日々の泡

2000年12月31日(日) 百合根のこと

百合根(ゆりね)って、あるでしょう。
お正月シーズン限定で売られてる野菜。慈姑(くわい)みたいに。
百合の球根って、鱗片状になってて、一枚ずつ剥がして茹でるの。
あれ好きな人、お友達になりましょう。
きんとんに入れるのが王道?らしいんだけど、私は
そのまま摘んで食べてると後を引いちゃう。
でも私の家族はあまり好きじゃないんだよ。つまらない。
ホクホクしたところが少し栗の実を思わせてもっと繊細な味と匂い(これも慈姑と似てる)、
もっと瑞々しくて「花っぽい」?ていうのか、ほんのり百合の香も確かにする。
根っこなのに、果物っぽい味わい。

それで思い出したけど、スペインはカタロニア地方の飲み物に、
「オルチャータ・デ・チューファ」(現地ではオルシャータ・ダ・シューファかな)
てのがあって、確かそれはユリ科の植物の根っこが原料だということだった。
ずっと前にスペインに行ったときの飲んだけど
カルピスみたいに白くて薄甘くて爽やかなジュースなの。
そういえば百合根のような匂いがしてたような気がする。

年末年始に、どうでもいい話題でした(笑)。
でも、今の時期しか手に入らないんだもんね。
余談だが慈姑は、芋類として薄切りにして揚げてもステキな味だよね。つうかツマミだよね。



2000年12月30日(土) 砂漠に打ち寄せる波

BS2で再放送していた、サンテグジュペリゆかりの土地を飛ぶ空撮紀行を
漠然と見て、しばらくボーッとする。
いや、空撮には弱いよのね。
映画でも何でも、空撮出てきたらとりあえずそっちに反応する。
鳥の眼または虫の眼のカメラが好きである。子供っぽい。わかりやすい。

加えてスペイン満載だし。スペインにはまたミーハーだし。
フランスの典雅な田園風景や城砦都市を鑑賞したあとで、
ピレネーを越えると、とたんに緑の少ない無骨な自然が広がる。
(んもう、スペインったら…)と意味も無く愛しくなる。馬鹿である。

スペインをさんざん堪能したあと、ジブラルタルを渡ってモロッコである。
旅の終わり、キャップ・ジュビー。砂漠の中の飛行場の廃屋、そのすぐ近くに海。
赤い砂漠に、打ち寄せる碧い波。たまらなく好きな景色。
以前「世界わが心の旅」の宮崎駿の回でも、サンテグジュペリを追っかけて
この飛行場を空撮していて、それが目に焼き付いていたのだ。

しかし「星の王子さまと飛ぶ空中大紀行」というタイトルはどうなんだろうか。
『星の王子さま』の知名度とそのイメージは、サンテグジュペリの他の作品を
却ってとっつきにくいものにしていないのだろうか。
正直いって私は、子供のころにあの本を読んだために、
他の作品を見出すのが遅れたような気がしている。
須賀敦子ほかの読み巧者の引用によって、今さらのように彼の言葉の明晰さ、
核心にふれてくる知性の鋭さを実感させられた私だった。

なんか硬くなったけど、コラムにまとめられない話なので日記ネタ。



2000年12月29日(金) こどものときかんがえた親という哀愁・3

昨夜は繊月、今夜は三日月。
低くなった月はオレンジ色に染まるので、夜空がニヤリと笑っているようです。
その上に金星。
−−

その3は昔話。どこの民話にもよくある、美しい娘と意地悪な継母の話。
これは日本の話で、メインの冒険…というか大筋は忘れてしまったのだけどね。

継母に冷遇されてるヒロインはもちろん美人で、たぶん頭も良くてしっかり者で健康。
継母には実の娘がいて、これはもちろん不器量で、たぶん頭も悪くて病弱で、
やられる為にだけ出てきたようなキャラ。
だけど母親にとってはこの娘が可愛くて仕方ないし、
出来のいい継娘が憎らしくてしょうがない。
もちろんシンデレラよろしくヒロインは殿様に見初められて玉の輿に乗るんだけど、
その舞踏会の準備に相当する場面で、二人の娘が身支度をするんだよね。

