きまぐれがき
目次pastwill


2003年08月28日(木) 1000の風

朝日新聞、今日の天声人語に「1000の風」が欧米や日本で
静かに広がっているとあった。

私が、「1000の風」の収まった小さく心細げな本を手にとる
きっかけとなったのは、ジャーナリストの柳田邦男氏が、ご子息
の自死で絶望していた時にこの詩に出合い慰められたと、何かで
読んだことによってだったと思う。

どこの書店でも見つからず、手元に届くまでにずい分時間が
かかったのではなかったか。初版から2年が過ぎた頃で、
すでに3刷になっていたところをみると、当時もひそやかに
読まれていたのだ。

この詩を読んだからといって、大切な人を亡くした喪失感が
そう簡単に癒されるものではないけれど、死が自分だけに降り
かかる問題ではないというあたり前のことを受け入れる心構えと
勇気と、不思議なやすらかさを与えてくれる、なんて優しい詩
なのだろうと、私にとって忘れられない1篇となっている。

天声人語では、作家の荒井満氏が訳され曲をつけてCDとなった
詩(へぇ〜CDになってるのか〜)が紹介されていたが、南風椎氏
によって訳された「1000の風」は.....



あとに残された人へ  1000の風

私の墓石の前に立って 涙を流さないでください。

私はそこにはいません。
眠ってなんかいません。

私は1000の風になって 吹き抜けています。
私はダイアモンドのように 雪の上で輝いています。
私は陽の光りになって 熟した穀物にふりそそいでいます。
秋には やさしい雨になります。
朝の静けさの中で あなたが目ざめるとき
私はすばやい流れとなって 駆けあがり
鳥たちを 空でくるくる舞わせています。
夜は星になり 私はそっと光っています。

どうか その墓石の前で 泣かないでください。

私はそこにはいません。
私は死んでないのです。






2003年08月22日(金) 来年の舞台は。

気が早いけれど2004年の我が観劇初めは、蜷川幸雄の
『タイタス・アンドロニカス』になりそうだ。
彩の国シェイクスピアシリーズは、これで何作目になるのだろう?
この作品に決まったらしいことは、だいぶ早い時期に翻訳家の
松岡和子氏のHPで知ってはいたが、配役は予想とおり蜷川作品
の常連になりつつある麻実れい。うむうむ納得。
タイタス役は、誰だった?忘れた。

アンソニー・ホプキンスがタイタスを演じた映画では、
アラン・カミングの異様さだけが、毎度のことだけど印象に
残ってしまって...まだまだ時間があることだし、もう1度
戯曲をじっくり読んでいこう。

やはり麻実がイオカステを演じた蜷川の『オイディプス王』は、
夏にアテネでも上演されることになっているとなると、K子さ〜ん!
来年は忙しいことになりそうね。おっと訂正!「来年も!」だった。


そして『エリザベート』。
主な配役の顔ぶれは、初演時とさして変わりはないようだ。
あらら〜 ルドルフ皇太子がまだ決まっていないのかな?
苦悩する皇太子は、背中の孤独感がたまらなかった井上君であって
ほしいけれど、いまや彼は売れっ子になってしまったから、
どうだろうか?

大磯の友人が小躍りしている様子が目に浮かぶ。
彼女に引きずられるように何度劇場に足を運んだことか。
こんこんと言って訊かせられた内野聖陽賛歌で、とうとう終電車に
乗ることができず劇場隣接のホテル、阪急インターナショナルに
泊まるはめになってしまった日などもあって。

うぅ〜思い出してきた。
たしかに内野の死神トートは、当初酷評された歌やダンスが、
日を重ねるにつれてどんどん良くなっていくのがわかるので
某BBS(2ちゃん..なんとか)など見ないようにして、
私だって感動に打ち震えていたのですぞ>大磯!


突然ですがユキです。
元気です。



2003年08月20日(水) やってしまった。



パソコンや周辺機器のコードがこんなふうにグチャグチャだから、
そのうち足に引っかけるだろうな、とは思っていたけれど、ついに
やってしまった。
足に絡みついたコードをそのまま引きずって何歩か歩いたところで、
机上のコーヒーカップがカタン!と倒れて、ピチャ!とコーヒーが.....
この間買い換えたばかりのPCにこぼれ散ったのだぁぁぁ
キーボードがビチャビチャ。

PCから出ているコードがピーンと張った状態となって、PCの
傍に置いていたコーヒーカップに触れてしまったと云う訳だ。
だからそんなところにミズモノを置くなって。

コーヒーまみれのPCを、デジカメで記念に撮っておきたいという
私を突き飛ばして、小豆が「そんなことよりまず拭いて!」と、
日頃とはうって変わった素早さでタオルを手に飛んでくる。

