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2006年01月31日(火) 王子様への手紙

前略王子様


1月も終わりますが、寒中お見舞い申し上げます。
この言葉は立春まで使っていいらしいので、
ギリギリセーフですね。

すっかりご無沙汰してしまいました。
お元気ですか。

私の方は、1月の前半に大きな風邪を引いて
会社を4日も休み、そこから調子がずっとあがらずにいます。

取材のアポイントが取れなかったり
(原稿は徹夜すればできるけれど、
アポが取れないのはページに穴が空くことなので一番怖いのです)
咳がいまだに続いていたり、
実の祖母が亡くなったりと、さんざんな1月でした。

祖母は、90歳を超えていましたからいわゆる「大往生」で
どちらかと言えば「明るい」最期だったと思います。
とはいえ私にとってはほとんど初めて体験する身内の葬儀でした。

あなたは誰かのお葬式に出たことがありますか?

私が世間知らずだっただけかもしれないけれど、
あれほど死に向き合わされるものだとは思っていなかったので、
大変驚きました。

死に顔のそばに花をたむけ、
その、顔に向かって出棺の前にお別れのあいさつをし、
焼却炉に入るぎりぎりまで並んで見送る。
一番驚いたのは、葬儀場のスタッフが
焼いた後の骨を「これが上あごの骨です」「これが耳の後ろの骨です」と
説明する部分。
ずっと落ち着いていた父(祖母の息子)も
骨壺に移された白い骨を見て
「ばあちゃんのだから少ないんね。あれが骨折した時の金具だ」
と寂しそうでした。

葬儀場で淡々と行われる一連の流れを見ながら、
私は、ここで行われていることひとつひとつを何も知らなかったと、
気付いたのです。

黒い服を着た人々の他愛のない談話。
死に顔を見る恐怖。
はしで骨をはさむ瞬間の緊張感。
火葬の終了までに1時間かかるということ。

「死」「生」について何度も考えたつもりだったけれど、
私は、何も分かっていないのだと思う。

おととい実家から電話があって、
今度は母方の祖母が危篤だそうです。
母は辛そうでした。
今まで、
「おばあちゃんも死にたいのに死ねない歳になっちゃって」と
冗談交じりに言っていたのに。

あなたはお元気ですか。

仕事を辞めると聞きました。
こんなに才能のある人が田舎に帰ってしまうのは
もったいないと思うけれど、
友人としては、本当に安心しました。
神経痛を患ってまで続ける仕事なんてきっとない。
そしてあなたのような才能溢れる人には、
仕事上の肩書きは特に必要ないと個人的には思います。
そして、暖かい土地でのんびり海でも見て過ごせること、
とても羨ましく思います。
(現実はそうもいかないのかな)

毎朝ラジオを聞いています。
2月が近くなって、「小さな春を見つけました」「まだ春は遠いです」
というお便りが読まれるようになりました。

湯島天神の梅祭りを、東京にいる私は見に行くつもりです。

先日、今付き合っている人と
「東京にいて本当に幸せになれるのか」という話をしました。
そんなにまじめな感じじゃないけれど、
半分くらい、私はまじめに考えていました。
答えは出ませんでした。

最期には俗っぽい葬儀屋に焼かれるとるに足らない人生なのに
実際にやっているとなかなかままならないものですね。

それではまた。
花粉症は嫌だけれど、早く暖かくなってほしい。



かしこ



2006年01月24日(火) もうでないつみ

■病気

風邪は治ったはずなのに、咳が止まらない。全身全霊で咳を続けていたら、振動が頭に響いて頭痛がしてくる。腹筋も痛くなる。話の途中で咳が出るので言葉が途切れ、コミュニケーション不全になる。新年早々から引き続き、どうしてこんなについていないんだろうかと考えたら、ひとつ思い当たるふしがあった。初詣をしていない。週末に、穴八幡にでもお参りしてこよう。



■フェミニズムって何?

