本日のグチ。
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2003年12月30日(火) 一年間ありがとうございました。

明日で今年は終わり。

今日は、姉は旧友と食事会でした。
はるたん、頑張って父と留守番・・・もう寝てます。
はるたん、きっと私と食事会に出かけたかったはずなのです。だって、はるたんにとって、私は全てだから。

頑張れたはるたんに、拍手。彼女の頑張りに敬意を称して、おみやげ買ってきましたよ。明日、喜んでくれると良いのですが。

姉は、しっかり酔っぱらってます。だって、飲み放題をチョイスしたので、たっぷり飲んできたのです。父譲りの強さがありますので、この程度では理性を失うことはありませんし。

この一年間も、母が亡くなった一年間と同じ、いやそれ以上に濃かった。
そして、人の愛情を痛感した一年でした。
私を応援してくださった皆様、そして、はるたんに、声援を送ってくださった皆様に、深く深く感謝致します。
ありがとうございました。
そして、来年もどうぞ見守ってくださいませ。

私達家族、まだまだおぼつかないですが、皆様に関心を持っていただくことで、生きる意味を見出せそうです。
予定では、来月にもはるたんは退院。四月からは姉は、作業療法士として第一歩を踏み出します。

きっとまた新しいことが起こるでしょう。

お母さん、どうか私達を見守ってくださいね。
そして、いつまでも一緒にいようね。

このサイトに集ってくださる皆様にとって、幸多き年になりますように。


2003年12月29日(月) 予定通り外泊中です。

はるたん、我が家にいます。
退院を前提として、山のような荷物を、姉と共に持ち帰り、パトロンさんと買い物をするために、新宿へ出かけてきました。
すごい、収穫だったようです。・・・うち狭いのにどこに洋服しまうのかしら??

姉は、コミケ会場&銀座をぶらついてきました。
ちょっと『休め!!』命令がおさまりつつあります。良い気晴らしになりました。
はるたんの本、そこそこ売れていたようです。委託先を覗いただけで、失礼してきましたから、詳細はわかりませんが・・・。

委託先サークルの関係者の皆様、ありがとうございました。後処理よろしくお願いします。

さてさて、はるたん、年明け退院を決心したようですが、内容を聞くと、まだまだ姉への依存が高いです。姉の短期バイトの終了時期をみはからって退院しようなどと・・・。
辛いことだとは思いましたが、ちゃんと話しました。ずっとべったり側にはいられないよって。

私だって、ずっとはるたんの側についたままで、専業主婦みたいな生活をしたいのです。本当は。
けど、父はそろそろ定年が近づいてるし、これからの生活を担うのは必然的に私だから、こればかりは無理。
母を交えて約束した、「一生私がみんなの側にいるよ」を実行するためにも、べったり依存されたままでは、また同じ繰り返し。入院した意味が生かされませんし。
このことを踏まえた上で、考えてもらってます。

ただ一つ言えることは、どんな答えが出ても、私は私のできる範囲で、彼女の側に、ずっといること、それだけです。
・・・なんて、人間って無力なんでしょうね。いや、私が無力すぎるのかも知れませんね。

先週、はるたんは夜、追加薬をもらわないと眠れなかったんだとか。夜中に歌を歌う患者さんやら、お菓子を食べまくる患者さんやらに翻弄されたのも一因のようですが。
ちょっと心配だったのですが、大丈夫、寝てます。

はるたん、良い年末年始にしようね。


2003年12月27日(土) お正月まであと・・

少しですね。世の中が、お正月一色に変わっていくのを感じます。
本当ならば、私もお正月モードに入るべきなのでしょうが・・・

やっぱり、正直に言えば寂しい・・

彼氏がいないとか、はるたんが大変だとか、勉強が追い付かないとか、そんな現実的なことではなくて、感覚的に、まだぽっかりと穴が開いたままなのです、いろんな意味で。

受験生という久しぶりに不安定な状態なのも非常に影響を及ぼしていると勝手に分析してみたり・・・(笑
楽しいものが、「楽しい」と感じられない時って、私のバロメーター的に『休め!!』という信号発令中なのです。

宿題もあるけど、ちょっと休憩しよっと。・・自分に言い訳。
さる方からも、「お勉強頑張って!」って励ましていただけたし、少し休んで復活しなきゃ!。

明日はコミケです。きっと人混み多いのだろうなぁ。
夏コミは、はるたんと共にスペースに座りたいなぁ・・(売り子の私は気が楽です)


2003年12月25日(木) メリークリスマス!