髪油も分けてもらえない継娘は、しかたなく水だけで髪を梳くんだけど、
長くて真直ぐな黒髪なので「ずるずる」と音がする。
それを聞いた継母は、「蛇が這うような音で気味が悪い」となじる。
継母の娘は、ちゃんと髪油をつけるんだけど、癖毛で縮れ毛なので
(日本の昔話でこれは不美人の十分条件)「ぴんぱらぴんぱら」と跳ねる音がする。
すると継母は、「琴の音のようで美しい」とか何とか褒めるんだよね。

私はここのところを読んだとき、鼻の奥がつーーんとして涙が出てきてしまったのよ。
だって継母の気持ちが哀れでね…
勝負はついてるってことは、もう彼女にもわかってるんだよ。
だけど意地でも自分の娘は可愛いから褒めたい。ライバルはけなしたい。
そうやって意地を通して、ヒロインが幸せになるラストで
お約束通り、この母娘は凄惨な死に方をするんだったと思う。
「やられるだけ」キャラの娘は、なんの自己主張をすることもなく。
まあ、普通だったら民話のお約束の残酷さに涙するはずはないんだけど、
この継母の心情がすごく生々しくリアルに生きてる人のように感じてね。
たぶん高校生くらいだった私は泣けました。

歳末というのにうっとうしい話が続いたなあ。以上。



2000年12月28日(木) こどものときかんがえた親という哀愁・2

ううん。つまらんけど続けます。

これも、むかーし。親が持っていた雑誌の記事を読んでフーンと感じ入ったこと。
確か『暮らしの手帖』だったと思うんだよね…週刊誌みたいのじゃなくて。
「親は、子供が何歳くらいになるまで、子供のしたことに責任があるか」といった
親に対するアンケートの結果が出ていたんだけど。

回答者が子供の年齢によってグループ分けされてて、
小さい子の親だと、責任とらなきゃと考えてる子供の年齢は低い。
そんなに先のことまで想像つかないといえば当然なんだけど、
18すぎたら子供は自立して自分で責任が取れるように思ってる人が多かったみたい。

それで小学生、中学生と子供の年齢が上がるにつれ、
責任とる対象の年齢も引き上げられていって、
大学生くらいの親では、かなり濃厚に「成人した子の行動にも責任がある」と思っている。
子供がちっちゃい時は、けっこう早く親業は引退できるだろうとか思ってたのが、
実際にはそう簡単じゃないことに気づく。
まあ、親であることは一生引きずるのかもしれないけど、
責任がいつまでっていうのは。「いつまで」って切り方はきっとできないのだろうね。

このアンケートは、確か全共闘の時代、学園紛争が喧しかった頃か
その直後行われてたはずで、子供心に
「…たいへんなんだな」「むずかしいんだな、親って」
と印象づけられ警戒心を抱いた?記事だった。
同じアンケートを今やったら、どういう結果になるんだろう。
ていうか、どう答えるべきなんだろう、と思うとちょっと寒くなりました。



2000年12月27日(水) こどものときかんがえた親という哀愁・1

更新がない上日記も書いてないと恥ずかしいので、
脳内の屋根裏部屋を漁って出てきた昔話シリーズで勝負。
これは、実際に親になってみて考えたことじゃなくて、
自分が子供のときに、
「親になるとこんな哀しみがあるのだろーか」
と想像してみた事柄です。なに考えてたんだか。

一つ目は、海外ニュースの写真で見た、ニューヨークかどっかの
ゲイ・パレードのひとこま。
まだ、そういうパレードが目新しかった時代の記事じゃないかなあ。
その中に、ゲイ・ピープルの「親たち」の列があって、
「私たちの息子(娘)は同性愛者です」と英語で書かれた横断幕を持って、
笑顔で行進している中年から初老の男女が映っていたんだけど。

ああ、この人たちは、ここに来るまでに長い道程だったに違いないと思って、
たくさん泣いたり怒ったり、子供を叱ったりなだめたりすかしたり呪ったり、
自分のどこが間違ってたんだろうと自信をなくしたり、
子供と傷つけ合ったり周りに傷つけられたりして
やっとここに至ったんだろうと思って、
ナミダが出た。
他人だったら気にしないけど、私が親だったらツライダロウナと思った。

