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2004年03月30日(火) 結局こうして。




研修が始まった。つまらない、と言われた日記も、とりあえずどうでもいい感じに再開してみる。松尾スズキが言うところの「ぬるーい地獄」。宮台真司の「終わりなき日常」。中平卓馬の撮る「白昼」。いつも、つまらないこと、退屈なこと、うすっぺらなことをどうやって見せるかについて考えながら文章を書きたい。特別なことなど起こらない。それでも書くことはある。ときたま、泣くこともある。何故だろう、いつまでたってもやめられない。こういうのを好きと呼ぶのだろうか。千葉真子の陸上生活みたいだ。

先日、ペドロ・コスタ監督『ヴァンダの部屋』を見た。すばらしい映画だった。でも寝てしまった。淡々として、クライマックスも何もない。君は3時間の内2時間ほど寝ていた、と、隣で見ていた友達が怒っていた。



■コースケくん

高校時代は女子校だったので男の子の友達はほとんどいなかった。多く見積もっても二人。そのうちの貴重なひとりがコースケくんという「変態」だった。

コアバンドの話を始めると止まらない人で、セックスピストルズのビデオをある日突然貸してくれた。ボニーピンクを「ヘンブンズキッチ〜ン」と可愛く聴いていた私には、マルコム・マクラーレンのSMファッションは衝撃的だった。

映像にはしどびしゃすという人が出てきてどなっていた。どうやらそれは椎名林檎が尊敬するあの「シド」らしいということくらいしか、当時の私には分からなかった。

彼の部屋に一度遊びに行ったら、床にBURSTが積んであった。よく分からない雑誌だな、と可愛い可愛い私は思った。



先日、3年ぶりくらいに連絡をもらった。イベントでDJをするという。パンクは卒業して、大学四年間はレゲエ一筋だったらしい。自分でもちょっとやばいんじゃないかと言うくらい、レゲエレゲエだったと。友達に、「どうしてお前は女の子との浮いた話がないの?」と本気で心配されるほど、ひたすらレゲエレゲエレゲエ。コースケくんが「やばい」という位だから、ちょっとやそっとではないことはなんとなく想像できる。

話すと相変わらずほげほげといい人で、重ね重ね相変わらずだが全く女の子に興味はなさそうで、レゲエについては親切に色々教えてくれた。ジャニスというお茶の水のレンタルショップがおすすめだって。今度行ってくるよ。



つくづく友達に恵まれていると思う。「やべーよ」と言えるものがある彼を、密かにうらやんでいる私だ。



■電波メモ

私ってどんな雑誌に向いてるのかな?と友達に聞いたら、「精神世界の本!」とのお答えだった。先日イベントの会場で写真を撮ってもらったら、りんちゃんがtakagi氏に、「お前の左に霊が写りよるで」と言った。私はtakagi氏の左隣でピースをしていた。



4月4日(日)に高田馬場に引っ越す予定です。今回の家は収納スペースが沢山あるので、腰を据えて暮らせると思います。よかったら遊びに来てください。戦慄のオムライスや戦慄の肉じゃが、戦慄のタコライス、戦慄のだしまき卵、戦慄のカレーうどんなどが食べられると噂です。



「出川が16歳年下の美人モデルと結婚発表だそうだ。山ちゃん(注:山崎邦正)といい出川と言い、実は番長さんの見る目は凄いのかもしれない」。

とうごうちゃんからメールが届いた。私が「もてる」と言い続けていた男性たちが、つぎつぎに勝利を収めている模様。延々私の男性の趣味を「おかしい」と言い続けてきた彼女も、ようやく反省したようだ。ふふ、遅い遅い!

世の中には降りてくる人と降りてこない人がいます。私に「すごい」と言われたら覚悟してください。絶対に成功します。お嫁にもらってくれたらさらに出世できます。今なら水晶玉もついてきます。



2004年03月23日(火)

「旅行の日記がつまらない。

僕が君の日記を読み出したころと比べて内容が薄くなってるよ。
中でも旅行のはドンって、明らかに違う、だめ。
しかも何?おしゃれポラロイドかよ、
君が一番嫌がってた種類のサイトに、自分から近づいていってるんじゃないの?

別に昔にもどれ、ぐじゃぐじゃ暗いこと書けとかそういう事じゃないけど、
もっと人に読ませる工夫とか、見せるものとしての努力が大切なんじゃない?

僕は君のこと知ってるから見てるけど、
今、たまたま君のサイト見つけても立ち止まらないと思う。
誰が書いても一緒っていう文章だ。

着るものも髪型も文章書くことも人間関係も、
何でもかんでも自分のことに引き寄せて考えるからつらくなるんじゃん?
もっと他のこと考えれば?

