きまぐれがき
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2006年03月22日(水) もやもや〜

庭のミモザが満開。といっても2年続けて寒肥を施すのを
忘れたので、弱々しい花房。
枝を一抱え折って花瓶に挿したとしても、キスリングの
ミモザには程遠い姿だろう。


母が大声で呼ぶので何事かと行ってみると、
「パパ公は今どこにいるのかしら?」
自分の夫のことを忘れている。
「死んだでしょ」と、あっさり答えると顔色が変って
「何時!?知らなかったわ」
怯えた顔、いまにも泣きそう。

最近、このやり取りの繰り返しばかりだ。

決して忘れるはずがないような記憶が消えていく。
それが不安だという意識がまだ本人にあるのでパニックに
なるのだ。

日に何度もこの呼び出しがかかるたびに、胸がズキンと痛む。
私の不整脈の原因はコレなのか。




2006年03月14日(火) ついにオダブツか?

半年ほど前から、心臓が重苦しいような、カエルでも住み着いて
心臓の壁に足蹴りいれてない?といった感じでもあったのが、
昨晩は殊にひどくて眠ることに集中できなかった。

ああ私もとうとう死ぬんだな。
朝になったら死んでいる私を家族が発見するんだ。

黄泉の帝王トート閣下は出迎えてくれるのかしら?
あやつは選り好みが激しいからそりゃぁ無理ってもんだろう。
死んでいくのに同伴者なんかいらないや。
産まれてきた時のように一人でいいさ。

などとあれこれ思い巡らしているうちに夜が明けて、私は生きて
いた。
陽の光を見ると、さっきまでの弱気はどこへやら、死んでなんか
いられるかという気になってくる。

罹りつけの医者は、何年か前にお父さん先生が亡くなられて今は
若先生だ。母のところへ定期的に往診に来られる先生でもあるの
で、なんだか顔なじみの人に裸をみせるのは恥ずかしい。
だから昨年風邪をひいて高熱が出た時には、わざわざ家からだい
ぶ離れた知らない内科で診てもらったりしたのだ。

しかし今回のカエルの動きは、事が重大かもしれない。
もし私が死んだあとに、自分ではない他の医者に罹っていたと若先
生が知ったら気を悪くされるだろうか?裏切られたと感じるだろうか?
医者に裸をみせるぐらいのことで、どうしてこうも思い悩まなくては
ならないの。さっさと脱いでくりゃぁいいのさ。

で、行って来ました。

「カエルが。。カエルが。。」としか説明できない私。
それも不整脈の一種でしょうと心電図を測って、心室性期外収縮と
の診断。
基本的には治療の必要はないとのことだけど、このカエルの足蹴り
ほんとに不快なのだ。



2006年03月03日(金) 仇をするんだ。ぶるぶる

いつの頃までだったか、母は書店のレジの横あたりに平積みされ
ている高島易断の暦を買ってきては、誰かにお金をあげる時とか
お雛様を飾る時など事あるごとに頁を繰ってはやたら大安に拘っ
ていた。クリスチャンでもあるのにだ。

ダイニングに行けばテーブルの上に「いついつはお日が良いので
お雛様を飾るように」と書かれたメモがおいてあったり、PCの前に
すわれば同じメモが貼り付けてあったり、さらに人の顔さえみれば
大安のうちにはやく飾れと、せきたてるので鬱陶しくてたまらなか
った。

何も言われなくなったらなったで寂しいものがある。

言われなくなった途端、昨年などは飾らなかったもんな。
今年は「毎年飾ってあげないとお雛様が仇をするの」とも言ってい
た母の脅しを思い出し、昨晩あわてて立雛だけを並べてみた。
今日はちらし寿司を作って、お雛様に召し上がっていただいた。

夕食にちらし寿司を母のところへ持っていくと「今日お雛様!?」
お!分かっているじゃないの。あれほど拘った高島易断の暦のこと
など記憶からきれいさっぱり消えているようだけど。





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