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2004年08月29日(日) 花柄のももひき

台風情報を聞きながらナスをごま油で焼く。炊きたてのご飯と、オクラと豆腐の味噌汁。ラジオからは玉置宏の『ラジオ名人寄せ』。鈴本演芸場に行きたくなった。





雨なので近所のドトールに行って、昨日ブック・オフで買った(100円!)群ようこのエッセイ(『別人「群ようこ」のできるまで』を読破。この人の若い頃、今の私のとほほな働きぶりと似ていてとても面白い。

それにしても高田馬場のドトールで4時間読書する休日……もてないはずだよ……

会社で彼がいないのが私ぐらいなのを心配して、まわりの先輩が色々世話を焼いてくれる。デスクに町田康の写真を貼っていたら、「私この人に似てる知り合いいるよ」と言ってお相手(という呼び方で良いのか。まだ見合いはしてません)のデジカメ写真をわざわざ持ってきてくれた。40歳で釣りが趣味の、博識のおじさん。むふふ。ももひきをはいて家を歩き回っていそうなところが、まんま町蔵先生で、「ぜひ紹介してください」と言っておいた。

男の子と一緒に食事をするような大切な場面で私はけっこうへまをするほうで、アレルギーが発生してずうっとくしゃみをし続け、「今鼻水見えたよ」と注意されたり、あごにごはんをつけっぱなしのまま気が付かずにもぐもぐとご飯をたいらげ、終わりのほうに「ついてるよ、可愛いね(棒読み、苦笑い)」と言われたりする。初めて会う人と、一緒にカフェらしきお店に行った時も、相手が体裁に気を遣ってベーグルを頼んだのに私はお腹がすくままにうどんをばーんと食べてしまい、後から、「僕もお腹空いてたから本当はうどん食べたかったです。でも恥ずかしくてやめたんです」と告白された。

まあ人生経験豊かなおじさんなら色々と受け流してくれるはずだが、もしお見合いなどすることになったら、今度こそそそうのないように振る舞いたい。やっぱり振袖かしら。おほほほほ。





近所にはブックオフがないので、大久保の大きい店まで20分ほどかけて歩いてみた。予想以上の収穫。ユトレヒトもカウブックスも、BOOK246もいいけれど、私はブックオフで宝探しが一番楽しいです。

故人に怒られそうだが、今更中島らもをそろえようと『心が雨漏りする日には』(青春出版社)、と『明るい人生相談』(朝日新聞社)(ちなみに2冊で450円)。自分の躁鬱病を本にしてしまう非常に恐ろしい人だ。しかも松尾さんのように、「笑うしかないじゃない」という態度ではなく、けっこう真っ向から向かい合っているところにすごみがある。

以下、毎日新聞夕刊を実家から引っ張り出してもらい見つけた、町田康の追悼文。惜しい人を亡くしたわね、と記事をファクスしてくれた母も寂しそうだった。





中島らもさんを悼む  町田康
最短距離で人間の本質に迫り”料理”



 7月27日の夕方、亡くなったことを知り、驚きと悲しみで虚脱したようになった。

 7月7日に大阪のライブハウスの同じ舞台に立ち、一緒に歌い、終演後の打ち上げでは次回作の構想を語り合ったり、次は東京でコンサートをやろう、と話し合ったりした直後の訃報で衝撃を受けた。

 80年代後半から雑誌に発表された文章が際だっていて目が離せなかった。人がつい見過ごしてしまいそうな小さなもの、とるに足らないものにまなざしを注いで、不思議な味わいとおもしろさを備えた独特の文章を紡いでいた。

 90年代に入ってからは、小説の執筆に力を入れられたが、天性の人間観察眼、天性の文章感覚、広告宣伝の仕事を通じて培われた諧謔(かいぎゃく)味などが渾然(こんぜん)一体となって、他にまったくない独自の小説世界を初めから獲得していた。

 人間は通常、こんなことを言ったら笑われるのではないか、とか、文章を書く場合でも、こんなことを書いたら阿呆だと思われるのではないか、と気にして表面を取り繕うあまり、本質的なことから遠ざかり、物事の周辺でくだらない議論ばかりしがちだが、そういう気取りや偏見からまったく自由な人だった。

 建て前の議論や、嘘くさいモラルを乗り越えて、最短距離で人間の本質に迫り、しかもそれを見事な手さばきで料理して我々に供してくれた。

 『バンド・オブ・ザ・ナイト』という中島氏の小説に、「蚊の目玉について」という文章がある。

 目玉がレンズである以上、映像は上下倒立しているはずで、人間の脳内にはそうして倒立した映像をもう一度、ひっくり返すシステムがあるはずだが、蚊にはそういうシステムはなく、したがって蚊にとって下降は上昇であり、果てしない上昇は地獄下りであるという内容の文章である。

