日記...マママ

 

 

夢、「アヴァロン」 - 2008年09月29日(月)

小6の担任が夢に出てきた。
教壇に立って、わたしたちを見ている。

「君たちに送る言葉があります」

って、どうやら今日は卒業の日らしい。

一字一句は覚えていないが

「自分が『ほんとの自分』だと思っている自分は嘘だらけだ。」

とかそういうことを言い始めて、小6にこれを言うのか、と一歩引いた視点で夢を見ているわたしはどうにも釈然としない気持ちになった。

続けて担任は、たとえ話として

「レッチリが昔「アヴァロン」という意味不明のことばを打ち出した。
 これは時代を象徴するキャッチフレーズとなり、多くの人が思い思いにこのことばを解釈して楽しんだ。」

と話した。
なんだそりゃ。

話が終わり、担任は生徒たちに感想を求めた。
わたしは言葉に詰まりながらも

「固定観念を持つな、常に新しい自分を求めろ、ということだと思いました。」

というようなことを述べた。

その後、帰路に就いたわたしは、同伴していた父母に

「嘘だらけって言うけどさ、そもそも『ほんと』なんてひとつもないよね。」

ということを言った。
母がそれに同意し、自身の体験を語り始めたが、それはわたしのことばとはまったく関係のない内容だった(姪っ子の家庭教師は割がいいとか、そういう話)。

父が暴走する母を見て一言

「前から思ってたんだけど、お母さんはね、規則にうるさい。」

と困り果てたようにつぶやいた。
それも意味がわからない。


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「あたし彼女」感想、運動会のダンスと組み体操 - 2008年09月28日(日)

「おもしろかった」とは書いたけどそれは少女マンガを読んだ後に感じるおもしろさであって、「小説」と言っても他に言いようがないからそう呼んでいるだけであって一般的な「小説」の概念からはやはりほど遠い、とは言わざるを得ないよね。


教え子の小学校に運動会を観に行った。
見つけて声をかけると、どの子も驚きと戸惑いのあまり固まってしまっていた。わたしの顔は教室の一部として彼らの頭にインプットされているようで、だから教室以外の場所でわたしを見ると激しく混乱するのだろう。

教え子たちの踊りやかけっこは非常に楽しかった。
が、あえてここで書きたいのが6年生のダンスのことである。
うちの教室には、この小学校の6年生はひとりもいない。つまり、ダンスの中に知っている子はひとりもいないわけである。


もうこれが絵に描いたような「6年間の集大成」って感じの発表で、ボンボンを持ったダンスをして、組体操をして、その後はパラパラを踊った。ひとつひとつの動作が鮮やかなほどに機敏だ。神妙な面持ちで粛々とプログラムをこなしてゆく6年生。

自分の中に沸き起こる感情に違和感を抱いたのが組体操を見ていたときで、わたしは気がつけば、もう少しで涙をこぼしてしまうところだったのだ。
こっ恥ずかしさでいっぱいになりながら適当にごまかしたが、一体これはどうしたことか。わたしは彼らと何の関わりもない人間だ。そりゃ「さすがにちゃんとしてて、お兄ちゃんお姉ちゃんだなあ」とは思うが、小さかったころの彼らも知らないし、とにかく今日初めて出会った集団である。ということは、構成員ではなく全体の雰囲気から何かを感じ取っているのだ。自分の小学生のころと重ね合わせているのかしら、とそこまで考えて、ああ、と思い出した。彼らがやっていたような学年全員でのウェーブを、わたしたちもやったんだ。放送の女の子がしきりに「卒業まであと半年」とか、卒業ということばを前面に出したナレーションを入れている。そうか、これは卒業を控えた彼らの集大成なんだ。わたしは、卒業式で泣いたことがない。周りの子が号泣するので雰囲気に同化してみたくて懸命に泣いたふりをしたりしてみたこともあるが、本当に泣いたことはなかった。金八先生は「卒業っていうのは卒業式の日にするもんじゃなくて、その10年後、20年後に教え子がふとしたことで『ああ、あのとき先生が言っていたのはこういうことだったのか』と理解すること、それこそが本当の卒業なんですよ」と言ったらしいが、わたしは最近、本当に最近になってやっと学校を卒業したのではないかと思う。卒業とはひとつの区切り、ひとつの決別であるが、わたしは本当の意味で区切りをつけていたか?そこから新たな段階に進もうとしていたか?つまり、モラトリアムの終焉だ。わたしの中で、モラトリアムは終わっていたか?そうだ。今こうしてやっと、終わりかけている。今やっと、わたしは学生から社会人になろうとしているのだ。卒業おめでとう。あー、わたしは卒業したんだ。そうだ。うれしいんだ。おめでとう。おめでとう。卒業、おめでとう。


