日々の泡・あるいは魚の寝言

2000年12月31日(日) 大晦日

毎年この日には、焼き豚作ったり、ロールチキン作ったりするのです。
今年は、今年我が家に来たオーブンレンジがあるから、はじめてローストビーフを作ってみようかな、ともくろんでいたんだけど、牛肉の「これ」というのが手に入らなくて。
今日、お昼から西友に行くので、そこでさがして見るつもりです。
おっと、「これ」っていうのはね、高いのとか上等のってことじゃなくて、程々に安くてでかいのって、意味であります(^^;)。

今年を振り返ると、なんだか駆け足できたなあという感じです。
いっぱい仕事もしたし。昔、デビュー前や、新人だったころは、年のおわりに、一年に何枚書いたか計算して充足感に浸っていたものですが、あれをやらなくなって、何年になるのかなあ? 仕事の上では恵まれた一年でした。
お世話になったみなさま、ありがとうございます。

でも、今年は、ろくにお手紙が書けなかったし、あと少し、誰かに何かをしてあげたいと思っても、そのための時間や、精神的余裕がなかった。
そのへんが口惜しいです。めいっぱい「冷たい人間」になってしまった。
ファンレターのお返事も、ほとんど書けなかったし。

実際問題、わたしはひとりしかいないので、でもって、MPは豊富にあっても(笑)、HPはひとけた台というキャラクターでありますので(たぶんAGLとかも値が低そう)、そんなにいっぱいのことはできません。
来年になったらもうひとり分裂するということもないし、仕事は忙しくなるばかりのはずだから(そうじゃないとそれはそれで困るって)、いよいよ冷凍人間化が進みそうです。はあ。

だけど、そんなわたしにとって、HPを開いたことは、福音でありました。
あ、ちょっとこの使い方は誤用かな? まあいいや。
お友達やファンの方たちと、常に交流できる。
忙しいときはどれくらい忙しいか、わかっていてもらえる。
…おまけに、励ましてもらえる。感想とか似顔絵とかももらえちゃうしv
よかったああ、HPを開いて!!

風の丘通信、今年開設。
はじめての大晦日を迎えます。
はじめて迎える新年が、すぐそこまできています。
みなさま、来年も、よろしくおつきあいくださいませ☆



2000年12月26日(火) 年末とかお正月とか

クリスマスから年末にかけては、わりと好きです。
街が活気づくし、することもたくさんあって、気分が充実するから。

でも、お正月は嫌いなんですよね。
あの、街がのたーっとする雰囲気が苦手で。
近所の商店街ものきなみやすみになっちゃって、人通りが減るし。
子どものころは、年が明けるたびに、軽い鬱状態になっていたような気がします。胸の奥がきゅっと痛む感じがして。

ここ数年は、お正月も営業しているお店が増えてきたので、今年は、以前ほどひどくは落ち込まなくてすみそうです。

もちろん、商店街の人がせめてお正月くらい休みたいという気持ちはよくわかるし、どうぞ休んでください、といいたいです。

でも、理性と違う感情の部分で、街が静かになってしまうと、自分一人取り残されたような気がして、切なくなるのです。



2000年12月25日(月) 猫のこと

今日もなにやらばたばたしてすごしました。
近所の本屋さんで、『ドリトル先生の英国』(南條竹則)という本をゲット。中公新書を買ったものだと思っていたら、家に帰ってびっくり。文春新書だった。
ちなみに著者の名前をどこかでみたなと思っていたら、ファンタジー大賞を受賞した経験のある方だった(本は未読ですが。『酒仙』という本です)。
ドリトル先生シリーズの書かれた19世紀のイギリスの社会を彩り形作っていた、さまざまな事柄について書かれた本らしい。
袖に書いてある、「アブラミのお菓子、オランダボウフウなど、積年の疑問もこの本で氷解します」という文章が、かなりいい感じです。
近所の書店さんも、数年前から、いろいろ「かゆいところに手が届く」本をいれてくれるようになったので、街の小さい本屋さんなんだけど、大規模店にもまけてない感じです。お散歩の途中に、新書が買えるというのはありがたい。

もっとも、そこに今日行ったのは、いきつけのサイトの管理人さんのお写真が、とある自転車雑誌(?)にのったらしいので、それをさがしにいったのですが…。
そちらはさすがになかったみたい。
やっぱり、街に行かなきゃかな?

さて。一部の方にその後をたずねられる、猫情報です。
ペルシャ猫のランコちゃんですが、どうも、腰だけでなく、足も痛めてるんじゃないかなあという気がします。ありがたいことにポプラ社さんから、ルルーの増刷分の印税が振り込まれてきたので、そのお金で年内にもう一度、通院しようかな。

しかしこのランコ、性格がまるで野生の猫。さわられるのが嫌い、だっこなんてもってのほか、なるべくなら目もあわせないで、という猫なのです。
それがこのごろ、腰の痛みのせいか、別猫のようにおとなしくだっこされるので(首を人間の胸にもたせかけてのどを鳴らしたりするし!)、これ幸いとふだんゆきとどかない毛の手入れなどをしている不良飼い主なのでした。

