橋本裕の日記
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2006年12月31日(日) トビの羽

 妻が川原のトビに餌をやりだしたのは数年前からだが、その頃からやってきたトビが今年の春頃から姿を見せなくなった。そのトビは高齢のせいか羽が透けていて、飛び方もぎこちない。

 そして餌を求めてやってきても、カラスたちに遠慮するのか、なかなか降りてこない。時には上空でカラスに襲われて、逃げ回っていた。羽が薄くなったのもカラスに襲われたせいかもしれない。カラスにいじめられるトビを見ていると可哀想で、おもわず「トビよ、がんばれ」と応援したくなる。

 この哀れなトビのために、妻はスーパーでかしわの皮を買い求め、とくに餌の少ない冬の間は毎日のように餌をやりにきていた。妻が行けないときは、私が代わりに餌をやったこともある。

 餌の大半はカラスともう一匹の若いトビに奪われるのだが、それでも一つくらいはこの羽の抜け落ちたトビの手に入る。それを見届けて、私たちはすこしほっとして川原を去るわけだ。

 このトビは近くの鉄塔に止まっていることが多かった。そこから私たちの様子を窺っていて、餌が投げられ始めるとやってくるわけだ。だから、散歩の途中、鉄塔の傍らを通りながら、私たちもそのトビの姿を確認する。

 今年の春先のある日、妻がその鉄塔の近くの散歩道を歩いていると、そのトビのものと思われる羽がひとつ落ちていた。そしてその日を境に、鉄塔にも川原にも、そのトビの姿がなくなった。

「死んだのかしら。それともどこかへ行ったのかしら」
「羽がずいぶん薄くなっていたからね。どこかへ行ったにしても、長くは生きれないだろうにね」

 私は妻が拾ってきた羽を手に取りながら、そのトビがお礼に羽を一枚残していったのかも知れないと思った。おそらく「形見分け」のつもりかもしれない。そのトビの羽は、こうしてわが家の大切な家宝になった。

 そのトビがいなくなって、今、川原には若いトビが二羽、カラスどもに混じって餌を食べている。時には他のトビもつがいでやってくる。彼らは若々しく、立派な羽を持っている。ときには若いカラスがちょっかいをかけるが、トビは相手にせず、鷹揚と空を舞う。その姿は美しい。

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今日は大晦日。今年最後の日記になった。早いものである。
それではみなさん、よいお年を!


2006年12月30日(土) 日本語に主語がない理由

 金谷武洋さんの「英語にも主語はなかった」(講談社選書メチエ)によると、少し前までは英語にも主語はなかったのだという。ちょっと意外だが、日本言語学会の松本克己も会長就任講演で、「主語は12〜13世紀に印欧語に出現したが、他の語族には依然として見られない」と発言している。たとえば、ラテン語で「主人が犬を殺す」「犬が主人を殺す」という文章を書くと次のようになる。

 Dominus canem occidit.
 (主人が 犬を 殺す)

 dominum canis occidit.
 (主人を 犬が 殺す)

 これを見てもわかるように、殺す(occidit)という動詞が最後に来ている。そして行為者には語尾に「s」が、行為を受けるものには「m」がつく。行為者が先頭に来るともきまっていない。

 ここで大切なのは「行為者=主語」という認識がなかったということだ。英語で主語を「subject」ということからもわかるように、それはむしろ「従属語」であった。何に従属しているかといえば、述語(動詞)にである。

 あくまで文章の中心は「述語」であって、いわゆる「行為者」ではなかった。なぜなら、行為者はあえて言わなくても、「述語」から推測されるからである。行為者がまぎらわしいときに、そこに添えておくというだけの従属的存在でしかなかった。

 この状況はまさに「日本語」の場合と同じである。日本語では主語はほとんど書かれない。いわゆる日本語文法は英語式の「主語ー述語」を基本にしているから、これを主語の「省略」という。

 しかし、「省略」という言葉はまちがっている。そもそも日本語には「主語」は必要ない。主語がないのが例外ではなく、あるほうが例外だと考えた方が自然なわけだ。こうした「述語中心」の言語表現が、日本語以外の言語でもふつうであった。実のところ、英語でも「述語中心」で「主語」などなかったわけだ。

 誤解を招くといけないので一言付け加えよう。「主語がなかった」ということの意味は、「行為者を文の中心だと考える意識がなかった。したがって、行為者をあらわす語(主語)も一般に必要ではなかった」ということである。つまり、行為者を「主」と考える思想が確立されていなかった。

 それでは13世紀ごろに、なぜ印欧語、とりわけ英語で行為者をあらわす言葉が「主語」として意識され、文頭に定位置として置かれるようになったのか。ひとつには「ノルマンの征服」ということがあったからだ。抑圧された英国民は単なる奴隷にはならなかった。英語はフランス語に対抗して生き延びた。その過程で、自己主張の強い「主体性」を持った言語として、鋭角的に鍛えられていった。

 さらに、そこに十字軍に始まるギリシャ文明の発見がある。ここからルネッサンスが始まる。いうまでもなく、ルネッサンスは神に代わり、人間をその中心の位置におく。人間は神の「従属物」(subject)ではない。人間こそ主人公なわけだ。こうした潮流が、行為者としての人間を「主語」の位置に押し上げた。その過程を見てみよう。

 Me thinks there is much reason in his saying.
(彼の言葉にもおおいにもっともな理由があるようだ)

 これはシェークスピアからの引用だが、「I think」ではなく、「Me think」と書かれている。「Me」というのは「行為者」ではない。「行為を受ける者」であり、文字どおり「subject」なわけだ。これが少し時代が下がると、次のようになった。

 It thinks to me that there is 〜

 ここで「think」に主語として「It」が立てられている。「SVO」の構造が一般的になったあとでも、「I」を「think」の主体とは考えられなかった。そこで「think」の主語として、とりあえず「It」を置くことにした。同様に、「Me seems」は「It seems to me」である。「思われる」とか「見える」というのは、近代英語でも最後まで「主語」になることに抵抗している。

 このように、近代英語では「think」の主体が「I」だとは意識されていなかった。現代英語では胸を張って「I think」と書いているが、「我思う」という断言は少し前までの人間にとって、必ずしも自明のことではなかったわけだ。

 私たちが感じたり考えたりするのは、本当に自分の力で行われているのだろうか。もっと大きな力が私たちに働いて、そう感じさせられたり、そう考えさせられたりしているのではないだろうか。多くの人々はそんな風に考えてきたし、われわれ日本人の多くは今でもそう考えている。

 私もしばしば「そう思われる」「そう考えられる」というふうに自然に「受動態」を使う。「I think」の世界には「主語」がある。しかし、「Me think」の世界に生きている私たちは、ともすると「自分で考える」という意識が希薄なのかも知れない。英語にかって「主語」がなかった理由、日本語にいまだに「主語」がない理由は、この「主体意識の未形成」ではないかと思われる。


2006年12月29日(金) 古英語は日本語に似ていた

 世界にはたくさんの言語がある。それらの言語は歴史を持っている。時間とともに語彙や、時には文法までも変わっていく、。英語も当然、さまざまに変化してきた。そしてとくにその変化が激しいのが英語である。渡辺昇一さんは、「英文法を撫でる」のなかで、「チョーサーは霧の中、ベオウルフは濃霧の中」と書いている。

 ベオウルフは8世紀に書かれた英語の叙事詩だが、これはもうネイティヴでも読めない。たとえば、こんな具合である。金谷武洋さんの「英語にも主語がなかった」(講談社選書メチエ)から引用させていただく。

 se hlaford pone cnapan binds.
 (主人が召使を縛る)

 これは現代英語にそのままなおせば、「The lord the servant binds.」である。ただし、語順が違っている。「SVO」ではなしに、「SOV」になっている。じつはこのころの英語は動詞が最後に置かれることが多かった。つまり、日本語と同じなわけだ。さらに付け加えれば、この頃の英語は、Vばかりではなく、SとOの語順も自由だった。この点も日本語と似ている。

pone cnapan se hlaford binds.
(召使を主人が縛る)

 SとVを入れ替えても混乱が生じないように、日本語には助詞の「が」「を」がある。英語では定冠詞や名詞が語尾変化をする。この例題でも、現代英語なら[the」ひとつですませるのに、主格を表す「se」と目的格をあらわす「pone」とそれぞれ違っている。じつのところ、この頃の英語は16個もの定冠詞をもっていたそうだ。(これは大変なことだ)

 英語が大きく変わるきっかけになったのは、1066年の「ノルマンの征服」によってだといわれている。イングランド王エドワードが死ぬと、甥に当たるノルマンディー公ウイリアムがフランスから1万5千人もの人間を引き連れて、イギリスにやってきた。以来、300年ほどイギリスはフランス人に支配される。

 フランス語が上流階級の言語になり、英語は社会の底辺においやられた。つまり、英語は教養のない人たちが会話で用いる片言の田舎言葉になったわけだ。そうなると、複雑な文法は覚え切れない。英語がどんどん簡素化した。ところが14世紀になって英仏100年戦争が始まった。この戦争でイギリスはフランスから独立し、英語が議会でも再び使われるようになった。

 さらに1500年頃になると、イギリスにもルネッサンスの波が押し寄せてくる。ヘンリー8世(1509〜1547)、エリザベス1世(1558〜1603)でチューダー王朝の支配が確立した。ノルマンの征服以前の英語を「古英語」(700〜1100)、そのあとを中英語(1100〜1500)、近代英語(1500〜1900)、現代英語(1900〜)と呼ぶ。「SVO」の語順が固定するのは中英語からである。これによって、定冠詞や語尾変化で主格や目的格を区別する必要はなくなり、英語は大いに簡素化された。

 SVOの語順については、次のような統計がある。中英語の時代を代表するチョーサー(1340〜1400)では84パーセント、近代英語を代表するシェークスピア(1564〜1616)では90パーセント以上がこの語順になっている。このようにノルマンの征服をきっかけにして、英語は大きくその姿を変えた。とくに「SVO」の語順が固定されたことは特質に値する。

 実のところ、いまだに世界の多くの言語は「SVO」ではない。意外なことかもしれないが、印欧語のなかでもこうした体制を整えたのは英語が最初である。ラテン語は動詞が最後に置かれているし、その流れを汲むスペイン語やイタリア語はいまでも動詞が最後に置かれる構文が一般的である。

 もっとも、英語がはじめて切り開いた「SVO」の直線的な構文は、非常に力強いパワーを秘めている。この英語の鋭角的なパワーが産業革命を生み、市民革命を生み出したとも考えられる。そして世界を征服する現代英語へとつながっていく。この言語力をあなどるわけにはいかない。

 明治期、英語文法を手本にして日本語文法が成立した。現在私たちは学校でこの文法を教えられている。ところがこれは「SVO」を主体にした「英語の文法」である。だから、この文法でいまだ「古英語」の段階にある日本語を理解することはできない。ただ、英語を勉強するとき、皮肉なことに「日本語文法」がいくらか参考になる。


2006年12月28日(木) 主語を必要としない日本語

 高校時代に一番影響を受けた書物は、たぶん西田幾多朗の「善の研究」だろう。そのなかでも、「自我があって経験があるのではない。経験があって自我があるのである」という言葉には驚いた。これはデカルトの「我思う、故に我あり」とは対極に位置する思想である。

 西洋哲学は「自我」の哲学である。デカルトは「自我」を「思う」という意識的行為の中から取りだした。ここまでは西田の「経験あって自我がある」というのと同じである。しかし、デカルトはこうして取りだした「自我」を経験を可能にする実体として位置づける。ここで主客の転倒が行われるわけだ。

 しかし西田は「自我あればこそ経験があるのだ」という立場をとらない。経験こそがすべてであり、さらにいえば「自我」などなくてもよいのだ。西田は自我の概念を含まない経験を「純粋経験」と呼んだ。

 音楽家がピアノを演奏しているとき、そこで経験するのは何だろう。西田はそれは主もなく客もない世界だという。芭蕉が俳句を読むとき、あるいは宗教家が座禅を組むとき、そこに「我」というような夾雑物は存在しない。

 西田はこうした立場から、日本語の構造についても独創的な考えを展開した。西洋の言語は「主語」が中心で、日本語は「述語」が中心だというのだ。これを徹底すれば、日本語に「主語」はいらないということになる。

 私たちは普通に、主語のない日本語を使っている。たとえば道で人に会えば、「暑いですね」という。あるいは「どこへ行かれるのですか」と聞く。英語ではこうはいかない。「It is hot ,isn't it ?」「Where are you going?」と、主語を省くわけにはいかない。主語が中心の言語だからだ。