想像力って、身近な人の所じゃなく、遠い所へ飛びがちなものだね。



2000年12月24日(日) 斜陽のままごと

いきなり所帯じみたネタでゴメンナサイ。

うちには6才になる女の子がいる。
もうママゴト道具を買う年齢でもないのだけれど、ふと見ると
ガラスみたいに透明なコップがなくて不自由そうだったので
買い足してやるか、と思って2年ぶりぐらいに玩具屋のままごとコーナーに行ってみたのだった。
そしたら、ない。
以前はよく見かけた、いろんな種類のおままごとパーツがずらっとバラ売りされてるところが、ない。
普通のおもちゃ屋にも大型スーパーにも、外資系のおもちゃ量販店にも、都心の大きなおもちゃ専門店にもなかった(←意地になって探したらしい)。

保育施設などでよく見かけた、高級感はないけど使いやすい、いろんな種類のある、多分おもちゃ業界ではメジャーなメーカーのシリーズがない。
お店の人に聞いてみても、扱わなくなったらしいというだけで、そのシリーズがなくなったのか会社が潰れちゃったのかもわからない。
わかったのは、とにかく全体的に、売ってるままごと道具が少なくなったことだけだ。
ままごとなんて、着せ替え人形の服やドールハウスの家具同様
バラ売りがなくちゃ不便に決まってる、と思い込んでいた私が間違ってたのか。

今はキャラクターの絵がついた、いかにも安っぽいセットのものが大半、あとは
ちょっと高級感のあるセットをたまに見るくらいで、バラ売りなんてない。
需要がなくなっちゃったのかな。
ていうか、ままごと自体の需要がすたれてきたのかもしれない。ちょっと寂しい。
自分の手でお料理のまねごとをするよりも、
子どもの手から零れ落ちそうなほど小さなティーセットで、
お人形たちにお茶会をさせる方が流行りなのかもしれない。
まあ一方で、小さい子がお母さんと一緒に本物のお料理の真似ができるような、
お菓子が作れる玩具とか、幼児向けのナイフやまな板とか…は増えているような気がするのだけれど…。

別にいいんだけど、それがほんのここ数年の変化のような気がして、ちょっと驚いた。
うちの子が赤んぼだった頃には、確かにままごと道具は豊富だったのだから。
私はゲーム音痴だけれど、アナログおもちゃの世界もなかなか奥が深いのである。



2000年12月22日(金) 空に浮かぶラブシート

ええと。
22日はコラム更新しないなんて言っといて、
日付が変わる前にアプしちゃったんで結果的に更新。
まあいいや。クリスマスネタはあるんだ。でも時間がない(笑)。
そして日記は例によって全然タイムリーじゃないです(ごめん)。

少し前にやってた日産スカイラインのCM。
音楽も10ccのI'm Not in Love(すでに古典?)で涼しげだったんだけど、
ゴンドラ式じゃない、むき出しの観覧車のシート(スキー場の
ペアリフトみたいなものだと思って)にカップルが乗って、
夕陽をバックにシルエットになってる綺麗な絵なんだけど、
あれは絶対日本じゃないんだろうなあと思って日産のサイトに調べに行ったら、
やはりフランスだった。そして移動式遊園地だった。

ヨーロッパって、昔から移動式遊園地ってのがよくあるみたいですね。
とくにフランスの映画やお話に多く出てくるような気がする。
サーカスみたいな感じで巡業して、メリーゴーラウンドとか観覧車とか、
乗り物をいちいち組み立てて使うんでしょうね。
子供に媚びないお国柄だから常設の遊園地は少ないのかしら、
安全基準はどうなってるのかしら、そんなに大きなものは作れないわね、
アメリカの大掛かりなテーマパークとか、日本で人気の絶叫マシンとは
対照的な世界なのね、などといろいろ考えさせられる移動遊園地ですが。
サーカスと同じく、レトロな哀愁が漂ってて魅力的ですが。

正直、あんな大きなものまで組立て式とは思わなかった。怖くないのかしら?
いや、スキー場のリフトだと思えば危険な感じはしないけど、でも
スキーの時みたいに完全装備で乗らないよね。
デートの仕上げなんかにムードを味わいたくて乗るよね?
そしたら寒くないかしら。マンションの十階近くなるとかなり風も強いけど、
不安にならないのかしら。
いや、寒かったり怖かったりして抱き合えるのならまだいいけど、きっと
安全のために体を押さえるバーがついてるから無理だわ、それとも
ラテン系のひとたちはそんなの装着しないのかしら…etc.etc.
かなり妄想をそそるCMではありました。