でも、今日もいい気になって、毛玉さがしとかしていたら、地響きのようなうなり声を立て始め、いきなり、ぷつっと…。
そうです。服の袖の上から、爪をくいこませてくれたのです。
うう。
あとでみたら、みみずばれになって、血がにじんでいました。

猫はふつう、赤ちゃん時代は社交性があるものらしいですが、ランコは、うちに来た当時から野生に生きていました(笑)。
人になれないし、そばにこないし、めずらしくよってきてのどを鳴らしてると思うと、次の瞬間には、てかげんなしで、かむ蹴るひっかくの三拍子…。
当時の彼女にけ飛ばされた傷跡は、今もまるでためらい傷のように、手首に残っております。

でも、社交性がない猫でも、かわいくないわけじゃないです。
家族が集まってたのしそうに話していると、いつのまにか、すうっと姿を現して、少し離れたところから、目を細めて、のどを鳴らしているランコが、わたしはいとしいと思います。
そりゃ蹴られて血が出れば、本気で怒りますけど、でもすぐに彼女は反省するし。
(でも猫なので、何度でも同じことを繰り返す…)。

二匹目の猫、縞三毛レニちゃんが、「生後一日で捨てられていた不憫さ」「それをほ乳瓶で育てた大切さ」「視線で感情のやりとりができる敏感さ」の三拍子で、手放しでかわいがられているのからすると、いささか分が悪いのですが。
でも、家の中を、音もなくすうっと歩いているランコがいなくなったら、きっと、空気が薄くなったように、息苦しく切なくなると思います。
もう九年もいっしょにいるので。

今日は、ケーキを買ってきました。ショートケーキを三つ。
近所のケーキやさんは、「クリスマスですから」と、苺ショートに、ひいらぎの葉の飾りをつけてくれました。
クリームは、二匹の猫にもわけてあげました。
猫たちがクリームをなめるときの柔和な顔が、わたしはとても好きです。



2000年12月24日(日) くりすますいぶ

今日は、朝から、なんだかすごい音で飛び起きました。
縞三毛レニちゃんが、植木鉢を一つ、熱帯魚の水槽の上に、落下させてくれた音だったのでした。

呆然とした気持ちで、なにが起きたか確認すると、手毬蘭…っていいましたっけ、今名前ど忘れしたガガイモ科の植物の四号鉢(三年目くらいの、大事に育ててるもの)が、水槽の中に、水草のように沈んでいるじゃあありませんか(泣)?
パラダイスフィッシュは、水面に浮く土をつついてるし。
水草は、抜けたり折れたりしているし。
当然、あたりには土が散乱しています。
猫はおびえて、机の陰に隠れています。

…猫は、しかれませんからね。
猫には悪気はないですからね。
不安定なところに植木をおいていたわたしが悪いんだし。

そういうわけで、イブの朝は、掃除で幕を開けたのでした。

でもまあ、昼間は、かわいいファンの女の子たちとあえたから、いいですv
ありがと、ゆうきちゃん☆ アレックス君☆ またあおうね♪
プリクラ、大切にします☆

例年、クリスマスのころには、仲間内で忘年会をかねたカラオケがあったりするんですが、今年は、メンツがそろわなくて、お流れになりました。
なんかつまんないので、夜に、漫画家の友だちのところに電話かけて、どうでもいいような話をしてみたり…。
で、眠くなったので、もう寝ちゃおうかなと考えたり。
色気のないイブでしたが、まあこれはこれで平和かな?
おいしいもの食べて、屋根の下で眠れて、友だちがいて、家族もいて、猫もいる。

OK☆



2000年12月23日(土) オードリー

弟の奉職先の放送局のクリスマス特番のための、ラジオドラマの原稿を書きました。
五分間くらいの劇のシナリオを二本。
原稿用紙で、六枚ずつ。計十二枚。
この短時間で、まったくのゼロの状態からかけるわたしは偉いと、自分をほめておこう。
(一本をどれくらいの時間でかいたかは、ないしょねv)。

ドラマのシナリオを書くのは好きです。
学生時代までは、テレビのシナリオライターになるのが夢だったし。
弟が放送局勤務になったおかげで、今、こういうものを書く機会が生まれたのはよかったかもしれません。

小説はひとりで書いて、ひとりで完成させる芸術ですが、シナリオは、演出家や監督や、役者さんの感性がシナリオを変え、完成させていくものです。音楽やカメラワークだって、小道具だって、影響を与えます。
できあがったものをみると、シナリオとはまるで違ってきます。

そのあたり、憧れていました。
自分の作り出したものに、他人が手を加える、変身させていく、みんなで一つの世界を作り上げる、なんて素敵なことなんだろうと思っていました。

今、朝のテレビ小説の「オードリー」が、テレビドラマが作り出されるまでの裏の事情の物語を綴っているのですが、見ているとたまに、
「ああ、わたしもテレビの仕事がしたかったなあ」と、思います。
もう今はいい年でもあるし、今更シナリオの新人賞に投稿しようとは思わないけど、でも、自分が選ばなかった人生がそこにあるような気がして、わたしは毎朝、「オードリー」を見ているのです。
(あんな美人の主人公に自分を重ねているわけじゃないですが)。