僕なんて人との距離を測ったり
自分のことを考えたりしたことはほとんどない。
他に考えること沢山あるから。

少し日記休めば?
自分のことばかり考える以外に、何か見つけなよ。
それが無理なら仕方ないよね、もう自分のこと考えるのは
君の一生の命題なんだよ。
書くことと自分が一緒になっちゃうっていうのも」。

というダメ出しを受けた。ちょうど自分が考えていたけれど知らないふりをしようとしていたことを、真正面から指摘される。どうしよう、と思ってうーんと悩んだ後に涙が出てきて、わんわん泣いた。そうしたら「鼻水でてるし。もう、汚い汚い」と言って笑うので、優しいなあと思ってもっと泣いてしまう。



「『ひるどき日本列島』が終わるんだって。13年だって。

昨日総集編やってて見てたらさ、
分校の子供たちとロック歌手の白井貴子さんが
いっしょに歌歌うっていう回があってさ、
もうなんか、段取りで歌うことになってるタイミングより早く
歌い出しちゃうのね。まだ音楽かかんないよ、ってとこで。

で、歌いながら予告なく走り出しちゃって、
カメラさん追いつけなくて、
日だまりの中を走る子どもと白井さんを後ろから慌てて撮ってるの。

もうなんか、段取り悪くてめちゃくちゃな映像なのに、
今見るとすごくよくてさあ。
きれいでさあ。
涙出ちゃったよ」。

今日話そうとしていたことをさらにぐずぐずと泣きながら話すと、

「それ書けよ、なんかへんなまとめとかなしで。
最後に改行して変な前向きなまとめとかつけずに書けよ」と言う。

書けないのでこうしてごまかした。

日記を休むって辛いなあ、と思う。
書くことは「私」だからだ。

人に向けては書けないような本当の気持ちや格好悪い永遠に続くループを、
またノートに綴るのか。



「最近場当たり的な会話がうまくなって、
ああこれでうまくやっていけるならいいじゃないかと思ったの。
電波なのはもうやだからさ。
前にけんかしたじゃん?あれはひどかったでしょう?
自分を出そうとするとどんどん格好悪くなるんだよ。
だから思考停止してた。

あーあ、でももう一度考えろって事だね。
楽したらダメだね、やり直しだね」。

「ちょっと進んでまた戻ってって、
そんなもんですよ」

鼻水だらだらで泣き続けるの私を相変わらず笑いながら、
電話の向こうで友達が言った。






2004年03月22日(月) 「きんもくせい」

一人暮らしに使える古い家具を探すために物置をあさっていたら、「きんもくせい」がでてきた。中学の頃に、先生に提出していた連絡帳に毛が生えたようなもの。

これがまた面白くて、掃除そっちのけで読み続けてしまった。



平成6年
11月28日(月)
昨日、二週間置いて置いた上ばきをきれいに洗ってきたので、真っ白になって気持ちよかった。

11月29日(火)
音楽の時間、なんだか今日はみんなの声が出ていなかったようだ。松本先生に注意されるとなおるのに、他のクラスの前にでると忘れてしまう。注意点を思い出しながらコンクールでもうたいたい。

11月30日(水)
明日はついにテスト当日。自分の実力が全部出せるよう、悔いの残らないようにがんばりたい。数学は苦手だが、応用問題の仕上げをしっかりしたおきたいと思う。

12月1日(木)
12月1日……私のbirthdayまであと4日!!テスト一日目はすごく緊張した。点数は、国語がすごく悪そうだ。明日、あさってでまきかえせるよう、できるかぎりがんばりたいが……

12月2日(金)
birthdayまであと3日!今日、石山先生も言っていたけれど、いじめで中2の人が自殺するという事件があった。4組にはそんなことがないよう気をつけてゆきたい。

12月3日(土)
家で、母がケーキを作ってくれて誕生日を祝ってくれた。テストも終わったし、ようやく落ち着いて毎日を送れそうだ。

12月4日(日)
今日は誕生日プレゼントを買いに、大宮に出かけた。それから部活動が朝あったので、新しいウィンドブレーカーを着ることができて嬉しかった。

12月5日(月)
今日は私の13歳の誕生日で、友達からたくさんプレゼントをもらった。ちなみに母のプレゼントはバッグです。あと、テストが返ってきたけど、国語がすごく悪かった。残念だ。

(中略)

12月12日(月)
体育が終わってほっとした。人間とはふしぎなもので、「ああもうだめ」そう思った時もまだ走れる。残り2回の体育も本番も、あと一歩あと一歩ですすんでいきたい。

12月13日(火)
明日、個表(注:成績の順位表)が返ってくるので緊張している。……とはいってもいくら緊張したって仕方ないし、これから3学期へ向けての勉強を考える方がよほど大切なことだと思うので、冬休み、がんばりたい。

12月14日(水)
ついに個表が返ってきた。結果はよかったのでひと安心。ただ、先生がみんなに「田中さんは○番でした」と発表してしまったのでバレてしまった!!