 英語は「SVOC」という直線的な構造をしている。Sが頭で、Vが胴体、OとCが2本の脚だと思えばよい。しかし日本語は違う。真ん中に胴体Vがあって、そのまわりに付属品のように頭や脚がくっついている。あるいは、Vという風呂敷の中に、SやOやCが包み込まれているのである。実例を挙げてみよう。

「私は昨日、家で英語を勉強しました」という日本語の文章は、「私は」「昨日」「家で」「英語を」の4つが「勉強しました」という行為を修飾している。だから、その語順を入れ替えてもよいし、場合によっては省略することもできる。英語ではこうはいかない。

「I studied English at home yesterday.」

 この語順は絶対であり、主語「I」を省くこともできない。英語の場合は「主語」は「動詞」をも支配し、語尾の変化を生じさせる。主語の力は絶大だといわなければならない。こうしたことは、日本語では考えられないことである。

 西田はこうした日本語の分析を通して、西洋哲学とはずいぶん趣の異なる独自の哲学を構築して行った。そしてその哲学はいやでも宗教的にならざるを得なかった。彼の思想の到達点が「場所的論理と宗教的世界観」といいう論文である。これは死の2ヶ月前、戦争が終わる4ヶ月前に書かれた、いわば西田の白鳥の歌ともいえる珠玉の論文である。一部を引用しよう。

<人間が何処までも非宗教的に、人間的立場に徹すること、文化的方向に行くことは、世界が世界自身を否定することであり、人間が人間自身を失ふことである。これが文芸復興以来、ヨーロッパ文化の方向であったのである。西洋文化の没落など唱えられるに至った所以である。

 世界が自己自身を喪失し、人間が神を忘れた時、人間はどこまでも個人的に、私欲的になる。その結果、世界は遊戯的か闘争的かとなる。すべてが乱世的となる。文化的方向とは、その極限に於いて、真の文化を失ふのである>

 日本人は別れを告げるとき、「さようなら」という。これは「左様にならば」であり、「なるがままに、あるがままに」ということであろう。出会いも別れも自然のまま、各々の計らいを捨てて、そうした流れにお互いが身を任せましょうということだ。まさに親鸞の「自然法爾」の世界である。

 じつのところ、こうした日本語の特性は世界で特殊なものなのだろうか。私は「日本語は世界で一番古い言語」だという仮説を持っている。そうすると、世界の言語もまた昔は「主語」をも持たなかった可能性がある。実のところこの推測は正しい。英語ですら、数百年前までは「主語」がなかったのだという。これについては、明日の日記で触れてみよう。

(参考文献)
「英語にも主語がなかった」 金谷武洋 講談社選書メチエ


2006年12月27日(水) 硫黄島の真実

 1945年2月19日に米軍の硫黄島上陸が始まった。アメリカ軍の兵力は6万1000人である。これを迎え撃つ日本軍は1/3の2万人余。しかも米軍は無数の戦艦と航空機1万6000機を投入。火力の差は10倍以上だった。

 硫黄島は東京から1000kmほど離れている。ここに敵の飛行基地ができると、首都の防衛があやうい。大本営のこの見解にしたがい、師団長の栗林中将(3/17に大将に昇格)も日本本土を空襲から守るために、一日も長く硫黄島を死守しなければならないと考えた。

 そのため「敵を10人殺すまで死ぬな」「最後の一兵になってもゲリラとなって戦え」と、2万の兵に安易な玉砕を許さなかった。そして陸軍の常套手段である水際作戦を取らず、島の至る所に深い塹壕を掘って、持久戦に持ち込んだ。このため「5日で落ちる」という米軍の読みはみごとに外れ、1ヶ月以上も続く大激戦になった。

 この1ヶ月あまりにわたる消耗戦で日本軍はそのほとんどの1万9900人が戦死したが、アメリカ軍も6821名もの戦死者を出すことになった。太平洋戦争最大の激戦といわれるゆえんである。

 栗林は3/25日、残存兵400を率いて、米軍の露営基地に奇襲をかけた。映画でも栗林は最後は兵の先頭に立って戦い、負傷する。そして拳銃自殺する。二宮君が演じる一兵卒が彼の最後に立ち会い、シャベルで穴を掘って遺体を埋める。

 この最後のシーンは栗林を演じた渡辺謙さんのアイデアだったようだ。クリント・イーストウッド監督は、栗林を武士らしくハラキリさせようと考えていたらしい。

 実際の栗林はどうだったのか。目撃者の証言によると、最後の戦いでは白襷をして兵の先頭に立ったという。しかし、彼の最後を実際に目撃した人はいない。栗林は途中で腿を負傷したらしいという証言はあるので、そのあと、拳銃で自決したのかも知れない。

 いずれにせよ、師団長が先頭に立って戦うということは前代未聞である。最高指揮官は最後尾にいて、敗戦を覚悟すれば静かに名誉の自決をする。こうした帝国軍人の常道をとらず、栗林は自ら最前線の戦場で死ぬことを望んだようだ。

 生存者の証言によると、身分を表す徽章もサーベルも外していたというから、戦死しても敵の大将だと米軍に知られることはなかっただろう。栗林はあえて「一兵卒」として戦死する道を選んだのかも知れない。

 大本営は激戦のさなか、2/28に硫黄島に向けて感謝の放送をする。映画でもこのエピソードが紹介されていた。栗林のふるさとである長野県松代の子供たちが歌う歌声がラジオの電波に乗って流れてくる。栗林を演じる渡辺謙がそれにじっと耳を傾ける。家族思いで子煩悩だった彼は万感胸に迫る思いだっただろう。

 このラジオ放送は内地にも流れたのだろう。当時軍国少年だった人たちも、これを聞いたのではないだろうか。当時の国民が硫黄島陥落のニュースを、どういう思いで聞いたのか興味がある。

 アメリカを震撼させたこの硫黄島での日本軍の驚異的な粘りは、栗林の秀逸な作戦の成果と言えるだろう。しかし、兵に安易な玉砕を許さないのは、ヒューマニズムではない。あくまでも「敵兵を一人でも多く倒すべし」という戦場における冷徹な計算によるものである。

 ある意味で「最後まで生きよ」というのは、食料もなく水もない兵卒にとって、バンザイ突撃の玉砕よりもつらく苦しいことであったに違いない。考えようによっては、栗林は鬼将軍である。こういう非情さが映画では描かれていない。栗林を人間味のある名将として美化している。この点は少し不満である。

 栗林は硫黄島を死守することが本土を守ることだと考えていたが、じつはグアムを飛び立った米軍機の大編隊が、硫黄島の近くをかすめて、3/10に東京を焼け野原にしている。そして10万人ともいわれる市民が犠牲になった。これを栗林はラジオで聞いて知っていたはずである。

 栗林の近くにいた人の証言では、この頃、栗林は生気をうしなっていたという。「好々爺のように弱々しく、まるで子供たちに手を引かれるように歩いていた」という証言が残っている。こうした挫折感に満ちたエピソードも映画では描かれてはいない。

 硫黄島が陥落すると同時に、今度は沖縄に米軍が押し寄せてきた。そしてここで、民間人を巻き込んださらなる悲劇が繰り返される。沖縄守備隊の司令官の頭に「硫黄島に負けるな」という思いがなかったはずがない。

 軍部の上層部は硫黄島での驚異的な粘りを国民の戦意高揚の宣伝にした。さらに本土決戦にもちこめば容易に負けないという無謀な作戦の支柱にさえなった。そのために栗林の大本営あての最後の電文にまで手を加えて、新聞に発表している。

 イーストウッドの「硫黄島からの手紙」はたしかにこれまでの戦争映画の水準を越えた秀作だと思うが、それだけに軍人精神や武士道賛美といった胚珠を育てかねない危険な面を持っている。

 いずれにせよ、この映画を見て「硫黄島の真実」がわかったような気になるのは危険である。実際に硫黄島で戦い、重症を負って九死に一生を得て帰還したした人たちが少なからずいる。

 「硫黄島からの映画」を見た人には、たとえば次の記録にも目を通してほしい。実際に硫黄島で戦った人の赤裸々な記録である。これを読めば、「映画」とはまた違った硫黄島の真実が浮かび上がってくるかも知れない。

「祖父の硫黄島体験記」
http://www5f.biglobe.ne.jp/~iwojima/index.html 

「戦争体験記・南方篇」(含む硫黄島)
http://www.geocities.jp/sato1922jp/nanop.htm


2006年12月26日(火) 超初心株日記(7)

 今年始めた新しいことにネット株がある。去年の暮れに妻から100万円借りて、今年の1月から運用を始め、最終的には6社の株を保有した。購入した日付順に並べてみよう。

 1/13 ライブドア(100株)    6万8000円
 1/13 スターバックス(1株)    5万6400円
 1/18 スターバックス(1株)    5万5500円 
 1/18 ヤマハ(100株)     19万6500円
 1/31 トヨタ合成(100株)   22万9500円
 1/31 ヤクルト(100株)    26万000円 
 2/9 SBIホールディングス(1株) 7万000円  

 早々にライブドア事件があり、村上ファンド事件があった。4月6日には5年9月ぶりの高値1万7489円を記録したが、その後はぱっとしない展開だった。

 結局、ライブドア株は上場廃止の寸前の3月に、1株百数十円という安値で売却した。12月に入ってSBIホールディングスとスターバックスを安値で売却した。これによって、つぎのような欠損が生じた。

 ライブドア       △5万5900円
 SBIホールディングス △3万7000円 
 スターバックス     △7800円

     (欠損合計 10万0700円)

 しかし、さいわいなことに、他の3つの銘柄で、株価が大きく上がった。12/25現在での各銘柄の値上がり益は次の通りである。

 ヤクルト ○8万4000円
 豊田合成 ○4万1000円
 ヤマハ  ○4万9000円

   (株価の値上がり益合計 17万4000円) 

 結局この1年間の株式投資の総決算をすると、

  17万4000−10万0700=7万3300円

 ということになる。つまり現段階で株を清算すれば、100万円を投資して、7万円あまりのキャピタルゲインが得られるわけだ。利潤率は約7パーセントということになる。

 ところで、05年12月に各国の株式に100万円円投資していたら、一年後の06年12月現在、それが平均でいくらになっていたか、昨日の朝日新聞のマックス証券の広告に統計が載っていたので引いておこう。

 日本    98万1900円
 アメリカ 112万0700円
 中国   161万8900円
 インド  144万1100円
 ロシア  160万09700円
 ブラジル 132万5900円 
 イギリス 124万7100円
 ユーロ圏 130万0180円

 これを見ると、世界の多くの国でこの一年間でかなり株価が値上がりしている。主要国の中で株価が値下がりしたのは日本くらいだが、そうした逆境の中で100万円を107万4000円にしたのだから、初心者にしてはまずまずの出来といえる。

 株投資をはじめて、いろいろと勉強になった。一攫千金をねらったライブドアもSBIホールディングスは大失敗だった。しかし、運用資金の大半をつぎこんだのは社会的に信用の高いヤクルト、豊田合成、ヤマハである。この堅実さが最後にものを言った。

 もともと株を始めたのは、定年後の退職金の資金運用を睨んで、トレーニングをしておくためである。しかし、途中から面倒になって、ほとんど放置状態になった。そして最近はパソコンなどを購入するために20万円を引き出した。現在、所有株の時価総額は87万円ほどである。これをいずれは100万円にして、妻に金を返してやりたい。


2006年12月25日(月) 木曽川の鳶たち

 昨日はクリスマスイブ、そして朝から清々しい快晴だった。8時頃、次女と妻と3人で連れ立って、一宮市の市長選挙の投票に行った。5人の候補の中で、ただひとり公共事業の縮小を掲げている候補がいたので、その候補に投票した。

 私のすむ辺りはまだ開発がすすんでいない。その分、長閑な田園風景が残っている。これを壊してほしくはない。そういう思いで投票したが、公共事業で食べている人には気の毒だ。教育や福祉政策の充実をお願いしたい。

 選挙から帰って、次女はすぐに家を出た。これから彼氏と1泊2日で神戸に遊びに行くのだという。長女も彼氏と旅行だそうだから、クリスマスイブもクリスマスも夫婦二人ということになる。まあ、年頃の娘をもつ親はこんなものかも知れない。

 娘を送り出したあと、珍しく妻が「たまには二人で散歩でもしてみない」と誘ってきた。そこで明るい日差しの中を、木曽川の川原まで二人で歩いた。

 川原は一面の冬枯れである。そして小石と砂の緩やかな傾斜の向こうに青い木曽川の流れがある。私が小石を拾って川面に投げると、しばらくして空の一角に2羽のトンビが姿をあらわした。

