秒すぎには、聴くものすべてが空中に浮かんでしまうという、まるで坂本真綾「Feel Myself」の原型を聴く思いをするのはわたしだけである。

いやー、この2曲を続けて歌ってみると(もちろんだれも聞いていないが)、これは何か呼吸法としてもすぐれているのではないだろうか、健康維持に役立つのではないか、などと思うのであった。


2007年10月21日(日)




仕事してて関西圏の地図をずっと見てたら、高速で淡路島を抜けて四国まで行ってみたくなった。

ラドウィンプス『おかずのごはん』にThanksとして養老天命反転地がクレジットされてますが。彼らもかの地であそんだのでしょうか。

ファミレスのココスに行く。ドリンクバーのお茶の種類がたくさんあるのと、サラダが気に入っていたんだけど、全体的にはいまいちだな。
子どもらがCDを買いたいというので太田イオンHMVへ。おれはイエスの『究極』を買うんだ。
バンプ、ミスチル、安藤裕子、・・・あと、こいちゃん買ったの何だっけ。ああそうだった、サブタレニアン・ベイビー・ブルース
『奥田民生・カバーズ』『ユニコーン・トリビュート』は買いたかったにせよ。あとで吉井和哉のトラックだけ借りて焼くことにしよう。

それにしても、HMVには凶悪な音盤ばかりである。
とりわけ山崎まさよしが和洋2枚に分けたカバー集なんてのが、けなげな中高生の耳を破壊する地雷のように置かれている。
選曲もひどいものだが、それぞれ本人が板前とシェフの格好をしたジャケだけで、音楽へのこころざしの低さ、おげれつなあさましさ、音楽のかみさまへのぼうとくぐあいがわかる。CD屋の情報によると河村隆一も同趣向のCD2枚をリリースする予定だという。ううう、人類は進化しねー。

しかし、うまくもないファミレスに行ってイオンでCDを買うなんて、もっとおいしいレストランに行ってディスクユニオンのあやしい希少CDをあさりに子どもたちを連れまわす父親になりたいのだ、わたしは。

こないだ長女と、また倉敷のヤングイン倉敷(建物の「若者の宿」という文字!)に行って写真を撮りたい!とグーをしながらめしくった。70年代が真空パックされて保存されている雰囲気なのだ。


2007年10月20日(土) 今年のベストテンの1位は、すまんのう、音速ラインの「週末旅行」



「くるみ」

すすもう、きみのいないみちのうえ。

くるみは「来る未来」だなんて他愛のない会話をしていた数年前、の、ケータイを手にしていた午前1時過ぎのあの場所は、その後火災全焼で3人が亡くなることがあり、思えばその3年前に現金輸送の研修をしていた頃に「隊長、ぼくはこの場所を通るルートの勤務にはつきたくありません」と訴えていたくらいのおかんのはしる場所だったことを後から思い出していた、そんないくつもの記憶がつながることもあるけれど。

いまこれ書いてるのは11月1日なんだけどさ、って、日付け違ってたら日記の意味ないじゃん、なんて、だいたいでいいの!たまってるネタをアップすればすぐに日付は追いつくの!

今年のベストテンの1位は、すまんのう、音速ラインの「週末旅行」
(どうしてあやまっているの?)

でも、このYou Tubeをみると、どうしてもWTCに旅客機で突入した911を連想してしまう。どことなく、この「週末旅行」の歌詞が、アッラーの神さまを「きみ」とみたてたテロリストの心境に聴けてしまう、「きみとふたりおもいっきり飛び込もう!」と。
You Tubeで911を検索すると、炎上するWTCに悪魔の姿がたくさん見えるという指摘の映像や、旅客機が突入していない無傷のビルが突如倒壊している映像とかがあります。


2007年10月19日(金) おかずのごはん



次男のCDRで聴いていたラドウィンプスの名盤『おかずのごはん』。

まさにバンプ、アジカン以降に、出てくるべくして出てきた天才だ。
いやーこの音楽に気づかないで無駄に年とるところだったぜベイビー、さんきゅーこいちゃん。


2007年10月18日(木) シフのシューマン・コンサート



ここ数年はメグミルクとネスレコーヒーが定番。

アリス・コルトレーンの夫の死後に精神世界を継承するようにのめり込んで作成したモナスティック・トリオ、とか
クメールの宮廷音楽、とか
ロクリアン正岡作品集、とか、聴いていました。
ペルトのクレドが収録されているという理由で聴いたエレーヌ・グリモーのグラモフォン盤も。
このピアニズムを受信する感受性をおれは持っていなかった、というか、思いっきりハイな気分でてんぱっていたらもしかしたらこのピアニズムに感応できるかもしれないけれど、なんかため息がでてしまいます。
ブラッド・メルドーのサントラ作品『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』(2001)、ポールの「シンガロング・ジャンク」なんて期待値高めの選曲も想定内に収まったゆるゆる感でいまひとつ元気になれませんでした。
三善晃の信奉者をミヨシストというらしいのですが、友だちがこのミヨシストは美人だと>、でもこのジャケCDって、おれのジャケ音盤鑑定名人としての立場からすると、買えないなあ、どう?どうなの。

