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東京と清水の結婚披露宴 2006年05月27日(土)

 今日は2つの結婚披露宴に出席。
 午前は東京で、波多野健くん。古くからの妻の仕事仲間で、昨年の選挙の際には10日以上泊まり込みで来てくれて、学生をはじめとする若手応援団を引っ張ってくれた。
 午後は地元清水。常日頃、本当にお世話になっているアキヤマ建設の秋山4兄弟の3男、聡さん。次男の浩史社長のブログでは、私への応援メッセージも書いて下さっている。
 身近な方の晴れ舞台に同席させてもらうのは、本当に嬉しいこと。
 ちなみに、秋山4兄弟の4男ダイスケ君は、静岡の街中でおいしいレストランバー「キッチン・トロトロ」をやってます。ぜひ行ってみて下さーい。


岡田克也元代表が清水に!党員サポーター集会 2006年05月26日(金)

 「田村けんじ党員サポーター政治セミナー」を清水テルサで開催。スペシャルゲストは岡田克也元代表。10分のご挨拶の後、第二部としてシンポジウム。パネリストは岡田元代表と榛葉賀津也参議院議員、コーディネーターは田村。参加者から集めた質問を2人に投げかけ、私もコメント。

「千葉7区補選の勝利の要因は?」
榛葉:太田和美さんは「キャバクラのバイトも社会経験になった」と
   答え、肝がすわっていた。
「民主党はバラバラではないのか?」
岡田:バラバラでいい。党が政策をまとめたときは、それに沿って
   しっかりとまとまるという体制が出来ていればいい。
榛葉:派閥が未だに幅をきかせている自民党の方がよっぽどバラバラ。
「格差について」
岡田:仕事において大きな要素は才能・努力・運の3つ。「運」について
   出来る限り機会平等になるようにするのが政府の責任

参加者にも結構楽しんでもらえたようで、初めての試みだったシンポ形式も成功だったと思う。


スポーツ&募金&ジャズ 2006年05月21日(日)

 5月は、清水の各地区で父親ソフトボールと婦人バレーボールの予選が行われる。各地区の優勝チームが清水区全体の本大会に出場する。
 今朝は、入江地区の運動会の開会式でご挨拶をさせて頂いたあと、船越地区での婦人バレーボール大会と父親ソフトボール大会の開会式に出席。
 スポーツ大会に顔を出させてもらうのは大変有意義だが、それだけでなく、自分も運動しないと、最近どうも腹回りが・・・ 

 午後は、妻と1歳半の娘も一緒にユニセフ募金活動に参加。
 その前に、妻が娘を事務所に連れてきた。まだ速めのヨチヨチ歩きだが、壁に貼ってある私のポスターを指差して「パパ、パパ」と言っている。私が抱っこしても、何度も。普段、私がいないときに、家に置いてある名刺や家の外に貼ってはるポスターを指差して「パパ、パパ」と言っているそうで、いわば職業病?
 スーパー前での1時間あまりの募金活動の後、家族3人でエスパルスドリームプラザへ。ドリームプラザの港に面したテラスで、日々まちづくりに尽力している有志の方々がジャズフェスティバルを開催していた。気持ちのいい海風が吹く中、ジャズを聴きながらのんびりとビールを・・・。サイコーな気分だが、時間の都合で短時間しかいれなかったのが残念!
 年中無休で、朝早く家を出(るか、東京に泊まり)、夜遅く帰宅するため、なかなか娘が起きているときに会えないが、今日はホントに久しぶりに結構長時間、家族一緒に過ごすことが出来た。楽しい一日。


静岡JC主催「地域ネットワーク・シンポジウム」/清水のバラ! 2006年05月20日(土)

 東京から静岡に引っ越したのが3年前の1月。3年前と一昨年、清水青年会議所に入会を希望して却下されたため、昨年、静岡青年会議所に入会。今年の1月に静岡青年会議所・清水青年会議所・駿河青年会議所(庵原3町)が合併して、新「静岡青年会議所」となった。私は地域ネットワーク委員会の幹事。委員長と2人の副委員長に幹事の私が「スタッフ」で、メンバーは計15人。
 今日、地域ネットワーク委員会が企画した「地域ネットワーク・シンポジウム」開催された。福祉・教育・環境・まちづくりなど様々な分野で活動するNPOやボランティアの方々にも参加してもらい、分野別に6つのシンポを同時開催。
 その前の全体集会の基調講演の講師には、河村たかし衆議院議員!あの独特の語り口で、大いに会場は沸いた。
 300名くらいの方々が参加して下さったが、事前告知が十分でなかったため、青年会議所の外部の方の数は満足いくものではなかったのが大きな反省点。


