日記
【一覧】【これから】


2000年12月27日(水) 自分の事を 不幸な人間だと思っている人は



そんな事を思う余裕のある人は
本当は幸せ。

傲慢なだけ。

自分の事しか見えていないの。









2000年12月15日(金) 音楽には、その人の本当の姿が表れる?

私は、10年間、ピアノを習っていました。
途中、練習が嫌で嫌でやめたくなった事が何度もあります。
「親に強制されて、仕方なくやっている」
そんな自分自身の姿勢が、嫌で嫌で たまらなかった。


でも何より私が苦しんだ事、それは、
「まるで機械みたい」という言葉。


私は6人の先生に教えていただいたのですが
そのうち5人の先生に、こう言われました。
唯一言われなかったのは、一番最初についた先生
ただ一人だけ。

「感情がこもっていない」
「感情が、全く表に出てこない。」
「表現力が無い」
「楽譜通りでとても正確。でも・・・・」

苦しかった。
私には、ピアノという道具を通して感情を表現する事さえ
出来ないのだという事を知った。


好きな曲はいっぱいあった。
特にショパンが好きだった。
練習しなかったから、技術的には全く上達しなかったけれど。
好きな曲を弾いているときは、時間も忘れるほど、
本当に楽しくて、幸せだった。
家に誰もいないとき、のびのびと好きな曲だけを弾くのが幸せ。


反面、苦痛はどんどん私の心を蝕んでいった。
私は、自分の心の中を、誰かに見られるのが怖いのだ。
感情をあらわすことができない。
だから、人前では譜面どおりにしか弾けない。
無意識のうちに、「自分」を隠そうとしていた。
見透かされないように、身構えていた。


人前でピアノを弾くのがとても怖くなった。
不器用な私にとって、ピアノは、自分を表現できる場所だった。
それを否定されてしまった。
苦しかった。


2000年12月13日(水) 彼の肌は私より柔らかくて、温かい。


彼は、とってもつるつるすべすべの肌をしている。
私は冬になると乾燥して、かさかさしたりするので
ボディケアは欠かせない。
そんな私より彼の肌のほうが、とても柔らかくて
抱かれていて気持ちがいいのです。
身体自体は、脂肪がほとんど無くて筋肉質なので
とてもがっちりしていて、硬いのに。

そして常に体温の高い彼は、
常に体温の低い私をあたためてくれる。
「まるで氷のよう」と言われる、冷たい手足を
包んでくれる。脚を絡めてきて、「冷たくて気持ちいい」
と言いながら彼は寝てしまう。
私も、人の体温を感じる事で、安心して眠る事が出来る。

あなたに抱かれている時だけは
私の心は休まるのです。
そんな気がするだけです。


2000年12月12日(火) 20と21の違い

12月は誕生日を迎える友人が多い。
私の周りで、5人。全員同い年、ということは
全員21歳を迎えるわけです。


男にとって21と言う年は特に何か特別な
思いを抱かせるようなものではないでしょう。
でも、女の子は違う!
みんな、訳も無く焦っています。
落ち込んでいます。
叫んでいます。
「いやだーーいやだーーどんどんオバサンになっていくぅ〜〜」
ちなみに私はまだ20歳。
早生まれでよかったな、と思う。ここ数年。
年々、お肌の衰えを実感しつつ、
年々、化粧品にかかる金額が増えていき、
年々、オールすると次の日がつ辛くなってきて、
年々、どんどん酒が弱くなってきて・・・・・
年々、いろんな意味で「かわいく」なくなってきている
自分自身に恐怖を覚えるのです。


いくつになってもかわいい女でいたい。
「勘違いオンナ」にはなりたくはないけど。


しかし、みんな19から20になるときにも
大騒ぎしてたけど、なってみたら何てことは無かった。
「まだまだイケルよねー」と、開き直り。


どうせ年を取るのなら、落ち着いた大人の女の色気を
身に付けていきたいものです。
ただ老けていくのはごめんだわ。




2000年12月10日(日) 弟の傷と私の涙と

1年前の冬

弟が人身事故を起こした。
バイクで、無免、2人乗り、時速100キロという最悪の
条件で、68歳のお年寄りと接触。
被害者の方は意識不明の重体でICUへ・・・・。
何日間も、生死の境を彷徨っていた。