そんな中で、そんな中だからこそ、かな。
シフのシューマン・コンサート。これはほんとにすばらしい!そっかー、アイヒャーの視ている音楽はこういうところにあるんだな、と、思いました。シフという評価の定まった大御所でも、新しいレーベルでプロデューサーとこころをあわせて制作するとこれだけ新鮮で生きているピアノを弾けるんだという、そんなところでしょうか。
2枚組の冒頭に持ってきたシューマンの「フモレスケ」!これはもう大音量再生指定です。



というわけで高橋悠治とアンドラーシュ・シフを聴く夜長ということにしました。


2007年10月17日(水) マシュー・シップ・トリオの『ピアノ・ヴォルテックス』



マシュー・シップの『ピアノ・ヴォルテックス』、サースティ・イヤー・レーベルのブルー・シリーズの新譜だ。
この2ヶ月、聴いてきたのだけど。
マシュー・シップが『Nu Bop』以降に、ピアノ・ソロ、ピアノ・トリオに回帰する意味がよくわからない。「まいどお騒がせいたしやす」と新たに名刺を切っているのでもいいけどさ。指遣いは、迷っているよな・・・。どうしたいんだ、あんた。手当たり次第な気持ちもわからぬでもない夜長のピアノトリオかな。同じ仕様でライブ盤にすればよかったと思う。聴衆のオーラがひゅうと音楽に生気を与えると思うのです。

本作、ディスク・ユニオンから国内盤になっていて、解説の前泊正人さんがマシュー・シップとジョーモリスのハットロジー『Thesis』(1997)に言及していて、たしかにこのデュオはすばらしいものだった。




ブルーシリーズが果たした新しい態度について考えてみると、ふと、マシュー・シップとギレルモ・E・ブラウン(タイコ)は仲たがいでもしたのだろうか?このふたりがキーになるだろうと読んでいたわたしとしては、どうも次なる一手が見えてこないので、心配になったりするのだ。マシュー・シップにピアニストとしては、わたし、何も望んでないです。わかりますよね。

ジョー・モリスにしても、ウィット・ディッキーにしても、彼らの演奏歴からして、お付き合い、で、弾いていてはいけないと思いますねん。

でもまあ、ジャズのマーケットにおけるカタログ的な戦略ではあるのでしょうね。


2007年10月16日(火) 溝口健二監督 『お遊さま』 大映1951



歌舞伎座前の辨松のおかずで夜食。

溝口健二(どうしょうもない野郎みたいね>)監督 1951年大映作品
『お遊さま』 
ストーリーについては・・・たいへんだなあ、この若旦那はあほうやなあ、と、思うばかりなのですが、
早坂文雄の音楽、そして、和楽の演奏のすばらしさ、を、しばし堪能せり。
昭和26年に生きていた人物たちの風景がいちばん価値ありなのかもしれません。


中国や香港の株式バブル状況が、アメリカのサブプライム問題(これは実は世界的な金融問題だけど)を起点とするブラックマンデー化を回避しつつあるようです。国家予算を越えた規模で巨大な資金が市場を動き回ることに拍車がかかっているここ10年、日本の郵便貯金や年金が市場にお膳立てされているのもシナリオどおりで、数ヶ月単位で世界史的な高速化が進行しているように感じられて仕方ありません。

というわけで、けいまくん、大学では経済学部に進んだほうがノーベル賞とりやすいですよ。


2007年10月15日(月) 11がつ21にち三善晃『レクイエム』CD発売。



あれ?このジャケ、だれの手によるものでしたっけ?

ミュージック・ステーションのタモリのよこのアナウンサーのおねえさんを見ると、ついおざけんを想うのはぼくだけなのでしょうか。
年上の女性は金(かね)のわらじを履いてでも探すべきだ、ということわざがある。
そんなことはさておいて、

現代音楽のリスナーにではなく、おざけんやミスチル、アジカン、スピッツ、小谷美紗子、それにマイ・ブラディ・ヴァレンタイン、ジョー・マネリ、や、あがた森魚、ミシェル・ドネダ、ポール・モチアン、カート・ローゼンウインクルやブラッド・メルドー、じゃがたら、広沢虎造、ドン・チェリー、スティブ・ティベッツ、デヴィッド・シルヴィアン、ムーンドック、林栄一、アルバート・アイラー・・・あと50くらいある、けど、・・・の、リスナーにこそ、聴かれなければならない音楽が三善晃の生きている響きです。それも、ライブで聴いてください。できるだけ早く。