 この2羽はこのあたりを縄張りとしている夫婦だ。そこで妻が持参した「かしわの皮」を水面に投げてやった。2羽のトンビは輪を描きながら悠々と降りてくる。

 しかし、トンビが水面に降りる前に、横合いからすばやく餌を失敬していくものがある。それはカラスたちだ。すでに私たち夫婦が川原に現れたときから、カラスが一羽、近くの枯れ木に止まって様子を眺めていた。餌を投げると同時に、そいつが「カア」とないた。

 そうするとカラスが何羽もやってきた。トンビが上空で優雅に輪を描いているあいだに、彼等は一直線に水面をかすめ、次々と餌を失敬していく。トンビが水面に来たときにはあらかたなくなっている。

 そこで妻はその頃を見計らって二回目の餌を播く。カラスが再び殺到するが、二羽のトンビもどうにか餌にありつく。そうしているうちに、上空にもう一羽、別のトンビがあらわれる。いつもは2羽がつがいでくるようだが、昨日は1羽だけだった。

 そこで妻は、その新参のトンビにも餌をやろうと、最後まで残しておいた餌を海面に投げてやる。ところがカラスには鷹揚だった先着のトンビのオスが、この新参者のトンビに襲いかかる。新参トンビはその襲撃をかわして、なんとか水面の餌を掴む。

 しかし、あとは妨害されて、なかなか水面に近づけない。二羽のトンビがこうして内輪揉めの縄張り争いをしている間に、カラスが次々と餌を奪い合う。

「馬鹿だな、餌を食べてから喧嘩すればいいのに」
「いつもこうなのよ。これじゃ、トンビはカラスに負けるわね」

 私も妻も抜け目のないカラスよりも、このどこか間が抜けたトンビが好きだ。私もトンビが餌をとると、「よくやった」と思わず拍手をしたくなる。「トンビよ、カラスに負けるな。そしてもうすこし、利口になれ!」と思わずにはいられない。

(昨年の今日、飼っていたうずらのハルコが死んだ。クリスマスの日がハルちゃんの命日である。ハルちゃん、メリークリスマス。天国でも元気に砂浴びしているかい)


2006年12月24日(日) 日記よ、ありがとう!

 HPに日記を書きだして、7年あまりが過ぎた。もうじき2700日になる。この間、一日も休まなかった。われながらよく続いていると思う。これからもこの記録を伸ばしていきたい。そのために大切なのは、まず第一に健康である。たんに体だけではなく、精神もまた健康でなければならない。

 昭和天皇は15歳の時から日記を書いていたという。これは宮内庁が管理していて、公開はされていない。一部でも公開してくれればと思うが、そうするとこれを政治的に利用しようという人たちが現れるかも知れない。むつかしいところだ。

 私の日記は公開をしてもしなくても影響はない。高校生の頃から大学ノートに書いていたが、その頃は数年間書いた後、まとめて焼いていた。現在、私の手元に32歳の頃からの日記帳が十数冊残っているが、これも近いうちに焼き捨てようと思っている。

 20冊近くたまると、日記を処分するのも、一仕事である。3年ほど前に新婚当時の日記を1冊処分したが、川原で火をつけて焼くのがたいへんだった。この点、HP日記は処分が簡単である。キーボードを数回叩くだけでおしまいだ。

 高校時代から書いていた日記だが、内容は読んだ本の感想やメモが主体だった。私は昔から読書が好きで、ヒマがあれば本を読んでいた。そして読んだ本の感想や印象に残った言葉を書き留める。こうした習慣は今も続いていて、図書館や喫茶店へも必ずメモ帳を持っていき、その場で書きとめる。その延長上にこの日記があるわけだ。

 読み流すだけではなく、それを書きとめることで印象が鮮明になる。それを何度か読み返し、記憶を新たにして咀嚼する。そうして作者と対話をしながら、自己の認識を点検し、そして自らの精神の栄養にする。こうしたことを私はもう数十年間やってきたが、自らの思想を育てるうえで、日記はその大切な培地だった。「日記よありがとう」と今は感謝の気持ちでいっぱいだ。


2006年12月23日(土) どの国に生まれたい?

 私は生まれ変わりということを信じていないが、「今度生まれてくるとしたら、どんな国がいいか」というふうなことは考える。そして、人にも質問する。

Aさん「私はスエーデンやフィンランドのような平和で豊かな福祉国家がいいですね。税金は高いが、その代わり教育費も医療費も全部国が面倒をみているでしょう。政治がしっかりと役目を果たしているので、貧富の格差が少ない。社会が安定していていいですね」

B君「僕はアメリカのような自由な社会がいい。たしかに格差はあるけど、その分、成功すれば大金持ちになれるし、夢のような生活ができる。お金ばかりではなく、いろいろなことに挑戦できるのが魅力だ。ぜひ、アメリカ人として生まれ変わりたい」

 私の同僚のAさんも、息子さんのB君とこんな会話をしたのだという。北欧を旅行したことがあるAさんは、日本もフィンランドのような福祉国家になればいいと思っているが、アメリカに留学体験のある息子さんは、フィンランドは退屈でつまらない、アメリカの自由がいいという。

 Aさんは「息子は北欧に行ったこともないのに、生意気すぎる」とおかんむりだが、息子さんも「アメリカに住んだこともないのに」と同じ言葉を返すに違いない。

 私はアメリカの「自由」も、フィンランドの「平等」もいいと思っている。その中間をとってフランスあたりもがいいかな。こう考えてきて、日本という国があるのに思い至った。中国や韓国、インドなどのアジアの国々もある。

 私たちは自分の国籍や両親を選んで生まれてきたわけではない。私の場合はたまたま日本という国の、もっとも平和で豊かな時代に生まれ合わせた。そして私の両親も教育に理解があり、私に高等教育を受けるチャンスを与えてくれた。

 この恵まれた条件の中で、私もそれなりに努力をして、今日の幸福な人生を築きあげた。私は自分の人生を振り返るたびに、感謝の気持ちで一杯になる。そしてこの幸せを、自分の娘たちも享受させてやりたいものだと思っている。

 世界には貧しい上に紛争や戦争にあけくれている国もある。そうした国で生きている人は大変だ。もし生まれ変わりを信じるのなら、どの国のどの階層に生まれ変わってもよいように、世界が平和で豊かになるように努力すべきだろう。


2006年12月22日(金) 祖国を愛する心

 小学校の頃、昭和天皇が行幸にこられて、私たちは日章旗を手に持ってお迎えした。天皇陛下は帽子を頭の上に持ち上げて、私たちに笑顔で会釈された。人のよさそうなふつうの好々爺という感じだった。

 戦時中に皇国教育を受けられた戦中世代の方や、戦争に行かれた人は、天皇に対して、いろいろな感情があるだろう。昭和天皇の戦争責任を看過できない人もいるだろう。

 天皇が再び利用されるようなことがあってはならない。しかし、若い世代を見ていると、「愛国心」のトリックに再びひっかかりそうで、少し心配である。

 姜尚中(カン・サンジュン)さんの「愛国の作法」(岩波新書)に「国民新聞」の記者として明治時代に健筆を揮った竹越与三郎の「人民読本」(明治34年)が引用してある。

<もし過ちて、何事も我国民の為になしたることは是なりとするが如きことあれば、これ真正の愛国心にあらずして、虚偽の愛国心なることを忘るることなかれ。・・・愛国心あるものは、起って国家の過失を鳴らして、これを矯正せざるべからず。この時に方りては、国家の過失を鳴らすことは、すなわち愛国の所業なり>

 竹越はまた、「己を愛する心を押し広げて、国民全体を愛するの心事より出でんには、一として愛国の所業ならざるはなし」とも書いている。つまり、自愛心の延長に、「愛国心」があるという立場だ。

 自己を愛するように隣人を愛する心は、キリストの博愛にも通じる。家族を愛し、郷土を愛し、その延長で国を愛し、そして世界の人々を愛する。こうしたおおらかなところがいい。少なくともこうした愛国心からは戦争は生まれない。

 しかし愛国心はむしろ、自愛心からではなく、利己的で偏狭なプライドから生まれる。それは他者に対する敵意や軽蔑をふくむ。こうした排他的な愛国心から、戦争が生み出されていく。

 さらにもう少し考えてみる。そもそも「国家」というのは何者なのだろうか。家族や郷土の自然な延長として国をとらえることに問題はないのか。じつのところ姜尚中(カン・サンジュン)さんは「愛国の作法」で「愛国は愛郷の延長ではない」とはっきり断定している。

<近代的な意味で立憲主義に基づく国とは、歴史や伝統や文化ではなく、人々の意志的な結合によって成り立つ「国民」(デーモスとしてのネーション)国家(人工国家)のはずです。この意味で、国家は、「公共社会」を主観的に担う国民の不断の作為的な営為によって成り立っているのです>

 そもそも国家とは自然な産物ではなく、人工的な社会組織にすぎないわけだ。それがいつの間に家族や郷土の延長として同心円的に捉えられていく。そして、自我愛、家族愛、郷土愛の延長として、国家愛があたかも実体を持つもののように立ちあがり、この幻想が共有されていく。

 カントリーとしての「国」は権力を帯びていない。それは美しい自然であったり、親しい友人であったりする。しかし、ステートとしての「国家」は権力を持ち、人々を統治する。こうしたステートとしての人為的存在としての「国家」を理解する政治感覚が日本人は鈍いのではないか。

<若者たちが、自分たちが生まれ育った国を自然に愛する気ちをもつようになるには、教育の現場や地域で、まずは、郷土愛をはぐくむことが必要だ。国に対する帰属意識はその延長上で醸成されるのではないだろうか>(安倍「美しい国へ」)

 姜尚中さんは著作の中で、「権力政治の自己認識の欠片さえもない」と安倍首相のこの政治感覚の欠如した文章を批判している。そして。これに対比して、つぎの文章を引いている。

<国家とは、ある一定の領域の内部で、正当な物理的暴力行使の独占を要求する人間共同体である>(マックス・ウェーバー「職業としての政治」)

<国家は、自分の家族といふ如き自然的愛情の直接の対象ではなく、実は人間の感覚や経験を越えた抽象的なものであって、想像力に頼らなければ、これを具体的に掴むことはできない>(清水幾太郎「愛国心」)

 国家というものがこうした人工的な産物であるという認識は現代政治学の常識だとすると、この常識が学校でまともに教えられていないことが問題だ。それとは反対に、「国家」をあたかも永劫の過去から存在した何かとても神聖なもののようにあつかう神話的な国家観が幅をきかせはじめた。これはとても危険なことだと思う。

 国家は個人生活を安全で豊かにするために人工的に存在するのであり、個人の上に立って思想・心情にまで介入することはあってはならない。こうした考え方が共有されれば、この世界はもっと住み良いものになるだろう。

 しかし、私は国家が人工の産物であり、将来これを消却すべしという「国家不要論」(政治不要論)にも疑問を持っている。それは現代のような弱肉強食のグローバリズムが進行するなかで、個人は「国家」という城壁をうしなうとき、限りなく無力な存在に陥るという現実があるからだ。現にこうした庇護を失って孤立した若者たちが、国家への過剰な期待と幻想を抱いて保守化している。

 私自身は「国家」は私たちの生活を守る上で、とても大切な存在だと考えている。そして、よりよい「日本」を建設するために努力を惜しまないことが国民としての義務だと考えている。姜尚中さんも「愛国の作法」で南原繁さんの次の言葉を、ある戸惑いを隠さずに引いている。

<この祖国をして、内は同胞とともに自由を享受する住みよい国土とすると同時に、外は世界の平和と文化に寄与する偉大な国民たらしめたいのである。それこそ真の祖国愛でなければならぬ。いまの日本に欠けているのは、青年の心に訴える、そうした民族の理想とヴィジョンと情熱であろう>

 南原さんのいう「祖国愛」をどう評価するか、私もこの言葉に前に立ち止まって思案を巡らせている。「愛国心」の強制に怒りを覚えながらも、自分をまっとうな愛国者であると考える。そして、自分の中で熱く燃え滾る「祖国愛」を否定しきれない。こんな私は古い体質の人間なのだろうか。


2006年12月21日(木) 財政赤字からの自由

 19日に発表された来年度予算財務省案をみると、一般会計は82兆9088億円である。税収が前年度より7兆5900億円ふえて、53兆4700億円になっている。税収が増えたのは法人税の増収と所得税増税(定率減税の控除廃止1兆1千億円)によるものらしい。

 この結果、03年度には19兆8千億円もあった赤字幅が4兆4千億円に減少した。来年度は新規国債の発行も4兆5千億円減らして、25兆4千億円あまりですみそうだという。

