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2006年10月29日(日) 彼のケータイと過ごす週末

関西方面へ新幹線で出張した彼が、私の部屋に自分の携帯電話を忘れていった。気付いた時にはもう新幹線の中だった。出張先で大切な仕事関係の人と会えなかったらまずいのではないかと気を遣って、仕事(会社)の人らしき人(ふだんの会話に登場するような……)の電話にだけ「はい、●●の携帯ですっ」と言って出た。

相手は急に女の子が出たのでビビって「誰ですか?」と聞いてくるので「バナナと申します」となぜか自分の名前をアピールしてしまい、「あっ、じゃあいいッス」みたいな感じで相手が切ろうとするので、「あ、すみません」と言ってこちらも反射的に切ってしまう。シゴトのつなぎをしようと出たのに恐縮して切ってどうする! もっと、言付けとかしておけばよかった……と後悔するが、連絡手段はこちらにしかないので後の祭り。

彼が別の人の携帯からあわててメールでも送ってくるかと思い、シゴトのものらしきメールも開くようにしたが、届いたのはすべて迷惑エロメールだった。「寂しがり屋の人妻に……」「ミエコにメールくれた?」みたいなやつ。開いてゴメン、と反省する。

その他にも、昨日が彼の誕生日だったせいか、彼の実家のお父さん、お母さんから何度も着信があった。さすがにお父さん、お母さんからの電話に私が出ても混乱を招くだろうと思って放っておいたが、先方は息子に何度かけてもつながらなくて、さぞかし気を揉んでいることだろう。

世の中にはカレシ、カノジョの携帯電話を無断で見て浮気を発見したり、あるいは「浮気の心配はないよ」の証明として携帯電話を見せ合ったりするカップルがいると聞くが、まったくそんなことをしていて日常生活がよく穏便に送れるものだと感心してしまった。私もゴス女代表として、そういった行為に特に反対をしていなかったのだが、今回の一件でやるもんじゃないと思い知りましたよ。人様のケータイの着信を気にするのってめちゃめちゃ精神的に辛い。面倒くさいッス。

それと、やっぱり携帯電話ひとつ家に置いていっただけで劇的に不便になる(実際に不便になっているかは分からないが、猛烈に不安になる)今の世の中は危ない。今日か明日に彼に会ったら(携帯がないからどうやって会うのか分からないが)、うちの自宅電話、お互いの携帯電話番号をゴロ合わせかなんかで覚えよう。親しくして毎日のように顔を合わせているのに、ケータイがないと連絡が途絶えてしまうなんて、まったく難儀な時代だ。



2006年10月28日(土) ツヒノスミカ




休日出勤がどうしても嫌になって、ずっとおあずけにしていたレイトショーを見に行く。『ツヒノスミカ』@ポレポレ東中野。線路沿いにある映画館には、併設の小さなカフェがある。上映時間まで少し時間があったので、そこでご飯を食べた。カフェの奥を貸し切って、写真展のオープニングパーティをしていた。

『ツヒノスミカ』は監督が自分のおばあちゃんを撮った、ドキュメンタリー作品だ。「10年前にじいちゃんを亡くし、その後もひとりですんでいたばあちゃんが、突然寂しいと言った…」。息子夫婦との同居にあたり、長く住んだおばあちゃんの家が取り壊される。思い出の品々を片づける親子2人の様子、おばあちゃんの繰り返される日々を淡々と描く。

本当にいい映画だった。親子の滑稽なやりとりに、おばあちゃんのかたくなな性格に、くすくす笑いながら涙が止まらなかった。泣かせどころがあるわけではない。静謐で、音楽もほとんどない。それなのに、明るい。それなのに、泣いてしまう。

「日常のいとおしさ」。ああ陳腐な言葉は、ここでは映像にかなわない。おばあちゃんの一挙手一投足、ひとりごと、部屋にかかったカレンダー、食器、じいちゃんとの思い出の品々、柱、壁紙、床の間の掛け軸、スーパーでのやりとり、野菜を選ぶ手。ただの名もない生活者の、地に足着いた90年がにじんでくる。

帰りの中央線に乗り込むと、ぱらぱらと雨が落ちてきた。帰宅してポストを覗く。手紙を書いた作家から返事がきていた。生きていくとは、……また大げさなことを、書きそうになる。

(写真は先日帰った実家です)