一人っきりのクリスマス・・(苦笑
いえ、すねているわけではありません。ただ、なんとなぁ〜く世の中から外れているような感じがするだけ。
父も仕事で昨日から帰って来ないので、ほんとに、独り。

来年のクリスマスは、きっと、仕事してるんだろうなぁ・・
何しろ、盆暮れ正月がない、職場なので。きっとそう。
いや、ひょっとしたら、アフター5にはるたんと綺麗な夜景でも眺めてるかもしれない。

・・・。

はるたんから、電話がありました。
担当医曰く、「退院が時期尚早とは思わない」
はるたん『おねえちゃんが、また入院するんじゃない?っていってるんですけど』
「・・追い返す!!」だそうな。

おいおい、追い返すとは、表現が荒っぽいこと(爆笑
でも、それくらい回復している証拠と受け取っておきますね、先生。
相変わらず本人は鬱っぽくって、毎日毎日ゴロゴロしているようですが。

・・・おーい、太るぞ!、それに体力落ちるぞ!(苦笑

仕方がありません、彼女が好きでゴロゴロしているわけではありませんから。病気が彼女を寝かせているのです。
けど、一生寝ているわけじゃないし。いつか起きるでしょう。
はるたん、焦っちゃだめだぞ!

退院は、主治医が出勤のときでないといけないのだとか。
必然的に年明けになります。父とのスケジュールをあわせるのもたいへんなので。入院時と同じく、三人で病院をあとにしたいという、彼女の小さな願いを、私も父も叶えたいので。ちょっと時間を下さい。
その間に、彼女もゆっくり考えられるでしょうから。

いいよね。楽しいことの足踏みなら。
さてと、お勉強しなきゃ。


2003年12月23日(火) 小休止。

今日、予定では、はるたん、髪の毛染め直しに出かけているはずです。
寒さでこごえていることでしょうね。(苦笑

今日はちょっと、姉のつぶやきを。
なんだか、ちょっとつぶやきたくて。

今日はバイトでした。そんで、最近ちょっと新しい社員さんと仕事をし始めたのですが、みなさんに自己紹介すると、決まって歳を聞かれ、必ず「ぜんぜん、見えない!もっと若いと思った」と言われます。

実は、これ、私にとって不思議なことなのです。
というのも、私、高校生で「奥さん!」とか言われるくらい年令は高く見られていました。今の学校に入学した5年前も、年上の人に『年上』と思われしばらく敬語を使われる程。

いつから、歳が若くなったのかなぁと真剣に考えてみたり。。。

思い出せる範囲を整理すると、母が亡くなってからなのです。
実習地で、『幼く見え過ぎるよ』と注意をうけるありさま。(信頼の問題らしくて)
なんと!見える年令ははるたんとほぼ同じなのです。つまり、学校に入学したころと、さして変わらず。

これって、どういうことだろう。素直に喜べない・・・
私、弱くなっちゃったのかなぁ。


2003年12月22日(月) 我が家のクリスマス会

今日は我が家でクリスマス会をしましたぁ。
といっても、家族三人でですけど・・・

父の帰宅をまって、はるたん御要望のショートケーキやらチキンやら、なぜかお刺身やら(笑 いろいろ食べて、堪能。

父に日本酒をプレゼントしたら、なんとすべて飲んでしまい、目が皿になっていて、怖かった・・半合なんですけどね。

もちろん、はるたんには希望のCDをプレゼント。あんなに感激されると、こちらまで嬉しくなります。

さて、肝心の退院ですが、とりあえず保留です。
結局、はるたんは(私も)どこかに所属することだけでは、生きられないのです。そこで、自分らしく生きないと。
だから、フリースペースも、もちろんデイケアも、彼女にとってはやはり、安住の地になれなくて。

完全に、一人で生きる道をもう一度見つけられない限り、難しいねぇと、二人で納得してしまいました。

まぁ、木曜の診察時に、ころっと意見が変わるかも知れないけれど。
そのときはそのときで、考えます。
彼女さえ、踏ん張れる気持ちになれれば・・(姉的には、辛くなったらいつでも入院するという心構えを持ってほしいものですが)突然退院ってこともありえるし。

