きまぐれがき
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2004年11月28日(日) 石原兄弟のヨットは伯爵夫人

日が変る時刻辺りにこの日記を書き始めるせいか、前回の日記から
一日ずつ日にちがずれてしまっている。。

したがって27日。土曜日。
家人の知り合いが、日本には二艇しかないヨットに乗せてあげるから、
とにかくベルポート芦屋へ来なさいと言うので、そのヨットの持ち主が
誰なのか、他にどのような人たちが集まるのかも訊かずに、Mちゃん
を誘って出かけてみたが。

ひときわ眩しく目立って。


10数人の初対面の方達との瀬戸内海クルージング。
おじ様ばかりで、それもメトレス連れですよ〜 どうなっちゃっている
のだろう。
油壷夫人のヨット仲間の湘南野郎とはまったく異なる雰囲気に、度肝
を抜かれたが、メトレスに配慮して詳細は書けないのだ。。カンニン。。

芦屋浜がだんだん遠くになっていく。


真新しいヨット、キャビン内にはまだビニールが被ったままになっている
家具などもあり、このベッドヘッドのビニールも剥がしてなかったので、
多少は躊躇われたが恒例のゴロリンポーズで記念のパチリ。


所有者はこちらのおじ様でした。関西では名の知れたビル持ちだとか。
左はMちゃん。


明石海峡大橋を望んで。


初対面の人たちの中に放り込まれて、確かに時を過したという感覚が
得られないままの不思議な一日だった。


2004年11月27日(土) おせちに恨みはないけれど

毎年デパートにおせち料理のカタログが置かれる時期になると、つい
出来合いのおせちを予約してしまおうかと思う。

今年も、各デパートのおせちを見比べてみようと、カタログをもらって
きて、ぶったまげたのがこちら。
某有名料亭のおせち525,000円! このお値段にである。



どこをどうしたら、こんなお値段になるのかと、食べたいおせちかどう
かも考えながら、ジィーッと見てみる。

ふぅーむ、キャビアやトリュフには驚かない。フォアグラにだって別に
心を動かされない。お正月だからといって、とりたてて食べたいとも思
わない。
唐墨に金箔を巻いてくれても、私はケーキの上に乗っかっている金粉
だって、よけて食べたいのだから金箔は邪魔なだけだ。
このわたにうにと言われても、うには下関の粒うにだけが私の生きが
いなのだし、このわたは嫌いだ。

この他にも高価らしい食材を、これでもかこれでもかと詰め込むと、こ
んなお値段になるのだろうか。。と、もう一度、カタログに目を近づけて、
さらにジックリ見てみる。

世界や日本の珍味を豪華絢爛盛り込んでしまうと、それに見合った器
で釣り合いを取らなければならない、それにはやっぱり、輪島塗の蒔絵
をほどこしたお重に決まりだと、誰かが言ったかどうかは知らないが。。
この二段重は輪島塗らしい。

その輪島塗を目利きが選ぶ、当然高価な品になる。
なので、もしかしたら食材よりも輪島塗のほうに、値が張ってしまった
のではないかと、私は勝手に想像する。
今年の初めに輪島に行った時に、輪島塗を見て歩き、どんなに高価で
あるかを、ため息つきつつ思い知ったからだ。

それと、今、気がついたのが、小さな字で記してある
「この品は特別に高級車でお届けに上がります」だ!

もう可笑しくて、家族中に触れて周ってやった。

遺体を運ぶ霊柩車にだってランクがあるのだから、おせちを運ぶ車にも
ランクがあったって不思議ではない?



2004年11月21日(日) 今年はトートで幕

またまた横浜気圧は南下して来ていた!

混雑している阪急インターナショナルのナイト&ディの入り口で、
会計を済ませて出て来た横浜気圧と呼んでいる横浜のSちゃん
(11月7日付日記参照)にバッタリ出逢ったのだ。
ただひたすら内野トートだけを観て来たので、このへんで山口
祐一郎のトートを観てみなくては話にならないと、今頃になっ
て、お互いが悟ったというの?

