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2003年06月30日(月) 寝ます。

体にがたが来ていて、ちょっと疲れました。薬の副作用のせいなのか何なのか知りませんが食欲がなく、少し痩せました。と、こんなことを書くとまるで繊細さをアピールしてもてたいみたいですが、そんなことはないのです。だって繊細な小デブ子だっているもの。悩むほど太っちゃう時期だってあるのよ。美しさに一体何の意味があるっていうの?

そんな理屈は抜きにして、とにかく。口内炎とアレルギーと腹痛、が一気に押し寄せてしまって少しも食べ物が美味しくないのよ、こん畜生、って感じだわ、ってオスギだわこれじゃあ。もうちょっと頑張ろうっと。

閑話休題。『テレビブロス』(と『本とコンピュータ』)。

宣言しますが私はもうSPA!を買いません。会社に落とされたからです(笑)。嘘です。ちょっと本当です。テレビブロスを隅からすみまで読んでみたらこれがまた隅からすみまで面白くて、しかも松尾ちゃんの連載つきで190円だよお富さん(てこのネタは若い人にはまずいよね、死んだはずだよお富さん、って演歌知らないよね、知らないな)。

この雑誌、実は東京○ュース通信社を受けるために購入して熟読したのだけれど、「テレビなんたら」の名を冠しているにも関わらず、驚くなかれ豪華コラムの嵐!編集者として携わる醍醐味はあまりないのかもしれないなあ、いやしかし、これだけ色々な人--「豪華な執筆陣」が「有名人」とイコールでないのがこの本の凄いところ--を集めた人脈とアイディアは素晴らしいと思います。ぜひお手にとって。ハーゲンダッツより安いからね。

ここまで書いている間に激しく体の疲労を感じたので今日は寝ます。『本コ』については後日。それから舞城王太郎の『九十九十九』を読んで、考えたことが沢山あったのでそれも後日。

そういえば、「最近色恋沙汰めいたことがちょっとあるのかな、あったら素敵ねアヴァンチュールベイベー」、みたいなことを京都にいる友達に私信したら、「そういうネタは最近、非常に田中さん的であり田中さん的でない気がします」という返しが。そういう媚びない感じの立ち位置に私をおいてくれていること、とても嬉しかったです。

アヴァンチュール?(これの正式な訳語が分からないので使用するのが恐ろしい)それは内緒さベイベベイベー。



2003年06月29日(日)

神保町に書類を出しに行ったらまたアレルギーが再発。
くしゃみが止まらず薬も効かず。
どう考えてもこの街には呪われているとしか思えない。
呪った仕返しが今きているのか。ってそんな物騒なことしてないよあたしゃ。

ああ、今日は『本とコンピュータ』と『テレビブロス』の素晴らしさについて書くつもりだったのに。
素晴らしさは逃げないから明日に延期。

私に近々会う皆様、お鼻が赤いのは愛嬌だと思ってください。



2003年06月27日(金)

「覆面作家舞城王太郎」、について新聞にあった。 - 「最近真剣に松尾サイト(ここ)の制作を手掛けたいなあと思っていたりする。でも松尾(私)は今のままでもそれほど不満はないんだろうなあと感じる。そればかりかへたにステキサイトにするのを拒否している気すらする。松尾と呼び過ぎて本名を忘れそうな気がする。でもきっと忘れないんだろうなあと思う」。

携帯に、思慮深いメールを頂いた。

ということでこのページが、パリジェンヌを夢見ていつまでも変われない「ださいたま娘。」から、深夜にカフェロータスで細い煙草をふかす姐さんに変化する日も近いのかもしれないと、期待を込めて思う。ステキサイトにするのを拒否しているのではなく、なりたいと思ってanan読んじゃってるからいつまでも堂々巡りなんじゃねえかよ、やっぱり洋書だよな、洋書、なんてまたハックなんとかに通おうとする自分に、「いいのか?」と問いかける一人の部屋なのである。もう夜なのにやるべきことがひとつも終わっていないじゃあないか、と思う。おやすみハニィ、と思う。が、結論としては寝られないのである。問題はパリジェンヌと履歴書だ、と思う。




母と最近仲がいい。このあいだ喧嘩した時に私が言った言葉「そうやって人を信じられないのはさ、不幸だよ絶対!」というのが胸に響いたのよ、と今日言われた(本人は忘れていたが)。

そうね、人を信じるっていうのはきっと素晴らしいことだわ麗子ちゃん、こうやって文章に書いたら綺麗だものね。でもね、そうやってあなたが信じたその気持ちはいったい、何かの役に立ったり笑い声をつくり出したりしたのかしら。誰かを不幸にしただけかもしれないとは思わない?そんなことは、誰も言わない。でも部屋で、そんなことを一人で考えたら悲しくなったの。くすんくすん。

信じるだとか信じないだとか、別にしてもしなくてもいいような気が、今はする。そんなことをしてもしなくても死なないからだ。こーゆーのってへんじゃないよね☆なんてね、ごめんね。少女マンガみたいにね、まとめたい年頃なのね。じゃあね、また明日ね、ねるかんね。どりゃあーん!れーこのすりーぷ劇場へ。にゃにゃー、なんちて。自意識が溶解しているのが気持ちよくってしょうがないなりね。にゃー。



2003年06月26日(木)

こんなレトリックだらけの文章を、別に何の恥もなく吐き出してるわけじゃあないんだよ。練習の恥は書き捨て - 新宿。
紀伊国屋書店をぶらぶらしていたら「どうも、河○書房です」と若々しい営業マンを見かけたので「これこれ、そんなに書店さんにぺこぺこしてる暇があったら、河○文庫の高橋源一郎の本が欠品してるのを確認したまえ」と言いたかったけどそれは販売部のお仕事のような気がしたのでやめた。

無印良品でタンクトップをバイ貝。てへ、ごめん。これはまんま町蔵先生のぱくりです。買う、は「バイ貝」、見る、は「ミルクカウブルース」だよ。この言語感覚、少しでいいから分けて紅(恥ずかしい)。

町田康がでているので数年ぶりにZipperを購入。何が驚いたかと言えば最近あれはなんだ!?と騒いだ「シャカラビッツ」「175R」「竹内めぐみ」がすべて取り上げられていたこと。いやいや、恐れ入ります。というかこの雑誌、他と比べてもやはり群を抜いて面白いです。買うファッション誌がどんどん潰れちゃうから、もう最後にはここにすがろ、と決めたよ。また私が文化屋雑貨店の苺ゴムで三つ編みをいわいてたり6%ドキドキのロケットリングしてても突っ込まないでくれ(ますます赤面)。