大きな政府?小さな政府?ほどよい政府?良質な政府? 2006年05月17日(水)

 「小さな政府vs大きな政府」研究会という民主党議員有志の勉強会に参加している。今日はその第5回。講師は東大経済学部の神野直彦教授。
 小泉首相はかねて「小さな政府を目指す」と言っているが、例えば、欧米諸国と比較した場合、国家公務員の数は少ないし、国民のために政府が支出している医療費は低い。何を基準にするかで見方は異なってくるわけだが、色々な指標を見て、日本の政府は決して「大きな政府」ではない。すでに小さめの政府とも言えるかもしれない。もちろん、公務員の天下り先となっている特殊法人で廃止すべきものは未だに沢山あり、そういう「ムダ」は徹底的に削らなければならないが、その一方、特に社会保障(医療・年金・介護)にかかる費用はこれからますます増加するのは必至。
 神野教授は、社会保障をはじめとする政府が国民に提供すべきサービスは、充実すべきものは充実し、その分、必要な費用(政府の支出)は、国民にしっかりと負担してもらう。有能で有効に機能する「ほどよい政府」を主張している。
 この研究会の第1回の講師であった立教大学経済学部の山口義行教授も、同様の趣旨で「良質な政府」を目指すべきと言っていた。
 確かに、今、日本の国民の負担(税金&保険料)は、欧米と比べても随分と低い。世界一の少子高齢化社会において、質の高いサービスを提供する政府に対して、国民も納得した上で必要なお金は負担をする、という社会を目指すべきなのだろう。


新しい秘書とインターン 2006年05月08日(月)

 今日から草薙事務所に新しい秘書が加わった。渡辺さん。音楽関係の会社を定年退職したばかりの方で、地元に色々な人脈をお持ち。
 今晩は、歓迎会。場所は、草薙の「なすべえ」。清水と静岡に10の飲食店を展開しているなすびグループのお店の1つ。社長と常務の藤田兄弟とは静岡青年会議所のお仲間で、予約したことは伝えていなかったのに、わざわざ常務がお出迎えしてくれた。同世代で頑張っている仲間は、会うたびに刺激を受ける。
 ちなみに、議員会館の事務所には、今月から2人の学生インターン(東大3年と一橋大4年)が来てくれる。どちらも週1回程度。2人とも、昨年の春以来、インターンをしてくれていた池上さん(一橋大4年)の紹介。そのうち、東大3年は実家がなんと草薙。池上さんに感謝!インターンの日記は「tamuken fun」(トップページから)をご覧下さい。


台湾訪問記 最終日 2006年05月04日(木)

 朝、行政院外交部次長(外務省事務次官に相当。女性)と面会。外交部での長いキャリアの中で日本との縁は無かったそうだが、日本に対して非常に好意的。私も次長に対し「台湾と日本の関係強化のために、今後、議員として精一杯努力します」と強調。

 228記念館を視察。戦後、本土で中国共産党との戦いに破れ台湾に拠点をおいた中国国民党は、自分たちを外省人と呼び、台湾人を本省人と呼んで差別し、圧政をしいた。47年2月28日、台湾人の不満が爆発し、暴動が勃発。国民党政府は3万人近くの台湾人を殺害して、暴動を鎮圧。それ以降、戒厳令が敷かれ、台湾人の政治活動を徹底的に弾圧した。その国民党も、88年に李登輝氏が総統となって以降、民主的政党に変貌していく。
 ボランティアで記念館のガイドをしている73才の方が、ずっと説明についてくれた。「久しぶりに日本語をしゃべるよ」と嬉しそうに言い、「中国は本当にヒドイことをしたよ。日本は、昔、とってもいいことをした」と、1時間近く、色々なことを教えてくれた。

 私たちのリクエストで、外交部の方に、麺類が食べられるこぎれいな食堂に連れて行ってもらう。ボリュームもあり、おいしい!
 午後3時に台北をたち、帰りは4時間半で成田へ。

 実質2日半の台湾滞在だったが、様々な分野の方々にお会いすることができた。
 何人かから、戦前の日本統治を高く評価する声を聞いた。道路・鉄道・下水・灌漑などのインフラ整備、教育、医療など、日本政府が整備し、台湾は急速に発展した。だからこそ、台湾では親日感情が強いのだろう。
 多くの方が、現在の日本の外交については、中国に対する配慮から、なかなか台湾との関係強化に踏み込めない日本の立場に理解を示しつつも、「中国は、靖国や領土問題などすべて外交戦術の一貫として強硬な姿勢を貫いているのだから、日本はもっと毅然とした態度を取ってほしい」という考えを持っていた。
 日本の外交において、日米関係が基軸となることはもちろんだが、日本はもっとアジアを重視しなければならない。中国が共産党独裁体制である限り日中の緊張関係が解消することはないとするならば、日本は、台湾や東南アジアとの関係を一層緊密にすべく努力しなければならない。台湾ほど親日的な国は他にない。
 私も、日本と台湾の友好関係がさらに深まるべく、地道に、多くの台湾人との交流を深めていきたい。