 魅力的であると同時にちょっと恐ろしい文章である。このような恐ろしい感覚をある程度、実感としてもっていたからこそあのような、愛と笑いに満ち、またときおり背筋の寒くなるような文章が書けたのだろうと思うし、そのような実感を抱きつつ生きるということは本当に大変で、そのような人生を生きた氏は本物の作家だったのだなあ、と改めて思う。

 コンサートの終了後、日本酒を瓶から直に飲みながら、生真面目な口調で次回作の構想を語ってくれた中島氏の目は、まだまだかくべきことがあると語っていたようで、残された者は残念でならないが、今後、氏の作品をしっかり読みついでいくことがもっとも大事だと思う。謹んでご冥福をお祈り申し上げる。(まちだ・こう=作家)



作家、中島らもさんは7月26日死去、52歳

(毎日新聞 8月2日夕刊)





「人がつい見過ごしてしまいそうな小さなもの、とるに足らないものにまなざしを注」ぐというのは町蔵先生の十八番でもある。最新作、『パンク侍斬られて候』(マガジンハウス)に出てくるたくさんの埒のあかない会話などはその典型だろう。読みながら、よく話し言葉を研究しているなあと感心させられる。人の会話のほとんどは、実がなく、結論も出ないだらだらとしたものであると気付かされた。





1年間好きだったけれどもごたごたして、最近色々なことを諦めた人から、メールをもらった。「日記楽しみにしてるよ」と。どうもありがとう。なんだかほっとした。





スヌーザーのディスクガイドがようやく出ていた。半年以上待たされたので楽しみ。買うと思うよ。



2004年08月25日(水)

やっぱり髪の毛切りすぎたかなあ。

片思いが終わったので、生活の細部を普通にこなしている。深刻に考えずにすぐに眠っている。夜には虫の声を聞いている。まぜごはんを作って秋らしい夕食。あじのひらきとさばの切り身が両方100円だったので1匹づつ買い、焼いてすぐに食べた。



■昨日

昨日は角ちん(合コン王、出会い系)キムラくん(男前、住所不定)と新宿でごはん。(もう私を誘いだしてくれる男の子なんて角ちんくらいだ。)

「オーブンがないけどパンが焼きたい、ホームベーカリーが欲しい」と私が言うと、「れいこ〜、植物育て始めたり、ポニーが欲しいって言い出したら終わりよ」とののしられた。それでもさすが専門家、きちんと答えが返ってきて「大切なのはワット数だから、ナショナルとか選んでおけば間違いない。一人暮らし用の大きさなら象印の『ぱんくらぶ』がコンパクトでよさげだわ」と教えてくれた。

本当にこういうところが角ちんの尊敬すべきところで、編集者の鏡というか、得意分野に関しては全くスキがない。その上頭が下がるのは、常に向上しようとしている。人間関係を広げることに関しても、降りることをしない。

キムラくんが山田風太郎という知らない作家の本を読んでいたので色々聞く。内田百けんと同時代の、漱石の弟子だそう。

中島らもへの追悼記事を、新聞の夕刊に町蔵が書いていたというのも聞く。見逃していたなんて! 夕刊をとっていないので週末に早稲田の図書館で探してこようと思う。

刺激になった夜でした。雰囲気はぐだぐだだったけど。



■今日

仕事が速く終わったので書店をはしご。石田千『月と菓子パン』(晶文社)を購入。最近疲れる本ばかり読んでいたのでエッセイに流れたくなった。阿川佐和子よりも壇ふみよりも、群ようこになりたいので『きもの365日』(角川文庫)。

たぶん気持ち悪いと言われそうですが、宮台真司『絶望・断念・福音・映画』は本当に面白かった。この人の書く文章外れたことない。こういう理屈っぽい人、「言葉の人」という類に属する男の人は話していて(読んでいて)楽しい。



2004年08月23日(月) 緒川たまきの服コラム☆

本当に久しぶりにマルタン・マルジェラの恵比寿本店に行く。秋冬物が入ったばかりなのか品数が充実していて、特に4のラインが非常に良かった。ニットが本当に上品。欲しい。

Vネックも紺も絶妙なサイズも、すべてが私の好みにがっしゃーんとはまったかなりそそる1枚を見つけて、うわー!と久しぶりにがんばっていた時代を思い出したけれど、7万円は無理だよ、とあきらめるところが大人になったのかな。