12月15日(木)
5時間目、持久走ですごく疲れた後に6時間目焼きいもがあって、すごくうれしかった。持久走もあと1回&本番。全力をつくしたい。

12月16日(金)
体育の授業で、本番前最後の持久走があった。あとは本番のみ。早く終わってほしい。今回は前回より28秒タイムが上がったのでうれしかった。

12月17日(土)
一年のうちで私の中で一番苦しくてきらいな行事、持久走大会が行われた。「全力を出せばいい」そう思っていたけれど、心のどこかに結果を気にする気持ちがあった。

走りはじめは先頭からすこしはなれてついてゆこうと思い、途中から徐々にペースを上げていった。先頭集団に追いつき、2位で走っていた今田さんを抜いた時には少し嬉しかった。だが、苦しかったのはそれから。息は苦しいし、お腹も痛くなってしまった。でも、となりで走っている藤原さんも苦しいんだ、みんながんばっているんだと思って、前に走っている先輩の背中だけ見て走った。

……3位。メダルを首にかけられ、その重さを感じた時、本当にほっとした。

12月18日(日)
いよいよ年賀状の時期だ。我が家もプリントゴッコで年賀状づくりをした。もちろん先生の分も……。



2004年03月21日(日) 優しい

■The hotel upstires

お気に入りの写真集を見つけた。藤部 明子『The hotel upstairs―サンフランシスコレジデンシャルホテルの人々』ストュディオ・パラボリカ)。いいよ。

サンフランシスコにある「コロンバス・ホテル」の住人とその部屋=生活を撮ったものだが、ここでいう「ホテル」は、日本のような旅行者向けのではない、長期滞在者向けのそれを指す。コロンバスは、中でも一番安い格付けに入るそうだ。アメリカでこのランクのレジデンシャルホテルに住むのは、「都市の遊牧民」を好んで選び取る人や、結局はほかに行き場のない人。口ではどこだって行けるから、と言っていても後者である人も多いという、追い出されたら、ホームレスになってしまう人々だ。

この本を手に取ったきっかけは、都築響一が書いていたオビの言葉だった。

「たくさん集まるとあんなにひどいのに、ひとりひとりだとどうしてこんなに優しいんだろう。アメリカ人って不思議だ」。

今、内容を読み終えて考えてみると、被写体の人々を「優しい」と表現した都築氏の、言葉選びの才能に感服させられる。そして、改めて好きだと思う、そういう感性のある人を。

写真の中に、「優しい」エピソードなんて一つも出てこない。写真家との心の交流がどうとか、うるるん的趣旨の作品集ではないし、(たまたま同じ日に買った)ku:nelが誌上で実現している手作りの生活や、ゆっくりと楽しむお茶の時間は、あまり見えない。彼らは人生に直面している。ここを失ったら、行くところがないからだ。

自称アーティストの物売り女、引き籠もりの元ミュージシャン、市内のスープ・キッチンを廻って日々を過ごすゲイの老人、共産主義者の詩人、エトセトラエトセトラ……彼らの部屋を見て、写真家は当惑したという。「比較してみると自分自身の部屋の何と淡泊なことか。家を背負って移動するヤドカリを彷彿させる住人と彼らの部屋、その中に詰まっている彼らの所有物」。

私が抱いた感想は、全く逆のものだった。

散らかっててものが一杯でそれらひとつひとつに住人の個性がいやってほど表れていて、不衛生で匂いがこもりがちで、片づけもせずにベッドに寝そべって窓の外を眺めることしかできない。日当たりも悪くて鬱屈してくる。本とかCDとか好きなものばかり集めていて、なんだかんだと色々うまくやれないからお酒をよく飲んで、空き缶がそこら中に転がって洗濯物もろくにたたまないから足の踏み場もない。汚くてベッドの上ぐらいしか座れないから嫌になるよ。どうにかしなよ。