ロバート・ジョンソンとかバッハとかチャーリー・パーカーとか、21世紀をこえてすべての音楽の参照点になる音楽の神さまに相当するものだと思います。

80年代に自らWhy Notレーベルを立ち上げて、エアー(ヘンリー・スレッギルが組んだトリオ)を筆頭に現代ジャズシーンのドキュメントを挑んだ、その意味で世界に先行していたと言える音楽評論家・悠雅彦さん、「ただくんは三善晃を聴くのか!」と驚かれたとも伝えきくところでありますが、とうぜんでございます、そんじょそこらのECMオタクと同列に思われてはこまりまする、

三善晃作品を聴くことのできる公演はここにまとめてあります>

11がつ21にち三善晃『レクイエム』CD発売。
以下はCDについての詳細データです。

外山雄三・日本フィル・日本プロ合唱団連合による「レクイエム」白熱のライブ、待望の初CD化。
勝井三雄によるオリジナルLPジャケット・デザイン使用。 (11/21)VZCC-1007  税込定価2,000円
発売元:日本伝統文化振興財団

三善 晃 Akira Miyoshi

「レクイエム」
Requiem (1971)
テキスト=[I]上野壮夫、三好十郎、秋山 清、中野重治 [II]金子光晴、信本広
夫 二飛曹、林 市造 海軍少尉、上西徳英 一飛曹、松永篤雄 二飛曹、小薬 武 飛曹
長、石垣りん [III]黒田喜夫、田中予始子、宗 左近
[1] I  [2] II  [3] III
外山雄三(指揮)・日本フィルハーモニー交響楽団・日本プロ合唱団連合
田中信昭(合唱指揮)・増田順平(合唱指揮協力)
録音:1977年3月10日 東京文化会館 日本プロ合唱団連合第7回定期演奏会 実況録音
初出盤:(LP) SJX-1085 (1977年7月25日発売)
★初CD化

[4]
混声六部合唱、尺八、打楽器、十七絃のための
「変化嘆詠(へんげたんえい)」 ―― 「一休諸国物語図絵」より
Hengetanei (1975)
テキスト=作者不詳
田中信昭(指揮)・東京混声合唱団
北原篁山(尺八)・高畑美登子(十七絃)・百瀬和紀(打楽器)・堅田喜三久(鼓)
録音:1976年2月19日 ビクター第1スタジオ
初出盤:(LP) SJX-1085 (1977年7月25日発売)
★新マスタリング

混声合唱組曲「四季に」
For Four Seasons (1966)
詩=福田万里子
[5] 1. 秋  [6] 2. 冬  [7] 3. 春  [8] 4. 夏
田中信昭(指揮)・東京混声合唱団
録音:1970年6月30日 ビクター第1スタジオ
初出盤:(3 LP BOX) VX-5 - 7 『三善晃の音楽』[昭和45年度芸術祭優秀賞受賞]
(1970年11月5日発売)
★初CD化

「ピアノ・ソナタ」
Sonate pour Piano (1958)
[9] I. Allegro  [10] II. Andante  [11] III. Presto
田原富子(ピアノ)
デジタル録音:1989年6月27-28日 入間市民ホール
初出盤:(CD) VDC-1415 『現代日本ピアノ名曲選/田原富子』(1989年11月21日発売)

<ライナーノーツ>
三善 晃「生者と向き会うとき」(新原稿)
三善 晃「弧の墜つるところ」(1985年)
[自作品について]
「生者の裡に」(1972/77年)
「生者として」(1977年・LP盤解説原稿)
「生の途切れに」(1975年)
「四季に」(1974年)
「ピアノ・ソナタ」(1973/77年)

遠山一行「三善 晃のレクィエム」
(1977年・LP盤解説原稿)

●特別掲載
中島健蔵「動機と期待 ―『レクイエム』の衝撃―」(抄)
(1972/74年)

全4曲とも、オリジナル・マスターテープから最新リマスタリング


2007年10月14日(日) ミスチルの新曲「旅立ちの唄」



深夜の京葉道路。
ロッド・スチュワートの「マギー・メイ」、カーペンターズの「スーパースター」、ジェームス・テイラーの「君の友達」、クリスタル・キングの「大都会」
などをラジオで聴く。
ラジオの場合、揺れる受信波とともにつぶれた音質で聴くことが重要。
洋楽の3曲は、1971年のヒット曲。
銀座の風景は。新宿の風景は。高円寺の風景は。
ジャズのラジオ番組でジャレットの「フェイシング・ユー」が紹介されていたり。

クリスタル・キングの「大都会」のイントロには、マイク・オールドフィールドのチューブラベルズ(エクソシストのテーマ)が反響している説をとなえるぞ!、なんてツッコミたくもなり。おれが東京に出て来て新聞配達をしていた日々にシングル盤買って聴いてたものだから、その頃のアパートの押し入れのカビくささまでがよみがえってきて、まいってしまった。

おいこいちゃん。
「ミスチルの新曲ききましたか? けっこうなもんですよね、流石はミスチル。。 上の下くらい良い。」
このコメント、おれの友だちにえらくウケてたよ。上の下くらい良い、って、どんなのよ。上の中とか、上の上とか、は?