シンジ君みたいだね。




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「あたし彼女」感想 - 2008年09月26日(金)

第3回日本ケータイ小説大賞受賞作「あたし彼女」について。

どこかで聞いたことのあるような陳腐なストーリーへの軽蔑と、同時にそれらに心動かされることへの照れと羞恥が、今回のこの作品の周囲にはうずまいている。わたしもその渦中のひとりなわけだけど、それに拘泥して素直にものが言えなくなってしまうことのほうがよほど恥ずかしいことのように思うので、できる限り「ケータイ小説」への先入観とか偏見を取り除いて感想文を書いてみたいと思う。ちなみにこのコンクールの第2回大賞作品は、カンニング竹山がジャージ姿で宣伝していた例の「白いジャージ」だそうだ。どうでもいいけど。


女性のほうはかなりのパープリンであるようなので日本語の乱れはいたしかたないとして、問題は男性視点の文章だ。友人とともにCGプランニングの会社を興し、今はめでたく常務だという。そんな名実ともに一人前の男性が述懐する日本語があそこまでめちゃくちゃだと、さすがに読むほうも反応に困る。あと「やりぃ〜!」「ニャンニャン」で、作者の青春全盛期はおそらくバブル前後だったのだろうということがわかった。

そして一番「それは違うよね」と思ったのは、いろいろ揉め事があって両者の関係が深刻に冷え込んでいた時期に折りしも妊娠が発覚し、しかし過去の中絶経験に加えて現在の状況への不安やストレスから女性は間もなく流産してしまうわけですが、それに対しての後悔や反省が二人して異様に薄いばかりか「赤ちゃんはふたりを仲直りさせてくれるために来てくれたんだね」とか言い出すところ。

いやいやいやいや。
そんな都合で殺されちゃたまりませんよね。赤ちゃんも。

もちろんそれは「流産」ではなく「懐妊」を指して放たれたセリフなのだけど、しかし流産したのがわかった直後にそんなこと言われたら「流産」も込みで言っているようにしか読めない。
赤ちゃんも百歩譲って「ふたりが仲直りしてくれればいいな」ぐらい思っていたにしても、まさかそのために命まで投げ打つことになろうとは想定外だったであろう。本来ならば生まれるはずだった命を自分たちの都合(痴話げんか)で殺してしまってるわけですよ。こいつらは。そしてそれに対して、そこまで罪の意識を持ってないわけです。結果的に流産は不可避だったとしても、とにもかくにも母体を安静にして来たるべき出産に万全の体制で備えようという心積もりがこいつらには微塵もない。それはひとりの大人として、ていうか人間として、決定的にだめなのではないかと思う。


そこが残念だったところで、あとはおもしろかったです。
「みたいな」の多用が鬱陶しいとの感想もいくつか見かけたけど、ケータイ小説というジャンルの特質としてそこは寛大に見るべきと思う。
わたしはとても読みやすかったですよ。
人間らしい生々しい感情の描写がよくできているのと、時間の経過による心境の変化が要所要所にさりげなく織り込まれていたりする(恋人との望まぬ別れを強いられ失意の最中、仕事帰りの車の中で毎日なんとなくかけていたFMにある日ふと耳を傾け「いい曲だな」と思ったりする、というようなくだりが、ありがちでなおかつリアル)ので、次の展開に唐突な印象を受けることもなくすらすらと読み進めることができた。

でもやっぱり、恋人が死んだとか、赤ちゃんをおろしたとか、赤ちゃんが流れたとか、命そのものに関わる出来事はね、幸せを際立たせるためのスパイスとしては辛過ぎると思うんだよ。

本当の命を知らないから、そんなことが書けるんじゃないの?