本音を言うと、私あれに凄く乗ってみたい!
閉所恐怖ってほどではないけどわりと開所志向なので、
ああいう心細いくらいに開けた高い場所っていうのはそそられます。
ちょっと怖いと思いながらカップルで眺める夕陽は格別だろうなぁ…
(一人乗りもまた極楽かも! でも飛びたくなっちゃいそうで危険だな)。



2000年12月21日(木) イイギリの木

イイギリは綺麗な木です。とくに秋に美しい木です。
すっくりと背が高くて樹皮が白く、濃い緑の葉は大きく、秋になると真っ赤な実が鈴なりになって、ひとあし早いクリスマスツリーのようです。
私は、初めて大きい公園で目にしたとき、秋の陽に照り映える姿にすっかり見とれてしまいました。
ずっとこの木のことを知らなかったんですが、和名の由来は「葉っぱで飯を包んだから」だというので、昔からあるんでしょうね(本州以南で見られるそうです)。

街のクリスマス飾りを見ていてふとこの木のことを思い出したので書きましたが。
もう今はイイギリの葉も落ちて実も鳥に食べられて、地味になっていることでしょう。
というわけで実は季節外れの話題でしたね。すみません。



2000年12月20日(水) 冬の大六角

なんと、コラムよりも日記のネタ切れで困っています。
(それは、やるべきこともせず不真面目に暮らしているからでは)
コラムはできる時だけ、日記はとりあえず毎日と思っていたけれど、
自分でもつまんない話で埋めるのは読んでくれる人に悪いかなあ、とか。
でも他にコンテンツないんだから、どっちかは必ず書くべきよね。
というわけで今日は思い出した「ありもの」ネタ。


星を見るとき、わかりやすい大きな恒星だけでもまとめて見つけると便利なので、
春の大三角とか夏の大三角とかいうまとめ方があります。
春はレグルス(しし)、スピカ(おとめ)、アルクトゥルス(うしかい)の三つ。
夏はべガ(こと)、アルタイル(わし)の七夕コンビとデネブ(はくちょう)。
そのほかに、昔学校の先生から教わった「冬の大六角」というのがあります。
星好きの人に聞いても「知らない」と言われたので、
先生のオリジナルか、マイナーなネタ(?)だったのでしょうか。

天頂近くから右回りに
カペラ(ぎょしゃ)、アルデバラン(おうし)、リゲル(オリオン)、シリウス(おおいぬ)、プロキオン(こいぬ)、ポルックス(ふたご)
だったと思うんですけどね(自信なさげ)。
そんなに形のいい六角じゃありません。
でも、星いっぱいの冬空でこれらの大きい星たちを見つけると、とりあえず満足します。
自分もそういうの習った!という方、いらっしゃるかしら。



2000年12月19日(火) 西風?

今日は風が強くて寒いかと思ったら、なんだか生温かい風で、お天気荒れそうなカンジでした。

やれやれ。一応更新したし、カウンタもつけたし、玄関あけちゃったぞ。
でもお知らせしてないから、誰が来るのだろうか。
お友達になんと言って知らせるべきか。そして
いつまでまじめに更新するか、楽しみです(他人事のように)。

年賀状、あしたこそやります(ていうかもう今日だ)。ごめんなさい(誰に言っている)。



2000年12月18日(月) もうすぐ

デザインなど気にしている身分ではないと自分に言い聞かせ
(ほんとうに心配してるのは内容のほうなんだけど)
いちおうコンテンツを作って更新。
これからどのくらいマメに更新できるかと思うと眩暈がします。
明日には正式にOPENしたいけど、どうかなあ。
それより年賀状を作らないとホントに怒られてしまいそう(誰に)。



2000年12月17日(日) 本屋さん

東京はしばらく晴天が続いておりましたが。
うちの方では満月の直前あたりから夜は曇るようになってしまい。
今日は久しぶりにしんしんと寒いと思いましたら。
夜になって雨がしっとり降りました。

久しぶりに大きな本屋さんに行って。
文系とか美術系の売り場を見ると激しく目の毒身の毒だと思って敢えて避けるのですが、
理工系の売り場へちょっと用があって行くと
これはこれで見ていて実にウキウキ心躍るものがあるというか
つまみ食いのようにキマグレに自分のものにしたくなったりするのは
私が理工系の人じゃないからでしょうか。