あ、あの子のの部屋に似てる。

弱くてどうしようもなくて、でも、「優しい」。都築響一にオビのコメントを頼んだ編集者は、きっと『TOKYO STYLE』を連想したに違いない。アメリカ合衆国が抱え込んだ都市居住者の問題、人種の問題、「気付かれない存在」である彼ら(レジデンシャルホテルの住人)が背負う複雑な背景を、私は実感として理解できなかった。しかし東京の1Kだか1DKだかにちまちまと住む貧乏な根無し草たちの、どこにも行けないせっぱ詰まったうだうだや、金曜の夜の、コンビニで買った缶ビール一杯のうまさなら、よく知っていた。

表紙の写真や全体的なデザインをぱらぱら見た時は、ku:nelとかの読者っぽい人に売ろうとしている「クールでおしゃれ(byアマゾン)」な本なのかな、と思ったが、全く違う。

思い浮かんだのが、昔の『ロッキング・オンジャパン』(まだジャパンの編集長が彼だったころ)の「激刊!山崎」で山崎洋一郎が書いていた記事のことだった。たしかではないが、5・6年ほど前だったと思う。「私は持ち家ではなく賃貸派である、なぜならジャーナリストだからだ。ジャーナリストは自由たるべきで、そのために俺はひとところに落ち着いたりはしない」。うっわー、かっこいい山崎さん!生き方もロックだ!すげえ!と思った。自分の好きなことを書き、問題になって今の職を追われるようなことがあっても、風呂なしの四畳半でやっていきゃあいいだろうという彼の男らしい決意に、高校生の私は萌えたのだった。

山崎さんあれからさすがに引っ越しただろうな、ベンツとか乗ってるのかなあ、家も買ったかな。あーあ、まあいいか。



■決意




髪の毛を切ろうと思います。ついに決めた。髪の毛が長いと変な服着ててもインパクト出るかなーとためらっていたのですが飽きました。もう全て、普通でいいです。普通の服と、普通の髪型と、普通の部屋と、普通のご飯があれば。それだけするのにもだいぶお金がかかるしね。

などとのたまっていながら、ショートカットというと緒川たまきさんが憧れです。頭をかち割られそうですが、チエコに相談したら「似合いそう!」と言ってくれた……ありがとう、希望は捨てない。今回はばっさり切るのでどういうのが似合いそうとか、意見があったら教えてください。



■やっと




町田先生の新刊『パンク侍、斬られて候』(マガジンハウス)が出た。なんてふざけたタイトル。明日眼科に行くついでに買ってこよう。またサイン会などあればいいが。



2004年03月18日(木) 「自分のことで恐縮です」と敢えて書くひとの謙虚さ

八十二さんのところなんかを見ていると、自分の旅行記が嫌になってしまう。おととい、昨日と見ていた『わたしはあきらめない』総集編で瀬戸内寂聴が話していた「圧倒的な才能の差」というのには本当に共感した。売れっ子作家になってから、「歴史を超えて息づいている文学に比して、自分の作品はなんと卑小で俗物であることか」と虚しくなり、出家したのだという。

私はもともと他人の旅行記ってあまり興味が無くて、どこ行った、何線に乗ったといくら書かれても、そこに実際に経験した人でなければ分からない手触りが欠如していることが多いからだ。私のもそうだな、と書きながら気付く。



いくら言葉を尽くしても、語れない何かが自分の中に残ってもどかしい。言葉にならないものを感じるのが旅だろう、そういう意見もあるかもしれない。しかし、「嘔吐物をはき出すように」書けている例えば中学校時代の日記などをみると、そこでは絞り出された瞬間瞬間の気持ちを、読む側もしっかりと受け止めることが出来る。うまさや洗練など微塵もないのに、である。それが今では、頭(心?)の中にあるものと出すものの間に距離のない文章を綴ることが、とても難しくなってしまった。八十二さんの日報を見て感じる劣等感はそこだ。

自分が見た風景と、そこにいた時の気持ちを忠実に再現できている(実際には出来ていなくても、読む側にそうとつたわってくる)ものは、だから本当にすばらしいと思う。エッセイ風の叙情詩をつづれ、ということではない。ただ出来事や風景の羅列をしているだけでも、カタルシスのある文章は存在する。例えば町田康の日記のように。



あーあ、もう適当に埋めちゃえばいいか、写真とかで。と、半ば書くことを投げかかっていた時、最後に寂聴先生のひとことが耳に飛び込んできた。

「私はね、80歳になってもこうやって物を書いてるだなんて思ってもみなかったんですよ、だからね、自分の中にどういう才能があるかなんて分からないから、最後まであきらめちゃだめ」。