2000年12月20日(水) なんだかなあ…

通りすがりのHPで、でもちょっと気に入っていた管理人さんがいたところが、HPを閉鎖することになってしまいました。
掲示板がらみのトラブルの結果、そうなったらしいのですが、はたで見ているぶんには、その管理人さんの発言のほうに分があるように思えたので、わたしとしては、うーむとか腕組みとかしちゃったりしています。

HP、閉鎖しないで欲しかったような気もしますが。
でも、繊細そうな人だし、仕方がなかったかなあ。
今はただ、その才能のある管理人さんの復活を待つばかりです。

今日は、お礼状を書いたりしてすごしました。
明日は一日、ラジオドラマの原稿を書くと思います。
ていうか、書かないと〆切、金曜日…(^^;)。



2000年12月19日(火) 腰痛

わたしじゃないです。
猫が腰痛なんです…。

先週の東京旅行から帰ってきた日、二匹の猫のようすが変でした。
とくに、ペルシャが変でした。
9才のペルシャは、わたしをお迎えにも来ずに、なんとなく上目遣いにこっちを見て、物陰にすうっと隠れてしまったのです。
一方、1才の縞三毛は、おそろしく艶のなくなった毛並みを逆立てて、こっちに走ってきました。で、うれしいしっぽ(しっぽの付け根だけをふくらませて、先は細くしたまんまの状態。三角形に見える)になったまま、わたしのそばに張り付いて、三十分くらい、元のしっぽにもどりませんでした。

まあ、そのときは、ペルシャは何日も留守番させられて、すねたんだろうと思ったし、わたしはむしろ、縞三毛のぼさぼさになった毛並みが心配で、こりゃさみしさと不安で病気にしたかと、なでまわしたりしていたのです。
で、縞三毛の方は、なでているうちに、元通りの毛つやにもどって、それでまたわたしを感動させたのですが、問題はペルシャでした。
翌朝、ふと、彼女が歩くところを見ると、後ろ足を引きずっているのです。
そうして、物陰へ物陰へと、もぐってゆきます。食欲もありません。

げげ。
あれは一昨年のことだったか、ペルシャは、お尻の分泌物をだす線がつまってしまって、はれあがり、病院通いをしたことがありました。
あれの再発だろうかと思いましたが、年のため、留守番をたのんだ家族に、なにか猫に事故がなかったかどうか、きいてみました。なにもなかったと家族はもうします。ただ縞三毛が一度あまりにも夜中に騒いでうるさかったので、小さなクッションをぶつけた!!! とひどいことを懺悔しました。
…そのショックで、縞三毛は毛の艶があせたのでしょうか? まるで継母にいじめられる、シンデレラ姫のようではありませんか?<ちょっと違うけど

それはさておき、ペルシャです。
今日までようすをみていたのですが、治らないようなので、かかりつけの病院につれていきました。長崎名物眼鏡橋のそばの、Kという獣医さんです。タクシーで千円かかる距離ですが、その先生が長崎一の名医だとわたしは信じているので、もう十年もそちらの病院にかかっています。

で。診察の結果でた結論が、腰痛だったのでした。
なにかのはずみで、腰をひねったのだろうということでした。
猫は、首筋に、消炎剤ともうひとつなにかの注射をされて、ぎゃあぎゃあ鳴きながら、おうちにかえってきました。
そうそう。赤外線治療器もあてられたんですよ。びっくり。
ペット用赤外線治療器などというものも、あるんですね。あたりまえといえばあたりまえのことなんですけど、少し笑えました。だって、整骨院に通っているお年寄りみたいなんだもん。
ペルシャは、薬がばっちり効いたのか、さっき、わしわし猫缶を食べていました。

…あ、今日は風邪薬を飲んでるもんで、さっきから眠くてしょうがない。
でも、もう一言。
病院から帰ってきたあと、ほっとして軽くなった心で、街をふらつき、なにげなくはいったホームセンターで、黄色いシクラメンを見ました。
テレビで紹介されているのは見たことあったけど、実物を見るのははじめて。
黄色というより、オフホワイトという感じの色ですが、白いシクラメンと並べると、たしかに黄色いな、と思わせる色でした。

それにしても。
猫が病気してるかも、と思ったときの、あのなんとも胸の傷がじくじくするような、不安な気持ちは、なれるということがありませんね。
とりあえず、お医者さんの見立てどおり、腰痛という線が濃厚みたいなので、安心している村山なのでした。
猫が病気するくらいなら、自分が寝込んだ方がいいって、たいていの飼い主さんは思っていると思いますね☆ 人間の方が医療費も安いし(^^;)。



2000年12月18日(月) 花とか人生とか日記とか

今日はおそろしいことに、十二時まで目が覚めなかったので、一日が短かったです。家の中を歩き回っているうちに、夜になってしまいました。
まあ急ぎの仕事はとりあえずないので、こういう日もいいかなとは思いました。

とりあえず今週の仕事といえば、弟の奉職先の放送局のクリスマス特番(?)の中で使われる短いラジオドラマの脚本を書くことですか。
枚数的には短いので、あまり苦にはなりません。もっとも、こういう小さな仕事が、本業の長編執筆とかと重なると、すごい枷になるのですが、今回はほかに仕事が重ならなかったので、楽しく仕事ができそうです。