お昼休みにデパート冷やかせるようなとこにお勤めのOLは羨ましいなあ、
そうやってお洋服など毎日見て目を肥やしてないと、いざバーゲンなんていっても
何をどう買うべきなのかわかりゃしないでしょう、などと時々思いますが。
本屋についても同じことを考えて悶々とする自分であった(嘆息)。



2000年12月16日(土) とろくてすみません

コンテンツがなかなかできないのは、内容もさることながら、
見てくれをどうするか決めかねているからです。
好きなサイトさんで、読み物が濃い地色に白い字のネガ状態になってるところが
多いんですが。好きなんだけどそれはあの人たちの書くものだから決まってるのよね。
私の軽いコラムでそれはなんだか似合わないだろう、とか。

もう面倒くさいからコラムもレンタル日記にしちゃおうか、しかし更新がとろい
(公開前からすでに決定)のに日記形式というのもみっともないものがあるか、とか。

ぐずぐず思いつつ昨日は資料漁りに地元の図書館に行ったのですが、
やっぱり本がすごく少なくて泣けます…閲覧室もないし。
ううう〜大きな図書館のある町に住みたいなあ。


今日は出かけて、明日帰ってきます。
更新はそのあとと思われます。現実に負けて。



2000年12月15日(金) 銀座が好きなわけ

久しぶりに銀座に行って、ともだちと銀ブラしてきました。
子どもの頃、繁華な「街」へ行くというとまず銀座だったので、
とくにクリスマス前のキラキラした銀座を流して歩くと懐しくてうきうきします。
でも和光のショーウィンドウも居並ぶデパートも、地味だったなぁ。
(松屋に至っては改装工事中でかなり見目麗しくないです)

老舗がどんどんビルになって、よその街にもあるような新しいお店が入って、
様変わりしていくけどまだ古いまんまなところもあって好き。
画廊を見るのが好きな人なら、一番お金をかけないで一日遊べる街だし。


なぜそんなに好きか考えてみたことがあるんだけど、一番の理由は
通りがタテヨコの格子になっていて、道に迷いにくいということかな。
私の弱い頭では、角が直角になってない街ではすぐに方向音痴状態になって
迷子になってしまうのです。

だから中国の都市にならった平安京や平城京は歩ける自信があるけど、
ヨーロッパに多い、中央の広場から渦巻き状放射状に道が伸びて行く都市は
苦手です(かっこいいのにな)。
渋谷なんて、長いことどうなってるのかわからなかった(恥)。

全部タテの線とヨコの線だけで出来てる街なら、
道一本まちがえてもすぐに修復できるでしょ。
でも、放射状の街で一本間違えたらどんどん傷が広がっていくんだもん(笑)怖いよ。



2000年12月14日(木) 寒くなりました。

冬だから仕方ないし、寒くない冬というのもこわいから。
冬の風物を探すことにする。

赤ん坊を背負って、昔の「ねんねこ」式ジャンパーを着た母親を見かけるようになった。
赤ん坊は寒くないようにジャンパーの中に埋まっているのだが、
襟のところからふわふわふよふよした柔かそうな髪の毛が植物のように覗いて、風に吹かれてるのはいい眺めである。
園芸店やペット屋で売っている、猫の薬草というものを連想させる。
ふわふわ系は好きじゃないと言いつつ、寒い時期のふわふわとかふよふよには弱い私である。

そういえば友達に、可愛いものが好きだけど、ぬいぐるみや毛皮や一部の洋服など、要するに「毛足の長い」ものが凄く嫌いで、触るとぞーっとするし、人からぬいぐるみ貰ったりしたら困るという人がいた。
二児の母親だからぬいぐるみ系は避けて通れないし、かなり苦労がしのばれる。
しかし彼女も、赤ちゃんのふわふわ髪はたぶん大丈夫だと思う。
あれは、いいものだ。



2000年12月13日(水) 仮オープン

かなりむりやり、今日オープンということにしてしまいました。
しかしまだコンテンツが何もない。
カウンタもない(中身の方が先でしょう)。

今日ほかのことが何もできなかったので(駄目)
中身は明日以降がんばります…。


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蟻塔

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