昨日の電話で友人が、「プラモデル集めてるだけじゃ、結局繰り返しだから飽きちゃうんだよね。洋服もそう。消費しているだけだと、もうつまらなくなった。だけど、プラモデルにしたってそうだけど、ものづくりとかデザインとか、自分でやるときりがない。飽きないんだよね、だからいつまでもやれる」と話していて、聞きながら私はひそかに絶句してしまって、ものづくりって自分には出来ないかも、ああどうしようと考えていた。



書き続けられる、ということ自体を才能としてもいいんだ、(瀬戸内寂聴は書くものの内容にだって才能が溢れているのだろうけれど)そう思ったら少し楽になった。これからずっと、ただ言葉に変換できずもどかしいという心情を吐露するだけでも、私は「飽きずに」やっていけるのかもしれない。

勝手に納得して、だから私は書くのである(傲慢だろうか)。清水寺から見た夜景、と言葉にするほど陳腐になるあの闇の中のきらめきを、ああでもないこうでもないと苦悶しながら、それでも私は写し取りたい。写し取りたいと思う気持ちは、ありがたいことにずっと尽きなさそうだ。だから私の旅行記は、残念ながら陳腐なりにもアップされていく。帰ってきてから二日間家にひきこもり、コーヒーを飲みながらパソコンに向かって、そんなことばかりをぼんやりと、考えていたのだった。










2004年03月17日(水) 旅行日記 まとめ

「どうして旅をするの?(したの?)」

就職活動中に何度も何度も聞かれた問に、結局のところ私は答えられずにいた。「自分と向き合うため」「ネタづくり」「理由など無い」様々な答えが浮かんでは消え、時には建前で、時には本音らしきものを吐露して、私は繰り返される面接に対応してきたように思う。言葉にしてみるとそれらにはいつも後ろめたさがつきまとっていた。旅をした実感と質問の答え--言い訳は、どこかで乖離している気がした。

私は旅が好きではないのかもしれない。出かけるとすぐに家に帰りたくなる自分にあきれながら、何度も考えた。「きっとこのくらいの感動だな」諦めにも似た気持ちが出てきたのはいつの頃からだろう。世界史資料集にある遺跡、絵画を夢みていた高校時代。現地を歩くことは想像よりも退屈だった。

正直、今までこうしたマイナスのことを言ったり書いたりしたことはほとんど無い。帰ってくると「どうだった?」と嬉しそうに聞いてくる人たちに、「途中で帰りたくなっちゃった」なんて話す気にならなかった。

私が感じていた違和感は、今思えば自分が自分の想像をただなぞっていることにあった気がする。資料集に載っていた絵の複写=実物を見て感動する私。それは既に予想されていた出来事で……なんてマイナス思考過ぎるかな、でも今までの私の旅というのはそういう確認の作業だったような気がするのだ。百聞は一見に如かず、といって大手を振って歩けるように、自分の言葉で語る権利を得るための。そのことに、特に不満はなかった。

(なんだか変な風にねじまがっちゃったかしら、)誤解しないで欲しいのは--敢えて改めて書くけれども--私は旅が好きだ。スペインでゲルニカを見た時も、タイの空が真っ青だったことにも、きちんと感動していた。

少しぐらい失望しても、また出かけるのは、好きだからに決まっている。でも何故だろう、旅が好きだから旅に出るんです、シンプルな答えを、私はずっと拒否してきたのである。



学生最後だから、という堂々とした理由付きで、私は青春十八切符の旅に出た。東京、広島、奈良、京都、大阪、香川とまわる「学生らしい」貧乏旅行である(といいながら、おみやげも沢山買ったし、帰りは疲れたからって新幹線で帰ってきたのだけれど)。

大学時代に「意識して」出かけた旅のうちで、もっとも楽しい10日間だった。断言できる。

好きなものを食べて、好きな場所に行き、好きなことをした。(たくさん、ではなく)好きなようにお金を使った。会う人は皆親切だった。合間には持っていった本を好きなだけ読み、帰りまでにちょうど読み終わった。そして、大好きな家に帰ってきた。家に帰りたい、とは一度も思わなかったけれど、まだ帰りたくない、とも思わなかった。ただ、楽しい日々が過ぎて、終わった。

この体験は、これからの私の日常生活をずっと支え続けることになるだろう。と、こんな大げさな宣言をしてしまいたいほど、今の私はおみやげの八つ橋をつまみながら満たされている。

