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「血縁」というモノ - 2005年01月24日(月)

不謹慎な話ですが、テレビなどで意識不明の状態の寝たきり患者や植物人間の話が出るとうちの母は

「お母さんがそうなったら延命治療はしなくて良いからね」

と言います。
そういう状態に陥ると、「一人っ子の私に迷惑がかかる」、というのと、「そういう状態になってまで生きたくない」というのが理由のようです。

昔は、そんな事を言われても「ふーん」と思っていました。

が、一人で暮らすようになり、会うたびに「老けたなあ」と思う両親の顔を見るたびに、いつかは私は「独り」になるのだと実感し始めました。

血縁、というものが必ずしも絶対ではないことは分かっていますが、
それでも、両親がいなくなれば、私と100%の血のつながりを持つ人間(両親も正確には50%ですが)は一人っ子の私にはいなくなるわけです。

そんな時、例え意識がなく、永遠に眠り続けるとしても、私と唯一完全な血のつながりを持つ親の「安楽死」を私が選択できるのか、ちょっと自信がありません。

大切な人が亡くなった時、その大切な人の「思い出」を語ることができる人がいることは、その人にとって、幾分かの救いになります。

兄弟がいる人は、その兄弟と「家族」の思い出を語ることができます。

でも、一人っ子の私には「親戚」として語れる縁者はいても「家族」として語れる人がいません。

いつかはその「瞬間」が来るのだと分かっていても、一秒でも長く、その「瞬間」を遅らせたい。

きっと私はその決断をすることはできないでしょう。
でも、その事は親には言えません。

言えば、いつかは来る最期の瞬間に、親はきっと多大なる心残りを遺すことになるからです。



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三角食べ - 2005年01月21日(金)

ここ一週間は、ほとんど終電、もしくは終電よりも1本前の電車での帰宅が続いていた。理由は、残業。

でも、残業して帰ってごはん食べて寝る、という生活は潤いがない。
そこで、私は残業で帰ると必ずとりだめしているビデオを見ている。

「休日に見たら良いじゃないか」

という意見もあるが、休日は遊びで忙しいのだ(仕事に行く時もあるけど)。
遊んで帰って、またビデオを見る娯楽はなんだか「お腹がいっぱい」なきがする。

学生時代、好き嫌いのない私は給食もまんべんなく「三角食べ」をしていた。
だから、やっぱり毎日の生活も「三角食べ」が必要なのだ。

仕事だけして帰ってきて明日の仕事に備えて寝る。

これはきっと理想の「会社人」ではあるけれど理想の「生活人」ではない。
なので、私は必ず仕事の後は何か自分の「娯楽」をしてから眠るのだ。

そしたら、明日はまた仕事をする気になる。
「仕事一色」なんて毎日は、いくら好きな仕事をしていたとしても、しんどいに決まってる。

例え眠るのが2時になっても、3時でも、私は必ずなにかを「楽しんで」眠るようにしている。

もしかしたら、これが私の生活安定法なのかもしれない。


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おお - 2005年01月18日(火)

なんだか長い間日記をサボってしまった。

書いてないうちに何をしていたかというと、国外逃亡したり、風邪を引いたり、忙しかったり…。

まあこれといって特別なことはしていません


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