一人で映画を見るようになったのは最近のことである。隣にいるカップルの会話を盗み聞きしては「くっだらないこと話してるのねえ」とにやにやしたり、待ち時間に気難しく読書をしたり、と思ったら今度は本の世界に引き込まれてなかなか戻ってくるのが難しくなって慌てたりする。自分のことを「暗いです」と言えるようになってから、色々なことがとても楽しくなった。一人で歩く町の端々の発見や、ふとした日常の「決まりごと」(本屋に行ってずうっと棚を眺めているとか、カフェでいつもより高いケーキを頼むとか)があれば、「生きてる実感」?とか「あたしである証」?とか別に欲しいとも思わない。

と、虚勢を張るのは嘘でも何でもないのだが、それでも私は--誰もが--知っている。

生きることは、なんてままならないんだろう。

『めぐりあう時間たち』(オフィシャルサイト→go!)は、ニコールキッドマンのアカデミー賞主演女優賞だけでは語り得ない、素晴らしい作品だった。

「私はパーティーを開くことだけを考えて生きてるような、くだらない人間だって彼にいわれてるような気がしたの」。「死ぬことではなく生きることの中にしか、安らぎは見つけられないのよ」。三人のヒロインは作品の中でしばしば涙を流す。それは生きるのをひたすら噛み締めるような、まるであなたが眠る前にベッドの中で流すような静かな涙である。生きることとは、こうして静かに頬を伝う涙に、とてもよく似ている、そう思った。

映画の中で繰り返し描かれるのは、生きることと死ぬことという、この世の根底にあるテーマである。しかし、それは決して特別な世界で繰り広げられるものではなく、私たちの日常にしっかりと潜んでいる。当たり前のようで忘れがちな事実を、この映画は嫌というほど目の前に突き付けてくる。そして同時に、「生」を選び取ることの希望と苦しみを教えてくれる。

二時間半後、帰りの電車に揺られながら明朝乗る電車の時間について考えた。冷蔵庫の杏仁豆腐は切れてないかな、と心配もした。それから少し、素敵な恋とか将来の自分、人生について思い描いてみた。そうやって私は、これからも日々を生きてゆく、死ぬまで。私は思う、それはなんて退屈で馬鹿馬鹿しく、絶望的で間延びし、そして最高に素敵なことであろうかと。



2003年06月25日(水)

休日。神保町にて水木しげる『妖精画談』(岩波新書)を購入。しかし途中気分が悪くなり帰宅。その後昏睡、惰眠を貪る。心配が頭をよぎる。

無印良品の店員が「あれ」をかぶりだした。



2003年06月23日(月) 持ち駒の件は置いておきます、ひとまず

タモリになりたい。

先日、ぼけっとミュージックステーションを見ていたら、竹内めぐみという元路上詩人、現歌手が出演していてた。「どうして詩を書きはじめたのですか?」と尋ねられた彼女、「生きるのが嫌んなっちゃったんです」というゴールデンでそれはありなのか、むしろゴールデンだからありなのかという訳の分からないもやもやした、つまり壊れかけの徳永英明系発言をする。(でもこの人、嫌いではないです。おにつかさんのときのような、近親憎悪はわいてきませんでした)

「ほおー(感心の情)」とタモリ。「生きるのが嫌んなっちゃうっていうのは、どうーういう感じなの?何が嫌なんだろうねえ、うーん。俺ね、ちょっと、全然わかんないんだよねえ」。あーいいんだ、そういうこと普通に聞いて。と見ているこちらが安心する返しは、もう達人ものでしたよ。そうだよ、誰だって聞きたいよね、どうして生きるのが嫌んなっちゃって、それって何がそんなに嫌で、ついには路上で詩を書き出しちゃうのかをさ。

さらに凄みを感じたのはキンキキッズとのトーク。「光一は、自分の部屋でずっと全裸なんだって?」「そうっすねー気持ちいいすよ」「俺も全裸なんだよ、いいよなあ」

・・・いつもの通りのトークに油断していたら、タモさん、言いましたよ。
「もうあれじゃん、全裸キッズにしちゃえば?名前」。!!「それかちんち○キッズにしちゃいなよ」。ちょっとうまいし!!!!タモリクラブのフィールドを、8時台にまで広げてきた感あり。恐るべし。

「ということよ。全裸でネギを刻むタモリになりたいんですよ、あたしゃ。分かるかい、ねえちょいと、分かってくれるかいああた」。なんてな話をタイ料理店で少年とした昨日。ぶりぶりと。ビールで酔っぱらい帰りの電車は爆裂睡眠狂。

そして本日の筆記はなかったことにする。だってバレエの問題が出ちゃったら、仕方ないよねママ。振れ幅の狭さを思い知らされる。浅く広く、さらに深く広く、がモットーのつもりだったのに。

バレエ、少女コミック、ジャズ、思想、歌舞伎、ボサノヴァ、ブラックカルチャー、パチンコ、競馬、嶽本野ばら、株、ビートルズ、ドラッグとセックスとロックンロールとは違う私らしい快楽、人生の興味をもっと広げたい。そういう作業は結構好きだ。踊るより好きだ。だから、受からせてくれよ。



追記メモ

筆記の帰りに新宿の青山ブックセンターに寄ったら、やたらゴスロリの皆さんが集結している。おかしいなあ、ここはマルイワンじゃないのに、と思っていたら嶽本野ばら様のサイン会だった。顔が小さいねえ。紳士だねえ。精神的ゴス仲間の私も(いや、違うわ!)参加したくなる。今度こそ読もう、三島賞候補の『エミリー』を。

それにしてもエミリーテンプルキュートのお洋服を身にまとった彼女たちを見ていると、昔の自分を思い出して片腹痛い。私は「ロリ」ではなかったが、まあ洋服マニアの自意識の方向性なんて、皆同じようなものだ。「私を見て!」という精神病理(なんて大袈裟かしら)が、曲がった形で表に出てしまった女の子は、パニエやティアラで自分を飾る。服はアイデンティティであり、雑誌に載ることがさらにそれを強固にする。少なくとも私は、そうだった。

嶽本野ばらがなんとか文学賞をとったら、彼女たちは報われるのだろうか。それとも野ばら様がいなくなっちゃう!と泣くのだろうか。少女たちの世界を偉そうに分析し、俯瞰する高さからしか眺められなくなった私には、今では答えが出せるはずもない。

