日々の泡・あるいは魚の寝言

2001年06月30日(土) 父と時計

平成七年に、うちの父は死んだのですが、六月の父の日の頃は、病院で闘病中でありました。
「父の日に何がほしい?」とわたしが聞きましたら、「時計がほしい」というのです。たしか、「針が大きくてよく見える、目ざまし時計がほしい」というようなことをいったと思います。

私はそのころ、どの本かの印税で懐が豊かだったので、とある複合商業施設へ行って、そこの時計屋さんで、金額上限なしでめざまし時計をさがしました。
でも、こちらがいくら高くてもいいと思っていても、そこは置き時計ではなくめざまし時計です。金額的にはたかがしれています。
私はそれでもいろいろ選び、一つの時計に決めました。

病人の枕元におくのですから、秒針の音がしない静かなものがいいと思いました。万が一落としても壊れないような、丈夫なものがいいと思いました。針が大きいのは父親の希望どおり、塗ってある蛍光塗料が有害なものではない、という表示がある時計を選んだのはもちろんです。
七千円(だったと思う)のその時計は、真四角なかたちの、がっしりした、濃い灰色の時計でした。たぶん学生向けのデザインだったのだと思います。まるで戦車か戦艦かの塗装のような色と無骨なデザインでしたが、父はもと自衛官だし、そのへんもうけるかしらと思いもしました。

さて。きれいにラッピングされた時計を渡したとき、病床で包み紙をほどいたときの、父親の表情が忘れられません。
「ありがとう」とはいってくれたのですが、何とも哀しい顔をしたのです。

その表情で、私は、「あ、これははずしたな」と気づいたのでした。

うちの父親という人間は、実はかわいらしいものが好きでして、以前、私が使っているオルゴール時計をほしがったことさえある人間だったのです。
(ああっ。おとーさんがほしがっていたのは、あのての時計だったのか!)。
こびとが踊っていたり、小鳥が時を告げるような時計がほしかったのか…。

後悔先に立たず。
私はごまかし笑いをしながら、ラッピングについていたリボンを時計に飾り、「ほら、おとーさん、こうするとかわいい」とか、「この時計、高かったんだから」とか話しかけたのですが、そんなので無骨な時計はかわいくしようもなく…。

そのご、七月四日に父は死んで、夜中に病院を退院、時計もいっしょに我が家に帰ってきたのでした。
今思うと、もう一個、かわいい時計を買ってきて、父にプレゼントすればよかったんだと思うのです。どうしてあのとき、それを思いつかなかったんだろう?

時計は長いこと、戸棚にしまってあったのですが、昨日母が出してきたので、ふと思いついて、ネイルアート用の花のシールを飾ってみたら、かわいくなりました。
せめて、当時、これくらいのこと、してあげればよかったなあ…。

ささやかな思いつきで、人を幸せにできる知恵って、結構あると思うんだけど、それがずばりのタイミングででてくるとは限らないところが、人間の辛いところかもしれないですね。

明日は、少し早めの、父の七回忌です。



2001年06月21日(木) 風邪引いた…

多分、獣医さんの所で、先生から院内感染(笑)。
猫は大丈夫でも、人間はもろかった……。

今日はりや猫の抜糸でした。
私が診察台の上に、りやをたたせてだっこして載せて、先生がはさみとピンセットで、おなかをちょちょいとさわったと見る間に、抜糸終了。

先生……器用ですね☆
また尊敬の度合いがアップ。
おみやげに、小さなペペロミアの鉢をもっていったんですが、それにすごく喜んで下さった(園芸もお好きなようで)のは、好感度アップ。
ついでに(ああ、詳しい話はやっぱり書けないのが口惜しいけど)、その後のおしゃべりタイムで、いかに熱血な正義の獣医さんかわかったので、さらに好感度&尊敬度アップ。

……いつも思うけど、どうして私が好きになるタイプは、男女年齢を問わず、「激情の正義派」が多いのだろう? あの人もあの人も、って感じ(^^;)。
私自身は決してそういうタイプではない、と、思う。はい。

まとにかく、あの先生には、猫どもの一生分、ついていこう。
(長崎を脱出するときにどうするかが、また困りものだけど、そりゃまあ、夢と希望の未来の話なので。いつ実現するかわからないし(^^;)。

さて。
とにかく、風邪を引いて喉が痛いです。微熱もあります。
でもこういうときにかぎってネットが楽しかったり。
仕事が一本すんだからでしょうね。打ち上げ気分な感じ。

