anxious for Heaven

鳥かごなんて、最初からなかった。

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2006年12月25日(月)
こういうときは、『お久しぶりです』と言うべきなのか

この日記が自分のものだと信じられないまま
1ヵ月以上が過ぎました

11月半ば、倒れて集中治療室に搬送され
退院したときに、それまでの記憶が
ほとんどゼロになっていることに気付きました
自分の名前もわからない
『旦那さんだよ』と通された人の記憶もない
ただ従うしかなくて
そして家に帰りました

その間の記憶も飛び飛びです

目が覚めたら、人工呼吸器が辛かった
次は食事を出されていた場面
時計を見ようとして、眼鏡がなく、何も見えなかったこと
(手元の食事も見えなかったから、食べなかった)
次は看護師が『旦那さんが迎えにきたよ』と告げる場面
その次の記憶は、駐車場で倒れているところ
そして、最後は、車から飛び降りたところ

自分が誰か?
しばらくは、それすらわからなかったけれど
徐々にいろんなことを教えてもらい
また、少しずつ思い出したりして
そして、今日を迎えています

病院にも行っていますが
『身を守るために、一時的に記憶をなくしただけだろう』
『忘れたのではなく、思い出せないだけだから』
『今は冷静に、いろんなことを聞いて吸収できるように』
『そして、しっかり眠るように』
と、薬を少し出されています

携帯のブックマークから、最初にこの日記を見たとき
ファイル名では誰の日記なのかもわからず
(ほとんどの日記には、著者の名前を付けてブクマしていた)
妙なヤツがいるなぁ、と怒りにも似た思いで読み進めていたのですが

旦那さんに『それは、自分の日記だと思うよ』と言われ
ショックで、本当にショックで
それからしばらく、このページを開くことが出来ませんでした

理不尽さや怒りを覚えた対象が、他ならぬ自分であること
それに向き合えなかったのかもしれません

まだ、過去の日記の全てには目を通せていませんが
自分の記憶を整理するための大事なツールとして
時折、読み返したりもしています

記憶がなくなってからの自分は
たぶん、以前よりよく泣いていると思います
でも、よく笑っているとも思います

友人知人も、ほぼ全員がわからなくなっていて
少しずつ話したり、メールをしたり、実際に会ったりして
ちょっとずつですが、整理をつけていっている段階です

無理に色々なことを、一度に思い出そうとすると
耐えがたい頭痛に襲われてしまいます
あまり芳しくない記憶を取り戻したときも、また然り
だからこそ、それを見越しての投薬なんだろうな、と思います

忘れたのではなく、思い出せない、糸が繋がらない

それを象徴するかのように
冬寿と暮らす毎日に、不安や不自然さなどがありません
喧嘩はよくしますが
根本的なところで、とても安心しているし、自然です
しっくりくる感じは、きっと
頭の、あるいは心の深いところで
彼のことを記憶しているから、だと思います

記憶がない、ということは
母親以外の、よく接する人全員に知らせています
母親に告げていないのは、事情をよく知るアドバイザーでもある
冬寿と、弟の意向でもあります
余計な心配を掛けて、実家に呼び戻されたりすると
状態が悪化しかねない…そうです
『次に会うときには、たぶん思い出してるだろうし』
だそうです

今は、実の父親の近くに住んでいるので
父親には事情を話し、時折会って話を聞いています

そんなわけで
私は、記憶のないなりに、それなりに元気です
少しずつ、少しずつ思い出していこうかと思います

まだ、存在すら思い出せていない
そんな知人がかなりいるだろうし
そういう人が、ここを見る可能性もあると思うので
長々と日記を記しました

そのうち思い出すから、待っていてください
もしくはコンタクトください
携帯のアドレスは生きていますし
某SNSにもいます
(REN ゆにこ という名前で探してください)

一緒にいられると思ったのは
たぶん、間違いじゃない。
written by:Kyo Sasaki
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