2006年10月27日(金) グロテスク、同志、逗子

日記を書く気になった。

■本

ようやく『グロテスク』読了。あ〜面白いっ。非常に後味のよい小説でした。小中学校時代お勉強を頑張った、働く女子は読むべきだと思う。それにしても、「働く女性=肩肘張っててツカレテル」って感じのイメージは、いつになっても消えないのかしら。

星野博美『のりたまと煙突』。装丁やオビの文句、「戸越銀座出身」というキーワードから予想していたのとは全く違う尖った作風(エッセイだが)の人だった。『転がる香港に苔は生えない』も読んでみよっと。須賀敦子の全集を文庫で購入。この作家も初体験。本屋はいくらでも新しいことが転がってて面白いなあ。


■女の子のブログ

相変わらず好きな通信社勤務の女の子の日記に、「頼まれて書いてやった原稿について余りにしつこく礼を失した態度で電話をかけてくる本社の記者(といってももう50近いおじさん)に腹が立って、向こうがねちねち話している間中、受話器を離して別の原稿を書き、静かになったので「忙しいのでもういいですか」と言って電話を切り、その後のメール二通を完全に無視した」とあるのを見て、夜中にくすくすと笑う。私もこんなことしたい〜などと思って。北海道のあなたを勝手に、同志だ!なんて思う。インターネットがたまに、好きになる。


■逗子暮らし

モデルの田辺あゆみは今、都内を離れ逗子暮らしだそうだ。雑誌で読んだ。はああ。おされ。根本きこさんはじめ、最近スローライフ系、カフェ系な人たちは皆、湘南へ引っ越しているみたいだ。そんで子どもを産んで、スローに仕事と両立させてる感じ。

ああー、私も江ノ島に古い一軒家を買って住みたいなあ。海のそばの一軒家なら持ち家でもいいなあ。でも神奈川って何の縁もないしなあ。古い一軒家っていくらするんだろう。縁側のある家が良いなあ。……年収300万円(以下)OLの私の頭を、ほくほくと妄想だけがめぐるのだった。



2006年10月16日(月) 星野村

夜の9時を過ぎたあたりで頭痛がした。少し働きすぎたかもしれない。原稿を読んでも頭に入らないので退社する。終電以外で帰るのは久しぶりだ。

家に帰ってお茶を入れ、母が送ってくれた星野村の柚子羊羹を食べる。

星野村については詳しく知らない。九州にある、星が美しい小さな村だ。母は新聞でその村のお茶の記事を読んでから、ここ5年ほどずっと星野村のお茶を取り寄せていた。高級品ではないが、とてもおいしかった。

父と母は先日の九州旅行で、その星野村を訪れたという。(羊羹は彼らのお土産だ。)星の文化館と茶の文化館に行ってきた話を聞く。

「星なんて全然興味なかったんだけどね、最新式のすごい望遠鏡で見せられたらなんだか興奮してきちゃって。天文台の先生はね、この間の冥王星騒動にも関わってる偉い方みたいだったわよ」。

本当に星とお茶だけの村なのだろう。電車の駅からも、タクシーを使わなければたどり着けない場所にあるらしい。観光にはいい季節だというのに、両親が泊まった宿は、彼らの貸し切り状態だったそうだ。

網戸を開けて、空を見上げる。東京の空は外灯やビルの光に照らされて、黒ではなく紺色のまま夜がある。虫の音が聞こえる。道路の車の音も。風が少し肌寒い。




【覚え書き】

星野村↓
http://www.mfj.co.jp/hoshino/

帰りに書店に寄ったら、いつの間にか朝日新書が創刊されていた。公募していたブックカバーコンテストも優勝者が決まったもよう。↓ 数日書店に行かないと、すぐに棚が変わってしまう。
http://www.asahi.com/culture/update/1008/013.html?ref=rss



2006年10月14日(土) 雑記

書こうとしたのにやめてしまったとるに足らないことを思いつく限り。

黒沢清の『LOFT』を見た。面白くて面白くて、映画が終わったところで笑い出してしまった。エンドロールの間中笑っていた。黒沢清は「語ることで映画は映画になる」なんてむつかしいことを新聞で言っていたが、この人の言うことは半分冗談だと思って生きていくことにする。

リーガロイヤルのバイキングに行った。3000円奮発して出した割には、レストランの雰囲気などがちょっとだけホスピタリティに欠けていた。「バイキングって難しいよね」と言って帰ってきた。とはいえケーキは美味しかったし、2000円くらいだったら良かったと思う(私に値踏みされたくないだろうけど)。ついでに言うと、最近土曜の夜にホルモンを食べて贅沢することが多い。高円寺で肉を焼くほうが、私には向いているのか。