ミスチルの新曲「旅立ちの唄」
この曲、の、簡潔そうな複雑さ、軽そうな重さ。
誰かと別れなければならないとき、卒業式とか部署異動とかじゃなくて、相手のことを思って、離れたほうがいいと思って、好きだけどひとりで歩き出すって決めたとき、相手が死んでしまったとき、とか。


2007年10月13日(土) 高橋悠治の『solo』を聴く。



高橋悠治の『solo』を聴く。
彼のゴルトベルクを聴いた年にも感じたことだけど、生きているピアノの音というのは、こういうものだったと思わされる。ぼくのことばで言えば、譜面の歩き方、ということなんだけど。
モーツァルト、戸島美喜夫、高橋悠治、ガルッピ、ショパン。

モーツァルト、シェルシ、ペルト、ベルチ、ブゾーニを並べたヴェルナー・ベルチの1988年のECM作品を、ふと思う。
『W.A. Mozart/ G. Scelsi/ A. Pärt/F. Busoni/ W. Bärtschi / Werner Bärtschi』(ECM1377)



高橋悠治自身のライナー、これがものすごく聴く参考になる。

そして、そのライナーはこう結ばれている。

「こうして輪舞が一巡してみると、これらのヨーロッパ音楽は、じつは東方と境を接していて、響の彼方に、サラセン文化であれ、ペルシャの細密画であれ、見えない東方が影を落としているのを感じる。あるいは、古典の地位に押し上げられたこれらの音楽は、じつは周辺から生まれたものだったかもしれない。」

ヨーロッパ、東方を経由して、日本、という響きのラインを想像してみる。まだ、聴こえないけど。



高橋悠治の即興的なトラックを収めたCDがついている絵本『けろけろころろ』。高橋悠治はジャズを絶対的に避けて歩んでいるのだ。歩んできたのだ。


2007年10月12日(金)



ぜんぜん撮れてないケータイ写真。

おれが書いてたフォームはゼーバルトが先行した作家だったわけだけど、藤枝静男と泉鏡花、吉田秀和、吉増剛造、植草甚一、清水俊彦、福島恵一にあこがれた文体、ジジェクみたいなものいい、そのほか、で、ここ数年、ずっと夕暮れの月をきちんと撮ってみたいと思っていて、毎晩のそれが必要。きよちゃんの昨年描いた国宝ものの日本地図は最初のほうにレイアウトされるな。


2007年10月11日(木) 『女教皇ヨハンナ』(草思社)



22日。
ダイクマで洗剤を買ってポイントカード995ポイント。ライフでめんつゆと缶コーヒーで3ポイント。ライフの屋上駐車場に出たときの午後4時19分の空は芸術だった。美術館で絵画をじっくりながめるように見上げていたら、クラクションならされた。事故ってしね、ばばあ!

女教皇ヨハンナを小説化した『女教皇ヨハンナ』(草思社)を読む。
冒頭の助産婦ばあさんの独白がいちばん面白い。中世ってこんな感じだったんだろうなあ。現代と大差ないじゃん。



ECMレーベルが95年にリリースした重要作マトゥカ・ヨアンナのヨハンナと同一テーマなの、か、どうか、が、わからん。たしかポーランドの映画にインスパイアされた作品だったよね。スタンコのペットは、ほんと、いいですねえ・・・。
『Matka Joanna / Tomasz Stanko Quartet』(ECM1544)
Tomasz Stanko trumpet  Bobo Stenson piano  Anders Jormin bass  Tony Oxley drums


2007年10月10日(水) ソプラノ・サックス / スティーブ・レイシー




レイシーがエリントン研究からセシル・テイラーと出会ったころにプレスティッジに吹き込んだ初リーダー作。じつわおれ、レイシー作品は40作以上耳にしているが、これは聴いたことなかったの。はずかし。
ピアノはウイントン・ケリー。
レイシーは最初っからレイシーの音色を持っている。・・・シドニー・ベシェの後継者、と、言われていたレイシー、わかるわかる。・・・で、そのシドニー・ベシェこそはブルー・ノートの恩人であり(売れることで財政的に支えた)、その音楽の存在は母のようではなかったか。・・・進歩主義的ジャズファンは、レイシーをだしにベシェを賞賛してはいる。・・・芸能の本質、というか、レイシーの、若き日の、ボビー・ギレスピー然としたいでたち、と。・・・。
レイシーは、今日はどうでもいいの。ウイントン・ケリーのピアノばっかり聴いているのよ。
2曲目「Alone Together」、の、ケリーのバッキング、最小限の音で高音で遊ぶ2分30秒すぎあたり。寡黙な美少女の告白みたいに素敵だわ。