私は、とても不謹慎なのかもしれないけれど
何より弟の事が心配だった。


被害者の人が死んでしまったらどうしよう。
弟は一生、「人を殺した」という罪を背負って
生きていかなければならない。そんなの辛すぎる。
事故は弟の責任だ。そんな事はわかってはいても。


それでも弟の事が心配だった。


私たちは幼い頃に父を亡くして、
人が死んだ時の家族の悲しみ、大切な人を亡くした
残された者の痛みは良くわかっている。(と、私は思ってる)


しかし、事故で家族を失った者の悲しみ、憎しみは
私たちにわかるものではない。
「殺意の無い、殺人」
きっと、加害者である弟を一生恨み続けるだろう。
それだけのことを、したのだから。決して許される事ではない。
それでも・・・・・


そんなものを弟に背負わせるなんて私には耐えられなかった。
生きて、欲しかった。何より弟の為に。


私が・・・正しいとは思わないけれど
それが私の本心だったのです。


とても醜い汚い考え方だけれど私は、
68歳の老人の残りの人生と、18歳の弟の残りの人生の
重さを量って・・・比較して・・・・・
人の人生に重さの違いなんて無く、
命の重さは誰もが同じだと、理屈ではわかっていても
やりきれなかったのです。
綺麗事なんて何の意味も持たない。


私は、弟の苦しみを思うと涙が出ました。
彼が、もしかしたらこれから背負っていかなければ
ならないかもしれないとてつもなく重いものの重さを思って、
泣きました。
自分の事では泣けないのに。
私はどんなに辛くても人前で涙を流す事は無くて、
小さい頃からずっとそうやって生きてきたので
大人になるにつれて、例え一人の時でも、どんなに泣きたい
時でも涙が出てこなくなって、
滅多に泣けなくなってしまっていました。
たまに、壊れてしまうと泣いたりしますが。
そんなことも最近は殆どなくなっていたので。


被害者の方はその後奇跡的に意識を取り戻し、
本当に奇跡的に回復して、順調に退院され、
その後はリハビリに通われています。
奇跡的に、ほとんど後遺症も残らず・・・・
年齢の割には、驚くほど元気で体力のある方だったそうです。
もし、頭か腰を強く打っていたら、一生ベッドから
起き上がることは出来なかったでしょう。
私は、神なんか信じてもいないくせに
神に感謝しました。


最初は、治療費、入院費、慰謝料で、何千万かかるかわからないと
言う話だったのだけれど、結果的には「何百万」という単位で
済むことになっていったので、
私は大学をやめて働こうかと思ったのだけれど
その必要はなくなったので今でも大学に通っている。
「弟のために、真理子の人生まで狂わせてしまうわけにはいかない」
と、母が言った。
私は別に弟のために大学をやめるのはかまわなかったが、
後々、自分の人生の責任を弟のせいにして
弟を責めるなんて事はしたくなかったから、
私は今の私に出来る事をしよう!と思い、
結局大学に通う事にした。
それが、私に出来る唯一の親孝行のような気もした。


さて、うちの弟はほんとにバカでどーしようもない人間なので、
12月中はさすがに、自分のした事の罪の深さに震え、
苦しんでいたのだけれど・・・・・・
やがて被害者の方の意識が戻り、「失明しているかもしれない」
と言われていたのにしていなかった事がわかった時点くらいには、
もう完璧にいつもの弟に戻って、遊びほうけていたのでした。
ああ・・・・・立ち直り、早すぎ。
3月にはまたまた悪さをして警察のお世話に・・・・・
(両親が留守だった為、私が引き取りにいった)
あれだけの事をしておいて、罪の意識を忘れる早さには本当に
呆れるよ。なんてお気楽なんだ。