今日は、宅急便で、猫母さまから、植物がいっぱいとどきました。
原種のシクラメンとジンチョウゲと、雪割草の鉢と、ザクロの実です。
ジンチョウゲの根元には、風知草とヒメタチフウロの芽もありました。
みんなうちにはないものばかりだし、原種のシクラメンは、一度育ててみたかった憧れの植物なので、天に舞い上がるほどうれしかったです!
……うう。こんなめずらしいもの、いただいてもいいものでしょうか?
せめて、枯らさないようにしようと思いました。大事にします♪
夜、猫母さまにお礼の電話をかけて、お話ししたので、さらに幸せになりました。
猫母さま、ふつつかな外猫娘ですが、どうぞなるべくお見捨てにならず、これからもよろしくおつきあいくださいませ☆

今日は明るいあいだは、いただいた鉢物をかかえて、家中置き場所をさがしてさすらっていました(笑)。ちょっと幸福でした。
わたしの眠るベッドのそばに、無理矢理出窓風にした(枠に板を打ち付けただけです)空間があるのですが、東向きのその窓は今の時期、ほどほどに冷たくほどほどにひがはいるので、そこにジンチョウゲ以外の鉢をおきました。ジンチョウゲは、仏間(南向きの窓がある我が家の温室のような空間です)の窓辺におきました。
ああ、幸せ♪ 明日から毎朝、原種シクラメンと雪割草と朝の挨拶をして目覚めるんだわ☆ ふふ。どっちも春には咲かせて見せましょう♪ 園芸歴十数年の意地にかけても☆。

さて。
このエンピツさんの日記は、貸し日記やさんみたいなところのものです。レンタル掲示板の日記版みたいなものですね。書きやすくて気に入っているのですが、エンピツのHPにいくと、ほかの人の書いた日記も読めます。公開になっている日記が読めるんですね。(ちなみにうちのは非公開。HPに来た人じゃないと読めません)。
で、読むと、なんか暗い気持ちになるのが多い〜(泣)。
中にはフィクションもあるのかもしれませんが(そうであってほしい)、浮気したり中絶したり、旦那が刃傷沙汰おこしかけたり、自殺未遂したり…。

……いや、そういう経験する人もいるんだろうけど、わたしには、そういう内容を日記に書いて発表する心理がわかんない。趣味が合わない。理解しがたい。
誰が読むともわからぬままにメールを出す、ボトルメールみたいなものだろうか(あれも迂闊に登録すると、死体写真が流れてくるらしいですが)?
それとも、不特定多数の人々を相手にしたカウンセリングみたいなものなのかな?

いっちゃなんだけど、わたしだって、病院でカウンセリング受けた経験ある人間だし、十代のころには人並みに手首くらい、薄く薄く切っちゃったりもしましたが(で、あとで化膿して痛かった。馬鹿みたい)、「わたしは孤独です」とか、日記に書いて人に読んでもらおうなんて思わなかったなあ。金輪際、思うこともないだろうなあ。

ぼやあっと考えてるんですが、結局は、つらい日記を人に読んで欲しい人というのは、他人に助けを求めている人で、他人に理解してほしがっている人なのかもしれませんね。ぎりぎりのところで、他人の手にすがれる人。
他人を必要としている人というのかな?
ピュアな人っていってもいいかもしれない。

でもなあ。わたしはそういうことを自分がするのはいやだなあ。
「助けてください」とか日記に書くのは。
なんか、てれくさいし、かっこわるいと思うなあ。
人がそういう日記をかくぶんには、OKなんですけど。
あ、前もこんなネタで書きましたね。そういえば。

この夏に、すごく体調が悪くなって、ガン検診を受けたとき、もしかしてガンだったとしても、絶対に、闘病記はアップしないぞと、思っていました。
できれば病気のことは書かないままでいるか、もし病名を書くとしても、努めて明るく、「ガンになっちゃったよ。がーん♪」とか、そういうギャグをとばしたいものだと思っていました。HPの常連さんたちにも明るいままでいて欲しいというか、間違っても、千羽鶴なんて送られたらいやだなと思っていました。掲示板で泣かれたりするのもいやだった。
で、明るい雰囲気のまま、わたしはほがらかに見苦しくなくこの世とさよならね。まちがっても、この世への未練なんか、綴らないぞ、と決意していたのですが…。

ご存じのとおり、検査の結果はいいもので、今も元気に生きております。
人間、そう簡単には死にません。安心してください。
とりあえず、持病の頭痛と胃痛はかかえてますが、まだ死なないみたいです。

なんかとりとめもない日記になって来ちゃったけど、それが日記というものなんだろうから、このさい気にしないことにして、でも、こういうわたしの性格も、嫌いな人は嫌いなんだろうなと思ったり。
「無理してるんだろう」とか、「うそつき」とか、「かっこつけだ」とかいわれそうだなあとか想像したり。
でもわたしの場合、「さあ、今からあなたのつらさを告白してください」っていわれるのは、具合が悪いときに、いきなり洗面器を前にだされて、「さあここに吐きなさい」っていわれる程度に、つらくてありがたくて、少し迷惑なことだなと思うわけなのでした。