 もっとも増収で赤字幅が減少してといっても、まだまだ借金財政は続くわけだ。支出を見ると、一般歳出が46兆9783億円なのに対して、国債費に20兆9988億円もあてている。それでも07年度末の国債残高は10兆円増えて547兆円になる。国と地方をあわせた長期債務残高も6兆円あまり増えて、773兆円ほどになるという。

 7年ほど前、このHPを始めた頃、私は何度も借金をなくせ、そのために法人税を上げよ、所得税の累進課税率や相続税率をもとにもどせと熱心に主張してきた。この主張は基本的にはかわらない。その理由を簡単にもう一度繰り返そう。

 政府は国債を発行して、社会的インフラを整えた。それ自身は悪いことではない。なぜならこれによって日本経済は奇跡的に発展し、個人金融資産が何と1500兆円にもなった。つまり、簡単に言えば770兆円を投資して、1500兆円稼いだのである。しかもこの他に、国や企業が保有する莫大な金融資産がある。

 しかも国債によってつくられた社会インフラは今後も使用可能である。無駄な施設も山ほどあるが、多くのものは有益で、これらは次世代にも受け継がれ、これからも多くの便益と富を生み出すだろう。つまり、773兆円の投資はいろいろな国民的共有財産を生みだしてきたし、これからも役に立つものである。

 ところで、こうした社会サービスに対して、国民はその対価を払わねばならない。それが「税金」である。受益者負担の原則によれば、これによって多くを稼いで恩恵を受けている企業や個人がこれを負担すべきだろう。とくに個人金融資産をしこたまためこんでいる人たちからはこれを国庫に還元してもらうべきである。

 もっとも、法人税の値上げや、所得税の値上げについて、私がいくら主張したところで、そう簡単に実現はしない。この国は民主国家だといいながら、実権を握っているのは経団連を代表とする財界であり、財界をパトロンとするメディアや、二世、三世の世襲政治家である。

 そこで、私は最近はもうすこし違ったアプローチで借金財政を解消する方法を推奨することにした。それが「国債の日銀引き受け」である。つまり国の借金をすべて日銀に肩代わりをしてもらうわけだ。

 07年度でいえば、政府は25兆円あまりの新規国債を発行する予定だが、そのうち20兆円分は発行済み国債の償却費である。もし、国債を日銀に引き取らせれば、この20兆円が浮くわけで、赤字は5兆円である。この赤字はおそらく数年後には解消するだろう。

 そのかわり、日銀は毎年20兆円ほど「日銀券」を増刷することになる。これは1500兆円という個人金融資産からすれば大した金額とはいえない。国債の日銀引き受けでハイパーインフレの発生を懸念する人がいるが、これは800兆円ものお金が一気に市場に出ていくと考え違いをしているからである。

「橋本推奨方式」の利点はこれが財政赤字の解消になるだけではない。これによって法人税や所得税の値上げを回避することができる。しかもマネーサプライが多少増えることで、消費が伸びて経済は活性化する。

 これは企業活動にとっても、個人の家計にとっても朗報であろう。この方法は富裕層にとっても、貧困層にとっても悪いものではない。つまり、だれも痛みを伴わず、損をしないというありがたい方式である。


2006年12月20日(水) 愛国心のトリック

 高校3年生の時、国語の先生の家に遊びに行き、その蔵書の多いのに驚いた。「何か面白い本を推薦して下さい」というと、先生が「これはすごい本だよ。読んでごらん」と一冊の文庫本を貸してくれた。坂口安吾の「堕落論」だった。

 たしかにこれは面白かった。痛快だった。これを読むと、世の中の「からくり」がとてもよくわかった。そして「からくりを知る」ことの大切さもよくわかった。坂口安吾は「国民よ、目を覚ませ。もっと賢くなれ」と訴えかけている。このことが、高校生の私にもよくわかった。

 先生の自宅にはその後も何度かお邪魔したが、そのうちその先生(渡辺先生)が坂口安吾のように思えてきた。葡萄酒を片手にふらりと出かけていって、先生といろいろ議論することが私の楽しみになった。こんなことを思い出したのは、中日新聞に連載中の「続堕落論」をたまたま昨日読んだからである。

<その天皇の号令とは天皇自身の意志ではなく、実は彼等の号令であり、彼等は自分の欲するところを天皇の名に於いて行い、自分が先ずまっさきにその号令に服してみせる。自分が天皇に服する範を人民に押しつけることによって、自分の号令をおしつけるのである。

 自分自らを神と称し、絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかづくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼等は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかづき、自らがぬかづくことによって天皇の尊厳を人に強要し、その尊厳を利用して号令していた。(略)

 藤原氏の昔から、最も天皇を冒涜する者が最も天皇を崇拝していた。彼等は真に骨の髄から盲目的に崇拝し、同時に天皇をもてあそび、我が身の便利の道具とし、冒涜の限りをつくしていた。現代に至るまで、そして現在も尚、代議士諸公は天皇の尊厳を云々し、国民は又概ねそれを支援している>

 今日喧伝されている「愛国心」もこのたぐいではないかと、私はうたがっている。民主主義国家を標榜している以上、「天皇」の威厳を借りることはできない。そこでこれに代わるものとして「愛国」という便利なものを持ち出してきたのだろう。

 そして人々はかって天皇にぬかづいたように「国旗」にぬかづきはじめた。もっとも愛国心のない者が愛国心を叫び、これを国民に強要し、これの権威や威厳を利用して、国民を都合よく支配しようとするわけである。この「からくり」にいまだに多くの人々は騙され続けている。

(参考文献)

−−−−−中国新聞ニュース'06/12/17−−−−

 【ワシントン16日共同=太田昌克】日本で軍部ファシズムの台頭につながった一九三五年の「天皇機関説事件」をめぐり、文部省思想局(当時、以下同)が憲法学者ら十九人を「速急の処置が必要」など三段階に分類、機関説の修正に応じない場合は講義を担当させないなどの報復措置を警告し、学説の変更を強要していたことが十六日、分かった。思想局の秘密文書が米議会図書館に保管されていた。

 事件から七十年余。政府が学者を個別に攻撃、転向を迫る徹底した思想統制の過程が個人名や具体例とともに判明した。複数の専門家は、文部省による具体的な圧力の実態を記した文書が確認されたのは初めてだとしている。

 文書は、米国が終戦直後に日本で接収した「各大学における憲法学説調査に関する文書」で、計約四百五十ページ。

 それによると、思想局は天皇機関説排撃の気運が三五年前半に高まったことを受けて憲法学説を本格調査。機関説を支持する度合いに応じ、十九人の学者を「速急の処置が必要」「厳重な注意が必要」「注意を与えることが必要」の三段階に分類した。

 その上で著書の改訂や絶版を求め、従わない場合は(1)著書発禁や憲法講義の担当解任(2)講義休講−などの報復措置を取ることを決定した。

 (1)には機関説事件に絡んで貴族院議員を辞職する美濃部達吉・東京帝大名誉教授の弟子、宮沢俊義・同大教授らが(2)には佐々木惣一・立命館大教授らが該当。対象となった学者は講義内容を変更、著書三十冊以上が絶版に追い込まれた。

 文書によると、一部の学者は「拙著憲法原論は根本的に修正しつつ講義を進めている」などとした上申書を提出した。

 美濃部氏が唱えた天皇機関説は「国の統治権の主体は国家にあり、天皇は国家を代表する機関」とする学説。当初は政府も容認していたが、三五年二月に一部議員が議会で攻撃。右翼団体が排撃運動を進めた。美濃部氏が十九人の中に入っていないのは、既に著書発禁などの処分対象になっていたためとみられる。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200612170143.html

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2006年12月19日(火) 地道な労働にも光を

 現在は公表されなくなったが、以前は国税庁が年3000万円以上の納税者を「高額納税者」として、その名簿を公表していた。納税額から逆算すると、年収1億円以上の収入のある人たちである。橘木俊詔さんは「格差社会」(岩波新書)でこう書いている。

<今日の日本社会における高額納税者すなわち富裕層には、二つの職種が該当します。一つは企業経営者です。企業のトップ、社長や会長などです。・・・高額納税者の31.7パーセントが社長や会長などのトップであり、11.3パーセントが副社長以下の取締役となっています。合計43.3パーセントが経営者なのです。

 もう一つの職種は医者です。医者が高額納税者の15.4パーセントを占めていることになります。これらの数値を合わせると、日本の高額納税者の6割前後が経営者と医者になっています>

 高額納税者名簿に名前がのる経営者の多くは大企業の「サラリーマン経営者」ではなく、むしろ起業家とよばれる「創業経営者」である。ITやプログラム開発といった情報通信、飲食店チェーン、消費者金融、人材派遣業、パチンコ店経営者など、サービス産業の起業家が上位を独占している。

 とくに目覚ましいのは、IT産業である。この分野では社長や会長にならなくても、ときには巨額の収入を得ることができる。たとえば2005年の高額納税者のトップは外資系の小規模な資産運用会社に勤めるファイナンシャルマネージャーだった。彼は株式売買などの資産運用の手数料で、年間100億円もの収入を得たとされている。

 こうした情況をうけて、起業家をめざす人たちがふえている。政府もこれを奨励しているが、一方ではこうした創業者経営者はともするとワンマン経営に傾き、そうした企業で働く従業員の過酷な労働条件も問題になっている。ふたたび「格差社会」から引用しよう。

<サラリーマン経営者は、労働者としての経験があるので、ある程度、労働者の気持ちが分かります。その結果、労働者に過酷なことは要求できない、あるいは、しないという傾向があります。

 一方、労働者の経験がない創業経営者は、自分の企業で働く労働者の気分や感情などを、理解できない場合も少なくありません。なぜなら、はじめから資本家、経営者としての視点だからです。とかく自分の企業、ビジネスの成功ばかりに重点を置いた経営をしがちです。ライブドアの堀江氏が自社の時価総額が上がることに特に力を注いだり、株価の上昇を狙って買収や合併を繰り返すといった企業経営を行ったのも、そうしたことを物語っているのではないでしょうか>

 また、巨額の利益を上げている創業者経営者のなかには、社会的配慮や倫理性に乏しい人たちがいる。たとえば去年、村上ファンドが阪神電鉄の株を買い占めようとしたが、彼等の関心が鉄道事業にあったわけではない。むしろ資産が目当てだったという見方が一般的である。

<そうした人たちが、鉄道事業の経営に乗り出したら、どういうことになるでしょうか。鉄道という公共的なものの安全性さえ確保できなくなるかも知れません。このように資本の論理だけで経営を行うことは、様々な弊害を生む危険性があるのです>

 しかし、人間の価値さえもが年収で計られる時代である。<マネー>の力はあなどれない。多くの若者は高収入の起業家にあこがれ、あるいは医者になることをめざす。しかし、これが日本社会の人材配置に悪影響を及ぼすことも考えられる。引き続き橘木俊詔さんの「格差社会」から引用しよう。

<優秀な若者が企業を敬遠し、自分で起業して莫大な収入を得ることをめざすようになれば、どうでしょうか。企業に優秀な人材が集まりにくくなり、日本企業の中核部分の企業に「翳り」が発生する可能性があります。それらの企業の生産性も落ちるかも知れません。

 また、今日の高額所得者が従事する産業には、パチンコ店経営、消費者金融と言ったものがあると述べました。こうした産業が、高額所得の産業として現れたことも、近年の特徴と言えるでしょう。しかし、こうした業種が高額所得産業として位置づけられることが、はたして健全な社会と言えるのでしょうか。

 不景気といいながら、ギャンブルに多額の金を投入する人が増える。あるいは、多額の借金を抱える多重債務者が増える。「儲かる」という魅力に惹かれて、優秀な人材が基幹的な産業を支える大企業ではなく、こうした産業に流れていくとしたら、やはり人材配置の面でも、私は問題を感じずにはいられません。

 もちろん、若者の大多数が高収入を求めて、起業に走るということではありません。地道に企業で働きたい、という若者も多くいます。これらの若者が働きがいを感じながら、かつ日本経済の中核として活躍する場を提供するできるよう、労使の取り組みが必要でしょう>

 日本はこれまで大企業中心に動いてきた。これ是正する意味で企業精神を鼓舞することも必要であろう。しかし、ただ「高収入」ということのためでは、これからの時代は成功しないだろう。起業家をめざす若者にはもう少し広い社会的視野をもってほしい。

 また、日本の産業を支えてきたのは物作りを中心にした中小企業の高い技術力である。こうした現場で汗を流して働く人たちをも尊重し、彼等に希望と勇気を与えることのできる社会であってほしい。健全な社会とは、こうしたまっとうな労働を尊ぶ社会ではないだろうか。