梅コマだけではなく、ドラマシティも開演時間がこれからなのだろ
うか。辺り一帯がやけに人が多くざわついている。
ああ今日は大安だったのか?
阪急インターナショナルで式を挙げたらしい何組かの新郎新婦の
カップルが、クリスマスツリーを背景に写真を撮ってもらっている。
その新郎新婦を取り巻く親族や友人たちで賑わっているのだ。
うぅいいなあ〜愛する人と共に歩む人生か。。
私もあの日に戻りたい、けど戻れない♪



ナイト&ディの飲食代が、梅コマかドラマシティの当日のチケットを
見せると10%offになることを今日知った。
ドラマシティで配っている小冊子の裏表紙を何気なく見て知ったのだ。
阪急インターナショナルがオープンした当時からずっと利用してきて、
何故それに気がつかなかったのか。
会計の時に「チケットをお持ちでしたら。。」なんてことを、言われた
ことがなかったからだ。
なんだか、こっそり割引してやっているというようでイヤな感じ。

それにたかだか10%offに拘って、こんなところにぐちぐち書いて、
どうせ阪急のやることさなんて、阪急に八つ当たりしそうな、とても
感じの悪い私。はぁ?


で山口祐一郎のトートはといえば。。あとは内野トートの楽で今年の
舞台を締め括ろうとの思いを強くしたとだけ、書いてしまおう。

2005年、年明けにはアダム・クーパーの「危険な関係」と藤原竜也の
「ロミオとジュリエット」が待っている。
藤原竜也、ハムレットの時のように、指先から頭髪の先までロミオで
漲っている舞台姿を見せてくれるだろうか。


2004年11月19日(金) エリザベス・レックス

エリザベス女王(タイトルはエリザベス・レックス、すなわちエリザベ
ス王であるけれど、ここでは女王と記します)の愛人エセックス伯の
処刑前夜から処刑が行われた早朝までを、シェイクスピアが回想す
るかたちで始まる物語。。

シェイクスピア一座が楽屋として使っているウィンザー城の納屋に、
女王が訪ねて来た。
エセックス伯の助命嘆願ができるのは唯一女王だけで、その刻限は
すぐそこに迫っている。そのような時に、女王は、エセックスの恋人
といわれている梅毒病みの女形俳優に逢いにきたのだ。
またエセックスと共に投獄されている貴族の男は、シェイクスピアの
パトロンにして、生涯の恋人でもあったという。。

この程度の予備知識だけで充分だろうと思って観てきた「エリザベス・
レックス」。
ところが、そんな予備知識など何の役にも立たなかったよぉと、泣き
たい舞台だった。

確かにそのような状況下で繰り広げられているドラマではあるらしい。。
けれど、耳で聴いたものと目で見たものとが、瞬時に脳内で処理され
ないのである。配役それぞれのシチュエーションのみが浮かび上がって
くるだけで、それ以外はなんにも頭に入ってこないとは、どうしたことな
のだろう。
これは全面的に、理解能力に欠けている私側に問題があるのだろうか?

訳が解らない舞台を見つめていると眠気が襲ってきて、首がゆらゆら
揺れてくる。もう私はいったい何を観ているというの?状態だった。

終幕「女王陛下に神のご加護を」と声をかけられたエリザベスが、振り
返ってうなずきながら浮かべた笑顔が、まさにエリザベス・レックス!
強烈な印象を残して脳裏に焼き付いてしまったので、物語など、どうで
もよくなったと、自分に思い込ませながら帰路についたけれど、どうも
スッキリしない。
せめて、原作であるカナダのティモシー・フィンドリーの戯曲の日本語版
があったならと。。

そうそう、梅毒病みの女形俳優はバレエの小林十市なのだったよ。





2004年11月15日(月) ブルーリボン2

2年前の杜撰な調査結果に対して金正日総書記が「白紙に戻って調査
する」と言った結果がこれでは、「北朝鮮側の努力の跡はうかがえるが、
まだ納得できるような内容ではない点もある」なんて、小泉首相、そんな
気を遣った言い回しをする必要がどこにある。

だいたい北朝鮮側は、横田めぐみさんの夫とされる人物の髪の毛や
血液の提供も拒否したのではないですか。

北朝鮮としては、8人死亡2人未入国をうごかすことなく、ちびちび証拠
らしきものをでっちあげては、こちらが落胆して、じわりじわりと根負けさ
せられた世論が鎮まっていくのを待っている魂胆なのだろう。
小泉首相の任期中に、なんとしても国交を結びたいとの官邸側の空気
を読まれてしまっているのだから、どうしたって北朝鮮は強気なのだ。