ちなみに新潮社の三島由紀夫賞の選評がアップされていました。(→go!)全作品やたらめったら駄目だしされまくってますが、島田雅彦のいちゃもんのつけかたなんて、もう最高だから面白いよ。



2003年06月22日(日) 面接

今日の反省メモ

新潮社以来の行きたい会社で、へまをしました。自分が普段自然に考えていたこと--この間の筆記テストでは金子勝が書けなかったから、これからは書店で経済の棚をチェックするようにしよう--それが何故言えないのか。ああ。無意識に緊張しているのかなあ。自然に会話すればよかったのに。自分の問題意識と質問される内容がそれほどずれているわけではない。普段の自分を焦らずに出せたときはうまくいっている気がする。常に、自分の考えたことを言葉に変換できるようにしておこう。あとは縁だ。

帰りに『るきさん』を買う。ふさぎ込んだまま電車で読んだら、少し楽になれた。将来はるきさんのような、つまり高野文子のような大人になりたいと思います。なんて面接では言わない。

毎日反省だらけ。この時期を乗り越えたら、こんな自分は少しましな自分になる気がするから、続けるだけ。



2003年06月20日(金) その向こう

拝啓 王子様

梅雨の候、いかがお過ごしでしょうか。大変御無沙汰してしまいましたね。なんて、しらじらしく書いたけれど本当はもう書くことはしないつもりでした。でも思いきって書きました。

私は元気です。

毎日毎日中途半端に続く雨は憂鬱ですし、空気が灰色にどんよりと湿っぽいのは気持ちが悪いなあと思うけれどこの時期特有の、夏が近づく高揚感は、嫌いではありません。昨日の日記に私はこう記しています。「夕方、夏の香りのする風を網戸ごしに感じながらビートルズをかけた。泣きそうになった。ビールが飲みたいな、君と」。

あなたとビールを飲む夕暮れ時は、どんなにか素敵でしょうね。実際のところ、私はほとんど飲めないのだけれど。ああ、それでもどんなにか、素敵でしょうね。

早速ですが大事件です。高橋源一郎の小説に出会いました。これはまさに何年かに一度の奇跡的「衝撃」です。

読んでいる間中、私はくそったれな自分から浮遊し、文字の造り出すここではないどこかの世界に飛び立ちました。この感じ、とても久しぶりに味わったように思います。村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を初めて読んだ時以来かしら。満員電車も、田舎のあぜ道も、喫茶店の隣に座ったカップルも生き地獄のようなスーツの倦怠感も、飛び下りてやろうかと見上げる高いビルも、すっかりもうひとつの世界に塗り替える言葉の世界。

あなたは『さようなら、ギャングたち』を読んだことがある?これほど素敵なファンタジーが、何故あまり人々の話題にのぼらないのか不思議でなりません。それとも世界の私以外の人は、こんな衝撃当たり前に通過しているものなのかしら。

私は理屈っぽい人です。解説を読んでから小説の本文に取りかかるような性根の曲がった読者です。しかしこの小説はそんな理屈っぽい説明がほとんど不可能です。言葉で表現する前に、体がふるえ出すんですもの。説明できないのにものすごく好きになるものって存在するのね。私は活字が表現出来ない種類の何かを信じたくはないのだけれど。というか、余計なことを書いて台なしにするのが恐いのです。ぜひ読んでみて、とだけ記しておきます。

近況、といっても今日の、この小説の衝撃ですべてが吹き飛んでしまったので、一日分しか書けません。ママレイド・ラグの新しいミニ・アルバムを買いました。今もかかっています。それからオリーブの最終号と森茉莉『貧乏サヴァラン』も。最終の前までいった面接は、おそらく落ちてしまいました。お友達から、「ホルモンからは逃れられない」と書かれたはがきで手紙が届きました。アフタヌーンティールームで、チェリーとオレンジののったチョコレートケーキを食べながら、この文章を書いています。

あなたが今何処で何をしているかに、私はあまり興味が持てません。おしゃれカフェでお茶していようとコンビニ弁当を食べていようと、床屋さんで坊主にされていようとカリスマ美容師にうなじをなでられていようと、たったひとり河岸で涙を拭いていようと女の人とセックスしていようと、どうだっていいのです。私はどんな瞬間であれ、その時にあなたが何を感じているのかにとても興味があります。それだけです。だって、現実的な出来事を突き止めて一体何になるって言うの?などといいつつ心の動きよりも事実ばかりを並べてしまった自分の手紙を少し反省しています。

あなたの小説を、また読んでみたいと思います。きっと私好みのはずよ、ふふ、高橋氏ほどかはわからないけれどね。

長くなりました。なんだか続きが書きたくなるかもしれない予感がします。

かしこ

れいこ



2003年06月18日(水)

やーっほおー
ほーとらんらんらんやほほーとらんらんらん
やほほーとらんらんらん
やほほ。

やほほ。


だー、全てを捨ててチョモランマに移住するか結婚するかしたい。なんて、妄想でスイッスランドを山登りしてる場合じゃないよ。金がないよ。杏仁豆腐がないーよ。ということで売ろうと思う本と雑誌を整理してみた。イタイ感じが面白いので列挙するぞ。やほほ。

アラン・ピーズ+マイケル・ピーズ『話を聞かない男、地図が読めない女』
加藤ゑみ子『お嬢様ことば速習講座』
唐沢寿明『ふたり』
松本人志『松本』
田口ランディ
『もう消費すら快楽じゃない彼女へ』
『神様はいますか?』
『ハーモニーの幸せ』
吉本ばなな『虹』
江國香織
『江國香織とっておき作品集』(何故か二冊ある)
『冷静と情熱のあいだ』
新井敏記『池沢夏樹 アジアの感情』
高木徹『戦争広告代理店』

人の本棚を覗くのは楽しいと言うけど、やられるほうはたまったもんじゃないわ。綺麗に過去を清算して、新しい恋人の元へまいろうぞ。辻仁成と結婚したミポリンを笑った女の本棚に、『冷静と情熱』があるなんてばれたらあたしのイメージったらどうなるのよ!



