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2002年07月31日(水) 愛の灯

久々にバイト。
たった三連休でこんなに休んだ気になれるのね。
ここ1週間程本を読んでいなかったので
今日の帰りにもらった図書券で
ユリイカを二冊買った。

未だにへこみが残ってて困ったな、と思いながら
夜中にうちに帰って、スーパーカーを聞き、
アーミッシュの写真集をずっーと見ていたら随分治った。

私が夢見る世界には、私に立ちふさがっている色々な問題が
もともと存在しない--解決しているのではなくて。

もてないとか、才能が中途半端だとか、
社会に適応しているとかいないとか、
大学生活というモラトリアムももう終りだから遊んでおかないと!とか
「退屈な日常」とか、
あの子とあたしとどっちが可愛いの?とか、
そういうの全部ない。

朝起きたらパンを焼いて食べて、
畑を耕してその日とれた野菜をお昼にして、
午後はそのへんで昼寝したりやぎの乳絞ったりする。
パン酵母のことや、
野菜の肥料のことや、
やぎの健康について考える。

高校の頃は、嫌なことがあると必ず
「将来は私ハイジとして暮らすから」と宣言してたなあって
余計なことまで思い出した。

今でも本気だけど。

で、まあ私の妄想はいいとして、
STROBO LIGHTSを繰り返し聞いていたら
ふわーっと空に連れていかれるような感覚に襲われた。

音楽って不思議ね。
意味を持たないような言葉がある瞬間に凄い力で迫ってくる。
これが強度の世界なのね!

もう痛い系センチメンタルはやめにして、
八月から元気に生きます。
はい。



袋小路

この上なく落ち込んだけれど
こういういやな感じは通り過ぎろ通り過ぎろ、
と念じる以外解決方法がないことを経験から知っているので
驚きはしない。
というかセンチメンタルに浸るのだけは
なんとしても避けたい。
それじゃあ繰り返しだし、何も変わらなさそうだから。



電話していて
面白い切り口だなあと私が感心した人の話を。

”インディーズ人間とアンダーグラウンド人間の違いについて”。

共通点は両者ともにマニアックなところを目指していて、
数として沢山の人に認められること
(音楽でいえば)売れることやメジャーになることは望んでいない。
違うのは「閉じているか」(前者)「閉じていないか」(後者)だ。

マニアックであっても自己満足では終わらないのが
アンダーグラウンドなのだ。
(と私は解釈しましたけど全然違ったらごめんね)

話していた例が音楽の話だったから
私が完全に理解できているかは分からないけれど。
洋服のセレクトショップでも、
流行でなくてもシンプルでいいものを置いていて、
それを好きなお客さんが
きちんと来るからやっていけるお店がある。
ということかなと思った。

他者とのコミュニケーションが成り立っている。

アンダーグラウンド人間の代表で、私の頭には奥田民生が浮かんだ。
民生のようになりたいもの。

以前ロッキンオンの雑誌に、
「民生はチャートで一位になるわけではないのに
皆にあんなふうに生きたいと思わせるアーティストだ」
と書いてあったのがそのとおりだと思った。



きっと私は、インディーズ人間なのだろうな、と思って反省した。




2002年07月29日(月) ルサンチマン

更新がパソコンの事情などで滞ってしまってごめんなさい。
まだ見てくれている人がいるのかわかりませんが、
個人的に書きたいことも溜まっているので
今日は少々長くなります。

1叶姉と窪塚君カップル
色々たたかれているけど
私はこの世の救いを見た気がします。
物好きな男がいるものねえ。
私は生まれついた美しさというものに大変嫉妬していて、
(それをこうして堂々といえるのもここくらい)
そういうときの自分は本当に汚いと思う。

だからどうにか世の中の素敵な女性たちに、
美しさに代わる新基準を
打ち立てて欲しいなあと思う。

響子さんとても美人よ。
でも窪塚君が中谷美紀と付き合われた日にはね。
これで君の株も上がったよ。
ピンポン絶対見ます!