長年「彼氏」がいなかったので、付き合っている人のことを人に話す時「彼」とか「彼氏」と呼ぶことに大変抵抗がある。「相方」とか「ダー」「恋人」とかもムカつくから嫌だ。なるべく「○○くん」「付き合っている人」などを使うことが多いが、こんなことをいちいち気にしている私は、多分「カレシがさ〜」「ダンナ(結婚していない人)がねえ〜」と軽く流せるギャルより全然スマートじゃないことは、よく分かっている。

同様に、結婚した後配偶者を何と呼ぶかも、数年前から私の大いなるテーマだった(結婚願望強いから)。「主人」や「旦那」は家父長制の名残りが見えるので嫌だ(ホントかよ)。「パートナー」はフェミ臭がぷんぷんするからダサい。それで考えたのが「家のもの」または「家人」。かなり独自の発想だと満足していた。

ところが、今月の『ku:nel』を読んでがくっときた。『海月書林』の店主(乙女系)が、すでに「家のもの」という言葉を使用していたのだ。瞬間、するすると、色々ななぞが解けた気がした。

おそらく、自分のカレシやら配偶者やらを「家のもの」と呼びたい女性の集団がいて、彼女らは古本やらカメラやら、スイーツのおもてなしやら、鍋つかみ製作やら、自分の趣味、仕事、好きなものの世界を持って(いたいと願って)おり、「一人で立っていたい」みたいなことを言葉にはしないけれど常日頃から考えている。しかしそれを『anan』女のように「一人で平気な女になる!」なんて大声では言わず、隠れフェミニストとして今日も喫茶店でひとりお茶をすすっているのだ。

あーあ、結局私たちって、どこかの社会的集団に分類されながら生きていくのね。どうしようかね。そんなことを考えていたら「家のもの」も恥ずかしくなってきたから辞めなきゃいけない。どうでもいいが、オレは今、自分の中のフェミニズムに大変興味があり、小倉千加子が猛烈に読みたい。



2006年01月22日(日) 大人になんてなりたくない

最近友人とごはんを食べると、「結婚しないの?」「転職しないの?」という話が必ず出る。いつの間にか24歳になってしまった。昨日と今日はセンター試験だったそうだが、私が受験したのはもう6年前。不思議だ。とても不思議な気持ちだ。よくおばさんで「18歳の頃と気持ちは変わってないのよ〜」などという人がいて、ずっと冗談だと思っていたが、あれは半分本音なのだということが最近分かってきた。

リカちゃんとカワムラさんとトミタさんと、4人で焼き肉を食べて帰宅したら、テレビで小田和正のドキュメンタリーをやっていた。彼は58歳だそうだ。その年齢について聞かれ、「(僕と同世代の人は)誰も58歳になるなんて、思っていなかったんじゃないかな」そして「自分はまだ、走り続けられるような気がします」と答えていた。コンサートでは、あの高い声で、全身全霊で歌っていた。汗を流してお客さんの間を走り回っていた。私は、テレビの前で泣いた。

たぶん私は、今さらこんなことを言ってもまったくむだなのに、大人になりたくないんだろうと思う。高田馬場に住んでいるのは、学生時代をいつまでもぐずぐずと忘れたくないからなのだ。

小田和正の同級生だというおじさんが、テレビに出ていた。彼は大手ゼネコンの社員だった。30年間同じ会社に勤め、不況時には社員のリストラを担当し、数年前に自分も辞めた。小さな会社に転職してから、小田和正の歌を聴くようになったという。「ずっと会社に勤めていると、夢とか、忘れちゃうんですよね。そんなに忘れてなかったつもりでも、(小田さんの)歌を聴くとね、改めて『あ、忘れちゃいけない』って気付かされるんですね」。

毎日社会人として仕事をしていると、色々なことを忘れる。仕事がどんなに面白くてやりがいがあっても、人間として大切なことは、どんどんこぼれ落ちていく。「ああ嫌だな」と私もたまに思う。何にも考えなくなっちゃったな、嫌だな。でも、たまにしか思わない。他の時は、「嫌だな」と感じることさえ忘れているのだ。本当に恐ろしいことだ。

高田馬場駅から家まで10分歩く間、いくつかの疑問を自分に投げかけた。あれほど洋服が好きだったのに、なぜ最近はショップを覗くこともしないのか。私は本当に仕事が好きなのか。物事をポジティブにとらえられるようになったのは良いことだ、でも、それは思考停止とは別のことなのではないか。歳を経たからといって、こうした不安定な気持ちは消えないのか。なぜ、最近の日記の内容はスランプだと感じるのか、など。

答えは出ない。小田和正のテレビが終わって、メールを読み返す。数日前に彼にもらったものだ。


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君にメールをしようと思っていたら君から電話があって、電話が終わったあとまた寝てしまいました。夜中に目が覚めて、NHKの『動物・植物』を観ました。互いに利益を分かち合って共生する生き物たちが色々と紹介されていました。ハゼとエビ、イソギンチャクと魚などが取り上げられていたのですが、中でも良かったのが蟻と油虫です。