メモ。

これまで密かに通っていたホームページが、最近ぱたぱたと閉じてしまった。娯楽が減るのは悲しいことである。垂れ流すならてめえもやめちまえと言われているような気がした。明日こそ、王子に手紙を書こう。

昨日の松尾さんのテレビを見て、友達も私とほぼ同様の感想を持ったようだ。「人と人が会話してる感じが全くしなかったよね、松尾スズキが一人でしゃべってるみたいだった」と。
日常の絶望的な場面がフラッシュバックして少し悲しくなった。コミュニケーション不全とは、(おそらく)単に沈黙することでも汚い言葉を吐きあうことでもない。心のない人(「心ない人」、ではない。)との会話は、どれほど笑えても途切れることなく続いても、実はとても悲しいものだという気がする。

夕方、夏の香りのする風を網戸ごしに感じながらビートルズをかけた。泣きそうになった。ビールが飲みたいな、君と。



18日追記。(どうでもいいゴシップ) - ゴシップ1

私が最近読んだ本
高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』(講談社文藝文庫)
高橋直子『お洋服の力』(朝日新聞社)

このふたりが元夫婦だったらしいことを知って、本当に驚きました。人の好みって結構単純みたい。源ちゃんにとって室井佑月が4回目の結婚相手ですって。ああ、もういいわ。この人とは結婚しなくても、とひよりました。あんな癒し顔で女性を次々に破滅に導く恐ろしい男なのかしら。好みですが。というか、小説は本当に素晴らしいです。批評ばかりではなく、この人の小説がもっと世に出るべきです。

ゴシップ2

先日ロッキング・オンを読んでいて知ったのですが、『僕の中の壊れていない部分』の白石一文さんは文藝春秋社の編集者だそうです。ちなみに本を出しているのは別の会社でした。ふうん。

ゴシップ3

坪内先生の授業を、今日も受けてきました。クイックジャパン最新号の赤田祐一(『ポパイの時代』の人)、小西康陽、坪内祐三三氏の対談をプリントにして授業が進みました。勉強になる豆知識が非常に多いです。私はこういうサブカルおたく話が本当に好きなの!坪内先生は小西さんのことを”コニシヤスヒロさん、ヤスヒロさん”と呼んで生徒に指摘されていました。小西さんの『これは恋ではない』(幻冬社)を先生が勧めていたのでぜひ読んでみようと思います。



2003年06月17日(火) 『爆笑問題のススメ』

に、松尾スズキ先生が出演なさいました。ご覧になった方、いらっしゃいますでしょうか。私は松尾さんが「演技」でなく(テレビも演技かな)、記者会見でもなく、他人に向かって話しているところを初めて見ました。彼のしゃべり方、普通に見える行動の端々にちらりと見える挙動不審ぶり、間を置くことなく過剰に饒舌であること。なんとなくこの私めの合コンとか面接での行動と同じにおいがしました。自意識過剰ですみません。

これがあれかね、対人関係が閉じがちな人の「公の」話し方なのかね。と、しみじみしてしまいましたが、松尾さんは人気者ですし私もお友達いっぱいだから実は全然平気です。ね!!

ああ、やっぱり私はこの人が好きです。誰が何と言おうと、松尾さんが人気者になって認知度が高まり、「ああ、あれか。サブカル好き?」的な反応が一般的になってもいつまでもこの人が好きです。胸毛、背毛、さらに指にまでめっちゃ濃い毛が生えていても、どこまでもナイーヴでフィリップを持つ手が震えている彼が好きです。



NHKラジオの『ラジオ深夜便』を聞いていたら「ナイトエッセイ」のコーナーで『新宿鮫』で有名な作家、大沢在昌が話しているのを聞きました。彼は初のヒット作にして代表作、『新宿鮫』に辿り着くまでの28作、全ての小説がことごとく売れなかったそうです。デビューしてからずっと、出す本が初版で終わってしまう、つまり重版されるほどの部数を出せない作家として「永久初版作家」などとひどい名前で呼ばれていたとか。

『新宿鮫』が生まれたのは29作目。実は彼、28作目の小説には特別な思い入れがあったといいます。つまり、作家として勝負に出た作品だったのです。「一年半の間、他の仕事も一切断って書き上げた、勿論賞も狙っていた」。しかしそれは結局の所、これまでと変わらず売れませんでした。こうなったらもうどうでもいいや、気持ちよく書こうと始めたのが『新宿鮫』だったそうです。

成功者が過去の失敗について語ると、ついつい今の成功を前提にするため傲慢になりがちですが、彼の優しく、木訥な話し方からはそういった居心地の悪さを感じさせられることがありませんでした。素敵なおじさんです。私も「そういうふうにできている」と、思いたいものです。



です、ますの語り口でここまで来たから最後までいきますね。ほとんど初めて、rockin'onを買いました(ジャパンでなく)。友達が「トム・ヨークのセルフインタビュー読んだ?自殺する人間と自分を殺したいと思う人間の違いが分かるかもよ」という意味深なメールを送ってきて以来気になって。

最近私のまわりではロッキングオンの雑誌はつまらなくなっただとか、渋洋はもうおっさんでだめ、とか色々と手厳しい意見を聞いていたのですが、正直、素直に面白かったです。これで500円は、お得としか言い様のない良い出来ではなかしら。そう思うのは私だけ?トムのセルフインタビュー(トムヨークがトムヨークに聞く)は本当に興味深いので是非どうぞ。

それにしてもここ最近、BUZZ、リトルモア、MR、オリーブと私が好きだった雑誌がことごとく潰れます。新しい娯楽の世界を掘り出さないとなあ、と感じ、本当にしおり収集を始めることにしました。ちっちゃいところに夢を託して生きていくことにします。



2003年06月16日(月) こうしてつらつら生きてゆく。

「おなごの日」という表現は、女の子の日常会話に存在するのか、というセクハラ質問を昔付き合っていた男にされたことがあったなあ(こう書くとまるで付き合い慣れているおネエちゃんのよう)、などとくだらないことが頭をぐるぐるまわってしまうほどけだるかった「おなごの日」。なまめかしい。

西岡兄妹のしおりを購入したのが妙に嬉しくて、これからしおり収集をしようかしらん、と思いつく。スクラップブックを買おう。スケールが小さくなってるのか、懐が深くなったのか。こういうのをオタクというのか。タコシェで本を買うと、つげ義春のしおりがついてくるんです。これも小さな幸せなんです。

最近恐いものがないのだけれど、虚勢を張っているだけなのか、それとも勘違いなのか、恐いことを忘れているのか。失う物が極限まで少なくなっているようには感じる。感じているだけで、まだまだ「持てる者」であることに間違いはないだろうが。

