anxious for Heaven

鳥かごなんて、最初からなかった。

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2005年01月29日(土) 宴に夜は更けて。
冬寿の元同僚、二名襲来。
夜9:30から今まで、飲み明かしていた。
前半は皆酒をガンガン飲み、阿呆な会話で盛り上がる。
お酒のつまみはチゲ鍋、唐揚げ、醤肉、刺身。
とにかく飲む。私はあまりお酒は飲まない(好きだけど)
はずなんだけど、焼酎二杯、カルーア三杯、ビール、梅酒などガンガン飲んだ。

一人が沈没してしまった後、割と真剣なトークに話が移る。
お酒の効果で皆饒舌になっているけれど
話そのものはとても真面目に進む。
精神的な病気のことも、流れでカミングアウトした。
実は、結構恐かった。引かれるんじゃないか。
何より、冬寿が変に思われるんじゃないか。

でも、真剣に聞いてもらえた。考え方を支持してもらえた。
…嬉しかった。平気な顔をしていたけど、実は泣きそうだった。

同い年の男の人には、異様なほど褒め殺された。びっくり。
貧乏性だったり、結婚式に大した意味が持てないからしたくなかったり
そういう考えも認めてくれた。
相手の考え方が、少し甘い気がしないでもなかったけれど
なんとなく、似た考えのヒトなんだな、って笑った。

楽しかったんだ。

知らない人と、お酒を飲みながらぶっちゃけトークをすることも
手際良く料理を作り、運んで感激されることも
親しみの籠もった軽口を叩かれることも
冬寿はいい奴だからさ、って言われることも

嬉しかったんだ。


こんな付き合いが出来る冬寿を
心の底から羨ましく思う。人柄なんだろう、とも感じた。

私には今、近くにそんな友人がいない。
それを思うと、ほんの少しだけ、胸が痛んだ。

築いていけばいい、それだけ。

2005年01月10日(月) 異質。
昨夜の、冬寿との会話(というか正確には電話)。

やっぱりさ、正直に言って、正直に言うとさ
Yosshyってすごく大事な人なんだよ。
恋人とはもう思わない、思えないだけでさ。
14年の蓄積って、大きいよね。
付き合いの長さだけなら他の人もいるんだけどさ
深さって言うか、語り合った量も質も
アイツがダントツでTOPなわけだし、さ。

「Kyoの話、聞けば聞くほど
 YosshyさんはKyoにとって特別なんだなって思うし
 なんだかワクワクするよ」

…なんでさ?

「そんな人からKyoを振り向かせられたんだって思うと嬉しいし
 まだ、俺、頭ひとつ抜け出せてるわけじゃないんだって思うと
 悔しいけど、張り合いはあるよ」

変なの。


人を見るときに、性別は関係ない!
…なんて言うと、真っ赤な嘘になる。
ただ、私から見ると「女=異質な存在」「男=自分の同類」に見える。
それは、趣味や、考え方の端々や、そういったものが原因なのだけど。
だから、「親友」と呼べる存在も、男ばかりだ。
女の子は、どうしても、「友達」以上だと言い切れない。
男相手になら、「アンタは親友だから」と言えても。

自分が女である、という意識が、根本的に欠落しているから
(皆無というわけじゃないけど、基本的には少ない)
男を男として(異性として)認識できないのかな、と思う。
「彼氏」という存在はずっといたけれど
なんだろう、それはきっと「異性で一番近くにいる人」
という感覚に最も近い、気がする。
他の女の子達が、「彼氏」をどういう感覚で捉えているのかは知らない。
案外、私と同じ感覚を持っているのかもしれないけれど。

きっと、その点では、冬寿も似たようなもの。
「一番近くにいる異性」。
まあ、ひとつだけ今までと違うかもしれないというのは

積極的にエチーしようと思えるという点かな。

それ(一番近くにいる存在)が同性でも構わないのかもしれないけれど
女の子の常に近くにいよう、とは、どうしても思えなくて。
話が合わないとか、面倒だとか、そんな理由が大きいかな…。
買い物がやたらと長いしw

