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2007年03月24日(土) ぼんやりとぼんやりと、なまぬるく。

最近の土曜日は、昼過ぎまで眠っている。起きあがっても3時頃まで、掃除も洗濯も、洗い物もできずにじっとしている。花粉症がひどいので、薬を飲む。暖かくなる前の春はいつも、体調が悪い。

久しぶりに会う友人に誘われて、黒沢清『叫』を見た。朝からずっと頭痛がしていたのが、映画を見たら治った。映画は、いつも通り。半分よく分からずに、それでも確かに面白かった。黒沢清は廃墟や古い家が好きなのだろうか。主人公の部屋は私の理想です。清ファンの友人曰く「彼は東京を撮るってことと真摯に向き合っていると思った。凄い」とのこと。その言葉の意味も、半分分かって、半分分からなかった。そのくらいの感想を、最近は突き詰めずにそのままぼんやりとしている。

帰りにリブロで『暮しの手帖』と『須賀敦子全集第6巻』(ようやく4巻が終わったのです)。今年のお正月に彼の実家に行ったとき、おかあさんの本棚に、『暮しの手帖』があった。小さなまちの本屋で、主婦が手に取る本。暮しに役立つとは、きっとそういうことをいう。

夜。春の嵐がやってきて、そわそわと風を巻き上げる。雨の湿気が部屋に伝わって、部屋の空気はなまぬるい。酔っぱらった彼の息と洗濯物の混ざった匂いがする。


追伸
夜中に一人でyou tube を見ていたら、宇多田ヒカルが『With or Without You』を歌っている音源を見つけた。宇多田ヒカルは、いつも泣くように歌う。この人の悲しみは、きっと誰も引き受けられない。そう思わせる声だ。
http://www.youtube.com/watch?v=z55LCrHgGkM&mode=related&search=



2007年03月22日(木)

異動してから、人の手伝いばかりしている。面白くない。上司が変われば、自分の評価も立ち位置も変わる。当たり前だが、悔しい。仕事をしていると、毎年壁が現れるんだな。そんなことを思い詰めていたら、日記がずっと書けずにいる。



2007年03月12日(月) 母のつれづれ

土曜は父母が来て、掃除をしたりおにぎりを食べさせてくれたりして、あわただしく帰っていった。母は普段心配性で悪夢にうなされている(夜中に「ヒャー」などと声をあげる)おばちゃんだが、掃除のことになるとすごい。

まず、汚れへの徹底的対峙姿勢。「このくらい、仕方ないわよ」とゴミやほこりをまず認める。さらに、冷静沈着にして緻密。掃除をする前に、掃除機の掃除をしてから畳のゴミを吸い取る落ち着きぶり、そして黒く焦げ付いたガスコンロの銀色部分をぴかぴかに磨き上げるさまは、まさにプロの技だ。掃除における完璧主義は私も思い当たる点があるけれども、同時に彼女がもつ寛容さは、なかなか真似できないといつも感心する。私はほこりだらけの部屋にいると、他のすべてが嫌になって生活がひとつもできなくなってしまうのだ。

思えば一見単なる「ヒステリックおばちゃん」である母の、底に流れる寛容さに、私はしばしば助けられてきた。

母は私をよく褒めた。バナちゃんは文才がある。バナちゃんは運動神経がずば抜けている。バナちゃんは人の話をよく聞く。

同時に、それらの才能なんかどうでもいいから、「健康でいてね」と繰り返し言った。いじめられたら学校なんか休んでいい。陸上大会で優勝しなくたって、10番だって何番だって十分すごい。1番ばっかりとり続けたら、糸が張りつめて疲れちゃうよ。自主勉強だって、たまには休んでいい。元気でいれば、どうにかなるんだからと。