でも、年末は一週間の外泊許可がとれるのだとか。
予定では29日より外泊します。
喪はあけているものの、年賀状さえも出す気が起きない姉心のため、特にお正月はしません。・・・美味しいものだけは食べるかなぁ。
もし、よろしければ、お電話でも、遊びにでもいらしてくださいな。

ただし、大掃除をする気力もないので、かなり汚いですけど(爆)
・・・わかりました。掃除しますよ、お父さん。。


2003年12月21日(日) 結局衝動買い??コミケ委託場所。

はるたん、私がバイトから帰ったら、テレビがんがんにつけて、暖房もつけて、電気もつけたまま、寝てました。

明日、話を聞かないと、どんな一日を過ごしたのか分かりませんが、どうやら買い物にでかけ、高価な洋服を買ったようです。真新しい洋服がタンスの中に入ってました。

使っていいよ!と話した委託販売の売り上げ金をすべて費やした様子。
全額降ろしてましたから。

まぁ、コミケ委託分があるから、収入を見込んでいるのでしょう。
それに、パトロンさんがお金くれますしねぇ。

この状態・・・。客観的に考えれば、真っ当な生活ではないかも知れません。けど、はるたんの病気は物欲、食欲、などなど自分の欲求を自分の意志(理性)で止めきれないんです。だから、周囲からわがまま病だと揶揄されてしまう・・。
リスカの代償と考えていただければ、少しは分かりやすいかしら・・・。

誰が何と言おうと、はるたん、おねえはあなたを信じますよ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆・・・・・・・
お待たせしました。

東京ビックサイトで開催されるコミケの件ですが。
以下のサークルにて委託販売致します。以前書き込みしたように、既刊物ですので、だぶって買われませんように。(LOADの一巻目とアンソロです。)

今回の事で、新しいファンが増えることを、姉的には望んでます。ちなみに、はるたんも、私もスペースには居りませんので・・・

12/28 東4ホール シ ブロック-68b 「衣谷ランド」様
(同じく 東4ホール シ ブロック-68a 「ZWAI!!」様は「衣谷ランド」様の御友人です)

尚12/28の委託分が残った時のみ次のサークルにて委託販売します。
12/29 東6ホール シ ブロック-32a 「あきのこすま」様

この場を借りて、御協力下さるサークル様に、心から感謝します。
そして、今後とも、姉ともどもよろしくお願いしますm(__)m


2003年12月20日(土) 悩めるはるたん・・

外泊してます。
しかも、今日は姉の母校の大学の演奏会へ病院から直行。
姉が在学中お世話になった先生の生徒さん達による大学主催の演奏会があり、「是非いらして!」と先生から言われていたもので・・・

金髪ミニスカのはるたんにも、先生笑顔で応対してくれました。教授っぽくない先生だからか、同じ年代の娘がいるせいかわかりませんが。

帰りに母が大好きだったお店で御飯を食べ、大満足。

でも、はるたん、退院について悩める乙女状態であることに変わりはありません。一息つくと『退院・・・』と自分から切り出し、「保留する!」と言ってみたり「いいや、退院しちゃえ!」と言ってみたり・・・

・・・ホント、忙しいこと。

明日は、またはるたん、一日中一人です。一応「絵を描く」だの、「やっぱ原宿いく」だの予定をならべてました。
・・・なんだか、こんがらがってますよね。
今日のウィンドショッピング中も、私にぴったりとくっついて、依存のピーク。
問題が大きすぎて、対処の限界を超えてしまっているかも知れません。

私にも、どうすることが望ましいのか、よく分かりません。けど、はるたんが一生懸命考えること、これが大事だということは確かでしょう。

ゆっくり悩んでね、はるたん。
あなたの決めた道のそばに、必ず私はいるから。

はるたんが、お目当ての指輪を買うのを待っている間に、素敵なチョーカーを見つけてしまいました。
「おねえちゃん、自分にクリスマスプレゼント買いなよ」と言われ、ちょっと衝動買いしてしまいました。
彼女、ちゃっかりしてます。「私に貸してね」と既に予約してるんだもの。
しゃ〜ないな〜と目を細める私は、やはり甘過ぎだわ。


