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2005年08月18日(木) 教科書(2)



 届いた扶桑社の歴史教科書と公民教科書(市販本)をざっと読んだ。公民の117Pに面白い項があった。41「世論とマスメディアの役割」中、「マス・メディアの問題点」の説明文に、「マス・メディアは、常に正しいとは限らず、誤った情報で国民をミスリードする事もある」と書いてあり、例として、最上段右隅に「特ダネ欲しさに事件をねつ造した例もある」と、「↑」のさきに、かって朝日新聞記者が珊瑚にみずから落書き、傷つけて、「こんなひどい事をする奴がいる」と捏造し記事にした、それがそのまま載せられている。芥子粒位の小さな字だが、「朝日新聞社」とはっきり読める。

なるほど、これで朝日新聞が、社説にまで「こんな歴史教科書でいいのか」と、国定でもなく検定済の8社のうちの一社でしかない、扶桑社の教科書を目の敵にする訳がわかった。多分、朝日は、公民にも目を通しているだろうから,載せられている事は知っているだろう。だからといって、「公民教科書」を直接非難すると逆宣伝になって、読まれたくない、事件を知らない、若い層まで「公民教科書」を手に取るかもしれない。それは避けたい。だから執拗なまでに、歴史教科書=扶桑社を攻撃する。

朝日新聞しか読まない善良な読者は、そんなにひどいのかと思ってしまう。これを世論操作という。かくて、扶桑社反対の声が巻き起こる。思うつぼである。
末期症状である。









2005年08月16日(火) 靖国神社昇殿参拝



 今は昔、物事がわかるまで、戦争は無条件に悪、日本悪、他、無意識の内に否定的な見方をしていた時期があった。多くは今でもそうだろう。
だから、相変わらず首相はこの日に及んで、「近隣諸国に迷惑かけました、もう戦争は起こしません」などと談話して自己満足している。あまりな歴史認識の無知である。

 先の戦争のきっかけ、アメリカからの最後通牒、俗にいう、「ハル・ノート」はハルが書いたものではなく、ハリーホワイト(財務省次官補)という、米政府内部に深く入り込んだ、共産主義者でソ連のスパイだった人物によって書かれた事がわかっている。もちろん、日米を戦わせ、相殺させて共産主義を広めるために。当のハルはいやがっていたらしい。後に「こんなめちゃくちゃなもの(ハル・ノート)を突きつけられたら、小国のモナコ公国でも宣戦布告するだろう」といっている。

 戦争を始めた、張本人で悪党のように思われている、日本側の首相で大将でもあった、東条英機は最後の最後まで戦争回避のために動いていた事もわかって来た(東条英機供述調書。GHQはこれを発禁処分第一号にして,日本人の目に触れないようにした。最近本になって出た)。

 時のアメリカの最高司令官、マッカーサーは昭和26年五月三日、米軍上院軍事外交合同委員会で、はっきりと、「日本が戦争を始めたのは、侵略ではなく、自国の安全保障のための防衛戦争であった」と証言している。

小泉首相は、これらの事を知ってもなを、世界中に悪かったと言い続けるのか。

今年、日露戦争100周年、大東亜戦争60周年。先人達のご苦労を偲び、15日靖国参拝した。靖国神社では、西村真悟さんの呼びかけた人達に混じって、正式に昇殿し参拝した。

普段はネクタイを締める事少なく、ほとんど真夏のネクタイ・ジャケット姿は、拷問に近かったが、やむにやまれぬ開戦で、死んでいった人達を思うと、不思議と数時間炎天下のもと(昇殿は社内)でも耐えられた。昇殿参拝が終わり、階段を下りたところで、お神酒が配られた。東京の真ん中とは思えない、蝉時雨の中でいただいたお神酒は、深く胃の腑と心にしみた。

 午後からの記念行事で、終戦後日本に帰らずインドネシア独立のために戦った(映画「ムルディカ(独立)17805」を見るといい。ちなみに、独立記念碑に彫られているこの17805の意味は、日本に感謝して、日本の皇紀「2605(=西暦1945年)8月17日」から、日・月・年で書かれている。)、日本兵(インドネシアでは英雄として祭られている)とともに義勇軍幼年兵として一緒に国のために戦ったアイマド・ダマさんも参拝に来られていて、飛び入りで壇上に立たれた。これを我が国の首相はどう思うのか、聞いてみたい。