病院にカウンセリングに通っていたころ、心療内科の先生に、
「あなたはいいたいことをいって、泣けば元気になります」
と、何回かいわれたものですが、このままだと、わたしは一生不健康な人生を送ることになりそうです…。
ま、それも人生ってやつよね♪







2000年12月16日(土) 帰ってきました♪

すみません、復活が遅くなりまして…。
ちょっとさすがに疲れていたもので、パソコンの電源がいれられなかったのです。疲れているときに画面を見ると、明かりがわっと目に来るアレが苦手で、ついには頭痛とかしてきてしまう体質なもんで…。
きっと、「お帰りなさい」の書き込みがいっぱいあるだろうなと思いながらも、どうしても、今日まで電源がいれられなかったのでした。

でも、もう大丈夫です。
復活したぞ!
またよろしくお願いします。

東京旅行記は、「雑感」の方で、近日中にアップするつもりなので、乞うご期待であります。今回もいろいろあったんですよ(笑)。
年末に上京するようになって、今年で三回目ですが、毎年必ず何か、ちょっと笑える事件が起きるのです。どういう現象なんだか。

それにしても。
担当編集者のみなさんや、HPのお友達のみなさんに会えて、楽しかったです。
幸せな気持ちを、いっぱいおみやげにして、長崎に帰ってくることができました。
これでまた、当分がんばることができそうです。
東京でお会いしたみなさん、ふつつかな作家でございますが、これからもよろしくおつきあいくださいませ。

さて♪ 久しぶりのかもめ亭を見に行こうかな?



2000年12月10日(日) 宝物

こんなことになるんじゃないかなあと薄々思っていたんですが、やはりこの日記は、日記というより、日替わり短編エッセイみたいになってきましたね(^^;)。
ドラマチックで、書き手の内面がのぞけて、ちょっとどきどきしちゃうような、ちまたにあるようなWEB日記というものは、やはり誰にでも書けるものじゃないのでしょうか?

でもやっぱりわたしには、「人が読むとわかっている文章」に、心の内面のどろどろとか、鬱屈とか鬱憤とか、そういうのは書けないなあ…。
いや、書くことは書くんだろうけど、たぶんストレートには書かないで、婉曲的な表現にするか、エッセイとして書いてしまうだろうと思います。
人間向き不向きがあるようです。
かっこ付けの激しいわたしは不幸。

(ほんというと、自分の感情を率直に綴るのって、自分にとっていいことのような気がするので、つまりそういうことをすることによって、自分の感情に向かい合ったり、処し方を学んだりする事ができるような気がするので、ちょっと、やってみたかったのです。でもだめだー)。

ところで。
「風の丘のルルー5」には、読者のお便りを紹介するページがつくんです。
で、ルルーあてにきたお便りを、編集のNさんにたのまれて、東京に持っていくことになったのですが、読み返しているうちに、なんか胸にくるものがあって。

ルルーだけ本棚に置かないで、机の引き出しにしまっている子の話とか、
どれくらい泣いたか言葉を尽くして書いてくれてる子の手紙とか、
鉛筆書きの似顔絵付きのはがきとか、
そういうのをまとめて読んでいると、「わたしは十分幸福なんだな」と、強く思いました。

仕事が大変だとか、お金が儲からないとか、日々の暮らしのなかでたまには、不平不満を言ったりもしてきましたが、このたくさんの手紙を見て、ルルーの本を心の支えにしてくれている子どもたちがこんなにたくさんいるのだから、これ以上、なにも望んではいけないのだなと、思いました。

そして、今更ながら、本を一番愛してくれる年代である、小さな子どもたちに読んでもらえる本を自分が書けるということ、そういう職業に希望どおりにつけたということに、感謝しなくてはいけないのだなと思いました。

「思いました」「思いました」って、作家とは思えない、作文みたいな文章を書いてしまいましたが(笑)、ほんとにそう思っちゃった。
明日から、東京に行きます。
謙虚な気分で、担当編集者のみなさんに会ってきます。
日記は、15日までお休みです。ではまた☆



2000年12月09日(土) 肩の荷おりた日

出発前の仕事のうち、今日は、「風の丘のルルー5」のあとがきを書いて、岩崎書店の新シリーズ一巻の、初校ゲラをしました。

実は、「ルルー5」のあとがきが、今回の出発前の三つの仕事のうち一番大変だと思っていたので、肩の荷が下りたような気がしています。
ルルーシリーズは、毎度あとがきまでを含めて、作品になるように構成しているので、なんとなく書くというわけにはいかないのです。
テーマについて語りつつ、ちょっとお遊びの要素もいれて、幻想的に。
そんなことを思いながら書いていますが、いつもけっこう、実話がベースになっていたりするので、書きながらナーバスになったりハイになったりします。
今回も、なんだか胸がいっぱいになってしまいました。
あとがきのモデルになってくれた方、ありがとうございました。
あのあとがきは、あなたに捧げます。

携帯のメールで、ポプラのNさんに「書けました」とお知らせして、そのあと、パソコンのアウトルックエクスプレスで、メールに添付しておくって。
折り返し、Nさんから、「読みました」というメールが携帯に返ってきました。
考えてみたら、土曜日なのに働いてるんですね、わたしたち(^^;)。
明日も当然、働きます。ここのとこずっと、休みなしです。
Nさんもそうだといっていました。なんて真面目な作家と編集者でしょう。
いつかなにか見返りがあるんでしょうか、神様。