私はほとんど母の言うことを聞かなかった。1番でなければ生きている意味がないと思ったし、みんなに認められない人生なんて、生きている意味がないと思っていた。幼い頃アナウンサーになりたかったのは、毎日みんなに見てもらえて、自分が生きていることを知ってもらえる職業だと考えたからだった。

そうして私は疲れてしまって、高校生になってから髪の毛を染めたりスカートを短くしたり、やる気のない部活に入ったりした。大学生になってからもすっかり勉強しない私を、母は責めなかった。がっかりはしていたけれど、「がっかりよ」とたまに言うくらいだった。

大学時代、お昼前に帰った日は、一緒に『スタジオパークからこんにちは』を見た。おもちを焼いたりパンを買ったり、お昼ご飯は手抜きをして、「手抜きよ」と言った。母はスタジオパークを見てお茶を飲むと、台所からおせんべいを持ってきて、そのまま昼寝をした。夕方になると面倒くさそうに台所に立って、6時半には煮物やコロッケや餃子が出てきた。

当時(19才ごろ)の私は恋愛にはまっていた。私のことを、誰かに好きになって欲しいと思った。辛くて辛くて、不安定で、いつも居場所がない感じがした。思えばあれを思春期と呼ぶのかもしれない。父母のいる家庭はないものとして数えた。戻る場所がないと思って生きるのは、本当に辛い。大学4年のお盆に家でごろごろしているとき、ふっと気付いた。戻る場所は、ここだったと。夜の風が生温くて、幸せだった。

子どもが生まれたら、なんとか育てる自信がある。問題は山積するだろうが、基本は分かっている。戻る場所を、作ればいい。外で何があっても君はここに戻ってくればいいし、戻ってきたくなくても家はここにあると、教えたい。母は「思い通りにいかないわよ」と訳知り顔に言う。「バナちゃんみたいに我が道行く子だと、大変よ」。私は今も母の子である。



2007年03月04日(日) 土日(歯を抜く)

親しらずと、育たずに残ってしまっていた乳歯を抜く。麻酔をしたら気持ち悪くなって、「これくらいで弱っててどうするのー」とお医者さんに笑われる。麻酔の注射だけで終わった気になって、「もう抜いたんですよね?」と聞いたら、「これからよ〜。そんなに簡単じゃないの」と再び笑い。じんましんの麻酔のときも、花粉症の注射を打ったときもそうだった。顔から血の気が引いていくのがわかる。人ができていることで、自分が極端にできないことが、ときおりある。

英会話スクールの無料カウンセリングに行く。プライベートレッスンだと、半年で30万円強。貯金が大幅に減少。これを高いとみるか、自分への投資とみるか。でも、絶対に話せるようになりたいのだ。

夜、彼と近所の公園でキャッチボール。ただボールを投げるだけだと甘く見ていたら、奥が深かった。特に受ける時。グローブの扱いが難しい。頭で考えていることに体がついていかない。スポーツのもどかしさを久しぶりに感じた。それでも5球に1度くらい、思った通りにグローブが出せてバシッと球を受けられることがあり、「ああ、そうだった。この繰り返しでうまくなるんだ」と少しずつ感覚を思い出す。「自分の体は自分の思い通りにならない」。あたり前のことを、忘れてはいけない。

須賀の全集(次々に刊行されるので追いつかない)と、もう1〜2冊を併読する。これが最近の読書スタイルになった。綿谷りさ『夢を与える』、ナタリア・ギンズブルグ『ある家族の会話』。前者は読了した。面白かったが、自分を変える作品ではない。同世代作家の小説はしばらくいいかな、と思った。自分の細胞がどくどくどくっと変わったり、世界がぱーっと広がる作品を読みたい気分であるから。

夕暮れ時、お寺を通って帰る。黄色いろうばいと紅梅、白梅がそれぞれこぢんまりと咲いていた。境内へ続く道の両側には、桜の木。幹と枝の先がピンクに見えた。気のせいだろうか。初潮を待つ思春期の女の子が頭に浮かぶ。


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