2006年12月18日(月) 借金をなくす簡単な方法

 夕張市が14年振りに財政再建団体になった。職員の大半をリストラし、残った職員も大幅な賃金カットをするという。病院や土地など市の共有財産は民間に切り売りする。学校も統合する。そしてそれでも残った負債は、住民の税金で何年もかかって返却していくのだという。

 この市や政府の方針に、住民が怒っている。医療や教育などの公共サービスは大幅に水準が下がり、生活保護費も下げられる。お金持ちは夕張市から逃げ出せばよいが、住民の多くはそれもできない。市はますます税収を失い、過疎化してゆく。これでは無限地獄ではないか。

 夕張市で起こっていることは他人事ではない。2006年末で地方債の残高は204兆円をこえる。あすは我が身の問題なのだ。しかも国も厖大な借金がある。夕張市の現状は、近未来の日本の姿でもある。

 政府は地方のことは地方で責任を取らせる方針で、ちかく地方自治体の「破産」を認める地方自治体破綻法を成立させたいようだ。もはや国の財政赤字で手いっぱいなので、地方のことなど構っていられないということらしい。

 しかし、そもそも地方の赤字が膨らむことになった元凶は中央政府にある。日本は80年代にアメリカと日米構造会議をおこない、91年から2000年までの10年間で430兆円の公共投資をおこなうことを約束した。

 この公約を実現するために、90年から「地域づくり推進事業」、93年から「ふるさとづくろ事業」が地方債の発行を財源にして行われた。

 もちろん地方債は勝手に地方が発行できるものではない。都道府県と政令指定都市の場合は総務大臣の、その他の地方自治体の場合は知事の認可が必要である。というより、総務省が財務省と計って地方債発行の計画をつくり、下に降ろしていたというのが現状である。だからこうして発行された地方債には暗黙の内に「国家保証」がついていた。

 国の指導でこうして大量に発行された地方債がいま地方自治体の首を絞めている。ここにきて「国家保証」をなしにする、借金は「自己責任で」と言われては立つ瀬がない。今頃になって、都合良く地方分権をいわれても納得できない。そこで住民が怒りだしたわけだ。

 地方を借金漬けにした責任の大半は政府にある。この認識に立てば、解決法は一つしかない。それは地方債をすべて国が買い取るのである。そうすれば地方自治体は借金が0になり、住民は救われる。

 しかし、それでは国が破綻するではないかと人は言うだろう。たしかに夕張市のすがたは日本の近未来である。そこで、どうするか。ここに簡単明瞭な解決策がある。国債をすべて日銀に買い取らせるのである。これで国の借金は0になる。増税の必要もないし、社会保障を削減する必要もない。これで国民が幸福になる。

 ところが日本の政治家はこの簡単なことができない。できないのは、「できない」と思い込んでいるからだ。「前代未聞だ」「慣例がない」というだけで「むりだ」と思い込んでいる。

 アレキサンダー大王ならこのゴルディオスの結び目を簡単に切断したことだろう。おそらくく田中角栄級の政治家ならこれをやるかもしれない。しかし、現在の日本の政治家は小粒な上に頭がかたい。そして政治家だけではなく、多くの学者や国民も又、この簡単なことを、とほうもなく難解な問題だと考えている。


2006年12月17日(日) 母を見舞う

 昨日、ふたたび青春18切符を使って、福井の病院に入院している母を見舞った。母は水曜日に会った時と比べると、ずいぶん回復して元気そうだった。私の持参したフルーツゼリーもうまそうにたべてくれた。食欲が回復したようだから、これならもう大丈夫だろう。

 病床の母から、若い頃のことをいろいろと聞いた。私は母が結婚前に就職したのは銀行だと思っていて、「幼年時代」にもそう書いたが、よく聞いてみると「泉商事」という大きな繊維問屋だった。その他、いろいろと私の思い違いを訂正することができた。

 昨日の夜は、実家に泊めてもらうことにした。弟一家とひさしぶりにゆったりと一夜を過ごした。いつも盃に一杯の晩酌が、昨日は一合と少し熱燗で飲んだ。田舎でとれたという薇の煮付けや、仕出し屋から取り寄せた刺身の盛り合わせがうまかった。あれこれ話をしているうちに、12時を過ぎていた。

 今日は弟が母を病院に迎えに行き、一家でデパートに食事に行った。これは母のたっての希望なので、病院の医者の許可を取り付けて実現したが、デパートの食堂でも母は「ステーキ御膳」を注文した。とても病人とは思えない健啖ぶりだった。

「あんまり無理をすると、あとでつらくなるよ」
「無理はしないから、大丈夫」
「それでも、あとでつかれるよ」

 母はデパートで買いたいものがたくさんあるという。弟と4人の息子たち手分けして買うことになった。私は母の手を引いて地下の食品売り場に行き、母が「玉露」を買うのを見守った。母がカードで払おうとすると、弟がやってきて現金を差し出した。本当は私が払えばよいのだが、あいにく財布の中が淋しいのでしかたがない。なかなか思うように親孝行はできないものだ。


2006年12月16日(土) デンマークの風車

 風車と言えばオランダが有名だが、現在デンマークにもたくさんの風車があるそうだ。それは風力発電のための風車だ。その数は6000をこえるという。95パーセントが個人所有らしい。

 デンマークは1973年の石油ショックまで、エネルギー自給率は1.5パーセントしかなく、その大半を中東からの石油にたよっていた。しかし石油危機を境に、デンマークはエネルギー自給率向上にむけて走り出した。

 77年にエネルギー税を新設して、石油と石油商品の価格を高くし、電力料金を上げることで、風力発電、太陽光発電、バイオマス発電の需用を喚起した。

 この結果、エネルギー自給率はみるみる改善された。90年には54パーセントに高まり、現在は130パーセント以上になり、周辺国に電力を供給するほどのエネルギー大国になっている。

 国内総生産も順調に伸ばしながら、しかも二酸化炭素排出量は1988年レベルより20パーセントも削減するなど、地球環境問題でも貢献している。しかも食糧自給率はなんと300パーセントだというから驚きだ。日本とは大違いで、国民がよほど賢いのだろう。

(参考文献)
「悪夢のサイクル」 内橋克人 文芸春秋


2006年12月15日(金) 新聞投稿で文章修行

 12月7日の日記「仲直りして育つ子供の心」は、朝日新聞の「声」に投稿した文章である。たまたま同じ日に新聞にも掲載された。

 掲載された文章を見ると、題が「大人が見守る子どものけんか」とかわっている。その他、いろいろと直されている。こんな具合である。

 喧嘩→けんか
 いつ訪問しても→(略)
 ちょっかいをかける→ちょっかいを出す
 私もうるさい奴らだなと思いながら→(略)
 出会った→出くわした
 喧嘩のやり方→けんかの仕方
 「えっ」と身をすくまして→(略)
 昔は「喧嘩両成敗」で、派手にやっていた→昔も派手にやっていたものだ
 喧嘩を奨励するつもりはないが→(略)

 −−−−大人が見守る子どものけんか−−−−−

 私の弟には4人の息子がいて、にぎやかだ。下の子がやんちゃで、上の子たちにちょっかいを出す。そして最後には泣かされる。それでもまたけろりとして、上の子に足げりをする。

 こうした騒々しい芝居さを見守るのも、大人の愛情である。子供たちも大人に見守られているので、安心してけんかができる。こうして元気よく育っていくわけだから、「けんかはあっちでしろ」といいたいのを我慢する。

 散歩の途中、小学生の男の子が道端の畑でかんかをしているのにでくわした。一方が傘を持っている。けんかの仕方を知らないと大けがをするかも知れないと思いながら、足をとめて見守った。

 そこに、近所の老人が現れ、「おい、へびがいるぞ」と脅かした。二人はあわてて畑から出ていった。けんかを忘れたように、仲良く肩を並べていた。

 昔も派手にやっていたものだ。けんかと仲直りを繰り返しながら友だちになった。あまり神経質になると事なかれ主義になり、友達をつくる機会が奪われるのではないかと思う。

−−−−−−−−−−−−

 掲載された文章の方がすっきりしている。さすがはプロだ。朝日新聞の「声」への掲載は48回目だが、こうやって投稿した文章と比較してみると文章の勉強になる。3000円の図書カードをもらって添削指導を受けられるのだからありがたい。ちなみに各年の掲載数をあげておこう。

  2000年・・・14回
  2001年・・・10回
  2002年・・・8回
  2003年・・・6回
  2004年・・・2回
  2005年・・・3回
  2006年・・・5回

 以前は現金で3000千円もらっていた。これをためておいて、年末にユニセフや「ペシャワール会」に寄付していた。しかし、2004年に図書カードになってからは、娘や生徒にやったり、自分で使うことが多くなった。現金でなくなったせいか、投稿回数も減っている。われながら現金なものだ。


2006年12月14日(木) 病床の母

 一昨日の12日の午前中に、福井の弟から「母が入院したが、容態が思わしくない」という電話があった。母はC型肝炎の治療のために今年の春からインターフェロンを使った治療をうけていた。2週間ほど前にその投与を受けた直後から様子がおかしくなり入院していたらしい。

「兄さんが心配するといけないから絶対報せるなと口止めされていたけど、最近は言語障害や意識障害もでてきたんだ。正気を失ってからでは手遅れだと思ってね」

 弟の電話に驚いた。母は治療を受けて、元気に回復しているものとばかり思っていた。そういえば、10月中旬頃に母から来年の5月に父の17回忌をするという連絡をうけたきりだった。最近はこちらから電話もしていなかった。母がそんな深刻な状態だとは、思ってもいなかった。

「とにかく、明日、見舞いに行くよ」
「できたら、明日一泊して行ってよ」
「そうだな、母の容態によっては、泊めてもらうかも知れない」

 弟とそんな会話をした。直ぐにでも会いに行きたかったが、1年生と2年生の数学の追考査があるので、その準備をしておかなければならない。一昨日は学校に出かけ、大急ぎで問題をつくり印刷した。これで学校は当面何とかなる。

 昨日は朝7:45の電車で木曽川駅を出た。例によって青春18切符の旅である。いつもは鈍行列車の旅が楽しいのだが、気持がせいた。岐阜から特急に乗り換えれば良かったと思った。

 母の入院している福井病院についたのが12時過ぎだった。この病院で義理の妹(弟の嫁)が薬剤師をしている。薬局の前に行くと、すぐに目が合った。彼女から20分ほど、母の様態を聞いた。

「いま、状態がわるいので、私のことも誰だかわからないくらいなんです。でも、昨日はお兄さんがくると知って、とても喜んでいました。お兄さんの顔を見れば、元気になるかもしれません」

 同じ病院に嫁が薬剤師として勤務しているのだから母も心強いだろう。しかし、母の状態はかなり悪いようだ。とくに今日は朝からまったく言葉が出ない状態だという。彼女に案内されて、おそるおそる母の病室を覗いた。

 すでに弟がいて、迎えてくれた。母が私を見て、「あら、よくきたわね」と大きな声を上げた。義妹から聞いていたのとは大違いの母に、私はほっとした。たしかに言葉はたどたどしいが、とにかくしゃべることができる。

 母の病室に2時間ほどいた。母の食事を手伝ったが、母は食べたものをすべて吐いてしまう。薬を飲ませても吐いてしまった。どうしても喉を通らないらしい。食欲もなく、水も飲みたくないのだという。点滴もいやがるという。これでは体力がもつはずがない。私は母の手をとり、はげますように「はやく元気になるんだよ」と言った。

 リハビリをするというので、看護婦が母を車椅子に載せたところで、私は母に「またくるからね」と声をかけた。「泊まって行くんでしょう」と不満げな母を、「明日仕事があるんだ。また土曜日にくるよ」と、すこし無慈悲に突き放した。母はそれでも相好を崩して、私の方にぎこちなく手をふった。

 母の去った後、私は病床の布団を整えた。そして、母がくれたミカンを鞄にいれて、「母さん、ごめんよ」と心中でわびてから、病室をあとにした。病院の外は霧のような冷たい雨だった。傘を差しながら、後ろ髪を引かれる思いで、新田塚のバス停に歩いた。

 病床の小さき母の手をとりて
 かなしかりけり不肖の息子は   裕


2006年12月13日(水) 生存権を脅かされる人々

 12月5日に国連大学世界開発経済研究所が「世界の個人の富の情況」を発表した。これによると、1人あたりでは米国や欧州、産油国をも上回って、日本が世界でもっとも豊かな国だそうだ。

 世界中の家計の富を合計すると125兆ドル、1人あたり2万500ドル(276万円)だが、日本人は18万1千ドル(2千万円)でアメリカの14万4千ドルを上回っている。もっともこれは為替レートでの計算で、購買力平価で計算すると、スイス、米国、英国などを下回っているという。(6日朝日新聞夕刊)

 こうした豊かな国がある一方で、1人あたり180ドルのコンゴや、190ドルのエチオピアという貧しい国がある。その格差は1000倍もある。世界の約半数をしめる貧しい人々は、世界の富の1パーセントしか所有していない。反対に世界の成人人口の1パーセントが、世界中の家計の富の4割を所有しているという。

 また、アメリカや日本のような豊かな国でも、こうした格差がひろがっている。厚生労働省の「所得再分配調査」によると、02年の上位2割の高所得者層の税引き前所得は、下位2割の低所得者層の同所得の168倍に拡大したという。これは80年代前半までは10倍程に過ぎなかった。いうまでもなく、わたしたちの日本国憲法は25条で次のように規定している。

(1)すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 All people shall have the right to maintain the minimum standards of wholesome and cultured living.