2003年12月19日(金) 今日も電話。

はるたんにとって、「退院」の二文字は、かなり重大事件のようです。
もっとも、今根底にある自分の体調も今いちだからでしょう。

ただ、ちゃんと授業の休み時間に電話をかけてきて、自分の行動が、依存し過ぎていることを認識できています。この点では、以前より調子がよい証拠。(もっとも、今日は授業変更で休み時間がずれてしまい、結局授業中に電話にでてしまったのですが・・・汗

担当医は退院許可をだしつつあるのですが、どうやら看護サイドが「また落ち着いてない」とはるとに話しているようでして。
彼女、完全に板挟み状態。・・・・これって、別な意味でややこしい。

確かに、吐血したり、パニック起こした時に家族で応対するには限界があるわけで。どうするか姉も不安でないと言えば嘘です。
それに一番はるたんの生活を見てる人といえば、先生より、看護さんなわけで。長い時間一緒にいますからね。
だからこそ、こう言われて、揺らぐなというほうが無理でしょ??

とりあえず、明日から外泊。外泊すると、「退院したい」とつぶやくはずなのですが・・・どうかなぁ。


2003年12月18日(木) パンパカパ〜ン?????

はるたんから、電話(今週は電話が多い・・・)
なんと、本人が電話口でパンパカパ〜ンと歌ったのです。

ほよよ???と黙って聞くと「先生が、今度の週末の外泊で、退院日を家族と相談してきめていらっしゃいって!」と話すじゃありませんか??

前回よりも具体的。しかも退院後の生活も話しているとか。

姉は嬉しさよりも、安心感で気がぬけ気味に・・・。

しかし、姉の予想通り、今日はこの電話の後2回電話がきました。

一度目は「お姉ちゃんが心配するから、退院止めようかなぁ・・・(中略)お父さんが喜んだのなら、頑張らなきゃ!!」

二度目は「やっぱり不安になったから、退院止める!!」です。

入院するときもエネルギー使いましたからねぇ。退院にもこのくらいのエネルギーは使うでしょう。じっくり最後に悩むことも必要なはずです。
だって、立ち向かえるのは他でもない、はるたん自身だけですから。

姉の予想では、たぶん今度こそ退院出来ると思います。というか、よほどの体調不良がないかぎり、先生が「退院しなさ〜い」といいそうな予感がするのです。あの先生なら、たぶんします。(苦笑

はるたん自身も「おねえちゃんに何度も電話していること自体おかしいよねぇ」と、自分の行動を客観的にとらえているのですから。体調が悪かった時には、何回私に電話をかけたか、覚えていませんでしたもの。

大丈夫に違いないと、自分に言い聞かせてます。

・・・おまけですが。
今日、職員室で立ちくらみがして、倒れちゃいました。私も、はるたんとまだまだつながってしまっているのかも・・と苦笑。

でも、さすが医療系の先生方。
すぐに回復した私に向かって「あなた、低血糖なのよ、きっと」と冷静。
私は、とりあえず恥ずかしくて恥ずかしくて・・とりあえず甘いものを食べろと、いろいろいただいてしまいました。
「あなたの世話、ちゃんとしてあげるから」と学科長にもいわれる有り様。

超・・恥ずかしいです。


2003年12月17日(水) クリスマス会。

今日は、学校の先生が昼間働いている訓練室のクリスマス会。
「お昼僕がおごるから、ボランティアにこない?」の誘いにのって、出かけてきました。

ここには、ひょんな御縁で一昨年伺ったことがあり、スタッフの皆様に「久しぶり!」といわれて、ホッ。

脳卒中やら、大病してリハビリして、自宅復帰して今も戦っている人々の同窓会を兼ねた会なのです。

みんな、一生懸命生きてるよ!とメッセージを無言で送っているように思いました。

私、ちゃんと一生懸命生きてるかなぁ。
一昨年、このころ母は一回目の入院をしてました。そういえば、もう学校も「行かない!」とか電話したあとだったはず。

不思議なことに、あのとき先生は、登校拒否した理由聞かないでいてくれました。なぜだろう・・
あれから、2年ですか・・・月日は早いなぁ。


2003年12月16日(火) はるたん、ショック??