別に「飽きた、飽きた」「袋小路、袋小路」と騒がなくても、予想した感動以上の細部はいくらでもあるということ。想像しなかったすばらしい風景は、別に遠い国に行かなくてもみられるということ。そして、非日常も日常も、けっこう私は両方を愛していけるだろうということ。ありふれて前向きな答えを、実感することが出来た。

旅で自分を変えたいだとか、異郷(異国)での違和感と孤独とはなんぞやとか、そんなことを考えていた君はだいぶ暇だったんだね、本当に楽しんでいたの?就職活動の、「学生時代に打ち込んだこと」に旅を選んだ自分に言ってあげたい。ねえ大変な事なんて何もなかったよ、と。

今もう一度答えよう。どうして旅をするのか。半信半疑で試しに旅をしてみたら、だいぶ良かったからですよ、と。



京都の恵文社の棚の前を3時間以上うろうろして、結局古本を一冊買う興奮。
高台寺のライトアップ、清水の舞台から見た夜景。

奈良・東大寺二月堂でたまたま見た夕焼け。

田舎のカフェでの美味しいコーヒーとすてきな音楽
(ビートルズのブラック・バードだったなあ)。

香川の直島を自転車で走りながら出会った海と畑、
古い住居、タバコ屋のおじいちゃん。

友人宅でのしゃぶしゃぶ。
家族と友達と親戚と他人、8人でわいわい見たサッカーの試合(負け)。

早咲きの桜。

春の気配(夕暮れ時によく感じた)。



出かけるまで、こんなことを味わえるだなんて思っていなかったんですよ、でもね、凄く幸せだったんですよ。いくら言っても、面接では通じないかもしれない。こうして長々と書く文章でしか、私はこの思いを言葉に出来ない。

帰宅して、「帰ってきたよ」と友達に電話し、読んだ本と、少し直島の話をした。明日、スキャナを買いに電気屋に行く。高橋尚子が落選して悔しい。行き先の第2候補だったスペインでテロが起こった。命拾いをしたのかもしれない。



2004年03月16日(火) 旅行日記 香川三日目-東京

   



2004年03月15日(月) 旅行日記 香川二日目

   

   



2004年03月14日(日) 旅行日記 香川一日目(直島)

   



2004年03月13日(土) 旅行日記 大阪(sawing table)-香川

   

   

   



2004年03月12日(金) 旅行日記 京都三日目-大阪

試しです試しです試しです



2004年03月11日(木) 旅行日記 京都二日目

   

   



2004年03月10日(水) 旅行日記 京都初日

   


いよいよ京都一日目。金閣寺、仁和寺の特別公開をまわる。仁和寺のお茶室公開はガイドの説明付きでお庭も広く、美しかったので得した気分(広いからって得するって、貧乏根性かしら)。こけの緑が目に染みる。

出町ふたばの豆餅とおはぎを買い、鴨川沿いに座って食べた。暖かく天気も良い日で、川辺では子供たちが遊んでいた。光が溢れて、夢のようないい風景。もぐもぐ。

京都のバスと地下鉄は初乗り料金が200円。高い。碁盤の目状の分かりやすい都市なのに、私と友人は全く地図が読めないため苦戦した。



2004年03月09日(火) 旅行日記 奈良

   

早起き。目を覚ますと、「ホー、ホケキョ」と鶯の鳴き声がした。7時過ぎに春日大社へお参りに行く。まだ朝もやがかかっているほど。今日は暖かい。

「ならまち」という小さな路地を歩き、カナカナというカフェで食事をした。「カナカナごはん」、1100円(いわゆるランチセット)。おから、漬け物、お豆腐などの素朴な小鉢とご飯、味噌汁。おいしい。食後にはコーヒーがつく。

運良く、窓際の畳の席に座れた。入り口にはフライヤーと、洒落た感じの本が並ぶ。こういう弥太郎っぽいカフェに必ずあるのが、『ロマンティックに行きようと決めた理由』。弥太郎先生教ね。結局、どこへ行っても本が気になる。売っているのかは分からないが、隣の棚に『やかまし村の子どもたち』を見つけ、突然欲しくなった。

二階は雑貨店になっているそうだが、この日は空いていなかった。「スタッフが足りないんで、週に開ける曜日が決まっているんです」とのこと。こんなすてきなお店なら、きっと働きたい人がたくさんいるだろうになあ。



   


東大寺まで歩く。大仏と鹿を見たのは中学校の修学旅行以来だ。と、そんなことを意識したのは沢山の修学旅行生と遭遇したから。白い肌と黒い髪がキラキラして見えた(そうじゃない子もいたけどね、むふふ)。母親が、「若い頃はスカート短くしたり、髪の毛茶色くしたりしないほうがいいのにねえ」とぐちぐち言っていた理由が分かってしまう歳になった。