8/16 午後 たん譚に載せてから、少し書き換えました。









2005年08月11日(木) 下山



登山ではない。文字通り富山駅からバスで一挙に室堂まで行き、北アルプス立山室堂から下山した。年一回の親類の集いが、今年は弥陀原高原だったので、せっかくだから,現地集合ということにしてもらって、歩いた。

 室堂は、大にぎわいで人でごった返していた。
天狗小屋の情報によると、日本人の登山客は少なく、台湾人の団体観光客が非常に多いとの事で、実際に台湾語が飛び交っていた。大陸の支那人の金持ちは「登山」なんか金輪際しないだろう。何の得もない事を金だしてするわけがない。その点、台湾人は感覚が日本人とよく似て、俳句も嗜む。
 ごった返す室堂を後にして、かってガウランド(「日本アルプス」呼称の命名者)、アーネスト・サトウ(英国領事館書記官 後、公使、は幕末富山湾から見た立山連峰の勇姿に感動して、外人で初めて書き留め紹介した。)や、ウォルター・ウエストン(英国山岳協会会員、牧師。 上高地に碑がある)が苦労して歩いた旧道をとった。

 ガイド本には、役行者(えんのぎょうじゃ)が祈祷した修験道の道は整備され推奨されているが、選んだ旧道は、X… 現在不通とかいてあった。
 が、地図をよく読むと、森林地帯だし、急峻な岩峰群があるわけでもなし、廃道になっていれば、学生時代によくやったように、強引に林道に向かって降りればいい。
そう思って決行した。
 何年も山から遠ざかっていたので、登りなしの最初からの下山は膝にこたえた。だけれど、それにも増して、深山を歩く楽しさは言葉に表しようがない。木のざわめき、鳥のさえずり、岩間をぬって流れる沢の音、深い靄、適度の緊張感。旧道には人っこひとりいない。静謐そのものだ。

 熊に出くわした時にあわてないように、心の準備をして歩いた。4・5時間の短い山歩きだったが、終盤近く、旧道を来る小学生10人位が一組になった3組とすれ違った。前後を指導員が挟み登っていった。
すれ違いざま、それぞれがこちらに挨拶してくれる。
「こんにちは」
「ありがとうございます」
山では登り優先なので、こちらは、端によけて通り過ぎるのを待つ、その時に言ってくれる。いい子達だった。
ほどなく,弥陀が原に出、ホテルに入った。

 翌日は、美女平のブナ林滯を歩き、巨木の下で,ひんやりした微風を感じながら、おむすびを食べ、立山を後にした。












2005年08月06日(土) 象さんゆうり…か?(2)日本人と支那人



70 年前の支那、2005年04月09日(土)六畳襖の下張りの頃の日常茶飯事。

日本人…以下、
支那人…以下、

芝居見物でみる。
可哀そうな場面、例えば、息子が死ぬ、嵐に家を吹き飛ばされるなど、涙を誘う場面。

…深く我が身の事のように思い、哀れみ同情し、泣く。他文明国も似たような反応。
…驚くなかれ、ここで大爆笑が起こる。(古い宣教師や商人の日誌にも同様の話がたくさんある)ところが、金で損した話になると非常にがっくりし、ヘナヘナになる。

チップでみる。
下男又はクーリー(苦力)がよく働いたので、相場より多めのチップを与えたら。
…素直に嬉しがり、主に感謝する。他文明国も似たような反応
…こいつは,相場を知らないと考えて、その数倍を要求、恫喝する。

教科書
…国を愛する内容であることはあっても、排外的なものではない。(今は逆に拝外的)
…極端な排外的内容。孫文の「三民主儀」に外国資産に関する件がある。そこでは、「外国人を追放すれば資産はすべて中国人のものとなり、その恩恵は国民全体に行き渡る」としている。そして、山分けしたら一人当たりどれくらいの額になるか、具体的数字まではじいている。