台湾訪問記 3日目 2006年05月03日(水)

 午前はまず中国国民党へ。総統府のビル(日本統治時代からの建物)と広場をはさんで向かい合った立派なビル。近日中に売却されるとのこと。政権交代で野党に転落したためだろう。青年部の事務局長(女性・元市議会議員・30才前後?)と面談。日本の自民党と同じく、全国に青年部が組織化され、ボランティアを中心とした活動が続けられている。

 民主党には青年局というものがあり、泉健太議員が局長。私と田名部氏は次長。今回の訪台も、もとは、台湾政府から民主党青年局にご招待があったのだが、民主党本部から「党の組織が公式に訪問するのはいかがなものか」と言われ、青年局として訪台という形ではなくなった。
 民主党青年局は、泉局長以下、次長(国会議員)が8名、党本部職員が3名ほどいるが、地方には組織がまったくない。民主党がまだ結党して8年目である上、泉議員が局長に就任した昨年9月まで数年間、活動休止状態にあった。泉局長の尽力で、国会での活動(学生インターン受入や渋谷街宣活動など)は活発になってきたが、地方組織の立ち上げはこれからの大きな課題だ。
 私も、地元のボランティア活動などで、何度か自民党青年部の方々とご一緒したことがあるが、私の地元はもちろん、全国で民主党青年局所属の若者が活動している、というようにするのは、党としても大きな目標。

 国民党に続いて民進党へ。
 ちょっと台湾の歴史を振り返ってみると、日清戦争終結後1895年から第2次大戦終結の1945年まで50年間、日本の統治下にあった。それから87年に戒厳令が解除されるまでの40年あまり、国民党の一党独裁体制。民主化が進んでからまだ20年足らずだが、2000年には政権交代が実現し、今まで民進党政権が続いている。
 国民党の立派なビルと対称的に、民進党はビルの数フロアを賃貸している。民主党(小さなペンタックス・ビルの4フロア)よりはマシな程度。
 民主党は、民進党が野党時代から、互いに政権を目指す同士、交流があった。そのため、民進党幹事長(議員ではなく党職員)が面談に応じてくれた。4年前に、アジアのリベラル政党が集まって開催された政党シンポジウムを再び開催しようという提案のほか、2008年の次期総選挙で中選挙区制から小選挙区制になるので、日本の小選挙区制について学びたい(資金的に視察が無理なら講師を呼ぶ)との要望があった。昨年、民進党議員数名が日本を訪れた際には自民党青年部が群馬に泊りがけで歓待してくれたとのこと。
 民主党も負けてはいけない。というよりも、民進党との古くからの付き合いを大事にし、依然野党である民主党が与党となった民進党と交流を深めるには、相当の努力をしなければと痛感。

 民進党の若手議員3名と昼食。台北市選出の女性議員(30代)は、日本語を習い始めてまだ2年というのに相当のレベル。秋の台北市議選に向けて、候補者とともに自転車で挨拶回りをしているとのこと。都会の若手議員が自転車で走り回るのは日本も台湾も同じだ。高雄市選出の議員(40代)から、次回、ぜひ高雄にも来てほしいと嬉しいお誘い。

 台北101(アジアで一番高いビル)の展望室へ。今回の訪台日程で観光と言えるのは、これと明日の228記念館だけ。TAIPEI101を建築したのは日本のゼネコン。世界最速のエレベーターは東芝製。曇りの天気のため、遠くまで見渡すことはできなかったが、台北を一望できた。
 台北101のすぐ横には市役所があり、その周辺も綺麗に整備されている。日本の都市整備が、私権(個々人の土地所有権)を優先するあまり、道路は狭く、ビルや住居が雑然と並んでいるのとは対称的だ。

 行政院大陸委員会の委員と面談。WHO(世界保健機構)への加盟支援を要請された。台湾は、サーズなどの教訓をしっかりと活かし、鳥インフルエンザが発生していないアジア唯一の国であるのに、WHOの加盟さえ中国が妨害すると嘆いていた。

 交流協会(日本政府の台湾への窓口)のセッティングで、日本企業(SONY、伊藤忠など)の台北勤務の若手と夕食。台湾人は、貧富の差が激しく、金持ちはものすごい資産を持っている。1000人当たりのベンツ所有台数は世界一。そのうえ、お金持ちほど二重国籍を持っていて、国に社会貢献したいという気持ちが薄い、という話を聞いた。国として認められていないがために、国への愛着も薄れてしまうのだろうか。