二月堂には五時過ぎについてしまい、お水取りまで時間を潰すことに。本堂(大仏殿)の、右側にあるここのお堂は高台になっていて、上までのぼると奈良の町が見渡せた。

友人が、「ねえ、来て!」と言いながら階段を駆け上がるので何事かと思ったら、美しい日没と夕焼けがあった。オレンジから紫へ、グラデーションになった空と霞がかった山、黒く影になった奈良の町並み。こんなに素直に気持ちがいいと思える体験を偶然に出来るなんて、本当にすてきなことだ。

カメラを構えてぐずぐずしているうちに、オレンジ色の面積はどんどん小さくなっていく。こうして、毎日太陽が沈む。



6時を過ぎた頃から、「お水取り」を見るために人が増えてきた。お堂を見上げる形でなだらかな斜面に立つ。開始の7時が近づくにるれ、斜面は人混みで埋まっていく。夜の風はまだ寒くて、マフラーを巻いた。なんとなくまわりの人の熱で暖かい気がするのが救いだった。

私たちが見たのは、「おたいまつ」と呼ばれる行事。大きなたいまつを持ったお坊さんがお堂の端から端まで走り、火の粉を下の客席(?)に飛ばす。これが次々に11本登場。おたいまつの火の粉を浴びるとその年が健康に過ごせるのだとか。

ぼおっ、ぱちぱちぱち、と燃えさかるおたいまつが目の前(上)を走り抜けていく様子は本当に圧巻。火の粉が風に乗って私の頭の上にも降りかかってきて、「きゃー」と言いながら払う。でも楽しい。わくわくした。



2004年03月08日(月) 旅行日記 広島-奈良

   

ユースホステルから広島駅までバス移動。高校入試の当日らしく、学ランの男の子3人組が緊張した感じで雑談をしていた。

広島駅からちんちん電車に乗って厳島神社(安芸の宮島)へ。JRならば20分弱のところを、一時間以上かかってしまったが、町が眺められたことを考えると正解だったとも言える。今日中に奈良に着かなければ行けないので、少し焦った。時刻表を照らし合わせてうまく乗り換えをしないと大変なことになる(のかな?)。



鈍行の旅は移動時間がかかる。昨日からの二日間、電車に乗って移動する時間が一日の半分以上を占めた。18切符の宿命とも言えるが、私は電車の中が好きなのであまり苦痛ではない。『世界の車窓から』、じゃないけれど、ガラスの外に広がる風景というのはなぜこれほどに魅力的に映るのだろう。



この日の宿泊は、奈良かすが野ユースホステル。普通の家のようなつくりで、おじさんとおばさんがやっている。2階の一室を3人(私と友人、一人旅の女の子)でシェアした。部屋はこざっぱりとしているし、また機会があったら寄りたいと感じた。おじさんは物知りで、奈良や京都の情報を教えてもらう。お水取りは7時開始のため、6時過ぎには現地に着いているべき、とのこと。明日香村は遠いため、一日では難しいそう。諦めて「ならまち」散策を計画する。相変わらず寒い。髪の毛をアップにする。



2004年03月07日(日) 旅行日記 東京-広島

   


昨日の夜に小田原から「ムーンライトながら」(夜行、寝台列車ではない)に乗り、朝に岐阜県の大垣に到着。広島に迎う列車の外には雪が舞っていた。寒いのは嫌いだ。

広島市では、映画『H story』で町田康が歩いていた商店街を探す。縦横に数本走っていて、どこが撮影に使われたのか分からなかった。

友達と「お好み焼きを食べよう」と言って入った店が非常にしみったれていて、好きになった。客は私たち以外にヤンキーのカップルが二組ほど。大きな本棚があり、上から下まで漫画がぎっしり(少女漫画や、『浪花金融道』系?)。

テレビは笑点がかかっていた。私は大喜利を毎週見ている。ジンジャーエールを片手に焼きそばの入った広島風お好み焼きをもぐもぐしながら、ごひいきの喜久蔵に笑う。歌丸の司会者ネタが今日は一番よかった。一枚もらっていた。

はじめてユースホステルに泊まる。あまり綺麗ではない。相変わらず雪。





■ムーンライトながら

特急料金なしで乗れる夜行列車。青春18切符で旅をする時に便利です。ただ、全席指定なので早めに予約しないと、特に東京-大垣(岐阜県)間、帰りの大垣-東京間はあっという間に埋まってしまいます。