油虫のお尻からは「甘露」という糖分を多く含んだ蜜がプックリと出てきます。油虫にとっては排泄物なんですが、蟻にとってはご馳走なのです。蟻は甘露をもらう代わりに、油虫の天敵(てんとうむしなど)を撃退します。

撃退の後、触覚でビシビシ叩いて甘露を催促する蟻と、言われるがままプックリと出す油虫の姿がおもしろく、かつ可愛らしかった。ああいう感じで生きていけたらなあとすら思った。

引き続き、教育テレビの『みんな生きている』を連続でやっていたので全部観てたら、この時間になったのです。

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私も何というか、こういういいメールを、人にさらっと送れるようになりたいなあと思って、答えは出ないまま、涙目のまま、眠る。



2006年01月14日(土) 医療の現場に物申す

「からだと向き合う1年」なんて偉そうなことを書いておきながら、大きな風邪をひいてしまった。今週は水曜から今日までずっと寝ているハメに。こんなに長く休んだのは、会社に入って初めてで、よい医者がどこにいるのかも分からず、いつ治るのかも見えずに途方に暮れた。

お医者さんに行ったら行ったで彼らは風邪なんかに対して興味を持ってくれず「そんな必死の形相で頑張らなくても、そのうち治るってば〜」という態度。3分くらいしか診察してくれない。水曜日に一度診察に行って、木、金とずーっと眠っていてもいっこうに良くならないばかりか熱が高くなるので、金曜にもう一度病院に行ったら「はいはいはいはい」という態度で6種類くらい薬をだしやがった。これは効いてます。

あと、医療費って保険のお陰でものすごい安いんですね。薬6種類出されて1000円ぽっきりよ。そりゃあおじいちゃんおばあちゃん病院に通うわね、と思いました。

あ、ついでに病院の文句いくつか。あの、大きい病院て最近「紹介状」がないと見てくれないのね。一応見てはくれるんだけど、別途料金がかかる(慶応病院は5000円で、女子医大は3000円だった)。せっかく都内に住んでいるのだし、会社か家の近くにある大きい病院に行きたいなと思うのが人情ってもんじゃないですか。ましてや患者は不安でさ、センセイがヤブじゃないほうがいいなって思うに決まってるじゃん。あからさまな門前払いって、酷いわよね。でも、こういうことって誰も声を大にして言わないのかしら。みんな、病気が終わると忘れちゃうのかな。



さらに、風邪からちょっと離れるけど、「医療を告発するシリーズ」続けます。

ずーーーっと言おうと思ってた「婦人科検診」のこと。会社で健康診断を今年初めて受けたんですが(夏ごろ)、あの「婦人科検診」て何ですか!! 名前だけぼんやり知っていて「ああ、女の子は婦人科検診もするんだよね、だから時間かかるんだよね」くらいに思ってたんだけど、その実態たるや……。変な分娩台みたいな椅子に座らされて、上半身カーテンで覆われて、「はーい足開いてー」って当たり前のように言われるのよ!! そしてピンセットが股の間に……ゼッッッタイムリッッッッッッッ。私は何を言われても、かたくなに足閉じてたけどね。そうしたらセンセイちょっと困った様子で「ね、大丈夫よ。セックスの経験とかあるんでしょう」って。きぃぃぃぃぃぃ。

帰ってから、あまりの衝撃だったので会社の人に「どうしてあんなことされてみんな黙ってるんですか! ひどいっ!」と言ったら「うーん、そりゃあ毎年のことだからねえ。去年なんて私男のセンセイだったし。バナナさん初めてだったのか、大変だったね」と慰められる始末。これは隠蔽された密室での事件ですよ。こんなことがまかり通って良いのか! 他に「婦人科」について調べる手だては本当にないのか!! 声を大にして告発したい!!!