ああちょっと、疲れて眠くなってきたので、今日の日記はこれでおしまい。
パソコンの画面に頭突きをしそう…。



2000年12月08日(金) 故郷の空の色

両親が長崎人なので、わたしも長崎の人ですが、でもって、今も実際長崎市在住なんですが、育ちは長崎じゃないのです。

父親が海上自衛官だったので、ほぼ日本全国を、転々としていました。
数ヶ月から、長くても二年くらいで、転勤していたのです。
小学校は、六つの学校に通いました。
当時の、「また転校することになったから」と、親からきいたときの、心を切られるような悲しさは、今も忘れることはありません。
不思議なもので、友だちがいない学校や、ひどい教師がいた学校でも、転校することへの抵抗はいつだって、強くありました。
子ども(幼い動物)の持つ本能のようなものが、すんでいる場所から移動することを拒否していたのかな、と、今は思います。たぶん幼い動物は、そんなに居場所を移動するようには造られていないのです。本能のようなものが反対していたのではないかと思われるほど、転校という出来事は、つらい経験でした。
(だから、自分の経験からいって、子どもに転校させるくらいなら、親は単身赴任するべきだ、と、わたしは思っております)。

転校を繰り返していたころ、関東に住む機会が多くありました。
とくに、千葉県には、小学校六年生の終わりから中学二年の終わりにかけての、一番多感な時期に暮らしていたので、今も、心のふるさとになっています。
冬の関東の空の、どこまでも透き通った色や、幻のように浮かぶ富士山の姿。遠くの東京の空に落ちる稲妻の音のない光。
そんな情景が、今も忘れられません。

作家になって以来、年に一度くらいは、上京するようになりましたが、飛行機で関東平野に舞い降りるたびに、故郷に帰ってきたような気がします。
生まれた川に帰る魚が、小さな時分にいつの間にか水の味を覚えるように、わたしもまた、小さな時分に、関東の空の色を身体に取り込んでしまっているのかもしれません。

11日からはまた、関東の空の下に帰ります。



2000年12月07日(木) 12月7日現在の近況

11日の上京前までに、わたしがしなくてはいけないお仕事のリスト。

1・「風の丘のルルー5」のあとがきを書く。
2・「風の丘のルルー5」のおまけのページを書く。
3・岩崎書店の新シリーズ一巻の初校ゲラをする。

忘れないように書いておこう(笑)。
これだけ、10日、日曜日の夜までに仕上げなければならないのでした。

2の「おまけのページ」というのは、今回だけ、同人誌みたいに手書きのページをいれようということになったのでした。
落書きも、ちょこっとします。ちょこっとですけどね。
今回は、そういえば、読者さんの手紙のページもできるんですよ☆
お楽しみに。

実は、仲良しのお友達のところに、明日かあさってには、パソコンが来ることになっていて、わたしはそれを見に行きたくて仕方がないんですが(インターネットに接続してあげたいの♪)、彼女の家は、きわめて長崎らしい山の上にあるので、来年くらいまで、見に行く時間がとれないような気がします。
…長崎の山の上にある家への道は、半端じゃなく険しいんですよ(^^;)。
時間と体力と気力がある時じゃないと、とても彼女の家には行けない。

こういうと、他県の人は信じてくれないけど、長崎では、今も現役で馬が荷物を運んでいるんです。車が入れないような細い坂道の上に人が住んでいるから。
県庁所在地で荷運びの馬が、現役で働いているところは、ほかにはあんまりないでしょうね。
馬、かわいいんですよ。たまに、国道を、軽トラックの荷台に乗せられて、おとなしくはこばれていってます。たてがみとしっぽをなびかせて。

…しかし、11日出発のぎりぎりまで忙しいなあ。ううむ。
いった先のホテルでは、またお仕事で、自家製缶詰状態だし(笑)。



2000年12月06日(水) 今夜は

首が腫れていて、キーを打つと響くので、日記はお休みです。

とかいって。
書いているじゃないですか、自分(笑)?

根っからの受けねらいの性格なのかも。
作家向きの性格と言い換えてしまおう。

でもやっぱり、疲れてるから、今日は以上でおわりです。

また明日♪



2000年12月05日(火) ルルーの休日

「風の丘のルルー5」の初校ゲラを、本日、翌朝便でだしてきました。
このあと出る再校ゲラは、来週の東京旅行の時に、宿泊先のホテルで行う予定です(涙)。年に一度の休暇の旅行のはずだったのになあ。

旅行といえば、今度のルルーは、ふと疲れを感じたルルーが気晴らしに旅行に出てみるというお話です。ブルージュを思わせる(というかブルージュがモデルの)美しい豊かな運河の都で、ルルーは疲れを癒すつもりだったのですが、偶然、おそろしい竜が、間近に迫った祭の夜に復活するということを知ってしまい……。
さて、ルルーは竜の復活をくい止め、街を守ることができるでしょうか?