カンニングしてみつかったら。

…叱責を受け、それなりの処罰がある。
…ある高校で二人の生徒がカンニングをしたので、アメリカ人の女教師が厳しく叱責した。逆恨みをした二人の生徒が、生徒会や校長とグルになってこの女教師に迫ったため、生徒総会の席上でなんと、謝罪させられたのである。

恩を受けたら。

…感謝の心を持つ。
…恩と感謝は特に関係ないと考える。滯中米国人女性が、奴隷扱いされていた子供を養子にして世に送り出したが、後年、その子は、排外運動の先頭に立ち,その育ての親を殺してしまった。(最近も九州で、親代わりになって、中国人留学生の面倒を見た日本人が、その中国人留学生に強奪され、殺されている)

女医療宣教師の半生をかけた体験
「三十四年も片田舎で中国人のために医療宣教師として勤めました。義和団事件の頃だって病院を離れなかつたわ。私には向いてなかったんです」かれこれ三十年以上も病人を看病し、衛生指導に当たった。が…、希望が持てなくなって六二歳になって帰国。
「ここでは何をしても無意味で、感謝もされないのです。本当に残念です」

池で溺れる人を見たら
…反射的になんとかしようとする。
…数メートル離れた所で人が溺れても、ただ見ているだけである。よくあること。

アメリカ人領事が目撃。揚子江上流でのこと、豚と中国人を満載したサンパンが岸近くで波に呑まれ転覆し、豚も人も川に投げ出された。岸で見ていた者は直ちに現場に漕ぎ出し、我先に豚を引き上げた。舟に泳ぎ着いた人間は、頭をかち割って殺し、天の恵み、とばかり新鮮な豚肉を手にして、意気揚々と引き上げ、後は何事もなかったかのようにいつもの暮らしが続いた。
 (最近も北京の湖で女子学生が溺れたが,誰も助けなかった。逆に、貸しボート屋は、「験(げん)が悪い。「溺れた女子学生の乗っていたボートは、貸せなくなる」と遺族を訴えた。)


…別に問題もなく、行える。
…一人旅は危険なので、必ず知り合いか身内と一緒に行く。もし途中で倒れたりすると、誰も助けてくれないばかりか、身ぐるみはがれて殺される事もある。

子供が死んだら
… 子を思う親心は世界共通と思っている。手厚く葬る。
… 親は平然としたもので、ぼろ切れか何かで包んで問に合わせの木箱に入れ、「どっかに埋めといで」で終わり。葬式も何も出さない。これなどはまだ良い方で、田舎では城壁の外やそこいらにほうり捨て、犬の餌になる。(最近見た、南京大虐殺のやらせ写真の一つに、ぼろきれのように、死んだ子供を片手でぶら下げているのがあったが、まさにそれである。
最近は胎児を食べている写真がネット上に流れている。)

身内に自殺者が出たら
…交通事故か、病気でという事にして、葬儀も質素に行う。
…相手の面子を汚すために自殺する事があり、例えば、嫁が腹いせに自殺したとする。そうなると、実家の連中から法外な葬儀代を迫られる。葬儀は実家が取り仕切り、料理から招待客まで何でも決めてしまう。横暴な亭主を世間の笑い者にしただけでは収まらず、ここぞとばかり高価なものを大量に注文し、事実上破産に追い込むのである。こういうことは今でもかなりの地域で見られるそうである。

各社会の特色
…「和」をもって尊しとなす
…「幸災楽禍シンツァイロオホゥ」他人の災禍を楽しむという意味。「みんな死ね、オレだけ生きる」という心情が社会に強く存在する。


上を参照した本が書かれた時に生まれた人は、今年70歳になる、その頃の国民性・国柄は、果たして変わったのだろうか。今日起こっている事を見ていると何も変わってはいないと思える。まだまだあるが、上はほんの一例にすぎない。

参考文献
 「歴史から消された日本人の美徳」 黄文雄
 「暗黒大陸中国の真実」ラルフ・タウンゼント
 「中国宣教師の歴史」 K・Sニフトーレット

 










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