ええっと。あとはここ数日のうちに、例の産経新聞の童話のゲラをやらなくては。四回連載の「猫姫様」。する事は、多いんだよね。まだしてないだけで……。

そうそう。昨日渡した「ちゃぐりん」の童話にも、猫がでてきます(^^)
脇役だけど。
「かっこいい&かわいい猫キャラをだして、猫好きを喜ばせ猫好きを増やそう」作戦の第三弾ですね。今回は、ちょっと、動物虐待はいけないぞというエピソードもだしてみました。背景にちらっとですが。
うーん。どっちかというと、動物の恩返し系の話だろうか?
タイトルは、「コンビニたそがれ堂」です。
お客さんがほしいものは、なんでも売っている謎のコンビニの話。
ちなみに、担当さんは、猫大好きだそうで、「かわいらしいお話をありがとうございます」と、喜んでらっしゃいました。
みんなで作ろう、猫好きの輪♪

というところで、もう二時なので、寝ます(^^;)



2001年06月20日(水) 長崎脱出計画

じわじわと発動中〜☆

とかいって、具体的にはまだ何もしてないんですが(笑)、昔からたいていのことは願えば叶ってきたので、「あー関東に帰りたい。懐かしの千葉に家買いたい」と、念じているところです(^^;)。
でもねえ。この念力が、「ちゅらさん」のおばあくらいすごいんだぞう(笑)。
ふふふふふ。

あ、そこのあなた。ひかないように(笑)。
一種の楽しい冗談として、さらっと読んでくださいね(^^;)。
うまくいったら楽しい願い事ということで…。

このごろ、老後のことまで考えるようになってまして。
そいで、年とって小説をいまほどのペースで書けなくなったり、病気になったりしたときのことを思うと、関東にいた方が生きて行きやすいような気がして。
関東だと、とりあえず、童話塾やってもそこそこ収入を生み出す自信があるのです。ついでにいうと、ちゃんと生徒を育てる自信もあったり(^^;)。
あと、それなりに生徒さんの人数を集めて、本格的に新人賞をねらう教室を立ち上げたいという野望も(野望は☆)あります。
九州じゃ、それは難しいから。童話人口が少なすぎるんだよー。

それに、健康保険が私、なぜか関東地方のなんですよ。あはは。
はいっている国保が、文芸美術家協会のだから。
だから、こっちでは使えないような、病院の割引とかがあるんです。
使わなきゃもったいないっていつも思ってる。

長崎には、父親と先祖の墓もあるけれど、弟が長崎放送のアナウンサーである以上、この地から引っ越さずに、墓守をしてくれそうだし。
母親は、いっしょにつれて行くつもりでいます。仕方ないしさ。
母親も、関東を恋しがっているので。

長崎でどんなに友だちができても、好きな店や風景ができても、どうしても、故郷にはならないような気がします。
それはずっと感じていて(もう二十年くらいもここにすんでいるのに)、まあ一生旅の人のような生活でもいいかと思っていたのですが、やっぱり、自分の気持ちのなじむところ、自分と同じ言葉を使う人たちのいる地へ帰ろうと思います。

長崎市の空は小さくて、息が詰まるのです。
私は箱庭みたいな街じゃなく、もっと広いところで暮らしたい。
ちゃんと空が見えるところで。

今すぐとか、ここ数年のうちにとか、そんな急なことでなくても(てかそれはいくらなんでも、○○の企画が通りでもしなければないであろうて)いいのです。
おばあさんになるくらいまで、遠い未来のことでもいいなあ。

私はいつかきっと、千葉県に帰りたいです。
風早の街のモデルになった街へ。



2001年06月19日(火) 雨の夜の猫と金魚と

…暑い。

暑くて、死にそう。
そう、私は暑さと湿気に弱い女なのです。

夏は、日本人じゃなくなりたい。←切実

今夜は、長崎市は台風のような雨風に襲われていて、めちゃくちゃ湿気が多いです。泣きたいです。
そんな中、金魚二匹入り60センチ水槽の水が汚れているような気がしたので、水換えを決行しようと思いました。
だってほら、豪雨のせいで電気がとまったりしたら、水もとまるから。
水がでてくるうちに、換えておこうかなと思ったわけですね。

水を換えるためのポンプは、お風呂場の壁にひっかけてあります。
いそいそともってきて、水槽に入れ、そのまま近くにある台所の流し(母さんすまないねえ。衛星観念乏しくて)に反対側を差し入れて。
気持ちよく、水をぶしゅっと……。