それに当初、小泉首相が言っていた「拉致問題の解決なくして国交正常
化はあり得ない」も、だんだんトーンが低くなって、最近では「対話と圧力」
を繰り返すだけになっているように思う。
ところが何回かの実務者協議の結果をみてもわかるように、あれが対話
というものだとは決して思えない。

「ある日、子供達を勝手に連れて行って、都合のいいように使って、
あげく死にましたでは、とても納得いきません」

27年もの間、子供の不在に耐えてこられためぐみさんのお母さまが
ニュース番組でおっしゃっていらしたが、私たちだって納得できないと、
傍に駆け寄っていって肩を抱いてあげたい気持だ。



2004年11月12日(金) エールよ エールよ

時々読んでいる週刊新潮のある連載に、筆者がエール大学
に留学した時、神学部があり、大学の中で重要な地位をしめ
ていることに驚いたというようなことが書いてあった。

これを読んでいるうちに、ふと遠い日のある光景が思い出され
た。
祖父がエール大学で学んで数十年経った後に、再びエールを
訪ねて帰国したばかりの頃だったように思う。
記憶が曖昧ではあるけれど、どういうことからか中国の義和団
事件の話になった。
小学生の私はただ聞いているだけだったのだろうが、断片的に
覚えているなかで忘れられないのは「エールよ、エールよ」の言
葉だった。

中国に派遣された宣教師たちが殺されていくなか、エール大学
から派遣された一人の宣教師が息を引き取る間際に

「エールよ、エールよ、私はこの地で神に召されていくが、これに
臆することなく第二、第三の私をこの地に送って欲しい」

というようなことを、そばにあった紙片に書きつけた。
この紙片は人から人の手に渡り、海を越えて、これを書きしるし
た宣教師の母校であるエール大学に届き、神学生たちは中国で
の伝道の志をさらに強くしたという話だった。

この話をしながら祖父は、机の上にあったノートに「エールよ、
エールよ。。」と、宣教師が書き遺したという言葉を書いてくれた。
私は長いことその紙片を日記帳にはさんだり、手帳に書き写して
みたりしながらも大切に持っていたのに、いつの間にかとうとう
紛失してしまったのだが。


2004年11月09日(火) いつのまにか西梅田が

11月も中旬にさしかかろうというのにこの暖かさとは、いったい
どうしたことだろう。
ノースリーブの上にはおっていった穴あきだらけのジャケットの、
その穴からスースーと入ってくる風が皮膚に触れてヒンヤリする
のがなんとも心地よかったのだから。
例年だったら木枯らしの季節だよぉ。

 
身頃と袖、このように穴だらけ。
デパ地下に入ると、さらに暑くて脱いでしまいたいほどだった。

今日は、毛穴を塞ぐ効果抜群のメークアップベースと、このデパート
でしか見かけない納豆だけを買いに来たのだ。

 

なので、婦人服売り場などには絶対に行くまい!との決意も固く家を
出て来た。。はずであったのに、いつのまにかエスカレーターに乗って、
あれよあれよというまに洋服などを手にとって、気がついたらもう試着
室でスーツばかりを脱いだり着たりせわしないのであった。

なんだか同じような色合いの洋服ばかりがクローゼットに並ぶなあと
思いつつも、結局買っちゃったのだから、家を出てくる時のあの決意は
何処へ行ったのだ。



かなり控え目なフリンジではあるが、犬たちに見つかったら狂気ばしっ
て舐めまくられそうだ。

その後、ハービスENTが今日オープンだったと思い出し、フラ〜と
寄ってみる。
あらいやだ、私、ブルーノートと四季劇場がこのビルに入ることを知ら
なかった。それにしても阪神の名前を出すのと出さないのでは、リッツ
カールトンといい受ける印象がずい分違うものなのだなぁ。