2テレビ
「私変わった子です」と主張したいわけでは全くない。
が、最近めっきりテレビを見なくなっていました。
教育テレビとプロジェクトXくらいしか。
映りが悪いのです。

昨日はたまたまテレビを見ようという気になって、
夜中にずーっと付けながらだらだらしていたのだけれど、
うん、なかなか面白いものです。知ってたけど。

テレビ局の人が視聴率とろうと必死になっているだけのことはあります。
浅草キッドやっぱり好きだ。
「歌の大辞典」でも彼らは冴えていた。
それから爆笑問題も好きだ。
藤井隆も好きだ。

あーお笑いばかり。

「松本伸助」も久々に見たけどほんと面白かったー。
やはり俗にまみれずして何も見えてはこないのね。


3
FRAUという女性誌を知っていますか。
私はアンアンよりも面白いと思う。
”素敵な女性になろう”、というのが核にあって
毎回面白い切り口をしてきます。

前回は「女の綺麗は映画の中にあった」で、
今回は「大人の女の作法」。
雑誌の端から端まで特集で押し切るのがいい。

ヴィクトリアベッカムに年下男の口説き方を学び、
セックスマスターでさらに「大人」、
締めには山田詠美と林真理子出してくる。

うまいねえ。
広告だらけのアンアンよりこっち買うよあたしゃ。

ちなみに毎月あるのが中村江里子の連載。
おフランスでの生活を披露しています。
今月はプチバカンスに行かれたそうです。
あー、サイゾーが突っ込みそうなねた!
うふふ。


5近況
私は相変わらず元気です。
千と千尋のビデオを買って、何度も見ました。

夏という季節は本当に大好き。
夜道ををTシャツとビーサンで歩くカップルとか、
浴衣を着た女の子とか、
もう見ているだけでノスタルジーに浸れる。

この夏は何をしようかと考えながら、今はレポートを書く日々です。

それから上の「テレビ」ネタなのですが、
「天体観測」というドラマの坂口憲二が演じている男子が好きです。
熱血、単純、馬鹿タイプ。
以前トータスが好きと書きましたが同じパターン。

「踏み込まなきゃわかんねーこともあるだろうがよ!」
と彼に一喝されるだけでぼろぼろないてしまう。


はあ、ざっとこんな感じ。
これからはまた更新できそうなので
見ていてくれた方はまた宜しくお願いします。

ほんとにありがとう。



2002年07月25日(木) HERO

洒落た扇風機が欲しい。
暑さも吹き飛ぶかっちょいいやつ。

金曜日の夜は至福の時だ。
(次の日バイトのために起きなくていいから)
今週も映画を見た。
邦画。永瀬っちが主演の、「贅沢な骨」。
良かった。

「人間はいつか死ぬ
 いつだって必要なものがあるものでもない
 あるはずのものがあることのほうが少ない」
という最後のさきこの台詞が印象的だった。

映画詳しくないけれど、”日本の若手”と言われるような
監督の作品は外れたことないな。
不思議系かと思って敬遠していたのだけれど
分かりやすい、泣ける。



映画繋がりでもうひとつ。
公開に先立って、ピンポンのコミックを購入した。
友達のうちで一気に読んだきりだったのだが、
再読して相変わらず涙してしまった。

こちらの世界とあちらの世界、現実とファンタジー、
生と死、昼と夜。

ペコとスマイルは、卓球でその間に存在できるのだ。
スポーツって凄いよね。
この間のワールドカップ見ていても感じたことだけれど。
私が音楽や小説の中に求める世界に、
彼等は圧倒的才能故に自分の力で行くことができる。

羨ましい限り。

私はスマイルのファンです。
映画、楽しみにしています。



2002年07月05日(金) Re-

高校生の時に買ったクラークスの靴が、
実は「一生もの」として使えることに気付いた。

それからこれまた高校生の時に買った
(当時としては本当に大きな買い物だったわ)
ヒステリックグラマーのオーバーオールが、
最近のワークアイテムブームにぴったりだということも
発見した。

復活愛である。
売らなくて良かった。


そういえば豆知識!(ひけらかし)
トランプが53枚なのって、
一年--53週間を表しているんですって。
赤と黒は、夜と昼が半分づつ、という意味らしいわよ。
それだけ。