はるたん、実はこの前の外泊時に、この姉の愚痴日記をじっくり読んでました。時折「ほっといて!」とか「(笑)」とかしながら。

そのせいかどうか、分かりませんが、ちゃんと学校の休み時間にはるたんから電話がありました。

「ふとっちゃったよ〜〜〜」ですと。いつものことです。

一応調子がよいようで、絵をたくさん描いているのだとか。

我が家に帰ると太るというので、お菓子をたべすぎてるのはだ〜れだ?とつっついておきました。ハイ。

入院して半年が過ぎ、たいがいの患者さんはもっと太るのですが、はるたんは、頑張ってます。おしゃれしたいっていうのは、すごい歯止めですね。


2003年12月15日(月) 後ろ髪ひかれて。

はるたん、病院へ行きました。
パトロンさんと会うので、姉は居ない方がよいと、本人が言うものですから、一人で行きましたよ。

けど、たっぷ〜り名残惜しそうに・・・出かけて行きました。

『甘えん坊さんが治ったら、退院かなぁ』と私が話すと、「絶対治らないよ〜」と甘え声。困ったものです。

でも、はるたんにも話しましたが、状況は確実に上向きになっていると思います。もう少しなんです、きっと。

それを信じています。

明日は病院でクリスマス会があるとか。お寿司とケーキが出て、ちょっとしたイベントがあるようです。本人かなり楽しみにしていました。

我が家でも、ささやかながらクリスマスパーティを予定してます。来週の月曜かなぁ。たぶん。

我が母も、クリスチャンではないのですが、なぜか昔からクリスマスは気合いを入れていまして。ちゃんとクリスマスBGMとかかけて、チキンナゲットやら、ケーキやら買ってきて、ささやかな御馳走食べてましたから。

姉の今の小さな悩み。。年賀状どうしよう・・・まだ、一枚も書けてない。。。


2003年12月14日(日) どんな一日だったのでしょう?

今日も、先週と同じくはるたん丸一日一人でした。
先週と違うと言えば、同じ患者さんと新宿で待ち合わせをして、撮影会に出かけたことでしょうか。

姉さんと言えば、先週の件がまだ記憶に新しすぎて、そわそわな一日でした。大急ぎで帰ってきたのですが・・

はるたん、寝てました。といっても、本当は私を待っていた感じ。
暖房つけっぱなしで、座り寝が崩れた感じになってますから。
なんとなく、部屋の中も荒れており・・詳細は明日ゆっくり聞きます。

不安感より、体力の消耗が勝ったのかも知れません。

何はともあれ、はるたん、お疲れ様。。

明日は、パトロンさんと待ち合わせをしているらしく、いつもより少し早めに家を出るようです。なんだか、パトロンさん、どんどんはるたんに依存しはじめてしまっているらしく、はるたん気味悪がってました。スパッとお別れをしたいようですけど。。。

とか日記打ってたら、はるたん起きてきました。寝る前の薬飲んでなかったのだそうです。な〜んだ。

すごい人混みだったとか。6時に夕食を食べた後、そのままずっと寝込んでしまったと話していました。

上機嫌です。よかったよかった。


2003年12月13日(土) 振られました。

恋人ではないですよ(笑 はるたんにです。
「卒論読む??」と聞いたら、「いい!!」ですと。

・・・忘れてました。はるたん、文字ばっかの文章、苦手なんです、昔から。

でも、内容をかいつまんだら、ふ〜んと言ってました。

これから、お世話になった大切な方々に、郵送&お礼参りに伺う予定です。
突然、表れても、逃げないで下さいね。皆様。
ヤギさんに食べさせるのは、一度読んでからですぞ!!

肝心のはるたん、私が見てもやや具合悪そうですが、頑張ろうとしてます。
その、活力に拍手。

予定通り、投稿用の表紙仕上げたので、投函するようです。
結果はどうなることやら・・・

あっそうそう、今我が家には美味しい和菓子があります。とっても美味しくって、はるたんと堪能。さる応援団からの頂き物なんですよ。
さり気ない心遣いに感謝の気持ちで一杯です。


2003年12月12日(金) 祝!卒論提出!