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スカートとワンピース、20th century boy - 2008年09月24日(水)

10時から外出。
鶴屋とパルコを巡る。ひたすら巡る。すべての階を巡る。
WING館も巡る。ついでにファインビルの1階も巡る。
ニューズも巡る。すべての階を巡る。
そして買ったワンピース、スカート。
満足。大満足。
もう万能。わたし万能選手。なんでもできる。世界征服。

それからタイツとかニットとかこまごましたものを買って、映画を観に行った。20世紀少年。
全体的に漫画の雰囲気がよく出ていた。今後のストーリーの重要局面で回想シーンとなる場面(ケンヂとカンナがふたりで珍宝楼のラーメンを食べているところなど)を選んで映像化している感じだった。
それにしても、見れば見るほどに唐沢寿明劇場だった。告知ポスターで見かけたときは「ケンヂに唐沢寿明じゃスマートすぎだろう」と思ったが、観終わってみれば、確かにケンヂの役は唐沢寿明だよなあ、と思うのだ。唐沢寿明は、本当に勉強熱心な俳優なんだろうと思う。ケンヂの特質を深いところまで理解し、自分のものにしてしまっている。
とりあえず、あの
「ぃいらっしゃいませぇ〜。キンッグマートへ、んようこそぉお〜。」
を聞いただけで映画館で観た価値はあると思った。
トヨエツのオッチョは原作の何倍もかっこよく(原作は眉毛もなく、おじいさんみたいな風貌なのであんまりかっこよくない。強いけど。)、黒木瞳のキリコがカンナを預けに来るシーンの切迫感、それに何と言っても佐々木蔵之介のフクベエだろう。本当によくキモを押さえてあるよ。原作でのあのうすーく弱々しい感じをこれほどリアルに表現しうる人間がいるということにびっくりした。リアルといえば子ども時代のヤン坊、マー坊も「ここまでそっくりな子をよく見つけたものだ」と正直驚いたのであった。ジジババがひっそりと研ナオコだったのにもうけた。とにかく配役の豪華さに加え、漫画の雰囲気を忠実になぞっているのがよかった。音楽も、本当にきちんと原作どおりにT-REXと「ボブ・レノン」を使っていたのには感動した。子役のカンナが超かわいい。ユキジもかわいい。ていうかかわいすぎだろう。そもそも注目すべき点の一つに、彼らは皆「取り立てて特殊な能力があるわけではない、普通の人」だという点がある。と言っても実際はかなり人間離れしたことをやったりしてるけど、まあ一応設定としては「普通の人」なのである。原作の漫画では、メンバーの中にヒーロー然とした美男もいなければ才色兼備のスマートな美女もいない(カンナのぞく)。ケンヂとユキジの唇は、「普通の人」の唇だ。それまで浦澤直樹の漫画で描かれてきた非凡な才能や気質を持つ選ばれし主人公の顔ではない、平凡な脇役の顔なのだ。

映画版がすごいなあと思うのは、大物俳優が揃い踏みの中、この「普通の人」を皆が自然に演じているところだ。漫画版に忠実に作ろうという意識がよほど高くないと、これはできなかっただろうと思う。

カンナ役の子は果たしてこの重鎮の中に混じってうまくカンナをやりこなせるのだろうか…。


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- 2008年09月20日(土)

一日中寝ていた。
午後4時ごろ一度起きて食事を摂ったが、それ以外の時間帯はほぼ寝続けていた。我ながらよく寝るものだなあと思う。ちなみにこれは翌21日の朝に書いている。

「スエマエ」の文字を見るたびにいらいらと不快感がこみ上げてくる。
北京五輪の「オグシオ」から「スエマエ」への、あの流れを思い出していやな気持ちになるのだ。マスコミってもしかしたら本当にバカの集まりなんじゃねーの、と思う。