ルルーシリーズは、毎回、「何か事件にあってルルーが成長」「ラストで感動」「映画的な話」(これはとくに担当のNさんの希望)というあたりがはずせないことになっているのですが、それプラス、「苦悩するルルー」という要素が、なによりも毎度必要とされる要素になっておりまして、わたしは書きながら「わあ、ルルーかわいそうに」と、つぶやいているのでした。って、物語を考えているのはわたしですが(笑)。でも、苦悩するルルーを書くのは、つらいんですよ、実際。
だって、キャラクターの心情を想像しながら書いているわけですから、ルルーが落ち込む描写を書いているときは、わたしだって落ち込んでいるんです。うう。

たまにはルルーを温泉旅行にだしたり、のんびりこたつでみかん食べさせたり、テレビゲームさせたり(?)、とか、ゆったりさせてあげたいものなんですが。
だけど、こないだ、担当のNさんが、うきうきした声で電話をかけてきて、
「次のルルーなんですけど、ルルーちゃんが声が出なくなってしまうというのはどうでしょうかっ?」
とかいうのです。

……気の毒なルルーの明日はどっちだ?

あ、マジな話を書くと、次のルルーは南の海とか海賊船とか、そういうのを漠然と考えています。トラップがある島での宝探しとかね。元気な少年少女とか人魚とかだして、海底火山が噴火して、遺跡とか出るの。お楽しみに♪
(なんて、来年書くつもりの原稿の話なんかしてたら、鬼が笑いますか)。



2000年12月04日(月) 風の丘が本に載ったよ☆

というタイトルにすると、「ルルーならもともと本じゃないの?」といわれそうですね(笑)。
実は、発売中のエーアイ出版刊「WWWイエローページVol.10」という、ほぼオールカラーの本に、「村山早紀の風の丘通信」の紹介記事が掲載されているのです、はい。
トップページの写真が、ばーんと大きく載っております。
今現在、発売されたばかりで、書店にたくさん並んでいますので、ぜひ手に取ってみてくださいね。
赤い大きなWWWの文字と、いすに座ってコーヒーを飲んでいる、赤い熊のような謎の生物の絵がめだつ、ムックのようなサイズの本です。
パソコン雑誌のコーナーあるいは、パソコン書籍のコーナーにあります。
あとがきを読むと、本を作った人たちの真摯さが感じられて、こういう本に掲載されて、本当によかったと思いました。

うちのHPが載っているページをさがすときは、本の後ろのほうに索引がありますので、そこからひくと早いです。
ほかのホームページの写真と比べて、「うーん。うちもまけてないじゃないの」というのが、素直な実感です。…麗しの素材の力が、とっても大きいんですが。
すず猫さま、アンさま、はじめ、素材やさんのみなさんには感謝であります。
(それから、中身をいっしょに作り上げてくれた常連のみなさまにも感謝v)。

本を、ぱらぱらみると、やっぱり、紹介されているHPの写真には、見て美しいものが多いですね。それは、飾りが多いという意味ではなく、華やかなものもシンプルなものも、デザイン的に、心地よいものが多いように感じました。
そのあたり、評価が高いHPは、訪問者の側の目線でHPを作っているのかもしれないな、という感じがしました。
きれいなトップページの写真をこれだけ並べて見せられると、「うちももっとがんばろう」という気になりました♪ へへへ。

閑話休題。この雑誌のタイトル、なんて読むのでしょう?
「わーるどわいどうえぶ、いえろーぺーじ」?
「だぶりゅ、だぶりゅ、だぶりゅ、いえろーぺーじ」?

…担当の方からメールが来たとき、きいておけばよかったなあ。
ううむ。気になるぞ。



2000年12月03日(日) 体力気力ともに低下…

どうも風邪気味なのも手伝ってか、体力と気力が低下して、ゲラが全然手に着きません。やばやばです。担当編集者の人も、この日記を読んでいるので、今日は申し訳ないから、あんまり長く書かないことにします(涙)。

そんなわたしに追い打ちをかけるように、起きた悪夢の事件!
(以下は気の弱い方及び、お食事中の方は、けっして! 読まないでください)。

夕方のことです。夕べ作った、挽肉とコンビーフのカレーを、今夜、また食べようと思って、牛乳でのばしたんです。でも、ちょっといれすぎちゃったんで、
「カレー粉でもたそうかな?」と、カレー風味の調味料を手にして、ぱっぱっと、ぐつぐつしたきたカレー鍋に入れたところ…。

あやしげな、小さな茶色のつぶつぶが、いくつもてんてんと…。

「このごろつかってなかったから、湿気で固まったのかしらん?」
蓋を開けて、中身をよく見て、目を疑い、再度見直して。

わたしは無言で、しっかりと蓋を閉め直し、流しの上に自分からなるべく離しておきました。そうして、呼吸を整えてのち。
「おかーさん。カレー粉のなかで、虫が湧いてたみたい」

あうあうあう(涙)。
茶色い小さな甲虫がいるじゃないですか?
ほらあの、あの、ポプリなんかによくつくやつですよ!!!
あれが…あれが、カレー風味調味料のなかで、調味料食べて、さなぎになって、羽化して、そして…!!!

ああ、沸騰するカレーの海で、死んで行く虫たちよ。

…カレーですか? 丁寧に、鍋からすくって、捨てました。
今夜はちょうど、生ゴミの日でしたからね。

わたしはどうも、熱が出てきたようで、さっきからいやーな汗をかいています。
虫たちのたたりでしょうか?