先日結婚した先輩が郊外に家を買ったと聞いて、「持ち家か、賃貸か」問題が自分の中で勝手に再浮上している。(どっちにしろお金ないくせに。)自分の家を持つってそんなにいいことなのだろうか。逆に、家を買わないとどんなデメリットがあるのだろうか。

『働きマン』の新しいのを買った。この漫画が売れるってことは、世の中の仕事してる女の子って、松方弘子みたいに歯を食いしばって働いている人が多いのかも……。私は自分の仕事がけっこう激務なほうだと思っていたのだが、平均レベルのなのかもしれん。



2006年10月11日(水) アドレナリンと『グロテスク』

仕事が暗礁に乗り上げ続けているため、会社に泊まるかタクシーで帰る日が続いている。一度会社に泊まると2日目は妙なアドレナリンが出て仕事が進むが、それはあくまでアドレナリンのせいなので気を抜くと突然睡魔が襲ってくる。今日は家に帰ってきた。まだ、アドレナリンの続きでこの文章を書いている。

このおかしいテンションの時に、今読んでいる桐野夏生『グロテスク』がぴったり合う。東電OL殺人事件が元ネタの小説だと聞いて読み始めたのだが、(今のところ)ワタナベヤスコだけの話ではないらしい。

アドレナリン状態で、ある女子校の物語に身を任せる。すると、中学生の頃の自分の悪意が次々に思い起こされ、妙な気持ちになる。

中学の頃は、まわり中の子が全員敵だと思っていた。あのクラスのグループ分けが怖いから友人を作っていた。しかし、そんなことは心の奥に(もしかしたら自覚さえせずに)しまって、私はきらきらしたグループに所属していた。私は成績もスポーツもトップだという特権ゆえ、顔の美しい女子たちで形成される最も華やかな集団に入ることができた。

美しい彼女たちと並びながら、自分のどうしようもなく平凡な容姿に思春期特有の期待を抱き、その逆に失望し、生きていたのだ。

私が想起する田舎の公立の中学校における生きにくさと、『グロテスク』の名門私立女子校(高校)の生きにくさは、種類も設定もまるで違う。それなのになぜか、心の奥にしまっていた妙な気持ちが立ち上がって、私はこうして書かずにはいられない。

もうすぐアドレナリンが切れるので、中学校時代の私は消える。私はそれを恐れ、それを望んでいる。



2006年10月03日(火) 結婚式と、フェミニズム

元会社の先輩の結婚式に行く。式から二次会までフルで出たのは初めてだったので(私の周り、みんな晩婚ぽいなあ……)、色々と勉強になる。

ひとつ、ご本人たちの趣向云々と離れたところで印象的だったのが「ファーストバイト」という儀式(?)。ケーキ入刀の後に、新郎と新婦がお互い「あ〜ん」してケーキを食べさせ合う、披露宴のハイライト。司会さんの解説によれば、これを行った男女は、一生食べ物に困らないと言われているらしい。

で、何が驚いたってこの「あ〜ん」の前の司会の解説ですよ。「新郎から新婦へは、『一生食べさせてあげるからね』の気持ちを込めてケーキを口に運びます」「新婦から新郎へは、『一生ご飯を作ってあげるからね』の気持ちを込めて」だとさ。

私はフェミニストじゃないので、「結婚して食わせてくれ〜」って女の子にとってはすごくいいシステムだと思うし、どんどん甘えるべきだ、むしろ賢い子は言われなくても甘えてるよなと感じるのだが。……と百歩譲ったとしても……。

こんな時代錯誤な考え方が、100人の目の前で堂々と宣言されるのは、なんだか不思議というか、「いいのかなあ」と思ってしまった。スピーチにも、何かというと新婦は新郎を支え……って堂々と出てくるし。

「結婚すると落ち着くから嫌だ」「専業主婦とかつまんない人が多いじゃん」という、結婚を拒否する女の子たちの戦う気持ちが、ちょっとだけ分かった気がした。いや、私は絶対嫁にいくけど。って、嫁って字も、「女」は「家」に居るっていう意味なんだとか。気にし始めるとキリがないのよね。やっぱフェミニストって大変だ。日本で生きてる限り、人生の日常すべてが戦いになっちゃいそう。

あ、でも今は結婚も仕事も子育ても!の欲張りな時代なんだって今日ラジオでやってた。歯を食いしばってるフェミニストも、男尊女卑と同じくらい古い時代の生き物なのかな。







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