でない。
それがでないわけですね。ふしゅううううっと、むなしい音がするだけで。
ホースに穴があいていたのです。犬歯の形に。

そう。
犯人は、りや猫でした。
必殺ワーキングキャットりや猫は、面白いものを発見すると、何でもかんでもおみやげとして人間にもってきて見せないときがすまないという性癖をもっています。
そんな彼女の一時期のトレンドが、この金魚用水換えホース。
彼女の背丈より、ずっと高いところにつるしてあるホースを、とびつき、殴り、くいついては、壁から引き下ろして、床にたたきつけたところを、得意そうにくわえて、ずるずるとこっちまでひきずってくるのでした。
ええ、廊下を転々と水で濡らして。

このごろ飽きたのか、ホースの運搬はしていなかったのですが、あの、ホースに執着していた時期に、穴を開けていたに違いない。
おそるべし、アメリカン・ショートヘア。

結局、バケツで水をくみ出し、バケツで新しい水を入れました。
カルキ抜きに使っている麦飯石溶液がきれていたのですが、どうせうちの巨大金魚どもは、大したデリカシーをもっていないので、水道水をまんまいれました。
ま、どうせ三分の一の水換えだし。
で、室内の湿気が、さらにあがったところで、ストレイナーだったかを(水槽の部品です。水を汲み上げる管みたいなの)はずして、洗って、元通り水槽につけて。
電源再びオン。

……動かない。

うそー。とか思って、あちこちいじってたら、なぜか動き出しましたが、正直言って、なぜ動かなかったのかわからなかったので、気持ち悪かったです。
明日にでも、明るいお日様の下でもいちどばらしてみなければ。

…って、明日は朝から、「ちゃぐりん」編集部に電話しなきゃだった。

「ちゃぐりん」といえば。
もう一つ猫ネタがあるのでした。
夕べ例の五枚の童話を書くために、遅くまで台所で働いていたのですが(なぜ台所で執筆するかというと、部屋で書いていると、ケージでねせている、りやがいつまでも騒いで寝ないからです)、三毛猫レニが、陣中見舞いをもってきました。
お気に入りのぬいぐるみの、コロちゃんです。

ぬいぐるみを口にくわえて、「うみょー、うみょー」と鳴きながら、レニはやってくるのです。そして私の足下におくと、「にゃあ」とはっきり鳴いて、自分だけ部屋にもどって寝てしまうのです。
実は、レニはいつも、私が台所で夜更かししていると、コロちゃんをもってきてくれるのです。そいで、自分だけ帰っちゃうの。

さて。昨夜の場合。続きがありまして。
コロちゃんをもってきたあと、しばらくしたら、今度は部屋のパソコンのそばに置いていた、私の自然石のブレスレットをくわえてきました。いつもどおり鳴きながら床において帰って、そしてまた、部屋にもどって…。
あきらかに次に何をもっていくか、物色する目で、私の部屋を見回しているのです。
でもその目が、パソコンディスクの上に飾ってある、アクセサリー類の方を向いていたので、とめました。
誤飲の危険がある物は部屋に置いていないけれど、金属や石はやっぱりちょっと口にくわえられると怖いので。
(パソコンディスクと仕事机にはのらないようにしつけているので、ちょこちょこ小さい物も置いているのです。とがったものとかはおいていないのですが。
その、「いつもならさわってはいけないはずの所」に、夕べのレニは手を出して、いろんなものをもってこようとしていたのでした。なぜかは知らないけど)。

うーん。
レニにとって、やはりあれは、陣中見舞いなのだと思いたいです。
「お仕事大変ね。でも早く寝ましょうね」みたいな。

というわけで。
今夜もいっしょに寝ます〜☆



2001年06月17日(日) 五枚なんてキライだ

えーっと。
二十日〆切で、「家の光協会」の子ども雑誌、「ちゃぐりん」の童話の依頼を受けてます。そうです、JAといえば天下の農協様刊行の、大量に印刷されるらしいと噂の雑誌であります。
家が公務員だったもので、農村で育ったことのない私には、資料としていただいた「ちゃぐりん」はめずらしかったです。
一応ご存じでない方のためにちらっと内容を書いておくと、小学館の学習雑誌に、農協関係の漫画や読み物がほどよく配分されている感じです。
お料理からインターネット、無人島での生活の仕方(!)まで、なかなか楽しく、これが月に一度農協からとどいたら、楽しいだろうなという感じでした。

でまあ、私に依頼が来たのは、「童話のワンダーランド」という二千字の童話のコーナーなんですが…。
受けたときは、「二千字=五枚か、楽でいいかも☆」なんて思っていたのに、いざ何を書こうかとなると、五枚はけっこう難しい。
短すぎるんです。