でも、自分は、紛れもなく女なんだろう、と思う瞬間もある。
いろんな時にね。ふとしたモノの捉え方とか。そういう面で。

私にとっては男だとか女だとかじゃなくて
自分と類似したものか、異質なものか、が、重要なのかな。

だから、男相手にしてても「異質だな」って思う時もあれば
女を相手にしてても「こいつとは同類だ」って思う時もある。

…いつか、女の子に惚れるんじゃなかろうか。ぶるぶる。

2005年01月06日(木) 役目ってなんなのさ。
というわけで、5日付の日記を書き終わった直後ですが
思いの薄れないうちに書きたいと思います。
逃れられない「役目」について。


私は家族と「うまくいっていない」わけじゃありません。
多少の衝突はもちろんするものの
一般的な目で見れば、家族と仲は良い方です、きっと。
会話も多いし。内容はともかく。

ですが、主治医によく言われていたのは
「家から出ないと完治は見込めない」
という言葉でした。
反抗期のカケラもなく育ってしまい
その間にいろいろな経験もしたので(あえて苦労とは呼ばない)
情操の発達に歪みが出来ている、それが大きい、と。

では、何が原因だったかというと
両親の間でMessenger役をしていたことに尽きると思うのです。

決して仲の良い両親ではなく
父親の単身赴任による別居期間も長く
中学生の時には親が離婚届を持ってきたり
(私が破り捨てました、当時は改善の余地があるだろうと思っていました、甘い)
生活費の振込みが滞りがちな父親に対して
「早くお金を振り込め」の電話をするのが中学生の私であったり
(多感な時期の子供にそんなことやらせるなよ、と今思えば言いたい)
大学受験のために上京したらしたで
父親の部屋であんまり見たくないものを見つけてしまったり
(…彼女との交換日記はきちんとしまっておいてください
 下手に避妊用具とか見つけるより精神的ショックが。あらゆる意味で)
両親の離婚の時には、もう私自身ギリギリ成人していたとはいえ
調停役みたいなことをやらされたりとか
(しかもメインはお金ですよ。金額ですよ)

「〜だ、とパパに言ってきて」
同じ屋根の下にいるのに、母親は私にそう命令し
(要請でも何でもなく、命令でしかなかった)
渋々父親に伝言を届けに行くと、やはりこれまた当然のように
「〜だろ、とママに言ってこい」
こちらも同じことを。
父親の方が、実際はもう少し口調が柔らかでしたが。
どうして本人同士で会話をしてくれないかなあ
子供がいるからこその問題もあるだろうけれど
基本的には夫婦間の問題でしょ、と思いつつ
本人同士が直接対決すると「家」が崩壊しかねない雰囲気だったので
(「家族」という意味でも「建築物」という意味でも…)
Messenger役を引き受けざるを得なかったのです。
まあ、それに関して、今更文句を言ってもはじまらないので
自分の気持ちはとりあえず棚に上げて鍵を閉めておきます。

離婚後、Messenger役から解放された!
…わけはなく。
その後も養育費の問題でまた同じことをやらされ
弟の年齢が一定に達してそれが終わったかと思いきや
母親⇔弟、弟⇔父親のMessengerまでやらされる羽目になり
…ココまで来るといい加減拒否したかったのですが
最初にやってしまった時点で私の負けです。
一旦背負わされた役目をそう簡単に放棄できません。
既にMessengerとしての私がいないと、家族の意思疎通が出来ない状態。
そうさせたのは、引き受けてしまった私自身にも責がありますが。

そんな環境にいることが、回復を妨げているのかも。
だからあなたは家を出た方が良いんですよね。

主治医に言われていたのもわかる気がします。

そして、冬寿と同棲が決まった時
やっと解放される、と思いました。
彼の存在を、彼との生活を「逃げ」の手段に使ったわけではありませんが
結果的にそうなったことは認めざるを得ません。