閑話休題……。

自分が弱者になってみると、見える風景って180度変わるんですね。ちなみに私は「医療生協」っていう中くらいの大きさの診療所に行ったのですが、(前述の通り、センセイは冷たかったものの←まあたいしたことないからってことなのは分かっているんだけどね)着いて1分くらいで見てもらえたし診察も信頼がおけるものだったので、今後ここをかかりつけにするつもりです。



2006年01月09日(月) 私の東京奇譚

自分の体が自分の思い通りにならないことについて、つくづく不思議で、不自由なことだと感じる。尿意や便意(きたなくてごめんなさい)、頭痛、腹痛、アレルギーによるくしゃみ、鼻水、生理のタイミング、性欲、食欲、睡眠欲。いつ破裂するか分からない時限爆弾を抱えているようなものだ。

そんなことを思いながら3時過ぎ、早稲田から都電に乗って出かける。村上春樹『東京奇譚集』を集中して読みたかった。いつ乗ってもこの電車は混んでいる。隅っこのシートに座って、半分うつらうつらしながらページを繰る。車内は人の熱で暖かい。紙袋のすれる音。人が乗り込む時、踏切の音と外気が入ってきた。

『東京奇譚集』は、主人公の身の回りに起こった、偶然とは思えない不思議な話を紹介した短編集だ。随分前に買ってあって(村上春樹の作品は、発売日に手に入れたい)仕事や雑事に追われながら日々が過ぎ、ようやく年明けに開いたとっておきの1冊だった。

なぜこれを読むために、わざわざ都電に乗ろうと思ったのか分からない。ただ、本と同様、都電も「乗りたい、乗りたい」と思いながら今日まで放って置いた小さな目標だった。

ちょうど鬼子母神前駅を過ぎた頃だろうか。3つ目の短編に差し掛かって驚いた。(物騒な話だが)都電に轢かれて亡くなった人についてのくだりが出てきたのだ。東京に残っている都電は、都電荒川線だけだ(と思う、たしか)から、村上春樹が書いている「東京」が私の住んでいる東京ならば、「都電」は私が、今、乗っている都電荒川線である。

読む速度は遅いが、好きなので本はいつも持ち歩いて移動中やカフェではいつも読んでいる。それでも、この1年以内に、「都電に轢かれて亡くなった」人の話が出てきたのは、この小説が初めてだった。そして、私が都電に乗ったのは、春にひとりで花見に出かけた時以来だ。

不思議な偶然に戸惑いながら少しうれしくもなって、春に見つけた町屋の古本屋が跡形もなく消えていたことに、それほど落ち込まずに済んだ。太陽は美しい夕焼けを車輌後方の窓に映してすぐに消え、帰りの窓からは、車のライトと、黒い闇に映った自分の顔しか見えない。テニスコートを通り過ぎる。復路の面影橋を過ぎたあたりで最後の短編「品川猿」に入り、あゆみブックスのとなりにある早稲田のシャノアールで最後まで読み切る。

体の声を聞く。早稲田通りを歩く。今日は風がないから、少しだけ暖かい。



2006年01月08日(日) パーマをかけました

高田馬場で外食した帰り道、『隠し剣 鬼の爪』を借りて帰る。ビデオ観賞時間用に、彼がいちごを砕いてそこに砂糖と牛乳を注いだ「いちご牛乳ジュース」(?)を作ってくれた。暖房の効いた部屋で食べるフルーツが、みずみずしくておいしい。

(スランプ脱出まで、記録を積み重ねます)



2006年01月07日(土) カメラ譲ってください

ありふれたおしゃれ写真サイトのようになりたくないだとか、一眼レフを首からぶら下げて歩くのが自意識過剰な人みたいで恥ずかしいだとか、私には、芸術的才がないからあの人のような1枚は絶対に撮れないだろうからだとか、色々と理由を付けては写真を始めることを避けていた。

今日、渋谷の交差点で路肩の空き缶にレンズを向ける女の子を見て思った。

ちまちました自己満足でも良いから、自分のお金で買った高いレンズで、自分が撮りたい絵に近づくよう努力を重ねて、日常的に写真が撮りたいなあと。きっと楽しめるし、外出が今よりもっと特別なものになるんじゃないかな。

「ホンモノ」感は薄れるけど、私の無精な性格とウェブのことを考えるとデジタル一眼レフかなあ。お金をためようと思う。あ、いらない人がいたら譲ってください。



2006年01月03日(火) ノンフィクションライター

益子の陶器市(初売り)に家族3人で出かける。着物を着た。車中、母に寄りかかってずっと眠る。ラジオからは、ぼんやり蛭子さんの声。目覚めると、美しい夕焼けが枯れた田んぼの向こうにあった。ここから東京は遠い。

母も私も大変お目が高いので、2000円を超えるにもかかわらずたいしてかわいくない陶器には金を払わない。結局ひとつも買わずに、帰りにスーパーで酒かすを買って帰る。

帰宅後、甘酒を飲みながら再びインターネットサーフィン。自らのセックス体験を赤裸々に語る乙女ガール(あ、投稿官能小説じゃないです)のブログを読む。ここまで突き抜け、かつ乙女デザインにくるんでお送りすると、オンリーワンな作品が出来上がるのだなあと感心しながら読んだ。眞鍋かをりが「面白いブログの基本は、ホントのことを書くこと!」と言っていて、あれは嘘ではないといつも思います。