高橋源一郎と室井佑月が元夫婦だったことを今更知る。ほんっきで驚いた。そうかそうか、源一郎は独身なのね、とチェックしておく。しかし、ゆづの後釜への道はなかなか厳しそうである。

週刊ブックレビューを見ながら作文でも書きますかね。やれやれ。
2003/06/15
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アルネが届いた日。 - 取材と称し、今週も中野ブロードウェイへ。『大予言』なるぶいぶいわしていかした名前の本屋で三萬五千円のタロット、依托品を発見。これで拙者も予言者に。

松尾的先輩と久しぶりに再会して茶。拙者、貧民の事情に因りて夕食は麺麺。ずるる。さらに茶をすする。先輩の周辺には「変態」(褒めている)多きこと発覚。拙者が最も通常型に違いない。このような場合には少々の劣等感が生ず。なんて、ままよ。

先輩のラヴラヴプリント倶楽部を土産に頂きて帰る。彼氏は作家志望だそうな。うちに帰ると母は就寝。取材は明日も行くことになりそうだ。

毎日毎日杏仁豆腐でこのままでは阿呆になる。夏のピチピチ恋の予感が匂ってこないが大丈夫か21歳。と、先日友人が「好きな人ができたにょ」と景気のいい話を持ってきていたことを思い出す。これを期に飲んだくれを直すと。それは非常に世の助けとなろう。はて、つまみの珍珍豆も止めるのか。

内田百間はいい。拙者、べたっとした生き方を一切合切やめる決意。まして悪魔のタロット等、到底持つはずもなし。



昼のレディオに岩下志摩が出演しており、『スパイゾルゲ』で引退する夫、篠田監督について語る。婚約発表の折りも、そして今回のラストシーン撮影後も握手をしたという。握手。性交ばかりを重視する昨今においてなんと清清しい夫婦愛であろうか。なんとなくずれたことを述べている気もするが気にしないよあたしゃ。きゃはきゃは、と花火をしたい蒸し暑い夜。アレルギィ薬を飲み就寝。ままよままよ。



2003年06月14日(土)

授業でたまたまバレエのお話を聞く機会に恵まれた。講師はバレエ批評では(おそらく)有名な小町直美先生で、ジョルジュ・ドンという伝説のバレエダンサーのビデオを見せてくれた。

御存じの方も多いかもしれない。ドンは『ボレロ』という作品の代名詞のような人で、1992年にエイズで亡くなったという。私にとっては初めて見る彼の演技(バレエというよりもはや演劇である)、ダンスであったが、陳腐な表現を使わせて頂けば、それこそ画面に吸い寄せられるような感覚を覚えた。映像は、かつてニジンスキーが踊った『ニジンスキー神の道化』という作品の再演である。

ニジンスキーというダンサーは、この公演を最後に狂気に陥り、精神病棟で一生を過ごしたとされる。ジョルジュ・ドンも、既に自分がエイズに侵されていることを知っていた。主人公の存在と、ドンの死に向かってゆく精神の狂気がだぶって見える迫力は、たとえそれが学校のAVルームで見る数分のビデオからであってもしっかりと伝わってきた。

芸術には、私が知らない様々な物語が潜んでいる。バレエの踊りがこんなにも、人の肉体から出る悲しみや喜びや、狂気や不安を表現する手段になり得ることを、これまで全く知らなかった自分を私は恥じた。

心を震わせる新しい体験は、いつも近くに潜んでいる。しかし、一瞬の輝きに巡り合えるのはしっかりとその良さを見抜き、さらに場に居合わせることができた幸運な「観客」のみである(当然、場所は舞台の上にとどまらないだろう)。

今更知ったドンの舞台をもう生で見られないことが、私は悲しくてならない。やはり、『熊沢パンキース』には並んででもチケットを取ろう。松尾スズキに出会えたことは奇跡なのである。

*バレエに詳しい方、いらしたら何か教えてください。
私にはあまりにも縁遠い世界で、どこから入って良いのやら分かりません。

参照URL
http://jp.jorgedonn.com/index.html
http://www.shinshokan.co.jp/
http://www2a.biglobe.ne.jp/~ballet/Jindex_skip.html
『愛と哀しみのボレロ』



2003年06月13日(金)

うちに帰ったら杏仁豆腐が食べられてた日。 - 松田龍平は髪の毛が伸びてかっこよくなったなー。ベックの若い頃の写真とかもう、犯罪的「美」だわあ。オフィシャルサイトのベックギャラリーが、たまりませんな、うきょ。キアヌキアヌ、キアヌ様。でも『スピード』の時が一番ちゅきよ、痩せてたから。

こんな感じで煩悩だらけ。左肩は重いしオオアワガエリの花粉のせいで鼻水は出るし、病院行ったら「果物アレルギーもあるね」と新しい発見をされてしまう始末で、ちょっと生きる活力っちゅうの?いくよいくよ飛ばすよぎゃいんぎょいんて、そんな勢いが足りない毎日の私です。ここのところの面接と筆記で、少し疲れました。なんて嘘、駒が無くなる悪夢よりはずっとましです。神様ごめんなさい。

気合いが全く入らないので、上半期の極私的ブックレビューでもします。あくまで今の気分に即して。

<生き方について考える3冊>
都築響一『TOKYO STYLE』(ちくま文庫)
WEBアクロス編集室/パルコ編『トーキョーリアルライフ』(実業之日本社)
中原昌也『エーガ界に捧ぐ』(扶桑社)

就職活動をしていると、当然辛くなる。まして私のように、大学まで「社会の体裁」なるものからはみださずに来た人間にとって、いくら受けても落ち続け、終わりが何処だか見えない地獄というのはなかなかこたえるものだ。しかし、やはり助けてくれたのはやはり本だったのであり、それは自己啓発や、啓蒙書の棚ではないところから見つかった。
東京の小さなアパート群に暮らす、「普通の人」の生活は端から眺めたら、掛け値なしに幸せそうだった。その「幸せそう」は決してお金持ちだとか、いわゆるクリエイティヴな職業についているからだとか、そういうところから来ているものではなく、今日ラーメン食ってさ、それがもうめっちゃうめえんだよな、という種類の「幸せそう」だった。
ここで山口瞳を引用しよう。「人生は短い。あっという間に過ぎてゆく。しかし、いま目の前にいる電車にどうしても乗らなければならないというほど短くはない」(『少年達よ、未来は』)。