ただ

それで終わりではなく
実家に帰るとやはりMessenger役はやらされるわけで
…どうして弟が父親の元へ「修行(仕事の)」に出る件で
私が父親と掛け合わなくちゃいけないのか、と。
そんなの本人同士にさせてくださいよ、話。
(と、いい加減キレました、今回ばかりは。甘ったれるなと)

そしてそれだけでなく
…冬寿の家族に対しても似たようなことをやりつつある自分に気付き…。
彼は親と最低限の話しかせず、それもあまりしたがらず
用件のみ説明で、自分の気持ちをあまり伝えるのがうまくないようで
…というかむしろ好まない、それ以前に伝える方法がわからないようで
結果的に、私が「彼はこういう考えでいるようです」「こう言ってくれます」
というようなことを口頭あるいは文書(時候の挨拶を兼ねた手紙)で伝えたり

いや、生きている限り、誰だって多少はそういうことをするのだと思いますが
…もう…なんと言うか…。

苦にしているばかりではなく
きっと進んでそうしようと思う気持ちがあるから
こういう事態を招いているのだと思います。
だから「周囲がわるいんだ」なんて言う気はさらさらありません。
自分で招いている部分があるとはいえ
頭を抱えたくなる時があるのは事実ですが。


私自身は人に関する好き嫌いが非常にはっきりしていて
味方もいますが敵も多いです。
円滑な人間関係はどっちかというと少ない方です。
ただ、自分対他人、という付き合いではそうなのですが
他人と他人の付き合いに関しては
間に立って潤滑油的な働きをする性質のようで…。

私自身は、本当に、円満なんかではなく
むしろごりごりぶつかっている人間なのになあ…。

なんなんでしょう。
役目だとかそんな簡単な言葉じゃ片付けたくないですが
…向いてるの?向いてないの?という感じが…。

もうこうなったら開き直りが肝心だな、と思うことにしていますが。
何でこうなっちゃったんだろう、と原因究明に努めるのも必要だけど
そればっかり重視してちゃ意味がないですから。
その立場である以上、それを引き受けた以上
進んでやる意志が多少なりとも存在する以上は
原因探しより「いかに上手く実行するか」に努めたいと思います。

この日記は、ただの愚痴。
愚痴でもはかなきゃ、潰れちゃいますよ。ふふ。

2005年01月05日(水) 近況。
もう既に放置プレイ真っ最中な日記になっています。
…ゴメンナサイ(って誰に謝るんだろう)。

近況報告などやってみます。

9月16日に冬寿の元へ行き、いわゆる「同棲」スタート。
10月末には2人暮らしの可能な部屋にお引越しを済ませ
(引越し前日に過労で倒れて運ばれるというアクシデントつき)
お金はナイものの、そこそこ生活はしていけるというまったりムード。
12月の16日に一旦帰省。
…といっても、途中、東京で3泊して知り合いと会ったりしましたが。
12月19日から福岡のほうへ戻り
実家で家事をしながらのんびりしています。
長めの帰省(何しろ3週間ほど)なのですが、それは

「今後」について、親と話を詰めるためであったりします。
…あと、親戚へ挨拶回りとかね…家を出たわけだし。

年が明けてからは
既婚者の友人に相談をしたり
にちゃんねるの冠婚葬祭板でいろいろなスレッドを読んでみたり
…頭が痛い。

冬寿がココを見ているかわかりませんが
(URL知ってるけど絶対見てない。彼はそういう人間だ)
私と彼の共通知人も数人見ている、ココ。
共通知人の方々にはそれとなくお話はしてありますが

95%間違いなく結婚すると思います。夏くらいには。



だからってウハウハなのかと言われるとそうでもなく
…いや、嬉しかったり幸せだったりする気持ちは十分すぎるほどありますが
やっぱり「役目」からは逃れられないのかなあ、と思ったり。

逃れられない「役目」については、1月6日付けの日記で。
(5日付のこの日記を書いているのも6日の朝…ですがv)

ああ、そして最後に遅くなりましたが

新年あけましておめでとうございます。

 Kyo Sasaki

一緒にいられると思ったのは
たぶん、間違いじゃない。
written by:Kyo Sasaki
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