人間得手不得手がありまして、私の得意は、150以上できれば250枚、あとは長ければ長いほどうれしい、というものなので、五枚はねえ、辛いかも(^^;)。

いや、暗い話なら書けると思うんです。
「道ばたに捨てられた子猫が、死んでいく話」とか、
「迷子になった自分を助けてくれた少年は、事故死した子どもだった」とか、
「謎の防空頭巾をかぶった少女は、学童疎開した少女の幻だった」とか。
こういうネタは、五枚くらいが書きやすいんです。ほどよく余韻が残るから。
でもなあ。先方から、電話で、「心躍る楽しい話でお願いします」というような主旨のことをいわれちゃったので…。
ちなみに、参考としていただいた6月号に載っていたお話は、手島先生のずばり、アフリカの幽霊少女のお話でした…。

あうう。
怪談はさけたい。
怪談は書きたくない。
ううう(涙)。

明るい怪談というてもあるけどなあ。
心躍る明るい怪談…。←そこはかとなく、いやかも。

そんなこんなで、いまちょっと頭痛胃痛が続いていて、鬱はいってます。

そういえば、「季節感も忘れずに」っていわれちゃってるんだなあ。
九月号。これから真夏が来るというのに、九月の気持ちにならないとにゃー。

実は一つ考えたんだけど、どう考えても枚数オーバーになる話があって、これはいずれ、どこかに売ってやろうと思っています。
日本で孤独に暮らしているおばあさんの魔女と、親切な狐の話。
(この設定だと、「日本に来た魔女」がなぜ来たかという設定だけで、原稿用紙二枚は使ってしまうのですな。最低十枚は必要なお話です)。

#ところで。
いま使っているこの貸し日記やさん「エンピツ」の今日の人気投票第一位(笑)の、日記がえらくおかしかったので、アドレスを書いておきます。笑ってください。

観音さんの日記

もちろん書いたのは私の知らない人。でもこういう楽しい日記なら、公開してくれても世のため人のためかもしれない(笑)。
おおっと! 私が読んだのは今日のぶんだけ。自動車学校の話だけです。ほかの日に何が書いてあるかは知らないよー。ちょっとスリリング?



2001年06月14日(木) ちょっとつかれたみたい

〆切二つおわって、あとひとつ。
それがすんだら、ポプラの仕事にもどって…。

ここへきて、ちょっと疲れがでてきました。
ううむ。いかんいかん。
ちょっといろいろ突っ走りすぎたでしょうか?
少し、ネットから遠ざかった方がいいかも…。

「シェーラ9」の見本が手元に届いたんですけど、地元の書店さんに挨拶に行く気力もないというか。ちょっと精神に粘りがないですね。

「ちゃぐりん」の短編、考えなきゃだし。
秋の話…秋の話。
2000字で、秋の話。中級向け。何を書こうかな?
また猫の話にしようかな?

という感じで、つかれているので、今日の日記早々とおしまい。

アメショーりや子の避妊手術、無事終わりました。
明日、お迎えに行きます。
…夕べ、眠れなかった。



2001年06月07日(木) 美しい夢を見た

クローバーの丘の夢。

私は、ミッション系の大学を出ているのですが、その古く美しい建物の、本館の部分が、なぜか、丘の上にそびえているという夢でした。
学校のある場所と、敷地はそのままに、本館の建っているところだけが、下から盛り上がったように、一面のクローバーの丘の上にひっこしているのです。

夜景でした。
もともと母校は、繁華街の上、坂の上にたっていて、海と街を見下ろしているのですが、そこにさらにクローバーの丘があり、明かりをともした古い女子大は、そびえたっているのでした。白い花が、星のように見えました。

私は夢の中で、誰かと、「どうやったら、こんな工事ができるんでしょう? 建物の下に丘を作るなんて」なんて話をしているのです。
相手はひょっとしたら、院長先生だったかもしれません。

一面の緑が美しくて、夜景も、学校もきれいで、私はうっとりとしました。
朝目覚めても、まだ、気持ちがよいままで、なかなか起きあがることができませんでした。

私にとって、心地よい夢はいつも、緑の夢です。
海の夢や、空の夢も見るけれど、植物の夢が、いちばんここちよいです。
反対に悪夢は、誰かが死ぬ夢。人が人を殺す夢。めったに見ないけど。
一番怖くて何度も見てしまうのは、目の前で投身自殺される夢です。

今日は、通信教育のお弟子さんの作品の添削をしました。
ローソンで原稿のコピーを焼いて、赤ペンで書き込み、お手紙に要点をまとめるという作業です。気が散らないように、郵便局のお手紙コーナーでおわらせました。