*中原氏の著作を入れたのは、彼の生き方が私の理想のひとつだから。原稿をなぞなぞで埋めても次の仕事が来る真の才能を見よ。



<浅田彰を知らなくて心の底からバカにされた私と、同レヴェルの教養の人にすすめる、賢いふりができそうな3冊(全て新書なのが痛い)>
石原千秋『教養としての大学受験国語』(ちくま新書)
内田樹『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)
上野俊哉/毛利嘉孝『カルチュラルスタディーズ入門』(ちくま新書)

教養のない人というのは、ついつい話の中で下の地位に追いやられがちだ。権力を握るには偉そうに、あくまで知ってる「ふり」をして話すことが大切。そんなわけで私は最近手始めに新書を読んでいる。ついでに『教養主義!』(フリースタイル)、坪内祐三編『文藝春秋八十年傑作選』(文藝春秋)小阪修平『そうだったのか現代思想』(講談社+α文庫)なども買ったので偉そうにする準備は着々と整いつつある。ああ、それにしてもいつからこんなに阿呆になったのかしらねえ。昔は神童って呼ばれてたのよ。ってそれも親が「ふり」してただけ?!


<貧乏について考える3冊>
町田康『へらへらぼっちゃん』(講談社文庫)
川上卓也『貧乏精髄』(WAVE出版)
内田百聞『大貧帳 内田百聞集成5』(ちくま文庫)

アルバイトの帰り、上野駅を通る度に考えた。ここに寝ている人たちと、私との間に、一体どれほどの違いがあるのだろうかと。世界の底に横たわるのは、結局食うか食われるか、生きるか死ぬかという、逃れられない命題である。
「俺はもう、金がない金がないっていいながら生きるのが辛いよ」と弱音を吐く借金まみれの飲んだくれ現場を見たことがある。あははは。失礼よ、と思いながらもついつい爆笑してしまった。貧乏には、そういう力がある。ブスやデブ、リストカットやドメスティックヴァイオレンス、うつ、引きこもり・・・その他のあらゆる社会問題とはどこか違った、軽やかさと明るい情けなさを漂わせる。本人たちは、いつも大真面目なところがさらにおかしい。いくらなんでもたんぽぽの天ぷら食べちゃ駄目だよ、町田さん。



<手紙、メール、テーブルトークRPG・・・形は変われど対話することの醍醐味を教えてくれる3冊>
三島由紀夫『レター教室』(不明)
村上春樹編集長『少年カフカ』(新潮社)
大塚英志『キャラクター小説の作り方』(講談社新書)

人と人がきちんと何かを伝えあうのは、非常に面白いことである。とはいえ、「きちんと」というのがなかなか難しく、きちんと向き合わなくても肌を重ね合わせられるくらいの環境が、今の私(たち)のまわりにはある気がする。誰かと恋人として付き合ってみても、その人のことはおそらくほとんど分かっていない。少なくとも私の実感はそうだ。私のことを、本気で分かろうとしてくれる人だって、どれだけいるのか知らない。それでも、何故だろう、気付くと誰かに向かって一生懸命メールの文面を考えたり、手紙を書いては破ったり、分かってもらおうと必死で面接に臨んでいる自分がいる。伝えあう行為そのものが、喜びなのだ。
そうしたコミュニケーションの欲求は時に、「物語」さえ生み出すらしい。「ケミストリー」じゃないけれど、孤独から生まれた虚構とはまた違った可能性が、その先に見えてこないだろうか。



<泣けるから、読んでおくべき3冊>
舞城王太郎『土か煙か食い物』(講談社ノベルズ)
高野文子『黄色い本』(講談社)
町田康『けものがれ、俺らの猿と』(『屈辱ポンチ』収録、文春文庫)

つべこべ言わず読め。特に三島賞作家舞城王太郎は、友人が(三島賞受賞以前に、ね。ここ重要)掘り出してくれた逸材。全作品通してはずれなし。「だってノベルズでしょー。メフィスト賞って何ー?」とか言ってるおばかさんは、一生を棒に振りますよ。三冊目、町田康は、笑い過ぎて泣く。涙が出るほど笑える作品を、どうしてもつづきが我慢できず電車内でも読んでしまった私・・・。どうなったかって?聞く前にやってみな。




2003年06月11日(水) ロックの日

reikoちゃんのホームページができたそうです。ぜひどうぞ。

フリーペーパーの企画を見せに行ったら、「このまま続けてまた見せに来てください」と言われる。ああ、ボツにならないでくれるかな。

二次面接が通る。あと二回。

女子高飲み。語る。

鼻が痒い。



2003年06月09日(月) メモランダム

また筆記。疲れて食後即昏睡。昼も夜もうどん。麺麺。忍忍。ものもらいと花粉症で目と鼻の調子が悪いので一気に直してこます。こます。とは決意を表す助動詞でこます(誤用)。

「ハリーポッターはつまらない」というのは週刊ブックレビューでの筒井康隆の弁だ。「じゃあ何故売れるんですかね」とアナウンサーに尋ねられ、「もっと面白い小説が沢山あることを御存じないのでしょうな」と答えていた。そうだよそのとおり!私もこの歳まで一体どれだけのいい本、いい音楽を見のがしてきたかとつくづく実感する。毎日レディオヘッドを流しながら思うのです。なんで私はミスチルを聞いてたのかなあと。今はありがちな洋楽崇拝者の段階に来ているらしい。なは。

『実践カルチュラルスタディーズ』(ちくま新書)を読み終えたので阿部和重に突入。『無情の世界』(新潮文庫)。J文学?っつうのか。この間からJ文学の定義とは何ぞやを考えているが良く分からない。『文藝』に載ること?じゃあないよなあ。

失恋した友達に舞城王太郎『土か煙か食い物』(講談社ノベルズ)を贈った。癒しの必要な人に殺人事件?いやいや、これは愛の物語だ。拙者は泣いたんよ。

今日はとにかく暑かった。だらりんとして伸び切った町の空気。高田馬場には夏が良く似合う、と一人暮らしをしながら思ったものだ。

Tシャツに単パンで夜道を歩く恋人たち、レンタルショップで『突入せよ!あさま山荘事件』を借りたらスーパーでお買い物ね。なすとかぼちゃとトマト。夏野菜具だくさんカレーね!トマトを入れるなんて君の味覚はどうなってるんだい?だって、本に載ってたわ。レミよ、レミ。レミもトマトも君の手にかかったら魔法みたいに美味しくなるんだね、きっと。ふふ。ねえ、今度ウニッコのシーツを買おうね、涼しげな青がいいな。そうだ、この間君に似合うバレエシューズを見つけたからプレゼントしよう、エナメルの、素敵なんだ、とってキュートで。

妄想がふくらむ季節だ。美しきかな人生。再度昏睡。



2003年06月08日(日) サマソニに行きたい!!!