例え彼がどんな罪を犯しても、うちの両親はとっくの昔に
彼を見捨てているけれど、私だけは彼の味方でいようと思う。
本当にどーしようもない弟だけれど、
それでも私は愛してる。多分。
彼の心に、深い深い傷が残らなくって本当に良かったです。


2000年12月09日(土) 孤独

人は一人では生きられない。
人は皆、誰かに支えられて、生きてる。
私も周りの人達に支えられて生きてる。
なのに
何故こんなにも孤独を感じながら、
寂しいと思いながらも心を閉ざし、
生きるの。
こんな風にしか生きられないの?
私はこれからもずっと孤独なんだ。


私は誰かを支えてあげられるだろうか。
私は心から誰かを「愛する」なんて事が
いつか出来るようになるのかな・・・・・。(ムリ)


きっと誰もが孤独なのだ。


痛みを誤魔化しながら、目を背けながら、
笑顔をつくっても心の中で真っ赤な涙を流しながら、
妥協しながら生きて、それが出来ない人は壊れてしまう。


幸せになりたい、そう強く強く思いながらも
幸せとは一体何なのかがわからなくなって。


きっとみんなそうやって生きていく。




負けないで。


2000年12月08日(金) ポルノの色香

金曜の夜に家にいるのは久し振りで。
2ヶ月振りくらいに、「ミュージックステーション」
を観ることが出来たので、ちょっと嬉しかったりなんかして。
ポルノ、いいですね。
「アポロ」とか、「ミュージック・アワー」とかの曲には
何の興味もなかったんだけど、(何?とか思ってた)
「サウダージ」を始めて聴いた時には、
ボーカルの声!に色気を感じてクラッっときちゃった。
そんなわけで、私はポルノのファンではないけど
「サウダージ」を歌っているポルノのファンなのです。一時的に。
で、今日は新曲を披露していたので、どんなんかなー
また前みたいにポップなノリに戻ってたらやだわーとか
思いながら観てたんだけど、そんな事はなくてなんかほっとした。
「サボテン」という曲自体はやはり前回と比べてしまうと
私の中では印象の薄い曲のようだったけど、
やっぱり、あのボーカルの人の声から感じる色気に
私は溶けてしまいそうになりました。
なんかわかんないけど凄い感じるの。
この表現はなんかエロいな。


で、「たけしの誰でもピカソ」も観たんだけど、
秋吉敏子さん、カッコイイ。
そしてやはりピアノはSTEINWAYでした。
うちの実家にあるのは普通のヤマハのグランドピアノ。
誰にも弾いてもらえなくて
何年もほっとかれて調律もしていなくて
音が狂いまくってるので、
とても可哀想になる。
弾いていても、何だかピアノが泣いているよう。
音がおかしくて気持ち悪くなる始末。
君も、こんな家に来なければ、もっと素敵なメロディーを、
歌う事が出来たのにね。
弾いてる私まで、悲しくなってくる。
歌うようにピアノが弾きたかった。
たった130万の、おもちゃのようなグランドピアノでも、
秋吉さんのような人に弾いてもらったら、
人の心をわしづかみにするような音を
響かせる事が出来るのでしょう。きっと。


人の心を動かすのは、
言葉じゃない。
そう、思うけど
私は何も持ってない。


2000年12月07日(木) あたしは何時もボロボロで生きる

私は人と接する時、思いっきり距離を置かないと
他人と関わる事が出来ません。

そのようにしないと人間関係のバランスを保つ事が出来ません。
不用意に距離が近付き過ぎると、
呼吸が苦しくなってしまいます。
なれなれしい人は嫌です。
最初は他人行儀に接してくれる人が良いです。



でも、寂しがりや、だったりします。



特にここ1年くらいは、自分の周りの人間と、
なるべく狭く、浅く、付き合っています。
自分が生活していく上で必要のない人、面倒臭い人、バカな男、
どんどん切り捨ててきました。
かなりすっきりした。