でも頭から離れないんだよなあ。カードかなあ。社会人になったから使うのやめるって決めたのになあ。それから6のスカートと、(6の)「long」のコート。



ついでにVIA BUS STOPにも寄る。こちらもマルニとVICTOR&ROLFが見られたので幸せ。マルニは「マンネリだ」と言ってしばしば批判されていますが、私はど真ん中お嬢様スタイルが好みなのでいつでも歓迎します。マンネリでいい。去年の秋冬はずばぬけてよかったけど。革がパズルみたいにはめてある職人芸を使っていたのが。職人芸とか、糸が、とかテキスタイルが、とかそういうこだわりって聞くともうだめ。去年買いそうになった三原の10万革ジャンもたしか、「スタッフが色を塗ってるんですよ」とか言われてきゃあああ、となったのだった。



さらにドレステリアも見てしまったので死亡。もうさあ、なんでこんなにいいものがこの世にはあるのかな。夏にrepettoのピンクのバレエシューズを買ったのだが、この秋冬でまたコレクションを増やすぞ、と決めているのでいろいろ見る。茶色もいい。(たぶんヤギ革、この素材が微妙に違うあたりがオタク心をくすぐる)普通の黒を買うかな。



最後に行ったスミス・クロージング(古着屋)で2500円のシャツを購入。スメドレーのサマーニットを着ていたら、珍しい形だったのに「それスメドレーですよね」と店員さんが話しかけてくれる。スメドレーのアウトレットの場所も教えてくれた。行くよあたしゃ。アウトレットモール リズム←ここです。



こんなこと書いてても自分は相変わらず汚い格好で会社に行き、家に帰ったらもぐもぐと杏仁豆腐など食べているわけですが、そういった自分の実存と離れたところで服オタク熱が燃え上がってやばいことになったわ。おしゃれになりたい、という、昔目指していたものとはまったく別の感情が沸き起こっている気がする。メイドに萌えるきゃつらと一緒だ。



あと、髪の毛を切りました。重いボブ。緒川たまき。緒川たまき。私はたまき私はたまきわたしはたまきわたしはたまき。たまきたまきたまたまき。かわいいかわいい。かわいいよね?たまきたまき。前の彼は私のことをゴス(悪魔)と呼び、友人は私の話す言葉を呪詛と名づけました。






2004年08月21日(土) まだ未完成ですが、またよろしくお願いいたします。

ずいぶん久しぶりになってしまい、まだ見てくれている人がいるのか不安ですが、ちょろちょろと続けていければと思います。もし良かったら、また遊びに来てください。

ようやく本が校了したので、実家に帰ってのんびりしています。休日のメモ。手元に本がなかったりして未完成。とりあえずアップします。





■文句を言うのはやめたから

「すごいでしょう、この人はね、60歳過ぎてからいきなり人気が出たの。その前まではね、ずーっとアマチュアだったですよ。10歳からずっと趣味ってだけで撮ってた人なんだよね」。

フランスの写真家、ジャック・アンリ・ラルティーグの生涯について書いた年表を食い入るように見つめていた私に、学芸員のおじさんが声をかけてきた。清里フォト・アート・ミュージアムの、入り口から3番目の小部屋。白い壁には控えめな、しかしとても幸福なモノクロ写真の数々が100点以上並び、その合間合間には写真のプリント方法について、また、ラルティーグ氏の経歴についての解説が掲げられている。

観光客でにぎわうおみやげ街の喧騒とは対照的に、とても居心地の良い場所だった。





『BRUTUS』の写真特集「BOY'S LIFE」に、すばらしいテキストを見つけ、同時にこの写真展のことを知った。橋本麻里さんという美術ライターの方が書いているページだった。子供時代のラルティーグ自身が写ったモノクロ写真1枚とともに、今回の写真特集の趣旨を説明している。


<<引用入る>>(後ほど)


からっぽな「何気ない日常」を、写真に切り取ることでかすかに憂いをを帯びた「叙情」に変換して自慢げに発表するちまたの素人写真、「ガーリーフォト」に対する痛烈な批判。最近私が(主に自分に対して)カチンときていたいろいろな気持ちが、分かりやすくあくまで軽快に(「ウンザリ」、ってカタカナなのがこの雑誌らしいし、うまいと思う)言葉に置き換わっていた。