毎日、書店に通ってしまうという悪癖が少しは役に立った。今日の筆記。ただし、好きな棚ばかり見ている弊害で『長期停滞』がかの有名な金子勝先生の本だと分からず。小倉昌夫さんの寸評も書けず。終わった後に池袋のジュンク堂を覗いたら、両方とも「経済」のコーナーにありました。とほほ。(誰のキャラだ)



「取材」と称して中野ブロードウェイへ。もしもネタがボツになったら生まれて初めて買った東京ウォーカーは全くの無駄になる。いや、通してみせるわ。それにしてもこのビルはたまらない。散財も止まらない。松尾さんが共著で参加している『「ステキな自分」を見失う本』は名著なので読んでみるべし。以下、少し引用する。

人間は、あるがままの動物である。高みに登っていくわけでもない、あるいは天の座から堕落していくのでもない。そのときそのときのそのままの自分、これが一生の間不連続に並んでいくだけである。(まえがきより)

こんな内容の話を、私は数年前に初めて友達から聞いて、本当に感動した。初めはあまりのショックで自分がバラバラになっていく感覚を覚えて、それから暫くしたらあははと笑い、あーすっげえ楽、と気付いて、なんて凄い大発見をこの人は教えてくれたのだろうと尊敬したのだ。



帰りに、松尾さんが表紙のAERAを(持ってるのに)立ち読みして、彼のインタビュー記事にまた少し泣きそうになる。「若はげや痔を、辛がっていいといってくれたのはこの人だった」--天下の朝日新聞編集者も勇気?だか諦め?だか、でも実はそのどちらでもない何かを頂いたとさ。まあ頂いたなんて言葉も、松尾さんには似合わないけれど。

松尾ファン的先輩が、『熊沢パンキース』で楽屋に行くかもしれないという。私はそれについていくチャンスがあるかもしれないのに、本当に恐くて断ろうとしてしまう。いくらでも好きだと言えるのは、それが一方的だという前提があり、生身の彼に迫らなくて済むと知っているからだ。今回のことで、私は本当に松尾さんを愛しているのかもしれないと思った、幻想の中で。阿呆ゴスです。



「ちょっと笑う」「ちょっと泣く」が、幾度私をいろんな地獄(だと思い込むことで現れた場所)からすくいあげただろうか。松尾スズキはそういう瞬間を、私にくれる。

昨日、『マトリックス』(テレビ)を初めて体験した。あまりに面白くて興奮して、ああこういう嬉しい気持ちを、誰かが側にいて聞いてくれたら、そして「あのメタファーはね」、とさらに気持ち悪いおたくトークを繰り広げてくれたらそれだけでいいのに、贅沢言わないのによー畜生。と、久しぶりにセンチメンタルに浸った可愛い乙女麗子ぷーであったことよ。うくく。



2003年06月07日(土) 「やっぱりそうだ。『彼』なんだ」「だから死ぬはずない、死ぬはずないわ。私が愛してるから」

おさかなくわえたどらねこおーおーかけて
はだしでかけてくゆかいなさざえさん

なんてな感じに財布を忘れて家を出る。さいたま新都心で茶。借金でアイスカラメルラテ。辞めてからエクセルシオールがちょっぴり好きになった。てへ。初めての彼氏みたい。君のこと、離れてみたらすきんなったよ、でもおさわりはしないでね。うきょ。

昨日の日記が消された原因は何の至らぬ点があってか。まあいつもあるけど。町蔵さんの文章をもろぱくっているのに全くぱくれていないこと、このあいだメールに「こんにちは。埼玉のブリジットバルドーです」と書いたこと、マトリックスを吹き替え版で見ていること、いろいろと罪は思いつくけれどもこれも2(リローデッド)を見るためと思って許しておくんなさいだんな。

それにしても『マトリックス』、『スターウォーズ』や、ガンダムその他もろもろのSFの世界を作り出す人々の頭の中はどうなっているのだろう。本当に面白い。ここ数年ずっと聞きたくて聞きたくて問い続けているのに教えてもらえないのは、「どうしてそんなにSFが好きなのですか」に対するおたくたちの答え。教えてください。それは「世界」だからですか?「世界」って何ですか。

バニーちゃんになりたい、だってただのウェイトレスじゃん。という友達に、「なんでそんなにお金が欲しいの?」とテレビのドキュメンタリーのような質問をしたことを、帰りの電車でひどく後悔する。自分が痛いなんて分かっていて言うくらいの、頭の良さがある人なんだ。それでもわざわざ「なりたい」と声に出したのは、何か気持ちを投げたかったからだったろうに。

新書ばかり読んでいたら疲れて、最近小説を読んでいないことに気付く。燃えたい。



2003年06月06日(金) メモ2

久しぶりに長いメールを書いた友達から久しぶりに長い返信があった。絶対つっこまれる、というか「そういう甘いとこから早く卒業しろよ」、と怒られると思って書いた箇所--要するに愚痴--に、意外にも共感して頂く。(最近「甘えるといつか怒られる」、と考え過ぎてたのかしら。でも結局怒らない、優しい人の我がままの限界に挑戦する自分に心底呆れてる。)驚いた、というか少し嬉しかった、というかその両方が混じって切なくなった。ほんの1年か2年前、ループし続けながら「だめだだめだ私」、とこの人に向けて書いていたこと、「振られました」、とかいう世界の終わりみたいに思える手紙をもらっていたこと、そういう学生っぽさを少し思い出した。

社会人は社会人で、それなりに不安を抱えていて、もう少しで声に出して「学生時代に戻りたい」だとか言いそうになるのを飲み込んでいるのかもしれない。酒飲んだ時にたまにぽろっと、口をついて弱音が出てしまうような生活をしているのかもしれないなあと思ったら少し今の、私の状況が肯定できる気もした。もう、私も不安だからお互い不安で大丈夫だよ、私だって駄目だもの、だからお互い駄目で、みんなそんな感じだから安心でしょという傷のなめあいは出来ない。それだけは分かる。