ああ、私の文章が面白くなり、美人ノンフィクションライターとして活躍する日はいつになるのだろう。先日彼に「将来は中島みゆきみたいになりたい」と言ったら少しだけ嫌がっていた感じがした。心配な正月。明日東京に帰る。




2006年01月02日(月) つらつらつらつら

とても良い仕事に就くような感じの初夢を見たが、目覚めた瞬間に内容を忘れてしまった。りかちゃんに教えてもらった『ブックカフェものがたり』の版元、幻戯書房が、ノンフィクションライター辺見じゅんの作った出版社であること、そして彼女の父が、角川書店の創始者、角川源義氏であることを知る。石牟礼道子の本を読み、「簪」が「かんざし」「無花果」が「いちじく」と読むことを覚える。

昔の自分のインターネットの日記を読む。荒い文章が多い。なぜ見に来てくれた人がいたのかを不思議に思う。と同時に少しだけ「おっ」と思うこともあり、今の日記は客観的に見ると大学生当時のものと比べれば「出がらしのお茶」(この間一緒に飲んだ京極夏彦ファンのライターさんが、最近の京極作品をこのように評していた。私の村上春樹評と同じ。もちろん大作家先生である京極夏彦や村上春樹の場合は、読者の「でも好きなんです」という気持ちが前提としているのだが)のようなものであり、最近になって飽きて離れてしまったビジターの方もいらっしゃるのではないかと少し不安になる。

私の場合は気分がもろに文章に出るため、10年前も10年後も変わらず書くことは好きに違いなくとも、書く内容やテンションは大きく変わってしまう可能性が大きい。衝動に駆られて次々にキーボードを打つ手が動く日もあれば、今日のようにだらだらと思うままに綴るのが楽しい日もある。

写真サイトとテキストサイト(この言葉はもう古いのか)、ブログのネットサーフィンをする。日々の気持ちのありようを、とても素直に表現している日記に出会い、引き込まれて読んだ。自分のサイトも含めて、「面白くしよう」「かっこよくしよう」「かっこよくしようというのがばれない感じにかっこよくしよう」という気概にあふれたページが多くていらいらしていたところで、心が洗われた思いだった。筆者は若いらしい。大学生活のこと、よく立ち寄る喫茶店のこと、家のそばにある花屋のこと、ひとりでする晩酌のこと、夕焼けのことなど、生活の中で感じた小さな喜びや悲しみをみずみずしい言葉で語ってくれる。

どうでもよいことだが、笑いのないもの、優しさのないもの、文句だけのものを、最近の私は信じていない。

最後に、今年の目標
いよいよ25歳になる年。をふまえて……。

■早寝、早起き、朝ごはん
健康な生活の基本。帰宅が1時を過ぎた日も、少なくとも2時には眠り、8時に目覚めること。朝ごはんは無理せず、インスタント味噌汁から始めてみる。

■新聞は出社前と就寝前に
朝の通勤電車で読むと、すべてが読みきれない上、読書量が減る。

■とにかく仕事でミスをしない
スケジュール管理。それと、原稿は3度見直す。

■株式投資に回せるお金を貯める
貯金が100万円を超えた時点で、株を買う。始めは投信からチャレンジ。目的はあくまで経済オンチ克服。そんなに増えなくてもよいという気持ちで取り組む。

■自分の体と向き合う
アレルギー、女性ホルモンについて本を読む。仕事でいざという時にがんばれる体力をつける。



2006年01月01日(日) あけましておめでとうございます

大晦日、午後の陽が差し込む高崎線にがたごと揺られて、実家に帰った。車内は、大きなかばんを網棚にのせてぐうぐう眠る平和な人の静寂であたたかかった。赤羽と浦和の間に登場する荒川が見たくて、ブラインドの下りていない窓の側に立つ。

石牟礼道子の詩歌文集を開く。彼女がラジオで話していた「凪の海」を思う。不知火海に訪れるという、奇跡の瞬間。風が止まり、光が水に揺れる。彼女の文章に触れる時、不思議だが私はいろいろなものが怖くなくなる。

目をつむる。少しずつ、自分の内面に降りていく。外には騒がしいことが多い。静かに、新しい年が始まる。


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