物欲の秋。
買うべし。買うべし。

今日は朝から教室へ、午後からはフリータイムなのだ。
朝から一度外に出ると、勢いがついて何とかなる。
昼食を食べたらジムに行って、それからお買い物に行こう。
うふふふふ。
何を買おうかな。
うふふふふふふ。


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子どもの友情3 - 2008年09月14日(日)

まだまだ書きますよ。

さて結論から言うと、またとあるコミュニティで追憶をまとめたところ「誰も見ないでひっそりと落ちていってほしい」と書いたにもかかわらずものっそい数のリンクが張ってあってあわわわわ、となりました。

なんでここに書かないかって言うと、見苦しいからです。

だいぶ前、うつ病がひどかったころに同じような内容の日記をここに書いたことがありますが、そのときは我ながら本当に見苦しいと思いました。なんていうか、矜持とか美学とか信念とかそういうものがまるでない。弱さとかずるさとかねたみとかそねみとか、そういうのが本当に丸出しで、みっともないことこの上ない。

まあそういう内容の文章を再びよそで書いたわけですよ。
だってもやもやしてて、気持ち悪かったから。
吐き出してすっきりしたかったんです。

そしたらなんだか多くの人から共感を得てしまって、もちろんうれしいのはうれしいのだけど、これでまた更に考えざるを得なくなってしまった。
果たしてわたしは、小学生のころの同級生に「友情」を感じていたのか。

学年ごとにクラスが変わったので仲の良い友人も変わっていくんだけど、なんとなくうまくいかなくなったのは6年からで、あー。いかん。なんだか思い出してはいけないことを思い出した。そう、仲の良かった子からハブにされたんだ。理由はわからない。何かしたんだろうと思うが、何をしたのか思い出せない。わたしは彼女たちにとってよき友人であったのかどうか、もしかしたら彼女たちの中には何か小さな不満が積み重なっていたのかもしれない。たいていの女というのはそれを小出しにしないで、ある日突然ぷつっと糸が切れたように態度を変えてしまうのだ。わたしも多分そういうところあるし。
よく振り返ってみると、このことを後々まで引きずっているのではないかという気がする。転校先の中学校でもわたしは何か異様におびえていてなかなか仲のよい友達をつくることができなかったが、それはもしかしたら転校生という普通にアウェイな状況のほかに、そのときの傷がまだ生々しく残っていたのもあるかもしれない。そうか、うん、そんな気がしてきた。もちろん彼女たちには彼女たちの事情があったわけで、責めるつもりもないしそもそもそんなことは不可能なんだけど、もしかしたら、ずっと、今までずっとわたしは、それにおびえていたのかもしれない。おおお。ちょっと今カタルシスですよ。封印していた過去から、今解き放たれる!!(?)

ということで、たぶん最終的に、わたしはわたしをハブにした子たちには、友情を抱いてはいない、ということがわかった。
それではその騒動の外側にいた子はどうだったのかというと、ひとり、学校のクラスも同じで英会話教室でもいっしょだった子のことを思い出す。5年のころ、先生からも信頼される優等生でありながらいじめの首謀者になったりしていた彼女の裏の顔と表の顔の両面を知っているわたしは、最初その子が苦手だったのだけど、6年の卒業間際のころの彼女からは裏の顔らしき面影はなくなり、友だちとの触れ合いをとても大切にしていたように思う。少なくとも英会話教室での彼女は、どこにでもいる普通の小学6年生の女の子だった。
わたしが最終的に信頼していたのは、その子ぐらいだったと思う。
うん。他にいるかって言うと、いなかった。


はぁ。
なんて貧しい小学生時代だったのだろう…。


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子どもの友情2 - 2008年09月12日(金)

どうもすみずみまで邂逅せざるを得ない気分になり、小学校の卒業文集を引っ張り出して見ている。
卒業アルバムとは別にクラスで作ったものだ。
お父さんが印刷所をやっている子がいて、そのお父さんの厚意でできたとても立派な装丁の文集だ。
ひとりひとりの自己紹介と、思い出を綴った作文と、詩と、先生による1年分の学級通信がまとめられている。
今見てみるとすごいなぁ。よく作ったよ先生。