2007年10月09日(火)



18日。

品川の長女が、目黒区の都立大学駅にある八雲中央図書館から借りた本を返すから連れてってというので、品川区中央図書館にゼーバルトを返しに行ってから午後6時半に迎えに行く。

環七を下るBGMはアート・ペッパーの『モダン・アート』。いろおとこはこのようにバラッドで羞恥と男気を香り立たせる、アート・ペッパーは自分の魅せかたを心得ていた。ちいさいおとこじゃ。

池上温泉は8のつく日が休みだと、いつも買い出しの日程を決めるのに確認していたのに、うかつであった。池上温泉の駐車場までやってきて、「あー、休みだー。あ、今日は18にちだったー。」と気づく。
ちょっとはなれているけど雪ヶ谷にある銭湯へ。

ここが学研の本社だよ。

あがた森魚の「雪ヶ谷日記」を想う。

そのあと、小金井のアパートはもう取り壊されてしまって何もなくなっているのかを確かめに、ドライブ。
まだ取り壊されてなくて、新しい住人が住みはじめていたので、当分あるのかもしれない。


2007年10月08日(月) アファナシエフのベートーベン



小学生んとき、クラシック名曲を毎月届けられる教材みたいなもんがあって、母親に聴かされたおかげで、
運命の第4楽章を丸暗記して下校時に、ピアノ習ってる友だちと「だだだー、だだだだだー」と歌って帰ってきたおれです。
でもおれ、ベートーベン嫌いだし。
シューベルトやブラームスを弾くアファナシエフ。は、好き。テンポとタッチがグールド以来に天才的。
いつだかは展覧会の絵というだけでだめだったなー。

で、アファナシエフのベートーベンピアノ協奏曲3番と5番「エンペラー」。本人のやりたい狙いはよくわかるし、ずっと聴き続けられる魅力にあふれた作品ではある。そもそもクラシック聴きではないおれだけど、アファナシエフのこの演奏にはどの瞬間にも速度やタッチの落差によるメッセージがあるので、オーケストラがどう対応するかが成否を分けると思うんだけど、この場合指揮者なんだろうな、アファナシエフに合わせているだけでコミュニケーションとってないだろ、冒険してないだろ。いやー、でもアファナシエフのピアノはいいねー、本人がいちばんうれしそうだよ。

皇帝を聴くと、1学年上の6年生が生徒会長に立候補して立会演説会で演説がおわった後の得意げな表情を思い出すんだなー。だいたいどこでも小学生のときに生徒会長だったやつって、さえない人生を送っていたりする。そじゃね?そいえばさ、高校のときの生徒会長がおれのアパートまでやってきて創価学会の勧誘をするから「わかった、話はきいてやるから、マージャンしね?」とふた晩囲んだら8千円くらい負けただけで来なくなってしまったし。実直なだけで下手なんだよな。身を落とした生徒会長だったなあ。アファナシエフ、いかにも純チャン三色めいた捨て牌しときながらドラの四ピン単騎ツモのみ、みたいなトリッキーな麻雀打ちそうだよな。「人生においてロマンチシズムは重要なんだ」とか言いながら。

アファナシエフ、ピアノ・ソロを弾いてみ?


2007年10月07日(日) 阿部薫みたいなクソガキ







あがた森魚のシングル「アカシアの雨がやむとき」79年6月9日録音というのもあった。
(こんな記事あったんだ>
副題の「亡きAに捧げるタンゴアカシアーノ」の“A”とは阿部薫のこと。78年9月9日死去。

おいけいま。
大学に行ってアルトをやるのなら、ポール・デズモンドを参照点に置くプレイが21世紀的であることをおぼえておくように。
サックスはブロウではない。速度(チャーリー・パーカー)と音色(デズモンド)、トーン(マーク・ターナー)に未来がある。
コルトレーン、ドルフィー、アイラー、というラインは、違うところに行ってしまうので、ねえ・・・。
世界には知られていないけど、日本には林栄一の『音の粒』という国宝もののアルト・サックス・ソロがある。今度聴かせる。

阿部薫みたいなクソガキにはなってほしくない。そもそも、ああいうふうに吹けるやつはいないし、立つ状況もない。

75年の1月だったと思うが、西荻窪の「アケタの店」にトリオかカルテットで出演した時のことである。阿部は演奏の大半をピアノに費やした。そして演奏が始まって1時間位のところで、阿部はポケットに隠し持っていたペンチでグランド・ピアノの弦を切断し始めた。マスターの「やめてくれ!」の言葉とともに演奏を終了せざるを得なかった。「僕がピアノを演奏する時は弦が必ず切れて困るんだが、今日はなかなか切れなかった・・・」これが演奏内容に関しての僕への答えであった。友人としてもミュージシャンとしても愛想が尽きたのはこの時であった。
(大場周治さんのテキスト)