お騒がせしました。姉、今日無事に卒論の本論を提出しました。
長かったです〜〜けど、とっても特別なものができました。

「あるデイサービスにおける音楽活動の一考察」とか、かっこよく題名つけて。

この論文には、母の言葉や、姉を支えてくれる数多くの人とのつながりが見え隠れしてます。私の知識はこの多くの人々からいただいたものなので・・・
自分でも、この二次的効果に驚いているところです。

そう、大げさに言えば、私が今まで生きてきたことの証明。今の学校に入学してから自分の生きてきた道を振り返っていましたから。
卒論の謝辞に書ききれないほどの、多くの応援団に感謝します。

まずは、母に読んでもらわなきゃ。
さてと、明日はいよいよ、はるたん外泊です。もちろん、読んでもらいますよ。
なんていうかなぁ。

このあとに、抄録やら、プレゼン用原稿やらひかえているけど、取りあえず一息。


2003年12月11日(木) 寒いですねぇ

はるたんから、電話がありました。
土曜日から外泊予定なので、迎えにきてと。

でも、「お金がないから迎えにきてほしい」のだとか。

オイオイ、さては大量に洋服買ったな(苦笑

14日はショップの撮影会があるようで、パトロンさんに買ってもらったかわいい(まじそうなんです)洋服を着て新宿に行く予定。
姫袖のワンピと書けば、想像できるかしら。

投稿用の漫画の表紙の下書きを終えてあるようで、うちで清書して月曜には送りつけるようです。結果はどうなることやら。

すでに、次回オリジナル作品にも取りかかりつつあるようですよ。

・・・と書くと、とっても体調がよいように見えるのですが、実際は、やはり転棟の影響でいまいちだとか。

無理しないでねぇ、はるたん、と伝えてあります。


2003年12月10日(水) クリスマス・・・

今日、父上のこずかい程度のボーナスが入りました。
ちょうどバーゲンセール中だし、クリスマスプレゼントも兼ねて、のんびり買い物。

はるたんへのプレゼントは、CDです。映画のサントラが欲しいみたいで。
我が父は、散々何もいらないよ〜といったあとで、あったかい肌着が欲しいと。いやいや、仕事がら外にいることが多いので、まじ切実らしく。

ちゃんと調達しました〜〜。

で、私は・・・というと、母が亡くなってからいつもなんですが、今回も何も買わないだろうなぁ。欲しい物はないわけではないんですけど、今絶対必要かというと、そうでもないものばかり。二人からは「貧乏性!」と苦笑されてます。

でも、本だってCDだって今ど〜してもなくては困るものではないですからねぇ。はるたんからは、「私、お姉ちゃんにプレゼントできなくてごめんね」と言われてしまいました。

この気持ち、最高のプレゼントと思うのは、やっぱり甘いかなぁ。
つくづく、母に似ていると思って、一人で苦笑してます。

みなさまは、どんなクリスマスになさいますか??
パーティなど家で開くのも楽しそうですね。

さて、学校にいってこよ。卒論、どうにか私が書いたとは思えない程、カッコよく仕上がりそうです。


2003年12月08日(月) 何ごともなく

はるたん、病院へ行きました。

「お願い!!リスカの事言わないで!!」とはるたんに懇願され、本当なら報告義務があるとは思うのですが、昨日彼女が如何に頑張ったか、これから長い長い慣れるまでの準備期間が必要かについて、外泊報告書に記載するにとどめてしまいました。

何でも、転棟時に「リスかしたら即閉鎖病棟だぞ!!」と念押しされたようでして、戻ったばかりですぐに・・・では、あまりにもどうかと思い。

主治医は、転棟させて状態を落ち着かせることよりも、今の場所で彼女が自分を保てることをみたいはずなのですが、やはり、周囲を振り回す病気と揶揄されてしまう、この病気故に、他のスタッフが振り回されてしまっているように映ります。だから、本人にとって手痛いあんな言動が容易にでるんです。

それに、私も、今は今のままが言い様な気がして・・・ただの勘ですが。
いろいろな不安感に、あんなに一生懸命に戦っていたのですもの。現状で様子をみたいんです。

母だったら、どうしたでしょうねぇ。


2003年12月07日(日) まあまあ・・・

はるたん、今日は姉の予想通りストレスフルだったようです。
いらいらが止まらなくって、ちょこっとリスカを。

でも、入院前に比べたら、随分回復したなぁというのが、今日の感想。

一生懸命自分と戦おうと頑張ることができました。
姉への電話がなかったんです。

今日の経験はきっと本人も考えることでしょう。
「また、閉鎖に戻される〜〜〜」とか、「外泊制限がでる〜〜」とかいろいろ考えてよけいに疲れたようですが、私としては、これからもこういうリハビリをさせたいと思ってます。荒療治かなぁ・・・

けど、もうここまで回復してるんだもの。試していかなきゃ何も変わらないと思いませんか???