本当は「友だち」と呼べる存在がいなかったのかもしれない、と昨日書いたが、そうでもなかったのかもしれないと思う。
ひとりひとつテーマを決めて書いた思い出の作文に、わたしは当時通っていた英会話教室のことを書いていた。そこで仲良くなった子たちは、もしかしたらわたしにとって「友だち」と呼べる存在だったのかもしれない。学校は必ずしも居心地のよい場所ではなかったのかもしれないが、英会話教室にはとても楽しく通っていた。レッスン中はもちろんのこと、終わってからもたくさん話をした。学校の同級生ではなく、彼らと濃いつながりを持っていたように思う。


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子どもの友情 - 2008年09月11日(木)

遠方に引っ越す友人と連絡を取りやすくするため、2年ぶりぐらいにmixiをきちんとやってみた。
マイミクを追加し、コミュニティを検索し、いろいろしているうちに楽しくなってきてどうにも止まらない。

過去に向かって糸をたぐってゆく作業は、一度始めるとどこまでもどこまでも続いていく。大学のころの友達は今も普通に友達(のつもり)だから過去の人扱いにはならないのだけれども、中学校、小学校までさかのぼり、名前すら記憶から消えかけていた同級生たちのことをなぜだか最近毎日のように思い出す。代わる代わる夢に出てきては、わたしにいろいろな感情を投げかけて消えていく。わたしは元来依存心が強いからだと思うのだが昔の知り合いのことをやたらと覚えている。向こうがわたしのことを忘れてしまっていてもわたしは結構覚えている。さすがに完全に忘れられている場合はともかくとして、もしわたしが覚えているのと同じくらいに覚えていてくれる人がいるのなら、会ってみたらおもしろいだろう、と思う。特に話すこともないし、そんなに長い時間をともに過ごすことはかえって無理があるのだけれど、ちょっと顔を見るぐらいなら、きっと楽しい。思ったが、小学生の子どもにとっての「友だち」とはどんな存在なのだろう。わたしの場合、同窓生と再会する機会があるとして、上に書いたように「おもしろそうだな」とは思うがそれ以上の感慨とか懐かしさとか、こみ上げてくるものは何らない。記憶の中の小学生たちが今では自分と同じように大人になって働いたり育児をしたりしている様子を見るのはきっとおもしろいだろう、という、そういう興味でしかない。もうちょっと情緒的な懐かしみを感じてもよいのではないか、と我ながら思うのだが、ひとつは転勤族の子どもだったことがあるのかもしれない。深入りするとそのぶん別れがつらくなる、ということを体感的に知っていたのだろうか。また、こっちがメインだと思うが、本当のところではその土地に染まりきることができていなかったのだと思う。周囲の気持ちか自分の気持ちかはわからないが、常にどこかで「よそもの」である自分を意識しながら生活していたように思う。今でこそこうして客観的に自己分析できているものの、思春期を迎えたばかりの小学生当時にはそのような自意識に自ら疑問を呈することもできなかったし、そもそも、転勤族の子どもであること以前に、わたしは当時からすでにあまのじゃくで理屈っぽく、悲観的で、同世代からすれば実に接しづらい種類の人間だったのだ。そんなわけで気がつけば「本当の友だち」ができないまま、わたしは小学校を卒業してしまっていたのかもしれない。
子どもの友情というものはもちろん実在するし、小学生のころに「本当の友だち」ができる人もいるはずだ。
でもその一方で「友だち」とは「遊び相手」のことであり、それはすなわちけいどろとかかくれんぼとか陣取りとか人生ゲームとか、集団で遊びたいときの面子であって、それ以上でもそれ以下でもない、と(あえて冷徹に言うのであれば)いうふうに認識していたのが子どものころのわたしだと思う。

教室に来ている子どもたちを見ていると、彼らをつないでいるものはいったいどのような感情なのだろう、とまじめに思う。
他愛もない雑談やふざけ合いっこで笑い合っている光景の記憶は、彼らにとって宝物になるのだろうか。
それとも大人になれば、今の私のように忘却のかなたに追いやられてしまうのだろうか。



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