10歳でカメラを手にしたという裕福な家庭の「少年」に、はじめはあまりシンパシーは感じなかったけれど、こんな風に震える文章に出会えることはそうそうないし、仕事の気分転換にいいかもしれない、と山梨県まではるばる出かけることに決めた。新宿から特急に乗って2時間半、小さな駅から観光地を過ぎ、1時間以上歩いた先にミュージアムはあった。





写真展はすばらしかった。

すべての写真が幸福な瞬間を映し出していた。そこでは人々が生き生きと今を過ごし、切り取られた瞬間からは生きる喜び(こう書くと本当に陳腐だけれど仕方ない)がにじみ出ていた。「残さなければ永遠に忘れ去られてしまう瞬間」を、彼は撮るのだという。見ていくと、ラルティーグにとってのカメラが、単なるおぼっちゃんの高級な遊び道具以上のものになっていくのが分かる。


被写体は家族や恋人や、自分たちで作った飛行機や、召使いや猫、道を行く女性たち。はじめから終わりまで、身近な人やものばかりである。



<<引用入る>>(後ほど)


白い壁の空間で、私は想像する。100点以上の「残されたもの」から、彼の人生を、彼自身を。カメラに写されていないあらゆる細部があるだろう。幸福でないときも、優雅でないときもあるだろう。それでもフィルムに焼き付けられたのは、「J.H.ラルティーグ氏の優雅な写真生活」であったのだ。

本当はここに「まったくガーリーガーリーって気分だけで騒ぎやがって」と文句をたれる文章を書くつもりで、その後ろ盾として「俺はこんな本物を見てるんだぜ」というガーリーちゃんとの差別化の道具、後ろ盾として、この写真展を使うつもりだった。

たしかに、垂れ流される「何気ない日常」とはくっきりと異なる何かが、ラルティーグの写真にはある。しかし、そうした自意識過剰な訴えかけが、この人には何と不似合いなことか。帰りの中央線でお土産に買った写真集をほくほく開きながら、私は自分で自分が恥ずかしくなった。過去に対する叙情でしか何かを書いたり作ったりできない人間であることをうしろめたく思っているのは他ならぬ私自身である。だから必死で言い訳するために、自分を対象化してみせる。ラルティーグは違う。ただ、見えた世界を撮っている。そこに自分の気持ち悪い自己主張や訴えはない。彼は被写体を写し取ることに徹しているからだ。日記をつけるように、彼は写真を撮る。





「92歳まで生きたんだ。長生きだったんですね」学芸員のおじさんに少し驚きながら話しかけると、彼はうれしそうに言った。「カメラっていうのはね、家の中ではできないでしょう。外に出て、歩いて撮影するから体が丈夫じゃないといけない。それに構図がどうの、光がどうのって頭を使うんですよ。だからねえ、カメラやってる人は長生きするんですよ。有名な人はみんな長生きですよ」

フランスから大量の写真が送られてきたとき、木箱の上にさらっと「Bonjour」と書いてあったこと(なんて粋なんだろう! )、プラチナプリントは銀塩の代わりに、本当にプラチナ(白金)を塗って作るのだということ、この写真館では年に数回、プラチナプリントのワークショップがあること、館長の細江英公さんが主催する「ヤング・ポートフォリオ」(写真家の卵たちのための展覧会)のこと、ソファとして使っているのがコルビジエのいすであることなど、おじさん(て失礼かな)は穏やかな調子でいろいろと話してくれた。

「写真はいいですよ。いい趣味。ラルティーグだってずっと趣味だったんだからね。10歳の時の写真見た?あれは子どもがとった作品には見えない。すばらしい」

写真っていいなあ、ラルティーグが、彼の被写体である家族や友人たちがうらやましいな、素直にそう感じていた。文句を言うのはやめたんだった、忘れてたよなあと反省した。駅へと続く長い道のりをひとりぼっちで歩く。もろこし畑の脇を通り抜けながら、1台のカメラという道具の作り出すたった1人きりの孤独で、満たされた時間を思った。シャッターを切る瞬間の興奮を思った。そして、あまりに単純だけれど私も一眼レフが欲しい。





帰ってから友人に写真集を勧めたら、「いいね、いいね」と同意してくれ、viewpoint(視点)ではなくeye(視線)があるね、と言っていた。彼は映画『息子のまなざし』をほめるときも同じ単語を使っていた。



2004年08月07日(土) 「見えないし、行けない。けど僕ら、今ここにいる」

森山大道の名前を知ってから、まだ1年も経っていない。昨年の秋に知り合った人に「いいよ」と教えてもらって、川崎の美術館に右も左も分からないまま写真展を見に行った。東横線の武蔵小杉駅から、住宅街を抜けるバスに乗って15分ほど。へんぴな場所だった。その日は土曜日で、良く晴れた秋の日で、となりの公園ではバザーが開かれていた。家族連れがたくさんいた。