まぁ、これがきっかけで、明日病院にいって、彼女の体調が崩れなければ、さらに一歩前進なのですが。ちょっと心配。
「寝れない〜」と言っていたのもつかの間、私とひとしきりしゃべったら、もう、眠ってます。

さて、姉様は、静かに卒論卒論っと。


2003年12月06日(土) はるたん、外泊

ちゃんと、おうちにいます。
卒論書き終わらない〜〜〜とかいいつつ、久しぶりにカラオケなぞやってみたり・・・。大丈夫、ちゃんと終わらせますから(汗

体調はとりあえず落ち着いてるみたいです。看護師さんはテンション上がり過ぎとか、言ってたんですけど、私には変わらないように見えますし。

明日は、姉は仕事で、父も帰って来ないため、丸一日一人になります。予定では午後からフリースペースに出向くはずですが、どうなることか・・・。

正直心配は心配。仕事休めなかったのを悔やんではいます。
でも、「途中で気分悪くなられても」なんて心配ばっかりしていては、いつまで経っても退院できないので、思いきってやらせてみます。

実際退院したら、日常的に生じる生活スタイルですし、これが耐えられなくなって入院したわけですが、前は、頼る場所なかったから・・・その点では大幅に違うはず。

どうか、ちゃんと自分ですべて出来ますように!


2003年12月05日(金) 転棟しました!!

お騒がせしました。
「今日の午後無事に開放病棟に転棟しました。」とソーシャルワーカーさんから連絡が。

はると本人からも電話がありました。(頼むから授業中にならさんといてけろ〜〜)思いは複雑、けど嬉しそうです。
おしゃれもできるし、お化粧もできるわけですからねぇ。

明日から外泊です。朝一番に迎えに行きます。

今日姉は、以前ボランティアしていた病院に出かけて、バザーの手伝いをしてきました。我が家が大変だった時、しっかりと私を支えてくれたスタッフの方がいるあったかい場所なんです。

はるとと同じ、いやほとんどがそれ以上に重い障害を抱えつつ入院生活を送っていらっしゃり、改めて考えさせられました。
自分にできることは何にもないなぁって。

ただ、自分の無力さを見つめ、一緒に歩くだけです。
スタッフの方からも、励ましの言葉をいただき、嬉しかった。

さてと、卒論大詰め。励ましサンクスです。がんばるぞ〜〜〜


2003年12月03日(水) 突然ですが

歌声喫茶って知ってます??
1960年代にピークだったお酒のみながら、みんなで歌集みつつ、みんなの歌いたい歌を歌う場所。

卒論で、音楽に関して書いていて、考察でふっと思い付いてこの件を書き書きしたら・・・
「君の年令で、このことを知っているはずはないって人はとるから、ちゃんと引用文献探しなさい」と言われてしまいまして。

つくづく自分が特別な環境にいたことを理解。歌声喫茶でアルバイトをしていた母親を持つ子供なのです、うちら。手にとるように全盛期の話を、母は本当に楽しそうにしていたのですから。

慌てて引用文献探し。これが、なかなかないんだわ。同じ頃は安保紛争やらオリンピックやらが騒がしくて・・・。
結局、歌声喫茶のドキュメンタリーの本を図書館で見つけたので代用。

資料集めでこんなに、悲しくなったのは初めて。この本、本当にリアルなんだもの。何につけても、母の面影を浮かべてしまう私は、甘えん坊ですね。困ったものです。


2003年12月01日(月) いろいろありましたけど

はるたんから、先に電話。
「5日に開放病棟に移るから、外泊6日からにするね!迎えよろしく」と。

ソーシャルワーカーさんと連絡をとりました。
先週の退院に向けた話は、やはり、はるたんの一方的な話だったようです。でも、今日の診察で、「一月をメドに退院できれば・・」と話したと聞きました。

とりあえず、転棟できれば、「もう病院に帰らない!」はなくなるかなぁ。
でないと、毎回ひやひやしながら外泊させなければなりませんもの。

わかんないですよぉ〜すでに、「でも退院したい」とか言ってるし。

ただ、退院年明けは、ちょっと悲しいなぁ。。。
複雑な姉心です。


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