(2)国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 In all spheres of life, the State shall use its endeavors for the promotion and extension of social welfare and security, and of public health.

 この憲法の規定を実行するために、社会保障制度があり、生活保護法が設けてある。ところが厚生労働省は来年度予算で生活保護費を400億円削減する方針だという。格差が拡大するなか、生活保護を受ける人たちが増大しているにもかかわらず、これを削減してだいじょうぶなのだろうか。

 今年度、銀行は過去最高の利益をあげた。しかし、大手行はいずれも法人税を納めていない。にもかかわらず、三菱東京UFJは9年振りに政治献金を再開するのだという。みずほファイナンシャルグループや三井住友銀行も検討中らしい。こうした政治献金があるかぎり、日本の政治は庶民にやさしいものとはならないだろう。

(参考サイト)
  http://www.masakatu.net/masakatu/column.php?id=10


2006年12月12日(火) 雇用格差が生み出す貧困

 政府の統計によると、2005年度の正規労働者(正社員)の数は3374万人で、この十年間で、400万人も減っている。その一方で、非正規労働者(フリーター、パート、派遣)が630万人増えて、1633万人になった。

 非正規労働者の場合、時給は正規労働者の6〜7割である。しかも、雇用が不安定で、総労働時間数も少なく押さえられるので、収入そのものが少ない。いくら働いても生活保護レベルさえ確保がむつかしい人たちがいて、ワーキング・プーアと呼ばれている。

 しかも非正規労働者の多くは厚生年金、雇用保険、医療保険といった社会保険制度に加入していない。たとえば厚生年金に加入するには週の労働時間がフルタイマーの3/4以上である必要がある。失業保険も1/2(20時間)以上働いていなければならない。

 それではなぜ、日本で非正規労働者が急増しているのだろうか。ひととき「労働の多様化」などという口当たりのいい言葉が流行し、フリーターを礼賛する風潮があったが、さすが今はそうした論調は影をひそめた。

 調査によると、非正規労働者の大半は正規労働者となることを望んでいる。たとえば男子の場合、フリーターの80パーセント以上が正規雇用を求めている。しかし、現実は厳しい。そこに雇用の壁がそびえているからだ。

 雇用主は労働コストを安くしようとする。臨時採用であれば賃金も安い上に、解雇も簡単である。社会保険料(1/2負担)も払いたくない。だから、経営者にはつねにリストラで正規雇用を減らし、これをコストの安い非正規社員に置き換えようという誘惑から逃れられない。

 そしてこの10年間に労働規制がつぎつぎと解除された。その結果、「業績回復」や「合理化」の名目でリストラの嵐がふきあれ、非正規労働者が激増したわけだ。しかもこの傾向が今後も続きそうである。

 こうして国民の間に所得格差が急速に広がった。フリーターの平均年収は140万円である。生涯賃金でみると、正規労働者と非正規労働者の間には2倍もの格差がある。今後この階層が増大することで、ますます日本の貧困率が上昇することが考えられる。


2006年12月11日(月) 格差がもたらしたもの

 連日新聞やテレビで「格差社会」が問題になっている。80年代までは国民総中流といわれるくらい日本は格差の少ない国だった。それが今や日本は先進国の中で、アメリカ、アイスランドに続いて貧困率が3番目に高い国である。

 05年度日本経済学界会長で京都大学教授の橘木俊詔さんは「格差社会」(岩波新書)のなかでこう書いている。

<前著「日本の経済格差」(岩波新書1998年)に対する批判の一つに「日本の不平等化が進行しているのは事実だが、世界の先進国の中で比較すれば、まだ所得の不平等は中の上程度の高さなので、それほど気にする必要はない」というものがありました。その時点では、先述したようにヨーロッパの大国並みの不平等だったので、そうした見方も可能だったのでしょう。

 しかし、現在ではもはやそうした批判は妥当ではなくなっているのです。すなわち、日本の不平等は確実に高まり、日本は、先進国の中でも明らかに不平等の高い国になったと結論できます>

<イギリスとアメリカは、これまでも常に不平等の高いグループに入っていました。いずれも、新自由主義という思想を基本に置いた国です。いわゆる市場原理に基づいて競争を促進するような経済体制をとっており、所得配分という結果の不平等についてはさほど問題とせず、「自己責任」が貫かれています。今日、政治家や起業家をはじめ、新自由主義への信奉を強める傾向が日本にあります。日本の不平等度のレベルが、アメリカやイギリスに近づきつつあるのは、そうしたところにも要因があると、私は判断しています>

 こうした現状について、国民の意見はふたつに分かれている。ひとつは「格差はあったほうがよい」「あって当然である」という格差容認派である。小泉首相(当時)も容認派で国会で次のように答弁している。

「格差はどこの国にでもあり、格差が出ることは悪いことではない」
「成功者をねたんだり、能力のある者の足を引っ張ったりする風潮を慎まないと社会は発展しない」

 小泉構造改革は、規制を緩和し、これまで聖域とされた公共的な分野にまで市場原理を持ち込み、「競争」によって経済を活性化し、国を豊かにしようというものだ。

 たしかにこの改革で大企業は利益を伸ばし、景気もゆるやかに回復して、大企業の多くは今年度最高益をあげた。また、生産性の低い公的部門も整理されて、コストパフォーマンスがそれなりに改善された。

 しかし、その反面、所得格差が広がり、貧困層がふえた。高額所得者の上位がサラ金業者や企業買収で儲けたヒルズ族で占められ、ついに政府は番付の発表を昨年度でうち切った。その一方で、生活保護を受ける世帯数は、96年に61万所帯だったものが05年には105万所帯に拡大している。

 貯蓄0の所帯も80年代後半には5パーセントだったのが、2005年には22.8パーセントになっている。いまや多くの所帯は貯蓄どころか借金で生活をやりくりしている。そして、自己破産申し立て件数は95年に4万件だったものが、03年には24万件へと6倍も増えた。

 11/28の衆議院財政金融委員会で警察庁の竹花生活安全局長は05年度に自殺した3万2552人のうち、「経済苦」を原因とする自殺は3255人だと明らかにした。そしてその6割以上の1996人が「負債」が原因の自殺だという。

 これを裏付ける資料がある。02年度、サラ金大手5社だけで、3万9880件の「消費者信用団体生命保険」(団信)の支給があった。その中で死因がはっきりしているものが1万9025件あり、自殺と特定されるものが3649件になっている。実際はこれをはるかに上回る「負債」による自殺があったと見るべきだろう。

 さらに深刻なのは、国民健康保険料が払えず、医療を受けられない人が急増していることだ。世界でナンバーワンと折紙までつけられた日本の医療が今崩壊しつつある。所得格差が医療格差を生み、国民の健康をも脅かしているのだ。

 また、公立や私立の有名大学に進学する学生の大部分は年収1千万円をこえる富裕階級の子弟だという。たとえば親の平均年収がトップの大学は東京大学である。つまり、大学格差と親の年収格差がパラレルになりつつある。つまり親の所得格差が「教育格差」を生みだし、格差が次の世代まで持ち越されて、階級格差として固定化しつつあるわけだ。

 五木寛之さんは「格差」は「いじめ」だという。たしかに小泉構造改革は典型的な社会的強者による弱者いじめである。しかし、多くの人はそうは考えない。いじめを受けていながら、その自覚がない。

 それは、悪いのは能力や努力がたりない自分だと思っているからだろう。そしてその鬱憤の捌け口を、さらなる社会的弱者に向ける。いじめられている自覚もなく、そして自分が別のいじめに荷担しているという自覚もない。格差がもたらした最大の<悪>は、こうした救いのない殺伐とした社会の風潮ではないだろうか。

 私は格差を容認する人たちに問いたい。日本はこのままでよいのか。一部の大企業や富裕層が笑い、多くの国民が老い先の生活や健康に不安をかかえ、借金の重圧に耐えて生きていくような国の未来に、どんな希望があるというのだろう。


2006年12月10日(日) 仲間で楽しむ小浜の旅

 生憎、雨の二日間だった。昨日は青郷で降りるつもりだったが、その手前の若狭高浜で降りて、宿のある若狭和田まで、北さんと二人で歩いた。宿についたのは3時前で、予定より2時間も早かった。

 宿で二人で雑談したり、風呂につかっているうちに5時を過ぎて、eichanとぺこちゃんが到着した。それから4人で宴会場に向かった。ビールを飲み、カニを食べる。最後はカニ雑炊である。9時頃部屋にかえり、11時過ぎまで語り合った。

 eichanやぺこちゃんとは1年振りである。しかし、そんなに久しぶりという感じはしない。もう6年以上続いているので、お互いに気心も知りあっている。それでもeichanやペコちゃんは、教員の私や北さんとは違う世界で経験を積んでいるので、人生についてまた違った考えや感じ方ができる。色々な人の、色々な体験を聞くだけでも参考になり、面白い。

 2日目の今日は、私が小浜を案内した。小浜駅を降りた後、八百比丘尼の墓や尾崎放哉ゆかりの常高寺、山川登美子の碑のある小浜公園、そして三丁町の古い街並みや小浜城の城跡など、主だったところを2時間あまりかけて見て歩いた。

 12時過ぎに海沿いの若狭フィッシャーズ・ワークで昼食をとり、土産を買った。そのあと、喫茶店でコーヒーを飲み、おもむろに小浜駅へ向かい、2時31分の敦賀行きの電車に乗り込んだ。

 敦賀でeichanやぺこちゃんと、岐阜で北さんと別れた。木曽川駅に妻に迎えに来てもらい、7時半頃家に帰ってくると、eichanから写真付きのメールが届き、会員制の「掲示板」にはこんな書き込みがあった。

<橋本さんのおかげで小浜の町を知ることができました。以前、国道沿いの若狭フィッシャーズ・ワークには行ったのに、小浜の町はまったく知らないでいたものです。随分と歴史的な伝統のある城下町だったのですね。

 小京都と言われるだけに、私のふるさと京都の街並みを思い浮かべながら見たものです。今回の万葉の旅で小浜の歴史を知ることができたのは大きな収穫です。今後は小浜に親しみが持てます。ありがとうございました。来年また再会できるまで、皆様、どうぞお元気に>

 お天気はいまいちだったが、3人のおかげでたのしい二日間を過ごすことができた。小浜の町も気に入ってもらって、とてもうれしい。来年もまた、ぜひ万葉の旅を続けたいものだと思った。


2006年12月09日(土) 若狭和田への旅

 先日、青春18切符を買った。11500円で5日間使える。毎年、これを春と夏と冬に買って旅行するというのが、私の無上の楽しみになっている。

 冬は12月10日から1月20日まで有効だ。あしたから1泊2日で若狭に旅をするので、さっそくそこで使う予定だ。明日は使えないが、10日はこれが使える。岐阜までご一緒する北さんにも1枚使って貰おう。これで千数百円はお得になる。この浮いた金で駅弁を買い、車中で食べるのもたのしみだ。

 若狭は毎年冬に青春切符で訪れている。その他、琵琶湖湖畔も好きだ。近江の国とよばれたそのあたりには、なんだか若狭と同じふるさとの匂いが感じられる。そういえば、司馬遼太郎さんの「街道を行く」も始まりは近江の国だった。司馬さんはこう書いている。

<京や大和がモダン墓地のようなコンクリートの風景にコチコチに固められつつあるいま、近江の国はなお、雨の日は雨のふるさとであり、粉雪の降る日は川や湖までが粉雪のふるさとであるよう、においをのこしている>「街道を行く−近江」

 そう、このやわらかで、なつかしい匂いで、私はいつも各駅停車の鄙びた旅に誘われるのだ。コチコチのコンクリートの文明ではなく、もっとやさしい、上等の酒のように、こころをあたたかくしてくれるなつかしさを求めて・・・。そしてそれはどこか郷愁を誘う、淋しい旅でもある。