今のところ、無事に起動してくれてはいるけれど、また入院だろうか。



2003年08月15日(金) 衝撃の発言

日頃行きつけの「なんでも屋」(と、私は呼んでいる)に、姪を
さそって小豆たちと4名で出かける。
静かだった店内も、お盆休みのせいか瞬く間に子供の泣き叫ぶ
声やら、「家で作らないようなものを注文しなさいよ」なんて
家族に言い聞かせているお母さんの声などでザワザワして来る。

あまりにも周囲が騒々しいので、食べ物をさっさと口に運んで
どんどん飲み込み、それでもデザートは欠かさず、飛び出てきた
といった感じだった。

車に乗り込んでから、姪が何気なく呟いた一言にはほろ酔い
気分も吹っ飛んだ。
「昨日は電気コタツを入れて寝たの。お布団2枚かけてね」

このところ関西も涼しい。
朝、目が覚めるとタオルケットにスッポリ包まれているなんて
いう日が続いていた。
それにしてもだ。
姪はケロっとしているが、よくぞヒモノにならずに朝を迎えられた
ものだと思うよ。

そんな姪の衝撃発言に、「あれは、いまいちの味だった」とか
「あれは、以外にもいける味」などの食後の「食べ物批評」など
とっくに忘れて、車の中の面々はぶったまげるばかりであった。




サーシャです。ご心配をおかけしました。
今のところは元気で、今日はペット美容室に行ってきました。
11年間、毎月ペット美容室の方がお迎えにいらして下さるの
ですが、未だにその方の姿を見ただけで体中が震えて、
どうしようもないのです。シャイなのです。



2003年08月10日(日) フォーレ「夢のあとに」



スーパーで1週間分を纏めて買い物したあとのひと休みは、
いつもこのお店で。
ここでの最近のお気に入りは、甘さを抑えたプラムケーキ。

窓の外に植えられたヒマラヤ杉の大木が、台風の通り過ぎた
あとの強い陽射しを遮っているので、クーラーのきいた室内は
よりヒンヤリと清涼感に満ちているように感じられる。

ログハウスにはヒマラヤ杉がよく合うなぁと、さながら
プチ森林浴の窓辺の席。
店内に流れている音楽はフォーレの「夢のあとに」だけど、
なんなのだろう? ヴァイオリンの甘く切ない調べに、シンセ
サイザーを取り入れた独特のこの音色は。
なかなか惹かれるものがあったので、マスターにアーティストを
訊ねて、さっそく帰りにTSUTAYAに立ち寄りCDを購入。


しばらくの間、我が家のBGMは、このアルバムで決まりだ。
マスターは「風を感じる編曲がいいでしょ」といっていたけど、
なるほど涼風が、私の身体のまわりを包むようにひと回りしたあと、
風の道をつくって窓の外へと通り過ぎて行ったかのような心地。

元はといえばフォーレの歌曲だった「夢のあとに」。
恋人の幻影を追い求める歌詞が胸を尽く。

あぁ、 なんという悲しき目覚め、
私は呼ぶ おぉ夜よ 返しておくれ
おまえが織り上げたあのいつわりを
戻って来ておくれ 輝かしい人よ
戻って来ておくれ おお 神秘なる夜よ



坂東玉三郎がこの曲で踊った舞台があった。
あれはチェロだっただろうか......?
儚げでありながらも、凛とした美しさが圧巻だったと記憶する。


2003年08月01日(金) ビーズいろいろ

何年か前にあれこれとビーズを買ってはみたものの、何かの形に
なることもなく、色、形、大きさ別に一応は仕分けをして収め
た箱が、何個も積み重なって放置されたままとなっている。

そもそもビーズの一粒を、指先に取ってみるということすら
しなかったのだなぁ。。
意気込んでみても素早く気分が変わって、やる気が失せてしまう
性格というのは困ったものなのだ。

その箱の山を目にするたびに、またもや恒例の自己嫌悪と、焦燥感
にまで苛まれて.....そんな日々を過ごしていたある日のこと。


「あなた、こういうの好きでしょ」と大磯に住む友人から送られて
きたのが......こちら。
へへ〜ん、好きだよ。
なんだか私の日常を見透かされているようではないか。


十字架のネックレスとお耳がぶらぶらしている
ワンコのストラップ。


ハートのストラップと清々しい白の指輪。
リラ色のブレスと指輪とおそろいのネックレス。
実物はとっても美しいスワロフスキーなのです。


これを......大磯は作ったのだな。
あの人が、遠くに海の見えるリビングの窓辺の籐椅子に腰掛けて、
指先でちまちまと作業する姿なんて、笑っちゃうほどしっくり
こないのに。
劇場のロビーを、もののけにとりつかれたようにフワフワと歩いて
いる姿しか思い浮かばないのに。
あ〜本人がこれを読んだらきっと怒るよ。

どうにも想像することのできない彼女の指先での作業を、無理やり
思い浮かべて労をねぎらいながら、「完成をみないもの」を身の回
りにどっさりかかえているぐうたらな私としては、素直に喜んじゃ
っているのである。


ギブリ |HomePage