2004年11月07日(日) はい、トートよりも指揮者を観てまいりました

トートと共に日本列島を南下したり北上したりで、気圧みたいになって
いる横浜のSちゃんが用意してくれた「エリザベート」のチケットは、す
べて内野聖陽トートだった。

本日のお席は中央の最前列。
ついこの間、福岡でご主人と「エリザベート」を観て横浜に戻ったばか
りのSちゃんが、今度は大阪にやって来たので久しぶりに一緒の観劇
なのだ。
噂の指揮者のど派手棒振りもたっぷり観せてもらって、というよりかオ
ケボックスから頭だけ突き出ている指揮者の熱演しすぎに、視線が釘
付けとなってしまいそうで困った。
毎回、心の中で「待ってましたぁ!御両人!」と叫んでいるトートとルド
ルフの掛け合いの場面なんざあ、この指揮者、指揮棒を持っていない
左手を天上に高く掲げ、顔はといえば上手上方にあご向き、歌の盛り
上がりをとらえて、ここぞとばかりに「がわわわわぁ〜〜〜〜」と歌うの
だからたまらない。目立ちすぎてしまうのだ。

糸をひきそうなほどのねちっこさでなめるように歌う内野の歌に「キャー!
やめて!その目!その目!(ハート)」と悶絶しているらしい、Sちゃん
のムンムンとした熱気が隣の席から伝わってくるので、私の身体から
も湯気が立ち昇ってきそうだった。

新幹線の時間までを何時ものようにナイト&ディでお茶した後、Sちゃん
は大阪駅へ。私は甥のオネダリお洋服を買いにHEP FIVEのTOMMY
HILFIGERへ。
HEP FIVEの周辺は、もうまったくガキ...いやいや若者ばかりで、オバサン
なんて一人も歩いていやしない。ああまたもや私だけ人波に乗って歩くこ
とが出来きず、ぶつかったりはじかれたりしてヨロヨロの体たらくだった。



2004年11月06日(土) 冬期限定

自宅に併設して美容室を開いているNちゃんは、忙しくて
立ったまま食事をとることなど珍しくないと、嘆いている。
それでも、犬の散歩には朝夕たっぷりと1時間ずつは歩いて
いるのだそうだ。
朝の4時よ。この間なんか東の空に木星と金星が輝いていて
どんなに綺麗だったか。

と、Nちゃんからの電話でのおしゃべりが始まった。

それなのによ、ハーゲンダッツのキャラメル味のウエハース
サンドを、夏の間毎日食べていたら3キロふとってガックリよ。
もう中毒しちゃったのね。このアイスが冷凍庫に入っていない
と不安で不安で。そしたら、ある日バァーンと身体がふくらん
だの、まったくの突然によ。
アナタはどう?アナタふとった?

もしも、少しでも痩せてなどいようものなら許せない、といった
Nちゃんの口調だったので、「冬期限定のメルティーキッスを食
べはじめたから、それも食べだしたら一箱なんて軽いね、5箱ず
つまとめ買いしちゃうし、きっとふとると思う」と答えると、そう
でしょ、そうでしょといった感じで安心したようだった。




2004年11月01日(月) 「クロワッサン」を選んでみると

カラーの仕上がりを待っ間、岡田准一に似ているので我が家ではひそかに
岡田君と呼んでいる美容師が持ってきてくれた雑誌は「25ans」「家庭画報」
「女性セブン」「クロワッサン」だった。
鏡の前にものを置くようなほんの小さな棚もないので、「25ans」「家庭画報」
などを手に取ったとしたら、重たくって指が骨折しそうだ。
「女性セブン」の表紙は韓国の俳優らしかったので、きっと日本の芸能界
ドロドロのスキャンダル記事はなさそうだ。なんだ面白くないので「クロワッ
サン」を選ぶしかなかった。

「うんん、眠るから雑誌はいいの」なんて、岡田君に言えない。

カラーを入れてもらっている時に、岡田君から「一本一本の毛が太いですね」
なんてことを言われて、それも未だかつてそんなことを言われたことがなか
ったので、私は返事に窮してただ曖昧に笑ってみたが、恥ずかしかった。
この辺りから、口数少なくおとなしくなってしまったんだ・・私。

「クロワッサン」をパラパラしていると、池内紀氏が須賀敦子について書いて
いる頁を見つけた。
「アツコの冒険」と題して、須賀さんの人生においての冒険と呼べる体験をい
くつかあげている。 「エマウスの家」について触れているのが嬉しい。


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