しかしどうして、密閉した瓶のなかで、あの虫たちは繁殖できたんでしょう?
というか、どこから入ったんだろう???






2000年12月02日(土) 流れのなかで

母校の創立記念日で、前の前の代の理事長さんという方におあいしました。
うちの学校は、中学から大学まである歴史の古いミッションスクールなのですが、その雰囲気にぴったりな、老いてさらに美しい知的な女性でありました。
童話もたしなまれるそうで、児童文学者協会の先輩でいらっしゃって、わたしの名前もご存じでいらっしゃるよし、光栄でありました。
そういうわけで、行事の合間に、いろいろ、お話もしました。

がしかし。
これが、なにかのはずみで、インターネット関係の話題にいくと、話が合わないんですよねえ。そもそも、その方がパソコンをなさらない方だということもあるのですが、「ドクター・キリコ事件」のことを引き合いに出して、ネットでの人と人との「出会い」の短絡性や、危険性の方を、とにかく強調なさるのです。
そして、「インターネットが普及してもいいけれど、みんなが機械にふれるのではなしに、興味のある人だけが最先端の技術にふれればいい。一般の人は、いまのままの生活でいいから、必要なときに、技術を持った人々に助力を仰げるような場所を行政が準備するべきだと思う」と、おっしゃるのでした。

ううう。
わたしは、反論したのです。
インターネットというのは、個人個人が世界レベルの情報を、自分の手で、受け取ったり発信したりすることができるということに価値があるのだということ。限られた興味がある人だけが、最先端の技術を独占したり、一部の人だけが情報を扱えるというのでは、意味がないのだということを。

でも、くだんの女性はおっしゃるのです。
「たくさんの情報を、無制限にひとりひとりが扱えるようになると、ドクターキリコ事件のようなことがたとえば起きるわけですね。それは、そういう情報をこのんで入手した、心弱い存在である、その方が悪いのだということになりますけれど、本当にそれでよいのでしょうか? 自殺したその人だけの責任でしょうか?」

…その人の責任だと、わたしは思います。
こういう考え方は、冷たくて無責任なんでしょうかねえ?

ネットの世界での情報は、本当に無制限でのばなしで、ありとあらゆる情報が、ばーんと、陳列してありますよね? そのなかで、どれとどれをとりいれるかきめるのは、自分の責任。そのことによって、どんな事件に巻き込まれても、それも自分の責任。
そう考えるのが潔いと、わたしは思っていましたが、そう発言するのは、「教育者」の人のがわの考え方からすると、「無責任」に見えるのかなと、ぼんやりと思いました。

でも。その女性がどんな風に思っていらっしゃっても、世界中が今、情報革命の波の中にありますよね? みんながインターネットにふれ、情報の流れのなかで、なんとか安定を保ちながら生きていかなくてはならなくなる時代が、もうやってきているのです。その流れに逆行するのは、もはや誰にも不可能でしょう。
蒸気機関車や蒸気船が、駆逐されていったように、つい数年前までの生活は、色あせた記憶の中にしか存在しないものになるでしょう。
誰だって、一度手に入れた自由を、手放したくはないのですから。

ところで。対比としておもしろかったのですが、現理事長さん(もと某銀行副頭取だという男性)は、ばりばりのIT革命支持者で、校長先生に、「早くうちの学校のHPを作るように」と、はっぱをかけていらっしゃいました。そういえば、PTA会長さんも、行事の合間合間に、携帯のメールをみてらっしゃいましたっけ。

時代は、変わるものです。





2000年12月01日(金) 謎とあったかいモノ

講演会というか、某学園の中等部と高等部における、創立記念日での卒業生代表としてのお話は、なんとか無事終わりました。

…いや、無事といえるのだろうか?
十五分から二十分の持ち時間があったのに、十分くらいで、原稿を読み終わってしまったのは、わたしです(苦悩)。
生徒さんたちは早くお話が終わって、なんとなくうれしそうでしたが、わたしは時計を見て、青ざめてしまいました。

おかしいなあ。去年お話をした人たちの原稿の文字数を計算して、同じ文字数の原稿を書いていったのに、どうして、十分で終わってしまったんだろう???
ちゃんと余裕を持って、しゃべったのになあ。

でも、いいたかったことは、きっと学生さんたちに伝わったと思うので、よしとしましょう。長く話したって、どうせテーマは同じでした。
「どこかにあなたの友だちがいる。あなただけの仲間がいる。もし今あなたがさみしいとしても、その人たちと出会っていないだけなんだから、絶望をしてはいけない」ということ。
これは、本当に、今十代の子たちに、わたしが一番いいたいことなのです。

あれだけの時間しかお話をできなかったのに、謝礼をいただいてしまって、ちょっと心苦しかったのですが、その中のお金を少しだけ使って、ほしかったフェイクファーの襟巻きを買いました。
あったかいです。

あったかいといえば、講演会をきいた後輩の学生さんが、掲示板に来てくれたのも、心ほかほかのあったかい出来事でしたよv
ありがと。とりっきーさん♪ またぜひきてくださいね。


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