  さびしさの底ぬけて降るみぞれかな   丈草

 昨日の朝、NHKの「おはよう日本」の中継で若狭高浜名物のふぐ料理が紹介されていた。中部地方の話題につづき、全国放送でも中継されていた。和田の民宿のきれいなおかみさんも出演していた。ひょっとして、この民宿かなとか、期待を膨らませた。懐かしい友人達との再会と、民宿のお料理がたのしみだ。

(明日の日記で旅の様子を書きます。更新は夜になります)


2006年12月08日(金) 「起承転結」の説得術

 説得術の本をよむと、相手を説得するのには、「yes」から始めよと書いてある。頭ごなしに「no」を言うと、相手は反発する。これでは相手を説得もできないし、納得させることもできない。

 子どもを頭ごなしに叱りつける親や教師がいるが、これもきわめてまずいやりかたである。子どもが何か間違いをしたり、おかしな発言をしても、まずはその言い分を聞いてみる。そして、「そうだったのか」「そう言うのも無理はないね」と相手の立場に身を置いてみる。

 そうすることで、相手は相手が警戒心を緩め、心を少しだけひらく。そうした準備が整ったとき、こちらの意見を述べる。この「yes〜but〜」が説得術の基本だという。

 さらにある本を読んでいたら、猜疑心の豊かな現代っ子には「yes,but」でも十分ではないという。なぜなら、「yes」とくると、次に「but」と続くことを予見して身構えてしまうからだという。だからむしろ、「yes、yes、but」がよいという。

 これを読んで私は、教育的には「yes、yes、but、yes」がよいのではないかと考えた。最初の「yes」は受容の「yes」である。さらにこれを受けて、この受容がおざなりのものではなく、私がどれほど親身になって理解をしているかを示すのが次の「yes」である。

 こうして相手をよく理解していることを納得させたうえで、それと違った意見を提出する。それが「but」である。しかし、ここで終わらず、もう一度相手の立場に立って、この対立意見を吟味し、受容しやすいように配慮する。そして相手も肯定した上で、最終的な解決へと相手を導くのである。

 これは弁証法であり、まさに「起承転結」の構造をしている。説得術もここまで磨きがかれば本物だろう。こうはなかなかうまく運ばないが、最後にひとつ、橋本流説得術のささやかな実践例を示しておこう。

 A君は夜間高校で私が担任している生徒である。遅刻の常習者で、今日も又遅刻をしてきた。このままでは欠課オーバーで進級できない。遅刻をしないように説得する必要がある。

私「今日も遅刻したね。どうしたの」

A「仕事がいそがしいんだよ。しかたがないんだ」

私「たしか、スーパーのアルバイトだったね。午後の2時まで働いているんだよね」

A「そうだよ、朝が早いんだ。2時まで働くとくたくたでさあ。それから家に帰って、一休みするんだ。そうしないと、学校で居眠りばかりすることになりからね」

私「それはたいへんだな」

A「それに2時に帰れないときもあるからね。最近は残業までたのまれるんだ」

私「そうか。ななかな厳しいな」

A「他にいい仕事もないし、当分ここで働くしかないんだ。何とか学校に間に合うように家に出ようとするんだけど、ほんとうに体がきつくてさ。たいへんだよ」

私「何か楽しいことはないの。気分晴らしをしないとたいへんだろう」

A「学校から帰り道に友達とあって、カラオケに行ったりするね。毎日じゃないけど」

私「まあ、息抜きも必要だものな。たしかに働きながら勉強するって大変なことだからね。君はよくやっているよ」

A「そうかな」

私「そうだよ。これで進級できたら、もっとすばらしいんだがね」

A「進級できそうもないや」

私「そうとも限らないぞ。君ならなんとか乗り越えられるんじゃないかな」

A「そうかな」

私「夜の時間の使い方をもう少し考えてみないか。何時頃、帰宅するんだ」

A「1時近くだよ。それから風呂につかったしているから寝るのは2時過ぎだな」

私「それでは、だれでも寝不足になるな。そのあたりを、すこし変えられるといいね」

A「そうだな。その辺を少し変えてみようかな」

私「うん、君ならできると思うよ。もう、一踏ん張り、がんばってみないか」

A「わかったよ。なるべく遅刻しないようにするよ」


2006年12月07日(木) 仲直りして育つ子どもの心

 私の弟には4人の息子がいて、いつ訪問しても賑やかだ。下の子がやんちゃで、上の子にちょっかいをかける。そして最後には泣かされる。それでもしばらくすると、またけろりとして、上の子に足蹴りをする。

 こうした騒々しい芝居を見守るのも、大人の愛情である。子供たちも大人に見守られているので、安心して喧嘩ができる。私もうるさい奴らだなと思いながら、そうして元気よく育っていくわけだから、「喧嘩はあっちでしろ」といいたいのを我慢する。

 散歩の途中、小学生の男の子が道端の畑で喧嘩をしているのに出会った。ひとりが傘を持っている。喧嘩のやり方を知らないと大けがをするかも知れない。そう思いながら、足を止めて見守った。

 そこに、近所の老人が現れた。そしていきなり、「おい、へびがいるぞ」と脅かした。二人は「えっ」と身をすくまして、あわてて畑から出ていった。喧嘩のことは忘れたように、仲良く肩を並べていた。

 昔は「喧嘩両成敗」で、派手にやっていた。そして、喧嘩と仲直りを繰り返しながら友だちになった。喧嘩を奨励するつもりはないが、あまり神経質になると事なかれ主義になり、友達をつくる機会を奪われるのではないかと思う。


2006年12月06日(水) ダイナブックがやってきた

 現在、ISDNでインターネットをしている。これを来年の1月13日から光ファイバー通信にかえることにした。電話も光電話になる。基本料金がこれまでより1000円以上安くなるということだ。

 インターネットもかなり早くなりそうだ。これまで動画や音声は受信をあきらめていたが、これができるようになる。プロバイダーはそのままなので、メールアドレスやHPのアドレスがかわるわけではない。料金が安くなって、快適な環境になるのだから、ありがたいことである。

 ただ、光ケーブルを敷設したりするのに初期費用が1万数千円かかる。また、これまで使っていたISDN専用の無線モデムも使えなくなる。光ケーブル対応のモデムををあたらしく購入しなければならない。これに2万円ばかりかかる。さらに面倒なのは、パソコンの設定である。

 私の書斎にある愛用のNECパソコンPC−9821Xa7はもう11年前の平成7年7月に買ったものだ。ハードデスクがなんと420Mバイトでメモリも8Mバイトしかなかった。CPUは出たばかりのペンティアムだが、これも75MHzである。OSはウインドウズ3.1だった。

 現在はハードデスクやメモリを増設し、OSもウインドウズ88で動いているが、この旧式のPCが光通信の高度な環境に対応できるか疑問である。係の人の話だと可能だそうだが、最近光通信を始めた知人はウインドウズ88では無理だったという。おそらくできない公算が大きい。

 そこで、これを機会に、私の書斎のパソコンも新しいノートパソコンに世代交代することにした。そして日曜日にヤマダ電気で東芝のダイナブックを買った。長女が最近これを使っているので、私も同じものを買うことにしたわけだ。CPUは1.6GHz、ハードは120Gバイト、キャッシュメモリも1Gバイトである。これまでとは違った快適な環境でインターネットをすることになる。

 しかし、思いがけない出費である。頼りにしていた株だが、この一ケ月で4万円以上値を下げている。しかしこの際、この安値で株を売って、パソコン代15万円を捻出した。おかげで今年の1月に妻から100万円借りて始めた株の運用資金が、80万円近くまで目減りしてしまった。結果的にいうと、株で儲けることはできなかったわけだ。

 新しいノートパソコンをインターネットに接続し、ホームページ・ビルダーもインストールした。これでいつでも乗り換えることができる。しかし、11年以上つれそい、私の知的生活の片腕として働いてくれたPCに別れを告げるのはつらい。今年いっぱいはこの旧式のディスクトップパソコンを使って、HP日記を更新することにしよう。


2006年12月05日(火) アイルランドの現実

 アイルランドについて、日経新聞やトーマス・フリードマンの「フラット化する社会」を参考にしながら書いたが、ありがたいことにeichanがアイルランドに住んでいる娘さんにこれを送ってくださった。そして娘さんからのメールを転送して下さった。娘さんに転載の許可をいただいたので、ここに紹介しよう。

 <実際に生活していて、アイルランドで働く人が有能だという実感が全くない。極々一部の人間が有能なのか・・・?どこにいるの? 仕事を途中でほったらかして、時間になったら仕事は終了。いい加減きわまりない。折り返し電話をしますと言われて待っていても電話なんてかかってこない。仕事の処理能力は日本人の半分以下。ひどい会社であれば、10分の1。まー、欧米はどこもこんなもんじゃないかと思うけど・・・。

 確かに法人税率を下げ、企業誘致をし、成功したようではあるが、誘致された日本企業の中には撤退した企業も少なくない。先日、NECも撤退した。そして、撤退したくても、労働者が守られすぎていて、解雇する場合、支払わなければいけない保証が相当大きく、なかなか撤退に踏み切れないという話しも聞く。

 私には、EUの中の唯一の英語圏だったため、アメリカ(アイリッシュが多い)よりヨーロッパの拠点として、選ばれた幸運な国だっただけのように思える。日本で同じことをやっても、同じようにはいかないでしょう。

 製薬会社に関しては、動物実験、どうぞ行ってくださいという姿勢が他の先進国(アメリカ・イギリス)ではありえないようで、製薬会社にとって、都合が良いということもあるよう。とにかく、異常なバブルにしか見えない。いつまで続くのだろうか? とアイルランドに住む日本人はみんな思っているのだけど・・・>

 現実のアイルランドは「住めば都」とならず、実際、物価は日本の1.5倍くらいの感じで生活も大変だという。教育改革で優秀な人材が育っているといわれていても、現状はかなり問題がありそうだ。それに所得が増えても、物価がそんなに高くては、住みやすい国とはいない。

 OECDの2000年の調査によると、アイルランドの貧困率は15.4パーセントで、先進国ではアメリカの17.1パーセントに次いで第2位である。ちなみに第3位は15.3パーセントの日本である。貧困率とは所得が平均所得の半分以下しかない人々の割合である。貧困率がこれほど高いということは、アイルランドもかなりの「格差社会」になっているということだ。

 これに比較して、貧困率の低いのがデンマーク、スウェーデン、ノルウエー、フィンランドといった北欧の国々で4〜6パーセントと、日本の1/3程度である。こうした国に住んでいる人の現地レポートもぜひ読んでみたいものだ。


2006年12月04日(月) アイルランドの教育戦略

 安倍首相は教育基本法と憲法を変えることに意欲的である。これを自分の使命だと考えているのだろう。そしてもう一つ、安倍首相がめざしているのは「法人税」の値下げだ。

 この安倍首相の肝いりで政府税制調査会が発足した。22日に首相官邸で行われた初会合で本間正明会長は、法人税を現行の40パーセントから30パーセント台前半に下げたい意向を述べた。

 日本経済新聞の特集「財政」を読んだが、そこで「古い基盤を崩せ」と題して、税調での議論を紹介していた。いうまでもなく日経は「経済競争力を維持するために法人税値下げすべし」が持論である。

 たしかにこのところ、世界的に法人税を下げる動きが目立った。経済産業省によると、2000年からの6年間の法人税の値下げは、欧州15国の平均で6パーセントだそうである。

 この間、日本は1パーセントしか下がらなかった。その結果、日本の税率が40パーセントなのに対して、英仏でも30パーセント台前半になった。なかには6年間で12.5パーセントも下げて、税率が半分になった国もある。11/29の日経新聞から引用しよう。

<なかでも税率が12.5パーセントと最も低いアイルランドは海外から企業が進出。最近の実質経済成長は5パーセント前後に達し、経済の活性化に成功した>

 日経新聞によると、少し前までEUで貧しい国の代表だったアイルランドが、この10年間ですっかり経済の優等生に生まれかわり、個人当たり所得も飛躍的に伸びて、EUの平均を大きく上回っているという。

 その理由は、アイルランドにマイクロソフトやHPといった世界の情報産業が乗り込んできたからだという。ここから雇用が広がり、国民の所得も大きく伸びた。これにともない国家の税収ものび、税率を下げた減収もこれによって埋め合わされた。

 日経新聞は経済活性化の主要な理由を、「法人税を下げた」ことに求めているが、これは本当に正しいのだろうか。トーマス・フリードマンは「フラット化する社会」のなかで、アイルランドの躍進を、教育制度の改革という観点から分析している。一部を引用しよう。

