日記
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2007年01月27日(土)

ピアノ教室の帰り道、
川沿いの土手で、つくしを摘みながら母親と歩いた。
私の、数少ない小さいころの幸福な記憶の断片。5歳の春のこと。


今年は年末、実家に帰るつもりはなくて、
「帰らないよ」と伝えていたのだけど

結局急遽12/31に実家に帰り、1/1にこっちに戻ってきた。
帰ると決めたのは2日前。

表向きの理由は、「用事ができたから」
でも本当は、
母親が胃ガンの検査でひっかかって、
再検査受けたから。
検査結果は1月中旬にわかるということで、
それまできっと不安だろうな、と思ったから。
結局、胃ガンではなかったらしい。ほっとした。

あの人は、殺しても死なないだろう、と思うけど。
それでも、ガンかもしれないといわれるとやっぱり
どうしていいのかわからない気持ちになる。

胃ガンではなかったけど、
白血球の数が異常に減ってるとかで、
それ以外の検査もいろいろ受けているようなので
なんだかまだ落ち着かない。

あの人の昔からの口ぐせ
「私は美人だから長生きできないわぁ〜」
(↑美人薄命という言葉が好きらしい)

あと最近の口ぐせ
「あと30歳若かったら玉木宏と結婚するわ〜」
(↑のだめドラマにはまっていた)


どうでもいいけど長生きしてくれよ。


あの人がいなくなるのが想像できない。
私は、いい娘ではなかった。
親孝行はできなかった。
何一つ、あの人の希望通りにはできなかった。

ひとつくらい、願いを叶えてあげればよかった。
でも、そんな風には生きられなかった。
これからも多分無理っぽい。

今幸せなのかな。
自分の好きなように生きればいいのに。
結構好き勝手やってるようにも見えるけど、どうかな。
私にはわからない。

父親の強い希望で東京の大学の薬学部に進んで
(ほんとは文系志望だったらしい)
20歳のときに父親が死んで
そのとき、お兄さんもまだ東京の大学院にいて
「母親がひとりで心配だから」と、
「お兄さんは男だけど私は女だから別に」という理由で
あっさり大学辞めて実家に帰って、家業を手伝ったりして
そのうち結婚したけど
数年で旦那がガンになり看病に追われて、亡くなって
2人の幼い子供を育てるために、働いて
数年後、再婚して
旦那が転勤族だったから何度か引越しして
そのたびに新しい仕事探して
「子供のために」と思っていろいろするけれど
子供は全然思い通りに育たないし言うこと聞かないし苦労ばっかり
でもまぁとりあえず子供は学校卒業して
やれやれ、というところで
自分の母親が倒れて寝たきりになって
何を思ったのか今まで事務系の仕事しかしたことなかったのに
突然ヘルパー2級取って、グループホームで働き出した。
(医療事務の資格は持ってるけど病院で働いたことはなかった)

以前、
「いつか自分で施設をつくっておばあちゃんを見てあげたい」と
言っていた。それが彼女の夢なのかな。
どこまで本気なのか知らないけど。
やりたいことやってるなら、幸せなのかもしれないけど。
いつも、人のために生きている気がする。私にはそう見える。
そういう風にしか生きられない人なのかな。
母親なんて、みんなそんな感じなのかな。
私は、母親にはなれないな。


私はずっと母親のことが好きではなかったし、
今でも正直微妙なところだけど、
元気でいてほしいと、それだけは心から思う。


yuri |MAIL

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