音楽がすばらしければ、おれはほかはどうでもいいと思うんですが、阿部薫のサックスにはこういったエピソードも内包しているところがあって、音楽ってこええなあと思う。

阿部薫『暗い日曜日』を聴くと、つい納豆をかき混ぜるおはしの速度が上がったり、自転車をこぐちからが出たり、同僚への言いにくい指示も出せたり、は、するんですが、「これはすばらしい音楽だ」と青空にむかって祈るような気持ちにはならないです。


2007年10月06日(土) ジャレットの『アップ・フォー・イット〜ライブ・イン・フランス』




ジャレットの『アップ・フォー・イット〜ライブ・イン・フランス』。

1曲目のイントロ、55秒ほどのところまで。ピアニストの意図した抜群の効果が決まっている。花火職人ジャレットは、どの曲も、予め仕掛けの概要はプログラムしてあって、その場で瞬間的にアレンジを施すだけなのだ。このフランスでの公演は天候に恵まれず、直前にピーコックは「やらない」と沈黙をはさんで明確に言ったのに、ジャレットは自分も関節炎だと言いながら「ぼくたちには音楽という治療が必要なのだ」と思ったという。4曲目ピーコックはソロをうながされて黙ってしまっていたのがわかる。ジャレットはライナーで「ぼくらの国アメリカは今にもイラクと戦争をし始めようとしている」と珍しく時事的なことを嘆いているけど、自分はどうなのよ。「枯葉」から展開したタイトル曲、うまくいった思いつきはラテン的で、フランスの聴衆と共犯したのだろう。

と、まとめてみた。5曲目なんか冒頭ピーコックのご機嫌取り狙いだったのは明白だし。タイトル曲、単にラテン的に踊ってみせただけで、タイトルにするほどのものだろうか。ピーコックこのとき67さい。ジャレット56さい。・・・。

おれさー、33才でアイラーのスピリチュアル・ユニティ(1964年)を弾いたピーコックが、今だってプーさん+モチアンがいるのに、それに他にももっと有意義な時間の過ごし方があるだろうに、と、思う。もっかい京都に来て禅の修行してベースソロでも録音してほしいものです。

ピーコック〜ジャレット〜デジョネットは『テイルズ・オブ・アナザー』とスタンダーズの最初のセッション(3枚の作品になった)だけでいいと思う。
あと、『スティル・ライブ』だけ、ライブ盤としてあっていいけど。
ジャレットは、ほんとうにいつまで保護者同伴の学芸会をしているつもりなんだろう。音楽の神さまに許されないとジャレット自身がいちばんよくわかっていることだと思う。


2007年10月05日(金) アルトをやるのならパーカーの映像、見とき



約束は果たされない、のが、ロヴァ耳のテーゼなのか。
行く道はのぼりみち。途中で舗装がなくなって砂利みちになってやがて行き止まりにならないと気がすまないの?

「musicircus 2006年に聴いた10枚」

あとの7枚。ラインナップは決まっているの。6枚までは。
ミスチルの「箒星」「しるし」
サザンオールスターズの「Dirty Old Man」
原由子の「いちょう並木のセレナーデ」
プリンスの『3121』
チャーリー・パーカー『Complete Recordings of Charlie Parker with Lennie Tristano』、おれが名文を奉じておるぞよ>

おいけいま、アルトをやるのならパーカーの映像、見とき。

ちょっとだけ話すパーカー、だけど、センスいいのすぐわかる。演奏は、ソロに入ったらすぐに息がつまるよ。


こっちの映像は、笑うっきゃない、速度のパーカー。こやって指を痙攣さすようにして、あの速度を表現できていたんですねー。いやー。


2007年10月04日(木) ここに、三善晃作品を耳にすることのできる公演がまとまっています



三善晃さんがインタビューにこたえて。

Q2 子どものための作品を作られる際、子どものどのような部分を育みたいと考えていらっしゃいますか。
A2 驚き、目を見張り、嬉しがり、泣きべそかき、得意がり、しょげる能力。そんな、予定調和しない、規則に囚われない、自由な想像力。



わたしは密教の徒であり、また同時にミヨシストであり、そんなことは言わないでもいいとは思っているのですが。
ここに、三善晃作品を耳にすることのできる公演がまとまっています。>

ミュージックマガジンで「ペット・サウンズ」が20世紀を代表する作品として挙げられる時代になった。
20世紀というか、ポピュラーミュージックとして、ですね。
状況の確実な変化であり、音楽を受信することへの相互理解は進んでいる。