台湾訪問記 2日目 2006年05月02日(火)

 台湾は、国民投票で選ばれる総統(現在は民進党の陳水扁氏)のもとに総統府があり、それとは独立した行政院(いわゆる政府)の院長、及び行政院の各部(日本の各省庁)の部長(日本の大臣)と次長(日本の事務次官)は総統が任命する。そして議会(立法院)は一院制。
 午前は、総統直轄の国家安全会議の委員と面談。日本の大学で教鞭を取ったこともある若手(38才)。日本から台湾への修学旅行の後押しを依頼された。民主党に対しては、党のアジア外交政策に「台湾海峡の安定・現状維持」という言葉を入れてほしい、と要望されるとともに、台湾での2000年の政権交代以降の経験を踏まえて「政権を取るまでに、各分野の政策についてしっかりと議論を重ね、意思統一をしておくことが重要」とアドバイスをもらった。

 台湾駐在の日本人会の幹事の方々(三菱商事と双日)と面談。中国進出する前のステップとして台湾に進出する日本企業が増えているとのこと。また台湾華僑は中国ばかりでなく東南アジア各国でビジネスをしているので、そのネットワークから得られる情報が非常に有益らしい。
 台湾の中産階級以上の人ならば、親戚の誰かが海外に住んでいるというほど国際化が進んでいる。
 その一方、日本へ留学する台湾人が減少傾向にあることを危惧しており、奨学金制度の充実を希望していた。台湾に限らず、アジア人の海外留学はアメリカをはじめとする英語圏が圧倒的に多くなっている。世界共通語である英語という魅力で敵わない面もあるが、日本の大学教育を海外から見ても魅力的なレベルにするには相当の改革が必要だ。私が、議員として、財政に次いで重点をおきたいと思っている課題の一つ。

 亜東関係協会主催の昼食会。台湾と日本は国交が無いため、それぞれが窓口となる外郭団体をつくっている。日本側は交流協会(在台湾)で、各省庁から出向している。台湾側は亜東関係協会だが、外交部日本事務会と実質的には一体化している。
 各党(民進党・国民党・台湾団結連盟)の立法院委員(議員)も、国会開会中の忙しい時間を割いて顔を出してくれた。

 午後は、行政院の副院長(女性)と面談。台湾は、日本よりはるかに、政府高官や議員の女性の割合が高い。議員は、女性枠(20%程度)が設けられている。


台湾訪問記 2006年05月01日(月)

 1日から4日まで台湾を視察した。民主党衆議院議員の2期目同期の泉健太氏(31才)と田名部まさよ氏(36才)と3人で。田村と田名部氏は始めての訪問。
 台湾は、人口2200万、GDPでは世界で20位以内に入り、1人当たりGDPでは韓国と肩を並べるレベルまで経済発展を遂げているが、ほとんどの国から国家として認められていない。日本とも国交は無い。中国が「台湾は中国の一部。台湾を国家と認める国とは外交を断絶する」と言っているからだ。そのような厳しい状況の中で、長期的な視野から外交努力を続けている。それこそ、「数十年後に中国が民主主義国家になったときに向けて」というように。今回の私たちの訪問も、台湾政府から招待されたもので、外交部日本事務会(外務省日本課に相当)が日程などすべてをアレンジしてくれた。
 成田から台北まで3時間半、午後7時に到着。首都台北は綺麗な大都市だった。広い道路がはりめぐらされ、高層ビルやマンションが立ち並ぶ。5月には最高気温が30度位になり、日本の感覚ではもう夏。

 外交部日本事務会の方々と会食。皆、日本語はペラペラ。日本語が出来る人は、大体、英語も出来るとのことなので、台湾語(母国語)と北京語、そして日英の4ヶ国語を話せるということ。日本駐在経験もある外交部OBと大阪大学とアメリカに留学経験がある国際政治の専門家も同席。
 かねて聞いていた評判通り台湾料理はおいしい。紹興酒を一口サイズのグラスで乾杯し合う。台湾では、自分が飲みたくなったら誰かと乾杯して飲むというのが礼儀だそうだ。
 台湾の人が日本を訪問する際の国際免許証の取得を容易にして欲しいという要望を聞いた。そんなことまで、日本政府が中国に遠慮しているとは正直驚いた。台湾人には日本の中でも特に北海道が人気。雪や流氷、広大な眺望などが魅力とのこと。台湾からの年間訪日者数130万人のうち20万人が北海道へ行く。北海道旅行なら、やはりレンタカーを運転しながら、というのがいいに決まっている。日本に帰ったら後押ししてみよう。


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