でも、寂しかったりもします。
どうすればいいのかわからない。



器用に生きられない自分の生き方を、
かなしく思うときもあります。

いつか、人に心を開けるようになる時は来るのかな?
そんな時は永遠に来ないってわかっている。


私は椎名林檎がスキです。
しかしあまりにも流行ってしまったので、
どうなんだろうね。ひねくれてる私はみんながいいと
思うものが好きって言うのはなんか嫌な人なんだけど。
それでも、そんなことに関係なく椎名林檎はスキ。
友達と歌舞伎町で飲む時は必ず、その後カラオケ行って
「歌舞伎町の女王」歌っちゃうし。たまに取られるけど!
「流行っているものは良くない」と言う考え方の人、
特に、「ちょっと音楽にはうるさいんだよね」系の人に
多いんだけど、それってどうなの?ってかんじ。


関係ないよね。
みんな、「自分は特別」って心のどこかでそう思いたいの。
私は何の取り得もないつまんない人間です。
こんな私でも、そう思いたいの。


2000年12月06日(水) 四大文明展と美白の女王

9月に四大文明展を観に行ったのだけど、
(エジプト、メソポタミア、インダス、中国)
レポートの提出締め切りが明日・・・
「まだ当分先だから、そのうちやればいっかー。」
って思ってたら、もう明日!!

昨日、2時間しか寝てないのに、今日は徹夜だ・・・。
病み上がりなのに〜〜(自業自得だけど・・・)
大体、締め切りが遅いのはいいけど殆ど憶えてないしほんと困る!
締め切りまで長すぎるのも考えものだね。
仕方ないので今日は一生懸命図書館で調べ物。それだけで疲れたーー。
って言うか、前日に始めるなよって友達にも言われたけど、
追い詰められないと出来ない。いつもいつもいつも。


一番憶えてる事は、最終日に横浜の「中国文明展」観た帰りに、
横浜中華街にてゼミの先生お勧めのお店でお食事した事!!
美味しかった♪



ねむい。
カフェインの錠剤を飲んで頑張る。

どうして、眠りたいのに眠れない、そんな苦しい夜は
もう慣れっこになってしまっているのに、

・・・・どうして、おべんきょーしてると
こんなにもねむいのか・・・・・。

締め切り、明日の午後1時なんです。
今、「あ、まだ結構時間あるな」と思ってしまった私って・・・。



今知ったんだけど、鈴木その子さん、
お亡くなりになったのですね。
最近テレビでほとんど見かけなくなってたけど・・・
なにげに結構好きだったから、かなしい。
2年半くらい前?深夜番組で見た時はほんとびっくりしたんだけど。
インパクト強すぎだし!
でも、話すととってもおちゃめでかわいかったよ。
だから、1時期ハマってほぼ毎週見てた(笑)

さて。
これからレポートがんばろ。



2000年12月05日(火) 風邪

風邪をひいてしまいました。
あまり身体が丈夫なほうではないのかもしれません。
でも、後期に入って毎日がとても忙しくて、
そういえばあまり睡眠をとっていませんでした。


先週の水曜日は1日中寝ていました。
ベッドから起き上がることすら出来なかったのです。
彼が、心配して来てくれました。
おうどんをつくってくれました。
ほうれん草と、ゆでたまごがのっていました。
とても、嬉しかったです。


そういえば、大学1年の時はよく40度以上の熱を出して、
寝込んでいたっけ・・・・
しかしここ1年程、とても丈夫になったのは
「心が強くなったから」だと思う。
「病は気から」と言うように。


健康が一番大事。健康を害すと、何も出来なくなってしまうから。
風邪で寝込んで、何故か、父のことを想いました。
私が風邪をひいた時、
いつも果物の皮を、むいてもってきてくれました。
私は何故か、血のつながった母よりも、
血のつながりのない、でも大切な、父のことを想いました。


風邪はだいぶ良くなりました。
日曜日に、バイトを休んで一日中寝ていたから。
月曜日は渋谷と新宿にお買い物に行ったし、
火曜日(今日)はちゃんと学校にも行った。


お父さんにメールでも送ろうかな。


yuri |MAIL

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