三善晃の音楽は、ぼくはもっと子どもたちの耳に届かせてあげたいと思ったりする。
ディズニーの魔法使いがキラキラした光をふりまくけれど、この世界にはほんとうにそのような音楽があるということを彼らこそは理解すると思う。



これまで自分で作成した編集CDRが次々と聴きづらくなってしまっている現象に、再生装置の問題だろうと思っていたけど、CDRという製品自体の寿命は案外と短いみたいですね。
CD自体も20年が寿命だろう、と、きいたことがあるけど。
なんかそれって、すかーんと喪失した感じ。
見知らぬ土地で、空は晴れてて、遠くまで見通せて、風が吹いているだけの光景。
とか?
とか。



編集CD-R  sumita’s selection  2005.11.29

DISC−1 【 太陽と土と水を 】
1 M・S・スブラクシュミ/偉大なるガナバティ 「ライブ・アット・カーネギー・ホール」より
2 堀込高樹/絶交  「Home Ground」より
3 さがゆきwith渋谷毅/一人ぼっちの二人  作曲・中村八大 
4 さがゆきwith大友良英etc/太陽と土と水を  作曲・中村八大 
5 さがゆきwith渋谷毅/遠くへ行きたい  作曲・中村八大
6 さがゆきwith大友良英etc/宇宙へとびこめ  作曲・中村八大
7 さがゆきwith大友良英etc/生きているということは  作曲・中村八大
8 さがゆきwith渋谷毅/目を閉じて  作曲・中村八大
  ※以上「see you in a dream」より
9 スコーチ・トリオ/角のような 「ルッグムト」より ※ドラムスはポール・ニルセン・ラブ
10 堀込高樹/冬来たりなば 「Home Ground」より

DISC−2 【 どこかで 】
1 由紀さおり/夜明けのスキャット 作曲・いずみたく 編曲・渋谷毅
2 フォー・セインツ/希望  作曲・いずみたく 編曲・渋谷毅
3 由紀さおり/天使のスキャット  作曲・いずみたく 編曲・渋谷毅
4 坂本九/見上げてごらん夜の星を  作曲・いずみたく 編曲・渋谷毅
5 ロバート・ワイアット/リトル・レッド・ライディング・フッド・ヒット・ザ・ロード
6 ロバート・ワイアット/アイム・ア・ビリーヴァー
  ※以上 「1974年9月8日 日曜日 ドゥルーリィ・レイン劇場のロバート・ワイアット」より
7 コーラス/ワ・ワ・ワ・輪が三つ  作曲・三木鶏郎
8 三木鶏郎合唱団/明るいナショナル 作曲・三木鶏郎
9 千秋恵子/ポポンの歌  作曲・三木鶏郎
10 ダーク・ダックス/キリン・キリン  作曲・三木鶏郎
11 楠トシ江/マルキン自転車の歌  作曲・三木鶏郎
12 伴くみ子/ルルの歌  作曲・三木鶏郎
13 デューク・エイセス/グリコ・アーモンドチョコレートの歌  作曲・三木鶏郎
14 スリーグレイセス/キリンレモン  作曲・三木鶏郎
15 楠トシ江/船橋ヘルスセンター  作曲・三木鶏郎
16 弘田三枝子/アスパラで生き抜こう  作曲・三木鶏郎
   ※以上 CMソング
17 デューク・エイセス/鉄人28号  作曲・三木鶏郎
18 梅木マリ&フォー・コインズ/トムとジェリー  作曲・三木鶏郎
19 中山千夏/宇宙へとびこめ  作・編曲 中村八大
20 堺正章/なんでなんで  作・編曲 中村八大
21 北島三郎/帰ろかな  作・編曲 中村八大
22 坂本九/上を向いて歩こう  作・編曲 中村八大
23 さがゆきwith大友良英etc/どこかで  作曲・中村八大 
24 中村八大クインテット/夢であいましょう  作・編曲 中村八大


2007年10月03日(水) 編集CDR 29th「平成ペシミズム」・・・9月19日作



ここ数日あたらしいセクションでの仕事でばたばた、音楽聴けてないです。

師匠、お元気でしょうか。

TV番組「オーラの泉」で、ジョン・アンダーソンとヴァンゲリスの旋律が流れる。あれ?この曲、なんだっけ?