ようやく読了した『カルチュラルスタディーズ』(ちくま新書)に興味深いことが書いてあった。著者は最後の章で、いわゆるカルチュラルスタディーズの考え方を日常生活の局面で考えていくには「そのへんのストリートにたむろしたり、クラブで踊りまくっている若者」つまり「近い他者」(大学生やフリーター)に届ける必要があると説いている。そしてその際に起こる問題点についても指摘している。

〜しかし同時に、正しい批判や分析や反省の言葉が、日常生活のある局面である人々に対して一種の「恫喝」や「威し」になってしまうような文脈がある。つまり、植民地主義、帝国主義、グローバル資本主義・・・・・・などの過去と現在の暴力的かつ操作的な現実を協調すればするほど、あるいはここではないどこかの「受苦者」のおかれた現実の悲惨さに焦点を当てればそうするほど、聞き手のほうはむしろ引いてしまう、というジレンマがある。(言葉が相手を黙らせるとき、たとえそれが正しい内容であっても、それは一種の暴力として機能している)これは大学で教えたり、酒場で喋っていて、ごく普通に経験される逆説である。〜

(筆者はこの後に解決の方向性を提示しているが、それは私が説明するには難しいので端折ります)

典型的な「そのへんにいる大学生」である私は単純に、ああ、この人分かってるよと感動したのだ。相手の言っていることが分からなくて、というか実感できずに結局黙ってしまった経験が私には何度もある。そして私がいつも知りたいと思っていた(でも聞けなくて黙ってしまった)のは、植民地主義、帝国主義、グローバル資本主義、あるいは周縁といわれる地域の人々に興味を持つ人たちは、どのようにそれらの問題を自分の日常生活に引き寄せているのか、また日常生活のどんな瞬間に問題意識が発生したのかという点だった。先日レディオヘッドの音楽を聴いたときにも感じたことだ。これはあまりにも稚拙で踏み込んでいなくて、勉強不足の人がする発言であることは良く分かる。でも教えてほしいし知りたい。

恥ずかしかったけれど、先日初めてこの疑問を友達に直接投げかけてみた。真面目に答えてくれたのが嬉しかったしバカにせずにていねいに考えてくれた。答えは出なかったけれど。勉強はさらに続く。



2003年06月04日(水) メモ

レディオヘッドの新譜をついに購入。1曲目(2+2=5)が爆裂最高、と試聴の時点でアドレナリン噴出。

赤。この星の一等賞になりたいの俺は赤で。決意新たに赤Tシャツ買い。一等賞までの道は易し。ジーンズメイトにて準備完了。はは。

神保町三省堂にて消費活動。消費金額のみ一等賞になったのこの星で俺は。なんてな。なんてな感じにパリーな状況を伝える流行通信。これで私もパリジェンヌ。これで私もミラネーゼ。これで私も東京モダーンガール。AERA、SPA!、編集会議、川上卓也『貧乏精髄』(WAVE出版)。荷物が重いので友人に松尾ちゃん関係のものを預ける。松尾ちゃん。声に出すとなんと可愛らしい語であろうか。松尾ちゃん。

男子集団見合い。胸に手を当てて「きゃ」と驚きの声をあげる森の精に生まれて初めて遭遇。水の精と虹の精、光の精にも遭遇。透明感溢れる美しき少年たち。まだ生き延びていた、日本ボーイに乾杯。完敗。再びアドレナリン流出。『1、2、3できままなおやつ』(オレンジページ)をボーイからのお土産に頂く。早速金つばを修行する決意。金つばガール。ここらへんがやっぱちょっと違うのね、拙者。モダーンな差別化を謀る。きゃほきゃほ。



2003年06月03日(火) 「今努力しないと一生後悔する」を壁に張る。

「音楽やっててしかも小説家なんて、完璧だよね町田康」と友達に興奮して話してたら、「辻仁成じゃだめなの?」と言われ、お返しする言葉がなかった。

手を伸ばしては失望し、失望すると知っていてまた手を伸ばす。なぜそうするのかといえば、いつかその向こうの、ずっと向こうへいけるかもしれないと心のどこかで信じているからだ。しかし、実際にはその向こうなんてないことをもう一人の私は知っている。





沢山の社会人と会い、再び自分の進んでいく道をしっかりしなければいけないと思い直した。四字熟語の勉強をしている。宣伝会議の筆記が、算数があるところでは珍しく通り、このまま本気で頑張ろうと決意を新たにした。




松尾スズキさんが表紙のアエラです。

「松活妄想撮影所」の写真集も予約したし、最近はビジュアル松尾にふれる機会が多い。しかしあくまで私は彼の内面が好きなので、是非文筆業に精を出していただきたい。なんつって。熊沢パンキースとれるといいな。

ジャパンのにゃ夢ウェイは立ち読みしてます。(175なんとかを載せる雑誌は買ってやらん)





この二日間。

人間というのは自分が自分でなくなる時が一番気持ちがいい
敬語は人との距離を広げる
れいこちゃんは『きみはペット』の小雪(がやってる役の子)みたいな印象
パンツのほうが似合う
大学時代は良かった
君は素直でいい子だ
就職しないで生きていきたい
付き合うってどういうことか
自分を全否定してくる彼と全肯定してくれる彼
仕事に行きたくない
薬で気持ちよくなるということ
オランダは自由だ
快楽が少ない
発行部数は嘘だ
レディメイドマガジン
あの子の元彼の今の彼女は私の友達の友達
ビールビールビールウォッカ



2003年06月02日(月) この 町 は僕のもの

愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる

何十回も同じ事を歌ってる町田町蔵の歌があるそうだ(まだ聴いてない、恐くて)。どうでもいいけどほんと、この人みたいに生きたい。「もういちどいきるけつい」と、彼の日記にあった。もういちどいきるけついを、私もする。

もういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけついもういちどいきるけつい

諸星かーくんがポップジャムで歌っていた。「NY拠点ですね、今は」と。



(お金にならない)仕事(らしきもの)を手にしました。企画を頑張って出せば、フリーペーパーで書かせてもらえるかもしれません。大学生だということで、お試しな感じで話を聞いてくれたのだと思うけれど、とても親切でした。今までのボツネタもたくさん拾ってもらえて嬉しかった。「就職はした方がいいよ」、と先方にもおっしゃって頂いていますし、今ちょうど持ち駒も増えてきたので内定もとるために気合いを入れたいと思います。マイペースでやっていれば必ずどうにかなるものだという気がします。


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