じゃあねー。



2002年07月04日(木) とにもかくにも

もう七月。
早く夏になってほしいな。
どきどきする。

今日はとにもかくにも濱マイク!な一日であった。
いやー面白かった。
その上まじ泣き、マイクに惚れた。

最近テレビ自体あまりつけていないという
この若さでどうなんだ?という生活だったけど
これははまりそうです。

しかし凄い出演陣だった・・・ため息。
永瀬、実和子、村淳だけでも”超”豪華なのに
井川遥、菅野美穂に樋口可奈子様まで。
(誰が企画したんだろう、お金かかるだろうに。)

私は生まれ変わるなら実和子似の東大生になりたいな。
あ、でもやっぱりカヒミカリイ似、
または中谷美紀似でもいいや。



2002年07月01日(月) アンティーク時計と本革の鞄は一生の夢

梅雨が続いている。
洗濯物が乾かない。
バイトに行くのがますます面倒になる。
でもうちで映画を見るには、雨が最適だ。
落ち着くもの。

今日は代官山、恵比須方面に出かけた。
買い物。

(最近の私は十代の頃に比べて洋服に対する執着が
無くなってしまい、
注目のお店を調べる努力も怠りっぱなしで
新宿の伊勢丹、高島屋でちょちょっと済ませてばかりだったなあ。)

という反省を胸に
代官山周辺マップを持って歩きまくった。

一番行きたかった中目黒の「ハイジ」と
恵比須の「マウンテンマウンテン」という雑貨屋さん
(土日、祝しか開いてない!)も見つけたし、
ナショナルスタンダードの路面店や
イルビゾンテという鞄屋さんにも初めて行けた。

収穫はドレステリアでスカートと
ズッカでTシャツ(結局パルコ)、
それから雑貨屋さんでピンバッジ。

本当は眼鏡と、マルジェラのパンツ(ジーンズ生地の)も
欲しかったけれど破産するので我慢した。
一回買い出すと妄想が広がってきりがないねー。

去年の夏にマルジェラを買いはじめた頃から感じていることは
多少高くても形がベーシックで、品質がが良いものは何年でも
壊れるまで着られる(使える)、ということだ。
結果、「大変お得」となる。

事実、去年の春から私は一年中スタンスミスばかり履いているし、
去年のマルジェラのが相当気に入っているので
今年も来年も、冬のコートは買わないように思う。

”ベーシックでいいもの”という言葉自体があまりに頻繁に使われていて、
理屈で考えれば当たり前だから、
「ふうんそうだよね」と流しがちであったが
私の場合それを身を持って実感出来たのは
本当に最近である。

(「浪人時代から一着も服を買っていない」という
男の子の友達がいるけれど、
私が、彼はおしゃれだなあと感じるのはきっと、
流行とは関係ない
何年も使えるアイテムを選んでいるからなのだろう。)

しかし、流行を追わなくなったということは
守りに入ったということだ。
冒険しなくなった、ということだ。
シカゴでTシャツ漁っていた時の、
洋服に対するわくわくするような高揚感、
いい物質がでてる、というあの感じが最近の私には無くなったように思う。
娯楽としては楽しめるのだけれど、
もうアイデンティティにはならない気がする。

でも、今日イルビゾンテで
「いつか一生ものの本革の鞄買うぞ!」と決意しながら
思ったのは、これはきっと一生の楽しみたり得るだろうということ。

楽しみ、娯楽。
それでいいんじゃないかなあ、と思った。
「私には服がある!」「服を着た私が私!」とは思えなくても。
表現や思想から逃れて個人にとって”娯楽のため”にのみ
存在できることこそが、
ファッションの強みのような気もするし。

マークジェイコブスが雑誌(多分「STUDIO VOICE」)で
テロに対する何らかの反応をコレクションで表すつもりですか、
というインタビューに対して
「洋服を表現のツールとは考えていない、完全に娯楽のためだね」
というようなことを言っていたのが大変印象的で、
私はそれに賛成だなあと思ったものだ。

しかしマークジェイコブスの場合、
まさにそれで食べている人の発言であることを考えると
彼の頭の柔らかさ、そのエンターティナーとしての
才を感じずにはいられないが。

御買い物日記から始まってだらだら書いてごめんなさい。
要するに私は、
それがアイデンティティでなくなった今も
洋服を愛しているよ、ということです。
そしてそれにうんちく垂れる職を希望していたけれど
純粋な楽しみを消さないためにやめようかな、とも考えています。


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