TVCMで、松田聖子の「青い珊瑚礁」のイントロがかかって、なぜに郷ひろみが替え歌して歌い始めるのか。
ちなみにわたしにとって、美空ひばりと松田聖子は同格であり、日本の歴史的歌手なのです。

こないだ長男にもらった編集CDR曲順。次男も受験勉強はいいから、作れよ。
いつも同乗してて私が推薦する曲をかけてもその音楽をさえぎるようにどうでもいい話しかしない同僚が、「あ、竹内まりやですね!いいですねー、やっぱり。」と音楽の話をし始める・・・おまえ、おれにケンカうってんのか!とはチビチンのわたしは言えなくて、「あー、息子が作ってくれたんですよ。」と言うものである・・・「たださんの趣味に似なくてよかったですねー」、て、そこまで言うか。

くるりとSalyuが共演した曲の存在にびっくり。いやー、いいですねー。

編集CDR 29th「平成ペシミズム」・・・9月19日作
01、キャンディード序曲/東京佼成ウィンドオーケストラ
02、春 ~spring~/Hysteric Blue
03、Every Little Thing Every Precious Thing/LINDBERG
04、Twinkle Star/HALCALI
05、君が好き/Mr.Children
06、There will be love there~愛のある場所~/the brilliant green
07、キラーチューン/東京事変
08、明日のない恋/竹内まりや
09、かけがえのないもの/ZARD
10、みんなひとり/竹内まりや
11、Pieces/L'Arc~en~Ciel
12、Be My Last/宇多田ヒカル
13、シュレッダー/吉井和哉
14、WIEN 5/くるり feat Salyu
15、元気を出して/竹内まりや
16、everyhome/鬼束ちひろ


2007年10月02日(火)



本の感想。

『知に働けば蔵が建つ』 内田樹
>「宿命とは何か」の、既視感こそは宿命のしるし(徴)、に、うっとり。

『ジャズでめぐるニューヨーク』 常盤武彦
>と、とうとう杉山和紀さんのお姿を拝むことができました。そっかー!杉山さんもロフトジャズでエアーにやられていたのか。悠さんと一緒だ。おれも一緒だ。ぎゅっと手をにぎってガッツポーズ。ジャズはわたしたちのものだ。注:「わたしたち」にはすでに杉山さん、悠さん、清水さんが含まれているのだ。

『メディアと無意識 「夢語り」の場の研究』 新宮一成編著
>ううむ。なんで他人の夢はこうも面白くないんだ、おれの夢にくらべて。

『天皇と東大 大日本帝国の生と死 (上)』 立花隆
>岸信介の顔を見て渋谷陽一を連想しハードロックを講釈したくなるのはわたしだけでしょうか。麻生太郎て、大久保利通のひひ孫、牧野伸顕のひ孫にあたるんだ。

『吉田秀和全集3 二十世紀の音楽』
>ヴァレーズがドビュッシーのコンサートには聴きに来る(個人的につきあいがあったようだ)、「これがわたしの愛する音楽だ」と示したのはベルクの『抒情組曲』とモンテヴェルディのマドリガル集のレコードだった、とか、うれしい。

『人物アメリカ史 (下)』
>シカゴの貧民窟で闘った女性運動家ジェーン・アダムズ、を、知る。あと、マーティン・ルーサー・キングの有名な「I Have a Dream」の演説、ECM1番のマル・ウォルドロン『フリー・アット・ラスト』はこの演説からタイトルが取られてるんだけど、そ、そんなミーハーなタイトルのつけかたってどーなのよ。

『賢い患者学 ガンは「食べて治す」』 関根進・鈴木博子 (ぴいぷる社)
>図書館でこの本に小さな桃色の付箋が挟まってて、丹田に力を入れて肺の隅々まで息を吸い込むという「正心調息法」、毎日25回繰り返す、ことで、ガンをなおす、と。ガンは「突発性の老化」である、と。宇宙の無限のちからが満ちた、と、いうふうに腹式呼吸をする、って、2年前に高野山で体験してきた「阿字観瞑想」じゃない?

二葉あき子の「フランチェスカの鐘」をラジオで聴いてシビれる。瞬殺されて恍惚とする。あー、このCD、ほしー。

同僚がラジオでフォークっぽい曲を聴いて感動したと言っていて、歌詞の一部から「それって、ハナレグミの「家族の風景」だよ」と、おれが教えてあげたのに、「たださんもわけわかんない音楽ばかり聴いてないで、さ、ハナレグミを聴くべきだよ!」と言う。あのなー!とっくに聴いてるよ!、聴いているから教えてあげられたんだろ!と、言いたかったけど、「はは、はーい」と、こたえるだけの小心者なわたしです。


2007年10月01日(月) すみだトリフォニーホール大ホール11月11日、合唱団響、三善晃『変化嘆詠』



ラヴェルの『マ・メール・ロア』の最終楽章「妖精の園」のお仕舞いの数秒の響き、に、三善晃を幻視するわたしです。

「三善晃、『変化嘆詠』は1975年の意欲作。古寺に夜毎現れる三体の変化(ばけもの)の嘆きを一休が弔うという物語。謡いの拍節を思わせる合唱の静の持続はやがて邦楽器を伴い狂乱へと進む。」

そ、そんな曲があるのか!日本中どこへだって三善晃のこういう作品は観に行くんだ!おいらは。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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