私たちは結局指定席がとれず、自由席の発生する小田原から乗り込みました。自由席も満席で、6時間ほどずっと地べたに座るという若者らしい道中でした。帰りは自由席もないので、乗り込むことも出来ません。18切符で旅する時は、要注意です。東北に向かう「ムーンライトえちご」というのもありますが、こちらは大垣行きほどの混雑ではない模様。



2004年03月05日(金) ライフイズジャーニー

久しぶりに、朝まで話して色々笑った。明日も約束があるのに、眠いと言わずに付き合ってくれた。友達からぽろっとでる弱い言葉に、はっとさせられる。ページを一から作るのは怖いだとか。本当にぽろっとでるだけで、もう二度と出ない。それは、「私ってこういう人間だからさ、弱いからさ」と押しつけてくる種のものではなく、返す言葉も望んでいない。だからこちらまで怖くなる。「やべえ頑張らないと」、と思った。でも今は休む。新聞も読まないで朝寝坊している。バカになったかな。



学生最後の旅をする。だいたい10日間、国内を18切符でまわることにした。以下、予定。



3/7(土) 寝台で小田原-大垣-広島(厳島神社原爆ドーム)-広島泊

3/8(日) 広島-岡山(岡山後楽園)-奈良(東大寺お水取り)-奈良泊

3/9(月) 奈良(明日香村橘寺奈良市立写真美術館興福寺カナカナ?)-京都泊

3/10(火) 京都(金閣寺御開帳、仁和寺、神護寺?)-京都泊

3/11(水) 京都(乙女スポット、市内、カフェ)-大阪-大阪泊

3/12(木) 京都-大阪-大阪泊

3/13(金) 大阪(ソーイングテーブル)-香川泊(数日友人宅にお世話に)

3/14(土) 香川ほげほげ

3/15(日) 香川ほげほげ

3/16(月) 香川(イサム・ノグチ庭園美術館




2004年03月03日(水) ひなまつり

成績発表だった。劣等生ですが、卒業できました。早稲田の町はご無沙汰していた私にも相変わらず優しくて、4月からもここで暮らしていけるおかげで新生活の不安がどれだけ取り除かれていることだろうかと感謝する。馬場歩き(高田馬場駅からバスや地下鉄に乗らず、大学まで歩くこと)の途中、古本屋の100円コーナーに、「フランス古寺巡礼」という面白そうな本を見つけるが、売れてしまったのかな、帰りに店をのぞくともうなかった。

友人と別れて帰りがけに、これまた数ヶ月ぶりの芳林堂へ。『東京人』が創刊なんとか号目の「保存版」だというので買った。それから大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』(講談社現代新書)。これ、私に直球ど真ん中、の予感がする。

その後新宿に出、ロード・オブ・ザ・リングを見て、夜の10時になっても帰りたくない気がしたのでタワレコで延々視聴。rockin'onの最新号と、(その特集にジム・モリソン、イアン・カーティスという文字があったのにつられて)ドアーズ『ハートに火をつけて』ジョイ・ディヴィジョン『アンノウン・プレジャーズ』を買う。大学生協の加入料、一万五千円が戻ってきたのでこれだけ買ってもお財布はまだまだ豊饒だった。



ロッキンオンの付録にあったシドのポスターを壁に貼りながら、ふと、ノルウェイの森に出てくる「突撃隊」のことを思い出した。自室の壁に鉄道のポスターを飾っていて、毎朝騒がしくラジオ体操をする奴だったっけ。ノルウェイ〜の登場人物の中で一番誰が好き?ときいたら「突撃隊」と答えた人との会話もついでに思い出す。直子でもワタナベくんでもなく、突撃隊を答えにするのを、凄くいいな、と感じた当時の私のことも。



「魅力的なサイトを見つけた」と引用をしたら、ご本人からメールを頂く。私のサイトを1年半前からずっと見てくれていたとのこと。ああ、少し震えた。嬉しい。

彼女は、私の日記のことを「嘔吐物を見せびらかすような文章(いい意味でね)」と書いてくれた。

私はどこまでも、自分のことを綴っていくことしかできないのかもしれないなあ、と半ばあきらめの気持ちが涌いてきた。それが芸風なら嫌だとは思わないけれど。脱いで、吐いて、見て!と叫ぶ。例えば阿部和重は、高野文子は、そんな方法を知らないのだろう。ほげほげほげ、しこしこしことプラモデルを組み立てるようにものをつくる才能に、私は一生憧れるつづけるのだ。








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