たった500円で見られたことが奇跡のようだったその展覧会のパンフレットを、私は今でも大切にとってある。A41枚のぺらっとした紙だがとてもよくまとまっていて、初心者が読んでも「モリヤマダイドウ」とは誰なのかが分るように書かれている。展示も、彼のあゆみを「物語」としてうまくつなげていて、興味がわいた。

にっぽん劇場写真帖
(写真雑誌で頭角を現した時代)

プロヴォークの時代
(「アレ、ブレ、ボケ」など、アバンギャルドな写真の先駆者だった時代)

何かへの旅
(路上をさまよって写真を撮り続けた時代)

WORKSHOPの写真学校CAMPの時代
(試行錯誤し、既存のものを打ち壊そうともがいていた時代)

光と影
(悩んでた時)

Daido Hysteric
(突き抜けた後)

Daido Moriyama Shinjyuku「新宿」
(今)

()内は私の勝手な解釈だが、だいたいこんな感じで作品が並んでいたと記憶する。一番好きだと思ったのは、「光と影」のコーナーにあったシャクヤクの写真。精神安定剤を飲むなど悩み続けた後の、一筋の光が見えた瞬間を切り取っているように私には思えた。モノクロの深い黒と、光の白の対比、グロテスクに美しく開いた花びら。全てを抱え込んだ上で、進むことを決めた強い意志。その衝撃の前に、しばらく立ちつくして時間をかけて眺めた。

小さなミュージアムショップで、彼のエッセイ『犬の記憶』を買って帰った。帰り道の電車で夢中で読み、飽き足らずに渋谷の喫茶店に入って続きを読破した覚えがある。驚くほど文章のうまい人だった。読書家だからだろうか。



突然こんなことを思い出したのは、新創刊雑誌『Coyote』(スイッチパブリッシング)を書店でたまたま見つけたからである。この1週間は体力的に疲れ果てていて、何のインプットもする気にならず、人と話す気分でもなかった。それが、たまたま家に帰れた日にぷらっと寄ったあゆみブックスで見つけたのだった。前のSWITCHの編集長が作っているらしい。もしかしたらもうだいぶ前に発売されていたのを、私が気が付かなかっただけかもしれない。ひさしぶりに、隅から隅まで活字を追った。特集のテキストは大竹昭子さんが書いていた。

もちろん森山大道は、私(のような写真を享受する側の読者)とはまったく別次元のどこかに生きている。しかし、雑誌のインタビューや対談や、あるいは展覧会やエッセイや、そして何よりも彼の写真を通して、私はひとりの写真家の過去を、現在を、追うことができる。そして勝手にこうして、ここで感想を述べ、友達に電話で、「森山大道と私は似たタイプの人間だと思うの」なんて勝手気ままで恐れ多いことを言える。不思議だなあと思う。



いつも初心を忘れないよう、会社のデスクに町田康の写真を貼った。体が疲れている時も、自分が今何をしなければいけないのかを、いつも考えていようと思う。初めて、誤植を出した。とてもショックだ。誤植が一番つらい。就職活動で、作文を見てくれていた先生に、手紙をださなければとずっと思っている。その先生は、いつも私の作文を褒めてくれて、授業で使う見本にしてくれ、「こういうのは5年に1回出るかで出ないかだから、君は大手に行ける、がんばれ」と言い続けてくれた。あのひとことのためにつづけられた、そういう瞬間が何度もあったと思う。いまだに。最近、会社で自由に意見を出せる企画会議があり、本当に楽しかった。いつか、自分のやりたいことや書きたいことが見つかって、それが形になる日があればいいと思う。



『IN RED』の巻頭特集を立ち読みしたら、ニットとワイドパンツにオールスターをはいたりょうさんが本当に素敵で、久しぶりに洋服が買いたくなった。マルジェラだった。



友達と吉祥寺のくぐつ草というカレー屋さんに行く。お店の雰囲気も、ごはんもとても良かった。最近行ったこじゃれたカフェより、ずっとよかった。ナカカズの『金字塔』を聞いた。表題はその歌詞。こうして回復し、また、書いていけたらと思う。また、楽しく話せたらと思う。



2004年08月02日(月)

東松照明の記事が載っていたので『暮しの手帖』を買う。ちょっぴり説教臭いけれど、本当に丁寧に作ってある。

ひさしぶりにちょっと疲れ果てている。


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