<アイルランドはEUではルクセンブルクに次ぐ裕福な国だ。そう、何百年も前から、アイルランドといえば飢饉、移民、悲劇的な詩人、内乱、そしてちっちゃな妖精ばかりが有名だった。ところがいまでは、国民一人当たりのGDPがドイツ、フランス、イギリスより高い。アイルランドが、一世代も経ないでヨーロッパの病人から大金もちに変わったのには、驚くべき物語がある。

 アイルランドの方向転換は、じつは1960年代末に始まっている。政府が中等教育を無料化したので、労働者階級の若者がハイスクールへ行ったり、工業学校で資格を取ることができた。その結果、1973年のEC加盟あたりから、アイルランドは前の世代よりも教育程度の高い労働力を大量に利用できるようになった>

<1996年には大学教育を基本的に無料化し、さらに教育程度の高い労働力を創出した。目を見張るような結果だ出た。現在、世界の薬品会社トップ10のうち9社、医療機器メーカー・トップ20社のうち16社が、アイルランドに誘致されて工場を設置している。2004年のアイルランドへのアメリカからの投資は、中国へのアメリカからの投資を上回っている、アイルランドの税収は着実に増えている>

 1990年にはデル・コンピュータが、1993年にはインテルが進出してきた。1990年のアイルランドの全労働人口は110万人にすぎなかった。それが2005年には200万人になり、失業率はきわめて低い。もう少しフリードマンから引用しよう。

<メアリ・ハナフィン教育相の説明によると、アイルランドには教育の小売改革をさらなる段階に高めるもくろみがある。科学・工学専攻の博士号取得者を2010年までに倍増する運動を開始したところだというのだ。そのため、グローバル企業やあらゆる頭のいい人々がアイルランドへ来て研究を行うように、さまざまな基金が設立された。そして中国の科学者を積極的に勧誘している。・・・アイルランド首相バーティ・アハーンは、2005年6月に私に語った。「私はこの2年間に5度、中国国家主席と会っています」>

<アイルランドの物語は、資本がかならずしも、世界一安い労働力を求めて移動するとは限らないという事実を裏付けている。もしもそうなら、資本はすべてハイチかバングラデシュに集中しているはずだ>

 たしかにハイチやバングラデシュがいくら法人税を下げても、世界の企業はやってこないないだろう。世界の企業が求めているのは、優秀な人材だからだ。この点に着眼し、人材の育成に焦点をしぼったアイルランドは大いに先見も明があったというべきだろう。

 日経の特集を読むと、こうした本質的な分析は皆無である。ただ、そしてただ法人税を下げれば経済が活性化するかのごとき幻想をふりまいている。法人税を下げて、税収が落ち込めば、とうぜん所得税や消費税を揚げることになる。ところが所得税をあげることについては、これまた安倍首相は慎重である。日経もおなじ持論でこう書いている。

<所得が高いのは個人の努力の成果でもある。税率の引き上げで、「やる気」をそいでは元も子もない>

 そうすると、大幅な消費税の値上げや社会保障費の大幅カットが必要になる。これによって個人消費は大幅に落ち込むだろう。一部の多国籍企業は儲かるだろうが、庶民の生活はますます苦しくつらいものになる。日本の場合、法人税の値下げが経済の活性化にむすびつくとはとうてい考えられない。

 こうした未来に不安を残すその場しのぎではなく、教育予算を充実させ、世界の企業にとって魅力的な人材を育成することが先決だろう。こちらの方がよほど未来に夢がもてる。教育再生会議のみなさん、井戸の中の蛙よろしく愛国心ばかりにこだわらずに、もっと世界の中の日本を見つめ、大志をいだいて下さい。世界はかわりつつあるのです。 

 なお、明日の日記で、アイルランド在住の日本人女性(eichanの娘さん)からのお便りを紹介しよう。本当に日経やフリードマンが書いているようにアイルランドが夢の国なのか、現地で長く生活している人の感想に耳を傾けてみたいと思う。


2006年12月03日(日) 社会体験としてのいじめ

 五木寛之さんが「週刊現代12/9号」の「新・風に吹かれて」に、ご自分のいじめ体験を書いている。五木さんは小学校・中学校で6度の転向を体験している。そして、「いじめ」を受けていたそうだ。

<転校生はまず、いじめられる。まず、奇異の目でみられ、それから近づいてきてにおいをかがれる。ちょっと小突いてみたり、さまざまなボディー・ランゲージのあと、本格的ないじめがはじまります。言葉が違うことが、まずいじめの原因としては大きい>

<地元の方言が使えないことでいじめられるのは、ごく普通のことだった。そのほか、あらゆる面で違和感をあたえる存在が、転校生というやつだ>

 私も小学生のころ、父親の仕事の都合で3回の転向を経験しており、五木さんの苦労話を読みながら、「ああ、そういえば、いろいろと転校生の苦労はあったな」と、過去をふりかえった。

 2度目に若狭小浜の小学校に転向したとき、朝礼が終わって教室に帰ってくるなり、後ろの席の少年にいきなり後頭部をなぐられた。その理由は「まっすぐ整列しなかったから」というものだった。このいきなりの暴力の洗礼に私はびっくりした。それからいろいろなことがあった。五木さんが受けたいじめは、たとえばこんな風だったという。

「こいつの弁当のおかず、いつでも高菜の漬物ばっかたい。きょうもそうじゃろうが」
「ちがうかばい」
「嘘いうな」

 このあと、周りを取り巻かれ、ボス格の生徒に力ずくで弁当箱をうばわれ、その日も高菜のおかずしか入っていないのを暴露される。五木さんは、タカナ、タカナ、といっせいにはやし立てられ、嘘つきというあだ名までもらったそうだ。

「おい、タカナの番だぞ」
「おい、こらウソつき」

<そんなわけで、いつのまにか異邦人として転入することに慣れてしまったらしい。いじめからはじまるコミュニケーションに免疫力がついてきたのだろう>

「いじめ」はたしかに昔からあった。私も「いじめ」を受けて、かなり「免疫力」がついた方だが、今のいじめは何かもう少し陰惨な感じがする。五木さんは、昔は「嘘をついたら地獄に落ちるぞ」といわれて、たいていの子どもはたじろいだという。

 しかし、今の子どもは「地獄」の脅しはきかない。怖い存在がなくなって、心理的に歯止めが利かなくなっているのだろうか。その分、教師や親のこまやかな対応が求められている。いじめの兆候を見逃さず、初期の段階でこれに対応していくことも大切だと思う。

 しかし、もう少し本音をいうと、「学校でいじめはあってならない」というのはきれいごとで、私は「学校でいじめはあって当然」というのが私の思いだ。社会そのものが不正義や悪にみちているわけで、いわば子どもの社会もその縮図である。五木さんもこう書いていた。

<大人の世界は、いじめそのものだ。それが洗練されたかたちをとっているから、格差とよばれる。それをどうするかが大きな問題になっている>

 格差はあたりまえ、リストラされるのも貧困も自己責任だ、という考え方もあるが、「格差」を「洗練されたいじめ」と捉える感覚は、いじめられた体験を持つ人間らしい発想かもしれない。私はいじめられたことでつらい思いをしたが、反面では社会へと視野がひろがり、精神的にも成長できた。

 今こうしてHPに民主主義や反戦をテーマにさまざなま文章を書いたり、日本社会の格差社会の現実に悲しみといきどおりを覚えるのも、この体験と無縁ではないように思う。社会の「いじめ」もふくめた<悪>にいかに対処すべきか、これを小学校の段階で学ぶことができたのは、いい勉強だった。


2006年12月02日(土) ご意見、歓迎します

 一月ほど前に、7年間以上続いた掲示板が「独り言」に姿をかえました。その後もkeizoさんが「橋本裕ファンクラブ掲示板」をつくって下さったので、そちらで盛り上がっていましたが、それも一昨日で閉鎖されました。

 閉鎖の直前の書き込みで、mori夫さんが、公開の場で批判や反対意見を受け付けないのはどうかと書いて見えました。これはその通りだと思います。そこで、私の「日記」や「独り言」について意見がしやすいように、HPの右の扉に「ご意見」という投稿のための窓口を設けました。

 賛否両論、どんな内容でも、ご意見は大いに歓迎します。これまでもHP掲示板で対話やディベートが活発に行われ、私自身の成長にもなりました。私も元来が論争好きなので、「独り言」をしているだけでは物足りないのです。といって、他人様のHPの掲示板まで出かけていくほどの情熱はありません。かなりの出不精です。

 掲示板を閉鎖したのも、批判や反対意見に腹が立ったというより、その前のマナーに問題があったためでした。公開するにはあまりに見苦しい誹謗中傷や独善的な表現が横行し、私のもとに「善処してほしい」というメールも届きました。こうしたことから、閉鎖することのやむなきに至ったわけです。

 こうした荒れ気味の掲示板を敬遠して、これまでもいろいろな方に賛美両論の立場からメールをいただきました。たまたま一昨日は徳島のNさんからこんな投稿をいただいています。

<民主主義と全体主義、ディベ−ト禁句集など、いちどテレビでも放送してもらいたいような御意見だと思います。

 自分は何部かコピーして、知り合いや家族に手渡すなどしていますが、テレビなんかで流れると、それはそれで薄っぺらいもんになるのかも知れませんが、、、。

 相変わらずイラクの状況はテロということばで説明されていますが、もうここまでくれば内戦と言い換えるべきでしょう。そしてこうなることは、象でも開戦前に想像してたくらいですから、政治家や歴史家や戦略家や思想家が分からないはずがない。じゃあ、どうしてこんなことになったのか?なにが歯止めになれるのか?

 防衛庁が防衛省に格上げされてたしかに特権階級?の守りは堅固になるんでしょうが、、、、>

 これはたまたま好意的な意見ですが、反対意見や批判的なご意見も分け隔てなく載せていきたいと思っています。こうした形でふたたび対話やディベートが再開されればと願っています。

 今後「ご意見」の欄に投稿された内容は「独り言」で紹介させていただきたいと思います。ただし、掲載に当たって、私がディベートの条件にしている、「相手を誹謗中傷しないこと」「独善的に相手を否定しないこと」は順守したいと思います。また、論点があきらかになるように、表現を多少変えさせていただくことがあります。これらの点はご了解下さい。


2006年12月01日(金) 権力を甘く見るなかれ

 孔子は「信なくば立たず」と言ったが、政治であれ経済であれ、個人生活であれ、「信」はとても大切である。これがなければ、私たちの社会は瓦解する。それでは何がこの「信」を社会にもたらすのか。ここで二つの考え方がある。

 ひとつは人間性善説をとる人たちで、個人と個人の「信」を媒介にして、大きな社会的な信用がつくられるという考えだ。こういう人たちはあまり国にたよらない。身の回りから信頼にみちた美しい世界を創ろうと努力する。

 もう一つは、人間性悪説をとる人たちで、隣人愛ではなく、もっと大きな社会的な秩序によって「信」がつくられると考える。そしてこの社会的な力の結果として、個人的な信頼関係も可能になるという立場だ。

 たしかに人間の善意や友情に信を置くことのできない人が、個人をこえた国家のような存在に救いをもとめようとするのは自然なことだ。そして強力な国家や法律がなければ、社会は混乱すると考える。これはホッブスの「リバイアサン」の考え方だ。ここから夜警国家の考え方がでてくる。

 今後経済格差が深刻になり、生存競争が激化すると、こうした考えが蔓延し、競争を勝ち抜いた勝ち組も競争に負けた人たちも、おなじく人間不信におちいる。そうすると、いよいよ人々はイソップ物語にでてくるカエルたちのように、自分たちを救ってくれる神々しい国家を求めるかもしれない。しかし、歴史を繙いてみて分かることは、国家権力は個人と比較にならないほど強力で恐ろしい存在だということだ。

 実のところ、人間の歴史の半分は権力の横暴をどう押さえるかに費やされたといってもよい。その成果がロックの三権分立の思想であり、「主権在民」や民主主義の思想だ。

 日本も苦い体験を味わった。そしてふたたびこの辛酸を味わうことがないように、個人を国家権力の横暴から守る守護神として「憲法」を採用した。

 この守護神たる憲法を破壊し、国家権力という恐ろしい野獣をのさばらせてはいけない。人間に絶望するあまり、国家に救いを求めたりすると、われわれは国家からもっと恐ろしい仕打ちをうけるかもしれない。そのとき、人はどうするのか。もはや現世逃避の宗教にでも走るしかないだろう。


橋本裕 |MAILHomePage

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