今年のお弟子さんは、ふたりで、ひとりは掲示板にいらしてくださった、才気煥発かえるさん。もうひとりは、横浜の年上の女性の方です。
今日添削したのは、そちらの方の原稿でした。
一度添削して、書き直したものが送られてきたのですが、前回より、みちがえるようによくなっていたので、驚きました。こちらのささやかなアドヴァイスを的確にうけとめてくださったので、ありがたかったです。
正直その方は、かえるさんと比べると、作風は地味だし、勉強しはじめたばかり、という感じなのですが、うれしい誤算という感じでした。一年間おつきあいしたあとが楽しみになってきました。

10枚の原稿にも、人生がほの見えますね。
私は、添削しながら、実際には伝えない言葉なんかも感想にもちながら、赤ペンを使っています。



2001年06月06日(水) 3万ヒット…

風の丘通信が、今日…じゃない、昨日か、三万ヒットを越えました。
ありがとうございます。約一年で三万ヒットは、児童書サイトじゃ、すごいかも。

地味〜な、児童文学作家のサイトに、こんなふうに、みなさんがきていただけたということは、ありがたいような、奇跡のような、気がします。

何で、私はHPを運営しているのだろう?
何で、ネットなんてしているのだろう?

あまり、深くは追及したことがないのですが、たぶん。
ずうっと道を歩いていって、知らない曲がり角を曲がったときに、
初めてあう人なんだけど、素敵な人がいて友だちになるとか、
ひびが入っていても、きれいなビー玉を拾うとか、
屋根が蔦におおわれた、古い喫茶店を見つけるとか、
そんなふうな、心地よい何かとの出会いを求めているような気がします。

実際には、曲がり角を曲がると、
なにもしてないのに猛犬に追いかけられたりとか、
水たまりに、思い切り踏み込んだりとか、
眠ってるみたいなんだけど、でも死んでいる雀の雛を拾ったりとか、
そんなふうに思える出来事にも遭遇するんだけど。

でもやっぱり、HPは、やめないだろうと思います。
…まあ、もう少し、ネットの時間を削って、仕事しようとは思うけど(^^;)。

この先も、風の丘通信を快適に維持していくために、
夏ごろをめどに、レンタルサーバを借りることにしました。
これからも、どうぞみなさま、風の丘通信におつきあいください。

常連のみなさま、ROMのみなさま、かもめ亭管理組合のみなさま。
ありがとうございました。これからも、どうぞ、よろしく。



2001年06月01日(金) いいたいコト

いつも思うんですが、子どもの頃からそうだったんですが、「いいたいことがいえない」タイプの人って苦手です。
昔から、いろいろ人間関係でトラブルがあったときに、一番、うぎゃあ、と、思うのが、その手の人とのやりとり。その手の人との言い争い。

相手の子は大体、すごく感情的になってしまっていて、「いやだ」とか「傷ついた」とか、そういうことしかいえないわけですよ。
(あともうひとつパターンがあるな。「反省して」と「開き直らないで」)。
私は相手がどうしてそんなに感情的になっているのかそもそもわからないんだけど、なんとか、相手の言葉を聞いてあげて分析して、「それはつまり、こういうことをいいたいんでしょう? なら最初からそういえばいいじゃないの?」というと、また話がどこかにとんで、堂々巡りになるわけです。

で。しばらくしてから、相手は絶対いうのだな。
「いいたいことが、いえない人もいるのよ」

いえない、って、どういうことなんだろう?
「自分で自分の心がわからない」っていうこと?
「それがうまくいいあわらせない」っていうこと?
「気が弱すぎて、思い切ったことがいえない」っていうこと?
「優しいから、ひどいことがいえない」っていうこと?

時と場合によって違うのかもしれませんね。
でも私は、「いいたいこと」があるのなら、どんなことでもいってほしいな。
もしかして、ひどい言葉でも。
それで私が傷ついても怒っても、喜んでも?それは私の問題で、相手の人の考えるべきことじゃないんだもの。
それでもし、人間関係が切れるようなことがあったとしても、仕方ないと思うし。それはそれまでの縁だったんでしょ? 去る者は追わずでいきましょうよ。

なんてことを私は考えていますが、こういう考え方は、「女の子」&「女」のあいだじゃ少数派らしく、生まれてから、もう何十年も、数限りなく、上記のパターンのやりとりを繰り返している私なのでした…。
もういいかげんあきたなあ(^^;)。
みなさん、いいたいことがあるときは、はっきりいう女の子になってください。

ちなみに私は…いいたいことを言い過ぎて、いつもトラブルを巻き起こしていますけどね。でも、何が起きても、いいやと思っているから。常にね。
だって、人生短いし。いいたいこといわないと、あとで後悔するってば。


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